第5章 戻らなかった身体
  月曜日の朝、お茶当番の瑞穂はいつもより15分早く出社していた。遠藤課
長も、いつもより早くから席で新聞を読んでいる。瑞穂は部員の机を拭き終え
るとポットを2つ、手にぶら下げ給湯室に向かった。遠藤課長は給湯室に向か
う瑞穂の後ろ姿に目をやる。縦縞の模様が入ったツーピースの制服はウェスト
が絞られており、そのタイトスカートが、より一層、ヒップの丸みを強調して
いる。遠藤は瑞穂の大きなヒップを眺めながら色っぽさを感じていたのである。

  しかし、正確にはポットを下げて給湯室に消えたのは遠藤であった。土曜日
に身体が入れ代わった後、結局、二人はもとの姿に戻っていなかったのである。
日曜日にはと期待していたのであるが、時は無情にも流れてしまった。

仕方なく、二人は入れ代わったままの容姿で瑞穂のマンションから揃って出社
したのである。

遠藤が給湯室でお湯をポットに入れていると瞳が側に来た。

「ねぇ、瑞穂。今日、課長と一緒に来たの?」
「えっ?なんで?」
遠藤が聞き返した。

「二人が歩いているところを見たの、私、彼とマクドナルドに居たのよ」
「彼って?」
「あぁ、この前のOFFで知り合った人。一人だけ学生じゃなくて社会人の人
  居たでしょ?ケロちゃんって人」
「そうだっけ?」
「もう・・・・忘れたの?」
「あまり話ししなかったから・・・」
「そうだね。瑞穂は耕太郎とばかり話しをしていたものね。笑」
「・・・・・」
「っで、なんで課長と??」
「駅でバッタリ一緒になっただけよ。笑」
「そうよね。課長とじゃ年が離れ過ぎよね。ルックスはまぁまぁなんだけど」
「私は30代だったら、大丈夫よ」
「ほぉ〜っ、爆弾発言!!」
「えっ?変な事、言いふらさないでよ」
「なんだか、瑞穂、赤くなってない?」
「ちがうって」
「そうよね。いつも課長には苛められてるものね。でも・・・瑞穂、マゾだった
  りして」
「アノネー」
「わかったわかった。笑」

瑞穂と瞳は、お湯が満タンに入ったポットをそれぞれ一つづつ手に持ちフロア
ーに戻った。

昼食の後、女子トイレで瞳は化粧を直していた。遠藤も横でルージュを引き直
す。昨日、遠藤と瑞穂は会社での細かい習慣をお互いに説明しあったのである。
彼からすると女子社員の知られざる世界を垣間見た気がする。遠藤は化粧の仕
方まで訓練を受けていたのだ。

「瑞穂・・・やっぱり変だ」
「えっ?」
遠藤は自分の行動に何か変なところがあるのかと一瞬とまどってしまった。

「課長となにかあったでしょ」
「なにを言ってるの?」
呆ける他なかった。
「だって・・午前中、二人ともお互いを、いつもチラチラ見ているんだもの」
「そんなことないわよ」
「いや、人の目を誤魔化せても、私の目は誤魔化せないわよ」
「・・・・・」
「ラブラブって感じよ、笑。白状しなさい!!」
「だから、そんなんじゃないの」
「怪しいな。朝は一緒に来ていたし。もしかして一緒に朝を迎えたとか?笑」
「じゃ」
「こら・・逃げるな」


定時終業のチャイムが鳴った。
「ねぇ。今日、時間ある?」
「なに?彼と帰りに逢うんだけど、瑞穂も来ない?」
「なんで私が?」
「う〜ん、二人きりだと彼氏が要求してきそうで」
「要求?」
「やだぁ〜っ、恥ずかしい、笑」
「勝手にやって、私、、この資料を作らないと帰れないの」
「それ・・・課長に頼まれていたやつね。ふむふむ」
「そうだけど、何考えてるのよ」
「いや、別に・・・仕方ない、瑞穂に見捨てられた憐れな子羊瞳ちゃんは狼の
  餌食になってしまうのね」
「はいはい、餌食になって」

資料の作成は丁度7時に終わった。

「どうもありがとう」
遠藤課長の容姿をした瑞穂が遠藤から資料を受け取って礼を言っていた。
「それでは失礼いたします」
「おぅ」

遠藤は制服から私服に着替えた。女子更衣室に入るのも今日が初めてであった。
見てはいけない部屋だと思っていた部屋に、堂々と入っている自分が信じられ
なかったが、一度入ってしまうと、思っていたような神秘性は何もなかった。
ロッカーに入りきれないロングブーツなどがロッカーの上に置かれたりしてい
てなんとなく雑然としている。全体的に狭いのである。今日は時間が他の女子
社員とずれていた為、遠藤は一人であったが、そうでなかったら、この広さで
は肌を擦りあわせながら着替えることになりそうだ。

着替えを終えた遠藤は会社のビルの一階で瑞穂が降りて来るのを待っていた。
夕食を一緒にとる約束をしていたのだ。もっとも、何時もとに戻るかわからな
い為、しばらくの間、二人は瑞穂のマンションで暮らすこととしていたのであ
る。

「お待たせ」
瑞穂が来たと思い振り返った遠藤であったが、そこには近藤が立っていたので
ある。

(あの男か・・・)
「何しに来たんですか?」
「悪かったね、急に帰ってしまって」

近藤は一人、瑞穂を置いて帰ったことを謝罪したが、強引に全裸にしたりキッ
スをしたことに対しては何も言わないのである。

「でも、感じたんじゃないか?コートだけの全裸で東京まで帰るのは君の羞恥
  心を昂ぶらせただろう。我ながらアイデアは良かったと思っているんだ」
「・・・・・・・」
「病み付きになった?また遊ぼうか、そこに車を止めているから」

そう言うと近藤は遠藤の手をとったのである。
「やめて下さい」
「おいおい、土曜日のことを会社のみんなにバラすぞ」
「・・・・・・・」

遠藤は愕然としてしまった。自分はもとに戻れば良いのであるが、その後の瑞
穂が気になったのである。なんの証拠が無くても噂は広がるものである。
これじゃ・・どちらが悪いことをしたのかわからなくなってしまう。

「さぁ、来いよ」
近藤が再び手を引いた。仕方なく遠藤は引かれるままについて行ったのである。

すぐ近くに近藤のBMWは止まっていた。近藤は助手席のドアを開けると遠藤
を車に押し込めようとしたのである。

(このままでは・・また・・・)

会社の前で事を起こすと噂が広がり瑞穂に迷惑がかかると、遠藤は考えていた。
その時、背中を押す力が消えたのである。

「誰だよ。てめぇ」
遠藤の姿をした瑞穂であった。瑞穂は近藤の顔面に思いっきり一発入れたので
ある。
「消えろ!」
「おぉ、おぼえてろよ」

そう言うと意外にも呆気なく、近藤は車に乗り込み逃げるように去っていった。

「だいじょうぶ?」
「ありがとう」

遠藤は自分の姿をした瑞穂に男らしさを感じ、胸がキュンとた。

一週間が過ぎ、金曜日になっていた。月曜の事件は会社の中であっと言う間に
広がってしまった。遠藤と瑞穂は部長に呼ばれ真偽を尋ねられたが、見知らぬ
暴漢に絡まれているところを通りかかった木村課長が助けただけであると通し
た。

しかし、二人の身体は入れ代わったままであったのである。お互い身体にも慣
れ瑞穂はすっかり男っぽくなっていた。ことば使いも男そのものである。遠藤
も、はじめは女性言葉を話すことに抵抗があったのだが、今では自然に話せる
ようになっていた。

会社でも、遠藤が資料の作成でミスをした時、お芝居では無く本気で瑞穂は遠
藤を叱るのである。遠藤も感情が高ぶり涙を溢れさせてしまったこともあった。
きっと身体がそれぞれの人格に影響を与えはじめているのであろう。

「瑞穂」
瑞穂が遠藤に向かって話し掛けた。
「うん?」

二人でいる時も瑞穂は遠藤のことを瑞穂と呼び、遠藤も瑞穂の事を課長または
木村さんと呼ぶようにしていた。二人の時と会社での使い分けが難しくなって
来たのである。先日、瞳が瑞穂と呼んだのに対して、遠藤は無視してしまい、
課長の容姿をした瑞穂が返事をしてしまったのである。その時は話しを作ろう
のに苦労したが、まさか身体が入れ代わっているとは思ってもいない瞳は自分
が間違って呼んだのだと思ったのである。

「もう、戻らない気がするんだ」
「そんな事・・・こまるよ」
「でも、他の人に瑞穂は渡したくない」
「私だって・・・」

少しの間、沈黙が流れた。

「最近、変なんだ」
「なにが?」
遠藤は瑞穂を本当に心配した。
「・・・・・・・」
「どうしたの?言って」
「瑞穂を見てムラムラ来るんだよ。自分の身体なのに」
「・・・・・・・」
「いいかい?」

遠藤は黙って頷いたが女としてはじめての経験に不安おぼえていた。

「優しくするから」
再び、遠藤が頷く。それが合図のように瑞穂は遠藤を自分の方へと軽々と引き
寄せたのである。遠藤は瑞穂によって後ろから抱きすくめられる恰好になった。
瑞穂が後ろから遠藤の耳たぶにキッスをする。そして首筋にも。

瑞穂は自分の身体の感じるところを知り尽くしているのであろうか、遠藤は全
身が甘い感覚に包まれて行く。

「電気を消して」
言葉を発したのは遠藤であった。瑞穂は電気を消すとそのまま遠藤をベットに
運んだのである。

「もう、終わってる」
遠藤は自分の生理が終わっていることを瑞穂に告げた。これの意味するところ
は瑞穂にもわかっていた。下腹部が男性自身を欲しているのだ。瑞穂の指が遠
藤の感じる部分に近づいて行った。


何度、絶頂を迎えていたであろうか。遠藤は女性として瑞穂に身体を任せてい
た。

「あっ、あっ・・・あぁ」
すでに自分の声も制御出来ないでいたのである。
「感じるか?」
「うぅぅん」
泣きそうな声を遠藤は発していた。
「行くよ!」
「うぅん、、ぁあ・・・」

遠藤の目の前が突然暗くなったのである。

遠藤が気がついた時、横には瑞穂が居た。小さな身体を丸めて気持ち良さそう
に寝ているのである。

(あれっ?)
遠藤は自分の手を眺めた。それはガサツな男の手であったのである。

(戻ったのか・・・)
遠藤は心の底から喜んでいない自分を発見していた。


「もう大丈夫なようだな」

東京の郊外に建てられた高層ビルの地下にあるパラレルワールド監視室の立体
スクリーンを見ていたマークとミュウに向かって所長のクボタが話しかけた。

「危険な一週間は無事、通過しました。後は離れるだけですから」

立体スクリーンに点滅している二つの世界を示す点は徐々に距離を広げていた。

「ふたつの世界が融合したり、爆縮していたら、きっとこの世界にも大きな影
  響を及ぼしたでしようね」
「そうだな」
「なんともなく終わってよかった」

部屋を出て行こうとしたクボタ室長は何かを思い出したように足を止め振り向
いた。

「そう言えば。ミュウは明日から休暇だよな」
「はい、一週間のお休みを頂きます」

ミュウの変わりにマークが振り返ると室長のクボタに答えたのである。


end





inserted by FC2 system