REPLICA(レプリカ)改
 作・JuJu


chapter-060”命(W)”

「氷村!」
 マコトは氷村を追った。
 扉が開くと氷村の姿が見えた。だが、氷村は追ってきたマコトの存在など無視し、悠然と歩いていた。その態度がマコトのしゃくにさわった。
 マコトが扉に入ろうとした時、鈴香のうめき声が耳に入った。振りむいて鈴香を見ると、容態が悪化していた。久保田にかかえられながら苦しそうに荒い息をしている。
 摩擦音が聞こえた。視線を戻すと、氷村が通った扉が閉まりかけるところだった。せばまる扉の隙間から氷村の背中が見えた。が、それも一瞬だけで、扉に遮られて見えなくなった。
 マコトは閉まった扉を見ていたが、結局氷村を追うのをあきらめて久保田たちの元に歩いた。どうしても鈴香を放って置くことができなかった。
 マコトが久保田たちの所に戻ると、茜が迎えるようにそばに寄ってきた。久保田は確認するように一瞥(いちべつ)だけすると、すぐに鈴香に視線を戻した。
 全員が鈴香を見つめていた。誰も口をきく者はいなかった。鈴香の苦しそうな息が、静かで広い部屋に染みこむように広がった。
 しばらくたってから、鈴香が目を開いた。震える腕を、本物の鈴香が入った水槽に向けて伸ばした。
「あそこに行きたいのか?」
 鈴香は頷いた。
 久保田は鈴香をかかえて水槽の前に連れていった。
 後に続こうとしたマコトの腕を、茜が軽く掴んだ。マコトが茜を見ると、その眼は「二人だけにさせてあげましょう」といっていた。マコトは頷いて、二人の後ろ姿を見送った。鈴香の肌が透けるように白かった。鈴香の足から流れる血が、床に赤黒い軌跡を描いていた。

     *

 水槽の中に漂う本物の鈴香の脳。その姿を、鈴香は久保田に支えられながらながめてていた。水槽からは生命らしい音はせず、その替わりに電子音が響いていた。その無機質な音が、脳だけになった鈴香の生きている証(あかし)だった。
 突然、鈴香がうめいた。鈴香をかかえていた久保田の腕に重みがかかる。
 久保田は、鈴香を床に下ろすと水槽に背をもたれかけさせる様に座らせた。
「大丈夫か。いま、手当してやる」
「ありがとうございます。ですが……」
 鈴香は静かに首を振った。

     *

 手当しても無駄だ。鈴香はそう言いたいのだろう。離れて二人を見ていたマコトにも、それが理解できた。
 座ったためか、鈴香の容態はわずかに持ち直した。それでも相当な痛みなのだろう。ときおり鈴香の顔が苦痛に歪んだ。その度に久保田は心配そうに声をかける。その言葉に、鈴香は痛みに歪んだ顔をむりやり笑顔に変えて久保田にほほえんだ。そんな鈴香の姿がマコトには痛々しく思えた。
「鈴香は、氷村に操られていたままの方がよかったかもしれないな。そうすれば、あんなにつらい思いをしなくてもすんだのに」
 マコトは言った。
「そんな事ない!
 そんな事、絶対にない……」
 茜は鈴香から視線を外さずに言った。

     *

 鈴香は、久保田の顔めがけて手を伸ばした。だが、その腕は彼女の胸のあたりまで上がったところで空をつかみ、やがて糸が切れたように床に落ちた。
 久保田は鈴香を強く抱きしめた。久保田の目から涙が流れた。
「悲しまないでください。
 マスターには、鈴香さまがいらっしゃいます」
 鈴香は首を回して、水槽を見た。
 久保田も水槽に浮かぶ鈴香を見た。
「鈴香さまこそ、マスターが大切にしなければならない人です。
 わたしなど、鈴香さまの代用にすぎません。
 この体は鈴香さまの複製です。この心も鈴香さまから模写されたものです」
 鈴香は視線を戻した。それに合わせて、久保田もレプリカの鈴香に視線を戻した。
「マスターも私を想ってくださっているのではなく、鈴香さまへの想いを私に重ねているだけだと解っています」
「そうだ。たしかに俺は、本物の鈴香の事を愛している。
 だが、同じくらいお前も愛している。二股かけているようで恥ずかしいが、本心だ。
 鈴香の代わりに愛しているんじゃない。一人の人間として、俺はお前を愛している」
 鈴香は、信じられないといった顔で久保田の眼を見つめた。
「お前の体は鈴香からの借り物だ。記憶や知識も造り物だ。だが、それはおまえが生まれて来るまでの話だ。
 生まれてから後、そこからはお前の人生だ。お前は一人の人間として、生きてきたんだ」
 鈴香の目から涙があふれた。
「私は自分のことを、人工的に生み出された、生き物でさえない存在だと思ってました。
 だけど、今は違います。
 私は私だと、胸を張って言えます。
 マスターが、私を認めてくださったから。
 本当に短い間でしたが、私は生まれてよかったと思います。
 そして、高志さまがマスターであった事に誇りを持ってます」
「ああ」
「たとえ、人をお作りになったと言う神さまがわたしを認めないとしても、わたしの存在が自然の法則に逆らっているとしても、それでも、わたしは、生まれてきて幸せでした。
 上原さま、川本さまにもお会いできました。
 私はマスターのそばにいられて、マスターに出逢えて、本当に幸せでした」
 鈴香はマコトたちを見た。
「上原さま、川本さま、今までありがとうございました」
 鈴香はそう言って、目を伏せ、かすかに上半身を前に倒して礼をした。
 鈴香は再度、久保田を見た。
「マスター。いままで、本当にありがとうございました」
 鈴香は震える手をポケットに伸ばした。
 手には、氷村に踏みつぶされ、折れ曲がり、破れかかった写真があった。
 そのボロボロな写真を見て、鈴香はほほえんだ。いままでの苦痛を押してむりやりに作った笑顔ではなく、ほんとうに心から幸せそうに笑った。
「私の思い出……。
 私は確かに生きていた。
 生きて、マスターを愛した」
 鈴香は目を閉じる。
 鈴香の腕が床に落ちると、指から滑るように写真がこぼれた。
 久保田はしずかに鈴香を抱きしめた。鈴香は息をしていなかった。

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