迷いうさぎの恩返し
 作・JuJu


◆ 5

「ご主人様。小学校の時、あなたのクラスメイトだった女の子のことを覚えていますか? 当時飼育係だった女の子です」

 それを聞いて僕の心臓は跳ね上がった。それは僕が一番思い出したくない相手だった。長い時間をかけてどうにか薄れさせた記憶だった。その奥底に閉じこめて置いた記憶を、彼女はまるでその鋭い視線で僕の脳からえぐり出そうとするように、いっそう目を鋭くして言葉を続ける。

「その女の子の教室でウサギを飼うことなりました。情操教育の一環として学校から与えられたのです。クラスのみんなはウサギを可愛がりました。……だけど子供なんて飽きやすいものです。すぐにみんなはウサギなんかに興味をなくしてしまいました。それでも誰かがウサギの世話を続けなければなりません。そこでクラスのリーダー的な存在のKという人が、クラスには飼育係がいるのだから、ウサギの世話は飼育係がするべきだと言い出しました。するとクラスのみんなも同意しました。こうして飼育係の女の子ひとりに、ウサギの世話が押しつけられました。

 ウサギの世話はクラス全員ですることになっていました。飼育係の役目は、ウサギを飼うことに対してクラスの統率を取る係であって、ひとりでウサギのめんどうを見る係ではありません。それでも女の子はウサギのことを可愛いと思っていたし飼育係としての責任も感じていたので、彼女は毎日、朝早く学校に来てエサをやったり、放課後は小屋の掃除をしたりと、ウサギの世話を続けました。

 そんなある日のことです。女の子は風邪を引いて学校を休んでしまいました。

 次の日、彼女が学校に行ってみると兎小屋にクラスメイトが集まって騒いでいます。

 疑問に思った女の子は兎小屋に向かいました。

 彼女は兎小屋に来て驚きました。地面にウサギの死体がありました。ウサギは目をつむったままで、苦しそうな表情でぐったりと横になっていました。腹が動いていないのですでに息をしていないことがわかります。

 後からやってきた飼育係の女の子の姿を見たあなたは、突然『ウサギが死んだのは、飼育係が世話をおこたったせいだ』と言いました。

 瞬間、そこにいた全員が静まり返りました。

 やがてKが『そうだ』と同意すると、それに同調するようにクラスのみんなが、ウサギが死んだのは飼育係が休んだからだと責め立てました。休んでいたためにエサをやらなかったからだ。水を取り替えなかったからだ。小屋の掃除をしなかったからだ。みんなは口々に責め立てました。理由なんてなんでもよかったのです。生き物の命を奪ってしまった。先生や親に叱られるかもしれない。ウサギがかわいそうだ。生徒たちの恐怖の理由はそれぞれでしたでしょうが、誰もが同じ思いなのは、ウサギが死んだのは自分のせいじゃない。誰かに罪をなすりつけることで自分は助かりたいということでした。その標的として飼育係が最適だったのです。

 その直後、誰が言い出したのか、お前が殺したんだから死なせた責任をとってそのウサギをこの場で食べろという話になりました。刑罰のつもりでしょうか。死体を消して証拠隠滅をはかったのでしょうか。それとも、わたしたちは育てた動物を殺して食べて生きているという道徳授業の影響なのかもしれません。あるいは小学生の考えることですから、たいした意味もないのかもしれません。

 飼育係の女の子は嫌がりましたが、ご主人様を除いたみんなが彼女を取り巻き、ウサギの糞が散らばる地面に倒すと両手両足を押さえつけました。それから全員の目が、傍観していたご主人様の方に向きます。ご主人様がウサギを食べさせる役だと誰もが沈黙の中で思っているのを感じられました。それによって初めて、飼育係をかばった罪が許されるのだと。

 ご主人様はおそるおそるウサギの死骸を手に取ると、むりやり飼育係の女の子の口に当てました。

 ウサギと女の子の顔と顔が向き合い、まるで口づけをするように重なります。

 女の子が口を閉じていると、Kが鼻をつまみ息を出来なくしました。女の子が息を吸うために口を開けた途端、すかさずご主人様はウサギの頭を口に入れようとしました。もちろんウサギの頭など口に入るはずがありません。それでもご主人様はぎゅうぎゅうと、女の子の口にウサギの死骸を押しつけました。

 ウサギの強烈な死臭が鼻を突き、吐き気をもよおします。歯にウサギの頭蓋骨が当たった感触があり、ゴリゴリと脳まで響きます。べったりとした冷たい毛皮が舌に絡まります。

 女の子は必死に口を閉じようとしましたが、死んだウサギの頭が押し込まれていて閉じられませんでした。

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 女の子の目は大粒の涙が流しながら、くぐもった声で何度も何度も許しをこいましたが、ウサギを押しつけるご主人様はまるきり手をゆるめようとしません。

 やがて騒ぎを聞きつけた先生が来て、生徒達は一斉に、何ごともなかったようにふるまいました。ウサギが死んでいることを発見して騒いでいた。飼育係の女の子が泣いていることも、世話をしていたウサギが亡くなったからだと、誰もが口をそろえて先生にいいました。一週間後、飼育係の女の子は、この時のことを苦に自殺してしまいました。死んだウサギを食べさせようとした私刑は永遠に隠蔽(いんぺい)されました。

 どうです、憶えていますか? 思い出しましたか?

 女の子の責任だと言って私刑の発端を作ったのも、死んだウサギを女の子の口に押しつけたのも、全部ご主人様だったんですよ? あなたが殺したのも同然です。

 あなたは女の子が自殺したことを知って怖くなった。ご両親にこの地を離れたいと懇願した。ご両親もクラスで自殺があったことを知って、そのことであなたが病んでいるのだろうと推測したのかもしれない。そこであなたのご両親は、あなたを助けるためにこの土地を離れた。そうでしょう?」

「違う、あれは本当におやじの仕事の都合で引っ越したんだ!

 ……思い出した! 僕はあの時、飼育係の女の子――ひかるって名前だった――そのひかるを庇おうとしたんだ。嘘じゃない、本当にひかるを助けようとしたんだ!」

 僕はウサギに、当時のことを話し始めた。

    *

 僕は小学生の頃、クラスメイトの陽子が好きだった。

 ――目の前にいる陽子に向かって、小学生の頃も好きだったと告白するのはとまどったが、ウサギが表に出ているときは陽子は眠っていて何も覚えていないし、なによりウサギから詰問され、照れているような余裕はなかった――

 小学生だった僕は、どうすれば陽子が僕に振り向いてくれるかを日々思案していた。

 そんなある日、ウサギが死んで、ひかるが責め立てられると言う事件が起きた。

 チャンスだと思った。陽子の前で同級生の女の子を助けるかっこいい男の子の役を演じようと思った。そうすれば陽子が僕のことを好きになってくれるかもしれないと考えたのだ。

 そのための計画を、頭の中で練った。

 ひかるをかばって助ける。そのためにはまず最初に、ウサギが死んだのはひかるのせいだと言わなけれならないだろう。

『ウサギが死んだのは、飼育係が世話をおこたったせいだ』

 少し心が苦しかったが、こうでも言わなければクラスのみんなは納得しない。

 それを聞いたみんなは、きっと僕を見るはずだ。そこで僕はその機を逃さずに言い放つ。

『飼育係が休みなのはみんな知っていたんだから、誰か他の人が代わりに水を上げたりエサを上げたり、ウサギの健康状態を見て上げるべきだったんじゃないか。飼育係ひとりの責任にするなんてずるいとは思わないのか』

 このセリフで飼育係だけの責任じゃなく、飼育係に世話を押しつけたクラス全員の責任になるはずだ。これでひかるは助かって、僕は陽子にかっこいいところを見せられるはずだ。そう考えた。今思えば所詮は小学生の浅知恵だったのだろう。

 僕は頭の中で考えた計画をさっそく実行に移すべく、クラスのみんなに向かって言った。

「ウサギが死んだのは、飼育係が世話をおこたったせいだ」

 みんなが僕を注目した。

 ここまでは計画通りだった。

 みんなが僕のことを見ている。この後かっこよく、次のセリフを言えば計画は成功して、ひかるは僕のことを好きになる。

「でもさ。飼育係が休みなのはみんな知っていたんだから、誰か他の人が代わりに水を上げたりエサを上げたり、ウサギの健康状態を見て上げるべきだったんじゃないかな。飼育係ひとりの責任にするなんてずるいとは思わないか」

 それを聞いて、みんなはうなだれて黙り込んだ。

 ひかるに対する非難の声は消えた。

 僕は成功を確信した。

 これで陽子は僕に惚れるはずだ。少なくとも好印象を持つだろう。

 ……ところが、ここから悲劇が始まった。

 僕の言葉に、Kがぽつりと言った。

「そんなことを言うなら、どうして武がウサギのめんどうを見てやらなかったんだよ。

 武がひかるの代わりに、エサをやったり水を換えてやればよかったじゃないか」

「そ、それは……」

 僕は返答に詰まった。

 Kはみんなの方に振り向くと、大きな声で言った。

「だけど武の言う、飼育係が世話をおこたったせいでウサギが死んだというのはもっともだ!」

 クラスのみんなは急に活気づき、Kに同調して叫んだ。

「そうだ」

「そのとおりだ」

「飼育係が全部悪いんだ!」

 自分たちのせいにはしたくないクラスメイト達は、責任のすべてをひかるに押しつけた。

 騒動はこれでは終わらなかった。

 子供は勘が鋭いところがある。彼らは僕がひかるを助けて、ウサギが死んだのをクラスのみんなのせいにしようとしたことを感じ取ったのだろう。

 ふたたび全員が僕のことを見た。

 無言の表情は

〈お前はどっちの味方なんだ。ひかるか、俺たちか〉

 と問いかける、そんな雰囲気が漂っていた。

 僕は彼らに味方であることを示さなければならなかった。もしも出来なければ、僕はのけ者にされるだろう。

 やがて誰かが、ひかるは殺した責任をとって、死んだウサギを食べるべきだと言い出した。

 それに共鳴し、生徒たち全員がひかるにウサギの死骸を喰わせろと、声を合わせてさわぎだした。

 言うまでもなく、刑の執行人は僕しか考えられなかった。

 僕はいじめの対象にはなりたくなかった。

 だから、声にあらがいきれなかった。

「喰ぅーえっ!! 喰ぅーえっ!!」

 残酷な合唱のなか、僕は地面に横たわり冷たくなったウサギの死体の後頭部を掴むと、ひかるの口に向かって差し出した。

    *

 以上のことを、僕は陽子に憑依したウサギに話した。

「ひかるには、いまでも悪いと思っている」

「……。そうでしたか」

 納得したのか、あるいはしていないのか。陽子に憑依したウサギは沈黙したままあいまいにうなずいた後、こう言った。

「――そのご主人様の話に出てきたひかるという自殺した女の子というのは……わたしです」

「えっ?」

「わたしがそのひかるだと言っているんです」

 僕は陽子を見た。その瞳の奥にに、憑依したウサギの姿が映ったような気がした。

 陽子に憑依したのはバニーガールに変身した迷いウサギだったはずだ。憑依しているのがバニーガールだというのならば話はわかる。だがどうしてひかるなのだ。

 僕が疑問に思っていると、ウサギは話を続けた。

「ご主人様も知っての通りわたしは兎小屋で自殺しました。死んだ後、くやしさでわたしの魂は成仏できずに兎小屋に残りました。

 魂と化したわたしには、人間の時の記憶も思考も、すでにありませんでした。くやしい、にくい、そんなうらみの感情だけが、魂になったわたしのすべてでした。

 それからは、呪いの感情だけを持ちながら兎小屋の周辺をあてどなく漂うと言う日々か続きました。

 どれだけ時間が過ぎ去ったのでしょう。ある日、わたしと同じようにさまよっていた、クラスで飼育していたウサギの魂が漂って来てきました。うらみを持つ魂同士が引き合ったのか、ウサギの魂はわたしの魂と融合しました。

 わたしの魂とウサギの魂が融合した瞬間、わたしは人間の時の記憶と感情を取り戻したのです。体を見ると、わたしは元の人間の姿の幽霊になっていました。それが今のわたしの正体です。

 幽霊になって人間の時の記憶を取り戻したからと言って、魂の時のうらみの感情は消えません。幽霊になったわたしは、ご主人様に復讐しようと思い立ちました。ところがご主人様はすでに引っ越していて、この土地にはいないではありませんか。

 ご主人様がどこに引っ越したのか分からなかったわたしは、この場所で待つことにしました。本当はいますぐにでも日本国中を探し回りたい気持ちでいっぱいでしたが、あまりに現実的ではありません。日本中を探すなんてむりですし、もしも外国に移住していたら捜し出すなんて絶望的です。

 そこでわたしは、ひたすら待ち続けることにしました。

 十年以上が経ち、ようやくあなたはこの町にもどってきた。

 この日をどれだけ待ち続けてきたことか。あなたにとって一日は一日分の長さかも知れないけれど、待つ者の身にとっては一日一日がとてもながいんですよ。

 でもいつかは戻ってくると思っていました。なにしろここはご主人様の育った故郷ですから。

 わたしはついにご主人様は帰って来たことを知りました。ご主人様の形跡をたどり、居場所を探し続け、ついにこのアパートを見つけたのです」

「それで僕のアパートの部屋の前で、うさぎの姿で待ち伏せしたというわけか」

「長い間追い続けて疲労困憊し、部屋の前で倒れてしまっていたと言うのが事実ですけれどね。なにしろ三カ月も探し回ったのですから」

「つまりあのまま放っておけば勝手に成仏していたところを、僕はお人好しにも復讐者を助けてしまったと言うことか。あの時無視してれば、陽子もこんなことにはならなかったのか。

 それじゃあ、助けてやった時に言った恩返しをするという言葉も、嘘だったんだな」

「そのことですか。嘘はつきませんよ。怨みは返すけれど、恩は返さないじゃ、道理が通りませんから。助けてもらった恩はちゃんと返すつもりです。

 ……と言うかすでに恩返しは始まっていますよ。前にも申したと思いますが、ウサギっていつも発情しているんですよ。だからわたしに憑依された陽子は、エッチが大好きな女の子になるんです」

「僕はそんなことを頼んでいないぞ!」

「でもご主人様は恋人になったのにエッチなことができないと嘆いたり、陽子とエッチなことをすることを妄想しながらオナニーをしたりしていましたよ。わたし見ていましたから」

「もういい! ……もういいから、陽子の体からでていけ!」

「それはむりですよぅ。この体とは融合してしまったのですから。

 すでにウサギの魂と合体させている経験から分かるんです。一度融合した魂はもう二度と分離することはできないと。

 そうですねぇ……。たとえるなら白ワインに赤ワインを混ぜた後、ふたたび元の白と赤のワインに分けることはできませんよね? それと同じように、わたしと陽子の精神は混じり合っちゃってるんですよ」


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