REPLICA(レプリカ)
 作・JuJu


第5話「生贄(いけにえ)」

 俺と久保田を乗せたタクシーは、高層ビルのオフィス街をぬけて停まった。
 タクシーから降りる。冬の冷たい風が俺を襲った。俺は身を縮ませる。タクシーの暖房で暖められていた体温が失われていく。
 歩道を見る。歩いている人はいない。冷たい冬の風に揺れる街路樹と街灯が立っているだけだ。
 走りぬけてきたオフィス街のビルを眺める。窓に明りが見える。残業をしているのだろう。街の一角に大きなデジタルの時計が光っていた。ちょうど今、七時になった所だ。
 久保田がタクシーから降りてきた。
「ここがプロテウスだ」
 久保田に言われて、目の前のビルを見る。高さは二十階位だろうか。オフィス街のビルを見た後だとこじんまりした感じがするが、建てたばかりらしく小奇麗だった
 タクシーに乗っている間、久保田が思いつめた表情で黙っていた。俺が話し掛けても生返事ばかりだった。だから俺は、プロテウスがどれほど恐ろしい会社なのか心配していたのだが、少なくとも外見は普通な感じで安心した。
 久保田がプロテウスのビルに入っていったので、俺も着いて行く。久保田は右手にある受付に向かった。
「社長に会いたい。久保田だと言えば分かるはずだ」
「承知しました。ただいまお取次ぎいたします」
 受付嬢は内線で社長と話した後、俺たちを最上階の応接室に案内した。
「しばらくお待ちください」
「ありがとう。あとは自分でやるから下がって良いよ」
 受付嬢が帰っていった後、俺は久保田に言った。
「久保田ってプロテウスに顔が利くんだな」
「レプリカのオーナーだからな。上得意様と言ったところだ」
 久保田は奥の部屋に入って、紙コップを二つ持って帰ってきた。
「コーヒーだ」
 久保田はテーブルに紙コップを置くと、ソファに腰を下ろした。
 久保田はタクシーに乗っていた時の様に、またうつむいた。
「どうしたんだよ? どんな会社かと思ってたけど、普通の会社じゃないか」
「ああ」
 久保田は黙り込む。
 俺はなんだか話し掛けづらくて、コーヒーをすすった。
 冷えた体にコーヒーの熱さが染み込む。
「上原」
 突然、久保田が俺を見た。
「こんな所に連れていて、すまないと思っている」
「何だよ急に? 連れてきてくれって言ったのは俺だぜ? 感謝しているさ」
 久保田はまたうつむいてしまった。
 コーヒーを飲み終わった時、秘書らしき女性が入ってきて社長室に来いと言ったので、俺は立ち上がった。
 秘書に付いて部屋を出た。
 久保田も来ると思っていたが、奴はうつむいてい座っているだけだった。

     *  *  *

 社長室は応接間の隣にあった。社長室に入ると男が座っている。
 秘書は出ていってしまい、部屋には俺と男の二人だけになった。
 歳は四十代くらいか。スポーツをしいてるのか、筋肉質なのがスーツの上からでも伺える。
「ようこそ。私がプロテウスの氷村{ひむら}だ。
 男のレプリカ適合者がいると聞いた時は驚いたよ。
 さっそくだが、ビジネスの話をしようか。私も忙しいものでね。
 レプリカは誰からでも造れるわけではない。素質が必要なのだ。
 わが社が必要としているのは、その君のレプリカとしての素質だ。
 まあ、細かい話は久保田君から聞いていると思う。
 ここにサインしてくれたまえ」
 氷村社長は一気に話すと、引出しから契約書を出した。細かい字がいっぱいかかれていた。
 俺が契約書の文字を見ていると社長は言った。
「心配しなくても、報酬は保証する。久保田君から聞いているよ。レプリカ一体と、レプリカのメンテナンス機器でよかったはずだね」
 報酬。レプリカ。
 頭に鈴香の顔が浮かんだ。
 そうだ。この仕事さえ終われば、俺もレプリカが手に入れられるんだ。
 危険な事は覚悟して来たはずじゃないか。
 俺はペンを取り書類にサインしようとした。その時、一文が目に入った。
『万一、被験者が不慮の事故により死亡、または後遺障害などの傷害をおっても、当社は一切賠償および責任を負わないものとする
 死。
 その言葉が頭を横切る。
「死亡って……」
「当然安全には万全を尽くす。いままでのレプリカの被験者だって、みんな生きているよ。
 だが、レプリカ・シリーズは世界初の取り組みだ。
 何が起きても、わが社は一切保証できない。
 わが社も多額な報酬を出すんだ。その辺は、久保田君から聞いてはいないのかね?」
 そうか、久保田が謝っていたのはこの事なんだ。
 死ぬ可能性があるわけか。
 俺は無意識につばを飲み込んでいた。
「ドール産業はすでに巨大化している。わが社の様にすぐれた技術があっても、経営力で大企業に太刀打ちできない。
 そのために、弱小で後発なわが社は違法スレスレの経営を強いられてきた。
 だがわが社はついに、切り札を手に入れたのだよ。
 男のドールの製造だ。
 女性の家事や労働を肩代わりしてくれるドール。ストーカーなどの防犯にも役立つだろう。
 その性欲処理までしてくれるのだ。
 人類の半分は女だ。男のドールが出来れば、わが社も一気に大企業に昇れる。いや、ドール界を圧倒する事が出来る。
 今まで各社が男のドールを造る研究をして来たが、成功例はない。
 だが、わが社のレプリカの製法を使えば、男のドールが誕生するかもしれない。
 その元となる男のメインボディが見つからずに苦労してた。
 そして、君を発見した。君の体がほしいのだ。
 君は特別だ。特殊といっても良いかも知れない。
 君の体には、男のドールの製造の秘密が隠されている。
 君の体の秘密を知りたいのだ!」
「体の秘密って……もしかして解体とかはしませんよね?」
「怖いのはわかる。
 だが君だって『人体実験』と言う約束でここに来たのだろう? さあ、早くサインをしたまえ?」
 社長は否定をしなかった。
 こいつらは俺を解剖しようとしているんじゃないか?
 体を開いて、男のドールとか言うのを造るための秘密を探ろうとしているかもしれない。
 なるほど、死ぬことはないかもしれないが、いくらレプリカの為とは言え、体を切り刻まれたくはない。
 応接間の久保田の深刻な顔が脳裏に浮かんだ。
 久保田は知っていたんだ。だから、あんな顔をしていたんだ。
 だいたい、そう簡単に大金が手に入れられるような話がおかしかったんだ。
 命の保証さえないんだ。
 死んだらレプリカ所か、茜にも会えない。
 そういえば、あれから茜はどうしたんだろう?
 とにかく、ここはヤバイ。
 逃げだそう。
 一刻も早くここから逃げ出そう。
 いや、待て。
 あせるな。
 社長室から逃げ出しても、ビルのどこかで捕まるだけだろう。
 とにかくこのビルから抜け出さなければ。
 まだ契約書にサインしたわけじゃないんだ。
 ここは社長を刺激をしないように、辞退しよう。
「あの……。俺、もう少し考えたいんで、今日のところは……」
「わが社はレプリカの開発に社運を賭けている。
 研究施設に、多額の金をかけているんだ。
 失敗すれば倒産する。
 私も、命がけなんだ」
 社長は立ち上がった。
「レプリカの適合者は女でもめったに見つからない、男の適合者は初めてだ。
 君は世界で一人の、男の適合体かもしれないんだ! 逃すものか!!」
 社長はゆっくりと俺の方に歩き出すと、腕を広げてきた。
 ちきしょう! やっと本性を出してきたな!
 俺は社長室から逃げ出した。
 待合室に入る。
 久保田はあわてて走って入ってきた俺を見て驚いていた。
「どうした?」
「ここから逃げるんだ!! 俺は解体されるのはいやだ!」
「逃げてきたのか?」
「いいから、はやく立て!」
「まだ俺の事をまだ信じてくれるのか?」
「そんなことはいいから!」
「逃げても無駄だ」
「いいから早く!」
 俺は立ちあがろうともしない久保田の腕をつかんだ。力ずくで引っ張り出し廊下に出た。
 不思議なことに廊下には社長の姿はなかった。
 先回りして、待ち伏せているのか?
「早くこの会社から逃げ……う?」
 その時、俺は急に体の力が抜けていくのを感じた。
 同時に頭がぼんやりしてきた。
 俺はひざをついた。
「……なんだ?」
 意識が遠くなっていく。
「逃げても無駄だと言っただろう。
 応接間で上原に渡したコーヒー。俺が睡眠薬を入れておいたんだ」
「久保田……おまえいったい……。これは……いったいどういう……」
「おまえのアパートに引っ越して来たのも、隣に住んで知人になったのも、鈴香を見せてその気にさせてプロテウスに連れて来たのも、すべておまえを拉致するための計画だったんだ。
 俺はこうするしかなかった……。
 もう、お前と会うことはないだろう。さらばだ。
 ……すまない……」
 俺の意識は消えた。





inserted by FC2 system