teruさん総合






               『皮剥丸夢譚』


               2・懐かしき故郷


「あれ……?」
うっすらと目を開ける。 えっと、俺は何をしていたんだっけ……
「ふふ、気がついた?清彦」
横を見ると"俺"が寄り添うように片肘をついて優しい顔で俺の顔を眺めていた。 

そうか、俺は秋奈になって俺になった秋奈に中出しされたんだった。 全身がセックスの余韻を伴った倦怠感に襲われている。 まだ、股間にペニスが残っている気がする。

「俺はずっと失神してたのか?」
「そうね。十数秒くらいかな? 放心状態で何を言っても反応がなかったよ。 どうだった、女のセックスは?」

「そうか…… すげぇな、女って。 気を失う程の快感って初めてだった。 お前はどうなんだよ?」
「うん?よかったよ? 男って快感がペニスの一点に集中するんだね。 最後のあの爆発力といい、終わった後に後を引かないのが凄いよね? 出し終わったら興奮が一気に醒めていくのがよかったわよ」
上機嫌で笑いながら俺の髪を愛しそうに撫でる。

まぁ、二人とも異性の体験は新鮮だったと言う事か。

「さてと、それじゃそろそろ戻りますか」
そう言ってベッドから立ち上がると机の引き出しから皮剥丸を取りだして俺に差し出す。

「…………」
「どうしたの?」

「ちょっと待て。 お前は賢者タイムに入ってスッキリしてるだろうけど、俺の方は身体が動かねぇんだよ! ちょっと身体の火照りが収まるまで待ってくれ……」
初めて女って余韻を引きずる生き物なんだという事を理解した。 今の状態で男の皮を着てしまったら身体の神経がどうにかなりそうな気がする。

「あはは。 確かにそうかも知れないわね。 いま、皮を交換したら男の皮の下で女の身体が疼く事になるのかな」
ベッドに腰を下ろした秋奈は愉快そうにそう言って皮剥丸を弄びながら俺の頭を撫でる。 
……すっかり女扱いだよ。

「それじゃ私は清彦が復活してくるまでにシャワーを浴びてくるから、清彦ちゃんはゆっくりと余韻を楽しんでいてね」
そういうと秋奈はベッドから立ち上がり、バスルームに消えて行った。

あぁ、そうか。 身体も綺麗に洗って返した方がいいよな? てか……
俺は股間に手を這わせて"何か"をすくい取り、顔の前まで持ってくる。 

いつもの白濁さがない灰色っぽい粘液…… 秋奈の言ったとおりなら男性としての機能がまだ完全ではないので精子が殆どないのだろう。 つまり、俺の身体も卵子が存在していないはずで……

「少なくとも男に戻った後に妊娠が発覚する事はないわけだ。 どこから出すんだって心配はしなくていいと……」
俺は頭の下で腕を組んで天井を見上げる。

気持ち良かった。 もっと自分のペニスを胎内に受け入れる事に嫌悪感があるかと思ったがそんな心配をする余裕もなかった。 完全に女になってしまう気は無いが、またヤってみてもいいな。
そんな事を思うとアノ時は無我夢中で判らなかった感覚が股間と胸に蘇り思わず笑みが漏れてしまう。

顔を横に向けるとサイドに秋奈が置いていった皮剥丸が置いてある。
皮剥丸か…… 世の中にはとんでもないアイテムが存在するんだな。


そして、10分程で動けるようになった俺は秋奈がバスルームから出て来たのと入れ替わるようにシャワーを浴びて身体を綺麗にしてから皮剥丸を使い、再び元の身体へと入れ替わったのだった。

               *

そしてそれから俺達は時々入れ替わるようになった。
主に俺が女性限定のお店に入って食べ物を食する為に……

メニューに女性限定とある時は秋奈と一緒に出掛けたが、慣れてくると女性にしか入れない店に入る為に一人で出掛けるようになった。

秋奈は以外と男の身体が気に入ったようで俺が出掛けるときは自分も出掛けていき、自分用のスーツ等を買って来て悦に入ったポーズで俺に見せびらかせると満足して自分のクローゼットに仕舞う。 
……俺にプレゼントしてくれるわけではないんだ?

そして元に戻る前の行事として、俺は秋奈に抱かれる。

女のセックスは本当に気持ちいい。 全てを明菜に任せていれば絶頂に達してしまう…… 欠点は男に戻ったとき、しばらくの間はペニスが不能になる事か……

やがて、入れ替わりが慣れてくると大胆にも俺達はホテルのプールにも出掛けた。
そこで俺は露骨に視姦される経験をした。

いや。普通の場合でも振り向くと男達が慌てて俺から目を反らす場面は度々あったのだが、ビキニを着てプールサイドを歩いたときはその比ではなかった。

男達の視線が俺の胸から尻、股間に向けて露骨に注がれるのだ。 ちっちゃな子供からいい歳したおっさんまで男という男は俺の身体を見ずにはいられないというか…… まぁ、俺も本来の身体にいる時は秋奈の身体に見惚れてはいたが、見られる側に廻ると些か鬱陶しい。
秋奈はそんな俺を見て「どう?男の視線を釘付けにする体験は?快感?濡れちゃう?」とか笑ってからかってくれたが。

いや、その後のホテルの部屋でのセックスは燃えてしまったが、それって男としてどうなんだろう。
男の視線を思いだして女として身体が疼くというのもおかしな話ではあるが。

もう入れ替わりが日常化すると俺達はゼミのコンパに入れ替わって出席したり、秋奈の女子会に俺一人で出掛けていったりした。 

いやいや、女子の会話って辛辣。 特に男評価。 しかし、女子達の評価は「秋奈が飼ってる清彦くんは及第点」なんだそうで一安心……なのかなぁ? 飼ってる?飼われてるの?俺?否定はしないけど。


そして、夏休みの前半が終わろうとしたとき、秋奈が夕飯の食卓で尋ねてきた。

「ねぇ?お盆は清彦はどうするの?」
「え? そうだなぁ?うちはお盆と言っても特別に何かをするワケでもないし…… 爺さんに線香すら上げないもんなぁ?」

「お爺さん?」
「俺が生まれる遙か前に死んだ人。 なんでも、父さん達が結ばれるきっかけを作った人らしいんだけど、詳しい事は知らない。 ただ、父さん達は爺さんに特別な想いを持ってるらしいんだよねぇ。 でも、俺達兄弟には決して何があったか話してくれないんだけどな」

「へぇ?そうなんだ? それでもお線香はあげないの?」
「昔、母さんに聞いたら"爺さんはまだ向こうに逝ってないからな"と言って笑ってたけどな。 意味がわからねぇよ。 ちなみに俺の"清彦"って名前は爺さんからもらったんだ。 で、俺の予定がどうしたんだ? ウチの家族に紹介して欲しいのか?」

「逆よ。 よかったらウチに来ない? 家族を紹介するわよ?」
「え?雛見沢村に?」

「ちょっと!人の実家におかしな渾名をつけないでよ!? ウチはちゃんとした村よ、そりゃちょっとはおかしな結界は張られてるけど」
「普通の村は結界なんて張っていません」

「まぁ、そこはお茶目な個性って事で?」
そう言って笑う秋奈。 お茶目な個性で済ませられるのか、それ?

でも、怖い物見たさというか興味はある。 なにせ皮剥丸なんていう面白グッズを作り上げた村なんだから……

「で、そこは何か美味い物はある?」
「結局、アンタの興味はそこかぁ? 美味いかどうかは知らないけど、ウチの村で取れる農作物は評判はいいわよ? 大量に出荷する程じゃないけど、近くの道の駅に出す分はいつも完売だって。 牛や豚も評判いいし、川で取れる鮎やイワナだって水がいいから美味しいわよ?」

「結構、色々と作ってんだな?」
「ま、昔から独立独歩の隠れ里ですから殆どが自給出来るようになってんのよ。 まぁ、時代が昭和になった頃からは外からの産物も入れるようになったし、村で出来た物も売りに出すようになったけど」
マジ、隠れ里だな。

「近くに道の駅があるのか?」
「えぇ、最近大きな道路が作られて村の土地を通ったんだけどね。 村おこしを兼ねて道の駅をそこに作ったのが失敗」
そう言って苦笑する秋奈。

「失敗? 村の農産物は評判がいいんだろ?」
「いいのよ〜、いいんだけどね。 結界のせいで人が近寄らないのよ。 入って来た人には評判がいいんだけど、滅多な事でリピーターにならない。 あそこの野菜美味しかったよね?どこで売ってたっけ?まぁ、いいわ、って感じなんでしょうね」

「うわぁ、結界を解いちまえよ?」
「今の村人に結界を解く力なんてないわよ? 村で一番能力がある父さんにだって無理」

「ふぅん、皮肉なもんだな。 村を守ってきた結界が村の発展を阻害してるのか」
「そう。 だから、村人も若い人達は徐々に村から離れてるわ。 で、どう?ウチに来る?」

「うん、面白そうだから行ってみてもいいけど、村人じゃない俺が行っても大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫。 今は昔じゃないんだから。 それに清彦はウチに婿入りしてくれるんでしょ?
若い男が村に来てくれるとなったら大歓迎だよ?」

「えっと、あれ?秋奈と結婚する事は吝かではないのだけど、いつの間に俺は婿養子になる事に決定したんだ? ま、俺は別にどこでもいいけど、美味い物があって料理さえできれば」
「うん、清彦のそういうものに拘らないさっぱりとしたところが好きだよ。 それでねぇ、里帰りする時にちょっとした提案があるんだけど?」
そう言ってキラキラと目を輝かせて悪戯っ娘のように身を乗り出す秋奈。 これって絶対にロクな事を考えてないよな?

               *

「なぁ?やっぱり絶対にバレるって」
「なによ?この期に及んで。 大丈夫よ、今の清彦は誰がどこから見ても斎藤秋奈にしか見えないから。 自信を持ちなさい。 後は口調を私にしてれば完璧。 私の代わりに女子会に行ったときもバレなかったでしょ」
そう言って秋奈が笑う。

「友人と身内は違うだろ? ましてや父親だぞ、父親? もしもバレたら、後が怖ぇよ」
「大丈夫、大丈夫。 清彦の演技は完璧なんだから」
笑って助手席の俺の肩を叩く秋奈。 この脳天気娘は……


ここは秋奈の故郷に向かう自動車の中。 秋奈所有の軽を運転をしているのは俺の皮を着た秋奈、当然助手席で不安を口にしているのは秋奈の皮を着た俺だ。

話はこうだ。

俺と秋奈の交際を父親に素直に認めてもらうには「皮剥丸」を秋奈が扱えると言う事を証明すればいい。 秋奈がその才能を持っていれば秋奈が生む子供もその才能を受け継いでいる可能性が高くなる。
そして、その子が男の子であれば龍神神社を継ぐ事が出来るようになる。
そうすれば村の外の人間である俺と結婚しても問題はないだろう。

だから、こういう形でまずは皮剥丸を使って入れ替わっている状態で里に帰る事になってしまった。

と言うか、悪戯好きの秋奈の単なるイタズラのイイワケって気もするが、まぁ、話を聞いたときに面白そうだと思ってしまった俺も悪いのは承知の上。

こうして俺達二人は秋奈の里帰りの車中にいるわけだ。

「ウチの父さん、母さん、親しいご近所の人の顔は覚えたわよね?」
「あぁ、渡された写真の人達は大方は。 さすがに娘が親の顔を知らないんじゃ話にならないからな」

「だったら結構。 女子会のノリで行っちゃえば大丈夫よ」
そう言って笑う秋奈。
いや、友人を引っかけるのと両親を引っかけるのはかなり違うと思うぞ? それに父親が気に触りでもしたら恋人としての俺の印象は最悪にならねぇか?

やがて車は山の方向に走り出す。 山奥と聞いてはいたが想像した程の山奥には感じられないのは最近出来たという隣県へのバイパスが開通しているからだろう。 

新しく出来た道は快適に車を山へと誘う。 周りには何もないが、景色は気持ちがいい。 周りの木々から夏の青空がのぞき、道の下では綺麗な水をたたえた川が流れている。

「鮎やイワナがいそうな川だな?」
「いるわよ。ウチの村はもっと上流だけど、男の子達は子供の頃は河原で鮎を捕って焼いて食べたりしてたし? あぁ、あの頃に清彦と出会っていれば私もあの中に入って遊べたのになぁ?」
いや、お前は男に化けなくても仲間に入って遊んでた様な気がする。

「河原に行けば魚を食べさせてくれる友人はいたけど、さすがに神社の一人娘を魚取りには誘って貰えなかったからね。 何かあると大事になるから」
そう言って懐かしそうに微笑む。

獲れ立ての鮎か。 こんな綺麗な川にいるヤツなら食ってみたいな。 こいつの家に着いたら川まで行ってみるかな?
「ちょっと、清彦? おかしな事を考えてないでしょうね?」
「え? 別に変な事は考えてないぞ? なぁ?前んちに魚を捕る道具はあるのか?」

「ほら、考えてる。 いい?清彦は今は私なのよ?お年頃の女の子は川で魚獲り取りなんてしません。
状況を忘れないでよ?」
「ちっ、なぁ、ウチについたらさっさとバラしちまおうぜ? 別にお前が使えなくても、俺が呪具を使えれば問題はないだろ?」

「あぁ、私の計画が鮎一匹で破綻しようとしている! あのね?こういうのはバレるにしてもタイミングが大事なの、タイミング。わかる?」
「わかってる、わかってるって、だから運転しながら俺の胸を揉むんじゃねぇって」
さすがに運転中の秋奈の腕を掴んで暴れるわけにも行かないので俺の胸は秋奈のなすがままだ。

はうっ。
最近はすっかり女の身体にも慣れて、胸を揉まれるという行為にも身体と精神がシンクロしてしまう。

「ほんと、わかってるんでしょうね?」
「わかってるって。 それよりもこの手を…… あれ?」
俺は空気が変わった様な気を感じる。

「どうしたの?」
俺の胸から手を放して尋ねる秋奈。

「いや、なんだか空気が変わらなかったか、今?」
そう言いながら車のウィンドウを開ける。

「ちょっと?せっかくエアコンが効いているのに窓を…… ってなにっ!?」
秋奈が俺の方を横目で見かけて驚いた様に尋ねる。

「なにってなんだよ?」
「いや、あんた、なんで泣いてるのよ?」

車を道の端に停めて不思議そうな顔で尋ねる。
俺は言われて初めて自分の目から涙が出ている事に気づく。

「え?あれ?なんでだろ?おかしいな?花粉症か? 窓を開けて外の空気を嗅いだ途端に……」
バッグからハンカチを取りだして目を拭う。

「ふ〜ん? 清彦が空気が変わったと言った辺りが結界の内と外なのよね。 体質的な何かかしら?」
「なんだろうな? なんというか郷愁に駆られるような気分というか、やっと帰ってきたというか、そんな気分に襲われた」

「だったら、私の皮を着ている影響かしら? それとも既視感、ってヤツ? 一度も来た事がないのに前にも来たような気分になるという…… 疲れた時に人間の脳が生みだす偽りの体験だと私の知っている巫女さんが言ってたけど?」

「あぁ、そうなのかな? なんだか懐かしい気分になったんだよな。 今はもう大丈夫だけど」
「というか、清彦。 気分が悪くなったりはしてない?」

「いや、別にそれほど悪い気分じゃねぇよ。 どちらかというとウキウキとしてるほうじゃないか?」
「そうなんだ? うちの結界内に入ると多かれ少なかれ村人以外の人は気分が悪くなったりするんだけどねぇ? やっぱり清彦って何か特殊なのかな?」
そういうと秋奈は再び車のキーを回して車を発車させる。

少し車を走らせているとなにやら大きな施設が見えてくる。

「あれがウチの村が出資して作った道の駅よ。 結構、力を入れて作ったんだけどねぇ?」
そう言って秋奈が苦笑する。

「寄ろう!どうせ、もうすぐ昼だし? 村の名産とか売ってるんだろ?」
「あんたねぇ、もう少しでウチにつくのよ? ……って、言っても無駄か。 ホント、こういうの好きよねぇ?」
秋奈がハンドルを切り、車は道の駅の広い駐車場へと入っていく。

広い駐車場には車は数台止まっているだけだった。 それもどうやらトイレ利用が目的と思われた。

「マジで客がいないのな? 本当に結界の影響か?」
なんだかあまり期待できそうにない道の駅だ。

「失礼ね? まぁ、この現状を見たら否定はしにくいけどね」
「あ、何かいい匂いが……」
匂いに釣られて俺はふらふらと中へ……

「ちょっと!待てよ!」
「なんだよ?」

「ここはもう村の中なんだからお前は龍神神社の一人娘、斎藤秋奈だって事を忘れるな?」
俺の口調で秋奈が注意する。
「判ってるわよ、清彦」
俺は秋奈に微笑んで中へと入っていく。

中は広く清潔に保たれていて、村の野菜や漬け物、銘菓とおぼしきお菓子。とまぁ、道の駅定番の物が置かれていた。

「うん、まずまずの味だよな?」
試食用の漬け物各種をつまみながら眺めて見て回る。
村の米で作ったおにぎりを一つ買ってその場で食べる。 うん、米も美味い。 山の中の田んぼで作った米に正直期待はしていなかったのだが、水がいいのだろう。
その場で焼いている鮎の塩焼きを買って串からかぶりつく。 うん、やっぱり水だろうな。

「って、こら! 辺り構わず、立ち食いするんじゃない!」
後ろから秋奈が俺の襟首を掴んで引っ張る。

「ぐぇっ。 いや、結構美味いぞ、ここの食い物。 なんで人が少ないんだ? 中は綺麗だし、景色はいいし、食い物は美味い。 文句の付けようがないじゃないか?」
「だから、結界なんだって」

「勿体ないなぁ? そんな結界解いちまえばいいのに」
「解けるなら解いてるって。 だから言葉遣い!」

「あ、そうだったわね。 不便よね、結界って」
ホント、勿体ないよな? 施設は出来立てで綺麗なのに。 そう思いながら施設内を見まわす。

「あれ?そういえば軽食とか食べられるような所はないのね?」
「あぁ、そういや、そうだな?」

「そこらの店で食べる物を買って外のテーブルや中の休憩エリアで食べるフードコート形式と言ってしまえば聞こえはいいが、人がいないんだよ」
突然の声に振り向くとそこには、にこやかな顔の白髪頭の老人が立っていた。 

えっと、この顔は見た事があるぞ? 確か、秋奈に見せられた写真の中に……

「あ、西村のおじさん。 お久しぶりです」
俺は秋奈に聞かされたデータを元に秋奈になりきって笑顔で頭を下げる。 確か、村の長老の一人で村の土地を管理する不動産会社の会長だったはず。 秋奈の父の右腕と言ってもいい存在……

「うん、久しぶりですね。秋奈ちゃん。 今日は恋人を連れてお盆で里帰りですか?」
そう言って微笑みながら俺の隣の清彦in秋奈を見る。

「え、えぇ。 この人が私の恋人の木下清彦くん」
そう言って秋奈の腕に手を回す。
「木下清彦です」
秋奈もそう言って微笑んで西村さんに軽く頭を下げる。

「どうも、よろしく。 私は秋奈ちゃんの村で土地の管理等をしている西村と言います」
うん、正解だったようだ。
しかし、西村さんは秋奈の恋人である俺の顔が気になるのか、秋奈の顔をじっと見ている。

「あの? なにか?」
たまらずに秋奈が尋ねる。

「いえ、失礼ですが前にも村に来られた事は?」
西村さんがそう尋ねる。
「初めてですけど?」

「う〜ん、どこかで会った事はありませんでしたっけ?」
「はい? 多分、今日が初対面だと思いますけど?」

「不躾ですが、生まれはこの辺りで?」
「いえ、関東の方です」

「関東ですか……」
秋奈が目で本当はどうなのよ?と尋ねてくるが、いや、マジでこの人とは初対面のはず?

「あの…… おじさん?」
「あ、失礼、失礼。 秋奈ちゃんの恋人に悪かったね」
俺の問いに西村さんが秋奈に向かって謝る。

「あの、ところで人が居ないって?」
「え?あぁ、さっきの事か。 いやね。 レストランの場所は確保してあるんだけど、切り盛りしてくれる人が居なくってねぇ」
そう言って奥のドアの向こうを見る。 
あ、スタッフルームかと思っていたらそこがレストラン用のエリアなんだ? てか、え?切り盛りする人間がいればあそこで飲食店が開ける?

「ちょっと、なに考えてるか一目瞭然よ? 目がキラキラしてる」
小声で秋奈から注意が飛ぶ。 いやいやいや、秋奈と結婚となれば俺はこの村に住む事になるんだから…… 当然、仕事が必要なわけで。

「ね?西村のおじさん。 私がここでお店を出したいと言ったら無理かな?」
秋奈の口調で西村さんに尋ねる。

「え?秋奈ちゃんが? そりゃ、誰かがやってくれるなら歓迎するけど、秋奈ちゃん料理って出来たっけ? たしか、前に秋奈は砂糖と塩を確認しないって俊秋さんが……」
あぁ、秋奈が料理できないのは村の常識なんだ?

「え?いや、料理をするのはこの清彦さん」
そう言って俺は秋奈の腕を取る。

「ほぉ?清彦くんは料理が出来るのですか?」
「まぁ、そこそこの腕はあると自負しています」
秋奈が俺のフリをして笑って答える。

「清彦くんは居酒屋の息子で、幼い頃から料理をつくっていたんですよ」
ここぞとばかりに俺は"俺"のアピールをする。

「なるほど。 居酒屋の息子さんですか? それは……」
なにかを言いかけた西村さんの顔が強張る。

「「?」」
俺と秋奈は首をひねる。

「関東…… あの……、まさかとは思うけど…… "居酒屋きよちゃん"」
「あれ?ウチを知ってるんですか? あ、清彦さんの」
うっかり、口を滑らしそうになって慌てて修正。

「あ、あはははは…… いや、ちょっと一時期、あそこの近くに住んでいた事があるんだよ。 そうか君はあそこの息子さんだったのか。 道理で見たような顔だと思った。 君はお母さん似なんだね」
そう言って答える西村さんの顔はどこかぎこちない。

「清彦さんのお母さんのを知ってるんですか?」
「まぁ、何度か食事にも行ったし、今の店舗を紹介したのは私だしね」

「あぁ、そういうご恩があるのですか。 意外な縁があったんですね」
秋奈がそう言って西村さんの頭を下げる。

「いや、ご恩なんてものじゃないけどね。 そうか、君が秋奈ちゃんの恋人になっているとは皮肉なものだな……」
「皮肉?」

「いや、なんでもないよ。 それより、君たち」
西村さんがそう言って声を潜める。

「? なんですか?」
「秋奈ちゃんと清彦くんの交際を俊秋さんに認めてもらいたいのなら、清彦くんの実家の事は口にしないほうがいいよ」
西村さんが意外な事を口にする。

「どういう事です?」
「俊秋さんも若い頃に一時的にあそこに住んでいたのだが、あの土地にはあまりいい印象を持っていないんだよ。 清彦くんがそこの出身と知ったらいい顔をしないと思うよ。 
ただでさえ、秋奈ちゃんには村の男性と結婚してもらいたいと思ってるからね」
後の方は秋奈に聞こえないように俺に囁く。

多分、それは呪具を操る能力について秋奈のお父さんが憂慮しているのだろう。 
まぁ、目の前の秋奈が秋奈ではなく、俺である事を知らない西村さんにしてみたらその事を部外者の俺の耳に入れられないからだろうけど。 

「わかってますよ。 大丈夫です、その辺りは秘策がありますから」
俺はそう言って西村さんに微笑む。 秋奈が呪具を操れると判ってもらえば秋奈の父さんも俺の事を認めてくれるだろう。

「そうかね? まぁ、清彦くんがここで何か飲食店をやりたいと望むなら…… って、あれ? 実家は継がなくてもいいの?」
「あぁ、俺は三男坊なんで何をしようと自由なんですよ」
秋奈が俺に変わって返事をする。

「あ、あぁ、そうなんだ? お母さん、三人もお子さんをつくったんだ?」
えっと、顔がまた引きつってますよ、西村さん?

「いや、二番目の兄と俺の間に双子の姉妹がいるんで五人兄弟なんですけどね?」
「五人!?五人も産んだんだ?双葉さん!? めげない人だと思ってはいたがそこまで開き直ったのか!?」
驚きに目を見開く西村さん。 えっと、意味がよく判りませんがそんなに驚く事なのかな?
まぁ、確かに五人は多いけど……

「まぁ、俺の親父達は結婚して30年近くなるのに未だにラブラブですからね。……って、清彦がいつも言ってます」
「へぇ?そうなんですか?」
西村さんが秋奈の方を見て微笑む。

「え、えぇ。 もう周りが呆れるほど」
そう言って秋奈も西村さんに微笑む。

「西村さ〜ん」
施設の従業員らしきおばさんが売店の奥から声を掛ける。

「あ、は〜い。 清彦くん、秋奈ちゃん、それでは失礼。がんばってくれたまえ。 
……あ、清彦くん。俊秋さんに二人の交際を認めてもらいたかったらあまり実家の話題に触れない方がいいよ」
そう言って笑うと西村さんはおばさんの方に歩いて行ってしまった。

俺達は笑顔で西村さんに手を振ると秋奈に声を掛ける。
「なぁ?お前んちのお父さんってウチの地元が嫌いだったのか?」

「う〜ん?確かに父さんはあまり村の外には出たがらない人だけど…… 昔、村の外に出て酷い目にあったことがあるらしいとは他の長老さん達に聞いた事があるけど、その内容は誰も教えてくれなかったのよねぇ? 西村さんの様子では、清彦の実家の方で何かがあったんでしょうね」
そう言って不可解そうに首を傾げる秋奈。

とりあえず、俺の実家の話題は出さない事で意見は一致した。

               *

秋奈の実家の神社は村の中央部にあった。

わりと大きな村の中央に小高い山があり、その上に村を見渡すように建っていた。
下の駐車場に車を止めて長い階段を見上げる。

「なぁ?今の俺の身体は秋奈なワケなんだけど、これ、登っていけるのか? 俺は夕べからお前の皮を着てるせいで体力も殆どお前並になってんだけど? どこか近道は? てか、エスカレーターはどこだ?エレベータでもいいけど?」
「お山にエスカレーターなんかあるワケないでしょ! 大丈夫、小さい頃からここで育ってるんだから身体は慣れてるわよ。 どちらかというと、この身体の体力の方が心配よ。 清彦、料理や家事はできるけど、運動能力は人並みでしょ?」

「人並みでいいじゃないか? って、人並みじゃダメなのかよ、この石段?」
「人並みでいいけど、慣れないウチはツライかもしれないでしょ?」
そう言うと秋奈は俺の腕を取って歩き出す。

…………

「慣れだよな…… ゼェゼェ、誰だよ、小さい頃から身体が慣れてるなんて言ったのは?」
「あはは、身体は慣れるんだけど、中の人は初挑戦だったからねぇ?」
息を切らして膝に手を付いて屈み込む俺と、そんな俺を見て陽気に笑う秋奈。

このバベルの塔は女の足ではかなりツライ。 ペース配分も判らずに登った俺は半分も行かないうちにバテてしまった。 一方の秋奈は男の体力に加え、歩き慣れた経験があるからスタスタと登って行けるのだ。

「さてと、それじゃウチに行くわよ」
そう言って少し先に見えている豪華な作りのお屋敷を指さす。

「いやちょっと待て、秋奈。 息を整えさせてくれ」
そう言って俺は近くの石に腰を下ろす。

「なんだ、秋奈? 登ってくるだけでバテてしまうほど、身体が鈍ってしまっているのか?」
声のした方を振り向くと袴姿の男性が微笑みながら石段を上がってきたところだった。 あ、確かこの男性は……

「お父さん、ただいま!」
俺は立ち上がって秋奈の振りをして笑顔で男性に頭を下げる。

「あぁ、おかえり。 それで、この人が?」
そう言って俺の隣の秋奈に目を向ける。

「はい、私の大切な友人の木下清彦くんです」
「木下清彦と言います。 娘さんには色々とお世話になっています」
秋奈も俺と同じように父親に向かって笑顔で頭を下げる。 

本当にいい度胸してるよな、こいつ。 まぁ、俺も人の事は言えないけど。

「そうか。 私が秋奈の父親の斎藤俊秋だ。 娘がいつも世話になっているようだね。 歓迎するよ、清彦くん。ゆっくりしていってくれたまえ」
笑顔でそう言った後、秋奈の顔をじっと見るお父さん。

「あの?なにか?」
「失礼だが…… 私とどこかで会った事は?」
やっぱり、俺の顔って母さん似だと西村さんが言ってたけど本当なんだな。 普段はあまり意識してないけど、こう連続で言われると意識しちゃうな。

てか、西村さん秋奈のお父さんはウチによい印象を持ってないって言ってたけど、ひょっとして昔に母さんに失恋したとかそんな事か?

「あはは、清彦くんの顔はどこにでもあるような平凡な顔よ?」
俺は笑って誤魔化す。
「何を言ってるんだ?なかなかいい男じゃないか? わりとイケメンってヤツじゃないのか?」
そう言って笑うとあまり気にしてないのか、お父さんは話題を変える。

「まぁ、いい。 母さんもお前が帰ってくるのを待ってたんだ。 清彦くんもどうぞ」
そう言って俺達を家の方に誘い、俺達も笑顔でその後に続く。

「母さん、秋奈が帰って来たぞ。 友達の清彦くんも一緒だ」
玄関から中に向かって声を掛けるお父さん。

「は〜い」
声と共に中から人のよさそうなおばさんが出て来る。 ちょっとぽっちゃり系、しかしデブと言うほどではない。 この人が写真で見せられた秋奈のお母さんか。実際に会ってみると写真で受けた印象より
もさらにのほほんとした雰囲気を纏っている。 

「ただいま。 お母さん」
俺は笑顔でお母さんに頭を下げる。

「うん、お帰りなさい。 あなたの好きなちらし寿司を作って待ってたのよ。 えっと、木下さん?
いつも娘がお世話になっているそうで。 お話はいつも娘から聞かされています。 どうぞ、ゆっくりしていって下さいね」
そう言って秋奈の手を握るお母さん。 人のよさそうなお母さんでちょっと良心が咎めるよなぁ。 
お母さん、そっちの男の中にいるのはあなたのお茶目な娘さんですよ?

促されるままに玄関を上がり、座敷に通される。

秋奈はまったく自然に俺を演じてお母さんやお父さんと談笑を始めている。 
その間、俺の方は自分(秋奈)の部屋に鞄を置きに行く。 大体の情報は予め秋奈からレクチャーされてるので部屋の位置は把握しているのだが、それでも初めての家というのは物珍しい。

さすが田舎の神社、使っている柱も年期の入った自然木が使われている。 何年もの年月がなんとも言えない重厚さを醸し出している。

やがて秋奈の部屋の前につき、その障子を開ける。 てか、まぁ、和室だよな? 部屋は障子と襖だけで鍵なんて掛からないし? 年頃の娘さんとしてはこういうのは気にしないのだろうか。 着替えの時に誰かが入って来たりとか? それとも身内しかいないからいいのかな? 女って以外と身内に対しては開けっぴろげな所があるし? ちなみに参考例は母さんアンド姉ちゃんズ。

俺は鞄をおろして部屋を見渡す。

これが秋奈の部屋か。 思ったよりも質素だな。マンションでの生活からいって、もっと派手な部屋を想像していたのだが。
寝具の入った押し入れ、木の文机、木製の本棚。いかにも年季の入っていそうなタンス。 そしてどれもが年季が入っていて安っぽさなんか微塵も感じさせない。

きっと、留守の間もお母さんがマメに掃除をしていたのだろう。 部屋の中は埃一つ落ちてはいない。

「古くさい部屋だけど…… 落ち着くよなぁ?」
座布団を出してそこに胡座をかいて座り部屋を見渡す。 都会の喧噪とは無縁の世界、こういう生活もいいかもしれない。 

秋奈と一緒にここで暮らしていく事の現実味を感じる。 秋奈はここで神社を守り、俺はあの道の駅で地元の食材を使った食堂をさせてもらって……

「うん、いいよな? そうなるとやっぱりお父さん達に俺と秋奈の結婚を認めてもらわないと……」


窓を開けると山からの涼風が秋奈の姿の俺の髪をさらさらと撫でる。
「いいなぁ、こんなに自然が残っている所で暮らしていくのも悪くない。 海の魚が手に入りにくいのは難点だけど、今は冷蔵設備が発達してるから問題はないし……」

「秋奈。 ちょっといいか?」
外の廊下から声が掛かる。 この声はお父さんか?

「あ、はい。どうぞ」
俺は咄嗟に返事をする。

やはり、声の主はお父さんだった。
「あれ? 清彦くんは?」

「彼はお母さんと話しているよ。 明るくてなかなかいい青年じゃないか」
部屋の中に入ってきたお父さんはそう言って俺の前に座る。

しかし、俺の姿を見てちょっと困った顔をする。
「秋奈。 自分の家に帰って来てリラックスしているのはわかるが、年頃の娘がたとえ父さんの前でも胡座をかくのはどうかな? 下着が見えているぞ?」

「え? あぁ!」
指摘されて初めて俺は胡座をかいていた事を思い出し、慌てて正座をする。

「まさか、お前。 清彦くんの前でもそんな格好をしてはいまいな?」
「あはは、まさか」
俺は笑って手を振って否定する。

「まぁ、いい」
そう言ってお父さんは何かを切りだそうとして…… そのまま黙り込む。


……
………

「あのお父さん?」
「あ、いや。 うん、清彦くんはなかなかいい青年だな。 なんというか、顔にもなんだか親しみを感じるし」
おっ? お父さんに俺は好印象か? まぁ、中身は秋奈なんだからそこの所はうまくやっているのだろう。

「えぇ、いい人でしょ?」
俺は秋奈のフリを続けて微笑む。

「そうだな。 あれで村の人間だったら……」
そう言ってため息を付くお父さん。 やっぱり、能力の有無を気にしているのか……
「あの、お父さん。実は……」
俺は鞄をそばに寄せて中から皮剥丸を出そうとするが……

「まぁ、今はもうそういう時代ではなくなってきているし、呪具を使えるのも今では私一人という状況では言っても仕方がないのだろう」
そう言って苦笑するお父さん。

え? と言う事は秋奈の心配は杞憂? 俺は鞄の中から取りだし掛けた皮剥丸をお父さんに気づかれないようにそのまま鞄の中に戻す。
「それで本題なのだが」

え?今のが本題じゃなかったのか?
「えっと…… なに?」

「この間、蔵の点検をしていたのだが、蔵の中から呪具が一つ行方不明になっている事に気づいた。その事を母さんに話したら春にお爺ちゃんの法要を行ったときにお前が蔵の中から出て来たのを見かけたというのだが…… お前、ひょっとして?」
そう言ってお父さんが俺を見つめる。

こういうのは想定外だったな。 てか、バレてんじゃん、秋奈ぁ? えっとシラを切っても問題がこじれるだろうからここは素直に俺が罪を被って謝っておくべきだよな?

「ごめんなさい、お父さん」
そう言って俺は鞄の中から皮剥丸を取りだしてお父さんの前に置くと頭を下げる。

「やっぱりお前だったのか? まぁ、外部からの泥棒じゃなかったのは幸いだったな。 もっとも外の人間が手にしたところでただのナマクラな短刀にしか見えないだろうが」
「本当にすいません」
俺はもう一度頭を下げる。

「いや、いいんだ。 お前が呪具を使えたらと幼い頃から何度も愚痴って聞かせた私も悪かった。 お前のことだからなんとか使えるようにならないかと思って持っていったのだろう?」
そう言って優しく俺の頭を撫でるお父さん。

「どうせ、呪具を使う事もこの先はないだろう。 蔵に収めて厳重に守る事だけが我が龍神神社の務めになる運命だ。 せめて、言い伝えの姫様が降臨されればその役目も終えられるのだが……」
そう言って寂しく笑う。

「言い伝えの姫様?」
「あぁ、お前も聞いた事はあるだろう。 うちの神社の初代様が予言したお姫様だ。 外の世界で生まれてやがてこの村に全ての呪を払いにやってくると言われている。 まぁ、かなり昔の予言だし、未だに成就はされていないから外れたのかもしれないが……」
そう言って苦笑するお父さん。 へぇ?この神社にはそういう予言があるのか。

「ん?なんだ。初めて聞くような顔をして?」
いや、本当に初耳です、とは言えないよな。 ただ、なんとなくその話に興味はある。

「う〜ん、忘れてました」
「なんだ? ……まぁ仕方がないか。 村の中でも今では噂程度でしか囁かれていないし」
そう言ってため息を付く。


お父さんお話では遠い昔、村を出た若者が隠れ里を解放する為に何かをやらかしたらしい、しかしその野望は目前で挫折。 しかし若者の娘は村の外で生まれたにも拘わらず、強大な呪力をもっていた。 

そして、彼女はその力と呪具を使い、野望を果たしかけた。 しかし、その野望は寸前に隠れ里の意志によって阻まれる。

その娘の野望を阻んだ者こそ、この神社の初代だった。
その初代に向かって最後に姫は言う、再び生まれ変わって隠れ里の全ての呪を払いに戻ってくる、と。

「えっと?全体的に話が曖昧ですよね? 具体的にその親子はなにをしたんですか?」
「さぁ?とにかく大変な事としか伝わっていない。 なにしろその当時、隠れ里は完全に世間から隔離されていたからね。 外界でなにが起こっていたかは、村から出ていた初代様しか知らない。 時代的には室町時代の末期くらいだろうか?」

「織田信長とかの時代ですか?」
「まぁ、多分、その辺りだな」

「……なんだかいい加減な予言ですね?」
「まぁ、時代と共に内容は少しばかり変質しているかもしれないが、初代の語った"姫"が降臨するという予言は口伝としてウチの神社に伝わっているからな。 代々の後継者は神社を継ぐときに前の者から伝えられる。 そろそろ、お前にも語っておく時期かも知れないな」
そう言って俺が前に置いた皮剥丸を懐に入れる。 

いや、俺に語り伝えられても困るのですが? てか、えっと、皮剥丸を持って行かれては俺達が元に戻れなくなってしまう……

「ん? どうしたんだ?」
俺が困惑している様子を見てお父さんが声を掛ける。

「あの…… もう少しの間、皮剥丸を貸していただけないでしょうか? せめて今夜一晩!」
そうすれば夜の間に元に戻れる。

「はぁ?どうしたんだ? こんな物をお前が持っていても仕方がないだろう?」
「えっと…… じつは最近、私にも呪力が宿ってきたようなので…… もうちょっと使う為の訓練でもしたいかな、と?」
俺はおずおずと適当ないいわけを作る。

「え?いや、後から呪力が宿ったというのか? そんなバカな?」
「ホント、ホント、実は今でも少しは使えるんですよ?」

「…………」

懐から皮剥丸を取りだして、皮剥丸と俺の顔を疑わしそうに交互に見比べる。
やがて、皮剥丸を俺の前に置く。
「助力が宿ってきたというのがよく判らないのだが…… 具体的にはどういう事が出来るんだい?」

具体的に? 咄嗟に口をついて出たので俺にもどうしたらいいのかわからない。 とりあえずは皮剥丸で腕の皮でも剥がして見せればいいのかな?
俺は前に置かれた皮剥丸を手に取り、腕に少しだけ切れ目を入れてみる。

「お、おぉ! 切れた、皮剥丸が切れた!」
驚いた様に俺の腕を見つめるお父さん。 俺の腕の切り傷はすぐに元に戻っていく。

「どうですか?」
「し、信じられん。本当に使えるようになったのか!? もう一度、もう一度やってみせてくれんか?」
お父さんの言葉に俺は二度三度、腕を切ってみせる。

「ほ、本当に使えるようになったのか」
俺の腕を取ってマジマジと見つめて呟くお父さん。 俺の腕にはすでに傷一つ残っていない。

「ね?ですからもう少し皮剥丸を貸していてくださいませんか?」
にっこりと微笑んで皮剥丸を胸元に抱いて尋ねる。

「か、母さん! 母さん、母さん!」
お父さんが立ち上がると俺の腕を掴んで部屋から引っ張り出す。 おいおいおい、だから……


「こんにちは。 俊秋さんはご在宅ですか?」
俺の腕を引っ張って座敷に向かう途中で玄関先で訪ねてきた西村さんと出会う。

「おぉ、西村さん。 秋奈が、秋奈に呪力が……」
俺の腕を掴んだまま、西村さんに向き直る。

「どうしたんですか、俊秋さん?ちょっと落ち着いて。 秋奈ちゃんがどうかしたんですか?」
微笑みながら尋ねてくる西村さん。

「あ、あぁ。 そうだ。 とにかく、上がってくれ」
そう言うと俺の腕を掴んだまま、座敷に連れて行く。

「あら、あなた? どうしたんですか、そんなに興奮して?」
秋奈と談笑していたお母さんが座敷に入ってきた俺達を見て微笑む。

「ついに秋奈に呪力が宿ったんだよ!」
「呪力が? ……でも、あなた。 ウチの村の呪力というのは生まれつきのもので、後から呪力が付く事はないと?」
お母さんが困ったように苦笑して尋ねる。 落ち着いていて意外と神経が太い人だな?

「しかし、本当なんだよ。 秋奈、もう一度、皮剥丸を使って見せてやってくれ」
そう言って俺をお母さんの前に押し出す。 仕方なく、俺は手に握っていた皮剥丸の刃を鞘から抜き出すと腕に切れ目を入れてみせる。

さっきと同じようにスッと切れた皮が再び元に戻っていく。

「あらあらあら?」
驚いた様に…… 驚いてんだよな? 俺の腕を見つめるお母さん。

「こ、これは……」
一緒についてきた西村さんも俺の腕を見つめる。

「どうだ? これでウチの後継者問題も解決だな? 後は秋奈が男の子を産みさえすればその子に呪力が宿って後継者が生まれる可能性は高い」
そう言って喜ぶお父さん。 まぁ、産むのは秋奈であって俺じゃないからいいけど。

「それにしても呪力がねぇ?」
そう言って俺の腕を見つめる西村さん。

「ねぇ、秋奈ちゃん? もう一度、見せてくれないかい?」
はいはい、いいですよ。 何度だってお見せしますよ。

俺は腕を出して今度は少し長めに皮剥丸を使ってみせる。
「どうですか?」

「う〜ん?」
そう言って首をひねる西村さん。

「どうかしたんですか?西村さん?」
お父さんが西村さんに尋ねる。

「いや…… ちょっと気になる事が」
そう言って再度リクエストをする西村さん。 えっと?俺、何か失敗をやらかしてる?
俺はもう一度腕を切ってみせる。

「いや、まさかなぁ?」
そう言って俺の顔を見つめる西村さん。

「あの……? なにか?」
俺は西村さんに尋ねる。

「君は誰だね?」
「へっ?にゃにを?」
西村さんの意外な言葉に思わず声がうわずる。

「西村さん、なにを言いだすんだね?」
お父さんが驚いて西村さんに声を掛ける。

「いや、予備知識がなければまったく気にもしなかったんだろうけど。 秋奈ちゃんの皮剥丸を扱う手つきが手慣れているというか、まるで料理人の手つきなんだよね?」
そう言って俺の目を見て微笑む西村さん。 ギクゥ!手つき?そんな事考えてなかったぞ。

「何を言ってるんだ? 秋奈は魚を三枚のおろすと言われて怖々と頭と胴とシッポに切り分けるような娘なんだぞ」
あ〜、そこまでダメダメですか、秋奈さん……

「だろう? なのに慣れた手つきで腕に切れ目を真っ直ぐに入れてたからね」

「秋奈ちゃん? 西村さんの言った事は本当なの?」
お母さんがのほほんと俺に尋ねてくる。
三人の目が俺に注がれる。 西村さんは俺の正体、この秋奈の中身に気づいているようだ。

「それに…… 俊秋さんは気が動転して気づいていないようだけど、ここにいる部外者の清彦くんが私達の話にまったく疑問に思っていない」
そう言って後ろで事の成り行きを見守っていた秋奈に目をやる。

「え?あ…… うわぁ、驚いた!切れた皮が元に戻って……って、はぁ〜。 もういいよ。清彦」
慌てて芝居を打とうとして、そのむなしさに気づき、ため息を付いて首を振る。

「え?清彦くん? どういう事だ? というか、居たのか、気づかなかった!」
最初から居ましたよ? 本当に気づいてなかったのか。 よほど動転していたのだろう。

「えっと、すいません。 そっちの清彦があなたの娘の秋奈さんです」
そう言って俺は秋奈を指さし、お父さんに頭を下げる。

「やはり、そうか。 君は皮剥丸を使えるのだね?清彦くん」
西村さんが多少驚いた顔で俺を見る。 自分で指摘しておきながらも信じられないのだろう。

「ちょっと待て!話が見えない! どういう事だ? こっちの清彦くんの中身が秋奈? だったら、こっちの秋奈は……」
そう言って俺の顔を見る。

「えっと…… あらためまして。 俺が木下清彦です。 秋奈の、娘さんの提案で入れ替わってます」

「あ、バカ。 そこまでバラすな。 そこは"ふふふ、秋奈の皮は私が奪った"と宣言する所でしょ」
「俺を悪役にするな。 女の皮を強引に奪って着込むって、どれだけ変態だよ?」

「似たようなものでしょ。 私の皮を着て楽しんでたんだから?」
「お前だって、俺の皮を着て楽しんでただろ? どうかすると俺以上に」

「ちょっと待て、ちょっと待て。 え?こっちの清彦くんが秋奈で、秋奈が清彦くん? 皮剥丸を使って入れ替わっていたというのか? え?清彦くんは皮剥丸を使えるのか? バカな。村の出身でもない者が呪具を扱えるなどと……」
お父さんは混乱しているようだ……

「嘘から出た真」
ボソッと西村さんが何かを思い出したように呟く。

「え?どういう事だ?」
「こういう状況じゃなかったら黙ってるつもりだったんだけど…… 俊秋さん、彼の顔に見覚えはないかな?」
西村さんが苦笑しながら秋奈の顔を指さす。

「え?まぁ、確かに初対面からどこかで会った顔だとは思っていたが…… 村の誰かの縁者か?」
「まぁ、かなりの間その顔と対面していなかったから忘れてるのかな?」

「私の知り合いか?」
そう言って立ち上がると秋奈のそばによってじっと顔を眺める。 その姿を西村さんが面白そうに見ている。 お父さんは秋奈の顔を覗き込みながらも何かを思い出そうとしている。

「あ〜!わからん! 西村さん、彼は誰だね? なんで彼が皮剥丸を扱えるのかね?」
「清彦くん、俊秋さんに実家の事を話してあげてくれないかい?」
西村さんが笑って俺に促す。 この人も結構お茶目な性格なのかもしれないな。

「え?俺の実家ですか? 関東の方で営業してるただの居酒屋ですよ?」
「関東の居酒屋? ウチの村と関係は?」

「ないです。 さっき、西村さんにも聞かれましたけど、この辺りに来るのは初めてですし?」
「それでなんで……」

「清彦くん、居酒屋の名前とお母さんの名前は?」
「え?"居酒屋きよちゃん"で母さんの名前は木下双葉ですけど?」
西村さんの質問に答える。

「居酒屋きよちゃん?どこかで聞いたような? 双葉ねぇ?」
そう言って首を傾げるお父さん。

「嫌な思い出だから記憶の奥底に仕舞い込んで忘れてしまってるんですかね?」
「いやな記憶? 私は別に村から滅多に出ないから嫌な記憶なんて…… それこそ、昔…… えっ?」
なにかを言いかけて、なにかに気づき、慌てて秋奈の顔を見るお父さん。

「ちょっと待てぇ! 居酒屋きよちゃん!? 双葉ぁ!! き、君はあの男の息子かぁ!!」
落ち着いた雰囲気だったお父さんが急に豹変する。 いや、そっちは秋奈で俺はこっちなんですけど?

「あの?父を知っているんですか?」
「え?あ、そっちが清彦くんか? どうりで見た事がある顔だ。 まさか二十数年目の自分の顔と対面するとは思わなかった」
お父さんが最後になにかを呟くのが聞こえたが、小さくてよく聞き取れなかった。

「え?あれ?待てよ? あの男の息子ならもう二十代後半だろ?娘と同じのはずは……」

「彼は三男坊だそうだよ?それと他にお姉さんが二人いるらしい」
「五人? 五人も産んだのか、あの男は!」
驚愕に目を開くお父さん。 お父さん、混乱してますよ?男は子供を産めません。父は母を孕ませた方です。

「えっと…… お父さんはウチの父達と知り合いだったんですか?」
「えっ? あ、あぁ…… 知り合いというか、ほんのちょっとした顔見知り程度だが……」
そう言って俺から目を逸らせるお父さん。 
いや、単なる顔見知りって反応じゃないですよ? 挙動不審もいいところ。

と、いうか西村さんが背後でお母さんになにやら耳打ちをして、それを聞いたお母さんがビックリした顔で秋奈の顔を見て笑ってるんですけど? ……絶対に何かあるよな? 

まぁ、それよりも……

「えっと、バレてしまったのなら元の身体に戻りたいんだけど。 いくらなんでも、親を前にして他人の娘の身体に居るのは居心地が悪い」
秋奈に向かってそう告げる。

「えぇっ?私は気にしないけどな? 清彦の身体って居心地がいいから。 清彦だってその身体を気に入ってるでしょ?」
平然と笑う秋奈。

「そうだが、さすがに俺はこの状況では居心地がよくない」
「わかったわよ。 でも、入れ替わるには服を脱がないといけないけど、ここでやるの?」
そう言って両親達に顔を向ける秋奈。

「え?」
俺もお父さん達を見る。 確かにさすがに親の前で裸になって皮を着替えるのは……

「まぁ、秋奈の部屋で着替えればいいが、皮を剥ぐとしばらくの間、秋奈は動けなくなるのだろう?
それだったら、寝る前に入れ替われば……」
「あぁ、普通は皮剥丸は相手を麻痺させるのよね」
父さんの言葉に秋奈が応える。

「え?普通はってなんだ?」
「清彦?」
秋奈が俺に目で合図をする。 これは父さんで試せって事か?

「ちょっと失礼します」
俺は皮剥丸を取るとお父さんの腕を取って皮剥丸を走らせる。

「え?あ、ちょっと…… え?」
お父さんが自分の腕に付いた切り跡を見つめる。 その傷は見る見ると塞がっていく。

「麻痺…… しない?」
じっと傷口のあった場所を見つめるお父さん。

「俊秋さんは呪具を操れるから耐性があるんでしょう?」
そういう西村さんの腕を取って再び……

「え?なんともない?」
「すごいでしょ? 清彦は皮剥丸を使っても他人を麻痺させないのよ?」
そういって自慢気に胸を張る秋奈。

「し、信じられん。 しかし……」
「こんな事ができる術者なんて記録の中にも……」
「あらあら、まぁまぁ……」
『ほぉ、大した物だな』
四人が俺を見てそれぞれの感想を漏らす。 ……って、四人?

気がつくといつの間に座敷に入ってきたのか、お父さんと同じ袴姿の男性が優しく微笑みながら腕を組んで俺を見下ろしていた。

「えっと、誰? 親戚の人?」
俺は秋奈に尋ねる。

「え?知らない。 お父さん、この人は?」
「あの?あなたは?」
どうやら二人の顔見知りではないらしい。

『待ちかねたよ、帰蝶』
男性が俺に向かって微笑む。 
その途端に俺の心臓がドキンと跳ねる。

『お兄様、お待たせして申し訳ありませんでした。 その代わり、充分に神気は練ってまいりました』
男性に微笑みかけながら俺の口から勝手に言葉が漏れる。 なんで?

『それにしても。 男性から女性に戻ってから帰ってくるとはなかなか芸が細かいな?』
そう言って笑う男性。
『別に私が意図して行ったわけではありません。 呪によって組まれた因果の成せる技ですよ』
そう言って苦笑する俺。

「清彦くん、何を言ってるんだ? この男性は君の知り合いかね?」
お父さんが俺に尋ねる。 知りませんよ、初対面……だと思うのだが、どこかであったような気も……
てか、俺の身体が俺の自由にならないのですが? てか、口さえ動かせない。

『それではさっそくで悪いが、私を長年ここに縛り付けている呪から解放してもらえるかな?』
『承知しました』
俺は男性に対して深く頭を下げると、ゆっくりと立ち上がり玄関へと向かう。

「ちょ、ちょっと、清彦? どこに行くの?」
「清彦くん、どうしたんだい!?」
俺と男性に続いて、秋奈とお父さんが追ってくる。 その後に西村さんとお母さんも続いてくる。

秋奈が俺を止めようとしているようだが、決して早足ではない俺達を追い抜けないようだ。
目の端に伸びてくる手は映るのだが、その手は俺の腕を捕らえる事ができない。

やがて、玄関を出て玉砂利が綺麗に敷き詰められた神社の前に出る。

『それでは、始めます』
そう言って男性に頭を下げると、男性は優しくうなずく。

そして…… 俺はなにかを呟きながら、一度も舞った事のない舞をゆったりと舞い始める。
周りでは唖然として秋奈達が俺の舞を見ている。 

俺にはなにがどうなっているのか状況がまったく判らない。 身体が勝手に何者かに乗っ取られたかのように動く……


「これは一体……」
「まさか、清めの儀式……」
西村さんとお父さんが俺の舞を見て呆然と呟く……

「清彦、どうしちゃったの……」
「あらあら、まぁまぁ、綺麗ねぇ」
お母さん、緊張感を持ちましょうよ?

俺の身体は俺の意思に関係なく舞続け、そして身体の周りに違和感が……

「あ、清彦の服が!」
秋奈が指摘するまでもなく俺の身体が…… 正確には俺の着ている空色のサマードレスが、白と緋色に変わっていく……

「あれは巫女装束か?」
「やはり、伝説にある姫様……」
気がつけば、俺は白衣と緋袴の薄い巫女装束なようなものに身を包んでいた。 えっと、こういうのって普通はもっとごてごてした衣装じゃねぇのか? 

「わぁ、すごぉい。 どういう仕掛けなんでしょうねぇ?」
だから、お母さん。 助けて下さいよぉ。

呆然と皆が見つめる中で舞い続ける。 少し身体が汗ばんできている。 
いくら村が山の中で涼しいとは言え、今は夏の真っ盛りだ。 このままいつまで俺は舞い続けていればいいんだ? 揺れる胸の上に汗が落ちる……

え?ちょっと待て? ひょっとして今の俺の装束の下って……
薄い巫女装束の下に下着がない!? ブラが消えてる!胸が揺れる! って、袴の下にショーツもねぇ!
股の間がスゥスゥする! 空気がアソコを撫でる! なんだか、恥ずかしい。

「清彦、なんだかエロい……」
秋奈が呟く。 言うなぁ!口にするなぁ!本人が今、一番気にしてるんだから!

てか、なんで皆見てるだけで助けてくんねぇの? 

「俊秋さん、何かあったんですか? おや?秋奈ちゃんの神楽舞いですか?」
村人だろうか。 石段を上がってきた男性がお父さんに声を掛ける。

「いや、そうじゃないんだが…… 信じられないかも知れないが我々は今、伝説の姫による浄化の舞いを見ているのかも知れない。 ところで村長はなんで?」
「神社からただならぬ気が立ち上がっていたから、様子を見に来たんですよ。 呪具を操る力こそ失われているが、その程度の気は村人なら感じ取る事はできるからね。 それで、伝説の姫による浄化の舞とはどういう事ですか?」
村長と呼ばれた男性とお父さん達がなにかを話し合っている。 だから、誰か助けて下さいよ?

               *

俺が舞い始めてから一時間は経っただろうか? 俺の舞いはまだ終わる気配はなかった。 
しかし、秋奈の皮を来て体力は女子並みに落ちている筈なのに疲れは感じなかった。

「しかし、見事なものだねぇ?」
「まさか、伝説の姫の舞いをこの目で見る事が出来ようとは……」
「あそこに立っているのが初代様の幽霊だって?」
「秋奈ちゃんが伝説の姫だったと言うのは本当なのかね?」
「身体は秋奈ちゃんだけど、中身は恋人の男性らしいよ?」
「こっちにいる兄さんが本物の秋奈ちゃんだって?」
「秋奈でぇ〜す。 おじさん、お久しぶり」
「この舞いが終われば、村の全ての呪具が浄化されてしまうのかねぇ?」
「お姉ちゃん、きれい!」

だから村人!暢気に見物してんじゃねぇ。 俺の周りには木陰にレジャーシートを引いて俺の舞いを見ている村人やら境内の縁に腰掛けて見ている村人で一杯だ。 爺さん、婆さんから幼児までの老若男女が談笑しながら見ている。 神社内の気の異常を感じてやってきた村人達だ。 

だから、お母さん、そんなヤツらにお茶菓子を出さなくってもいいって! 暢気に麦茶の入った冷水ポットを回してんじゃねぇよ!

お父さんの方は時折、俺の方を見ながら村長達と新たにやってきた村人と何かを話し合っている。

「いや、それにしても…… こう言っちゃ失礼だけど、薄衣が滴る汗で身体に張り付いて肌が透けて見えそうで……」
「うんうん、秋奈ちゃん胸がしっかりと育ってるし」
「お尻もふっくらと……」
「ほら、袴から覘くあの足の色っぽさといったら………」

『エロいねぇ? あははは』
エロオヤジ共の肩を叩き合いながらの笑い声がシンクロする。

黙れ、そこのオヤジ共! 親父達を睨みつけてやりたいが、口は何かの呪を唱えながら俺の身体は一心不乱に舞いを舞い続けている。

やがて俺の唱える呪文は単調に収束していく。
 
払いたまえ、清めたまえ、払いたまえ、清めたまえ……
徐々に動きが速くなっていき、声が大きくなる。


「どうやら終盤に掛かったようですよ?」

「いよいよですな」
「本当に村にある呪具が全て清められてしまうのですかね?」
「語り継がれてきた話ではそうなっていますからね」
「実際に姫はこうやって降臨しているわけですからな」
西村さんの声にお父さん達が俺の方を固唾をのんで見つめる。

髪を振り乱し、清めの言葉を叫びながら、舞い続ける。 

霊感とかはないが、俺の廻りに特殊な気が纏わり付いてきてるのがわかる。 舞いによって特殊な気が練り上げられていっているのだろう。 やがて気は徐々に上がっていき、頭上に溜まっていく。

クソッ、口がきけたら「皆の元気をオラに分けてくれぇ!」と叫ぶ美味しい所なのにぃ……
しかし、俺の口からはバカの一つ覚えのように呪文が紡がれるのみだ。

「はらったまっ、きよったまっ!」

「おぉ、いよいよクライマックスのようですな?」
「ほらほら、婆さん。秋奈ちゃんがイクようじゃよ」
「おぉ、あんなの大きく口を開けて……」
「腰の動きもあんなに激しくなって……」

村人ぉ!わざとか!わざと言ってんのか! 言葉だけ聞くと俺がすごくエロい事をやってるようにしか聞こえないぞ!

そんな俺の心の叫びを無視して、俺の身体の動きがピタリと止まる。 そして静かに腕を天に向ける。
深く息を吸い込み、天に顔を向ける。 

「はぁーーっ!!」
一気に呼気を吐き出し、手の平から天に向かって頭上の気を押し上げる。

     『おぉっ!!』
村人の歓声と共に気が光となって顕現し、天に伸びていき、そして俺の身体を中心に波紋のように光の輪が広がっていく。 村の全てを飲み込むように。

ぱぁんという破裂音が聞こえたような気がした。 同時に神社の山の上を一陣の風が奔り去って行く。

そして、静寂に包まれる。 あれほど喧しかった村人達も口を開く者はいない。 

「結界が…… 消えている」
お父さんが呆然と呟く。

「本当だ。 村を包んでいた気が感じられない」
お父さんと話をしていた老人が周りを見渡す。

「本当に呪が払われたのですか?」
西村さんがお父さんに尋ねる。

「俊秋さん、蔵の確認を……」
村長の言葉にお父さんが宝物庫らしき蔵に走っていく。

終わったのか。

『帰蝶、見事な舞いだったよ。 呪が払われて改めて判ったよ。私は村の呪に本当に捕らわれていたのだと。 これで安心して逝ける。 村は呪から解放された。 これからは普通の村として歩んでいけるだろう。 はからずも道三殿の"村人を隠れ里から解放する"という望みも叶えられました』
男性の言葉に俺の目から涙が伝う。 500年来の夢が違った形ではあるが成就された……

『そう…… 思われますか?』
そう言って俺の身体は男の胸に抱きついていく。

『あぁ、見事だ』
そう言って俺の頭を慈しむように優しく撫でる。 俺の目から涙が流れる。

そして、俺の両肩に手を置くと俺の身体を村人達の方に向けさせる。

『私の遠い子孫、一族の末裔達よ。 姫をよろしく頼み申し上げます』
そう言って深く頭を下げる。

それに応え、おずおずと頭を下げる村人達。

『それでは姫。 私はこれでいくよ。 あなたは今生での人生を楽しみなさい。 前世で縛られ、得られなかった女の幸せを充分にあじわいなさい』
優しく俺に微笑みかけると、男性の姿は徐々に光の粒となり天へと昇っていく。

『おにいさまっ!』 

『ありがとう、帰蝶』
それが男性が俺に掛けた最後の言葉だった。

そして男性の支えを無くした俺の身体にどっと疲れが襲い掛かり、玉砂利の上に崩れ落ちる。

「清彦っ!」
「大丈夫〜?清彦さん?」
秋奈とお母さんの声が聞こえる。 だから、お母さん、もっと緊張感を持ちましょうよ?

「中に! 秋奈ちゃんを部屋に運ぶんだ!」
「医者! 誰か佐藤さんを呼んでこい!」
「私はここに居る。 誰かウチにいって診療鞄を取ってきてくれ!」
数人の声が聞こえたかと思うと身体が抱きかかえられる気配がした。 

そして、俺の意識はブラックアウトした……



(続く)








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