迷いうさぎの恩返し
 作・JuJu


◆ 3

 時が過ぎ、ウサギを見つけてから三カ月が経った。

 この三カ月のあいだ、電柱にウサギの写真を載せた張り紙を掲示しウサギの飼い主を探しつづけた。それでも飼い主は見つからなかった。もしかしたら連絡先に名字と電話番号しか書かなかったのが不審に思われたのかもしれない。しかしこのアパートはペット禁止だ。だから僕の個人情報はほとんどあかすことはできなかった。

 同様の理由で、友達や知り合いなどにもアパートでウサギを飼っていることを隠して、一緒に飼い主を探すのを手伝ってもらうこともしなかった。彼らを信用していないわけではないが、用心にこしたことはない。

 いや、それは言い訳かもしれない。本音をいえば人懐っこく甘えん坊なウサギにすっかり情が移ってしまい手放すのが惜しくなっていた。だから本気で飼い主を捜す気などなかったに違いない。

 いずれにせよ、今では僕のかわいいペットとしてこの部屋で暮らしている。

 迷いウサギは助けられたことがよほど嬉しかったのか、それとももともと人懐っこい性格なのか、いつも僕のそばにいたがり、自分の体を僕の体にぴったりとくっつけるのが好きだった。僕がイスに座りうさぎを膝に乗せ頭や背中をなでてやったりすると、目を細め耳を後ろに倒し、本当に気持ちよさそうな表情をする。

 今もいつものように、ベッドの端に座りウサギの頭をなでてやっているところだった。あいかわらず気持ちよさそうになでられている。そのあまりに人間くさいしぐさに、ふとこいつはウサギではなく本当は人間なのではないか、などとあるはずもない妄想を抱いてしまうほどだった。

 そんな馬鹿なことを考えていたときだった。奇跡が起こった。信じられないことだが、目の前のウサギが人間の女の子に変身したのだ。それだけではない、彼女が着ている服は俗に言うバニーガールのかっこうだったのだ。全身が白で統一された純白のバニーガール。白いウサギの耳やアミタイツ。部屋の中だというのに白いハイヒールまで履いていた。

 年齢は僕とそう変わらないようだが、顔が幼いためによくよく見ないと高校生に間違えそうだ。シルバーブロンドのストレート髪が頭の後ろで流れるように二股に分かれて腰まで伸びていた。まるでウサギの耳を倒したようだ。肌は純白で絹のようにきめ細かくなめらかだった。背はあまり高くないものの、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるのでスタイルはかなり良いと言っていいだろう。

 そんな女の子がいつの間にか僕のひざの上に乗って横に寝ころび、目を閉じて気持ちよさそうに寝ていたのだ。

 たしかにさっきまで、僕はベッドの端に座って迷い子のうさぎをなでていた。それなのに、いつの間にか気が付けばバニーガールの女の子の頭をなでていた。

 驚いた僕がなでるのをやめたことに気が付いたらしく、女の子は目を開いた。人間にはあり得ない赤い瞳に一瞬驚いたが、愛嬌のあるタレ目によく似合っていた。

 彼女は僕のひざから立ち上がると、僕の目の前に正座をして深々とていねいなお辞儀をした。

 それからウサギだった時と同じように僕に体を摺り寄せてきた。顔を僕の頬に寄せ、甘えるように僕の腕に胸を押しつける。

 僕は驚きながらも、同時に頭の中でなぜか「鶴の恩返し」を思い出していた。とある男が罠に引っかかっている鶴を助けたところ、若い女に変身した鶴が助けた男の家にやってきて住むようになり、恩を返したという、あの有名な話だ。あれは昔話だとばっかり思っていたのだが、こうして目の前で動物が人間に変身したところを見てしまっては信じるしかなかった。

 本来ならばこんな可愛い女の子と同棲ができるなら喜ぶ場面だろう。だけれども僕には喜ぶに喜べない状況にあった。と言うのは僕にはすでに恋人がいるからだ。

 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。

「武、いるー? 来ちゃった。入るよー」

 陽子の声がする。

 まさに、噂をすれば影と言うやつだ。

 陽子は先日の同窓会にも来ていた女の子だ。一目惚れした僕は、酒を飲んですっかり酔っぱらっていた勢いもあり、同窓会の帰りに彼女を呼び出して、つきあってくれと言ってしてしまったのだ。彼女もいきなりのことで驚いていたが、うなずいてくれた。それ以来彼女は僕の恋人となった。とは言っても、もともと幼なじみと言うこともあり、恋人というよりは仲の良い兄妹みたいな付き合いだが。だから彼女をこの部屋に入れたのは同窓会の日だけだった。ふたりは肉体関係もない清らかな付き合いだ。恋人になって六カ月たつというのに、手も握らないような健全さだ。僕としては男でもあるし、いい加減肉体的にもっと進行をさせたいとつねづね思ってはいるのだが、陽子の身持ちが堅くてそれもままならない。

 どうして今日に限って急にやってきたのか疑問に思う。女の気まぐれというやつか。いや今はそんなことよりとにかく、恋人にこの場を見られるのはまずい。どうにかしなければと思いはするものの、気があせるばかりで何の行動もできないでいた。

 そうこうしているあいだに、玄関が開いてしまう。戸に鍵をかけ忘れたことを今さら後悔する。

 入ってきた陽子は、部屋の中を覗くと驚いて目を丸くする。玄関で足をとめ、差し入れらしい洋菓子店の名前の入った小さな紙袋を手からすべり落とす。ぼうぜんと立ちつくし、ただただバニーガールのいる場所を見つめている。

 それはそうだろう。恋人の家に来たら女がいて、男に抱きついているのだ。その上、その女はバニーガールのコスプレをしていているのだ。この状況で驚くなと言うほうが間違っている。僕は直後に起こるであろう修羅場を考えひとり頭を抱えた。

「えっと、あのな、この子はな……実はウサギで……」

 陽子は僕のセリフなど無視して、驚いた表情を崩すと、今度はとろけるような笑顔になる。

「かっ、カワイイーーー!!」

 陽子が叫ぶ。

「……だからな。僕と彼女はけっしてやましいことをしていたわけでは――え? 可愛い?」

 彼女の反応に驚いてしまう。

 彼女が可愛いと指摘したのは、あの子の顔が可愛いということだろうか? それとも白のバニーガールがかわいいということだろうか? いずれにせよ、恋人の部屋に別な女がいてその反応はおかしいだろう。

 疑問に思いつつバニーガールの女の子がいた場所を見ると、そこには動物のウサギが鎮座していた。どうやら人間の姿から動物のウサギの姿に戻ったようだ。

 僕は安堵のため息を深く吐いたあと、ウサギを見ながら小声で愚痴を言う。

「なんだ元の姿に戻れるのか。脅かすなよ」

 とはいえ元のウサギの姿に戻れないと勝手に思い込んでいたのは僕なのだから、ウサギにとっては言いがかりかもしれない。


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