煌めく光の中、僕の歌声がマイクを通してスタジオ全体に響き渡る。
 観客席に人はいないけど、ステージの部分は本番と変わらず光に包まれ、スピーカーからは明るく活動的な曲が流れている。
 僕はスポットライトを浴びて、左手にマイクを持ち、右手を前に伸ばしながら、歌に合わせてステージの右端から左端まで移動する。
 そしてステージの中央に戻り、曲が終了すると同時にマイクを持った手の甲を額に当ててポーズを決めた。


 「OK!! 調子いいじゃないみずきちゃん、すっごく色っぽいよ! 本番もその調子で頼むよ!」
 別室で僕の動きをモニターでチェックしていたディレクターが、マイクを通して僕に声をかけてきた。
 僕は、「ありがとうございます」と言いながら、カメラに向かってお辞儀をした。


 僕は足元に気をつけながら、ステージを降りた。
 リハーサル中は歌う事に集中して気にしなかった(……というか、無理やり意識の外に追い出していた)ミニスカートが気になりだした。
 そして周りからスカートの中が見えないように、歩幅と歩き方に注意しながらスタジオの入り口まで行くと、マネージャの鳴瀬さんが僕を待っていた。
 控え室に戻った僕に、鳴瀬さんが小声でそっと囁く。
 「お疲れ様。……すごいわ、歌詞はおろか振り付けまで完全にマスターしたわね」
 「1週間みっちり訓練されましたからね。みずきさんの曲は以前から憶えてたし」
 やはり小声で答えながら、僕は頭の上の髪飾りや腕輪などの装飾品を外して鏡台の前に置いた。
 衣装の方はそのままだ。本番までにはまだ少し時間があるし、部屋には他に誰もいないけど、衣装を脱いで下着姿でくつろぐつもりはない。
 ……僕には刺激が強すぎるからだ。


 「それでもすごいわ。普通振り付け憶えるのって、もっと余計にかかるのよ。あなた結構素質があるんじゃない? ……どう? いっそのことこのままアイドルやる?」
 鳴瀬さんがニヤリと笑いながら僕に囁く。からかわれているのは判っているのだが、僕は思わず身震いした。
 「やめてくださいっ。僕はこのままなんて嫌ですっ」
 「そう、残念ね。……さっきディレクターさんも言ってたけど、あなたって一種独特な色気みたいなものがあるから、男の子達の注目を浴びるのは間違いないと思うんだけど……」
 「そんなの嬉しくないですっ!!」


 そう、アイドルになった事も、「色っぽい」と言われた事も、男達の注目を浴びるのも、僕には全然嬉しくなかった。
 ……何故なら本当の僕は、「男」なのだから。



僕はアイドル?

(後編)

作:ライターマン



 僕の本当の名前は立川光司(たちかわ・こうじ)。都内の大学に通う一年生で、本当なら今ごろは春休みをのんびり過ごしている筈だった。
 ところがちょっとしたトラブルで、ある科目の試験を受けそこねてしまい、そのために担当教官の天本教授の研究室を訪れた事で、僕の人生は一変した。
 単位と引き換えに教授の研究の被験者として、僕はスーパーコンピュータに接続されたヘルメットのような装置をかぶり、データを採取されることになった。
 そしてその時僕の隣では、別の科目の試験を受けられなかった、大学の同期生にしてアイドルの鷹城みずき(たかしろ・みずき)さんも、同じようにデータを採取されていたのだけれど……
 突然、校舎に雷が落ち、僕たちは気を失ってしまった。
 そして目が覚めた時……僕とみずきさんはお互いの意識が入れ替わっていたのだ!!


 天本教授の話では、スーパーコンピュータが修理されて中のデータが解析できれば、元に戻れる可能性があるという。
 ただし、その修理と解析がいつ完了するのか? そして本当に元に戻れるのか? ……について、はっきりした事は判らない。
 みずきさんのマネージャの鳴瀬さんは、元に戻るまでの間、僕にみずきさんの代わりをしろと言ってきた。
 つまり、僕に「アイドル」をしろというのだ!!
 僕としては、大勢の人の前で……しかも女性アイドルとして歌を歌ったり、挨拶をしたりなんてしたくはなかった。だけどスケジュールに穴をあけて、みずきさんを芸能界から引退させる訳にもいかなかった。
 ……僕もみずきさんのファンだったから。
 僕とみずきさん、そして鳴瀬さんは山の中のスタジオつき別荘で、代役のための特訓を一週間行なった。
 そして東京に戻って早々、先程のスタジオ収録。
 リハーサル……そして本番と、僕にとって緊張の連続だったけど、結果は上々だったと思う。
 本番の出番が終わった僕は、観客席からの拍手や、「みずきさーん」という歓声に、笑顔で手を振りながらスタジオを後にした。



 ピピピピッ!! ピピピピッ!!

 目覚ましの音で目が覚めた僕は、眠い目を擦りながらベッドから身を起こした。
 ここはみずきさんのマンション。眠っていたベッドはもちろん……みずきさんのベッドだ。
 自宅に何日も戻っていない――となると、週刊誌の記者が動き出し、鷹城みずき……つまり今の僕の周囲を追いまわす事になるのだそうだ。
 そして僕が今のみずきさん、つまり立川光司という男性と会っているところを見られでもしたら、「鷹城みずきの恋の相手は同級生!?」などという記事が週刊誌を賑わす事になる……らしい。
 そうなっては困るので、東京に戻ってからの僕は、みずきさんが住んでいたこのマンションに住む事になったのだ。
 ちなみにみずきさんの方は、僕のアパートで暮らすと近所の人や友人が不審に思うかもしれない――という理由で、都内のホテルに宿泊している。


 起き上がった僕は洗面所へと向かい、そこで顔を洗った。
 そして鏡に映った僕の顔を見る。……そこに映っているのはみずきさんの顔、そして今着ているのはみずきさんのネグリジェである。
 一度着てみたかった――なんてことは絶対無い!! ……と思う。
 みずきさんはネグリジェしか持っていなかったので、他に方法がなかったのだ。
 もちろんネグリジェを着ずに下着一枚で……という選択肢は却下である。そんな事をしたらとても理性が保てない。

 「あたしの身体で、絶っ対変な事しないでねっ!!」

 東京に戻って別れる際、みずきさんはそう言って強い調子で僕に念を押した。
 「もし変な事したらその時は……」
 「その時は!?」
 喉をごくりと鳴らして訊ねた僕に、みずきさんはとんでもない事を言い出した。
 「……この身体に性転換手術を施して、女の身体にするわよ!!」
 「ええっ!? やめて!! そんな事しないで!!」
 「じゃあ私の身体に変な事をしない事!! いいわね?」
 みずきさんの言葉に僕は激しく首を縦に振った。
 だから昨夜は……というか、昨夜も僕はみずきさんの身体に何もしていない。
 誓って!! 絶対!! ……本当だってば。


 洗面所を出た僕は部屋に戻り、みずきさんに教えられたタンスの引出しを開け、中から目的の物を取り出した。
 よく伸び縮みして汗を吸収する布地で出来た、胸の膨らみを包み込むように固定するためにデザインされたそれは……いわゆる「スポーツブラ」だった。
 僕は深く息を吸い込んで心を鎮め、ネグリジェを脱ぐとスポーツブラを、そして揃いのデザインのスポーツショーツを身に着けた。
 …………みずきさんの身体になってから一週間以上経つけど、いまだに下着を着替える時は緊張してしまう。
 慣れる――というのもちょっと怖い気もするけど。
 続いて長袖のトレーニングウェアの上下を着用して、ウィンドブレーカを羽織る。まだ夜明け前だから外は寒いはずである。
 最後に髪を後ろでまとめてポニーテールにし、額にバンダナを巻いた僕は、鏡で簡単に服装をチェックするとマンションの外に出た。


 マンションの敷地内の公園で、僕は軽く柔軟体操をする。
 僕が今これからやろうとしていること。それは、「みずきさんの身体の体力作り」だった。
 みずきさん自身も気にしている事だけど、みずきさんの身体は疲れが出るのが早く、ステージで身体を動かしながら歌を歌うと数回で息が上がってしまう。
 それでは2ヶ月先に予定されているコンサートでは体力が保たないかもしれないので、身体を鍛えたい。
 だけど、みずきさんは朝起きるのが苦手で、なかなかそれが実行できなかったらしい。
 そこで僕は東京に戻ってから、毎朝早目に起きてジョギングを行ない、少しでもみずきさんの身体に体力をつけることにしたのだ。
 確かにみずきさんの身体で朝早く起きるのはかなりつらいけど、幸い僕は何とか起きる事が出来たし、毎朝起きて身体が慣れてしまえば、元に戻っても楽に早起きが出来るだろう。


 夜が明けてようやく日が昇り始めた空の下、僕はビルの間の歩道を軽快に走り抜けていく。
 2キロ先の公園まで一気に走り、しばらく休憩してから別コースでマンションに戻る。
 マンションの近くの道路で、僕は駐車していた車と街路樹の繁みに向かって、「おはようございまーす」と声をかけた。
 すると、繁みの方でガサガサッと音がしたので、僕は思わず吹き出した。
 鳴瀬さんの話だと、恐らく彼らは写真週刊誌のカメラマンか何かで、読者の興味を引くような写真が取れることを期待して追い回してるのだろう……ということだった。
 そんな人たちの前でジョギングなどして大丈夫なのか? と聞いてみたけど、鳴瀬さんは、「問題ないわ」と答えた。
 彼らが狙っているのは恋愛沙汰などのスキャンダルで、「アイドルが体力作りに励む現場」の写真など、記事としての価値はゼロに等しいらしい。
 僕はマンションの入り口に停めてある車に身を潜めている人にも挨拶をしながら、マンションに戻っていった。


 部屋に戻った僕は洗面所に入り、そこで何度か深呼吸をする。
 (平常心……平常心……)
 心の中で何度も呟き、冷静になったところでトレーニングウェアと下着を脱ぎ捨てて、風呂場へと入る。
 僕はシャワーから少し熱めのお湯を出して、身体についた汗を流し落とした。
 ……身体にあたるシャワーの感触が心地いい。
 続いて僕はシャンプーを使って髪を洗う。長い髪を傷めないように洗うのは、結構時間がかかった。
 そしてボディソープを身体のあちこちで慎重に泡立てる。腕、脚、背中、腹部、胸、そして……
 それが一通り終わり、火照ってしまった身体を鎮めるためにシャワーから冷たい水を出して身体を冷やし、続いて熱いお湯で汗と石鹸を洗い流した。


 風呂場から出た僕は、タオルで身体を軽く拭くと、洗面所に畳んであったバスローブを取り出して羽織った。
 そしてブラシで髪を梳かしてからドライヤーで少しずつ乾かす。
 次に顔を軽く洗うと、洗顔料、化粧水……と、みずきさんに指示された手順でいくつもの液体を顔に塗っていく。
 洗面所を出て寝室に戻った僕は、そこでバスローブを脱ぎ、自分の身体をなるべく見ないようにしてブラジャーとショーツを身に着けた。
 そしてクローゼットの中から、クリーム色のワンピースを取り出した。
 本当はワンピースなんか着たくはなかったけど、鳴瀬さんからは、「三日のうち二日はワンピース、そしてスカートをそれぞれ着用する事!!」と、厳しく命じられている。
 僕がワンピースを着て、鏡を見ながら問題がないかチェックをしていると、玄関のチャイムが鳴った。
 「おはよう、準備は出来た?」
 迎えに来た鳴瀬さんの問いかけに僕は頷き、マンションを後にする。
 こうして僕のアイドルとしての一日が始まるのである。


 「さっきいい知らせがあったわ」
 車を運転しながら、鳴瀬さんが嬉しそうに声をかけてきた。
 「何です?」
 「教授のコンピュータの修理が完了したそうよ」
 「本当ですか!?」
 僕は思わず聞き返した。本当なら予定していたよりも3日早い。
 「ええ本当よ。事故当時のデータも完全に残ってて、これから解析作業に入るそうよ」
 鳴瀬さんの話を聞いて僕は嬉しくなった。まだ元に戻れる保証はないけど、希望の光が大きくなったような気がした。
 「教授もなるべく早く事態が解決するように頑張ってるわ。だからあたし達も頑張りましょう」
 「はいっ」
 僕たちを乗せた車は、軽快な走りで仕事場へと向かっていった。


 その日の仕事は写真の撮影だった。
 (……ううっ、は、恥ずかしい)
 初夏に売り出す雑誌に掲載するから、夏らしい服で……ということで、僕は薄いピンクのノースリーブのシャツに白のスカートという格好をしている。
 このスカートが、あちこちにレースやら刺繍やらの飾りがついたデザインであり、ノースリーブのシャツは肩口と胸の部分が大きく開いていて、胸の膨らみやブラジャーが見えてしまいそうだった。
 「うーん、まだ表情が硬いなあ……もっと明るく自然に笑って」
 カメラマンがファインダー越しに指示を出すけど、恥ずかしさと緊張でなかなか言われたとおりの表情が出来ない。
 「駄目駄目、もっとニコーッと笑ってよ。こーんな風にさ」
 そう言うとカメラマンは、顔をこちらに向けながら大きく目を見開き、口を横に広げながら歯を見せて、「ニイッ」という表情を見せた。
 その表情に思わず僕は吹き出したんだけど、その瞬間にシャッターが切られる音がした。
 「そうそう、その表情……いいよみずきちゃん。じゃあその表情で右を向いて、右手で髪をおさえる感じで……いいね最高だよ……」
 カメラマンはそう言って僕に指示を出しながらシャッターを切り、緊張が取れた僕は、指示に従っていろんなポーズをとっていく。
 不思議な事に、カメラマンに「綺麗だよ」とか、「最高」とか言われていると、恥ずかしさが少しずつ消えていき、大胆なポーズをとることも平気になってきた。
 そして撮影が進むにつれて、花柄のワンピース、キャミソール……と、服もいろんなものに着替え…………
 「OK!! 今日の撮影は終了。……みんなお疲れ様ー!!」
 というカメラマンの声にハッとなって、自分の体を見てみると、
 …………なんと僕はブルーのビキニの上下以外、何も着けていなかった!!
 「うわわっ!! い、いつの間にこんな格好を!?」
 恥ずかしさのあまり、僕は思わずペタンという感じでそこに座り込んでしまった。
 「しょうがないわねえ。あなた結構乗せられ易いタイプなのね」
 鳴瀬さんがそう言って、苦笑しながら僕に近づいてきた。


 「……という事があってさ、もう恥ずかしくって」
 その日の出来事をかいつまんで話すと、電話機の向こうのみずきさんは(僕の声で)しばらく笑っていた。
 僕とみずきさんは2、3日に一回、それぞれの部屋から携帯電話を使って話をしている。
 「駄目よ気をつけなくちゃ。ああいったカメラマンは、その気にさせるプロなんだから。……まあ、変な格好をさせようとしたら鳴瀬さんが黙ってないでしょうけど」
 「ごめん……ところでそっちの方は何かあった?」
 「……いいえ、何もなかったわ。だってどこにも出かけなかったもの」
 「えっ!? 出かけなかったって、どうして?」
 僕がびっくりして訊ねるとみずきさんは答えた。
 「だってあなたの身体で外に出かけて、あなたの知り合いに偶然出会ったりしたら……そう考えるとちょっとね」
 確かにそうかも知れないけど、このまま元に戻るまでずっとホテルに閉じこもりっきりというのも……
 そう考えた僕は、その場で思いついたことをみずきさんに言ってみた。
 「じゃあさ、変装してみたら? 僕だと判らない格好で出かけたら、そんな心配しなくてもいいじゃない」
 そう言うと、しばらくしてみずきさんが答えた。
 「そうね……あなたの身体は小柄だし、肌も綺麗だからカツラをかぶってお化粧してスカートを穿いて外に出れば、誰もあなただと気づかないかもね」
 「い……いや、変装と言っても女装じゃなくって、サングラスかけたりとか帽子をかぶったりとか……」
 「……ふふふ、冗談よ。……じゃあもう遅いし、今日はもう切るわね」
 そう言うと、みずきさんは電話を切った。
 僕はみずきさんとの会話の中になんとなく違和感を感じつつも、明日も朝が早いのでそのまま携帯電話を置いた。



 ある日の朝、いつものように鳴瀬さんと玄関から出ようとした僕は、鳴瀬さんの表情がわずかに曇ってる事に気がついた。
 「どうしたんです鳴瀬さん? この服装に何か問題でも?」
 すると鳴瀬さんは、首を横に振った。
 「いいえ、服装に問題はないわ。……ただ靴がね」
 「靴?」
 「ええ、本当ならその服装にはハイヒールの方が似合うんだけど……」
 そう言われて僕は、今まで踵の低い靴ばかり履いていて、ハイヒールの類を全く履いていない事に気がついた。
 「じゃあ、今日はハイヒールを履いてみましょうか?」
 と僕が言うと、鳴瀬さんはちょっと心配そうに僕の顔を見た。
 「大丈夫?」
 「大丈夫ですよ。ハイヒールなんて少しだけ踵が高いってだけじゃないですか」
 そう言って、僕は軽く引き受けたのだが……
 「くっ……バランスが……」
 マンションのエレベータで下に降りる頃には、僕は先程の言葉を後悔し始めていた。
 とにかくバランスが悪い。
 踵の部分は非常に細く、体重をかけるとすぐにぐらついてしまう。
 かといって踵に体重をかけなければ、脚の指先で全身を支えなければならない。
 僕は倒れそうになるのを何とか我慢して、マンションの駐車場に停めてある鳴瀬さんの車の所まで急いで辿り着こうとした。
 …………が

 グラッ!! 「うわあぁっ!!」 バッタ―――ンッ!!

 バランスを崩した僕は見事に転び、脱げたハイヒールの片方が僕の後頭部を直撃した!!
 「イテテテテ……ハイヒールなんか、ハイヒールなんか嫌いだ〜っ」
 痛みのあまり涙目になりながら、僕は呟いた。


 「みずきーっ」
 テレビ局での収録後、鳴瀬さんと一緒に事務所に戻ろうとした僕の背後で、声をかけながら走ってくる人物がいた。
 「ねえちょっとみずき? 無視しないでよ」
 「えっ!? 僕……あ、あたし?」
 肩をポンと叩かれ、呼ばれたのが自分だと気がついた僕は、慌てて振り返りながら答える。
 僕(……というか、みずきさん)に声をかけたのは、やはりアイドルの鹿野屋さゆり(かのや・さゆり)さんだった。
 「……? みずき、どうしたの? あなた最近変よ」
 さゆりさんが心配そうに尋ねてくる。
 みずきさんの話では、さゆりさんとはライバル関係にあるのだけど、明るくて姉御肌の性格の彼女とは親しくしているらしい。
 「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてた……の」
 そう言って僕は頭を下げる。
 「考え事って……もしかしてコンサートの事?」
 「え!? ……え、ええ」
 さゆりさんの言葉に合わせて僕は頷く。
 「まあ、あなたにとってはデビュー2周年の記念イベントだし、ファーストコンサートと同じ場所だから気持ちは判るけど……1ヶ月以上先の事を悩んだってしょうがないわよ」
 そう言って微笑みかけてくれたので、「ありがとう」と言って、僕の方も微笑み返した。
 「じゃあ今晩気晴らしに飲みに行かない? カクテルの美味しい所があるのよ」
 さゆりさんが誘うと、隣から「鹿野屋さんっ!!」と鳴瀬さんが睨みつけてきた。
 「みずきちゃんはまだ未成年なのよっ!! 勿論あなたも」
 「あ、あははは……そ、そうでしたね。じゃあみずき、時間があったら電話して。今度一緒にショッピングにでも行こうよ」
 「うん……え、ええ。必ず連絡する……わ」
 そう言って僕は笑みを返して、さゆりさんに手を振りながらテレビ局を後にした。
 車の中で僕はホッと安堵の息をついた。
 「気づかれて……ないですよね」
 「ちょっと冷や汗ものだったけど……たぶん」
 「はあぁぁっ、女の子の真似って大変だなあ……」



 みずきさんと入れ替わってから、すでに3週間が過ぎた。
 鳴瀬さんがコンサートの準備、という理由で仕事の量を抑えてくれたおかげで、僕は何とかみずきさんの代役をこなしていた。
 しかし元に戻る方はというと……
 「……それで解析の方は……そうですか……ええ、判ってます……よろしくお願いします」
 天本教授との電話を終えて受話器を置いた鳴瀬さんの表情を見て、僕はなんとなくその内容を想像できた。
 「解析、進んでないみたいですね」
 「ええ、『きっかけが掴めれば、それほどかからないだろう』っておっしゃってたけど、前例がないのでかなり苦労をしているそうよ」
 「「……はあぁーっ」」
 僕と鳴瀬さんは、同時に溜息をついた。
 みずきさんの代役――というのは、僕にとって想像以上にストレスのかかる事だった。
 人前では「みずきさんらしく」を心がけて振舞おうとしてるのだけれど、つい自分の事を「僕」と言いそうになったりとか、大股で歩いてミニスカートの中が見えそうになったりなどという事をやってしまう。
 それに着替えやシャワーの時などは、いまだにドキドキしてしまう……というか、とても平静ではいられない。
 いつも湧き上がる欲望を理性で必死に抑えている、という感じだった。
 まだとても「慣れた」と言える状態じゃなかった。


 一方、鳴瀬さんの悩みも深刻だった。
 「まずいわね。元に戻るのが2週間以上も先……なんて事になったら、コンサートに影響が出るわ」
 「え? で……でもコンサートまで、まだひと月以上あるんでしょう?」
 「甘いわね。衣裳の採寸はあなたでも出来るでしょうし、ステージの大まかなセッティングは本人がいなくても出来るわ。……でも、細かな演出とかになると本人がいないと話にならないし、何よりもコンサートで発表する予定の新曲の練習や、レコーディングの時間がないわ」
 「……そうですね」
 鳴瀬さんはしばらく真剣な表情で何かを考えてたようだったけど、おもむろに鍵を使ってロッカーを開けると、中から数枚の紙と小型のプレーヤーを取り出して僕に渡した。
 「何ですこれ?」
 「さっき言ってた発表予定の新曲の歌詞と楽譜、そして練習用に録音したイメージ音楽よ。……最悪の場合、新曲のレコーディングとコンサートをあなたにやってもらうわ」
 「そっ、そんな!! それじゃあみずきさんは?」
 「あくまでも最悪の場合よ!! 勿論あなた達がすぐに元に戻れば、みずきちゃん本人にやってもらうわ。……でもコンサートの直前に戻ったんじゃ、とても間に合わないし、そしてコンサートは中止できない。それはみずきちゃんの可能性を閉ざす事になるし、何よりもファンを裏切る事になるわ」
 「…………」
 「みずきちゃんにはあたしが今晩にも話します。……とにかく準備だけはしておかないと。一週間後には新曲のレッスンとコンサートの練習に入るわよ」
 「…………はい」


 翌日、仕事を終えてマンションに帰った僕にみずきさんから電話があった。
 「今から直接会えない?」
 そう言って待ち合わせ場所と時刻を指定すると電話は切れてしまい、こちらからかけても全然出てこなかった。
 僕は以前教えてもらった、外出用の支度を整えるとマンションを出た。
 今の僕の格好は、アイドルとしては地味なピンクのワンピースに縁なしのとんぼメガネ、髪を三つ編みにして変装している。
 そしてゲームセンターの中のトイレの個室に入ると、肩に掛けていたバッグを下ろし素早くワンピースを脱いで折りたたんだ。
 ワンピースの下にあらかじめTシャツを着ていたので、バッグに入っていたスラックスを穿き、ジャンバーを羽織ってサングラスをかけて三つ編みの髪をほどいた。
 最後に髪を帽子の中に押し込むとボーイッシュな女の子の出来上がりである。Tシャツは胸の大きさを目立たせないデザインなので、暗がりだと男の子に見えるかもしれない。
 変装を完了した僕は、ワンピースととんぼメガネをバッグにしまいこむと、トイレを出てゲームセンターを後にした。
 どうやらあとをつけてくる人はいないようだ。僕はバッグを駅前のロッカーに放り込むと、目的の場所に向かった。


 そこは小さなカラオケボックスだった。
 着いてみると、みずきさんは先に入っていて僕を待っていた。
 久しぶりに見る僕自身の身体……それは椅子に座って俯いているせいか、小さく華奢な感じに見えた。
 「……みずきさん?」
 僕が語りかけると、みずきさんはゆっくりと顔を上げた。
 「立川君……どう、そっちの様子は?」
 そう訊ねてきたみずきさんの目は、心なしか虚ろに潤んでいた。
 「様子? う、うん……何とか上手くやってるよ」
 「そうね、昨日テレビであなたが歌っているのを見たけど、あたしと同じ……ううん、それ以上だったかも」
 「そ、そんな事ないよ。みずきさんの方が何倍も上手いよ」
 「それに新曲のレコーディングもやるそうね……コンサートの練習も」
 「そ、それは万一の場合に備えてで……」
 しどろもどろになって説明しようとした僕だったけど、みずきさんには聞こえていないようだった。
 そしてみずきさんはゆっくりと立ち上がると、僕に近付きながら呟いた。
 「どうして……?」
 「……えっ?」
 「どうしてあなたはあたしから何もかも奪うの!? あたしのデビュー2周年のコンサートに、あたしの新曲……そしてあたし自身も!! あたしの……あたしの居場所がなくなっちゃう…………あたし、どうしたらいいの……?」
 僕に掴みかかりながら叫ぶみずきさん。その目からは大粒の涙がいくつもこぼれ落ちていた。


 「……みずきさん」
 僕は両腕を広げ、みずきさんの背中にまわすと、そっとみずきさんを抱きしめた。
 「ごめんなさい。でも僕は、みずきさんの居場所を奪うつもりなんてないですよ。鳴瀬さんだって、みずきさんと僕が元に戻るのが遅れても大丈夫なように、関係者と交渉してスケジュールを調整しているんです。教授だって寝る間も惜しんで必死で解析に取り組んでくれているし、みんなみずきさんの居場所を守ろうと頑張ってるんです。……だから信じましょう、僕たちが元に戻れる事を、そしてみずきさんのコンサートが成功する事を」
 僕が優しくそう言うと、みずきさんは泣きながら僕を抱きしめて何度も頷いた。
 しばらく抱き合っていると、やがて泣き止んだみずきさんが僕を抱きしめたままそっと囁いた。
 「ねえ立川君……このまま押し倒しちゃっていい?」
 「……ええっ!? みっ、みっ、みっ、みずきさんっ!?」
 慌てて離れようとした僕をしっかりと抱きしめたまま、みずきさんは声を震わせた。
 「……フフフフ……冗談よ。……ありがとう立川君、おかげですっきりとしたわ」
 そう言ってみずきさんは僕を解放して、微笑んでみせた。
 それは本来僕の顔であるということを忘れてしまうほど……きれいで光り輝いていた。


 それからしばらく、僕たちはカラオケボックスで歌いまくった。
 僕がみずきさんの曲を歌うと、みずきさんも同じ曲を歌いだす。それは普段の僕が出す声からは信じられないくらい高く澄んでいた。

 (みずきさん、やっぱり歌上手いよなあ……)

 そして僕たちがデュエットした曲が終わった頃、僕の持っていた携帯電話が鳴り出した。
 「もしもし……」
 「もしもし、立川君? 鳴瀬だけど、たった今天本教授から電話があったわ。……あなた達を元に戻す方法が見つかりそうよ」



 2日後の天本研究室――

 「やあ、みんな今まで待たせてすまないね」
 目的を達成しつつあり、上機嫌の教授はニコニコしながら僕たち3人に語りかけた。
 「いえ、それより本当なんですか? 元に戻す準備が出来たって」
 「ワシを疑うのかね?」
 「い、いえっ、決してそんな……」
 教授に睨まれて、鳴瀬さんが慌てて首を横に振る。
 「理屈が判ってしまえば準備をするのは簡単じゃ。今回の場合、2人の脳波のかなりの部分が似たような波形を出していたのが原因なんじゃ」
 「僕たちの脳波が?」
 「ああ、これはきわめて特殊なケースじゃ。そしてこれもかなり特殊なケースなんじゃが、コンピュータと測定器が2人の人格のデータを引き出そうとした結果、2人の人格が共振に近い現象を引き起こし飛び出しやすくなったんじゃ」
 「……で、そこに雷が落ちた――という訳ですね」
 「そのとおり。建物とコンピュータで減衰されたとはいえ、落雷の衝撃は最初鷹城君の人格を弾き飛ばし、それが立川君の身体に飛び込んだ。そしてその衝撃と、一瞬後れて襲った落雷の衝撃で、玉突き現象を起こして立川君の方の人格が飛び出し、鷹城君の方の身体に飛び込むことで2人は入れ替わってしまった。……と簡単に説明すればこんなところじゃな」
 「はあ……なるほど」
 「これと同じ現象を起こせば、二人の人格は元に戻る筈じゃ。計測システムのパラメータを変更できるようにしておいたから、調整して人格の共振現象を引き起こす。そしてもっとも飛びやすくなったところで、大型コンデンサに蓄積した電気を放電して衝撃を与えれば……二人の人格は元に戻るはずじゃ」
 「それって、いつ出来ます?」
 「コンデンサへの充電は終わっておる。今すぐにでも可能じゃ」
 「じゃあ」
 と言ってみずきさんの方を見ると、みずきさんの方も僕を見て頷いた。
 「お願いします。今すぐ僕たちを元に戻してください」



 研究室の奥にある実験室。
 そこにあるスーパーコンピュータも、脳波とかを測定するための装置も、みんな以前のままだった。
 ただ、コンピュータの隣に僕の身長くらいある円筒状の物体があった。恐らくこれが、教授の言っていた「コンデンサ」なのだろう。
 「それじゃあ始めるぞ」
 そう言うと、教授はヘルメットの装置の電源を入れ、キーボードを操作した。
 あの時と同じように、始めはヘルメットと接触している部分のチリチリとした感じが、時間が経つうち消えていったけど、その間にも教授はコンピュータを操作してパラメータを調整していた。
 やがてフワッと身体が浮くような感覚がしたとき、教授の方からパチンと音がして……

 バシィィィッ!!

 大きな音とともに目の前が真っ白になり、僕は気を失ってしまった。


 「…………君、……君、起きなさい」
 教授の声で目が覚めた僕は、起き上がろうとしたところを教授に押し止められた。
 「急に起きては行かん。ゆっくりと起き上がるのじゃ。……ところで確認するが、君は『誰』かね?」
 「立川……光司です」
 身体を横にしたまま僕が答えると、教授は微笑んだ。
 「うむ、どうやら成功したようじゃな」
 そして起き上がった僕が見た僕の身体……それは胸に膨らみはなく、スカートも穿いていない僕の……立川光司の身体だった!!
 そして横を見ると、そこには研究室を訪れた時に僕が着てきた服装の女の子が……みずきさんが起き上がって僕を見た。
 「みずきさん?」
 僕がそう訊ねると、みずきさんが涙を浮かべながら頷いた。
 「戻った……僕たち元に戻ったんだ」
 「ええ……」
 嬉しさのあまり、僕の目からも涙がこぼれ落ちた。


 「よかったわ。……ところで2人とも、身体の具合は何ともない?」
 こぼれそうになった涙を拭きながら、鳴瀬さんが僕たちに訊ねた。
 「あたしの方は特に何も」
 と言って、みずきさんは首を横に振る。
 「僕の方も特に……あれ? 僕ってこんなに肌白かったかな?」
 首を傾げて呟いた僕の言葉に、みずきさんが答えた。
 「よくは憶えてないけど……前からそうだった気がするわ」
 「ふーん、じゃあ僕の気のせいか? ……ん? ちょっと喉の調子が……それにおなかのあたりが少しシクシクするような……」
 「風邪を引いたみたいなの。……1週間ほど前からそんな感じなのよ」
 「あとは……胸が痒いような」
 「昨日からなのよ。……アレルギーか何かかしら?」
 「うーん、まあいいか。実験とは直接関係なさそうだし、命に関わるような事じゃないみたいだし。……じゃあこれで全て解決と言う事ですね」
 その後、鳴瀬さんは教授と少し話をした後でみずきさんを連れ帰り、僕も教授にお礼を言ってから研究室を後にした。

 …………しかし、全てはまだ解決していなかったのだ。

(つづく)


おことわり

この物語はフィクションです。劇中に出てくる人物、団体および病名は全て架空の物で実在の物とは何の関係もありません。





inserted by FC2 system