秘密企業ゼリージュース関東支部物語
 作・JuJu


(2)

 俺はどうしてこんな所に小学生の女の子がと思っていた。と、その時、彼女が胸にさげている社員証が目に入った。社員証には支部長の名前が書いてある。こんな姿だが、その正体はここで一番偉い支部長なのだ。俺より遅れて出社したはずなのに、いつの間にかゼリージュースを飲んで変身まで済ませている。やはり侮れない人だ。
「ああ支部長でしたか。おはようございます」
 タイムカードを押している支部長に、朝のあいさつをする。よく見れば、彼女の顔には支部長の面影がある。梨花がじゃがいもに憑依しているように、支部長も自分の娘に憑依しているのだろうか。
「支部長。その姿は、もしかして娘さんに憑依しているんですか? そんなことをしたら、娘さん、小学校にいけないじゃないですか」
「あ、勘違いしないで。この姿は憑依じゃないの。複製だから大丈夫だよ。それに、これは幼い頃の姿。娘はいまは社会人だし」
(なるほど、支部長の面影があるから、つい支部長の娘だと思ってしまったが、常識的に考えると、支部長の年齢で小学生の娘がいるのは珍しい方だろう)
「それで、ゼリージュース、飲まないの?」
 支部長が尋ねる。
「えっと……、やっぱり遠慮しておきます」
「社風になれるためにも、なるべくゼリージュースをのんでね。お兄ちゃん」
 支部長はガラスケースの鍵をはずして扉を開け、中に並んでいるゼリージュースを端に寄せると、手に持っていたケーキ屋の箱を入れた。
 その後、支部長はは階段を上っていった。おそらく支部長室に向かったのだろう。短いスカートの中から、いかにもお子さま用のパンツが覗く。
 そのパンツを見て、ふと、思う。
(あのパンツは、自前で用意したのだろうか?)
 社屋の三階には衣装室があり、劇団さながらに、さまざまな服が所狭しと置いてある。それらを社員は自由に借りることができる。ただし、化粧品などの消耗品、また下着類は自前で用意しなければならない。だから、支部長が下着を自前で用意していることは間違いないのだが。新品には思えない下着に見えた。
 ふと、幼い頃の娘さんのお古じゃないかという疑惑が頭をかすめた。
 いやいや、そんなことがあるはずがない。まもなく始業時間だ。ばかな詮索をしていないで、仕事に専念しなくては。
 スーツを脱いで背中についた芝生を払いながら、俺は頭を振って、気持ちを切り替えた。

 ・ ・ ・

 柱時計から就業開始時間を告げる鐘の音が鳴る。俺は机に座って、一週間分溜まった事務仕事を片付け始める。特殊なゼリージュースはもちろん、ごく普通のゼリージュースの営業もしているために、仕事は溜まっている。
 ところで、犬になった梨花はどうやって仕事をしているのだろうと思い、彼女を見る。
 じゃがいもになった梨花は、犬の前足を器用に使ってパソコンのキーボードを打っていた。そのあと、プリンターから出てきた資料を口でくわえて支部長の所に持っていく。小学生の女の子の支部長は、小さな手でそれを受け取ると、目を通して承認のハンコを押す。俺は犬の手でキーボードを器用に打つじゃがいもを見て、昔テレビで見た「ドン松五郎なんとか」とか「名探偵ベンなんとか」とかの犬の映画を思い出していた。

 ・ ・ ・

 ここで、改めてゼリージュースの説明をしておこう。
 俺が勤めている会社は、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどで売られているような、どこにでもあるゼリージュースを研究開発している会社だ。
 ――が、それは世を忍ぶための仮の姿、表向きのカモフラージュにすぎない。本業である〈裏〉では、なんと、飲用することによって変身することが出来る、魔法のゼリージュースを研究しているのだ。
 基本となるゼリージュースは三色。赤青黄色で、それぞれ〈他人に変身〉〈他人に憑依〉〈入れ替わり〉の効力がある。そんな、最初は赤青黄の三色から始まったゼリージュースも、いまでは多くの時間と人の手によって、さまざまなニーズに対応した色とりどりのゼリーが華やかに揃っている。もちろん、その色に合わせてその効能効果もさまざまだ。愛飲者のさらなる期待に応えるためにも、新製品や、既存の品の改良は欠かせない。そのために俺たちは常に開発の努力を怠らない。色に対しても、見た目に楽しめるように多彩になるようにしている。それだけではない、味に関しても、定期的に微妙に変えている。気が付かないような程度の差にとどめつつ、かつ、飽きが来ないように微妙に味を変える。この微妙なバランスが大変だと、有部もぼやいていた。もちろん、喉ごしも改良を続けている。
 そもそも、俺以外の他の社員はゼリージュースがおこす変身に魅了され、その熱が高じて、ついにゼリージュースの開発にまで関わるようになった者ばかりだ。これ以上の天職はないだろう。自然、研究開発にも力が入ろうというものだ。
 だが俺は違う。魔法のゼリージュース好きなために、この会社に入社したわけではない。だから与えられた仕事はむろん懸命にやるが、ゼリージュースによる変身には興味がない。

 ・ ・ ・

 昼休みを告げる鐘の音が柱時計から流れた。ようやく昼休みの時間だ。俺は仕上げた書類の束をそろえると、イスから立ち上がる。懸命に仕事をこなしたので、午後からはすこしはゆっくりできそうだ。
 俺は昼食のために社員食堂(ただの休憩室だ)に向かう。食堂には、すでに梨花と支部長がいた。梨花も支部長も、テーブルの上に手製の弁当を置いている。
 俺もテーブルの上にいくつかの菓子パンや総菜パンを並べた。通勤途中でコンビニで買ったものだ。二人が食べている手作り弁当と比べると、工場で作られた既製のパンは見劣りがする。なんというか、人の温もりが感じられない。支部長の弁当は奥さんが作ってくれたのだろう。嫁がいることがちょっとうらやましくなってしまう。梨花の弁当はおそらく自分で作ったのだろう。どうせならば、俺の分も作ってくれないものかとつい考えてしまい、詰まらぬことを思うなと自分を叱咤する。
 それはともかく、犬になった梨花はどうやって昼食を取るのだろう。やはり本物の犬が餌を喰うように、床に皿を置いて這いながら口で直接食べるのだろうか。と、疑問に思った。
 するとじゃがいもになった梨花は、きちんと椅子の上に後ろ足をそろえて座り、テーブルの上に弁当箱を載せて食事をとりはじめた。両方の前足の先に、手作りらしい凝った刺繍の付いたベルトが巻いあり、そこにスプーンやフォークが止めてある。梨花はそのスプーンやフォークを使って、弁当を器用に食べていた。

 ・ ・ ・

 昼食を食べ終わった俺と梨花が食堂でくつろいでいると、席を外していた支部長が「デザートデザート」とはずんだ声で戻って来た。手には、今朝ガラスケースに入れていたあのケーキの小箱が握られている。
「支部長! それって、シエスタじゃないですか! しかもその箱は、季節限定品!!」
 梨花がケーキの箱を見た途端、イスから立ち上がって叫ぶ。
「今朝、会社に来る途中で買ってきたの」
 支部長は自慢げに微笑みながら、ケーキの入った箱をかかげる。
「みんなの分も買って来たから、デザートに食べようよ」
「ごちそうになります! 春のケーキはまだ食べてなかったんで、すごく気になっていたんです!!」
 喜んでいる梨花を横目に、俺はつぶやく。
「シエスタ?」
「一矢さんしらないんですか。シエスタですよ、シエスタ!!」
 梨花は支部長から紙箱を奪うと、俺の鼻面に突きつけた。ケーキ屋の意匠らしい、頭にウサギの耳を付けた女の子が西部劇に出てきそうな古い銃をかまえたイラストが、俺の目前に広がる。
「はいはいなるほどケーキね。ケーキならば、紅茶を淹れてくる」
 俺は立ち上がった。
「ただのケーキじゃなくて、シエスタのケーキです。あっ、お茶ならばわたしが……」
 梨花がいう。
「俺に任せておけって」
 梨花の今の姿はじゃがいもだ。じゃがいもは可愛いと思うが、犬にいれてもらったお茶はあまり飲みたくない。
 俺が給湯室からお茶を淹れて戻ってくると、食堂ではフルーツをふんだんに使ったショートケーキがテーブルに並べられていた。純白の生クリームがたっぷりと使われ、イチゴを主役に色とりどりな果物が添えられたケーキだ。
 俺は甘い物は苦手なのだが、せっかくの好意なので戴くことにする。支部長も俺が甘い物が苦手なのを知っていて買って来てくれたのは、輪を大切にしたいからだろう。
 梨花が犬の手にベルトで装備したフォークを器用に使ってケーキをたべる。ほおばりながら、俺に向かって丁寧で詳細で事細かくここのケーキについて説明をしてくれたために(ほとんどは聞き流したが)、このケーキがどんものなのかがわかった。ようするに、シエスタというのは有名なケーキ屋で、店ではその季節ごとに、季節をモチーフにした創作ケーキを売っている。この季節のケーキは人気があって、すぐ売り切れてしまう。それほど貴重なケーキである。と言うことらしい。その上、店は四姉妹が切り盛りしているとか、販売員の制服は頭にウサギの耳のカチューシャをつけているとか、どうでもよい情報まで聞かされる。
 梨花の話にうんざりした俺は、話題をそらすために支部長に話しかけた。
「今日の支部長の姿は、ケーキをたべるのにぴったりですね」
「うん。この姿のほうが、満足感があるでしょう? だから今日は、この姿にしたの」
 おしゃれなケーキだ。どうせ食べるのならば、小太りのたぬきオヤジな姿よりも、可愛らしい小学生の女の子の姿で食べた方が、ケーキもおいしく味わえるだろう。それに、本来の大狸のような姿では、その大きな口と胃袋でケーキなど一瞬で食べてしまうだろうが、小学生の女の子になれば体が小さい分、同じ大きさのケーキでもたっぷりと食べられるはずだ。いやそれどころか特殊なゼリージュースのことだ、味覚までもが甘い物が大好きな小学生の女の子のものになっているかもしれない。
 支部長の口のまわりには、生クリームが付いている。とことん、小学生の女の子になりきっているようだ。
 とはいえ、支部長の買ってきたケーキが、すべて全部ショートケーキであることに、俺は心の中でほくそ笑んだ。
 支部長はショートケーキが好きなのだろうが、幼い子ならば、色々なケーキを一個ずつ買ってきて、みんなに一口ずつ食べさせてもらっているはずだ。自分の好みを一つに選びきれずに、あれもこれも全部ほしいというのが子供の性質だからだ。小学生になりきるのならば、そういう細部にまでこだわらなければ。
 しかしながら、俺としては支部長が買ってきてくれたのがショートケーキで助かったと感謝している。甘い物は苦手だが、苺は嫌いではない。そのため、上に載っている苺とか、スポンジに挟まれたクリームの中に入っている果物の部分はおいしくいただける。これがチョコレートケーキのように、全部が甘い物だったら目も当てられない。
 と、ここで俺はとんでもないことに気が付いた。有部をのぞけば、支部長を含めた俺たち全員はガラスケースに入れられたゼリージュースの効果を知らされていないはずだ。しかしさきほどの支部長の口ぶりから察するに、さまざまな効果を持つゼリージュースの群(むれ)の中から、お目当ての一品――つまり幼女の姿に、……もしかしたら幼い頃の自分の娘を複写した姿に――変身できるゼリージュースを引き当てたらしい。あいかわらず支部長のくじ運の強さは神がかりだ。
 すごいといえば梨花もそうだ。俺は外回りの仕事なので会社にはほとんどいない。だから朝すぐに会社から出て夕方会社にもどるまで、会社内で何が起きているのか――具体的には誰がどんな変身をしているのかを、ほとんど把握していない。それでも、梨花もじゃがいもに憑依したのは、きっとこれが初めてではないことはわかる。なにしろ犬のしぐさが堂に入っている。それに今も、前足に巻いたお手製のベルトにフォークを挟んで器用にケーキをたべている。あのベルトも事前に用意したものだろう。さすがは毎日ゼリージュースを飲んでいるだけあって準備が万全だ。

 ・ ・ ・

 全員がケーキを食べ終わった後。支部長と梨花が、まだ食べたりないと言いたげに、誰も手をつけていないケーキの載った皿を見つめている。研究棟にいる有部の分だ。
 甘い物に目がない有部のことだからケーキの臭いをかぎつけてやってくるかとおもったが、昼休みをなかば過ぎてもやってこない。
 有部は、仕事に熱が入ってくると研究棟にとじこもってしまう。徹夜もいとわず、一心に研究に没頭する。食事もインスタントのカップ麺ですます。ちなみに有部には変なこだわりがあって、研究棟には備品として湯わかし機能の付いた電気ポットが置いてあるのに、わざわざ自前で買ったカセットコンロとやかんを持ち込んで、それでお湯を沸かしている。ある日湯わかしポットのほうが便利だろうと俺が尋ねると、ポットのお湯ではぬるくて不味い、やはりやかんで蒸気がもうもうと吹き出させるほどカンカンに沸騰させた熱湯でなければいけない、と返してきた。そのくせ熱湯の使いみちは、インスタントコーヒーとか、カップ麺とか、グルメとはほど遠い品ばかりだ。やはり、学者とか研究者とかいうやつは、変わり者が多いのだろうか。いや、この会社の社員は全員、変わり者なのだが(俺は除くぞ? 念のため言っておくが)。
 いろいろ言ったが、俺は有部には感謝している。有部は社員の中でゼリージュースを飲むことを免除されている。そのため、俺は有部に対してゼリージュースを飲まない同士という同盟意識を持っている。なにしろ彼のおかげで、俺ひとりだけがゼリージュースを飲むのを拒否しているという肩身の狭い思いをしなくて済んでいるのだ。
「有部のやつ来ないな。カップ麺の昼食じゃ味気ないだろう。ちょっとケーキの差し入れをしに行くか」
 俺が立ち上がると、梨花が止める。
「今はやめた方がいいですよ。なんでも、本部からの依頼があって、おとといから泊まり込みで新しいゼリージュースの製作をしているんだそうです。
 それで今は、最後の追い込み中らしいです。
 もうすぐ、新しく完成したゼリージュースを持ってやってきますよ。その時にでも、ケーキを渡せばいいと思います」
「ならばそうするか」

 ・ ・ ・

 みんなで紅茶を飲みながら世間話をしていると、支部長の電話が鳴った。幼女姿の支部長が電話に出る。おいしいケーキを食べたばかりの支部長の声は明るい。ところがその声が、急に乾いた張りつめたものに変わる。その態度から、俺は電話の相手が本部の人だと推測した。本部の人は、たしかたしか小野さんという名前だったと思う。俺は本部に行ったことがないので、会ったことはないのだが。梨花も本部からの連絡だと気が付いたのだろう。のんきそうな彼女でさえ、表情を緊張させはじめていた。
 あたりに緊迫感が漂う。
 小野さんに何を言われたのか、とつぜん、電話に出ていた支部長が驚いた声を上げる。小学生の女の特有の甲高い声が部屋中に響く。
 憂鬱そうに電話を切った支部長は、小学生の女の子の顔を深刻そうにゆがませている。
「九條おにいちゃん。ちょっといいかな」
「……はい」
 この状況下で、名指しとなれば、どう考えても損な役割しか思い浮かばない。
「いま研究棟で製造している試作のゼリージュースのことなんだけれど――」

(つづく)




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