のういしょく

第二話:由里と博人

 

「あのバカ親父!なんてことをしてくれるんだよ」

由里・・・いや、博人は、制服のまま、由里のベッドの上に仰向けに寝転がって、天井を見つめながら、由里と自分の身の上に起こった信じられない出来事について考えた。

「いや、トンでもないのは、あのバカ親父だ。お袋が亡くなった頃は、少しおかしくなっていたけど、最近は大人しくなってきたと思っていたら、こんなトンでもない事を考えていたなんて・・・考えれば考えるほどイラついてきたぁ!」

博人は、飛び起きると、枕元にあった、枕ほどの大きさの熊のぬいぐるみを強く抱きしめて、胡坐を組んでベッドの上に坐りなおした。

「もうあのバカ親父、ぜ〜ったい許してやらないんだから」

博人の胡坐は、いつの間にかMの字型のぺったんこ座りに変わっていた。だが、自分の座り方が変った事に博人はまったく気付いていなかった。

「ただいまぁ〜」

階下の玄関のほうから声がした。

「由里いないの?あの子、まだ帰ってきていないのかしら?」

階下でのその声に博人は気づいてはいなかった。抱きしめていた何の罪もない熊のぬいぐるみの頭を小突き、実の父親にされた理不尽な行いへの怒りを、ぶつけることでいっぱいだったからだ。何の罪もない熊のぬいぐるみこそいい迷惑だった。

「あ〜〜っ!ご飯が炊けていないじゃないの、それにおかずも何もない。晩御飯は?今日は、試験の最終日だから今夜は自分がするって言ったのはあの子じゃないの。ゆ〜りぃ〜〜〜!」

階下の奥のほうから、実に恐ろしい食い物の恨みのこもった声が、聞こえてきた。

「ん?あれ、誰の声だ??由里を呼んでもいないけど・・・どうするんだろう?」

などと、博人はのん気なことを呟いた。彼はすっかり忘れていたのだ。自分が、今は由里になっていることを。

と、ドスドスドスと、階段を踏み割らんばかりの足音を立てて誰かが、二階へと上がってきた。そして、その足音は、博人のいる部屋の前に止まると、まるで、引き剥がれんばかりに勢いで、部屋のドアが開いた。博人は、開いたドアのほうに顔を向けた。そこには、一人の若い女性が立っていた。

ストレートな黒髪を肩で揃え、整った目鼻立ちに、きりっと引き締まった口元、美形という言葉がそのまま形になったような女性だった。

「由里、これはどういうことかな?」

その綺麗な顔は、微笑んでいたが、その口元はピクピクと引きつっていた。

「ま、真理恵さん・・・」

そこに立っていたのは、由里の二歳年上の女子大生の姉・真理恵だった。由里と真理恵は、近所でも噂の美人姉妹だ。

由里は、どちらかというと、あだち充の漫画「タッチ」に出てくる「浅倉 南」タイプの美人で、瞳が大きくて、チャーミングで、姉の真理恵は、北条司の「キャッツ・アイ」の「来生瞳」のような切れ長の目をしたスタイル抜群の美人タイプだった。そして、実は、博人は、真理恵にあこがれていた。

「真理恵さん?何をかしこまっているのよ。博人君のまねをして誤魔化そうとしてもムダですからね。今日の食事当番はあなたでしょう?夕食の準備はできているの?」

「夕飯の支度・・・?」

「博人君の食事の準備で、頭がイッパイだったのはわかるけど、私たちのことも忘れないでよね。」

「僕のことで頭がイッパイて・・そ、そんなぁ」

博人は、真理恵の言っている意味がわからなかった。由里は、他の女の子とは違って一緒にいて楽しかったし、そばにいるとなんだか心が休まった。でも、それは、大好きな仲良しの幼馴染だからだと思っていたのだ。

「何を照れているのよ、気持ち悪い。あなたがラブラブなのは知ってるんだから照れないでよ。それよりも夕飯はどうなっているのよ。」

「由里が、僕に惚れてる?この僕に・・・・?!」

博人は、頬が火照ってくるのを感じた。思わず両手で、火照る頬を押さえた。

周りから見てもお似合いのこのカップル。博人は、自分の由里に対する幼馴染以上の感情にはまだ気付いてはいなかった。

「何を照れてるのよ。どうするの?晩御飯。」

「え?あ、チョット、待っててくださいね。」

博人は、ベッドから飛び降りると、階段を駆け下りて、リビングにおいてある電話で、自分のうちに電話した。

『もしもし、宮下・・いえ、あの〜京口です』

「あ、そんな間違いをするのは、由里ちゃんだね。博人だよ。」

『博人!どうしたの?電話してくるなんて。』

「いや、あの、どうしてるの?由里ちゃん。」

『夕飯食べてたのよ。おいしいわよ、何といっても、わたしが作ったんだモノ。博人にも食べてほしかったなぁ』

「う、うん、僕も食べたかったよ。由里ちゃんの夕食・・・あ、そうだ、その夕食の事なんだけど」

『夕食?』

と、後ろで声がした。

『由里ちゃん、誰からだね。誰からかは知らないけどね。今は、君は博人なんだから、話し方に気をつけないと駄目だよ!』

それは、博人の父親であり、今回のこの入れ替わり騒動を起した張本人・マッドメディカリストの京口 征四郎の声だった。

『もう、おじ様、静かにしていてくださらないかしら?博人からの電話なのよ。』

由里の丁寧だけど、迫力のある口調に征四郎は静かになった。

『で、何のようなのよ。』

「由里ちゃんチの夕食だけどどうなっているの?真理恵さんが、お腹を空かしていてさ。」

『あ、しまった!忘れていたわ。どうしよう。材料は買っておいたんだけど、博人のところに、夕食を届けたら帰って作るつもりだったから、準備してないわ。それも、これも、おじ様のせいよ』

『いや、それはその・・・わ、や、やめて、ゆりちゃ〜〜ん』

これから京口家で起こるであろうことに、征四郎の冥福を祈りながら、博人は電話を切った。

「準備していないのか。材料は何があるのかな?」

そして、博人は、キッチンに行って、冷蔵庫のドアを開けた。

「う〜んと、あれとこれと、それもいいな。これで何とかできるな」

そう呟くと、博人は、材料を冷蔵庫から取り出すと、うきうきしながら、夕食の準備を始めた。いつもなら、いやいやながら支度する食事の準備を、鼻歌を歌いながら楽しげにしだした。それが、征四郎の手術によるものかどうかは、わからないのだが・・・

 

「ギ、ギブアップ、ギブアップ」

「フゥフゥ、今は、これくらいで勘弁してあげるわ。まだ、私の分が残っているけど、それはまた後で」

「え?これで終わりじゃないの。」

「ええ、今のは、博人の分。あの子は優しいから、おじ様に手を出すことが出来ないから、私が代わりにしてあげたのよ。」

元の身体なら、ここまではしないのだが、今は男の博人の体なので、由里は、容赦なく征四郎に、知っているプロレスの関節技を掛け捲ったのだった。いつもは、元気で明るい女の子の由里なのだが、これも征四郎の手術によるものなのかどうかは、わからなかった。

「おじ様、お風呂沸いてます。汗をかいちゃって・・もう、身体中ベトベトで・・・」

「お風呂?お風呂ねぇ、入るの?」

「何とぼけたこと言ってるんですか。入りますよ。汗でベトベトって言ったでしょう。」

「う〜ん」

征四郎は、オーバーに困ったようなポーズをとった。

「実は、三日前に、研究に夢中になって、風呂を空焚きして壊れちゃった。」

「壊れちゃったって・・・じゃあ、シャワーでいいわ。」

「いやぁ、その時にバスルーム全体が壊れてシャワーも・・・使えないの」

「え!ええっ!じゃあどうするんですか」

「銭湯に行くしかないな。」

「銭湯?じゃあいいです。銭湯に行きましょう。」

そういうと、由里は、銭湯に行く準備をし始めた。

十数分後、2人は連れ立って、銭湯の入り口の前に立っていた。

「じゃあ、おじ様、上がったら、ここで待っていてくださいね。それでは後で・・」

と言って、由里は、女湯のほうへと行こうとした。征四郎はその由里の肩をあわてて掴んだ。

「チョット待った!由里ちゃん、君はどこに行こうとしているのかな?」

「何処って、お風呂ですよ」

「どっちの?」

「どっちのって、女湯に決まっているでしょう。」

「あのね。わたしは、こんな親だけど、息子を変態にするつもりはないの。」

「わたしも博人を変態にする気はないわ。」

「それはよかった。じゃあ、こっちにおいで」

そう言うと征四郎は、由里を男湯のほうに引っ張った。

「おじ様、あたしは女よ。どうして男湯のほうに引っ張るの。」

「どうしてって、今の君は男と女、どっちだね。」

「どっちって、あたしは、おん・・・いえ、博人になちゃったから、男。」

「そう、だから、こっちのな」

「い、いや!お風呂に入るのやめる。」

「だいじょうぶ!脳は男だから恥ずかしくないよ。」

「いや、いやぁ〜〜〜〜」

銭湯の前で、由里の男の悲鳴が、鳴り響いた・・・・そして、その一時間後、宮下家のバスルームでは、風呂に入るのに博人がモタモタしていた。

「お風呂に入るのに、何モタモタしているの?わたしが入るまでにお湯が冷めてしまうじゃないの。」

なかなかお風呂に入ろうとしない博人にイラついた真理恵は、脱衣場でオロオロしている博人の服を無理やり脱がしだした。

「や、やめてぇ〜〜〜!」

博人の必死な叫び声が、ご近所に轟いたのは、それはまた、別のハナシ。

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