変身 【第7章】
作:荻野洋
挿絵:greenbackさん



「それにしても野口の慌てぶりっていったら」
『ホントホント、あんなにショックを受けるなんて』
「だけど、さっきの怒ったあたしの真似、すごく良かったよ」
『いやぁ、倉橋のあの、男になり切った台詞がトドメを刺したわけだから』
そう
実はベッドの中の倉橋が本人で
後から登場した倉橋のほうが俺だったのだ

身勝手な理由で自分を振った野口を許せないから
自分が田舎に帰る前になんとか仕返ししたいという倉橋の提案で
一芝居うつことにしたのが今回のこれ
赤の他人の男が自分の彼女そっくりに変身したからという理由で
気味悪がって倉橋を振ったくせに
未練たらたらで再びモーションをかけてきたのが許せない
だから精神的にダメージを与えるやり方でお灸を据えることに
それには奴が気味悪がっているそっくりさんの俺とのHが一番
ということで
よりを戻したいという奴のデートの誘いにわざわざ乗って
酔った振りして部屋まで送ってもらい
下心ミエミエの奴をはめたのだった

そうは言っても俺は倉橋のHのときのしぐさやあえぎ声までは真似できない
そこでHシーンだけは本物の倉橋にお願いして
さも俺とHしたかのように二人で芝居したのだ
それにまんまとひっかかった野口
倉橋も最近ご無沙汰で結構気持ちよかったみたいだし
俺もこっそり隠れて観察させてもらった
倉橋ってああやってあえぐんだ、とかね
そしてころあいを見計らって部屋の電気を付けて
倉橋の真似して野口を罵倒したってわけ

『だけどさ』と俺
「何?」
『俺もいつかはああやって男とHする日が来るのかなぁ』
「いいのよ、それは先輩が思うとおりにしてもらえれば」と倉橋
『未だ気持ちの整理が付かないよ』
「あぁ、痛くないわよ。その体、処女じゃないから」
そう言って茶化す倉橋だったが
「大丈夫だって。無理せず自然体でいきましょ」
と俺の肩をぽんと叩く
『そうだね』と俺
恥ずかしくて倉橋には言ってなかったが
実は既に俺の中での変化は進んでいた
倉橋になった直後は隣で寝ている彼女を押し倒して…みたいな妄想だったのが
今ではそれも自分が押し倒されるほうに立ち位置が変わってきている
俺は本当は男なんだと必死で抵抗するも
胸や秘部を執拗に愛撫され、女の体であることを痛感させられる
そんな夢を見ることが多くなってきている

その後しばらくして野口が会社を辞めたという連絡が
本物の倉橋とHできたのにそれがトラウマになるなんて
ちょっとかわいそうなことをしたかな

別れの日
倉橋は小さなバッグひとつで部屋を出て行った
すべてを俺に託して
年明けからは俺が倉橋として会社に行くことになる
「大丈夫よ。本人であるあたしが保障する。絶対バレないって」
そう言って彼女は田舎へと帰っていった

仕事始めの日
俺は駅へと向かっていた



もちろん服装はいつものパンツスーツ姿
定期券を改札にかざしてホームへ
定期の名義は「クラハシ ユカ」
当然自動改札機がそれに気づくことはない
満員電車に揺られるのは久しぶりだ
俺自身は1ヶ月前に退職したことになっている
入れ替わると決めてからの数ヶ月
この間みっちりと鍛えられた成果をついに披露する日
いやがおうでも緊張感が高まる

ついにオフィスの入り口へ
『おはようございます』
あかるく挨拶をする
もちろん倉橋の声で
そして倉橋のタイムカードを押し
それが当然であるかのように俺は倉橋の席へと座った
しばらくぶりの会社
しかも他人の席に座って落ち着かない
俺は左手で自分の髪の毛を触る
倉橋の癖を真似して始めたこの仕草だが
最近はこうしていると何故か気分が落ち付くのだ

「あっ、倉橋さん。来て早々悪いんだけど、この資料の件でさ」と課長
俺はその資料に目をやる
ああ、あれか
聞いてますよ、ちゃんと本人から
『はい、何でしょうか』
俺は冷静に受け答えする
この件をうまく処理できたことで俺の緊張感は大分ほぐれた
その後もボロを出すことなくなんとかうまく立ち振る舞うことができ
俺の倉橋としての長い一日は終わった

部屋へと帰る俺
もちろん倉橋の部屋だ
スーツ姿のままベッドに倒れこむ
疲れた
俺が倉橋に変身したあの日から
ずっと一緒だった本人はもうここにはいない
この先大丈夫だろうか
だけどもう決めたんだ
このままずっと騙しとおしてやる
俺が、いやあたしが倉橋由佳なんだ

あれからもう1年あまり
すっかり倉橋としての生活も板に付いた
今では自然に振舞っていてもみんなが自分を倉橋として認識してくれている
だけど今でもミニスカートで脚開いて座ってる女の子を見るとドキっとする
それが男だったときの名残なのか、それとも自分がスカートを穿かないからなのか
それは自分にも分からない

男だったときの自分の話をする人ももういない
あれだけ凄い出来事だったのに
いなくなった人のことなんてそんなもんだよね
この前「コンタクト落としちゃった」ということにして
久しぶりの眼鏡&あの日のスーツ姿で出社したけど
それでも誰もなんとも言わなかったな

倉橋由佳として健康診断も受けたし
先輩女子社員として内定者の前で体験談を話しするなんてこともやらされた
この前課長から内示があって
今度配属される新人の女の子の教育係をやってもらいたいんだそうだ

自分が男のときは並のエンジニア扱いだった
それが今では「女の子なのに深い技術も分かるエンジニア」として重宝されている
顧客からの人気もあって仕事は順調
男のときと同じことをやっていても雰囲気と物腰の柔らかさで得している

そして自分で言うのもなんだけど、やっぱり倉橋由佳はモテる
だけどまだ男と付き合う気持ちにはなれないので
新しい彼氏が出来たことにしてある
その仮想彼氏って男のときの自分なんだけどね

この先どうなるかは分からない
だけど今はこの人生が自分の生きるべき道だと確信している
あたしは倉橋由佳

(完)




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