4.仕事と女

再度入社してから1年。香山と松下の課はライバルのように実績を上げ続けた。営業課は4つあり、 課長のみの会議のときは、松下はリーダーであった。香山も女性としては物怖じせずに発言していて二人でこの会社をもり立てていた。香山は徐々に女性らしさが 身に付いてきて、男性に対しては引くときは引き、松下の顔を立てることが多くなっていった。それは女性である自分が折れたほうがいいと判断したからだが、 そのほうが効果的であるということは身をもって感じていた。(女というのは不利なことばかりでなくて、うまくすれば有利なことも多いのね)それが香山の実 感であった。同時に香山は急速に女性化が進行した。ふとした仕草、上目遣いなどの目の使い方、よく通る声の強弱・高低の使い分け、特に男性が交渉相手のと きは効果的だった。「一般社会に出て毎日を過ごすといやでも女性らしくなりますよ」医療チームの言葉通りだった。効果的であるとわかるとそれが日常化して 癖になり、そして普段がそうなっていった。営業の部下はすべて男性だったが部下にも効果的だった。目の前の極上の美女から衆目の中で叱り飛ばされた後で、 その魅惑の女性から個別に「期待してるのよ」などと持ち上げられれば、それだけで部下は発奮して好成績をあげていった。男は単純だった。

 

しかしすべては松下と会話を交わすことからだった。松下は よく香山の質問や悩みに的確に答えてくれた。「交渉が男女間で行われる場合、そこには少なからず疑似恋愛の部分が必ずある。香山課長のような美女であれば なおさらそうだ。ただし、相手によっては逆効果のときもある。そこの見極めが重要だ」と教えられたときは気持ち悪かったがしかし本当のことであった。実際 には年下で元女性であったこの男性に対して、香山は大きな信頼感を抱くようになった。

 

女性というのは、女性というだけで集団を作る。今日の出来 事やうわさ話などがそれが自分と無関係の場合は必ず耳にすることができる。課長の立場である香山は妙な縄張りにも中立でいるために女性特有のある意味派閥 には属することなく、いろいろ話を耳にする。社内の恋愛関係もここまであからさまにされるのか、と驚くばかりだ。香山の部下の斉藤が秘書の加藤とつきあっ ている、とかの話もすごい盛り上がりをみせた。

「香山課長、斉藤さんって秘書の加藤さんとつきあってるらしいんですよ。ご存知でした?」

「えー、そうなの? どんな感じなの?」

「どんな感じって、帰り時刻を合わせて毎回ホテルですって。加藤さんがぞっこんで、斉藤さんがうまくやられちゃったみたいなんです。」

「そういえばこの前加藤さんからの電話を私が取り次いだときに、斉藤君妙に小声で話してたわね。デートの誘いかしら?」

「やっぱり。香山課長、ウォッチしててくださいよ。私、斉藤君を狙ってるんですから。」

「そんな、、、人の恋愛を見るなんて、悪趣味よ」

「またぁ、課長。課長も女なんですからわかってくれますよねぇ。」

「そ、それはそうだけど、・・・・・」(女だから、か。でも女って、ここまでみんなあからさまだなんて、知らなかったなぁ。)

「それはそうと、香山課長は彼氏はいるんですか?」

「え、え? 私? 私なんか、そんな」赤くなってどぎまぎする。

「誰とは言いませんけど、男性陣ってすごく気にしてるんですよ。もう嫌になっちゃうくらい。教えてくださいよ。」

「い、いないわよ。今は、仕事が恋人よ。」

「松下課長なんてどうなんですか?二人で話されるときも多いでしょ?」

「またそんな、かまをかけないで。松下課長こそ、彼女はいるでしょう?松下課長は彼女、いるのかしら?」

「あーー、やっぱり気にしてる。松下課長のこと、やっぱり気にしてるんでしょ、香山課長。」

「馬鹿なこと言わないで。そんなことないわよ。あちらはエリートで、私はいき遅れの途中入社よ。あちらも途中入社だけど男性だしね。」

「松下課長は大人気ですけど、社内の女性には手を出さない主義みたい。かっこいいなー。抱かれたいって思ってるの、私だけじゃないんですよ。松下課長みたいな男の人に強引に迫られたら私、すぐに抱かれるわ。」

「あ、、あら、すごい大胆ね」

「女だったらみんなそうですよ、課長。お二人ならお似合いです。どうですか、松下課長って。」

「もう、やめて、そういうの。あまり恋愛にいい思い出がないのよ。」

「うわぁ、なんかそういうのって、かっこいいです、課長。今度その話教えてください。」

「だから、そういうのだめなのよ、私って。じゃあね。」

それからの香山は女性社員の中ではヒーロー、いやヒロインだった。大恋愛の末にゆえあって別れてしまいそれ故に仕事に生きる女になったんだと噂になってしまったのだ。そういう意味で香山は神格化してしまった。ほんとうはまだ処女なのに。

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