はじめてのバター犬
作:greenback



犬をね、拾ったのよ。
あれは先々週、金曜日の夜。
さほど面白くもない飲み会につきあってというかつきあわされてというか、とにかく帰り道ね。
駅前の商店街から少し外れた通りの街灯の下に、いかにもなミカンの段ボール箱が置いてあったわけ。
中には予想通り、ぷるぷる震えてる小犬が一匹。
ポメラニアンだったかな。

普通だったら気にも止めないところなんだけど、安酒がいいぐあいに回ってたせいで思わず足を止めちゃってさ。
あれがいけなかったねえ。
目が、合っちゃった。

したらもうアピールが凄いのなんの。
ひゃんひゃんひゃんひゃんっ! とかいって。
普通だったら「うぜえ」で終わりなんだけど、酔ってたからね。
ああいうのを魔が差したっていうんだろうねえ。
かわいいような気がしちゃってさ。
拾って帰っちゃった。

マンションに着いた時には日付かわってたかな。
とりあえず化粧落として、シャワー浴びて。
居酒屋に長居したせいで髪の毛がすごい煙草臭くなってたから、シャンプーもわりと念入りにやったんじゃないかな。

バスタオル一枚でリビングに戻ってきたら、ものすごいスタンバイしてる子犬と目があっちゃったのね。
おいおい、さっき拾ったばっかりだよ?
あたし、あんたを虐待しようと思って拾ってきた悪い人かもしれないんだよ?
いきなりそんな信頼100パーセントな態度でいいのかお前は……って思ってたら、

「ひゃん」

だって。
このやろう、自分がかわいいの分かってんなーと思ったさ。
くりっくりの上目づかい、
あれは犬好きじゃなくたってやられちゃうと思うよ。

おなか減ってんのかなって思ってね、
とりあえず豆乳をあげてみたわけ。
いや、あたしだって牛乳の方がいいんじゃないかと思ったけど、
置いてなかったからしょうがないじゃない。

でも、これがほんとに美味しそうに飲むんだよね。
短い舌だして「ちゃぶっ、しゃぶっ」とか音立てて。
これがけなげでねえ。
なんか他にないかなーと思って冷蔵庫探ってみたんだけど、
あたしって料理しない人でしょ? って知らないか。
とにかくろくなもんが入ってないの。
ため息ついて閉めようとしたとき、ふっと目に入ったのがチューブ入りバター。
これも乳製品といえば乳製品じゃない?

とりあえず手の平にちょっとだけ出して、その子の鼻先に持ってってみたのね。
そしたら、大喜びで舐める舐める。
あっと言う間に舐め終わって「もう無いの?」ってしっぽ振ってるそいつ見てたら……まあその、なんつうかあれだ。

変なこと、思いついちゃったんだねえ。

チューブからバター絞り出して、手に取るでしょ。
体温であっと言う間にとろとろになるでしょ。
それを股間にこう、塗ってみるでしょ。
んで、そのまましゃがみこむでしょ。
脚ひらくでしょ。
……思った通り、むしゃぶりついてきやがってさ。
もう舐めるのなんの。

いやあ、まさか自分が「バター犬」を試すことになるなんて、人生ってのは分かんないね。
でも、実際やってみたら気持ちいいどころか死ぬほどくすぐったくて。

「あは、あはははは、やめて、ごめんやめてやめて頼むから」

相手は犬なんだから言っても聞くわけがないよね。
ぺろぺろぺろぺろ、容赦もなにもあったもんじゃない。

でも、そのうち気付いたのね。これはおかしいって。
だって、あたしがおま○こに塗り付けたバターなんて、ほんのちょっとだけだよ?
ふつうにトーストに塗る時の、だいたい半分くらい。
そんなの、すぐ舐め終わっちゃうに決まってるじゃん。
現にさっきは、同じくらいの量をあっと言う間に片づけてみせたんだしさ。
なのに、いつまでたっても終わらない。

それどころか、どんどんテンションがあがってきてるみたいな感じなんだよね。
もう鼻つっこんで、もう「ぺろぺろ」というより「ぴちゃぴちゃ」みたいな。

ん? って思ったね。
なにその水っぽい音。
これって犬サイドだけの問題じゃなくね?
そこに、何かしらの液体っていうか、汁っていうか、
そういった感じの物がないと、そんな音するわけなくね?
あたしの中から何かしらそれ的なもんが溢れだしてきてるんだとしたら。
小犬がせっせと舐めてるのが、もはやバターじゃないんだとしたら。

……もしかしてあたし、感じてんの?

まともに考えられたのはそこらへんまでだったかな。

いっぺん気付いたらもうダメだったね。
いつの間にかすっかり柔らかくほぐれちゃってる
あたしのひだひだにちっちゃい舌が忙しく出入りする、そのペースがさ。
今までやってもらったどんなクンニより早くてさ。
なんかもう怖いくらいで。

それでまた、なんかいい感じのところを攻めるんだよね。
湿った黒い鼻先をつっこんで、それが時々こう、クリんとこをこするみたいな感じになったりして。
そうすると背骨にそってぞくぞくって感覚が走るんだけど、それが引ききらないギリギリのタイミングでまたこすられて。
そのたびにだんだん波が大きくなるわけ。

もちろんその間もずっとぴちゃぴちゃは続いてるんだけど、こうなってくるともうその音がなんだか恥ずかしくなってきちゃってさ。
しかもなんだか前より水っぽくなってるっていうか、時々「しゃぶっ」って感じの音も混じったりして。
かあって体が熱くなってきて、それが恥ずかしさのせいなのか快感のせいなのか、もうよく分かんないの。
まあ両方って言うか、相乗効果みたいになってたんだと思うんだけどね。

「あ」って思わず声が出て。

びっくりした。
だっていつものあたしの声と全然違ってるんだもん。
聞いたこともないくらい、すっごく甘くて、やらしくて。

「あ、あ、ああ」

一応それなりに我慢しようと頑張ってたつもりなんだけど、でも全然ダメ。
止まらない。
止められない。
しょうがないから口に手を当てて、ちょっとでも声が漏れないようにしようとして。

……あれえって思ったんだ。

手に触れるそのへんの感じが、なんか変なの。
何がどう違うのかなあって思ったら、どうも鼻先の手触りがおかしいんだって気付いたのね。
なんか湿ってて、ちょっと形も不思議な気がすんの。
どう不思議なのかはよく分かんないんだけど、とにかく、何かがおかしい。
おかしいっていったら、身体の火照り方もとんでもないことになってて。
いや、たしかに熱くなっても無理もないようなことをしてはいたんだけどね。
それにしたって尋常じゃなくてさ。

息があがって、自然と舌が垂れて、ヨダレが滴って。
でも、そんな状況なのに汗が全然出てこないの。
むしろ鳥肌っていうかね。
毛穴がなんかザワザワしてて。
変でしょ?
変なのよ。

「あふ」

変だって分かってるのに、それをちゃんと考えてる余裕がない。

「わふ」

これはもう、天国なんだか地獄なんだか。

「あぉん」

人が一生懸命ものを考えようとしてるのに、
この馬鹿犬ときたらうるさいったらない。
鳴くか舐めるか、どっちかに……

え?

うん、ちょっと考えれば分かるんだよね。
そんなの、同時にできるわけないじゃん。
口はひとつしかないんだから。
でも、じゃあこの鳴き声って、一体どこから……え、まさか?

「あ、おぉんっ!?」

そう、その鳴き声が、自分の声だって気付いたときの
驚きはハンパなかったね。

「わおん! あん! わふ、きゃふっ!?」

全然人間の言葉にならないんだもん、そりゃびっくりするよ。
それで、気持ちよさにのまれて気付いてなかったことがいろいろ見えてきて。
体中から黒っぽい毛がじわじわ生えてきてることとか、手がなんかじゃんけんの「グー」みたいな形になったまま開かなくなっちゃってることとか、
そこから固い爪とふにふにした肉球がのぞいてることとか。

夢かと思ったんだけど、そんなわけないんだよね、今にもイっちゃいそうなくらい感じまくってるんだから。

そう、もうね、ほとんど限界だった。
足なんかもうバカみたいに開いちゃって、腰をこう、前に出すみたいにしてさ。
あ、あたし、コイツに舐めてもらいやすいように「工夫」してるんだ……って思ったら、また一段と恥ずかしくなっちゃって。
それとほとんど同時に、いいかげん昇りつめたと思った快感の頂上を、もう一段階、いや二段階かな。
一気に飛び越えて、頭の奥の方で何かがはじけたっていうか、爆発したっていうか、そんなような感じがしたの。

あれが本当の「絶頂」ってやつなのかなあ。
分かんないけど、今まで経験したことがないような感覚だったのは確かだったよ。



「あぉん! う、うぅおぉおんっ! あおぉおぉおおおんっ!!」

ひと声、叫ぶ――っていうか、鳴く?
違うな、吠える。
これだ。
吠えるたびに、前進の骨格とか筋肉とかがめきめき音立てて、どんどん変わってってさ。
なんか全身が凄い熱くて、ぎゅうぎゅう押さえつけられるみたいにしてどんどん手足が縮んでいって。
超怖くて。
でも超気持ちよくて。
わけ分かんなくて。

そっから後はもう、放心状態だよね。

あたしが完全にダウンしたのを見て、ポメラニアンはようやく舐めるのをやめたんだと思う。
で、とことこっとあたしの目の前に来てさ。
「アリガトウ」って言ったの。
そう、人間の言葉でね。
あとはだいたい、っていうかまあここまでもそうだったけど、あんたが知ってるのと同じパターン。

「よっ」て感じで二本足で立ち上がって、一瞬よろけたけど、近くのテレビ台んところに掴まったりして。
ちょっとずつ身体が大きくなって、逆に尻尾が縮んでって。
金色のふわふわした体毛がぱらぱら抜けて、かわりに黒くて長い髪の毛がどんどん伸びてきて。
ようするにまあ、人間になっちゃったんだよね。
正確には「戻った」っていう方が正しかったんだけど、そん時はまだそんなこと分かんないし。

女だった。
顔はあたしの方がいけてると思うけど、スタイルはちょっと負けてたかな。
うん、立派なおっぱいだったよ。
手足も長くて、いわゆるモデル体型ってやつ?
なんか嬉しそうに身体中をなでまわして、それから洗面所の方に歩いていって。
今考えると、あれは鏡を見てたんだろうね。

「あはっ、私の顔! 私の顔だぁ!」って
すごい嬉しそうな声がしてさ。
それからシャワーの音がして、どのくらい経ったかなあ。
ひとんちの風呂を勝手に使ってんじゃねえよとは思ったけど、
まだ体力が抜けっぱなしでさ。
へろへろで全然動けないし、声も出せないの。
そう、今のあんたと同じ状態。

しばらくしたら体中からぽたぽたお湯を滴らせながら戻ってきてさ。
あたしのすぐ脇に落ちてるバスタオルを拾い上げて、ゆっくりじっくり身体拭いて。
そんで、あたしの頭なでながら、そいつは話しはじめたの。

「犬をね、拾ったのよ」って。

そう。たった今、あたしがあんたにしてるのと、ほとんど変わらない筋書きのお話。
ちょっとしたいたずら心で犬と変なことして、自分が犬になっちゃう女の物語。

「……何かの呪いなのか、特殊な病気なのか、詳しいことは私も知らないわ。
でも、とにかく”ルール”ははっきりしてる。
誰でも良いから、人間をひとりイかせたらゴール。
元に戻れる代わりに、その人がまた次の犬になる。
貴女も、人間に戻りたかったらせいぜい頑張ることね」

そう言って、そいつはあたしに手鏡を見せたの。
もう分かるでしょ、その鏡には、あんたが拾ったあのかわいいかわいいマメシバが不思議そうな顔して映ってたってわけ。

いやー、無理だと思ったんだけど、意外となんとかなったねえ。
まんまとあんたが拾ってくれて、ほんと助かったよ。
あたしの時と違って、けっこう良いバターだったしね。
あれってデパ地下かなんかのやつ?
すごい美味しかったけど。

そんなわけで、あたしはあんたのおかげで無事こうして人間に戻れたわけだ。
あんたもなんで自分がこんな目にあってるか、だいたい理解できたんじゃないかな?

しかし……うーん、これは別にあたしのせいじゃないし、ただの運っていうか、確率の問題だと思うんだけど……なんか、ごめんね。
いや、あはは、なんつうかね。
あんたまだ、自分がどんな犬になったか知らないでしょ。
鏡、見てみる?
やめといた方がいいかも知れないけど、まあ、いずれ分かることだしね。
はいどうぞ。

……お、おーい、大丈夫?
いや、気持ちは分かるよ。
まさか、あんたみたいな可愛らしい娘さんが、よりによってそんなごっついブルドッグになっちゃうなんてねえ。
その強面を相手に、変な気起こす女がいるとは思えないけど……あ、いや、だ、大丈夫だよ。
きっと多分、うん、なんとかなるって。
分かんないけどほら、世間は広いし、ね。
……が、頑張ってね。
もし戻れなかったとしても、あたしを恨まないでよね。

それじゃ、そういうことで!
ばいばい!



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