teruさん総合






               『皮剥丸異譚』


               1・過ちの代償


「お客さん、お一人ですか?」
俺はおしぼりを出しながらカウンター越しに若い女性に声を掛けた。
それは俺がやっている居酒屋には似合わないタイプの女性だったからだ。

「えぇ、それがなにか?」
カウンターの奥の隅に座り、ハンドバッグを脇に置いて顔を上げて応えたその顔は場末に居酒屋に似合わない美女だった。

「いえ、ウチみたいな居酒屋に一人で来るような女性には見えなかったもので」

「おかしいですか? ちょっと人を探していましてね。今日まで色々な場所を巡ってたんですよ」
そう言って、疲れたような顔でため息を付きうつむく。

「あぁ、人捜しですか。それで見つかったんですか?」
「まぁ、手遅れでしたけどね。さてと、この後はどうしようかなぁ……」
そう言いながら、憂鬱そうに何かを考え込む女性。

俺は彼女の注文した品を出すと他の客の接待に追われた。


普段なら息子の紀善が店を手伝ってくれているのだが、今日は友人の結婚式に出掛けていて留守にしているので俺一人で全てをやらなければいけないから多忙を極めた。

せめて妻がいれば楽だったのだろうが、妻が病気でこの世を去ったのは15年前だ。
当時、中学生だった息子を男で一つで育てながら居酒屋を経営し、息子も厨房に入るようになり一人前に料理も作れるようになったのは少し前からだ。

「せめて紀善が嫁さんでも貰ってくれていれば楽だったんだろうが…… 未だに独身だしなぁ。 せめて今日の二次会でいい女性でも知り合って来ないものかな? まぁ、この調子じゃ孫は夢のまた夢だな」
俺はテーブルの上の皿をカチャカチャと片付けながらつぶやく。

店を息子に任せ、俺は孫の世話をして暮らす。 俺の密かな夢だが叶うのはいつの日か……

「さて、客も一段落付いたし今日はもう客も来ないだろうから店じまいにするか……」
「うぅん……」
妙な声にカウンターの片隅を見るとさっき来た女性がカウンターに突っ伏していた。

どうやらカウンターの台の影になって気づかなかったようだ。
「お客さん?そろそろ閉店ですよ?」

「うぅん……」
女性は完全に酔っているのか、完全にダウンしている。見れば銚子が1本テーブルに倒れている。

「お銚子一本ならウチの客の中では飲んでるうちにはいらない量なんだが、弱かったのか?」
「うぅん、なんで死んだのよ、バカ……」
女性が寝言をつぶやく。

「人を探してたって言ってたが……、ヤケ酒か。恋人でも亡くなったのか…… もしもし?お客さん?」
肩に手を置いて揺らしてみるが起きる気配がない。

「お〜い、お客さん!」
強めに肩を揺するが、それでもまったく起きる気配がない。

「弱ったな。このまま、店に置いておくわけにも行かないし…… 奥に寝かせておくかな?」
俺は奥の小宴会用の座敷に布団を引くと女性を抱き上げて奥に運んだ。

「よいしょと…… 服は着せたままでいいだろうな。 ヘタな事をして訴えられても困るからな。 掛け布団はまだいいか。 すぐに起きるかもしれないし?」
白いブラウスに青のスカートのままで無防備に寝ている女性を見下ろしながらため息を付いて、店の片付けに戻る。

               *

店の片付けを終えてカウンターの椅子に座ってお茶を一杯啜って一休み。

プルル、プルルルル……
その時、店の電話がいきなり鳴った。

カチャ
「はい、居酒屋きよちゃんです」
「あ?親父?オレオレ!」

「紀善か?なんだ?」
「今、三次会が盛り上がっててさ。これから田中のアパートに寄って飲む予定なんだけど、今日、田中の所に泊まっていっていいかな?」

その様子ではグループの中に女っ気はないんだろうな。
「あぁ、いいぞ。店の片付けももう終わったし、帰りは明日でも問題はない」
「わかった、それじゃ」
そう言って紀善からの電話は切れた。

「と言う事は今晩は俺一人か……」
そうつぶやきながら奥の座敷の障子を開けた時……

布団の上に寝ている彼女の事を失念していた。
寝相があまりよくないのか、スカートは際どいところまで捲れ上がり、ブラウスは上のボタンが外れていた。 

白くなまめかしい太腿と豊満な胸がいい歳した親父にはなかなか眩しい。
ゴクッ、思わず生唾を飲み込んでしまう。

「うぅん」
彼女が身体を横に向きを変え、足を入れ替える、その拍子に更にスカートが捲り上がり、白いショーツが露わになる。

「し、下着が見えてますよ?」
俺はスカートを直そうと彼女に近づき、その裾を摘む…… 
妻を亡くして15年……、その間、ずっと生活に追われて女性とお近づきになるヒマなんかなかった。
ましてや……若い女性なんて……

気づけば俺はスカートを直すどころか、更に捲りあげていた。 白い下着に包まれた丸いお尻が完全に目の前に出現する。 俺は一体何をしようと……

「くうん……」
何も知らずに彼女は再び身体を仰向かせる。無防備に眠る彼女の顔が俺の心に悪魔を呼び込む。
ブラウスを盛り上げる豊満な胸がから目が離せない。

「ゴクッ、こんな場末の居酒屋のオヤジの前で無防備に寝込むって事は、何をされても文句は言えないんじゃない、のか、な……?」
俺は彼女の胸元に手をやって、そっとボタンを外していく。やがて白いブラに包まれた胸が……

その時、俺はどうかしていたとしか思えない。
普段通りに息子が居ればこんな事をするなんて夢にも思わなかっただろう。

俺は夢に浮かされるように彼女を下着だけにしていた。
若い綺麗な色白な女体はシミ一つなく、そのスタイルも服の上からも判るとおり申し分なかった。

俺は自分も服を脱いで彼女の身体にのし掛かっていった。

               *

「え!?ちょっと何をやってるのよ!やめて!やめてってば!」
彼女が気づいたのは俺が彼女の身体を弄んでペニスを秘所に挿入した瞬間だった。

「痛い、痛い、やめてよ。お願い、いやぁ!」
彼女が俺を押しのけようと俺の顔に手を付いて必死の抵抗を試みる。

「すいません。でも身体が止められなくって。すいません、一回だけでいいですから」
「なにが一回だけよ、巫山戯ないで!すぐにその身体を退けないと大声を上げるわよ!」
彼女の抗議にはもうわけないが、この商店街も過疎化の波が押し寄せて両隣はすでに空き家だ。 いくら声を上げたところで人の耳に声が届く事はないだろう。
 
俺にもう少しお金があればもっと人通りのある表通りに店が出せるのだが。 そうすればこの女性もこんな寂しい居酒屋でくたびれたオヤジに襲われる事もなかったろうに……

「イヤ!ちょっと!だめぇ!あ、あぁぁ……」
俺のペニスが白濁を彼女の中にぶちまける。 
彼女が涙目でそれを受け入れ、大きく口を開けて小さな悲鳴を上げる。

               *

「すいません、すいません、すいません。 出来心だったんです、つい、魔が差したというか……」
正気に戻った俺は裸のまま彼女に土下座していた。

彼女は同じく裸で、上に毛布を巻き付けた状態で布団の上に座り込んですさまじい形相で俺を睨みつけている。 俺がした事を考えれば当然の事ではあるが……

彼女の中に出してしまった事で急速に頭が冷えた俺は自分のしでかした誤りの重大性を自覚した。
俺は必死に彼女に謝った。

「出来心、魔が差した? そんな理由でこの私は処女を奪われたの?巫女の私が処女を奪われておめおめと帰れると思ってるの?」
冷たい声で俺を糾弾する彼女。

「すいません、警察だけは。警察だけは勘弁して下さい。 賠償はできる限りさせてもらいますから。俺に出来る事なら何でもしますから」
俺は必死に謝った。 しかし、彼女は俺を睨みつけながら何事かをじっと考えているようだった。

「私のバッグはどこ?」
「そこのタンスの前に…… 警察にだけは連絡しないで……」
俺の声を無視するかのように背後にあるタンスのそばにある自分のバッグを引き寄せる彼女。

「まぁ、警察に訴えるのは赦して上げてもいいけど、あなたに出来る事なら何でもしてくれるのよね?」
「は、はい。俺に出来ることでしたら……」

「そう。まぁ、おかげで私もこの身体に未練がなくなったし…… とにかく服を着ましょうか?」
そう言ってバッグを持って立ち上がる彼女。

そう言われて、改めて俺も裸のままである事に気づき、立ち上がりトランクスをつまみ上げると穿く為に彼女から背を向ける。

その時……

トスッ
背中に何かの衝撃を受け、その瞬間俺の全身に激痛が走り、バタンと身体が倒れ込む。

「え?な、なにが……」
「何でもするって言ってくれたでしょう?」
素っ裸のままの彼女が冷淡にそう言って俺を見下ろす。その右手には短刀のようなものが握られていた。

10pほどの紋様の入った柄に5センチほどの刃が付いている小さな短刀だが、裸の男を殺すのには充分な殺傷能力はあるだろう。

「さ、刺されたのか?」
俺はここで殺されるのか?

「あぁ、大丈夫。この短刀に殺傷能力はないから。 人は刺せても殺せない。 ウチの神社に伝わる呪具"皮剥丸"の特長なのよねぇ」
そう言って彼女が俺を刺した短刀の刃を眺めて冷酷な目で微笑む。 俺にはその笑顔が恐ろしかった。

「かわはぎまる……?」
「そう。人の皮を剥ぎ取る為の呪具よ?」
そういうと力が入らない俺の身体をうつ伏せにして、首筋に刃を突き立てて腰の辺りまで引き裂く。

「うわぁぁぁ!」
「痛いでしょね?使う資格をを持たない一般人には。 でも、その痛みは肉体的な痛みじゃないのよ? 
精神的な痛みと言えばいいのかしら? その証拠に皮剥丸にもあなたの身体にも一滴の血も付いてないでしょ?」
そう言って俺の身体を再び仰向けに返してキラリと光る短刀の刃を見せる。

確かに短刀の刃には何も付いてなかった。 俺の身体がどうなっているのかは背中側であるから見えないが未だに激痛はあるものの意識は飛んでいないから本当なのだろう。

「信じられない?じゃあ、これならどう?」
そう言うと女は自分ののど元に短刀を突き刺し、一気にヘソの下までその刃を引き下ろす。

「ひぃぃ!」
その恐ろしい行為に俺の喉から枯れた悲鳴が漏れる。

「大丈夫だって言ったでしょ? それに私には呪具を使う資格があるのでアナタのように激痛も感じないし、倒れたりもしない」
確かに俺の視界に入った彼女の喉元から下半身に向けて赤い筋が一直線に走ってはいるが、しかし、そこからは血が一滴も流れていない。

「な、なんの為にこんな事を……」
彼女の意図がわからない。

「私はね。ある山奥の大きな神社に生まれたの。 その神社はとっても特殊でね。と、言っても何百年も前の話なんだけど。 その神社は属する民の賞罰を執行する役割を担っていたのよ。 罪を犯した住民の刑を執行したりね」
「け、刑の執行?」
俺の額からイヤな汗が流れる。

「そう。今のように法整備ができてない昔、独自の刑が執行されたのよ。 そうね、例えばこの呪具を使って行われたのは……」
妖しげに俺を見下ろして微笑む彼女に恐怖を覚える。

ゴクッ

「獣のような犯罪を行った者の皮を剥いで、新たに本物の獣の皮を着せる。 そうすると、この呪具を使わない限り二度と脱ぐことができなくなるの。 そしてどこかの山に追放。 犯罪者は文字通り獣として生きていくしかなくなる…… 着せられた皮はやがて身体を浸食して本物の獣と変わらなくなるの」

「バカな?そんな事が出来るはずが……」

「まぁ、他にも、その権力に相応しくない者がその座を別の者に明け渡す為に新たな権力者と密かに身体を入れ替えて権力の委譲を行ったりしたりもするんだけど、この場合は関係ない話よね」
皮を剥ぐ?どういう事だ?

「さてと。そろそろ呪が身体に廻りきったようね」
そう言うと、俺の腕に手を伸ばし引き起こされようとするが……

ズルッ…… パタン
俺の身体が布団の上に彼女の手から滑るように落ちる。

「え?え?」
何があったんだ?見上げる彼女の手には何か皮のような物が握られている。

「うん、成功ね。 私も初めて使うからちょっと不安だったんだけど」
そう言うと俺の腕(?)を離して、今度は足下に廻ると足首を持ち上げて引っ張る。

ズルッ、ズルズルズル……
身体がずれるように何かが俺の身体から引き離されていく。

「ほら?剥ぎ取れたでしょ?」
そう言って俺の前に剥ぎ取った皮を広げて見せる。 それはまるで俺の身体を模ったダイビングスーツのようだった。

「お、俺をどうするんだ?」
「言わば、刑の執行よ。強姦犯さん」
そう言うと彼女はニヤリと笑って自分の胸の間に走った赤い筋に指を掛けると左右に開く。 まるで服を脱ぐかのように皮が剥けて中からピンク色の肉塊が出て来る。
それはまるで理科室の人体模型を肉付けしたような……ピンク色の動くマネキン人形だった。

「ば、ばけものっ!」
「失礼ね?私が化け物だというのなら今のあなたも同じよ?」
そう言うと柱に吊されている身だしなみチェック用の小さな鏡を手に取り、俺の前にかざす。

そこには目の前にいるマネキン人間と同じ化け物が映っていた。
「ひっ、これが俺だと……」

「さてと……」
俺の驚愕を尻目に俺の皮を手に取ると彼女はその皮に足を通す。

「あ、なにを……」
見る間に俺の皮を着込んだ彼女は、最後に頭からすっぽりと俺の頭を被せるように装着する。

「うん? ちょっと苦しいかと思ったけど、意外とすんなり入るのね?」
彼女の口から発せられるその声は俺の声だった。 彼女は手を握ったり開いたりして俺の皮の着心地を確かめているようだ。 彼女とは体型がまったく違うはずなのに、今は俺とそっくりになってしまった。

「さてと。 それじゃ何でもすると言った事に嘘はないわよね? この皮、もらっていくから」
俺の服を着た彼女がそう言ってまだ身体が動かない俺を見下ろす。

「俺はどうなるんだ?」
「その化け物の身体のまま生きていってもいいし、私の中古になった皮を着て生きていってもいいわよ?
私はもうその皮に未練はないから。 襲いたくなるような美人なんでしょ?満更でもないんじゃないの。
ただし、その皮を着てしまったら二度と脱げなくなるし、数日もすれば浸食も完了しちゃうけどね」

「浸食が完了する?」
「ちゃんと赤ちゃんが産める身体になるって事。あなたが今度は男に襲われる側の人生を生きるの」
じょ、冗談じゃない。俺は女性は好きだが自分が女性になってみたいとは思わない。 ましてや赤ちゃんを産むなんて……

「頼む。俺の身体を返してくれ。本当に悪かったから」
俺は目の前に起こった事実に驚愕しつつも、動かない身体で懇願する。

「ダメよ。これは罰。乙女の処女を散らした罪がこれくらいで済むことに感謝しなさい。しかも龍神神社の神聖な巫女の純潔を奪った罪は深いんだからね。 なのに選択権を残して上げてるんだから」

「君だって、そんなくたびれたオヤジの身体で生きていくのはイヤだろう?」
「これはこれで使い道があるから私は気にしないわよ」
そう言うと彼女は尻のポケットから免許証を取りだして中を確認する。

「免許証って色々と使い道があるから貰っていくわね。それとこのセカンドバッグもちょうだい。 この身体でハンドバッグを下げて歩いていたら職質は確実だからね」
そう言うと机の上に置いてあった俺のセカンドバッグの中身をぶちまけて、自分のハンドバッグの中身を移す。

バッグの中身を移し終わると彼女は俺に背を向け出て行こうとする。
「待ってくれ!どこに行くんだ!」

「出て行くのよ。もうここには用は無いから」
「俺の姿で出て行くのか?俺は!俺はどうなる!」

俺の声に彼女が振り返る。

「だから言ったでしょ? その身体で暮らして行くも自由、私の残していく皮を着て暮らすも自由。 処罰は終わったから、あとはあなたは自由よ。 よかったわね? 強姦なんて獣並みの行為をした犯罪者は昔なら犬の皮を被せて放逐されるんだけど、こんな居酒屋で慣れないお酒を飲んで酔いつぶれてしまった私にも非があるから、これで勘弁して上げる」
そう言い放つと、俺の身体を奪った彼女はそれ以上振り返ることなく店の方から出て行ってしまった。

俺は一人、座敷に取り残される。
出来心とはいえ、とんでもない事をしてとんでもない事になってしまった……

               *

半時間ほどすると彼女が言ったとおり、麻痺は解けて身体を動かせるようになった。

俺は身体を起こし、自分の手を見つめた。
指はピンク色の五本の棒のようで指先に爪はない。

手元の彼女が放り出していった鏡を取り、自分の顔を見つめる。 なんの表情もない卵形のピンクの肉塊のようだった。
「マネキンと言うより、何か宇宙人のようだな…… 昔、雑誌で見たグレイとか言うヤツのようだ」

……この姿で生きていくのは無理だ。 外にも出れない。出たら出たで化け物呼ばわりされて人々から襲われかねない…… 映画にあるような透明人間のように、包帯とサングラスでも現実的に生活は無理だろう……

残る選択肢は必然的に…… 俺は部屋に置かれている肌色の物体に目をやる。 彼女の残していった皮。

「これを着ると彼女になってしまうのだろうか…… それに一度着ると二度と脱げなくなると言っていたが…… それに身体を浸食されて中身も女になると……」
外に出るにはこれを着るしかないが、彼女の言った言葉がそれを躊躇させる。

しかし、時間が経てば経つほど彼女は遠くへ行ってしまうだろう。 あれから一時間近く経つ。 すでにもう手遅れかも知れない。 迷っているヒマはない。 それに彼女さえ捕まえられたら再びあの短刀で元に戻して貰えるかもしれない。 いや、なんとしても戻して貰わなくては。

俺は畳の上に放置された彼女の皮を手に取ると広げてみる。 それは前開きのウエットスーツのようにも見える。

開いた所から足を入れるとまるで皮が俺の足を飲み込むように彼女の足の中に導かれていく。
両足を入れ終わり、皮を引き上げると次は背中の方から腕を入れていく。

皮は見た目よりも柔らかく伸び、その腕を自らが飲み込むようにすっぽりと包み込んでいく。

残りはウインドブレーカーのフードのように背中から垂れ下がる彼女の頭だ。
いいのか?これを装着してしまったらもう引き返せなくなるんじゃないのか? 躊躇はあるがもう他には選択肢がない。 

俺は背中に手を伸ばし、頭の部分を引っ張り上げると喉元に空いた穴は頭を覆えるほど大きく伸びる。 
その穴に頭からそれを入れる。 一瞬目の前が暗くなるが、目の部分が合わさると視界が開ける。

彼女の皮に俺の身体が完全に覆われる。
「でも、切り裂かれた跡はどうしたら…… あっ」
 
うつむいて傷跡を見ると、あの短刀で切り裂かれた皮が合わさっていく。 その後は切り裂かれた痕跡も残っていない。

「こ、これは……」
もう少しで俺の身体は彼女の皮に封印されて浸食されてしまう…… それは俺の身体が彼女の皮の中に取り込まれていくようで恐怖を覚える。 

「いや、ちょっと待て! やっぱりストップ、ストップ!」
しかしキズ跡は俺が止めようとする指をあざ笑い、すり抜けるように上がっていく。 それは、まるで皮自身が俺の身体を捕食して飲み込んでいくような…… 俺の身体が皮に食べられる錯覚に陥る。

「あ、あぁぁ……」
俺の行為も虚しく、キズ跡が喉元まで修復されて消えると俺の声は高い彼女の声に変わっていた。

「こ、これが俺の身体……」
持ち上げた腕は白く、その指先も細い。 下を見れば豊満な胸が重力に引っ張られ、重く感じさせる。
更にその下には白い腹が滑らかな曲線を描き、薄い恥毛に隠された何もない股間へと伸びていく。

「女だ、女の身体以外の何ものでもない」
これが一時的な遊びか何かなら自分の身体をじっくりと探求するのかも知れないが、今の俺にそんな余裕はない。

俺は急いで床に散らばっていた女性が身に付けていたショーツに足を通し、動くたびに揺れる胸を固定させる為のブラを慣れない手つきで装着する。
生まれて初めて身に着けるブラジャーにかなりの違和感を覚えるが、かまっているヒマはない。

初めてのブラウスに袖を通し、初めてのスカートを穿く。違和感有りまくりだが、恥ずかしがったりしている余裕はない、俺は急いで外に出ようと彼女の靴を探す。

そこにはハイヒールが…… とても俺に履きこなせる靴ではない。
一瞬、躊躇したが俺はいつも店で穿いているサンダルに足を通すと店を飛び出した。

              *

「どこだ?彼女はどこに?」
店を出ると俺は通りを見渡した。 そこにすでに彼女が居るはずもなく……

地方の山奥から出て来たと言っていた、彼女がそこへ帰ってしまったら俺に探す術はなくなる…… そうだ、駅! 駅に行けば捕まえられるかもしれない。

俺は急いで表通りに出ると駅に向かった。 深夜でも表通りにはまだ人が何人か歩いていた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん、そんなに急いでどこ行くの?おじさん達と飲まない?」
酔っ払いのオヤジ達が俺に声を掛けてくる。 俺と同じか少し年下くらいか? 自分と同じオヤジと酒を飲んでも面白くないだろうに。 もっと若い女に声を掛けろよ。 そして俺の店に金を落としに来い。
裏通りにあるウチの店にこいつらは流れてこないんだよな。

無視してすり抜けようとする俺の腕をオヤジの一人が掴む。
「ねぇねぇ、お酒飲もうよ。おじさんが奢ってあげるからさぁ」

「ちょ、やめろ。放せ……」
俺はその腕を振りほどこうとするがオヤジの力は思ったより強い。

「課長、課長。彼女は用事があるんですよ。 ダメですよ、最近はなにかと言うと訴えられちゃうんですから。 それよりもあっちのバーに綺麗なお姉ちゃんがいますから」
部下とおぼしき男が笑顔で酔っ払いの手を俺から剥がして、男を連れて行く。 相棒とおぼしきもう一人が俺に手を上げて苦笑して目で謝ると一緒に男を連れて行く。

……そうか。 
俺は今、他人から見たら女性なんだ…… 
しかも、チャンスがあれば男なら襲ってしまいそうなほどの美女。 いや、実際に俺は襲ってしまったのだけど……

手を上げて掌を見つめる。白い細い手…… 本来の俺ならあんな酔っ払いなんか軽くあしらえるのに……

今の俺は女だったんだ。 そして、女性の皮が俺の身体を浸食している? 力が女性のものになってきているのだろうか? 

"ちゃんと赤ちゃんが産める身体になるって事、あなたが今度は男に襲われる側の人生を生きるの"…… 
彼女の言葉が甦る。 冗談じゃない。そんな身体になりたくない。 このままでは見た目だけじゃなく、中身も身体が完全に女性化する?

俺は慌ててスカートを翻し、駅へと走った。

               *

しかし……、終電はすでに出てしまっていた。

「そんな……」
閉まった駅の前で呆然とする。 今の俺にはここ以外にあの女性が行きそうな場所を思いつかない。

終電が出てすでに30分ほどが経っている。 彼女がそれに乗ってしまっていれば確実にアウトだ。
でも、終電に乗ってどこへ行ける?彼女の家はどこかの山奥らしい…… 終電でいくには時間が遅すぎるだろう。 ウチで飲んでいたと言う事は近くに彼女の泊まっている場所があるということにならないか?

でも、今まで近所で彼女を見かけた事がない。 これほどの美女が近所にいたら常連客達の話題にならないワケがない…… 誰かを探していたと言っていたな。 知り合いがウチの近くに住んでいるのか?

「一旦、ウチに帰るか……」
俺は踵を返すとウチに向かってトボトボと歩き出す。

改めて自分の身に起きた事を考え、自分の身体を見下ろす。
ブラウスを盛り上げる膨らんだ胸と風通しのいいスカート……

「なんであんな事をしてしまったのだろう……」
夢中になっていたが、冷静になって自分の身体の感覚が戻ってくると股間に違和感を感じる。
股間のあり得ない場所に何かが挟まっているような違和感……

多分、これは俺が彼女を犯した痕跡…… 
皮を着ただけの筈なのに、女の独特の感触が伝わってくる。
皮を着た時には感じなかったのに…… 
皮の情報が身体に浸透してきているという事なんだろうか?

……まさか、痛みを感じると言う事は股間の奥に女性器も出来上がろうとしているのだろうか?
そんな事を考えると頭から血の気が引く。

彼女の皮を着込んだ俺の身体が本物の女になろうとしている……
俺は歩きながらブラウスの上のボタンを外して胸元を覗きこむ。

白いブラジャーに包まれた双丘の間に切り裂かれたはずの傷跡はまったく存在しない。
一度着てしまったら二度と脱げなくなる皮……

「くそっ。 なんとしてもあの女を見つけ出して俺の身体を返してもらわないと……」
ブラウスのボタンを留めながらつぶやく。

              *

店に帰り着くと私は湯沸かし器のスイッチを入れてシャワーを浴びる事にした。
とにかく、頭が冷えてくると俺に犯されたこの女性の身体を綺麗にしたいと思ったのだ。

服を脱いで洗面所の鏡に自分の身体を映す。
どこからどう見ても女だ。 この皮の下に男の身体があるなんて信じられない。

胸だって完全にくっついていて重さも感じる。 腰が俺の腰より細くなってるのがよくわからない。
尻だって肉付きがよくなってるし、股間には男に当然あるはずのアレがない……

薄い恥毛に被われた股間を覗きこむ。
「……この股で小便とかちゃんと出来るのかな?」

じっくりと弄くってみたいが、この身体というか、この皮は預かり物だ。 迂闊なことをして彼女の機嫌をこれ以上損ねて身体を返してもらえなくなるなんて事にはなりたくない。

なんとかトイレをクリアして、シャワーを浴びた。 正直言ってドキドキした。 自分の身体なのに自分の身体じゃないという不思議な状況……

色々と思う所はあるが、もう遅い事だしさっさと寝てしまおう。
俺は自分のパジャマを出すとショーツを穿いてそれを着る。 

尻が少しキツイし、胸がちょっと苦しい…… が、これしかないから仕方がない。 
まさかブラウスとスカートで寝るわけにもいかないからなぁ……

「ふわぁぁ、明日、彼女が捕まらないようなら下着とか買わないとダメかなぁ……」
歩き回った疲れが出たのか、布団の上に倒れ込むと俺はすぐに眠りに落ちていった。

……胸が重い。女って寝る時にこの脂肪の塊が気にならないのだろうか?

               *

俺の身体に男がのし掛かる。
「な、なんだ、なんだ!?」

「へへ、いいじゃないか。一発、犯らせろよ?」
「バカヤロ、俺は男だ!」

「男の股間にこんな穴はねぇよ」
いつの間にか裸になった男が俺の股間にペニスをぶつけてくる。
膣がある俺の股間に男のペニスが沈んでいく。

「痛ぇぇぇ!」
そのショックで俺は布団から飛び起きる。


「え?ウチ?俺の部屋…… あ…… 夢か?」
俺は周りを見渡してそこが自分の部屋である事に気づく。

「ふぅ、変な夢を見た。 俺が女になって、男に犯されるな……ん、て……?」
起き上がった俺の胸がパジャマを押し上げている。

「………… あれ?」
徐々に俺の頭の中に夕べの記憶が甦ってくる。

酔っ払って寝てしまった女性客をはずみというか出来心で襲ってしまい、彼女の逆襲にあって皮を剥ぎ取られてしまったこと。 仕方なく残された彼女の皮を着てしまったこと……

パジャマの上を摘んで胸元を覗き込む。 白い豊かな双丘が顔を覗かせている。
ズボンの上から股間に手を添えるとそこには毎日、元気に挨拶してくる息子が家出状態。

と言うか…… 股が痛い。 まるで股間に何かを無理矢理突っこまれたような違和感がハンパない。

「ゆ、ゆうべはこれほど痛くなかったのに…… 着た皮がそれだけ浸透してきたという事なのか?」
これがレイプされた痛み……

身体が本格的に女性化している……?
「冗談じゃない。早く彼女を探さないと……」

俺はパジャマを昨日の服に着替えると、とりあえずアルバムから俺の写真を抜き取って駅に急ぐ。

               *

「すいません。 この男が通りませんでしたか?」
駅に着くと俺は改札にいた駅員に俺の写真を示して尋ねる。

「さぁ?見かけませんでしたね」
俺が美人なせいか、駅員はわりと親切に対応してくれた。 他の駅員にも尋ねたが誰も俺の姿を見た者はいなかった。

「駅じゃなかったのか…… じゃ、他にどこを……」
暫く聞き回ったが成果はまるでなかった。 その時、改札を見知った顔が出て来るのを見つける。

「紀善!」
「え?どなたさま?」
改札をくぐって出てきた紀善が声を掛けた俺の顔を目を丸くして尋ねる。

「お前のオヤジだよ!なぁ、こんな男を見なかったか?」
「はぁ?それって俺のオヤジじゃないか? 家に居るんじゃないかな? てか、あんた誰?」
俺の差し出した写真を見て、不思議そうに尋ねてくる。

「だから、俺はお前のオヤジだって!」
「いや、俺のオヤジはあんたが持ってる写真の男だから? てか、アンタは女でしょ?」
息子の言葉に俺の姿が今は女性である事を思い出す。

「違うんだ、これは他人の皮を被っているせいで……」
「皮を被っている?女なのに?」

「下ネタに走るんじゃねぇ!だからお前は女ができないんだよ!」
「……? 見ず知らずの女性にそんな事を言われる理由はないね?」
ムッとした顔で言い返してくる紀善。

「で?アンタは本当は誰なんだ? なんで俺のオヤジを探してるんだ?」
紀善が不審そうな顔で尋ねる。

なんて説明したものか……

「とりあえず、ウチに戻るか」
俺は紀善の腕を取るとウチに向かって歩き出す。

「おいおいおい? だから、アンタは誰なんだって?」

              *

「えっと…… つまり夕べ、店の後片づけをしていたら女が押し行ってきてオヤジの背中を刺して生皮を剥がしていったと?」
ウンウンと俺はうなずく。

「で、女も自分の皮を剥がして代わりにオヤジの皮を着て出て行ってしまった…… 仕方なくオヤジは残された女の皮を着て、オヤジの皮を着て出て行った女を捜していたと?」
うんうん、その通り。

「で?オヤジはどこに行ったんだ?」
「お前は今まで何を聞いてたんだ!」
まったく信用しようとしない息子に俺はツッコミを入れる。

「そんなバカな話が信じられるわけあるかぁ! 皮を剥いだだぁ? 普通、全身の皮を剥がされたら出血多量かショック死するだろ! しかもそれを着ただぁ?そんな事が信じられるか! それに見も知らぬ女がなんで店に入って来てオヤジの皮を剥ぐんだよ?信憑性も何もないだろ、それ?」

さすがに俺が店の客を強姦したとは息子に告白する勇気がない。 しかし、そこを省くと恐ろしくウソ臭い話にしかならない。

「でも、事実なんだ。信じてくれ」
「あのな?皮がどうのこうのって話とオヤジがアンタと結託して俺をからかってるって話の場合、どっちが真実味があると思う?」

「からかってる方か?」
「だろ?判ってるじゃないか? 騙すんならもう少しリアリティのある話をでっち上げてみろよ? それでオヤジはどこに行ったんだ?」

「いやいや!たとえ、どんなにウソ臭かろうとこれが真実なんだよ! そうだ! 何か質問してみろよ。 
俺の個人情報でもお前の個人情報でも何でも答えるから」
「そう言われてもなぁ? ありきたりな個人情報は事前に打ち合わせてあるだろうし、俺もオヤジの昔話なんてあまり聞いてないからなぁ?」
困った顔で応える紀善。

とにかく、どうしようもない。 俺だって紀善がこの姿で現れたら信じなかっただろう。 人の皮が服のように着替えられるなんて突飛すぎる。 
着替えると言うより、自分から着たが皮に閉じ込められたと言った方が的確かもしれないけど。

俺は腕を組んで、この状況を紀善にどう理解してもらえるか考える。

「とにかく。 オヤジとアンタが何を企んでるかは知らないけど、店の仕込みがありますので今日の所はもう帰ってもらえますか?」
「え?」
気がついた時、俺は店の外に連れ出されていた。

「いや、ちょっと待て!ここは俺の店だろ!?」
閉められた店の戸を開けて叫ぶ。

「あのね?冗談も過ぎると笑えませんよ? あまりしつこいようなら警察を呼びますよ?」
カウンターの中で包丁を扱いながら紀善が答える。

「うっ」
息子に信用してもらえないものが警察に信用されるわけがない。

「…………」
ここで無駄な言い争いに時間を割くワケにも行かない。 俺は考え直して、とりあえず自分の身体を見つけることを優先することにした。 

彼女さえ見つかれば問題は解決するワケだし……

近くのホテルやアパートを廻って俺の写真を見せて歩くことにした。
それにしても…… ハイヒールって歩きにくいな。

駅に行って"俺"が来ていないことを確認すると近くのビジネスホテルを廻る。 小さな街なのでホテルの数も知れている。 

多分、彼女の行動範囲は店の近くにあった筈だ。 
でなければ、ウチのような廃れた商店街の居酒屋に来るわけがない。 表通りに出ればもっと女の子向けのオシャレな店があったはずなのだから……

しかし、俺が廻ったホテルやビジネスホテルには俺が泊まった形跡はなかった。

……しかし、美人ってトクだよな? 微笑んだり涙ぐんだりするだけで男共は多少の融通を利かせてくれる。 そのかわりにイヤらしい目で全身を嘗め回すように見られるけど。

              *

「え?」
「だから。 お父さんと一緒に帰ったんじゃなかったの? 今朝、弟さんの遺体と一緒に病院から帰ってきて挨拶に見えられたよ?」

ウチからちょっと離れたマンションの管理人が俺を見て答えた。
「そ、そのお父さんって……」

「あぁ、この人。 え?お父さんじゃないの?」
俺の写真を見て管理人が答える。

「い、いえ。父です……」
あの女、俺の皮を使って何をしたんだ?

「あの弟の遺体って?」
「え?だからあなたの弟さんの斎藤俊秋さんの遺体ですよ? って、あれ?昨日、話しましたよね?」
管理人が不審そうな顔で俺の顔を見る。

「え?あ…… えっと昨日話したのは私の双子の姉です」
咄嗟に口から出任せを話す。

「え?お姉さん?昨日の人じゃないの?」
「そ、そうなんですよ。実は姉たちとは別居していて、今日、急にここに来るように言われたんですけど状況が判らないもので……」
もう、こうなったら居直ってしまおう。 とにかく少しでもこの女性の情報を得なくては。

不審ながらも管理人は俺の質問に答えてくれた。
この娘が弟を訪ねてきた日、ボロボロの姿で斎藤俊秋が帰ってきた。 病院は不要だと言って、その日は大人しく寝たが、容体が急変したのは昨日だった。 

突然、昏睡状態に陥った斎藤俊秋は救急車で運ばれていったが、病院に着いた時にはすでに手遅れだったらしい。

病院から帰ってきた娘は弟の死が相当のショックだったらしく、弟の部屋を片付ける終わると食事をしてくると言ってどこかへ出掛けてしまった。 ……多分、ウチに来たのだろう。

その後、娘は帰ってこずに深夜になって、田舎から出て来たという父親を名乗る男性がやってきて部屋の後始末をしていったらしい。 

「それで…… その弟の遺体は今どこに?」
「父親がどこかでレンタカーを借りてきて弟さんの荷物を入れていた時、車の中に棺桶らしい物があったので一緒に田舎に帰ったんじゃないのかな?」

「田舎? そうだ、田舎ってどこなんですか?」
「はい? え?あなた、あの女性の妹さんですよね? 自分の生まれた所を知らないんですか?」
ますます、不審そうな顔をする管理人さん。

「えっと…… 長く家を留守にしていたのでその間に引っ越しをしたらしくって……」
「本当ですかぁ?」
疑わしそうな顔をしながらも管理人室に戻り、机の上のパソコンを操作してくれる管理人さん。

「あれ?おかしいな? データがない?」
「え?」

「この賃貸マンションの住民データならこのパソコンで閲覧できる筈なんだけど…… 斎藤さんのだけが載ってないですねぇ?」
そう言って首をひねる管理人。

その後、管理人から娘に関するめぼしい情報は得られなかった。 弟の部屋というのも見せてもらったが部屋は綺麗に片付けられていて個人を特定する手がかりは得られなかった。


「自動車で田舎に帰ってしまったのなら、俺の身体が返ってくるのは絶望的だ」
俺はトボトボと夕闇が迫る帰り道を歩く。

「紀善は俺の事をオヤジだと認めてねぇし。 財布どころか、手持ちの小銭すらない…… どうしろってんだ……」

              *

ガラリ
「すいません、まだ店は開けてないんで…… なんだ、アンタか?」
紀善が店に入って来た俺を見て笑顔から一転、イヤな顔をする。

「俺は帰ってきたか?」
「……帰ってきてないよ。 いつもなら長く出る時は黙って出掛けない筈なんだが。 でも、アンタがオヤジだって話は無しだからな?」
そう言って先んじて俺の言葉に釘を刺す。

「それじゃとにかく、警察に捜索人届けを出してくれよ、頼むから。 俺の身体が見つかるように」
「うん? ……そうだな。 いつもならこんな事はないんだが? 明日になっても戻ってこないようなら出しておくよ。 そういや、アンタがオヤジをどうにかしたって事はないだろうな?」

「俺が俺をどうにかしたのならさっさと逃亡してるよ」
「そりゃ、そうか」
そう言うと調理に戻る。

「それと……」
「なんだよ? まだ何かあるのか?」

「父親が見つかるまで俺をここに泊めてくれないか? 俺、文無しなんだよ」
そう言って力なく笑う。

いや、もう息子に父親だと認めてもらうとかは後回しでいい。 背に腹は代えられない。

「はぁ?なんだ、それ? 家出でもしたのか?悪いことは言わない、家に帰れ」
ここがその家なんだよ、バカ。

「いや、家がどこだかわかったら、すっ飛んで帰ってるよ」(身体を取り戻しに……)
「あのな?今、うちには俺一人だ。若い女が男一人の家に泊まったらどうなっても知らないぞ? 覚悟は出来ているのか?」

「いや、それはよく判ってるんだけど。とりあえず、お前を信用するしかないし……」
この女性を犯してしまった俺の息子という事に一抹の不安はあるが……

「えっと、本当にこの身体は借り物なので出来れば清い身体のままでいさせてくれるとありがたい……」
と言うか、男に抱かれたくない、しかも俺の息子に。 

この皮の影響かどんどん力が無くなってきてるのは自覚している。 多分、息子に襲われでもしたら俺は抵抗できない。

「ほんっとうに行くところがないのか?」
「ない、ない。 だからここに居させてくれよ」

「…………」
真偽を確かめるかのようにじっと俺を見つめる紀善。

「ね?おねがい」
俺はにっこりと微笑んでみせる。

「なんだろ?美人に微笑まれてるはずなのに気色悪いな?」
「失礼な……」

「泊めてやってもいいけど、条件がある」
「条件?」

「オヤジが帰ってくるまで居座るというのなら、店の手伝いをしてもらう。 たとえ一日程度の事でも働かざる者食うべからずだしな」

「それはもう。 三食付いて寝泊まりさせてもらえるならただ働きでも喜んで」
俺は揉み手で答える。 残念ながら一日くらいでお前のオヤジは帰ってこねぇんだよ。

「いや、まぁ、安いが時給くらいは払うよ。 それともう一つ条件がある」
「もうひとつ? まぁ、俺で出来る事なら」

「それだ。接客の時は"俺"なんて言葉を使うな。品位がない。"私"と言え」
「え?"私"!? 俺、生まれてからずっと"俺"を使ってるのに、いまさら"私"?」

「イヤならべつにいいけどな。ただ、条件をのめないのなら素直に家に帰れ」
こいつ、意外と厳しい事を言ってくれるな……

「あはは、私ですね。わかりました。 私、私、私。 はい、すっかり慣れました」
そう言って手をパンッと打って、俺は紀善に笑顔で微笑む。

「調子のいいヤツだな? その辺りオヤジと似たような性格してるな」
だから、俺がそのオヤジなんだよ!

話は纏まり、俺は自分の店で住み込みの店員として働くことになったのだった。
俺の店なのに……、俺が店主なのに……

「それで、あんた、名前は?」
「はい?」

「名前だよ、名前。 ないわけじゃないだろ?」
……なまえ?この女性の名前…… 確か、弟が斎藤俊秋とか言ってたな?

「えっと、斎藤……です」
「斎藤ね。斎藤なに?」

「斎藤……、なんでしょう?」
名前まではわからない。

「なんでしょうって事はないだろ?自分の名前なんだから」
「斎藤…… 清彦?」

「それはオヤジの名前だ。 聞いてるのはあんたの名前だよ」
「……いや、マジで名前がわからないんだよ」
そう言って腕を組んで考え込む。 確かに名前は必要だよな。 名前、名前……

「なんだよ、それ? アンタ、ひょっとして記憶喪失か?」
「身体喪失だよ…… まぁ、記憶喪失と言う事にしておいた方が面倒がなくっていいかな? 何か適当に名前を考えてくれ」

「適当にって…… 仕方がないな。 じゃ、双葉?」
「なんで小学生時代の初恋の彼女の名前を親に付けるかな……」

「ちょっと待て! なんでお前がそれを知ってる! てか、やっぱりお前、オヤジとグルで何か企んでるんだろ!」
紀善がカウンターから出て来て俺に詰め寄る。

「いや、勘、勘勘!ただの勘。偶然に当たっただけ! だからその刺身包丁はしまおうな?」
俺は冷や汗を垂らして紀善を宥める。 
冗談じゃない。そんなもので刺されたら今度は皮どころか肉まで切れるぞ。

「本当か?お前、本当に何も企んでないだろうな?」
そう言って包丁を下げる紀善。 だから、人に向かってそんなものをつき出すんじゃねぇよ。

「いえいえ、何も企んでませんよ。 私の名前は斎藤双葉。 それで了解です」
「まぁ、いい。 開店まで少しあるから奥に引っ込んで休んでろ」

「あの…… それとお願いが……」
「まだなにかあるのか?」

「お金がなくって夕べから何も食べてないので前払いで夕食を頂けるとありがたいのですが?」
お腹を押さえて愛想笑いを浮かべながら息子に向かって下手に出る。 
いや、マジで腹が減ってるんだよ。

「メシか…… 仕方がないな。 ちょっと待て」
そう言うとカウンターに焼き魚とミソ汁、漬け物にご飯が出て来る。 ウチの焼き魚定食だ。

「いただきます」
俺は手を合わせると飯をかき込む。

「食い方がオヤジだな……」
「お?ついに俺を父親と認める気になったか?」

「誰もそんな事を言ってねぇ。 食い方がおっさん臭いと言ってんだよ。普通、女の子ってもっと小さな口で食うもんだろ」
「腹が減ってる時は男も女もないだろ。 今日一日、汗だくでアチコチかけずり回ってたんだからな」
そう言って漬け物を口の放り込む。

「何をそんなに汗をかくほど…… って、あれ?」
そう言って紀善が鼻をクンクンとひくつかせる。

「なんだよ?」
俺は味噌汁を口に付けて顔を近づけてきた紀善を鬱陶しそうに見る。

「お前、匂わないか?」
「え?そうかぁ?ま、ちょっと汗臭いかな?ま、俺は気にしないけどな」

「お前が気にしなくっても客が気にするんだよ! 着替えは持ってないのかよ」
「あるわけないだろ。俺の持ち物はこの空のハンドバッグだけだ」
そう言って脇に置いたハンドバッグを逆さに振ってみせる。 彼女の持ち物は多分、あの賃貸マンションにおいてあったのだろう。 彼女の物は全て、彼女が持ち去ってしまった。

「はぁ?つまりお前、何も着替えは持ってないのか?」
「着替えどころか下着もないな」
そう言って頭を掻いて笑う。

「ふざけんな。ウチは客商売だ。店の者が不潔でどうすんだよ!」
「いや、待て。お前のオヤジだって下着を3日くらい穿き続けてただろ!」

「男と女では与える印象が違う! とにかく、金はやるからこれで安くてもいいから、新しい服と下着を買ってきて着替えろ!臭い身体で接客されたらただでさえ少ない客が逃げる!」
そう言ってレジから万札を出して俺に握らせる。

「いや、ちょっと待て! 俺に女の下着を買いに行けって言うのか?」
「女が女の下着を買うのは普通だろ。着替えを買って来るまで店には入れさせねぇからな!」
そう言って俺の襟首を猫のように掴むと店の外に引き立てる。 

いや、ちょっと待てって。 俺はここの店主で主人だぞ? 扱いがおかしくないか?

店の外につまみ出した俺に紀善が更に俺を追い詰める。
「いっとくが、巫山戯た服を買ってきても叩き出すからな? 接客に相応しい女性らしい服を買って来いよ?」

「俺が服を買わずにこの金を持ち逃げしたりしたら?」
「手切れ金だと思ってあきらめる。 そうすればお前だって二度とここの敷居はまたげないだろ?」
そう言ってぴしゃりと戸を閉める。
 
お〜い、お父さんは、父親に女物の下着を買ってこいと命令するような子に育てた覚えはありませんよ?

「買ってこないと店に入れてもらえないんだろうなぁ…… 情けないことになっちまったなぁ」
俺は肩を落としてトボトボと近くのウニクロに向かった。

              *

「紀善!買ってきたぞ。 これでいいだろ。 パンツにブラ、Tシャツにジーンズ」
俺はショッピングバッグから買って来た物を出してみせる。

「バカヤロ!嬉しそうに下着を見せびらかすな! 奥に言ってシャワーを浴びて着替えてこい!」
紀善が俺を怒鳴りつける。

俺がこれを買うのにどれだけ勇気を必要としたかしりもしないで。 これが"親の心子知らず"というヤツか? 俺は仕方なく紀善の指示に従って風呂場に行く。

ブラウスのボタンを外し、スカートのホックを外して足下に落とす。
洗面所の鏡には白いブラとショーツを着けた美女の姿が……

「夕べからばたばたしていて落ち着いてこの身体を見なかったけど……」
男なら絶対にムラムラ来るよなぁ? それが無防備にウチの座敷で寝ていたら出来心も起こるって。

確かに俺のやったことは犯罪だよ? でも俺の身体を皮にして持ってちまうのはあんまりじゃないかなぁ…… 俺は俺で、自分から着たとは言え、身体がこの皮に閉じ込められちまうし……

心の中でつぶやいて腕の皮を引っ張るが、本物の俺の身体と変わらす俺の腕の肉が引っ張られるだけだった。 下着を脱いで素っ裸になって胸の肉を引っ張るが、まったく自分の身体のように胸の肉はちゃんと触られている感覚がある。 完全に癒着しちまってるのかなぁ? 

皮が浸透すると身体の中身も女性化するって言ってたよなぁ? 股間を覗き込む。 朝から何度かトイレには行ったが直視するのは初めてだ。 

ワレメの奥に子宮が出来てくるんだろうか? ……何日かしたら生理が来たりして?
「うわぁ、冗談じゃない!それだけは勘弁してくれ!」

「双葉!うるさいぞ!シャワーは浴びたのか? 終わったらさっさと着替えて店を手伝え!」
紀善が俺の叫び声を聞いて外から怒鳴る。

「はいはい、すぐに行きますよ!」
俺はそう怒鳴って風呂場に入るとさっさとシャワーを浴びた。

今じゃ、息子に父親と認めて貰えず、女店員として息子に従って働かないとどうしようもない身の上だ。
自らが蒔いた種とはいえ、惨めだよなぁ…… 

俺は新しく買ったシンプルな形のピンク色のブラとショーツを身につけるとジーンズを穿き、Tシャツを被る。 まぁ、居酒屋の店員としては悪くないだろう? ジーンズが尻にピッタリとフィットする感じがちょっと恥ずかしいが……

「この歳で女の下着を着けることになるなんて思ってもみなかったな……」
俺は軽く身だしなみをチェックすると店の方に向かった。 

バイト店員として息子にこき使われる為に……

               *

店に出ると紀善にエプロンを渡され、俺はそれを付けて雑用をさせられた。

「双葉、そこのテーブルを片付けろ」
「双葉、皿を洗え」
「双葉、これを向こうのテーブルに持っていけ!」
もう、"双葉"の大安売りだよ!気軽に人をこき使う、こき使う。 

大体、普通は"斎藤さん"だろ? なんで名前を呼び捨てにするんだ?

ここは俺の店で、俺が店主なんだぞ! そう叫びたいが、叫んだら紀善に店からつまみ出されるのは目に見えている。 力じゃ叶わなくなってることはさっき一度つまみ出された時に身に染みて実感した……

昨日まではまだまだ力では息子に負けない自信があったのに……

まぁ、それも仕方がないと言えば仕方がないか。 普段と違って俺が居ないから紀善が調理だけで手一杯になるのは当然の事だろうし、元はと言えば俺が悪い。 これは自業自得とも言える

「紀善くん、親父さんはどうしたんだ?」
客の一人が紀善に尋ねる。
「それが朝からいないんですよ。 連絡もしないでどこをほっつき歩いてんだか」
紀善が笑って答える。

「で、この娘さんは?」
「臨時雇いのバイトですよ」
「斎藤双葉でぇす。よろしくお願いしまぁす」
俺はなるべく明るく挨拶をする。

「綺麗なお姉ちゃんだねぇ?どこで見つけてきたの?」
「今朝、部屋に沸いてたんですよ」

「俺はハエか!」
「俺?」
紀善が俺を睨む。

「私。私はハエですか?おほほほ」
「ハエならおかしな事は喋らないし、メシをたからないだろ? いや、ハエもメシにたかるか……」

「部屋に沸いてたってなに?」
「いや、本人が言うにはオヤジらしい」

「親父さん?」
「なんでも店の片付けをしてたら女が押し行ってきて皮を剥がして持ち去ったらしいッスよ?だから親父は残されたその女の皮を着てるらしいですよ?」

「わははははは、なんだい、それは?」
「それ、どこで公開してる映画だい?」
「いいな、俺もそんな美女の皮があるなら着てみたいなぁ」
タチの悪い客達に大爆笑されてしまった。

「てか、あれ?娘さん、夕べそこの隅のカウンターで飲んでた人だよね?」
客の一人がそう声を掛ける。

「あれ?田中さん、こいつ知ってるんですか?」
「いや、よくは知らないけど、夕べそこの隅のカウンターで一人で飲んでた人だよね?」
そう言って常連の田中が俺に問いかける。

「いや、まぁ……」
えぇ、飲んでましたね。 よく見てやがるな、このスケベ。

「何が店じまいしてる時に押し行ってきただよ。 お前、ウチの客だったんじゃないか?」
紀善が呆れたように俺を見る。 いかん、俺の語った"真実"が一つ間違っていた為にすべてがウソ臭くなってしまった。

「それで、本物の親父さんは?」
「マジで行方不明なんですよ。 前から時々、どこかへフラッと出掛けることはあったんですけど、連絡をしてこない事はなかったんですけどねぇ?」

「だから、俺だって!」
「はいはい、双葉はこれをあっちの客さんに持っていこうな?」
そう言って刺身の盛り合わせの皿を渡される。 俺の主張が軽く流されてしまった。

もう完全に俺の言う事を信用しなくなったな。 紀善を恨みがましく睨んで、刺身をテーブルに運ぶ。

その後も俺の事はスルーされて、紀善は客達と談笑しながら俺をこき使った。

              *

「あぁ、終わったぁ」
暖簾を片付けて俺はため息を付く。 普段なら暖簾の片付けは紀善の役目なのに。

「ご苦労さん。なかなかよく働いたじゃないか」
「そりゃもう、お役に立ててなによりです」
俺は紀善に引きつった笑顔で皮肉を言う。

「いや、マジでこんなに使えるヤツとは思わなかったぞ? 昔から居酒屋をやってるようになれたものだったじゃないか?」
そう言って俺に笑いかける。 いや、マジで褒められると照れるじゃないか?

「いや、まぁな……」
てか、お前より古くから居酒屋をやってるんだよ。

「後の片付けは俺がやっておくからお前は風呂に入ってさっさと寝ろ」
そう言って紀善はカウンターの裏を掃除する。

悪いと思ったが、この身体で働いたせいか意外と疲れていたので、俺は風呂に湯を入れてノンビリと湯に浸かって疲れを癒すことにした。 

……あれ?そう言えば、俺はどこで寝りゃいいんだ? 俺の部屋で寝ようとすると、また紀善が何かいいそうだしな?

俺は風呂から上がるとさっさとパジャマを着て、まだ片付けをしている紀善に尋ねた。
「なぁ?俺はどこで寝りゃいいんだ?」

「えっ?あぁ、そうだな? ウチは狭いから二階は親父の部屋と俺の部屋しか……って、お前何を着てるんだ!」
顔を上げた紀善しが俺を見て怒鳴る。

「え?パジャマだが?」
「誰のパジャマを着てんだよ! それは親父のパジャマじゃないか!」

「え?あぁ、まぁちょっとサイズが合わなくなってるが着れないわけじゃないから?」
「ないからって、親父の、男の着てたパジャマを着てんじゃねぇ! お前は変態か?」
自分のパジャマを着ただけなのに変態扱いかよ?

「じゃ、何を着ろってんだよ?」
俺は口を尖らせる。
「えっと、それは…… お前、それ親父のだぞ?いいのか?」
暫く考えた後、俺の着る物が思い当たらずに尋ねてくる。

「だからいいんだって。 それで俺はどこで寝ればいいんだよ?俺の部屋か?」
「俺の? …… あっ!親父の…… バカヤロ!赤の他人を親父の部屋で寝させられるか! 朝起きたら金目の物と一緒にトンズラされたりしたらたまんねぇだろ! 下で寝ろ、下で!」
そう言って店の奥の座敷を指さす。

「はいはい、奥の座敷ですね。 了解しました」
まぁ、ここで口答えしても無駄だし、答えは予想していたので俺は素直に紀善の言葉を受け入れる。

店の主人が自分の部屋で寝ることも許されないとは情けない話だが、もう状況を受け入れつつある自分が怖いな。 このまま、俺の皮を見つける事が出来なければ俺はずっと居酒屋の女バイトとして生きていか
なければならないのか?

疲れていた俺は座敷に上がり押し入れから布団を出すと引いてさっさと寝る事にした。

「あ、そうだ!」
俺は座敷の障子を開けてまだ店にいた紀善に声をかける。

「あのぉ?」
「なんだ?まだ寝てないのか?」

「寝ますけど、くれぐれも私を襲わないで下さいね?」
「へ? …… 誰が襲うか!俺は犯罪者じゃねぇよ! さっさと寝ろ!」
紀善がそう言って俺を怒鳴りつける。 いえ、夕べ、この座敷で女性が襲われたんですよ? 万が一って事があるじゃないですか?

まぁ、堅物の紀善を信用するしかないが、俺の血を引いてるからなぁ?
俺は苦笑いをして障子を閉め、布団に戻った。

しかし、あの女性には悪いことをしたよなぁ…… 女の立場になってみると、男のいる家で一人で寝る事の怖さを実感する。 あの女性を見つけたら本当に誠心誠意謝ろう。

とりあえずは無事に明日を迎えられますように…… 









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