マーブル 
  

輝晒 正流 作  



     第1章  復活の壷

 ついに一行は3人になった。
 随行していた侍女や護衛兵は、2度にわたる盗賊との戦いで死んだり負傷したりしていた。
 「これならはじめから、3人で行った方が良かったんじゃないか?」
 俺は剣の手入れをしながら言った。
 宿の一室だ。同室の男は、魔術師ルーカス、初老の域に達しているはずだが、未だ若々しい。
 「問題は結果ではない。この旅で大事なのは経過、ニースが経験することすべてが大事なのだ」
 応えて再び、書物に目を落とす。
 俺はベッドの上で彼に背を向け、先に眠りについた。

 俺達は、ニースを守って旅をしている。巫女の候補に選ばれたニースを中央の教会まで送り届けるのだ。ルーカスの占いにより道を決め、選択の必要が起きたなら、それはニースが決定する。それだけがこの旅の条件だ。
 結果、数十人いた護衛や付人たちは、死んだり怪我を負い、一緒に旅を続けられなくなったのだ。俺には納得が出来ないが、それでもそのことがこの旅の重要なことだと、ルーカスは言った。たとえ、ニースが死ぬこととなってもだと。

 数日後、俺達は砂漠の真ん中にいた。
 強烈な太陽に、めまいを感じそうだ。
 か弱いニースが不平を言わず歩いているので、俺も文句は言わず黙々と歩いていた。もちろん、周囲には細心の注意を払っている。
 俺は立ち止まった。
 そして、背後の二人を制止する。
 「どうした」
 「空気に生臭さを感じた。これは、ドラゴンだ」
 盗賊や魔物よりも、もっとも厄介な相手だ。
 ルーカスの魔術は白魔術だから、ほとんどドラゴンには通じない。
 俺の剣でも、そう簡単にはいかない。背中に乗ることさえできれば、倒すことも可能なのだが。
 ただ救いなのは、ドラゴンは基本的に人を襲わないということだ。若いドラゴンは人間に興味をもって、戯れようとして結果として人間を死なせるということは、たまにあるようだが。
 問題なのは一度人間に襲われたことのあるドラゴンだ。こいつは、容赦なく人間を襲ってくる。
 今、そいつに出会えば3人とも命の保障はない。
 砂丘を上り詰めた向こう側にそいつはいた。
 砂丘の窪みにそのからだを横たえ眠っていた。
 まだ若いドラゴンだ。しかし、傷を負っている。
 ドラゴン同士の争いかもしれないが、ここは慎重を期した方がいいだろう。
 俺達は風下を回り道をすることにした。
 大きくドラゴンの寝床を迂回し、感づかれないようにここをやり過ごすのだ。

 迂回を始めて、少ししたころ風向きが変わりはじめた。
 俺は、二人に急ぐように指示する。
 しかし、足の下はさらさらした砂だけだ。なかなか、歩く速さを上げることは出来ない。
 そして、ニースが砂に足を取られて躓いた。
 「きゃっ!」
 汗をかいた顔が砂まみれだ。
 しかし、それを落としてる時間は、恐らくない。
 俺は、彼女の手を取ると、すぐに歩き出した。
 十数歩、駆けるようにして進んだところで、俺は視線と殺意のようなものを感じて立ち止まった。二人も何かを感じたようだ。
 振り返った俺達の目に映ったものは、背筋も凍るような、ドラゴンの目つきだ。
 目を覚ましたドラゴンが、首を高く上げて、こちらを睨んでいたのだ。
 こんな、憎悪に満ちたドラゴンの目は見たことがなかった。
 間違いなく殺される。そう自覚した。
 しかし、同時にニースだけは守らねば、と決意する。
 俺は、ニースをルーカスの方へ突き放すと、
 「走れ!」
 叫んだ。

 ドラゴンが翼を広げ立ち上がる。
 背丈は10メートルを越え、翼幅は20メートルはある。
 俺は剣を抜いた。
 上空からつめで襲われると、不利だ。俺は、ドラゴンへ向かって駆け出した。
 ドラゴンは飛ばずに待ち構える。
 10メートルまで近づいたところで、ドラゴンが羽ばたいた。
 飛び立つのではない。砂を飛ばして、俺の目をつぶそうとしてるのだ。
 若いドラゴンでさえ人並みの知恵はあるといわれている。
 浅い考えでは、勝つことはできないだろう。力でも完全に負けているのだから。
 とにかく、砂から逃れるために、俺は横へ走った。
 ドラゴンは俺が砂の攻撃から逃れると、空へと舞い上がった。
 上空から、俺に向かって蹴りを仕掛けてくる。
 剣を振るいながら、俺は転がり逃れる。
 ドラゴンの足に、小さな傷を付けることが出来たが、こんなのでは倒すことなど到底出来ない。
 俺はドラゴンに気付かれないように背負った荷物から短剣を取り出す。考えがあってのことだ。
 ドラゴンは、再び空中からの蹴りを仕掛けてくる。
 俺は、十分に引き付けておいて、その短剣をドラゴンの翼の付け根に、思い切り投げつける。
 俺はそのために逃げるのが遅れて、肩にドラゴンの爪を受けた。
 短剣はドラゴンの翼の付け根に狙い通り刺さったようだ。
 ドラゴンは痛みのために、俺に蹴りを食らわした後、そのまま不時着する。
 その隙をついて、痛みを抑え俺はドラゴンの背に駆け上った。
 そして、剣を首の付け根に突き立てた。
 ドラゴンの咆哮。悲鳴だ。
 それから狂ったように暴れ出す。
 俺は振り落とされないように、剣のつかにしがみつく。
 耐えながらも、俺は剣を徐々に深く、深くさしてゆく。
 剣の刺さった傷口からの、血の流出が激しくなった。動脈に達したのだ。
 ドラゴンといえども、生物だ。動脈を切られては長くは持たない。
 俺は剣を倒し、傷口をさいて広げた。
 大量の血液が吹き出した。
 断末魔の叫びとともに、ドラゴンは暴れまわる。
 全身、足元も血まみれの俺はドラゴンの背中から滑り落ちた。
 剣はどこか違うところへ落ちてしまったようだ。
 死に掛けのドラゴンに踏み潰されてはたまらないのでその場からすぐさま離れる。
 これで、ドラゴンは倒せたと、少し安心すると、自分の傷口が痛み出して、俺は膝を付いて肩を押さえた。
 そんな俺を心配したのか、ニースが駆け寄ってくる。
 「来るな!」
 叫んだ。まだドラゴンは倒れてはいないのだ。今近づくのは危険だ。
 しかし、構わず近づいてくるニース。
 ドラゴンもニースに気付いたようだ。
 ドラゴンの足がニースへと向かう。
 「逃げるんだ。ニース!」
 だが、ドラゴンに睨み付けられたニースは立ちすくんでしまい、動けないでいる。
 「弱虫ドラゴン。戦ってるのは俺だぞ! 逃げ出して、女を襲うのか?」
 挑発をかける。が、死に掛けの若いドラゴンには効き目がない。
 ふらふらとした足取りだが、ニースへと向かっている。
 注意をこちらに引かなければ、と思うが今は剣がない。
 俺は背中の荷物を投げつけた。
 ドラゴンの後頭部に命中した。
 ドラゴンがこちらを振り返る。
 後少しだ。後少し、注意を引いていれば、やつは動けなくなる。
 だが・・・
 やつは少しの間振り返っただけで、再びニースへと向かう。
 「なにっ!」
 ドラゴンは、直接俺の命を奪うよりも、俺の守るものを奪って俺を苦しめようというのか。
 ニースはルーカスに手を取られ、逃れようとしているが、駄目だ、腰が抜けてしまっている。
 俺は周囲を探した。見つけたのは短剣の方だった。
 ないよりましだ。
 拾うと俺はニースの元へ駆け出した。
 「ニース!」
 俺は力強く叫んだ。声でもドラゴンの注意を引くためだ。
 もうだいぶよたっている。少しだけ足を止められれば・・・
 俺はそう思い、タイミングよくドラゴンの足に飛びついた。
 そして、短剣を何度も何度も突き刺した。
 足をばたつかせ、俺を振り落とそうとする。
 次の瞬間、もう一方の足が俺を蹴り飛ばした。激痛とともに俺は宙に舞った。
 飛ばされながら、ドラゴンが倒れてゆくのが見えた。

 駄目だな。
 砂の上に転がった俺は、やけに冷静に自分の状態を判断した。
 蹴り飛ばされたとき、奴の爪が俺の腹に突き刺さったようだ。出血が多い。臓器もやられているだろう。
 隣に駆け寄ってきたのはルーカス。
 彼の表情を見ると、俺の状態が手の施しようのないということが分かる。
 続いてニースもやってきた。
 「ごめんなさい。私のせいで・・・ 手当てを早く」
 俺は首を横に振った。
 「ご無事で」
 言ったがそれが声となって彼女に聞こえたかどうか、もう俺にはわからなくなっていた。
 眼もかすみ、意識が徐々に遠ざかる。
 「壷は?」と言ってから「壊れてしまっている・・・」
 ニースの悲嘆する声がする。
 そういえば、そんなものもあったな。
 こんな時に壷の心配を? なんて思わないでくれ。
 彼女が探しているのは、“復活の壷”。
 死にゆく者にもう一度、生きるチャンスを与えるものだ。

 “復活の壷”と呼ばれるそれは、極彩色の模様が施されていた。手の中に納まるほどの小さな壷だ。
 旅立つ前、ルーカスが俺のために、ひとつ用意しておいてくれたものだ。
 黒いカーテンで仕切られた空間、儀式のために即席で作られた祭壇が中央にある。
 「マーブル」
 祭壇の向こう側に立つ魔術師ルーカスに呼ばれ、俺は、祭壇のルーカスの向かい側に立つ。
 「大地と天空の精霊よ、この者の復活の日のために告げる。請う者・汝の名は?」
     「マーブル」
 「汝の祝福は?」
     「春の季、芽生えの節、第3の日」
 「汝の星は?」
     「赤き惑い星」
 儀式用の言い回しで、質問が繰り返された。
 「では、汝のひとつを」
 言うとルーカスは剃刀を持つ。そして、俺の頭髪の一部を切り取る。
 切り取られた髪の毛は、壷の中へと入れられる。
 「次ぎに、汝のふたつを」
 刃を上に向けて、ルーカスは剃刀を俺の前に突き出す。
 指先を軽くそれに押し当てる。
 赤い血が滲み、指先から滴る。それも、壷の中へと入れられる。
 「次ぎに、汝のみつを」
 俺は、壷の口へと息を吹き込んだ。
 練られた粘土がルーカスにより、壷の口へ詰められた。
 「再び願うその時まで、この壷を仮初めの受け皿とし、復活の助けたらんことを」
 言いながらルーカスは壷の口を火にかざした。
 これで儀式は終わりだ。
 「この壷は大事にするのだぞ。お前の命よりも大事にな」
 ルーカスが壷を俺に手渡した。
 「命の方が大事じゃないか」
 「お前は若いし、初めてだからな。知らないのだ。この壷の大切さが」
 ・・・
 儀式のときのことがぼんやりと浮かんだ。
 あの壷があれば俺は生き返れたらしい。
 しかし、荷物はドラゴンに投げつけてしまった。きっとそのときに壊れたんだろう。
 けど、命より大事にとは、どういうことだったんだろう。
 そのことを分からずに俺は死んでしまうのだ。
 「私の命を壷に移し、私の体をマーブルの壷の替わりに使うのです。早く!」
 遠のく意識に、ニースの悲痛な叫びが聞こえてくる。
 「しないというのなら、私もここで・・・」
 もうそれ以上は、なにも聞こえなくなった。
 何もわからなくなった。
 ただ、真っ白な世界が広がっているようだった。


 涼しい風に吹かれて、オレは目を覚ました。
 「そのまま聞くがいい」
 どうやら、まだ砂漠の中にいるらしい。太陽は地平線の辺りにあり、大気が急速に熱を失っている。
 「わたしは言ったはずだぞ、マーブル。復活の壷は、自分の命よりも大事にしろと。あれがあれば、他のものに死別の苦しみを与えることはないのだ。一時の別れでしかなくなる。
 なぜ、あのときお前は壷を投げてしまったのだ。
 ニースを助けるためか?
 お前はそう思ったかもしれないが、事実は違う。
 お前がニースの死を見たくなかったからではないのか?
 ニースも復活の壷でよみがえることが出来た。命を賭して、助けなくても良かったのだ。
 お前があの時、壷を壊さなければ、ニースは辛い選択をしなくてもすんだのだ」
 辛い選択?
 そう言えば最後に聞こえたニースの言葉は、オレは不安になり、ルーカスに問い掛けた。
 「ニースは、どうし・・・」
 言葉を発してオレは言葉を失った。
 オレの声じゃない。細くて高い女のような声。
 がばっと上半身を起こし、自分を見る。
 両腕は細い女のもの。肩にかかる長いさらさらした髪。胸の二つの隆起。
 そして、ニースが着ていた服。
 「これは・・・」

 ルーカスは話してくれた。
 復活の壷さえあれば、人が死ねば魂はその壷に入り、祭壇で再び生前の姿によみがえることが出来る。
 死ななくても、魔術の力により魂を壷に移すことが出来る。
 その時、魂の抜けた体に別のものの魂を宿すことも出来るのだ。
 ただ、ルーカスの魔力では出来るかどうかわからなかった。失敗すれば死なせていたかもしれない、危険な術だったのだ。
 しかし、ニースがルーカスに懇願した。自らを危険な目にさらし、その術を施させたのだ。
 「ニースはお前のことを好いておるのだ」
 オレは、今はニースの魂の宿っている壷を、そしてニースの体を、そのニースの腕でやさしく抱きしめた。
 「ごめん。オレなんかのために」



     第2章 旅の戦士

 翌朝、目が覚める。
 自分のものでない体に違和感を覚えながら、起き上がる。
 「まだ動くのはむりだろう」
 ルーカスが声をかける。近くに穴を掘っている。
 「大丈夫だ」
 「ふらふらしているではないか。その体はお前のものではないのだぞ。今までのように強がるのではない」
 もっともな言い分にオレは言葉を返せない。
 「何をしているんだ?」
 「見て分からんか? 墓穴を掘っているんだ」
 見回せば、ドラゴンの死体が眼にはいる。
 「ドラゴンのか?」
 とてもじゃないが、あれの入る穴は掘れそうにない。
 「マーブル、お前のだ」
 ルーカスが差したところには、毛布が敷かれている。いや、何かにかぶせられている。
 オレが恐る恐る、めくると自分がそこに死んでいた。
 「ああ!」
 昨日まで自分だった存在が、血まみれになってそこにあった。
 数限りない死体を見て来て慣れてしまっていたが、生物の本能としての死の恐怖というものが体の底から、今新たに沸き上がってきた。
 体が震える。
 オレは自分の小さな肩を抱いた。

 自分の死体を埋めた後、簡単な儀式(別れとしての儀式ではなく、死体が早く土に帰るようにする儀式だ。復活したものが自分の死体を見ないですむようにするためらしい。オレはもう見てしまったが)を済ませ、再び旅立った。
 しかし、2時間ほど歩きオアシスにたどり着いたとき、めまいがしてオレは倒れてしまった。
 疲労と暑さもあっただろう。しかし、最大の理由はオレの精神がまだこの体に馴染んでないためだ。精神に大きな負担がかかっているのだ。
 「だからもう1日体を整えてからといったのだ」
 「となりにドラゴンの死体を置いていたんじゃ、安心できない。別のドラゴンに襲われる可能性があるから」
 ルーカスが寝ているオレの額に、湿らせた手ぬぐいを置いた。
 「明日いっぱい、ここで休んでいくことにしよう」
 「そうだな」
 答えてオレは眠りに落ちた。

 目が覚めたときは既に、日が暮れていた。
 スープのいい香りがする。
 「起きたか。気分はどうだ?」
 「悪くない」
 答えて、起き上がった。めまいももうなかった。
 「食べられるか?」
 問われて、自分がニースになってから、水以外何も口にしていないことを思い出した。
 「あぁ、食べて体力を付けないとな。盗賊ぐらいは相手に出来ないと、この先旅を続けられない」
 オレは、器を受け取ると、むさぼるように食べた。始めはいくらでも食べられそうだったが、すぐに満腹を感じた。胃が小さいのだ。オレがいつも食べていた量の半分くらいだ。
 これでは、あまり体力を付けれない。そう感じた。
 「その食べかた、野宿の間に直さないといかんな。お前の外見はニースなのだからな。町中でそんな食べかたをしたら、周囲の男どもが唖然としてあごを外してしまう」
 「そんなひどかったか?」
 空腹だったせいでいつもより、下品な食べかただったかもしれないが、そんなにひどかったとは。
 片づけを済ませると、オレは剣の手入れを始めた。
 まだ血のりが残っている。
 丹念に手入れをし、血のりや汚れをきれいに取り去った。
 再び輝きが戻る。
 その剣を、両手で構える。
 重い。とても今までのように片手では振りまわせない。
 しかし、身を守るためには、ニースのこの体を守るためには、重く感じるようになったこの剣を使いこなさなければならない。
 両手で扱うしかないな。思いながら数度、素振りをしてみる。
 何とかなるだろう。

 翌朝、もう完全に体力を回復していた。
 しかし、これはオレの体ではない。過信してはいけない。
 今日一日は様子を見るのが無難だ。
 かといってじっとしていたのでは、かえって体をなまらせてしまう。
 オレは、ルーカスと一緒に周囲を散策したり、木の実を集めたりしていた。
 そこで泉を見つけた。
 ニースのこの体も、もう何日も水浴びをしていない。
 かなり匂っているというのがホントのところだ。
 「水浴びしないか?」
 オレは純粋に、汚れた体をきれいにしたかっただけなのだが・・・
 「いや、私はいい」
 ルーカスは、吃るように答えて、顔を背けた。
 考えてみれば、水浴びをするということは、ニースのこの体を裸にするということだ。
 俺もそれに気付いて、顔を真っ赤にする。
 「そうか、これはニースの体だからな。裸を見ちゃいけないか」
 「そうは言ってない。むしろニースのためにも、体は清潔にたもっておくほうがいいだろう」
 「でも、巫女になるひとの裸なんて見ていいのか?」
 「体が巫女になるわけではないからかまわん。ただし、いやらしい考えは起こすのではないぞ。では私は周囲を見張っておくから、ゆっくり入るがいい」
 言うと、ルーカスは離れていってしまった。
 オレはしばらくためらって、汚れた手のひらを眺めていた。
 しかし、意を決して服を脱ぎはじめた。
 すべて脱ぎ捨てた後、自分の体から目を背ける。
 「ルーカスの奴、いやらしい考え起こすななんて、かえって意識するじゃないか」
 つぶやきながら、冷たい水のなかへ足を踏み入れた。

 オレがニースになって、早10日が過ぎようとしていた。
 体調は、万全だ。ただ、体力はニースの体の限界を感じている。
 しかし、それも毎日剣を振るい、いざというときには、自分の身ぐらいは守れるようにと鍛えてはいる。
 街の中を宿を探しながら、オレ達は歩いていた。
 オレは、ニースの色白の顔に、炭を塗り、わざと汚して、束ねた髪をフードに隠していた。
 町に入る前の街道で、若い男たちに卑猥な言葉をかけられたり、誘われたりしたからだ。
 ニースの美しさでは、男たちの気持ちもわからなくはないが、声をかけられるこちらとしてはたまらない。それに、ニースに対する辱めは言葉だけでさえ許せなかった。
 「暑いよ、これは」
 オレがフードを差して、ルーカスに言う。
 そのフードは巡礼者がよく使うものだ。
 剣も布をかぶせて、それとはわかりにくくしてある。
 この身なりならば、常識のある者なら、男女の誘いをかけることはない。
 が、常識の無い者はどこにでもいるのである。
 体格から女だと判断したのか、オレの側によってきた男は下心丸出しの言葉で誘ってくる。
 「そんな暑苦しいかっこしてないで、顔みせてよ」
 図々しくも、フードに手をかけ、オレの顔を露わにする。
 オレは男の手を払い除ける。
 「そこにうまい店があるんだけど、一緒に食べに行かない?」
 更に食い下がる男の下腹に、オレはパンチを見舞った。
 「痛い目見たくなかったら、オレにかまうんじゃねぇ」
 「このアマァ、下手に出ていりゃ・・・」
 決まりきった後のセリフをこれ以上聞く必要はなく、オレは再び男の下腹にパンチを食らわす。
 しかし、倒すことは出来ない。この体ではそれほどのダメージを与えられない。今の状態は虚勢を張っているだけに過ぎないんだ。
 オレは、剣を包む布をほどいた。剣を抜くつもりはなかった。ただ、威嚇するためだ。
 だが、男はオレの剣に対抗しようとしたのか、短剣を取り出し、抜き放った。
 周囲にざわめきが起こる。人垣が数歩後退する。
 オレは、剣を鞘に納めたままで、男の短剣を落とそうと、手を狙うがうまくかわされた。
 いまの力の差で相手を傷付けないで屈服させようというのは、不可能に近い。
 「やめろ!」
 人垣の中から声が飛んだ。
 男が引こうとしないので、こちらも鞘のままの剣を構えている。
 そして、腹をめがけ突きを入れるが、それも交わされ、鞘をつかまれた。
 剣を引き戻すと、鞘から抜けて、銀色に輝く剣が姿をあらわした。
 「ほう、それで俺を切るのかい?」
 挑発を掛けてくる。
 悔しかった。いつもなら、この程度の奴に負けることはないのに、十分な力がないために馬鹿にされるなんて。
 「そこまでにしておけ」
 さっきの人垣から声を掛けた同じ声の男が間に割ってはいる。
 すらりとした、長身の戦士だ。
 しかし、オレ達が互いに剣を引く前に、もうひとり割って入った。
 「この町で長剣を抜いて争うことは禁止されておる」
 兵士が俺の両腕に、縄を打った。

 簡単な取り調べの後、オレは鉄格子のはまった独房へと入れられた。
 正当防衛と不可抗力を訴えたが、相手の男が、恐喝に合ったとか嘘を付いたせいで、ややこしくなったのだ。
 しかし、まもなくオレはそこから開放された。
 割って入った男が、証言して、いくらかの保釈金を支払ってくれたからだ。
 開放されたオレを待っていたのは、ルーカスと、保釈金を支払ってくれた男だ。
 「ニース、だよな」
 そいつはオレにそう声を掛けて来た。ニースの知り合いなのか? しかしオレはこいつのことを知らない。とすれば、ニースが教会に入る前の知り合いということか。
 「オレは、マーブルだ。保釈してくれたことには、礼を言う。しかし、勝手にしたことだから、金は返さないぞ」
 「俺のことを怒っているのは分かる。お前を置いて勝手に旅に出たんだからな。しかし、俺は・・・」
 「オレはニースじゃない。だいたいお前は誰なんだ」
 男の話を押さえて、オレは言った。
 「プラッツだ」
 短く答えた男の顔は、茫然とした感じだ。オレの様子が本当に自分のことを知らない態度だと気付いたのだろう。
 「ここでの話はなんだから、場所を移そうではないか」
 そう言ったルーカスをオレはきっと睨んだ。
 「あんたが助けてくれば、ややこしくならずに済んだんだぞ」
 「そう言うな。教会の役目で私は傍観者に勤めねばならんのだ」
 「しかし、今のオレは・・・」
 ニースではないと言いかけて、目の前にプラッツがいることを思い出しやめた。

 宿を決めたオレ達は、1階にある食堂で軽く食事をとりながら、話をすることにした。
 「それにしても新手のナンパか? 保釈金を払って、女を確保するっていうのは」
 「マーブル言葉が過ぎるぞ」
 「傍観に勤めるんじゃないのかよ。余計なときだけ口出して」
 「今日のお前は変だぞ。いつもの冷静さがないようだ」
 「女だからな。月に一度のいらいらする日じゃないのか?」
 口振りは挑発するような雰囲気だが、オレには本当に彼の言ってる意味がその時は分かってなかった。
 「フッ」と少しだけ、プラッツはわらった。
 「あんた、魔術師だよな。で、巫女を連れて中央の教会に向かうんだ」
 プラッツはルーカスに尋ねる。
 ルーカスは頷く。
 「俺を護衛に、雇わないか? 宿代と食費だけでもいい。ここから先、まだ道は長い。とても、あんたたち二人だけではたどりつけん」
 「さっきは加減し過ぎたからだ。本気出せば、あの程度の奴なんて、どうってことはないさ」
 「あの程度だけですめばな。これから先、もっと強い奴が襲い掛かる可能性の方が高い」
 「マーブル。この男の言う通りだ。意地を張らずに、このものを雇おうではないか」
 なんだか、悔しかったが、ニースを守るためだと、自分に言い聞かせ、頷いた。
 「しかし、どうして宿代と食費だけでいいというのだ? それでは稼ぎになるまい」
 「俺はニースを守ってやりたい。それだけだ」
 「オレはニースじゃないといってるだろう」
 「そう、確かにお前はニースじゃない。しかし、その体はニースのものだ、目尻のほくろが証拠だ。昔の恋人が言うんだ、間違いはない。今ニースの魂は復活の壷の中にあるんだろ」
 「ああ」
 そこまで言い当てられては、ごまかせないし、ごまかしたところで意味はない。そう思って答えた。
 「しかし、ニースは巫女になる身だ。ニースの魂を元に戻す前に、ニースの前から立ち去るんだ。惑わせたくはない」
 「了解した。しかし、それはお前もそうだ。お前も元に戻ったニースには、会わずに立ち去るんだ。その口振りからするにお前は男だった。男のお前に自分の体を提供するくらいだ。よほど好きでないとそんなことは出来ないからな」
 「あ、ああ」
 言われてようやく気が付いた。
 ニースがオレに好意を持っていたのは知っていた。しかし、それが自分を犠牲にしてまで守ろうとするほどだなんて。
 そう返事はしたものの、オレはそこまでしてくれたニースに礼も言わずに、旅立っていいのか? 答えは出なかった。

 プラッツは寝る前くらいになってオレの部屋を尋ねた。
 「変な気はない。安心しな」
 オレは剣の位置を確認してから、プラッツを部屋に入れた。
 「お前に渡しておいたほうがいいんじゃないかと思ってな」
 「プレゼントならオレに渡しても意味ないだろ」
 言うと、プラッツは大笑いした。
 「何勘違いしてやがる。女初心者のお前だから意味があるんだよ。薬草、痛み止めだ」
 確かに、下腹部に痛みを感じているが、どうして分かったんだろう。
 「それから、ニースの荷物の中に脱脂綿か何かとガーゼは入ってるかい?」
 「確か入ってたと思うが。それがどうかしたのか?」
 「やっぱり分かってなかったんだな。お前は生理なんだよ」
 「生理!?」
 ・・・というものが女にはある事ぐらい知っていた。が具体的にどういう症状が出て、どうすればいいのかなんて知らなかった。
 プラッツは、なぜかそういうことにも詳しくて、オレにどうしたらいいのかを教えてくれた。互いに顔を赤らめながら。
 しかし、困ったな。オレが生理になるなんて。

 それから、数日平穏な日々が続いた。
 プラッツがそばにいるだけで、オレを誘おうとする奴は現れなかった。
 一度だけ盗賊に襲われたばかりの人たちに出会い、手当てをしてあげたことがあったけど、その時のプラッツの手際にはすごいと思った。
 まるで医者のように、止血をしたり、傷口を縫いあわせたり、包帯を巻いたりと。オレだってある程度の応急処置は出来るが、彼の足元にも及ばない。
 そしてこのころから、オレは自分の心に違和感を感じ出した。
 分かっていた。それが何かということは。
 だから、オレはいつもより、剣の練習を増やし、体力を付ける訓練を増やし、がさつにしてみたり、言葉づかいをいつもより荒っぽくしてみたんだ。
 そうしないと、自分の心がどんどんと女に変わってゆくような気がした。自分の心を押さえられないような気がした。“憧れ”が“好き”になってしまうような。
 そして、そんなオレの心をプラッツに気付かれないように。


     第3章  マーブル

 この辺りは盗賊の商店街とあだなされるくらい、立て続けに盗賊に襲われることで有名らしい。傭兵無しでは、けして通り抜けられないそうだ。
 今日も盗賊に襲われた。
 十人あまりの盗賊で、ほとんどをプラッツが倒したのだ。その剣の扱いは素晴らしく、見とれてしまうほどだった。
 自分では、同じ剣士として、その剣の腕に見入っていたはずなのに、思い出すのは、彼の顔、広い背中、たくましい腕。
 オレはどうしてしまったんだ。
 これじゃぁ、まるで恋する女じゃないか。
 自己嫌悪に陥る。
 だから、それを忘れるために、オレは、剣の練習に打ち込んだ。
 野営のたき火を少し離れ、オレは両手で剣を振った。
 何度も何度も、納得するまで、気が済むまで。
 「なかなかに、筋はいいな」
 「馬鹿にするな。これでも、オレは少しは名の知れた剣士だ」
 「そうだったな。すまん」
 「しかし、お前にはかなわないのは確かだ。良かったら、オレに訓練を付けてくれないか?」
 プラッツは快く引き受けてくれた。
 始めはオレの素振りを見てもらい、悪い点を指摘してもらう。自分だけではなかなか気付かないことも指摘され、有意義だった。
 それで、オレは指摘されたことを踏まえもう一度素振りをする。
 「そうじゃない」
 「こうか?」
 「違う。・・・こうだ」
 プラッツはいきなり、オレの手を取って、教えようとしたのだ。
 「・・・」
 声が出そうになったのを必死に押さえた。
 オレの背中に、ぴったりとプラッツがくっついている。息遣いが聞こえる。男の汗の匂いがする。
 ドキドキと、心臓が高鳴った。
 男の匂いってこんなだったのか? いや匂い自体は同じだろう。しかし、今までは不快だったそれを嗅いだときに、なぜか快感のようなものを感じる。
 しばらくの間、オレはプラッツを感じながら、練習をした。
 「そろそろ、終わりにしよう。疲れを残すといけないから」
 プラッツが言ってオレから離れた。
 「そうだな。ありがとう」
 俯き加減で礼を言うと、オレは小走りで逃げるようにたき火の元へと戻った。
 プラッツにはそのときの顔を見られたくはなかったんだ。
 けど、へんなやつって思ったかな。
 「気を付けろ。精神が肉体の影響を受けて、だんだんと女っぽくなってきているぞ」
 ルーカスが小声で俺に言ってきた。
 「分かっているさ」
 分かっている。けど、どうしようもないんだよ。
 オレは毛布に包まると、横になった。
 プラッツのことがまぶたから、鼻腔から、背中から離れず、なかなか寝付けなかった。

 翌日も盗賊に襲われた。
 久しくまみえなかったつわものぞろいの盗賊だった。
 30人程の集団がオレ達を取り囲んだ。
 オレはルーカスに隠れるように指示した。こいつら相手に、ルーカスまで守のは不可能だ。
 プラッツが先頭に立って、盗賊に剣を向ける。盗賊たちもプラッツの剣の腕に気付いて、距離を保つ。
 しかし、所詮は盗賊だ。かなわないからと逃げ出すことはせず、若い者から順に飛び掛かってくる。
 それを、プラッツが片っ端から切り捨てる。
 しかし、数が多い。プラッツの剣を潜り抜けた者が、オレのところに掛かってくる。
 女だと油断してる奴等を切り捨てるのは、数も少なく比較的簡単だった。
 ところが、プラッツが盗賊の剣の切っ先を右腕に受けた。血がにじんでいる。
 剣の切れが鈍っている。
 それに、盗賊たちの目的が変わってきた。金品を奪う欲から、仲間を殺された憎悪へと。
 形勢が不利に傾いた。
 盗賊たちは数に任せて切りかかる。プラッツは襲い掛かる奴と剣を交えて、オレから少しずつ離れてゆく。
 そのためにオレに襲い掛かる奴等が一気に増え、オレも彼から離れてゆく。
 オレもプラッツに負けまいと、盗賊たちに切りかかる。
 数人を切り倒すことは出来たが、もう限界だ。腕の筋肉が張って、しびれ出した。
 オレの方に剣を向けているのは、あと二人なのに。
 「なかなか出来るようだが、そろそろ限界か?」
 いやらしそうに笑い、俺に剣を向ける盗賊のひとり。
 若い方が、先に切りかかってくる。
 オレはそいつの剣をかわし、切り捨てる。
 がその直後、体制を立てなおす前に、もうひとりが襲い掛かってきて、オレの剣をはじいた。
 卑猥な笑みを浮かべながら、鈍く光る剣の先を、オレの心臓にまっすぐに向けている。剣の先は軽く服の上から乳房に触れている。
 無防備なオレは死を覚悟した。このひと突きで、オレは簡単に殺されるんだ。
 しかし、状況はさらに悪い方へ進んだ。
 男は剣を下ろすと、代わりに腕を伸ばし、オレの胸元の服をぐいっとつかんだ。そして、一気に引っ張った。服は簡単に破れて、下着が露わになった。
 「きゃーっ!」
 オレの口から、今まで発したことのない悲鳴が突いて出た。
 同時に反射的に、両腕で胸を押さえる。
 その押さえているオレの腕を、男はぐっとつかみ、体から引き離す。
 そして、今度はオレの着ていた下着に手をかけ、引き千切った。
 二つの膨らみが露になる。
 「良い体してるじゃねぇか。楽しませてくれよ」
 臭い息をかけながら、男がいやらしく言う。
 それから足払いをかけ、オレを地面に寝転がし、そのオレの上に男は圧し掛かってきた。
 そして、無理矢理キスしようとしてきた。オレは固く口を閉ざして抵抗していたが、男は今度は胸をつかんだ。
 「イタッ!」
 はじめて感じる痛さに、言葉が漏れた。
 その隙を突いて、男はオレの口を奪った。
 「うぅ・・・」
 逃れようと抵抗するが、かなわない。
 今度は胸をもみ出した。
 ニースの体にこんなことをする奴が許せない。けど、今のオレにはどうすることも出来ない。悔しい。涙がこぼれる。
 男の手が下半身に伸びる。指先が服の上から、ニースの体の敏感なところをまさぐる。
 もう駄目だ。こころが弱気になってきた。
 ゴメンよニース。

 「ニース!」
 プラッツの叫び声。
 それを聞いてオレに圧し掛かってた男が、オレの上から立ち上がる。
 プラッツが相手をしていた盗賊をようやく全部倒して戻ってきたんだ。
 涙でよく見えなかったけど、プラッツは男を大きく振るった剣で切り倒し、さらにとどめを2度、3度と突き刺した。
 「ニース大丈夫か?」
 プラッツが、後一歩を近づかず尋ねた。それは、露わになった胸に気を使ったのかもしれないし、ニースが辱めを受けたことを知るのが恐かったのかもしれない。
 オレは横座りで座ると、慌ててちぎれた服を引き寄せて、露わになった胸を隠した。
 「何度も言ってるだろ。俺はマーブルだって」
 「そうだったな、すまん。大丈夫か?」
 その質問にオレは、答えなかった。
 「こんな体、ニースには返せないよ」
 「すまない。もう少し早く戻ってこれたなら。俺のせいだ。だから、お前が責任を感じる必要はないよ」
 プラッツが優しく言った。
 そんな、優しくしないでくれよ。涙が止まらなくなるじゃないか。
 「ごめん、だからもう泣かないでくれよ」
 「恐かった。恐かったんだ」
 プラッツの手を借りて、立ち上がるとオレは彼に抱き着いた。
 「お前と引き離されて、ひとりで敵と向かい合って・・・、戦いでこんな恐かったのは始めてだ」
 もう離れないで。そう言いたかったが、言えなかった。
 この体は借り物で、オレは男に戻る。そんな奴がそんなこと言えるわけがないじゃないか。
 プラッツは、黙ってオレを抱きかえした。
 けど、プラッツが今抱いてるのはきっとニースのことなんだ。
 複雑な嫉妬が、オレの心にちくちくと痛かった。
 でも、今はこうしていると安心感に包まれて、幸せだった。
 たった今まで・・・
 「危ない!」
 オレは、プラッツの肩越しに、生き延びていた盗賊が、剣を振り上げて襲い掛かるのを見た。
 オレはとっさに、プラッツをかばっていた。
 背中に激痛が走る。
 「マーブル!」
 プラッツの叫びが聞こえる。
 背中に生暖かい液体が広がり、代わりに全身に寒気が広がる。立ち眩みがして立っていられなくなり、膝をついた。
 「おのれ!」
 プラッツの憎悪の叫びと、剣を交え、肉を骨を断つ音が遠い意識に聞こえた。
 「ルーカス、いつまで隠れてるんだ。早く来てくれ」
 プラッツは荷物の中から、手術用の道具を取り出す。
 「これで、ニースには新しい体があげれるよ」
 「バカ言うな。絶対助かる。助けてやるよ。お前には代わりがないんだから」
 プラッツはオレをうつぶせに寝かせると、服を切り開いて、傷口をさらけ出した。
 それからタオルを丸めると、オレの口にくわえさせた。
 「麻酔を用意してる時間がない。消毒して縫う間、これをしっかりと噛んでるんだ」
 オレは言うとおり、それを噛み締めた。
 「ああ、何ということだ」
 ようやく、ルーカスがやってきた。
 「白魔術ならできるんだろ。回復でも、治癒でもなんでもいい。祈っててくれ」
 準備をしながら、ルーカスに言い放つ。
 そして手術の用意と消毒が終わると、オレに向かって言った。
 「痛いけど我慢するんだ」
 プラッツは、傷口に消毒液を流した。
 「んー!!!!!」
 強烈な刺激が襲い、オレは意識を失った。

 オレは夢を見ていた。
 もやに包まれた世界。
 その中に、ニースの姿をしたオレがいた。
 目の前に現れたのは、男だったときの俺だ。
 「これはもういらないだろ」
 そう言って男の俺は、ニースの姿のオレから、剣を取りあげた。
 「どうして?」
 「君は守ってもらえるよ。だから。俺はまたひとりで旅に出る。遠いところへさ」
 言うと彼はもやの中へと歩き去った。
 
 目を開けると、真っ白なシーツが目の前に合った。
 うつぶせでやわらかなベッドの上に寝かされている。
 「ぅうっ!」
 動こうとすると、背中に痛みが走った。
 「マーブル? 良かった。意識が戻ったんだね」
 プラッツがそう言って、優しくオレの手を両手で包んだ。
 彼のぬくもりが全身に伝わる。
 「ありがとう」
 「礼を言うのはこっちだ。君が俺をかばってくれたんだから」
 プラッツの話によると、あれから3日が過ぎていた。
 応急処置の後、オレを抱いて、街まで走ったんだ。あの場所からならここまでは歩いて半日だけど、それをオレを抱いたままで、走り続けるのはきっと大変だったに違いない。
 この街についてちゃんとした治療を受ける頃には、オレは虫の息だったらしい。しかし、手術を担当した医者が名医だったらしく、一命を取り留めることができたそうだ。
 「ずっと付いててくれたのか?」
 「まあな」
 照れながらプラッツは答える。
 「ありがとう。でも、こんなことになってニースには申し訳ないよ」
 「だからそのことは考えるな。俺の責任だ」
 「けど、この体じゃニースは巫女になれないよ。あの男にオレ・・・」
 「巫女になる条件は、処女だとかそう言うのではないんだそうだ。それに安心しろ。お前は、ニースの体はまだバージンだ。医者が言ってた。よく思い出せ。下の方は服の上から触られただけだろ」
 確かにそうだった。股間を這う男の手に、犯されると感じて、犯されたと思い込んでしまっていたんだ。
 良かった。そう思った。けど、あのとき、唇を奪われた感触が気持ち悪く残っている。
 オレは上体を起こそうと両手を付いた。
 「まだ寝ていた方が」
 「お願いがあるんだけど」
 オレはプラッツの手を借りて、ベッドの縁に腰掛けると、少し恥じらいながら言った。
 「キスしてくれないか? まだ、あの男の唇の感触がするんだ。それをお前の唇の感触で打ち消せたらと思って・・・ 男のオレとなんて嫌だって言うのは分かるよ。嫌だったらいいんだ。本当に」
 プラッツはオレの方をまっすぐに見ている。オレは恥ずかしくて、とっても恥ずかしくって彼のことを見ることが出来ない。
 ふいに、彼がオレの背中に両腕をまわした。
 そして、オレのことをそっと抱き寄せると、唇を重ねた。
 とても優しい口付けだ。そしてとても濃厚な。
 なぜか涙がこぼれた。
 「ごめん、背中の傷が痛んだ?」
 唇を放してオレの涙に気付いたプラッツが尋ねる。
 「違うんだ。うれしくて・・・ あの、オレ・・・」
 このままで、ずっとこのままで、ニースの姿のままでいられないかな。そう言いかけてやめた。ニースは復活の壷から新たな体を作って復活できるかもしれない。けど、そんなことをすれば、身を犠牲にしてオレのことを助けてくれたニースへの裏切りになる。自分の欲のために、この体を奪うことなんて出来ない。
 「オレ、少し寝るよ」
 「ああ、ゆっくり眠るんだ」
 横になったオレにプラッツが毛布を掛けてくれた。


     第4章 復活の儀式

 あれからオレは2週間近く入院していて、再び旅立ったのはそれからのことだった。
 その時には、オレはもうずいぶんと良くなっていた。ただ、背中には少し痛みが残っていたが。
 出発の日、プラッツがオレに黄色いドレスをくれた。
 とっても照れくさかったが、後少しの思い出づくりにというプラッツの想いに、オレはそのドレスを着ることにした。
 看護婦の助けを借りて着終えたオレは、プラッツの前へと進んでいった。
 恥ずかしくって、それでいてうれしくて・・・

 「まったく派手なものを着せたものだ」
 ルーカスがプラッツにささやく。
 「忘れることのない、思い出がほしくてね」
 オレはもうすぐこの体をニースに返し、男に戻る。男に戻れば今のような関係ではいられるはずがない。それはお互い分かっていたんだ。プラッツと一緒に楽しい時間を共有できるのは、後ほんの少ししかないんだ。そう思うと寂しい気持ちになるけど、今はそのことは考えないようにした。
 「疲れてないかい」
 プラッツがオレのことを気にして尋ねてくれた。
 「大丈夫だよ。でも喉乾いたし、どこか寄ろうか」
 「そこのカフェなんかどうかな?」
 ルーカスが横から、口を挟む。
 通りに面したそのカフェは、店の前の広場にもテーブルがいくつか並べられている。おしゃれな感じのする店だった。
 店に入り、オレとプラッツが席に着くと、ルーカスはひとり離れた席に着いた。気を使ってくれているんだろう。
 オレはプラッツのことだけを見つめながら、他愛もない話で、ひとときを過ごした。

 季節は秋になっていた。
 夕日も町並みに隠れたころ、オレ達はようやく目的の教会へとたどり着いた。
 巨大な門をくぐると、たくさんの建物が立ち並んでいた。
 ここは、ひとつの街のようだった。
 教会としての礼拝堂や修行の施設、宿舎などから、研究施設、学校や医療施設、日用品を扱う店や食堂、食料品店、お土産屋もある。およそ普通の街にあるものはすべてそろっている。
 完全な自治も行われているそうだ。
 オレ達は、ルーカスについて、教会の奥へと向かった。オレたちの通された部屋は、大理石の荘厳な飾りが施された部屋だった。調度類も上等のものだ。しかしそれらはけして、“豪勢な”を連想させるものではなかった。当然と質素さを思わせる、落ち着いた造りだった。
 続く部屋は寝室だった。
 「しばらく、ここで待っていろ」
 言うと、ルーカスは足早に出ていった。
 復活の儀式は明日だと思っていたが、この時間から行うのだろうか。そんなことを思いながら、彼を見送った。
 「マーブル・・・」
 プラッツが、オレに何かを言いかけて言葉を切った。
 無言で彼を見つめる。
 なんとなく言いたいことが分かる。けど、言ってほしくない、今は・・・

 しばらくして、ルーカスが戻ってきた。
 その手にはローブのような物が。
 やっぱりすぐに儀式なんだ。
 元に戻る前に、もっといっぱい彼と話したかった。もっと彼のことを見つめていたかった。
 「儀式の前に、沐浴をして、素肌にこれを着るのだ。儀式は明日早朝に行われる」
 「あした?」
 てっきり、この後すぐだと思っていたから、思わず聞き返していた。
 「そうだ。儀式の準備はすぐには出来ないのでな」
 そうなんだ。だったら今夜はプラッツと一緒に過ごせる。そう思ったのもつかの間、
 「儀式では、ニースの体力も、お前の精神力も消耗する。今日はすぐに休め」
 ルーカスは言うと、プラッツを連れて出ていった。
 ひとり取り残されてしまった。
 儀式は明日の早朝。もしかすると、今のままで彼と会うことはもうないかもしれない。
 そう思うと、涙がこぼれてきた。
 寝室のベッドにオレは腰を下ろした。
 借り物の身体、仮初めの恋。
 それは分かっている。けど、
 「はっきり、好きなんだと言いたかった」
 うつぶせにベッドへ倒れ込んだ。
 泣き声を消すために。

 翌朝、まだ薄暗い時間だ。
 朝の祈りの時間を告げる鐘が鳴り、オレは目を覚ました。
 薄明かりに鏡を覗き込み両手で顔を撫でてみる。
 「ひどい顔をしてるな。ニースに怒られそうだ」
 オレは着ているものをすべて脱いで、用意されていたローブを羽織った。
 そして、沐浴場へ向かうと、再びそれを脱いで、水の中へ進んで行った。
 水は膝くらいまでしかない。しかし、清らかな水の冷たさに、全身が引き締まる。
 奥の方では滝のように水が流れ落ちている。
 オレは、その下へ行き頭から水をかぶった。
 そうすれば、プラッツへの想いが、頭の中から流れ去るのではと、思ったのだ。
 けど、
 「だめだよ、忘れるなんてできない」
 オレの呟きは、水の音に紛れていった。
 そして、オレはニースの身体を強く抱きしめた。

 沐浴場から出たオレは、ローブをまとった姿のまま、復活の儀式の行われる祭壇へと、ルーカスに案内されて進んで行った。
 歩きながらルーカスが儀式の手順を教えてくれた。
 ふと見上げると太陽の光が、教会の塔を照らし出している。 
 男だったときには感じたことのない感銘を、輝く塔がオレに与える。
 オレの心は今や完全に女だ。
 男の身体に戻って、オレは暮らしてゆけるのだろうか、と不安を覚える。
 いっそこのままニースのままでいられたなら。
 その考えにいたってオレは頭を振った。
 それは出来ない、しちゃいけないって分かってるのに、考えてしまうなんて。
 「儀式はあそこで行われる」
 不意にルーカスが告げた。
 目の前には、他と同じく石造りの建物があった。しかし、他より明らかに古い。汚いというわけではないが。
 「・・・」
 「復活の儀式は、105年以上たった教会の祭壇でしか出来ないのだ」
 オレの様子を察してか、尋ねもしないのに説明を加えた。105という数字にも宗教的要素があるのだそうだ。
 ルーカスはその古い教会建物の少し手前で足を止めた。
 そこから先は敷石が違っている。
 「ここからは結界だ。昨夜から儀式のために結界を張っている。儀式の途中をねらって亡者や魔が、空の肉体に入り込まぬようにな。魔を連れ込まぬよう、入る前に一度気を引き締めよ。そして一度入れば、儀式が終わるまで、結界からは出られぬ」
 オレは言われたとおり、気を引き締める。
 「よいか」
 一度、呼吸をしてから応えた。
 「はい」
 返事を確かめると、ルーカスは歩きはじめた。
 敷石の境界を越えるとき、空気が変わるのを感じた。
 入り口の扉は既に開け放たれている。
 そこへ続く短い階段。
 オレはその階段へ、足を掛けた。
 その直前。
 「振り返ってはならない!」
 ルーカスがきつい口調で告げた。
 「マーブル!」
 プラッツの声が遠く背後から聞こえた。
 走ってくる足音。
 「マーブル!」
 再び呼び声が。けど今度は近くから。
 「来てはならぬ。プラッツ!」
 ルーカスが叫ぶ。
 「マーブル。戻らないでくれ!」
 プラッツが叫ぶ。
 「言わないで」
 オレの声は既に震えていた。
 「行くぞ」
 ルーカスは小さく告げると、建物の中に入っていった。
 「戻るな! マーブル。ニースなら復活の儀式で新しい身体をもらえるじゃないか。けど今のお前は・・・ 二度と今のお前には戻れないんだぞ! だから、マーブルそのままで一緒に旅をしよう」
 「ありがとう。プラッツ。でも、この身体はニースに返さなきゃ。ニースはオレを助けるためにこの身体を貸してくれたんだ。返さないわけにはいかないよ」
 「マーブル!」
 叫びに身体が震える。
 「好きだよ。プラッツ。愛してる」
 振り向かないでそう告げた。
 オレはこぼれた涙を指で拭うと、階段を昇った。
 扉が背後で閉じられた。
 しばらく、オレはそこから動かなかった。
 気持ちに整理をつけるため。
 そして、多分、心のどこかでプラッツがオレを奪いに来るのを待っていたのかもしれない。

 オレは目を前に向けた。
 ルーカスは再び歩き出す。建物の奥へと。
 祈りが聞こえる。
 祭壇の前に司祭を勤める高位の魔術師が立っている。その脇に祈りをささげる僧達が並んでいる。
 すでに儀式は始まっているのだ。
 祭壇の上には、ニースの壷が置かれている。
 祭壇の横には復活の壷を大きくしたような壷が置かれている。背丈ほどあり中には十分人が入れるだろう。口の部分も人が通れるほど広い。が今は封印されている。
 案内してきたルーカスは祈りをささげる僧の並びに入った。
 司祭と祭壇をはさんで向かい合う。
 「大地と天空の精霊に請う。この者、命の器の復活を望むものなり。請う者・汝の名は?」
     「マーブル」
 司祭は呪文を捧げながら、祭壇脇の大きな壷に触れる。
 呪文を繰り返すその度に、壷の中で音がする。
 「請う者マーブルの心を以って、新たな器を創造する」
 司祭の指示により、手を重ねて壷に押し当てる。
 人肌の温もりを感じる。
 「汝の祝福は?」
     「春の季、芽生えの節、第3の日」
 「この日、秋の季、豊穣の節、第6の日を新たな祝福と覚えよ」
     「はい」
 「汝の星は?」
     「赤き惑い星」
 「この時、星は白き輝き星なり、この星を新たなる星と覚えよ」
     「はい」
 「既にこの器、マーブルなり」
 司祭のその言葉に合わせてオレは、壷に息を吹き掛けた。
 その瞬間、オレは魂が身体を抜け出すのを感じた。丁度吹き掛けた息に乗って、オレの魂が壷の中へと移っていくかのように。
 壷の中の暗闇を感じた瞬間、オレの意識はなくなっていた。



     エピローグ 旅立ち

 どれくらいの時間が過ぎたかなど分からない。
 暗闇の中でオレは膝を抱えて丸まっていた。
 儀式の間聞こえていた祈りの声も聞こえない。儀式はもう終わったんだ。
 オレは自分の心の中を探ってみた。なにも変わりはなかった。
 ニースの身体に移ったとき男のままだったように、今は女の心のままだ。
 プラッツへの熱い想いに変わりはなかった。
 不意に頭の上から、光が差し込んだ。
 封印がはずされたのだ。
 オレは壷の中で立ち上がった。頭だけが外へ出る。
 そこにはルーカスがいて、壷の横に置かれた台からオレに手を伸ばした。
 そのルーカスの表情が一瞬、驚きの様子を見せる。
 オレはルーカスの手を借り、壷の中からはいだした。
 その時、オレが想像していなかったものが目に入った。
 台の上にオレがあがりきると、ルーカスは台からすぐに降りて、向こうを向く。
 オレはまだ裸のままだ。
 さっき見えたものをもう一度確かめるために、オレは自分の身体に目を向けた。
 二つの隆起・・・、胸には確かに乳房が付いている。
 そして下の方、くびれたウェストの向こう、股間には男の突起はない。
 オレの心はまだ、今見たものを、理解しきれないでいた。
 それで、今度は錯覚でないことを確かめるように、手で触れて確かめてみた。その手も色白で華奢だ。
 右手で乳房にそっと触れる。柔らかな触れた感覚と、ひんやりとした触れられた感触。
 左手は下腹部から両太股の間へ滑らせる。中指が閉じた割れ目の上をなぞる。
 ようやく心が、この感覚を喜びとして受け入れた。
 台から飛び降りる。
 「ルーカス、オレ、女だ。女だよ!」
 向こうを向いてるルーカスの背中に、オレは抱き着いた。
 「早くこれを着ろ」
 言って自分の羽織っていたガウンを差し出す。
 言われてあられもない姿で騒いでいた自分が急に恥ずかしくなった。真っ赤な顔をしながら慌てて、それを羽織った。
 「ねぇ、プラッツは?」
 ルーカスはそこで、ひと呼吸置いた。
 「儀式が無事終わったのを聞いたら、旅に出るといって立ち去った。1時間ほど前のことだ」
 どうして・・・
 「どうして、引き止めてくれなかったんだよ。仮に男に戻ってたって、お礼くらいは言いたかったのに」
 そう言ったが自分でも、男に戻ったオレがプラッツに顔を合わせられないことくらい分かっていた。
 オレは駆け出した。
 この古い教会の建物を飛び出す。
 観光を許されていない場所だから、誰もいない。修行者達も、今はここにはいない。そして、プラッツも。
 さすがにこの姿では、追いかけることなど出来ない。
 一度部屋へと戻る。
 途中プラッツの部屋を覗く。片付けられて、そこにはもうプラッツはいなかった。
 部屋に戻り、プラッツがくれた黄色のドレスに着替える。
 この身体でもぴったり合う。まるで、この身体に合わせてあつらえたように。いや無意識のうちにきっと、このドレスに合わせて身体を再生させたに違いない。そう思えた。
 ドレスを着終えたころ、机の上に置かれた紙に気が付いた。

  黙って旅立ってすまない
  けど、君が早く元の自分を取り戻すには
  会わない方がいいと思ったんだ
  後、してあげられることとしては、
  このくらいしか思い付かなかったんだ
  さようなら

 読み終えたとき、ルーカスが入り口をたたいた。
 「ニースには会っていかないのか?」
 ルーカスが言った。
 会わなければ。会ってお礼を言わなければいけない。でも、その間にも、プラッツはどんどん遠くへ行ってしまう。
 判断が出来ない。
 「ニースは明日から、巫女の修行に入る。そうしたら修行が終わるまで、会うことは出来ない。それでも会わないか?」
 それでも判断できない。プラッツは今追わなければ二度と会えないかもしれない。強くそう感じた。
 「ニースには私から言っておこう。修行に入る身だから会わせなかったと。元の身体に戻り、剣の修行の旅に出たと」
 お礼の言葉が出てこない。
 「プラッツは西へ行ったそうだ。早く行け! 今ならきっと間に合う」
 言ってルーカスは、オレの剣と荷物を突き出した。
 この身体にはずしりと重い。それに、このドレスには不釣り合いだ。けど、もうここには戻らないのだから置いてゆくわけにはいかない。それに、プラッツに会うまでは、この剣で自分を守らなければいけないのだ。
 「ありがとう。いつかきっとあなたを訪ねます」
 それだけ言うとオレは部屋を飛び出した。

 建物を出て広場まで行き、西の門への近道を探っていると、視線を感じた。
 ふと見上げると、三階の窓辺から一人の女性がこちらを見下ろしている。
 間違いない。ニースだ。
 寂しそうな表情で、少し手を振ったように見えた。
 オレは小さく手を振ると、心の中で「ありがとう」と告げて、再び駆け出した。
 ニースは今のオレの顔なんて知らない。
 だから、きっと手を振ったように見えたのは、見間違いか何かだろう。
 けど、目覚めたニースを見ることができて、気が少しやすまった。

 教会の西の門へとたどり着いた。
 オレは門番の男の人にプラッツの容姿を告げて尋ねた。
 彼らしい男が数分前に門をくぐり、真っ直ぐ正面の道を歩いていったとのことだ。
 もうすぐ会える。
 「プラッツ!」
 きっと届くと信じて叫んだ。
 だって、彼はもうすぐそこにいるんだから。
 オレは叫びながら駆け出した。
 そして少し走って、見覚えのある背中が見えた。
 「プラッツ!」
 叫びに、ゆっくりと振返る。
 驚きの表情が見つめ返す。
 「マーブルなのか?」
 人混みの中の小さな呟きさえ、プラッツのものなら聞き取れる。
 オレは、プラッツの胸に飛び込んだ。
 「プラッツ」
 名前を呼ぶと、涙が溢れてきた。
 「本当にマーブルなのか?」
 顔も声も、ニースのときとは違っている。信じられないのも当然だ。
 「そうだよ、正真正銘マーブルだよ。目を覚ましたら、女として復活してたんだ。顔がニースとは違ってしまったけど、許してくれるなら、ずっとそばにいて。いつまでも一緒にいてくれるだけでいいから」
 プラッツは、オレの背中に両腕を回し抱きしめた。
 「俺が好きになったのは、ニースの姿じゃない。マーブル自身だ。どんな姿になろうと、お前のことを愛してる。約束するよ。二度と離れない。永遠に」
 言うとプラッツは唇を、オレの唇に重ねた。
 それは、オレ自身の唇のファーストキスだった。きっと永遠の思い出となる。


完    



登場する人物団体は、架空の存在です。実在のもとは、一切関係ありません。

2000年発表のものに、若干加筆修正しています。
2011年 輝晒正流
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