こちら手久乃総合販売株式会社
作:ライターマン
−「博多、博多、降り口は、右側です……」
女性のような電子音のアナウンスと共に列車の扉が開き、ドッと人々が飛び出して階段を下りていく。
東京ほどではないにしてもそれなりに混雑した人の流れに乗ってJR博多駅を降りた俺は、博多口を出て信号を横断すると直方体を組み合わせた人型のオブジェのある茶色の建物を左手に見ながら片道2車線の道路の歩道を歩いていった。
このまま歩道をまっすぐ歩いていくと昔ながらの老舗が並ぶ商店街や、運河をイメージした池を中心にしたホテルや映画館を含む複合商業施設にたどり着く。
だが俺はそこまで行かずに途中のオフィスビルに入り込むと階段を上り、廊下を少し歩いて正面にあるドアを開き
「おはようございます」
と元気よく挨拶して中に入る。
そこが俺の働く会社、手久乃(てくの)総合販売株式会社のオフィスである。
俺は永石誠人(ながいし・まこと)。東京の会社で5年ほど働いていたのだが、3ヶ月ほど前に会社を辞めて両親のいる福岡にUターンした。
世の中は不景気一色だったので再就職までしばらくかかると思ったのだが、運のいいことにUターン早々、手久乃総合販売の営業員として採用されることができた。
この会社は名前を何度か変えているが、明治以前から続いている老舗が起源らしい。とは言っても現在の業務は大はコピー機から小はクリップまで事務、OA、文具全般を販売している会社である。
入社前に調べた会社の業績は不況時にもかかわらず好調であり、面接時に見せてもらったオフィスの雰囲気も非常に明るかった。
だから俺は採用が決まったとき、自分の幸運とこれから始まる仕事への期待と緊張で思わずガッツポーズを上げてしまった。
「……ということなのでよろしくお願いします。それから季節の変わり目ですから皆さん健康には十分注意してください。もし、体調を崩された場合は速やかに上司に報告するようにして下さい。以上で朝礼を終わります。」
総務の課長が連絡事項を述べ朝礼が終わると皆それぞれ自分の机に向かって行った。
俺は自分の机の上にあった回覧の内容を確認すると、まだ読んでいない人に回すためにその人の机まで移動した。
「ん?」
回覧を置こうとした机の上には変な表が置いてあった。
表の左端には新入社員の名前が並んでおり、入社1年目であるためか俺の名前もその中にあった。そして上の方にはその他の社員の名前が書いてあり、表の中にはところどころに数字が書き込まれていた。
何かのオッズ表かな?とは思ったが何のためのものかはさっぱり分からなかった。
ちょうどその時、席を外していた机の主が戻ってきたので俺は訊ねてみた。
「すいません、この表って一体なんなんです?」
「え?あっ!!い、いや、これはその、なんでもないんだ。お前は気にしなくていいから」
そいつは大慌てで表を俺から取り上げると机の中に放り込んだ。
「なんか怪しいですね。俺たちに何かやらせようって魂胆ですか?」
「そ、そうじゃない。今はちょっと言えないけど、そのうちに君達にもわかる時がくるよ。とにかく何もしなくてもいいんだから……」
「???」
しどろもどろになっているそいつに何か不信なものを感じたけど、1週間程過ぎると仕事の忙しさからそのことは俺の頭からすっかり忘れ去られていた。
「課長、先日の見積依頼の件ですが、こんな感じで提出しようと思いますがどうでしょう?」
俺は作成した見積書を大石課長に渡して問題がないかチェックを受けていた。
「うむ、あの会社は競争が激しいけどこの内容なら何とかなりそうだな。じゃあこれを先方に届けてくれ」
課長はそう言って自分の印を見積書に押してから俺に戻した。
俺は机に戻り見積書を封筒に入れようとしたのだが、先輩の小野寺さんから声をかけられた。
「永石君、顔色が少し悪いわよ。具合が悪いんじゃない?」
「い、いや、大丈夫です。何でもありません」
そう答えたが、どうやら俺は風邪をひいたらしかった。
クーラーを効かせ過ぎたせいか、朝起きたときに軽い頭痛を感じる程度だったのが段々ひどくなり、会社に着いてからは腹の方も痛み出した。
風邪なんかひいているのが分かって自分が健康管理ができない人間と思われたくなかった俺は見積書を入れた鞄を持って外に出ようとしたのだが、突然まわりの景色がぐらりと揺らいだ。
「永石君!!」
「いかん、たぶん例のやつだ!!すぐに○○病院に連絡を!!」
どうやら俺は倒れたらしい。小野寺さんと課長が俺のそばに駆け寄って叫んでいるのをボンヤリと聞きながら俺は意識を失った……
病院のベッドの中で俺は目を覚ました。
「気がついたようだね」
ベッドの横では課長と小野寺さんが座っていて大石課長が俺に話しかけた。
「課長……ご迷惑をかけましてすいません」
俺は起き上がろうとしたのだが、体が思うように動かなかった。
このとき俺は喉に痛みを覚えた。それに声がかすれたように高くなっているような気がした。
「いいんだ、気にするな。………実は君に話さなければならないことがある。そのままでいいから落ち着いて聞いて欲しい」
課長は少し言いよどんだ後、真剣な表情で話し始めた。
「君は自分が風邪をひいたという程度にしか思ってないだろうが……実は違うんだ」
「風邪じゃない?まさか命にかかわる病気なんですか!?」
「いや、命には何ら問題はない。君の場合、書類上では……『女性仮性半陰陽』ということになってるんだが……」
「ジョセーカセーハンインヨー?何ですかそれ?」
聞いたことがない言葉に俺は首をかしげたが、それに答えたのは小野寺さんだった。
「人の性は普通、性染色体で決まるんだけど胎児の時のホルモン異常なんかが原因で本来女性として生まれてくるはずの人が男のような体で生まれてくる場合がある。これが『女性仮性半陰陽』よ」
「本来女性として……っ!?まさか俺が本当は女性だって言うんですかっ!?」
「まあ、そういうことになるな」
複雑な表情をする課長の答えに俺は絶句した。
「そんな馬鹿な!!」
しばらく呆然としていたが、どうにか立ち直ると俺は課長に向かって叫んだ。
「こ、この俺が男じゃないと、本当は女なんだと言われても信じられる訳無いでしょうっ!?
俺は小学生の頃、女の子のスカートをめくって親父に殴られたし、中学生のときは女子更衣室ののぞきが見つかって女子生徒から袋叩きにされたし、高校生のときは18禁の写真集を学校に持ち込んだのがばれて3日間の停学をくらったし、それから…それから……
とにかく、俺は独身だけどそれは単に結婚したいと思う女性にめぐり合わなかっただけです!!俺は、男性に惹かれたりとか、ときめいた事なんか今まで一度も、絶対、金輪際ありません!!」
「落ち着いてくれ。君が自分は女じゃないと言いたいのは分かるし、私もそうだと思う。だが、こういう事をするのは訳があるのだ。信じられない部分もあるとは思うが、とりあえず話を最後まで聞いて欲しい」
課長はかすれているにもかかわらず大声でまくし立てる俺を手で制し、困った顔をしながら俺に話し始めた。
「君はうちの会社の起源が明治以前にまで遡る事は知っているね?」「……はい」
「創業当時からうちはいろいろな物を売っていたんだが、創業者である人物はそれとは別の商売も行なっていたらしい」
「別の商売?何ですかそれは?」
「まあ……それを商売と言っていいものかどうか迷うんだが……売春宿なんだ」
「売春宿!?」
「そうだ、と言っても確かな証拠があるわけじゃなく伝え聞きでしかないんだが相当大きな規模だったらしい。そこで働いていたのはいろんな事情で売られてきた女性達、そしてその女性達を集め、監視する男達だったらしい。女性達は苛酷な環境で働き続け、若くして死んでいった。その女性達の恨みかどうか、いつしかある現象が起き始めた」
「ある現象……まさか!?」
「恐らく君の想像どうりだろう……毎年、売春宿の男達の中の何人かが突然女性になっていったんだ。当然男達はパニックになって逃げ出し、規制が厳しくなったこともあり売春宿は廃業した。そして経営者が同じということで呪いはうちの会社に引き継がれた、と言い伝えられている」
「………」
信じられないような話に俺は絶句してしまった。
大石課長の説明はさらに続いた。
「もちろん今までに現象を何とかしようと霊能者や祈祷師に依頼してみたのだが全て失敗に終わっている。また入社一年目の社員に現象が起きていることから新規および中途採用を控えたこともあるのだが、そのときは中堅社員の数名と当時の社長の息子が女性になってしまった。そこで会社としては変身した社員を『女性として』社会復帰させるための体制を整えることにした……という訳なのだよ」
「えっと、その……信じられません。……そんな事が……本当に……あるなんて」
「信じられないだろうが事実だ。そして今年は君に白羽の矢が立ったのだ」
「俺に!?」
「そうだ。実は君が倒れてから3日が経過していて女性化が進行中だ。明日には身体が動かせるようになると思うが、その頃には完全に女性となっているだろう」
「そんな……」
翌日、目を覚ました俺はじっと天井を見ていた。
大石課長の話を俺は受け入れることが出来ず、興奮状態になった俺に医者は鎮静剤を打ち、目が覚めたときは昼近くになっていた。
俺はしばらく天井をにらみ続け、体を動かさない様にしていたのだが、「ふぅ」とため息をつくと右腕を布団から出して目の前にかざしてみた。どのみちいつかは確かめなければならないのだ。
目の前にある腕と手は記憶の中にある俺の腕とは違い……細く……白かった。
続いて俺は少し震えているその手で胸を触ろうとしたのだが、思い直して布団を剥いで上半身を起こすとベッドの縁に腰掛けた。
そしてなるべく身体に触らないようにしてパジャマの上着のボタンを外すとそれを脱ぎ捨てた。
俺の目の前、シャツの胸の部分には大きな二つの膨らみがあった。それは昨日の大石課長の話、そしてその形から何であるかは明白だった。
ごくりと喉を鳴らした後、俺はその膨らみが本当に自分の「肉体」なのかどうかを確かめようと手を近づけたそのとき、
「おはよう永石さん、もう起きてる?……って何してるの?」
「わぁぁぁぁっ!!」
突然入ってきた小野寺さんに俺は仰天して飛び上がった。
「おっおっおっ小野寺さん!?ど、どうして?」
跳ね上がる鼓動を何とか押さえつけて訊ねる俺に小野寺さんは
「昨日言わなかった?あなたを社会適応させるためのサポーターとして今日から1日2時間ほどこっちに来るって」
と答えた。
「それにしてもすっかり印象が変わったわね。声もすっかり女性の声してるし」
「え!?あ……お、俺の声が……」
さっきまでパニックを起こしていたので今になって気がついたが、俺の声はかなり高い……女の声になっていた。
小野寺さんは呆然としている俺のそばによると
「さあ、まずはサイズを測るからシャツを脱いでもらいましょうか」
と言うが早いか俺のシャツを脱がせにかかった。
「ちょっ、ちょっと待って……う、うわわっ!!」
俺は抵抗しようとしたのだが時既に遅く、俺はシャツを脱がされた。そしてシャツを脱がされたとき、俺の胸がプルンと揺れた。
そう、俺の胸には二つの大きな塊があった。そしてそれは雑誌の写真などで何度か見たことがある女性の乳房だった。
「あっ……あっ……」
「はい、そのままじっとしてて……え……っと、トップが……で、アンダーが……だから、Dカップかしらね」
小野寺さんは自分の胸を見て硬直している俺にかまわずメジャーを取り出すと俺の胸囲を測り始めた。
そしてメジャーが触れた胸からはヒヤリとした感覚が脳に届き、俺はそれが紛れもない自分の「肉体」であることを思い知らされた。
胸囲の他、あちこちのサイズを測り終えた小野寺さんはメジャーをしまうと「じゃ、ちょっと待っててね」と言うと病室を出て行った。
小野寺さんが戻ってきたのはそれから一時間ほどしてからだった。
戻ってきた小野寺さんはいくつかの紙袋を持ってきていた。
そしてその中の一つをゴソゴソと探って小さな布切れを取り出し、
「はい、これを着けてみて」
と言って俺に手渡した。
受け取った俺はそれを目の前で広げてみた。それは……ブラジャーだった。
「こっ、こっ、こっ、これを着けるんですか!?」
「そうよ、着けてないと動きにくいし、形を整えないと大変よ」
小野寺さんはそう言ったが、俺は手にしたブラジャーをしばらく見つめた後、小さな声でつぶやいた。
「できません」
「永石さん?」
「俺にはできません。どうしてこんな事をしなきゃならないんですか?大体どうして俺なんですか!?」
「永石さん……気持ちは分かるけど……」
「分かりませんよ、生まれた時から女だった小野寺さんには!!」
俺は思わず大声で叫んだ。悲しくなって目に涙が浮かんできた。
そんな俺を見て小野寺さんは少し悲しそうな表情で微笑み、そしてこう言った。
「そうでもないさ。………僕も生まれたときは……男だったから」
「えっ!?お、小野寺さん、それって一体!?」
俺は訳が分からずに小野寺さんに尋ねた。
今の声は確かに小野寺さんの声だったが、口調は今までと全然違う……男のような口調だった。
「僕も君と同じなのさ。……5年前に新卒で入社して、ちょうど今頃突然倒れて……で気がついたら女になっていたのさ」
「……」
「だから『何で自分が』と言いたい気持ちは分かると思う。僕も昔はそうだったから。でも、原因や理由はともかく僕たちは変わってしまった。そして今後はこの姿で生きていかなければならない。これは事実なんだ」
「小野寺さん……」
「もともと呪いなんてものは理不尽なもので、そのまま死んでしまう事だって結構あるんだ。それに比べたら僕たちの場合は少しばかり姿が変わるだけで、しかも綺麗になってる場合が多いからましな方さ」
「それは……確かにそうだけど……」
「それに相手や状況に合わせて着る物を変えるのは男の場合でも同じだろ?会社に行くときはスーツを着て家に帰れば私服に着替える。真冬に半袖の服を着たり葬式に白のモーニングを着て出席したりすると周りから変人扱いされる。それと同じさ」
「ちょっと違うような気もするけど………つまり、周りから見て変に思われないように知識を身につけろ……ということですか?」
「そういうことさ……じゃあ永石さん、始めましょうか?」
俺との会話の後、小野寺さんは表情と口調を女性のものに戻して俺に対するレッスンを開始した。
「よっ……と、んー……と、留まらない」
「あんまり動くとせっかくカップに入れたのに、はみ出るわよ。身体は柔らかくなってるから手を後ろに回すのはそんなに難しくないはずよ」
「そ、そんなこと言っても…後ろに目がある訳じゃないんだから…簡単にはいきませんよ。……っと、留まった」
「留まったら次に肩紐を調節して……どう、着け具合は?」
「そ、そうですね。少し胸が軽くなったような気がします」
「そーねえ、永石さんは胸が大きいからねえ」
「ちょ、ちょっと小野寺さん!!胸を掴まないで!!」
「引っ越し?」
「そうよ、今まで男の人が住んでいたのに、ある日急に女の人が住むようになると変に思われるでしょう?」
「そうですね……」
「あたしが住んでいる所は、会社があたしたち変身した人のために確保した部屋で、ちょうどあたしの隣の部屋が空いているの。今住んでいる所を離れたくない、と言うのであれば一時的に引っ越してほとぼりが冷めた頃に戻ることもできるけど……」
「いえ、いいです。そちらに引っ越しします」
「わかったわ。あなたが立ち会う訳にはいかないから、あたしが代理で立ち会って荷造りと搬送は業者に任せます。これでいいかしら?」
「はい」
「ダメよ、もう少し歩幅を小さく。それから椅子に座るときはめくれないように気をつけて脚をそろえるようにして」
「はい……あの、女性の仕草を学ぶ、というのは分かるんですけど、どうしてミニスカートを穿かなければならないんです?それもこんなに短い……」
「それを穿いた方が憶えやすいからよ。その格好だと少しでもおかしければスカートの中が丸見えでしょ。逆にその格好で問題なく動けるなら他のどんな格好でも大丈夫、という訳よ」
「本当ですか?なんか俺を着せ替え人形にして、恥ずかしがる様を楽しんでるようにも見えるけど……」
「それもあるわ」
「……やっぱり」
「ほらほら、脚が開いてる」
「え?……うわっ!!み、見ないで下さいっ!!」
「……うー、匂いがきつい」
「そんなにつけるからよ、もっと薄く伸ばすようにして塗らないと。もう一度最初からやり直すから洗顔して」
「そんな事言われても難しくて……それにこんなに手間をかけて化粧をする必要あるんですか?」
「何言ってるの。女性の顔は化粧次第で印象が全然違うのよ。と言っても実感が湧かないか。いいわ、手本として私が化粧してあげるからそこに座ってじっとしてて」
………(30分経過)
「どう?綺麗になったでしょう?」
「う……こ、これが?」
「気に入ってくれた?練習すればこんなに綺麗になれるんだから。それじゃあ今度は自分でやってみましょうね」
「………はい」
「お……あ……あ、あた……あた…し」
「もう、『あたし』と言うのにそんなに詰まるなんてダメじゃない」
「で、でも恥ずかしくて……」
「でも、その格好で『俺』なんて言う方がよっぽど違和感があるわよ。さあ、もう一回『あたしは今、女性なのよ』って言ってみて」
「あ、あた…しは…い、いま……じ…じょ……」
「……これは先が思いやられるわね」
コンコン
「どう、具合は?」
「…………」
「一人で処置できた?」
「…………………(コクリ)」
「そう、それはよかった。これからは毎月あるんだから一人でちゃんとできないとね。それといい知らせがあるわ。あなた、2日後に退院できるわよ」
「……ホント?」
「本当よ。退院したら一緒に洋服とか下着とかを買いに行きましょう」
「そ、それは……」
「ふふっ、冗談よ。とりあえず最低限の知識は身に付けたから、後は少しずつ慣れていきましょう」
「……はい」
「じゃあ今日は痛み止めを飲んでゆっくり休みなさい………(チュッ)」
「…………………」
「毎度有難うございます、手久乃総合販売でーす。ご注文の品をお届けにあがりましたー」
「おっ、いつもご苦労さん。真琴ちゃん今日も綺麗だね」
「あら、ありがとうございます。お世辞でも嬉しいわ」
俺が女になってから1年近くが経った。
俺は相変わらず手久乃総合販売の営業員をしていた。
職場に復帰したときに配置換えがあり、担当は変わったが容姿が比較的美人なためか売上は以前より良くなっていた。
そして最初の頃は恥ずかしくて上手く話せなかった女言葉も今では問題なく使っている。
……と言っても仕事の上だけなのだが。
女になってから俺は会社が用意したアパートの一室に引っ越した。
そこには俺と同じ様に入社してから女になった人たちが大勢いた。そしてそこでは男言葉も交わされていた。
そういう生活のためか俺の意識の上では、女言葉を喋るのはあくまでも付き合い、上司や得意先に敬語を使うことの延長、という感じだった。
女になった俺は永石真琴(ながいし・まこと)と名乗る事にした。
漢字が違うだけで読みが同じその名前に小野寺さんは難色を示したのだが、俺はそれを押し切った。
両親とは住んでいる所は別なのだが、休みの日にはときどき会いに行っている。
幸いなことに今の両親の家は俺が東京に出た後で引っ越して住んでいる所なので、時々家に立ち寄る女性が「息子」だと気付いている人はいない。
両親は俺が倒れて眠っている間に大石課長から説明を受けたらしい。
最初にお互いが顔を合わせたとき(入院中は精神が不安定なのでと言われて見舞いに行けなかったそうだ)、どうやって接したらいいか見当もつかないようだったが、今ではこの状況を受け入れつつあるようだった。
特に母は最近ときどき写真を見せては見合いを勧めるようになってきている。
が、まだ男性を「同性」と見ている俺は、とても結婚などする気にはなれなかった。
それでは自分の精神は完全に男性か?というとそうは言い切れなかった。
俺の部屋の本棚にはいろんな小説が並んでいる。
その多くはハードボイルド物やアクション物で続き物は今でも購入しているが、最近は恋愛物やファンタジー物が混じり出した。
以前はそういうジャンルには興味は無かったのだが、何となく買って読み出すと夢中になって読んでいた。時にはヒロインに同情して涙を流すこともあった。
それに本棚やベッドの上にはゲームセンターの景品のぬいぐるみがいくつか置いてある。いい年をして、と思うのだが捨てることができずに飾っているうちに数が増えてきたのだ。
どうやら俺自身の気づいていない部分で俺の精神は女性化が進行しているようであった。
俺がそんなことを考えながら訪問先の課長と話していると、横から別の声が割り込んできた。
「課長、ただいま戻りました」「おお、杉野君ご苦労さん」
その声に俺は横を向いた俺は思わず声を上げそうになった。
そこにいたのは俺のよく知る人物だったからだ。
名前は杉野智宏(すぎの・ともひろ)、小学校から高校まで一緒の学校でよくつるんで行動していた友人だった。
社会人になって俺は東京へ、杉野は広島へと離れていったので連絡も疎遠になっていたのだが、まさかこんな所で出会うとは……
「杉野君、紹介するよ。こちらは事務用品の販売をしている手久乃総合販売の永石真琴さんだ」
「杉野智宏です。よろしくお願いします」「な、永石です。こちらこそよろしく」
互いに挨拶を交わしたものの、俺は気が気ではなかった。なんと言っても音だけなら俺の名前は昔と同じだったからだ。
はたして杉野は挨拶の後、記憶を探るような顔つきになったのだが、突然目を見開いた!!
やばい、気づかれた!!そう思った俺は「それではこれで失礼します」と挨拶をしてその場を離れ、杉野とすれ違いざまに他人に聞こえないように
「下の喫茶店で待ってる」
と言った。
待ち合わせた喫茶店で俺は杉野に今まで自分の身に起きたことを話した。
杉野は黙って俺の言葉を聞いていたが、説明を聞き終えるとこう言った。
「驚いたな……非科学的だし、とても信じられる内容じゃない……だけど、お前の顔には確かに永石の面影があるし、喋り方も同じだ……だから、信じるよ」
「ありがとう杉野」
杉野に信じてもらえて俺はホッとした。
信じられないような内容なのは承知していたから戸籍変更のときの様に「病気」だということにしてもよかったのだが、こいつには本当のことを知ってもらいたかった。
「それにしても昔18禁の本を一緒に見てた永石がこんな美女になるとはなあ」
「そんな昔の事を持ち出さなくてもいいじゃないか。それに美女だなんて……」
「いや、今の永石は誰が見ても美女だと言うに決まってるって……ごめん、なりたくて変身した訳じゃないのにこんなこと言われても不愉快なだけだよな。すまない」
「すまないだなんてそんな……」
素直に謝る杉野に俺は慌てて応えた。美女だ、と言われて顔が少し熱くなった。
次の客への配達もあったので、秘密を守るように頼んだ後「じゃあこれで」と言って席を立った俺に杉野は声をかけた。
「なあ……今度の休み、どっか出かけないか?」
土曜日、博多駅から3つほど離れた駅の入り口で俺は杉野の奴を待った。
別に杉野が遅刻している訳じゃない。俺が約束の10分前に到着したからだ。
俺の目の前の道路は駅前のロータリーで行き止まり。しかも片側一車線にもかかわらず、ロータリー付近はタクシーが停まっているので車の流れが悪かった。
こんな所で車を待たせては大変だと思い、早めに到着したのだが、杉野の車は約束の時刻どうりに到着した。
俺が杉野の車に手を振ると、車は俺の前でスッと止まり、俺はすばやく車の中に入り込んだ。
「……待たせてすまない」杉野は車を発進させると俺に謝罪したが俺は
「気にするな、俺が予定よりも早く到着しただけさ」と答えた。
そして俺は杉野の格好を見て少し笑いながら
「それにしてもお前、気合入ってるな。まるでデートに出かけるみたいだぜ」
と言った。
今、杉野は厚めのトレーナーとスラックスに革ジャンバーを羽織っている。
シンプルだがきれいにまとまっており、さらに髪は昨日散髪に行ったらしく、短く刈りそろえられていた。
杉野は顔を少し赤らめながら
「久しぶりに友人に会うから身だしなみを整えただけさ。……それにお前のその格好、人の事は言えんと思うんだが?」
と反撃してきた。
確かに俺の今の格好は明るい青色のブラウスに紺色のロングスカート、上着に水色のカーディガンを羽織っている。ついでに言えば顔には化粧を施していた。
俺は悪びれず、杉野に言った。
「久しぶりに会う友人を驚かせようと思ってな。……で、どうかな?びっくりしたか?」
「ああ……驚いた。最初はお前だと分からなかった。どっかのモデルかと思った」
「はははっ、モデルとは誉め過ぎだぜ。だがまあ、とりあえず大成功って事だな」
俺と杉野はこんな会話を交わしながら目的地に向かって車を走らせた。
俺たちが向かったのは島に向かって半島状に突き出た土地にある「公園」だった。
公園と言ってもその広さはかなり広大で、中には芝生の広場、レストラン、ホテル、観覧車などの遊戯施設、動物公園、プールの他に水族館まであった。
以前はここに来るためには狭い道路を通らなければならなかったため年中渋滞だったが、最近は埋立地を利用したバイパス道路が開通したためにそれほど混雑せずに行くことが出来た。
俺達はそこで花畑の中を歩き、観覧車に乗り、レストランで食事をした後、芝生の上に座ってくつろいだ。
「あの……なあ、永石」
夕方近く、俺達は「公園」のある半島から橋を使って島へ渡り、山の上にある展望台に上っていた。
展望台からは湾を挟んで市内が一望でき、俺は景色を眺めていたのだが、隣にいた杉野が声をかけてきた。
「……なんだ?」
「いや……こんなこと言うと嫌われるかもしれないけど……」
「いいから言ってみろよ」
「その……俺……お前のこと……好きになったみたいだ……」
「……そうか」
「いや、その……以前から友人として好きではあったんだが……こ、これは……その……」
「分かってるよ……実は俺もお前のことが好きになったみたいなんだ……男同士の友人としてではなく……異性として……」
そう、どうやら俺は杉野に「恋」をしたらしい。
杉野と出かける約束をした日の帰り道、ショーウィンドウに飾られていた服を見た俺は思わず店に入り、無理やり着せられたとき以外には買わなかったよそ行きの服を買った。
そのときは少々からかってやるか、という類のものだと自分では思っていた。
だが、仕事のとき以外はしたことがない化粧をしてから、そのとき買った服を着て笑っている自分を鏡で見たとき「まさか」と思った。
そして今日、一緒の時間を過ごして俺は確信した。
杉野が俺に対し親友として接しながら同時に「女性」として、恋愛の対象として俺を見ていることを。そして俺がそう見られていることを「喜んで」いることを……
俺は精神的にはまだ男性のつもりだった。だが、こいつに対しては「恋人」でいてやってもいいかな?そう俺は思った。
杉野は俺の言葉を聞くと恐る恐る手を伸ばすと俺の両肩を軽く掴んだ。
何をしたいのかを察した俺は軽く頷くと目を閉じて「それ」を待った。
そしてお互いの唇が触れ合ったとき、俺の中で「何か」が変わったような気がした。
それは男性であったときも含めた俺の人生における「ファーストキス」であった。
(おわり)
おことわり
この物語はフィクションです。劇中に出てくる人物、団体は全て架空の物で実在の物とは何の関係もありません。