ある神社の地下(前編)
 作:岩原


「10日連続で雨なしですじゃ! これだと植えた苗も全部枯れてしまう……!」
水害。水田を多く持ち、収穫の殆どをコメに頼っている昔からのやりくちでは、雨などの天候変化にこと弱い。
今回のように異常気象がずっと続くと村人の生活すら脅かされる。

その日の夜、村の有力者達が集いヤグラの中で村会議を行う。
議論が錯綜するもなかなか結論が出ない。
「村長、私の方から1つご提案が」
村人の詰所に集まっていた人々の間から、凛とした声が響く。
「――――――」
彼女が何事かを宣言すると、櫓に集まっていた人々が一気にざわめく。
部屋は暗く、声以外には個人を判別する方法は無い。しばらくのどよめきのあと。
「分かりました」
村長の問いかけに頷き、巫女たる彼女が応える。
「今宵、一子相伝の儀を執り行い村に水をもたらします」
「だがそれでは貴女が……!」
巫女の隣にいた男が声を震わせる。彼女が居なくなるのを恐れるかのように。
しかしながら。いいえ、と彼女は微笑みながら首を振る。
「私は村に居なくなりますが、遠くへ往くだけです。後の事は私の後継者が全て引き継いでくれるでしょう」
それに、と一言付け足しながら巫女は目を瞑る。

「後の子が困ったら、皆さんが助けてあげて下さい。きっとその事が村の今後にとっても良いことに繋がるはずです」



翌日の夜。小山の上に立っている神社の本殿にて、巫女はロウソクに火をともしつつ用意をする。
村人たちがついてきていないのは分かっていたが、念のため周囲に結界を施す。とはいっても、盛塩にフスマの遮断。
防音と視界妨害が出来れば十分なのだから、と『彼女』は内心言い訳がましくなる。

巫女が数年ほどかけて、村人の目を盗んで作っていたもの。それらが、本殿の地下室奥深くに隠されていた。

新田少年は暗闇の中で1人震えていた。暗い所が怖いというのも勿論あるのだが、こんなことをしては村の大人たちにこっぴどく叱られてしまう。だけれどもこのまま何も収穫ナシに帰ってしまえば友達に弱虫と呼ばれてしまう。
初めは夏休みの肝試しとして、村の元気な学生が企画していたもの。大人たちに内緒にして、山の中を探検してみようというものだった。大人たちをあっと驚かせて、ついでに山を冒険してみようというもの。それが当日になって村の『儀式』があって、大人をビックリさせるという少年少女たちのタイショーの目論見が上手くいかなくなった。代わりに、『儀式』の内容を探ってみようというものに。
少年自身は、その流れに全く乗り気では無かったのだ。元々の肝試しすら参加を嫌がっていたほど。それが災いして、子供たちの代表として白羽の矢が立つことになったのである。

ガザリ。少年の背後の草むらが擦れて音がする。生まれて今まで彼は幽霊なんてものを信じたことは無かったのだ。無かったのだが、突然聞こえた音に彼は思わずダッシュしてしまう。
その先は神社の裏。ちょうど『儀式』を見張る大人たちに気づかれない合間と合間を縫って、偶然にも移動してしまっていたのだ。


数日前に彼がお祭りの時に来た神社。あの時は村の友達、大人たちが居て楽しくて明るかった。だが、誰もいない夜に来てしまうと彼にとって全く違う景色に見える。
彼がようやく坂を登り切ると、一気に月明かりが差し込む。ほんの少しだけ彼は安心した。
だが、その瞬間。足元の石畳のちょっとした段差につまずき、彼は盛大に転んでしまった。その音は当然見張りの大人たちに聞こえる。
「誰だッ」
大人の声。普段とは違った、緊迫感の有る声だった。もしも捕まってしまったら、酷く怒られるだろう。そう思ったために慌てて彼は走り、神社建物の床下に潜り込む。
「狸か、狐か?」
「アライグマか」
「イタチですかね」
騒ぎを聞きつけた男たちがやって来る。まずい、見つかってしまうとブルブル震える少年。
しかし。
『どうかしましたか』
神社屋内から声がする。村の皆から慕われていた巫女さんの声だと少年はすぐに分かった。
「へぇ、なんだか草むらの方から物音がするもンで」
ガララ、と本殿のふすま部分が開く音がする。
『私が見ましょう。物の怪の類であってはいけません』
「妖怪なんて居ないでしょう」
そう言う男たちを制し、巫女が真っ先に神社の床下を覗く。
――――確実に、少年と巫女との視線があった。ゴクリ、と唾を飲み込む。
だが、彼女は何もないように床下から出で行く。そうしてこう言うのだった。


「何もありませんでしたよ?」

はて、と首を傾げる男衆。
「確かに見たのだが」
「やっぱり風か何かだったんですかね」
口々に何か言いつつも、儀式の邪魔をしないように早々に立ち去る男たち。
彼らが散り散りになった後、巫女は再び床下に顔を出して少年を呼んだ。

「だいじょうぶよ、新田くん」
おずおずと、奥の方に引っ込んでいた彼が徐々に外へと出てゆく。
「ここだと話がしづらいから、一旦本殿の中に入りましょう」
「そ、そんなの良いのですか」
「安心して。それまでは静かにね」
いつも見せる彼女の、水凪さんの笑顔。その表情に新田少年は酷く安心してしまった。



巫女である水凪の影に隠れるようにして、少年は本殿への階段を昇る。やや老朽化しているのか、一踏みごとに軋む音がする。いつもならその度にビクついてしまうものだが、体に触れる水凪の暖かさにその不安もすこし和らいでいる。
水凪と新田少年のつながりは比較的長い。学校で強い主張が出来ない彼にとっての相談役は水凪だったのである。そのため、時折神社の境内でお菓子を頂いたことも有る。新田少年にとっては頼れるお姉さんで、憧れの存在であった。
その彼女と、今匿われる形ではあるのだが、密接に繋がっている。殆ど憧れに近い感情では有ったが、恐怖とは違うドキドキが新田少年に襲いかかっていた。
「どうしたの、ボーッとしていて」
「へ、あっ、何でもないです!」
「シーッ。静かに、ね」
「ハイ」

本殿の中に入り、周囲のふすまや扉をすべて閉める。
「これで声は外に聞こえないから、落ち着いてね」
「ええっ、でも木の扉1つで声を完全に止められるなんて」
「そこは企業秘密、ということで」
柔らかい笑みで不思議な事を言う水凪。
「ところでさ」
不意に、彼女の表情が変わる。
「今日はどうしてここに来たの?」
今の彼女は全く笑っていない。
先程までの落ち着いた気持ちが一気に吹き飛ばされ、足元が崩れ落ちる感覚を少年は覚える。
「……肝試し、です」



事情をすべて説明した新田少年。それでも、水凪の表情は無表情のままだった。いつもなら感情豊かで、喜怒哀楽すべてを全身で表現するような人物だったのに、と少年は思う。
「この『儀式』。一体何をするものか分かる?」
村の大人たちが言っていた事を頭のなかで総動員させる。
「たしか……豊穣を祈るとか……水の神様に祈るとか……でしたっけ」
ふぅ、と水凪は溜息をつく。
「やっぱりキミには荷が重い話だよね」
だが、今までの張り詰めた空気が僅かだが軽いものになった風に少年には感じられた。
水凪の次の淋しげな言葉を聞くまでは。
「私はね、もうこの村には居られないんだ」

一瞬理解が追いつかず、硬直してしまう新田少年。なんとか言葉を紡ぎだす。
「そんな、だって水凪さんはなんにも悪いことなんてしてないじゃないですか!」
悲しげな、儚いような。そんな顔をしながら水凪は笑う。
「最近村の田んぼ、カラカラでしょ? このままだと、皆おまんまの食い上げだよ」
「……水凪さん、たまに古臭い言い回しをしますよね?」
ふふっ、という水凪の笑みはいつも通りのものに新田少年に見える。
「だからね、私は今代の巫女を辞めて次の娘に任せようと思うんだ。そのために、今日私は巫女としての最後の力を使うの」
それって。
「水凪さん、まさか……!」
彼女自身の存在を賭けての行為。ひょっとしたら、と嫌な予感を新田は抱いた。
「違うよ?」
予想していたのか、すでに彼女は答えを用意していた。
「全力を出して、巫女としての力を失うだけ。それからはしばらくもう一回力を付けるために修行かしら」
だけど、それでは。
「もう、水凪さんと会うことは出来ないんですか」
そういう新田少年の声にはどこか悲痛さすらあった。自分の周りに流されてしまう性格。その事を相談した時に、真っ先に褒めてくれたのが彼女だったのだ。
『周りに流される、っていうけど。新田くんはいろんなことに順応できると思うんだ』
彼女の言葉を思い出す。
そして、少年は決意しながら1つの結論を出した。
「水凪さん」
「どうしたの?」
普段道理の、柔和な顔で少年を見つめる。
「僕も、修行に連れて行って下さい」
水凪は、予想外の返答に完全に呆気にとられていた。
「えぇっ、どうしてそんなこと」
「水凪さんにいろんな事をほめてもらいました。僕にとって初めての友達だから」
すこし言い淀んで、もう一言。
「辛い時だっていっしょにいたいです」


長い沈黙の後、切り出したのは水凪だった。
「――――キミが抱いているその感情はなんだい」
新田にとっては初めて聞く口調。
「よく分からないけど、そうしたいって思ったからです」
「『友情』か『愛情』か。そのどちらでも構わないけど聞きたいけど」
水凪が新田から一歩離れて言う。そして、大手を開いて口を開いた。
「――それは『憧れの水凪さん』に抱いている感情だろう」
一瞬、彼女の言っていることが理解できずに凍ったようになる新田。
「何を……言って……?」
「例えばの話だけれど」

「キミの友達が、家族が。生きているまま姿を誰かに奪われて。記憶も、感情も愛情も立場も全て模倣されて。それで入れ替わったとする」

「その時に、キミは気がつくことが出来るかい」

「水凪さんは、昔そういうことをしたんですか」
彼自身も信じられないような台詞を言ってしまう。しかしその言葉は相槌で肯定された。
「そうだね、この娘はなかなか使い勝手が良い。姿形が可愛らしいというのは会話において総じて有利だ」
今の新田には、水凪が今までの優しい彼女自身と全く別の姿に見えている。
「今日、自分が人払いをしている理由。それが分かるかい」
そういえば、と新田は思い出す。儀式と称して村の大人たちを総出で神社付近を警戒させて置きながら、本殿近くには殆ど人が居ないということに。
「今から自分は次の『肉体』に移る」
俯いたその視線はどこを見ているのか分からない。いつもならば優美さを感じさせる水凪の長髪も、今は新田にとって恐怖を煽る存在でしか無い。
「その対象は誰でも構わない」
ぐい、と大股で近づかれて思わず新田は後ずさりしてしまった。
「もちろんキミ自身も候補になりうる」
自身の心臓が早鐘を打つ音が新田に聞こえた。
「いいのかい、逃げないで。恐怖で足がすくんでいるわけじゃないのに」
その通りだ、と頭のなかで新田は反復する。
だが彼には一つだけ疑問があった。
「このままここにいたらキミは乗っ取られる。魂ごと奪われて存在を失う」
それはつまり、と継ぎながら。
「死ぬということだ」
新田は恐怖した、しかし同時に彼女の言っていることに嘘が混じっているのが分かった。
「初めて会った時のことを覚えていますか」
タイショーの無理難題に責め立てられ、どうしようかと悩んでいた時のこと。
周りの子供たちにいじめられて悔しい思いをしていた時のこと。
「泣いているキミを見た時に弱々しい子だな、と思ったよ。ヒトは村八分にされるだけで弱くなる脆い存在だ。人の心なんか妖怪は理解しないよ」
事実だ、と新田は心のなかで頷く。あの時は彼自身にとってとてもつらかった。
だけれども。
「そんな僕に声をかけてくれたのはあなたです」
親身になって相談を聞いてくれたのは水凪だった。彼にとって神社は大切な居場所だ。
「人の心を理解しないなんて嘘です」
対する水凪の表情は未だに動かない。
「優しいあなたが、人間じゃないなんて認めません」


しばらくの間、緊張が走る。
うふっ、といつものような笑い声をあげる水凪。
「あーあ、騙せなかったかぁ」
普段と同じ温かい笑みを浮かべる水凪。そこに裏がないことを新田は見て取り安心した。
「儀式を行うのは事実。だけど本当はちょっと違うの」
「違う……って一体なんですか」
「もう取り憑く体は用意してあるの。そして予備も」
そう言うなり水凪は何処からか取り出したマイナスドライバーを床に当てていた。しばらく彼女が回していると、カチリと響く音。木の床と木目があっている平らな板だったのだ。
「ついてきてね」
板を外した先は暗闇、そして梯子。水凪が下り始めるやいなやその姿は全く見えなくなってしまった。
「いまさら逃げてもどうしようもない」
ひとりごとを言いながらも新田は決心する。




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