前島家の人々 〜慰めの夏スピンオフ
作:あまみなやか


■新たな登場人物
──前島万里子(まえじままりこ)
前島聖史の母。専業主婦だが時々昔の仕事仲間から仕事を頼まれることがあり、フリーデザイナーでもある。子育てで疲れることもあったが娘の聖華とは今ではすっかり大の親友のような関係、そろそろお嫁に行ってもらえないかと考えるものの、娘と一緒に旅行するのが大の楽しみ。54歳。

──前島聖華(まえじまきよか)
聖史の姉。女子大を卒業後、アパレル会社に勤務しており、新規出店を担当しているため仕事で夜が遅くなることもしばしば、それでもしっかりと休みをもらって、母親と一緒に買い物したり大好きな韓国に旅行したりすることを生きがいとしている。弟の聖史については両親と一緒に子育てをした自負があり、とっても弟思いな姉。28歳。

──前島聖也(まえじませいや)
聖史の父。コピーライターと舞台俳優の二刀流で精力的に仕事を続けている。基本的に多忙なために家にいることは少ないが、休みの日には自分の趣味を楽しんでいるよう。聖史にとっての良き相談相手。58歳。



■本編
電力不足が叫ばれている夏が始まろうとしたある日のこと、前島聖史は久しぶりに定時で家に帰って来た。早々に家に帰って来たために、母親の万里子に頼まれてミネラルウォーターを注文することになった。放射性物質が拡散されているために安全な水を求めている人が多いためか、今ではミネラルウォーターが飛ぶように売れているのだ。今日もさっそく注文するためにパソコンを起動していた。いつものように手際よく注文処理をワンクリックで終えると、晩御飯の準備ができるまでは少しだけ時間があるので、なんとなく色々な水を検索し始めたくなった。

(色々とあるなぁ)

会社でもネットサーフィンをしているとはいえ、仕事に集中しているから最近はあまりネットサーフィンする余裕も無かった。検索をしてみると世界の色々な水が登場するのだ。聖史がなんとなく探しているうちに、Twitterのタイムラインから水に関する情報がさっと流れ出していた。まるでその情報に誘導されるようにツイートされたURLをクリックすると、水の入ったペットボトルがズラズラと並ぶ見知らぬサイトが出てきた。

(誰が作ったのかわからないけど、これはなんだか便利そうだぞ)

そこにはペットボトルの写真がズラリと並び、それぞれの水の特徴が事細かく記載されているサイト。たくさんの水のペットボトルが並べられているが、これを全部日本で入手できるというのだから驚きだ。しかも、ここには全ての説明文が日本語で記述されているので色々な水を注文する時には便利なのだ。

(でも、全部読むのは大変だなぁ)

聖史は全部読むのが面倒になったので、ペットボトルの写真から特徴的なボトルを見つけて、説明文をクリックしたみた。ペットボトルのラベルには見たことはあるが読めない文字が並べられている。聖史からすると象形文字のように思うが、これだって列記とした文字のようだ。

(これって姉貴の部屋でよく見た文字だなぁ。あっ、これってハングルだよなぁ。姉貴は簡単に読めるとか言ってたけど、全然読めないよなぁ)

この商品に対する説明文はこうなっていた。

──この水は入手困難なため、当方でも取り扱い数が限られております。特殊な効果としてこの水は人間の髪の毛が溶ける水となっています。溶かした髪の毛の水溶液には髪の毛のDNA情報が溶け込み特殊なヌクレオチドと変えられます。この水を飲用するとその特殊ヌクレオチドが作用して3分ほどで飲用した人物のDNA情報を書き換えてしまうのです。効果は個人差がありますが最低でも15時間の効果を確認しておりますが、大量の水を飲むとすぐに効果が切れます──
以上の説明にご納得された方は、自己責任の上ご飲用ください。

在庫を見ると残り1本となっていたのでこの文章を読み終わるや否や聖史は思わず注文してしまった。注文後にブラウザが突然落ちてしまったので、注文が無事に完了しているのかわからなくなり不安になったが、注文確認のメールが届き安心するのだった。聖史はこの説明を読みながら、この水を使えば親友の秋葉満が抱えている心の病を癒すことができると思っていたのだ。水にしては高価な値段をしているのだが、ボーナスも出たので手元の資金でなんとかなりそうだった。注文が終わったことを確認すると母親から晩御飯ができたと呼ばれて1階のリビングに降りて行った。



数日後、会社から帰宅すると注文した水がすでに届いていた。食事を終えた母親がリビングで寛いでいたが、さっそく自分の部屋に届いたダンボールを持ち込み、梱包を開くことにした。この水が届いたらと思って準備をしていた。聖華の髪の毛を机の引き出しから取り出しておく、赤茶色の長い髪の毛を見ればこの家では姉貴の聖華のものだとすぐにわかる。ダンボールの中からは2リットルのペットボトルが1本と栄養ドリンクが入っているようなサイズのプラスチック製の小瓶が入っていた。それを取り出すと一緒に英語が併記されている説明書が入っていたが、ホームページで見たものと全く同じ内容が書かれているだけだった。

ペットボトルの蓋を回し、プラスチック製の小瓶にある線まで水を入れ、聖華の髪の毛を一本そっと入れてみた。ゆっくりではあるが髪の毛が泡を出しながら水に溶けていく。まるで理科の実験を見るようだった。そして、溶けていく髪の毛に比例するように水の色がどんどん赤茶色に変わっていき、完全に溶けてしまうと赤茶色の飲料へと変わっていた。小瓶の蓋を閉めて上下に5回振ると一瞬水が光り輝いたので、どうやら完成したようだ。聖史はさっそく飲んでみることを考えたが、今は母親がまだ起きているがもうすぐ寝るはずなので、少し待ってから試飲することにした。母親からお風呂の準備ができたと呼ばれたので赤茶色の液体をテーブルの上に置いたまま浴室へと1階に降りて行った。



浴室から上がるとリビングの電気は消えていた。時計に目をやると母親の就寝時刻を過ぎているので、どうやら寝てしまったようだ。バスタオルでしっかりと体を拭きながら、この体が変化することが頭の中に巡っていた。本当に聖華の体に変わるんだろうか?疑ってみるものの、ボーナスを使ってようやく買った水なので、信じるためにはやはり体験するしかない。そう思いながら聖史は寝巻きのパジャマに着替えてから自分の部屋へと入った。

テーブルの上に置いておいた赤茶色の液体はまるで栄養ドリンクのように見える、一気に喉へと流しこむと部屋の片隅にある姿見を見て、体に変化が始まるのを待つのだった。

(あっ、なかなかいけるなこれ)

聖史は内心そう思うや、急に体が熱くなり出した。そして、肩が丸くなり、背も少し低くなり、髪も伸びて、全身の毛がきれいに抜けて行った。肌は白くツルツルとして、股間にあるはずものがなくなり裂け目が現れていた。鏡の向こうには聖史のパジャマを着ている聖華の姿が現れていた。

(本当に変わった。。。)

「聖史ったら。また私の部屋に無断で入ったのね!」

自分の体が聖華の体に変化したかと思うや、聖華の口調を真似して声に出して見たが、このパジャマさえ着ていなければ誰も怪しく思わないほどに完璧に聖華の姿に変わっていた。聖史は自分のスマートフォンを手に取ると、自分取りをしてみた。写真をプレビューしてみるとVサインを出している聖華の姿が収められた。聖華の腕を使って自分のスマートフォンを持つと少し重く大きく感じた。タッチパネルを触る指にはネイルアートのラメがキラキラと揺れ動いた。

「ちょっと!あなた何者なの?」

自分が発した声では無い、聖史の背後から急に聞き覚えのある声がした。振り向くと仕事帰りの聖華の姿があった。色々と試してみようと思った聖史にとっては思ってもいない展開、驚いた聖史は言葉を発することができなくなった。この場面、聖華が驚くのも無理がない、弟の聖史のパジャマを着ている自分が弟の部屋にいたからだ。

「あんた一体何者?」

聖華は取り乱す様子もなくあくまでも冷静だ。聖史の周りをゆっくりと周り始めながら喋り始めた。

「はっはぁ。どっから見ても姿は私に見えるけど、実は本当は違うのはわかってるのよ。本物は私なんだから、当然よね!」

聖華は聖史に近づき顎を人差し指で押し上げてじっくりと顔を舐めるように見ていた。

「全くもってそっくりよね。いつもは鏡でしか自分の顔を見ないけど、写真で見るのと同じなのね。まぁ、すっぴんでもやっぱり私は可愛いわよね。とにかく私は怒らないから安心してちょうだい。あっ。もしかして、聖史なの?」

聖華のその言葉を聞くと聖史は自然と首を縦に下ろしていた。

「そっか。やっぱりそうだったんだ。だって聖史のパジャマを着ているものね。どうやったら私と瓜二つの姿になっちゃうのかしら?」

聖史はテーブルの上に載せているペットボトルを手に取って聖華に渡すと、聖華はそこに書かれている文章を一気に読み始めた。

「これって韓国で採水した水ね。ハングルで説明が書かれているわね。韓国フリークの私でさえもこんな魔法の秘薬があったなんて知らなかったわ」

そう、聖華は韓国が大好きでハングルをスラスラと読むことができるのだ。このボトルに何が書かれているのかもスラスラと読み解いた。

「どれどれ、この薬の効果はどうなのかしら?」

そう言ってラベルに書かれている説明書を聖華はすべて読んだ。

「イームルン。いや、日本語に訳しながら読むわね。この水は15時間を過ぎると自然と効果が薄れて元の体に戻るわね。でも、すぐに効果を消したい場合にはこの水で自分のDNA溶液を飲めばいいのよ。まぁ、ということはいつでも戻れるってことで、しばらくはこのままの姿のままでいてみない?」

聖華の説明によるとすぐに効果を消す方法は英語の説明書とは違っていた。大量の水を飲んで薄めればいいとか思っていたが、確かに自分のDNA溶液を作っておけばすぐに戻るのだ。さらに、聖華は楽しそうな表情を見せながら聖史に提案をした。自分の姿のままにいて欲しいとは一体何を考えているのか知らない。

「そもそも、この水は姿形だけをそっくりにするんじゃないのよ。その体も能力は私と同じなの、だから、ハングルを読むくらいはできるってわけ」

聖華にそう言われてラベルに目をやると、変な象形文字に見えたはずだが、全てきちんとした文字として認識できていた。この水の効果については確かに聖華の言った通りで、変身したら能力も同等になると書いている。ただし経験や記憶は元の体を引き継ぐので、あくまでも能力や動作だけをそっくりにできるだけなので注意が必要とまで書いてあった。

「どう?やっぱり、この水の効果ってすごいでしょ。聖史の髪の毛だったらこの部屋にたくさんあるわけだし、すぐに戻れるんだから。もう少し私に成りきれるようにレクチャーしてあげて、女性としての振る舞いを勉強するのはどうかしら?」

聖史は聖華の提案にすっかりと載せられ、一緒に聖華の部屋へと移動した。



聖史にとっては久しぶりの聖華の部屋だった。淡いグリーンを基調にした爽やかな感じの部屋。全て聖華がコーディネートしたものだった。普段はこの部屋に入ることはなかなか難しいのだが、今の状況ではすんなりと入ることができた。聖華の部屋にあるウォークインクローゼットに通されると、その中にある大きな姿見に二人の姿が映りまるで双子のようだっった。

「今の聖史だったら、ここにあるもの全て着ることができるはずよね。もっと私らしく変身してみない?朝には私らしく振る舞いながら外に出ても恥ずかしくないくらいにしましょうね」

聖華は一方的に自分の考えを押し付けて来た。

「どうして僕が姉貴に成りきらなきゃいけないんだ?」

聖華の体をした聖史がなんとここではじめて口を開いた。

「私の声だけど、なんか私の声じゃないみたい!客観的にはこうやって聞こえるのね。あの水を使ったら、聖史の親友の満くんの心を解放させることができるでしょ!」
「えっ?」

聖華の口からは意外な言葉が流れてきたのだ。

「聞いたわよ。満くんの妹が津波に流されて行方不明になっちゃったって、この水を使えばその妹にあなたが成りきることがてきるわよね。そうやって、慰めてあげれば心が癒されるわよ。そのためも私が協力してあげるから、まずは私に成りきる特訓をさせようと思ったのよ」

聖史は自分の考えが見透かされていたようで驚いた。

「えっ?聖華がどうしてそのことを知ってるんだ?僕もそうやって考えていたんだけど、これを使ったらあいつのことを慰めてやれるって」
「だから、私がしっかりとサポートしてあげるって!ただし、この一晩だけね。まぁ、明日は休みなんだからさっそく満くんの家に行って実行に移ってもらうけどね。それまでに女らしさを少しでも学べばあとはなんとかなるわよね」

そう言うと聖華はさっそく自分の下着を取り出して着付け始めたが、もちろんぴったりのサイズだった。ピンクのワンピを取り出すとそれに着替えをさせられて、透けるような薄いグレーのカーディガンを羽織った。さらに、化粧の手ほどきを受けて聖華の能力を経験で補えるようにしたのだ。一通りやってみるとすぐに身についた。こんな風にして一晩の間に聖華が女性として必要な手ほどきをしてやったため、次の日の朝になると人前に出る実践訓練を始めることになったのだ。

家の鍵は自分のものを手に取り、一通りの持ち物を聖華から借りる(どうやら、携帯だけは見当たらないが)と本当に自分が姉貴の聖華のように思えて来る。玄関へと向かい、シューズクロークから聖華のパステルピンクのパンプスに脚を入れてみたが、もちろん寸分違わないサイズだった。ちょっとだけ背が高くなりいつもの視界に近くなると、自然と背筋を伸ばして歩くのにちょうどよくなった。玄関扉を開けると太陽の光が眩しすぎた。日傘を開いて遮りながらいつもの聖華が歩くようにヒールを鳴り響かせながら颯爽と歩き出した。



聖史が出て行くと、聖華はその姿をしっかりと見送ったあとで脱衣室で着ていたものを全て脱ぎさり、真っ黒な水の入ったコップを流し込んでから浴室の中へと入っていった。シャワーをひねると体が変化していく、丸みを帯びた肩がしっかりとしたものになり、全身は毛深くなっていた。髪の毛は短くなり、股間には突起物が現れていたのだ。顔に残っていた化粧を落とし始めると、鏡の中に聖史の父親である聖也の姿が現れていた。

(これで聖史の奴にも女を体験させることができるよな。父さんの趣味を一緒に楽しめるように、万里子と聖華の二役を使って芝居をうってみたが、我ながら完璧だよな)

聖也はどうやら自己満足に浸っていた。劇団で演技者を続けているため、演技はお手の物だった。家にいることが少ないので聖史と会うことも少なかったが、母さんと聖華が二人きりで韓国旅行に出かけることを利用し、この期間に息子を自分の趣味に取り込む計画を立てていたのだ。そもそも二人の旅行計画は聖史に内緒にしていたので、聖史がこの旅行のことを知らなっかたのはさらに好都合だった。

女二人が聖史に気づかれることなく旅行に出かけるところを聖也が見送ると書斎に入り、金庫の中に入れておいた水を使って万里子に成りすまして聖史が帰ってくるのを出迎え。お風呂に入っている間に聖華の体へと変身していた。

聖也はこの水を利用して聖史の親友の満の心の病を治したいと最初から思っていたのだが、満のことはよく知らないため実行できないでいた。そこで、満をよく知る息子がこの水を自然と見つけることができるように、Twitterで情報を流して自然とあのサイトに辿り着くよう仕組んでおいたので、聖史が自然と行動できるようにしたのだ。



そんなこととは知らない聖史は聖華の姿で街を颯爽と歩いて帰ってきた。聖華がいつも通っているカフェでいつものを頼んだりしても気づかれなかったので満足した気持ちで戻ってくると、そこに聖華の姿は無く母さんが待っていたのだ。

「お帰りなさい、聖華」

どうやら母さんには気づかれていないようだったので、聖華らしく振る舞うことにした。

「母さん。遅くなってごめんなさい。昨日は出店準備のために詰めていたもんだから、遅くなっちゃったわ」
「まぁ、そうなの?」

母さんは朝からどうやら朝から出かけるらしく、よそ行きの服装をしていた。

「ねぇ、母さん。これから外出するの?」
「外出なんてしないわよ。ねぇ。わからないのかしら、これって聖華の服、な・の・に♪」

そういいながら目の前でクルッと回転して見せる。

「私の正体がまだわからないのかしら?」

そう言われてドキッとしたのは聖華の姿をした聖史だった。

「まさか?姉貴?」
「フフフ」

母さんはただそうやって微笑むだけだったが、聖史は母さんの姿をじっくりと見つめ直した。

「とにかく、今日はこれから頑張ってね。満くんの家に行って、妹さんの髪の毛を探して来ること、それさえあればあとは私が手伝ってあげるから一度ここに戻ってらっしゃい」

二人しか知らないはずの秘密をちゃんと知っているのだから、母さんの姿になっているのはやはり聖華だと錯覚していた。洗面室では化粧落としを教えてもらって、その手順通りに化粧を落とした。その後、服を全部抜いでから聖史の髪の毛が溶かされた溶液を喉に流し込むと、自分の体に戻ったのでいつもの服装に着替えた。

(待ってろよ。満!)

携帯用の化粧水ケースに例の水を入れて準備をすると、聖史は満の家に向けて颯爽と歩きだしていた。



(おしまい?)




inserted by FC2 system