teruさん総合
『皮剥丸異譚』 4.罪と罰 一ヶ月ぶりにお山での修行を終えて帰って来た私は父に本殿まで来るようにと呼ばれた。 「俊香、お山での修行は無事に終わったようだな」 広い神社の本殿に二人きりで正座で向かい合う父と私。 「ご苦労だった」 「父上、なにか私に問題がありましたか?」 俊秋というのは今年大学を卒業して都会から帰ってきたばかりの私の弟でこの神社の跡継ぎだ。 「出奔? どういう事です?」 「行方不明ですか?」 「それでは誰かをやって連れ戻せば?」 「それではどうするのですか?」 「最終通告?」 「放逐ですか?」 「はい。 ……今は俊秋だけが跡継ぎの資格がありますが」 「そこで俊秋が帰らないとあれば、罰を受けてもらう事になる」 「これだ……」 「これは確か宝物庫に収められている皮剥丸……」 「そうだ。 これを使って俊秋には龍神神社の跡継ぎの座を他の者に譲ってもらう。 俊秋には代わりに譲った側の人間になってもらう」 「一体誰が俊秋の代わりを……」 「……私、ですか?」 「私が俊秋に成り代われ、と?」 一族の法の番人たる龍神神社が法を破るわけにはいかないと言う事か…… 「わかりました。 俊秋の元に説得に参ります」 翌日には私は俊秋の住む街へと向かった。 * 「ちょっと、俊秋!どうしたの!?」 「……姉さん?」 やはり俊秋は女に騙されていて、女の兄だと騙っていた男と共に有り金を全て巻き上げられていたのだ。 「悔しいよ、姉さん。 僕は本気でユカリさんの事を愛していたのに……」 「いや、もういいよ。 ユカリさんのあの憎々しげなあの顔を見てしまったら…… ウチに帰るよ」 私達は次の日の朝に故郷に帰る事にして、その日は俊秋のマンションに泊まった。 しかし、俊秋の様子が変わったのはその夜だった。 俊秋がおかしなイビキを掻いて寝ている事に気づき起こそうとしたが目を覚まさず、救急車を呼んで病院に着いた頃には俊秋は亡くなってしまった。 医師が言うには頭に何らかのショックを受けて脳内の血管が破裂したらしいと言う事だった。 弟の死はショックだった。 しかし、私には他にやる事が残されていた。 跡継ぎ資格の移譲…… しかし、いくら掟とはいえ、死んだ弟の皮を剥いで着るという行為には躊躇が残るし、私としても女を捨てねばならない事に躊躇いはある。 一族の息が掛かった病院で弟の身体に無駄な延命治療を施してもらい、私はマンションに戻ってきた。 ウチの一族は遙か祖先を辿れば色々な事情で都を覆われた陰陽師や呪術師達だ。 山奥の隠れ里で都からの目を逃れ、術や技術を磨いた陰の存在だ。 絶えず目立たない陰の存在として生きてきた。 それがある時、ある親娘が一族に日の当たる居場所を求め、実際にその手に入れかけた。 しかし、それを良しとしない一族はその野望を阻んだ。 陰陽師が日の当たる場所に出れば厄災が降りかかるのは必定として、それ以来、一族の技術や人々を管理する役割を我が龍神神社が担ってきた。 近年になって一族の者達も外に出るようになり、秘められた技術を使い、少なからず成功を収めてきている。 この街にも一族の者達が人知れず紛れ込んでいる。 不動産業者、病院、法律事務所…… これからは村の中ばかりではなく外の世界にも目を向けていなくてはならないと父も俊秋の見聞を広めるために街の大学に進学させた事が裏目に出ようとは…… 「それにしても私が俊秋か…… 正直、気が進まないなぁ……、24年間、男も知らずに純潔を守ってきた私自身が男にならなくてはならないとは…… ………… 逃げちゃおうかなぁ……」 どうせ、我が一族もそう長くは持たないだろうし。 技術も失われ、呪具を扱うことができる者に至っては昔は村人の誰もが使えたのに今では神社の者だけになってしまっている。 そして、次に目覚めた時、私は居酒屋のオヤジに犯されていた…… 「え!?ちょっと何をやってるのよ!やめて!やめてってば!」 「痛い、痛い、やめてよ。お願い、いやぁ!」 「すいません。でも身体が止められなくって。すいません、一回だけでいいですから」 巫山戯た事を言う男に私は叫ぶ。 私の抗議も虚しく男の精が私の中で爆発する。 その瞬間、私が24年間守ってきた全てが心の中で崩れた。 その後、事の重大性に気づいた男が私の前で土下座して謝ったが、もう遅い。 神社の巫女としての資格(処女)を失ってしまった…… 目の前で謝る貧相なオヤジを見ていて思った。と言うか開き直った。 このオヤジには罪を償ってもらおう。 幸い(?)にも皮剥丸を使ってみた事はない。 私はのろのろと立ち上がると男に尋ねる。 * 「ただいま」 「え?誰?」 「え?俊香さん? どうしたんですか、その姿は?」 「それなら弁護士の長井さんの所でやってくれますが、なにを?」 「俊秋さんを継がれる決心がついたんですか。 俊秋さんにはお気の毒でしたが、おめでとうございます」 「それと、ひょっとして私の姿をしたマヌケが私の事を探しに来るかも知れないから適当に誤魔化しておいて」 その深夜、私は病院に行き、一族の担当医に命じて俊秋の遺体から皮を受け継いだ。 * 翌日にはあのオヤジの免許証を使って俊秋の遺体を故郷に返し、父に状況を簡単に説明するとマンションへと帰った。 そして私は部屋を移し、そこで俊秋の仇の情報を待った。 一度などはエントランスにいた私に向かって俊秋の情報を求めてきた。 考えてみればこの男は俊秋の顔を知らないのだった。 目の前にいるのが本人と気づかないとは哀れなものだ。 私は笑顔で自室に招いて話を聞いてやろうとしたのだが、逃げてしまった。 ノコノコと部屋に付いてくれば私と同じ目に合わせてやったのに残念な事だ。 その後もマンションの窓から聞き込み歩く私(男)の姿を何度か見かけたが、あまり興味は無かった。 やがて、俊秋の仇の情報が手に入り、オヤジの皮をユカリに着せ、ユカリの身体の皮をヒロシに着せる事で私の復讐は完了した。 後は二人がどうなろうと知った事ではない。 私は復讐が終わるとさっさとあまり良い想い出がないこの街を後にし、地元に戻った私は俊秋として神社を継ぐ事が決定し、俊秋の遺体を私として葬った。 自分の葬式に参列するというのも不思議な気分だったが、俊秋として生きるケジメにはなった。 * それから半年…… 「まぁ、一族の事業にも問題はないようですね」 元々、問題が起きて私達が乗り出すような事はそうは起きないものなのだ。 たまに経営が悪くなったりした者に経営が順調な所から運転資金を回すといったくらいの事はするが。 私はふと気づいて、報告を終えて立ち去ろうとするあのマンションの管理人をやっていた一族の男性に声を掛ける。 「あの二人?」 「あぁ、あの二人ですか。 知らなかったんですか、俊秋様。 ユカリは翌日、遺体となって発見されました。 どうも慣れない身体で非常階段から逃げようとして足を滑らしたようです」 「ホテルの宿泊費を持ってなかったんですよ。 警察はユカリが昏睡強盗をやらかして逃げたからだとみて行方を追っているようですが、後から色々な余罪が浮かび上がってきているようです」 「アキラという似たような男の元でペットのように扱われていましたが、すっかり飼い慣らされた今ではソープ譲として働かされています。 ヒロコちゃんはかなり人気が出ているようですよ。 裏の情報では積極的にホンバンを行うとか…… 実は私も一度様子を見に行ったのですが、かなりのテクニシャンというか……」 「困りますね。 警察の手入れに合わないようにしてくださいよ?」 「へぇ?媚薬なんて飲まされたのか。 気の毒に」 「おや?あなたの持って来たのは媚薬だったんですか?」 「ふふふ、思い込みって怖いねぇ」 そうか、ユカリは転落死。 ヒロシはヒモ付きのソープ嬢に身を落としたか。 「あ、そう言えば。 私の皮を着たあの男はどうなりました?」 「なんだ?その顔は? まぁ、自分の皮がどうなったかは気になるじゃないか?」 「幸せに?」 「ユカリの…… 自分の皮が遺体で見つかったことでもうその姿で生きていかなくてはならないと腹が据わったんでしょうなぁ。 自分の葬式を出した数日後に私の所に手土産を持って挨拶に来ましたよ。 今まで迷惑を掛けてすみませんでした、って」 「そりゃ、かなりしつこく私の所に通ってましたからね。 俊秋さんの事についてなにか手がかりはありませんでしたか、って」 「えぇ?受け取りましたよ。 相手の謝罪の気持ちですし?」 「もうお腹の中ですよ。 俊秋さんの」 「…… え?私の?」 「あぁ、あれね。絶品だった。 どこで買って…… って。 え?まさか……」 「ち、ちょっと待って! 私はお菓子一つであいつのした事を赦す気は無いぞ!」 「と、当然よ。 それで、あいつは今どこで何をしてるの?」 「自分の家で居酒屋をやってますよ」 「確かに自分があの居酒屋のオヤジだと主張しても息子さんには信じてもらえなかったようですね」 「息子さんのお嫁さんになったようです」 ぶっ!! 「はぁぁぁ!? 嫁にぃ? 父親のくせに自分の息子の嫁になったですってぇ?」 「まぁ、血縁的には問題はありませんよ。 俊香さんの皮を着てしまったので彼の身体は俊香さんの身体へと浸食、変化しているはずですから」 「そこまで言ってやるのは可哀想ですよ。 彼だって生きていくためには仕方がなかったのでしょうし、脳の方も女性ホルモンの影響を受けているはずですから、守って貰える存在を無意識に求めるのは当然の帰結かと?」 「彼の奥さんは15年前に鬼籍に入っています。 それ以降は一人で息子さんを育てたそうですよ? ちなみにご近所での評判は決して悪くはなかったようです」 「…… 何が言いたいの? ひょっとしてあいつの事を弁護してる?」 「建前はいいから言いたいことがあれば言いなさいよ? 内輪の話として聞いてあげるから」 「えぇ? 俊秋さんに意見を言うのは恐れ多いですねぇ」 「私は別に言うつもりはなかったのですが、彼女の話が出たのでついでに言って見ただけなんですが。 「呪具を使った罰は一族の中でだけ使われるのが通例ですよね?」 「それに宮司が俊香さんに皮剥丸を渡した本来の目的は、俊秋さんの説得が叶わなかった場合に俊秋さんと入れ替わる為ですよね?」 「外の人間に皮剥丸を使う為ではありませんよね? 呪具の存在を外に漏らさないのは鉄則ですから?」 「うううっ、私が禁を犯したと?」 「そ、そうよね? 皆が認めてるんだから問題はないわよね」 「でも、私としては私的な恨みで皮剥丸を使ってしまったのはどうなのかなぁ?と」 「いいじゃない!皆が認めてるんだから。 アイツのやったことは最低なことよ。 俊秋になった今でも股間にペニスを突っこまれた痛みが忘れられないのよ! 幻肢痛の一種かしらね。 あなた、あの痛さが判る?判らないなら誰か村の娘と身体を入れ替えて体験させてあげましょうか!」 「いや、それって逆ギレというヤツじゃないんですか?」 「逆ギレでなにが悪いの? 私はアイツに酷いことをされた。 復讐するための最適な手段がそこにあった。 それでいいじゃない?」 「愚問ね」 「そりゃ、今の私は男で、龍神神社の跡を継ぐ者としては子孫を残さないといけませんからね」 「………… 妙に絡んでくるわね? 何が言いたいの?」 「いやぁ、なんといいますか。 彼、と言うか彼女のいる居酒屋へは俊秋さんのことが縁で何度か飲みに行くようになったのですが…… 意外にお人好しの善人に見えるんですよね、彼女。 俊秋さんの話に聞いたような鬼畜な見境無しの強姦魔には思えないというか。 近所の生前の居酒屋のオヤジとしての評判も悪くはないですし。 女性の姿に変えられて息子の嫁として店で働いている姿が健気というか……」 「だから、赦してやれと?」 * 「本当にただ様子を見るだけですからね?」 「はいはい、わかってますよ。 それじゃ入りますよ」 「いらっしゃいませぇ!」 「双葉さん、今晩は」 「いや、今日は連れがいるのでテーブル席がいいんですが。奥のテーブルは空いてますか?」 「前に一度、マンションでお会いしましたね」 「あぁ、そうそう。あの時は変な事を聞いてすいませんでした」 「いえ、いいんですよ」 「そうなんですか。それじゃ奥の席の方が落ち着きますよね、ごゆっくり」 そうも大きくはない店の中は混雑はしていないが適度に繁盛していた。 「なんであんなに活き活きとしてるんだ?全くの別人になって絶望に包まれてるはずなのに?」 「順応しやすいって……女よ、女。 今まで男として生活してきた基盤が根底から覆されたはずなのに」 ジーパンにTシャツの上からエプロンをして笑顔で軽口を叩きながら客の注文を取っている元オヤジの姿を見つめる。 それなのになんだ、あの姿で、あの態度は? 常連客とおぼしき男と笑っている姿が腹立たしい。 ……しかし、その姿は私なのだ。 私が幼い少女の頃に夢見た光景がそこに合った。 「なんだか本当に腹立たしいわね? なんで居酒屋のオヤジが幼い頃の私の夢を叶えてるの!?」 「羨ましいんですね?」 「お待たせしましたぁ。 あれ?どうかしたんですか?」 「いえ、何でもありません。 それにしても楽しそうですね?」 「まぁ、毎日が充実してますからね」 「双葉!こっちも出来たから持って行ってくれ!」 「そう言えば"双葉"って?」 「あぁ、なるほど。 それじゃ彼女の世間的な立場はどうなってるの?」 「じゃあ、息子の嫁になったというのは?」 西村とご飯を食べながら双葉の様子を眺める。 「ねぇ?アイツのこの店での立場ってなに?」 それで悩みはないのだろうか? 罰としては機能してるけど……、なにか納得がいかない。 「なにか納得がいかない顔をしてますね? 幸せそうなのが嫌ですか?」 「じゃ、ちょっと呼んで話を聞いてみますか? 幸いにも今は客も少なくなってるようですから」」 「双葉さぁん、ちょっといいですか?」 「いや、双葉さん。 今、少し時間はありますか?」 「双葉さんって記憶喪失になって自分の生まれた所も家族のことも忘れてしまったんですよね?」 「えぇ、まぁ。 そうですけど」 「あれ?違ってるんですか?」 「そいつは俺のオヤジなんだそうですよ」 「もう!紀善さんったら!」 「いいじゃないか、話してやれよ。あの愉快な話を」 「愉快な話? それは興味があるなぁ。 話してくれませんかね?」 「どうせ誰も信じてくれない馬鹿馬鹿しい話ですから話しても無駄なんですけどねぇ。 なんでそんな話を聞きたがるんです?」 「あぁ、そう言うことですか。 確かにネタにはなるかも知れないな……」 「あぁ、確かに小説のネタにはなるかも知れませんね。 突然押し入ってきた女に皮を剥ぎ取られて、代わりにその女の残した皮を着ただなんて荒唐無稽さは」 「うるさいな。誰も信じてくれないけど本当なんだぞ。……って言っても無駄なんだろうけどな」 つまり…… いくら真実を語った所で誰にも信じてもらえずに今や諦めの境地に至っていると言う事か。 「面白そうだけど、女が突然押し入ってきて皮を剥いでくって所にリアリティがありませんねぇ?」 「まぁ、そうなんですけどね」 「なにかその辺りを補完する事情が欲しいですねぇ」 「双葉、ちょっと出て来るから番をしていろ」 「いいんだよ。おまえはそこでお客さんの接待でもしていろ」 「ばか……」 「ウソなんですか?だったら誰にやられたんですか?」 「その女性はお客さんだったんです。初めてきた一見のお客さんで酔っ払って寝てしまわれて。 それを私が……」 「それをあなたが?」 「まさか、襲ってしまったとか?それって犯罪じゃないですか?」 そりゃまぁ、生まれてからずっと修行に明け暮れながら、身体にも磨きを掛けてましたからね、その身体は。 と言うか、あなたちょっと肉が付いてきてるんじゃないの? まぁ、皮をあんたにやってしまったからどう扱おうとあなたの勝手だけど。 「それで相手が怒ってあなたの皮を剥いでしまったと?」 「でも、そんな話を赤の他人の私達に話してしまっていいんですか? どこかで言いふらしてしまうかも知れませんよ?」 そりゃそうだ、信じるわけがない。こいつだって私達が完全に信じると思って言っているわけではないのだろう。 「その女性に謝らなかったんですか?」 「謝りましたよ。我に返った時に大変な事をしてしまったと土下座して謝りました。でも、彼女はすごい形相で怒りは収まらなかったようで……」 「まぁ、私の謝り方も悪かったんだと思います。賠償はいくらでもしますから警察だけは勘弁して下さいとその場に及んでも保身に走った謝り方でしたからね」 「それで彼女がバッグから取りだした短刀で私の背中を突くと皮がパックリと割れてまるで全身タイツのように皮が剥がされてしまったんですよ」 「でも確かにそれだと説得力は出て来るな。でも、それって双葉さんがやったことは完全に犯罪ですよね。 いいんですか、私達に話してしまって? あぁ、誰も信じない話だから話してくれたんでしたね」 「まぁ、それもあるんですけど…… なんだろうな?あなたには全てを話した方がいいような気がするんですよね。 本当になんなんだろ……」 あぁ、そうか。多分、本人の意識に寄らずとも、皮が本来の肉体を持つ私にまだ反応するんだろうな。 「ただいまぁ」 「まぁ、私の男としての最後の懺悔だと思って聞いておいて下さい」 「最後?」 「仕方がない?もう戻れないからですか?でも、その女性を見つけ出して誠心誠意謝れば赦してもらえるかもしれませんよ?」 「いえ、その女性は死んでしまっているんですよ。 私の皮を着た状態で転落死したんです。 ですからもう謝りようがないんです。 警察は事故だと言ってましたが彼女は私が殺したようなものかもしれません」 あ、こいつ、こいつの皮を着て死んだユカリを私だと思っているのか…… こいつのやらかした事に対する報復については謝る気はないけど、私の行った行為を肩代わりして罪の責任を持たれるのはちょっと不本意よね。 ちょっと複雑な気分で私は残ったビールを口に運ぶ。 「まだ言ってるのか? オヤジが死んだのはお前のせいじゃない。 警察の人が言ってたろ。 オヤジはTS病に掛かってちょっと精神が混乱してたんだって」 「TS病?」 そんな病気があるとは初耳だが、そうか、そういう事になっているのか。 確かに皮を着せたばかりの身体には二つの性器があってもおかしくはない。 つまり何も知らない人間からしてみれば奇病を発症したとうつるわけか。 「だから仕方がないのですか」 「いえ、まぁ、それだけじゃないというか、男でいることをあきらめる理由は他にあるんですけどね」 「こいつ、赤ちゃんが出来たんですよ。 だからもう世迷い事を言っていても仕方がないんですよ」 「え?ご懐妊ですか?それは…… おめでとうございます」 いやいや、確かにその身体は私の皮に浸食されてしまって時間も経っているから完璧に女性化してるんだろうから妊娠も可能だけど…… それにしても自分の息子の赤ちゃんを孕むかぁ? 「いやだ。二人してお腹を見ないで下さいよ。 さすがにちょっと恥ずかしいですから」 「いや、あなた。あなたの言う事が正しいとしたらそのお腹の中に自分の孫がいるってことでしょ? いいんですか?」 「…………」 "普通に結婚したい、赤ちゃんが欲しい" 私の皮を着て心身共にその影響下にあるこの女。その腹の中の子供はある意味、私の子供とも言えなくはない。 「……でも、息子の子供を産むというのは普通の結婚とは違うか?」 「え?なにか?」 「いえ、べつに。 ところでご主人は奥さんの話はまったく信じてないんですか?」 「え?いや、ナイフで人の皮を剥ぐなんて信じる信じないの問題じゃないでしょ? ましてやその皮を服みたいに着込めるなんて?」 「つまり、奥さんの話をまったく信じてないと?」 「わかってるよ!散々説明したのにまったく信用しないんだからあきらめたよ!」 「まぁ、お前をオヤジと認めたら赤ちゃんなんか作れないだろ?」 「父さん孫の顔が見たいって言ったよね?」 「俺の子供が産まれるんだぞ。これが嬉しくないわけがないだろ。お前は嬉しくないのか?」 「がんばってね♪」 「がんばってね、じゃねぇよ。お前は父親を孕ませて何とも思わないのか?」 「なんだか面白い夫婦ですよね」 私を犯した居酒屋のオヤジはそこには居なかった。目の前には小さな居酒屋を営む幸せそうな夫婦がいるだけだった。 姿形が私と言う事もあるのだろう。 「双葉さん?今の話が本当だとして。女性になって良かったですか?」 「え?いやぁ、よくはないですよ。 身だしなみに気を使えと命令されるは化粧をしろと迫られるは、服は清潔に、洗濯しろ、掃除しろ、飯を作れ……」 多分、普段から店主に言われ続けているのだろう。 よくよく見てみれば双葉は薄いながらも化粧をしていた。口には淡い色のリップが塗られている。この元男は毎朝どんな気持ちで化粧をしているのだろう。 「店の常連客はすぐに尻を触ってくるし、外に出ればジロジロとスケベな目で見られる。胸は重い、尻はでかい!月一で生理は来る!」 「生理は俺が止めてやったじゃないか?」 「イヤなのか?」 「不本意ながらイヤじゃないのが最大の悩みだよ!お前にわかるか? この恐ろしいほどの不安と同時に幸福感が同居してる気持ちが! だから私は男だった事を忘れることにしたのよ!」 うん、合格。 女としての理不尽さは痛感しているようだ。 たぶん、あなたはいくら忘れようとしてもこの先もずっと男であった過去を忘れられないでしょう。 「うん、なかなか面白い話を聞かせて貰いました」 「あはは。小説のネタになりますか?」 「期待してますよ」 「で、どうでした?憎いレイプ犯の現状は?」 「まぁ、いい気味よね? 女としての不自由さは充分に感じてるようだし? 妊娠、出産の恐怖に怯える姿は小気味よかったわ」 「あの男が皮の影響を受けすぎているのよ。 自分というモノをしっかりと持っていればあそこまで精神も女性化したりしません」 「赦せはしないけど、これ以上の罰は必要ないでしょ?」 「あの男は放置でもいいけど……、そうね? 弁護士の長井さんに連絡をして偶然を装って双葉の戸籍を何とかしてあげて下さい」 「か、勘違いしないで下さいよ。これはあの男の為じゃありませんよ。 あの腹の中にいる赤ん坊の為の処置ですから!」 「あのお腹の中の命に罪はないでしょ?罰せられるのはあの男であって。 だから、生まれてくる命に罰の影響は与えない為です。 それにその赤ちゃんは私の皮が産むのですから私の子供だとも言えますからね? 私としては私の子供が私のせいで不自由な思いをするのは不本意ですから。というか、それはあの男に復讐され返してるようで不愉快! アイツの腹の中の子供は何不自由ない生活環境を整えます」 「ツンデレじゃない。 正論を言ってるだけです! 私の言っていることは間違っていますか?」 「うん?まぁ、そうですね……」 「もう一度、念のために言っておくけど、本当にあの男の為じゃありませんからね」 「本当よ!これはいわば先行投資というか保険なんだから!」 「ウチの中で呪具を使えるのはもう父さんと私だけでしょ? 私に子供が出来なければその力は失われてしまう事になる」 「うるさいな。わかってますよ、性の変更による弊害が残ってることは」 「それで?」 「えぇ?それはこじつけがすぎませんか?確かに可能性が無いわけではないでしょうけど」 私はそうして若い夫婦が営む居酒屋を後にしたのだった。 二十数年後、私の言った苦しいイイワケが現実のものになるとは知らずに…… E N D |