魔法少女はぬいぐるみ羊の夢を見るか?

作:JuJuさん



■第1話

 それは高校からの帰り道。夏休みが楽しみな七月が始まったばかりのある日のことだった。

 放課後になり、部活に入っていない帰宅部の洋司(ようじ)は自分の家に向かって下校していた。彼の自宅はサラリーマンばかりが住んでいて、平日の昼間はひとを見かけないような住宅街の中にあった。

 空をのぞめば初夏の空は遙か遠くどこまでも青く透き通り、太陽はまぶしく輝いてアスファルト道路にまっ黒な影を作っている。

 東京都内、しかも都心部にありながらこの住宅街で聞こえる音といえば、四六時中たえまなく遠くから掠(かす)れるようにとどく自動車の走行音ぐらいなもので、あとはせいぜい気の早いセミが一匹だけ夏のさかりを待たずにはやばやと鳴き始めているような、そんな閑静なところだった。

 部活に入っていない洋司は夏休みも自由だった。彼は夏休みはたっぷりとダラダラして過ごせそうだな、などとのんきなことを考えながら自宅の玄関のノブをつかむ。

 その時だった。

 洋司の体をかすめるように黒い光線が襲った。

 驚きに目を見開きあわてて振り返ると、いつの間にかアスファルトの上に人影が立っていた。

 見知らぬ少女だった。

 肌が透き通るように白い。やせ形で、その立ち姿は儚(はかな)ささえ感じられた。

 しかしその冷えきった瞳から、相手が数え切れぬほどの人間を殺してきた冷酷で残忍な殺人機械(キラー・マシン)だということが感じ取れた。

 目を向けられたことに気が付いた少女が洋司の瞳を見返した。

 相手はただ見返しただけでその場から微動だにしていないのに、視線の気迫に圧された洋司は思わず後ずさりをした。

 背中が自宅の玄関の扉に当たってかろうじて足を止める。

 追いつめられ行き場をなくした洋司のほおにひとすじの冷たい汗が流れる。

 騒動に驚いたのか、気がつけばさきほどまでうるさかったセミの声が消えていた。偶然なのか必然なのか、あるいは風の向きが変わっただけなのか、いつもならばひっきりなしに聞こえる遠くからの自動車のかすかなエンジン音さえいつのまにかまったく聞こえなくなっていた。

 あたりは異常なほどの静けさに包まれている。

 初夏の太陽の日差しだけがジリジリと洋司と少女を照らしている。

 このまま自宅に逃げ込むという手段もあったが、それでは袋のネズミになることは必至だった。

 迫り来る重圧に堪えきれなくなった洋司は、無謀だと知りながらも少女の脇を抜けてこの場から逃げ出すことを選んだ。

 カッと足を蹴って駆け出そうとしたその刹那(せつな)、まるで洋司の行動を先読みしていたようにふたたびまっ黒い光線――黒いものを光と呼んでいいのかわからないが――が彼の行く先をさえぎるように走る。

 洋司はのけぞりながら足を止める。

 あと数ミリ避けるのが遅れていたら、彼の横っ腹に怪光線が当たっていただろう。

 足をとめた洋司は十メートルほと離れたところにいる少女をするどい視線でにらむ。

 アスファルト道路の上、その場所にはものすごい美人がいた。

 年齢は見たところ高校生くらいだろうか。黒くて長いストレートの髪を乱すこともなく堂々と立っていた。つり目でネコ科の動物をほうふつとさせる顔立ち。まっすぐに切りそろえられた前髪の下にある黒い瞳からは感情がまったく読めない。

 洋司は何度考えても自分が見も知らぬ少女に襲われる理由がわからなかった。

「なんだ!? なんなんだよお前は!?

 なんで俺を襲うんだ!

 お前とは初対面だ。恨みをかったおぼえはないぞ?」

 彼女は黒い光線を発する、やたら古いSFチックな銃を下ろすと答えた。

「あなたを選んだ理由?

 意味は無い。

 現在の私は地球人の戦闘能力を分析するために、母集団の標本を必要としている。

 そのため無作為に選択したところ、あなたがサンプルとして選ばれたというだけ」

 こいつは高校生のくせに中二病でもわずらっているのだろうか。それとも外見が高校生に見えるだけで本当は中学生なのだろうか、と洋司は思った。

「理解不能だ。俺には何を言っているのかわからん!」

「そう」

 女の子はどうでもよさそうにそうつぶやくと、ふたたび銃口を洋司に向けた。彼女の表情からはあいかわらず感情が感じられない。

 あの銃から発せられる光線に当たったらどうなるのか、洋司にはまったくわからなかった。しかしながら、ろくでもない目に遭うことだけは確信できた。おもちゃみたいな拳銃(しかも発射しているときに、いかにも安っぽい?ビー≠ニいう効果音まで鳴るのだ)から出るような光線などまったく無害なように見えるが、洋司の本能と直感があれは当たるとヤバいやつだと光線を見た瞬間からずっと警鐘を鳴らし続けている。

「やっぱり……おもちゃの光線銃ってわけじゃないよな」

 自分に問いただすように洋司はひとりごちる。

 彼女のコスチュームだけを見るなら、戦艦大和を宇宙船に改造した某有名アニメに出てくる乗組員が着用しているようなスーツに近いだろうか。色は真っ黒だ。アニメとの相違点は、腕と足をむき出しになっているところだろう。肩から先とふとももがむき出しになっているため、レオタード(しかもハイレグ)のようになっている。

 ちなみに胸は高校生だというのに平らな胸をしていた。大きな胸が好きな洋司は、やっぱり女性の胸は麻績(おみ)さんのような巨乳がいいなと思った。麻績というのは洋司の家の近所に住む大学生だった。洋司のあこがれの女性だ。

 それだけだったら、あいつは頭のイカレた変質コスプレ女だと洋司も納得しただろう。

 問題はそのスーツの素材だった。生地は何でできているのか、やたら「ツルツル」して「テカテカ」している。表面は厚いビニールのような光沢があり、そのくせ革(かわ)のような滑(なめ)らかさも併せもっている。そのうえ収縮性まであるのか、その生地が締めつけるように肌に張り付いているので、小ぶりながら形の良い胸や、おどろくほど細い腰や、引き締まったお尻など、あますところなく体中の線を見せていて妙に色っぽい。

 おなかの部分が切り取られていてヘソが見えている。

 ハイレグの股間に向かって同素材の太ももまである長いブーツをはいている。色はボディの服と同じ黒色をしている。かかとが高くてハイヒールのようになっていた。また同色同素材でできたヒジまでおおうようなロンググローブもはめている。

 先ほどの光線といい、着ている服の素材といい、これはもうコスプレとかいうレベルを超えている。すくなくとも彼女はただ者ではないことは明白だった。ついでに性格もただ者ではないだろう。

 しかし変質者だと知りつつも、洋司がつい見とれてしまうほどの美貌を持っていた。

「くっそー! これはコスプレだよな? アニメとかに出てくるキャラになりきってする遊びだよな?

 だったらこんな時にあらわれるはずのヒーローはまだかよ?
 俺は普通の公立高校に通う、どこにでもいるようななんの変哲もない一般人だぞ! こういう善良な一般市民が怪人に襲われているんだ。

 あの女がコスプレをして悪人ごっこをしているというのならば、そろそろ正義のヒーロー――いや、俺の個人的好みから言えば、女の正義のヒロインがいいな――が、助けに入ってくるのがお約束ってやつじゃないか! さっさと出てこい!!」

 などと洋司がヤケぎみな愚痴を吐いていると、奇跡が起きた。

 まさにその通りだといわんばかりに、装飾過剰なフリフリドレスを着た美少女が洋司と変態コスプレ少女のあいだに割って入って来たのだ。

「遙かな宇宙(そら)の星々をめぐり、やっと追いついたわ、ぬいぐるみ怪人! 今度こそ成敗してやるんだから!」

「ゲーッ! またコスプレが増えた!?」

 洋司は叫んだ。

 よけいなことを願ったばっかりに、さらに変態を呼び寄せてしまったと洋司は後悔した。

 乱入してきた少女は小学生高学年程度の年齢で、アニメから飛び出してきたような魔法少女の衣装を身にまとっている。ツインテールにかわいらしい羊のポシェットを肩から斜めに掛けているのが印象的だ。ちなみに胸の大きさはようやく膨らみはじめたようなツルツルペッタンだった。ロリコンならば泣いて喜んだのだろうが、巨乳派の洋司にはその点がガッカリだった。まだ成長途中だし将来に期待だな、と洋司は思った。

「なんだなんだ! なんなんだよお前たちはっ!! 近所でコミケでもやっているのか?」

 洋司は同人誌即売会(コミックマーケット)には行ったことはなかったが、一度は足を運びたいとおもっていた。そしてそこでコスプレをして楽しむ集団がいることくらいの知識はある。だが二人を見ていて、コミケに行ってコスプレ鑑賞をしたい(できれば写真も撮りたい)というあこがれの気持ちが急速にしぼんでいくのを感じていた。

「? こみけ? なんのこと?」

 魔法少女はかわいらしく小首をかしげる。

(うっ……かわいい)

 相手は変態だと知りつつも、そのかわいらしさにおもわずつい見とれてしまう。

 同時に洋司は冷静な思考を取り戻すことができた。

 演劇の脚本のようなタイミングでこの魔法少女が現れた。変態コスプレ女の衝撃を受けたために混乱して、かなり本気で精神異常者の殺人鬼かもしれないと思ってしまったが、落ち着いて考えてみればそんな馬鹿な話はありえない。

 やはりこいつらはマンガの役になりきって遊んでいるだけだ。

「そんなことより気をつけて。あいつはぬいぐるみ怪人よ」

 魔法少女がいった。

「ぬいぐるみ怪人?」

 洋司が問う。

「正式な名前がないから便宜上私が独自にコードネームをつけたんだけど。名の通り彼女の銃で撃たれると人間はぬいぐるみになってしまうわ」

「はあ……?」

 コスプレといい、設定といい、敵のネーミングといい、こいつはとんでもない仮装パーティーに巻き込まれたものだ、と洋司は思った。

 そして真に迫った演技にふたりに演劇の女優賞をあげたい気持ちになった。俺は本気で腰を抜かすところだったんだぞと、はずかしいから口にはしないが内心で思い切り愚痴をはいた。

 仮装した人物になりきるのはいいのだが、そういうことは身内だけの閉鎖された場所でやってほしい。すくなくとも通りすがっただけの俺を巻き込むのはマナー違反ではないのだろうか、と洋司は思う。

 とはいえ洋司もコスプレを鑑賞することは嫌いではなかった。とくに魔法少女は彼の大好物だと言っていい。しかも目のくらむほどの美少女がコスプレをしているのならばなおさらだ。

 洋司は改めて乱入してきた魔法少女のコスチュームを見た。

 魔法少女は筋金入りのコスプレイヤーらしく、その服飾は非の打ち所がないほどよくできている。ウェーブがかかった透き通るような水色の髪。大きな青い瞳に、赤いストラップシューズ。赤い玉を二つ並べたサクランボのような飾りで長い髪をツインテールにまとめている。

 もちろん言うまでもなく、魔法少女としてお約束のかわいらしさを前面に押し出した装飾過剰なフリフリドレスも着ている。

 洋司が魔法少女に見とれていると、彼女は羊をデザインしたポシェットに手を入れた。中から魔法少女の必須アイテム〈魔法のステッキ〉を取り出す。それは手のひらに収まるような小さなステッキだったが、どういう仕組みなのか見るみるうちに巨大化して三十センチくらいの長さに変化した。

「ここは危険だから、あなたはは早く逃げて!」

 魔法少女はぬいぐるみ怪人にステッキを構えると、振り向いて洋司に言う。

(うむ。あの女からくらべれば、こちらはまだ多少は常識というものがあるようだ。キャラクターのイメージを壊さないようにしつつ、俺をこの場から解放しようとしているらしい)

 この狂気の悪夢から抜け出すチャンスだった。しかしここから去る気はいつの間にか消えてしてしまっていた。

(しかたない。こうなってしまったら乗りかかった船だ)

 こいつらに関わっていてはマズいと思っていた洋司だったが、ふたりの完璧なまでのコスチュームや役になりきった演技にすっかり魅了されてしまったらしい。

 ――洋司は物心ついた頃から魔法少女のアニメが大好きだった。魔法少女のアニメと共に成長し、小さい頃は魔法少女のヒロイン(時にはライバル役)に恋をしたこともあった。さすがに高校生となった今では魔法少女アニメは見ていないが、中学を卒業する頃までは欠かさず見ていたものだ。彼の人生は魔法少女と共に歩んできたといっても過言ではない。

 そんな彼が幼い頃から夢見ていた魔法少女がいま目の前にいる。しかも悪い奴と対決をするという最高の見せ場なのだ。

 相手は道の真ん中で平然とコスチュームプレイをするような変態たちだ。通りかかった誰かに見られて変態の仲間だと思われたら――さらにその場で写真を撮られてインターネットで拡散されたら。そのうえ変態がいると警察に通報されたりでもしたら――洋司の社会的生命はそこで終わるだろう。しかしこれを観賞しておかなければ自分は生涯にわたって後悔するだろうという予想がそれらを上回った。

「そ……それがその……、腰が抜けて歩けないんだ」

 洋司はうそをついた。

 ふつう腰が抜けるというのは立っていることもできないで尻を地面に着いた状態になるのだろうが、学生服のズボンが汚れるのをきらった洋司は棒立ちになりながらそう言った。洋司には彼女らほど演技に対する熱意はないらしい。

「え? 腰が抜けちゃったの?」

 魔法少女がちょっとあきれ気味にいう。

 その表情から「年上の、しかも男の子なのに、この程度で腰を抜かすなんてだらしないなあ」という彼女の気持ちがうかがえた。

 小学生の女の子、しかも大好きな魔法少女からの軽蔑のまなざしを受けて、洋司もさすがに傷ついたようだ。

 あわてて言いなおす。

「訂正! 訂正! 持病のシャクが出て……」

 さらに「あいたたた……」などとうめき声をあげながら腹を押さえるという芝居かがった下手な演技までつけ加える。

 洋司は自分で言っておいて(ところでシャクってなんだ)とか、今さらながら考えていた。

(とっさだったから時代劇で聞いたセリフを適当に言ってみたんだが、こんな小さな子に通じるのだろうか? だいたい俺もシャクってなんだかわからないし……)

 ところが魔法少女にはちゃんと通じたようで、さっきまでの軽蔑していた表情がいっぺんし、今度は心配そうな顔に変わった。どうやらシャクの意味がわかるらしい。もしかしたら彼女は時代劇が好きなのかもしれない。

「そ、それは大変ね……。

 わかったわ! ならばさっさと片付けちゃうからこの場で待っていて!」

 どうやら魔法少女はアニメのお約束である、敵と互いの主張を戦わせたり、小ぜりあいやツバぜりあいといった脚本をはしょって、はやばやと必殺技を出すようだ。洋司の仮病にだまされて、いわゆる〈巻きが入った状態〉にしたらしい。

 コスプレ魔法少女はアニメの魔法少女が必殺技を出す場面のように可愛らしくきらびやかに魔法のステッキの先端をぬいぐるみ怪人に向ける。

「そんなわけだから、いきなりだけど倒させてもらうわよ!」

 魔法少女が片目を閉じて、拳銃の銃口ようにステッキの先をぬいぐるみ怪人にさだめる。握っている柄(え)の部分に付いている小さなボタンを押すと、ステッキの先が明るく輝きはじめた。

『エネルギー充填……三〇%……』

 ステッキから大人の男の渋い声が発せられる。

(おおっ! この感じは、有名なアニメで見たことがある)

 と洋司は思った。

 戦艦大和を宇宙船にしたアニメの必殺兵器。彼が生まれるはるか以前に作られたアニメだったが、アニメファンならば誰でも知っているし、アニメを見ない人でも「なつかしのアニメ」などのテレビ番組の名場面で一度は見たことがあるであろう、「波動砲」という必殺技を出すところに似ているのだ。

 魔法のステッキの先が徐々に輝きを増す。力を貯め込んでいるのがわかる。きっと百二〇%に溜まると、ものすごい破壊光線が出るのだ。ぬいぐるみ怪人のおもちゃの光線銃などとは比べものにならない程の一撃必殺のものすごい光線が出る予感に洋司も興奮を隠せない。

 ぬいぐるみ怪人もそのことを察したらしく、おどろきとまどっているのかその場で静止してしまった。

(こんな貴重な場面はぜひとも録画保存しなければ!)

 洋司は制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、動画撮影モードにしてレンズを魔法少女に向けた。

 カメラを向けられたことに気が付いた魔法少女は動揺をあらわにした。

「えっ? ちょっと? それって地球の記録装置でしょ? ダメ! 今おこっていることは、ないしょにしておいて!」

 白昼堂々おおやけでコスプレをしている彼女だったがさすがに録画されるのはまずいらしい。しかし洋司のカメラ小僧だましいにはすでに火がついてしまっている。いまさらカメラをとめるつもりはない。

 もちろん相手の許可なく勝手にカメラに収めることがほめられたことではないことは洋司も知っていた。しかし天下の往来公共の場でこんなコスプレをしていたら写真を撮ってくれといっているようなものだろう。それに先にこんなマナー違反の騒動に巻き込んだのは相手の方だ。洋司はそう思ってレンズを向け続けた。

「お願い、このことは他の地球人には秘密にしておいて。他の星と接触がない星では、宇宙人の存在を隠すように宇宙協定でさだめられているの」

 もちろんインターネットなどに流して拡散するつもりはない。あくまで個人的に鑑賞するだけだ。とはいえ独り占めするのももったいないので、友人の夢緒(ゆめお)あたりには見せるかもしれないが。

 そのことを魔法少女に言おうとした瞬間だった。

「油断!」

 ぬいぐるみ怪人がするどく言う。

 洋司と魔法少女がぬいぐるみ怪人に振り向くと、彼女の銃口が魔法少女をとらえていた。

「卑怯よ!」

「宇宙協定など、私には関係ない」

 ぬいぐるみ怪人がそう言うのと同時に光線銃の引き金が引かれた!

「キャアアアーーー!」

 光線が当たった魔法少女は裂帛(れっぱく)のさけび声を吐きながらまっ黒な光に包まれた。

 光線を浴びつらそうに目を細く開けた表情をしながらも、魔法少女は意を決した瞳で洋司のスマートフォンに意識を向ける。

「そ……それは……地球の電子記憶媒体で……まちがいないよね?」

 返答をする間もなく、魔法少女は苦しそうに光線を浴びながらスマートフォンに向かって手を伸ばした。

 驚いた洋司の手からスマホがすべり落ちる。スマホは地面に当たり軽い音を立てた。

 魔法少女はスマホに覆い被さるよううつぶせで地面に倒れる。

 ぬいぐるみ怪人の光線がとまる。

「魔法少女は倒した。

 地球人。サンプルであるあなたの行動を見ていて判明した。地球人は惰弱。とても弱い。それさえ分かればもうサンプルを採る必要などない。

 魔法少女さえいなくなれば、地球人をぬいぐるみにすることなどいつでもできる。まさに赤子の手をひねるも同然」

 ぬいぐるみ怪人が言う。

(赤子の手をひねるなんて日常会話ではじめて聞いたよ。シャクのこともそうだが、マンガとかアニメとか見ていていつも思うんだけど、どうして宇宙人って地球の――しかも日本の文化にやたらに詳しいんだろうな)

 洋司がそんなことを考えていると、ぬいぐるみ怪人が話を続けた。

「地球人を排除する前に、私にはやらなくてはならないことがある。

 地球人が惰弱であること、この星は移住ならびに植民星にするのに最適な環境であること、魔法少女を倒したことを司令に報告しなければならない。

 いったん地球の近くにとめている母船にもどらなくてはならないから、ふたたび地上に戻ってくるまでにしばらく時間がかかる。

 地球人。それまでのこり短い命を楽しむがいい」

 魔法少女さえ倒せばお前みたいなザコに興味はないと言わんばかりに、怪人は洋司に背を向けるとどこかに去っていった。

 その後、なにごともなかったかのように静けさが戻る。

 洋司の足下にはうつぶせに倒れた魔法少女と、少女にのしかかれている洋司のスマホが残されていた。

 どうやらコスプレ演劇の時間は終わったらしい。

 洋司も家に帰りたかったのだが、魔法少女が起きてくれないと彼女の体の下にあるスマホが取れない。

「あのーお嬢さん。お相手は帰りましたよ……? そろそろ起きて下さいよ」

 洋司は魔法少女のそばにしゃがみ込むと彼女を呼び起こそうとした。

 しかしなんど声をかけようとも魔法少女は微動さえしなかった。

 女の子――それも小学生――の体に不用意に触れると、いまはロリコンだの性犯罪者だの変質者だのなんだのと、なにかと世間がうるさい時代である。むやみに触ることもできない。

 困り果てていた洋司だったがスマホを残して去るわけにもいかず、しかたなく少女の手をつかんだ。

 その時、衝撃が走る。

 彼女の手は死体の冷たさはなかったが、同時に血の通った温かさもなかったのだ。さらに筋肉の感触もなく、骨の感触もなく、例えるならばそう《まさにぬいぐるみにでも触っているような感覚》だった。

 洋司はあわてて少女の肩をつかむと、彼女の体をひっくりかえして仰向けにした。

 洋司はしゃがんだまま、地面に仰向けにした魔法少女を見下ろす。

 少女はまるで人形のように無表情だった。目を開き口を小さく開けている。

 洋司は彼女を抱きあげると、おそるおそる立ちあがった。見た目はどこからみても人間そのものなのに、その体重は信じられないほど軽かった。そして彼女の肉体の感触はまちがいなくぬいぐるみそのものだった。

 洋司は魔法少女の言っていた《相手をぬいぐるみにする怪人》という話を思い出していた。彼女が撃った光線に当たると、人間はぬいぐるみになってしまう。

 ここにきて、ようやく洋司は信じた。

 あの少女が本物の宇宙人だということを。

「マジかよ……」

 あの光線を浴びると、本当に人間がぬいぐるみになってしまうのだ。地球の科学力では考えられないことだった。

 急に恐怖が洋司を襲った。

 コスプレでも、演劇でもない。今までのことはすべて事実だったのだ。

 おののきながら混乱する洋司。

 かといって一般市民の洋司が宇宙人相手になにができるというのか。

 洋司は魔法少女を抱えながら、片手で地面に落ちていたスマホを拾うと警察に通報しようとして電源を入れてみた。が、落とした衝撃で壊れたのか、スマホは真っ黒な画面のまま動かなくなっていた。

 その黒い画面を見て、洋司は我に返る。

 警察に通報したところでだれが宇宙人なんて信じるというのだ。

 初夏の太陽は夕方になってもまだ空の高いところにあった。

 ぬいぐるみにされた魔法少女を横抱きにしながら途方に暮れている洋司をよそに、いつのまにかふたたび鳴きはじめた一匹のセミの声が初夏の空に向かって響いていた。


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