クリスマスイブに乾杯

作:ライターマン



「RENTAL BODY」シリーズの詳細については、 http://homepage2.nifty.com/~sunasan/rent/rb.htm を参照して下さい 。


 「まったく……女って奴は……」
 クリスマスもあと一週間に迫った都会の夜。
 男は手にしたグラスに入ったカクテルを一気に飲み干すと、苦りきった表情でつぶやいた。
 「マスター、もう一杯」
 そう言って男は、カウンターにいる初老の男性にグラスを差し出した。
 「お客さん……そろそろ止めておかないと身体に悪いですよ」
 バーテンダーでもある店のマスターはそう言いつつも、男のためにジントニックを作るとグラスをその前に置いた。
 男の名は五木雄介(いつき・ゆうすけ)。そしてここは、カクテルバー「One Night Dream」。
 五木は落ち着いた雰囲気が好きで、よくこの店を利用している。


 「今日はお一人ですが……彼女と喧嘩でもしたのですか?」
 マスターが五木に訊ねる。
 普通、バーテンダーはすすんで客のプライベートには立ち入ることはない。
 だが、なじみの客である五木がヤケ酒を飲んでいるのを見て、話し相手になってやろう……とでも思ったらしかった。
 五木には最近、沢渡圭子(さわたり・けいこ)という女性と付き合っている。
 ソフトウェア開発会社でプログラマーをしている五木は二ヵ月ほど前から運動不足解消のためスポーツジムに通い始め、そこでホテルのフロント係をしている彼女と出会った。
 そしてこれまで何回かデートを重ね、このバーにも二人で訪れている。
 職業柄、一緒に過ごす時間はなかなか取れなかったが……気の合う二人にとって、そんなことは大した問題ではなかったはずだった。


 「まあね、こっちにも悪かったところはあるんだが……」
 五木はぽつりぽつりと話し始めた。
 発端は、デートの際のちょっとした行き違いだった。
 映画を見ようと約束していたのだが、前日仕事で徹夜した五木が待ち合わせ場所であるショッピングモールに到着したのが、その待ち合わせ時間ギリギリだったのだ。
 しかも五木にとって、その場所は初めてだったので、目印になる像がどこにあるかわからなかった。
 五木は携帯で沢渡に連絡しようとしたのだが、「ただいま運転中のため……」という返事が返ってきただけだった。
 どうやら前日に用事で車を運転した際に設定したドライブモードが、そのままになっていたらしい。
 結局二人が会えたのは、待ち合わせ時間を30分すぎた頃だった。
 「俺はちゃんと謝ったよ……でもあいつの携帯のことを言うと、『そんな事は大した問題じゃない。女性を待たせておいて言い訳するの?』って言うもんだから、つい……」
 そう言って、五木は酒を飲み干した。


 「あれから何度も電話をかけたけど全然出てくれないし、勤め先のホテルに電話しても、『外出中です』と言ってつないでくれないし……あーあ、今年のクリスマスイブこそはって思って近くのホテルに予約までしたのに。……女の考えてることって、男にとっては永遠の謎だよ……」
 「『女性の考え方』ですか……わかる方法はあるかもしれませんよ」
 「……え!?」
 愚痴をこぼしていた五木は、マスターの言葉に思わず顔を上げた。
 「最近『レンタルボディ』というのが出てきたのはご存知ですか?」
 「ああ、『あなた望みのままのあなたに』とか言って宣伝してる奴かい?」
 「そうです。なんでもそれを使えば一定期間、好きなタイプの身体になれるとか。体格だけではなくて性格も、そして異性になることも可能だそうです」
 「異性にって……まさか」
 「信じられないような話ですが本当のようです。このバーにも『女性から男性になった』という客が何人かいらっしゃってますよ」
 「なんか……すごいな……」
 「どうです? あなたも女性の身体になって、女性の視点で周りを見れば『女性の考え方』が分かるんじゃないですか?」
 「女性の身体に……ははは、多少興味はあるけどそこまでは……」
 「そうですね、謎は謎のままの方がいい場合もありますし」
 「確かに……ありがとう。俺の話に付き合ってくれて」
 五木は残っていた酒を飲み干すと、席を立った。


 翌日
 「何ですって!? そんな無茶な!!」
 会社の会議室で五木は思わず声を上げた。
 会議室内にいる開発チームの他のメンバーは、声に出しては何も言わなかった。……しかし思いは五木と同じであろう。
 「無茶な話はわかってる……だが、クライアントは『明後日のデモのオペレータは、前回と同様女性にお願いしたい』と希望しているんだ」
 営業担当の課長は、非常に困ったと言う表情で五木に答えた。
 今回のクライアントは今までに何度もシステム開発を発注している、いわば「お得意様」だった。
 半年ほど前にも別のシステムを開発し納入したのだが、この時のデモンストレーション及び操作説明はいつもと違い女性が担当した。
 この女性は開発時の人員不足を補うため別の会社から応援として来てもらっていたのだが、優秀で容姿もよかったことからデモンストレーションの方もついでにやってもらったのである(もちろんその分は別料金を取られたのだが)。
 それが、クライアントのお偉方にえらく気に入られたらしい。
 「前回の彼女に、もう一度お願いすることはできないんですか?」
 開発チームのメンバの一人である中堅社員が訊ねた。しかし、
 「既に問い合わせたんだが、別の仕事で今は手が離せないそうだ」
 「それに今回のシステムは前回のシステムと内容がかなり違う。内容の理解とリハーサルも含めると、とても時間がないぞ」
 営業課長と開発チームのリーダーは、こう言って共に首を横に振った。
 五木は考えていた。
 今回の要求は契約の中には含まれていないので、無視しても法律上は問題ない。
 だが、これからもクライアントから仕事をもらおうとしている立場としては、容易に断れないのも事実である。
 外部の人間に依頼するには時間がないが開発チームは全員男性。ならば……
 「あの……」
 五木は手を挙げ、ある提案を行なった。


 目が覚めたとき、五木はカプセルの中にいた。
 カプセルは最初水平だったが、五木が目を覚ましたのを感知したらしく、徐々に起き上がってほぼ垂直になったところで蓋が開いた。
 「お目覚めですか?」
 カプセルの側にいた女性の係員が五木に声をかけてきた。
 「は、はい……え!? あ、あの……」
 そこで五木は、自分が裸であることに気がついて慌てた。
 「慌てる必要はありませんよ。『女同士』じゃないですか」
 そう言って女性係員は微笑み、五木は恥ずかしさで赤くなった顔を下に向けた。
 視線の先……五木の胸の部分には、丸くて大きな二つの膨らみがあった。
 そう、今の五木はどこから見ても完璧な「女性」だった。


 五木が行なった提案……それは、「自分がレンタルボディで女性になり、デモ及び操作説明を行なう」というものだった。
 クライアントは「女性」であることを求めているのであって、特定の個人である必要はない。
 しかも五木はシステムに熟知しているので、簡単なリハーサルをすれば操作説明や質疑応答にも問題はない。
 提案を聞いた開発メンバー及び営業課長は皆あ然とした……が、他にいい方法がなかったため、結局五木の案を採用したのである。


 五木には会社とは別の思惑があった。
 それは前日、カクテルバーのマスターが話していた、「女性の身体になって女性の視点で周りを見る」を実践してみようというものだった。
 あの時は、実際に自分が女になろう……などと思ってはいなかった。
 だが、クライアントの要求を聞いた五木はレンタルボディを使う方法を思いつき、ならばいっそ自分が女性になってみよう……そうすれば女性の考え方を理解できるかもしれない……と、考えたのである。


 「服はご希望の物を用意しましたので、まずはそれに着替えてください。下着の方はこちらで選びましたけど、問題はないはずです」
 そう言って女性係員は、ワゴンの上の籠を指した。
 そこには女性用の衣服と下着が置いてあった。
 五木は籠の中のショーツをつまむように取り出し、目の前で広げて見つめた。
 (俺がこれを穿くのか……まだ彼女の下着を脱がせたこともないのに……)
 そんなことを考えていたところに、女性係員が「どうしました?」などと聞いてくるものだから、五木は思わず「は……はいっ!! すぐ穿きます」と言って、そそくさとショーツを穿いた。
 次にブラジャーを着けようとしたのだが、今まで着けた事がない(当たり前だ)ものだから、これがまた一苦労だった。
 乳房をカップの中に入れたのまではよかったが、後ろのホックがどうにも留まらなかった。
 結局、女性係員に手伝ってもらい何とか留めることができたのだった。


 「えー、お客様の希望は性別は女性、全体的なイメージは『理性的』、容姿レベルは『やや美人』、身長は165センチくらい、性格及び性質設定はなし……でしたね。いかがでしょうか?」
 「ああ、ディスプレイで見せられたとおりだ。これで問題ないよ」
 五木は姿見を使って、自分の姿をいろんな角度から確認しながら女性係員の質問に答えた。
 「では利用上の注意を行ないます。事前に説明しましたように、本来の肉体からレンタルボディへの移植により消費された霊力が回復するまで再度の幽体離脱はできませんのでご注意ください。お客様の場合は四日後……つまり24日の17時以降であれば、再度の利用または本来の肉体への復帰が可能です。次に長期利用に関してですが…………」
 (24日……つまりイブの日の夜になれば、俺は元に戻れるわけか。……何とかそのときに沢渡さんと会えないかなあ)
 女性係員の説明を聞きながら、五木はボンヤリとそう思った。


 「……この画面で全業務が終了したことを確認し、このボタンをクリックすると終了処理を開始します。次に各マスタのメンテナンスですが……」
 レンタル開始から2日目、20人程度のクライアント側のオペレータを前に、五木はパソコンとプロジェクターを使って操作説明を行っていた。
 今の五木の服装は、明るい灰色のスーツで下はタイトスカート。派手ではないが、きれいにまとまっていた。
 また体にぴったりと合ったスーツが描き出すラインは、五木の女性としての魅力を充分に引き出していた。

OLな五木君(MONDOさんよりイラストいただきました)

 レンタルボディショップで用意された服を着て、五木は初日の夜から一日半の間リハーサルに明け暮れた。
 システムのデモンストレーションでは、訪れた人たちにシステム導入のメリットを効果的に見せる必要がある。また説明会では一日の作業のシミュレーションとしてシステムの起動から、作業の準備、作業を行なう際の注意事項、異常発生時の対処方法、そしてシステムの終了方法、さらに管理者のためのデータや環境のメンテナンス方法を短い時間に簡潔に説明しなければならない。
 五木はそれらがスムーズにすすむように何度も練習をし、万全の体制で本番に臨んだ。おかげで今のところは順調であった。
 過去何度かの説明会で、五木はクライアント側の人間の何人かが「居眠り」をしていたのを見たことはあるが……今回見た限りではそんな人間はいなかった。
 もっとも目が覚めているだけで、説明した内容が頭の中に入っているかどうか少々(かなり?)不安はあったが……
 ともあれデモンストレーションと説明会を無事にこなし、クライアントのお偉方も大いに満足して、その日の予定は終了した。


 説明会の翌日、五木が目を覚ましたとき、時計は午前九時を回っていた。
 ベッドから起きた五木は、顔を洗うために洗面所へと向かい……そこで自分の顔を確認した。
 長い髪、細くなった眉、つぶらな瞳と細く尖った顎……レンタル開始から2日経って多少は慣れたものの、五木本来のものではない顔がそこにあった。
 前日までは「仕事だから」とあまり考えないように……そしてあまり自分の顔を見ないようにしていたのだが、改めて見ると鏡の中の顔は結構美人であった。
 (沢渡さんと同じくらい……いや、沢渡さんの方が少し美人かな?)
 ……と、五木は思ったのだが、これは多少ひいき目が入っているだろう。
 五木が本来の身体に戻れるまでには、まだ一日半が必要であった。
 そこで五木は会社と相談の上、クリスマスまでの三日間を休むことにした。
 幸いデモと説明会を終えて、年明けまでの予定としてはドキュメント整理など急ぐ必要のないものばかり。
 休日出勤や深夜作業の続いた五木が休むには、ちょうどいい機会だった。


 五木は顔を洗い、朝食を取ると出かける準備をした。
 まず最初にシャワーを浴びた。
 肌が違うためか、シャワーを浴びたときの感じは男であったときとかなり違うように思えた。
 女の身体がどんなふうに感じるのか? 興味はあったが、何となく怖くもあったので軽く流すだけで済ませた。
 次にショーツを穿きブラジャーを着ける。ブラジャーはホックを止めるのに少し苦労したが、何とか着け終わると体を動かしてずれがないのを確認した。
 (女の下着って、身体にフィットしていて動きやすいし気持ちがいいし……いいよなあ女って……って、何考えてんだ俺は!!)
 自分の考えに思わず身震いし、五木は慌ててブラウスに袖を通し始めた。
 外に出た五木は、服を買うためブティックに入った。
 普段着を……と店員に頼んだのだが、着せられたのは黒色のセーターと赤いダウンジャケット、ミニではないが膝上までのスカート、そしてやはり膝上までの長めのソックスであった。
 五木にとっては少々派手に感じられたが、女にとってこれが普通なのかも? と思い、それらを買ってそのまま外に出た。


 五木は「女として」街を歩いてみて、いくつか気がついたことがあった。
 一つは視点の低さ。
 ボディを借りるとき、身長を沢渡と同じくらいのものを選んだのだが、それは五木本来の身長より10センチ近く低かった。
 たかが10センチ……ではあるのだが、それによって見える景色は見慣れた街でも何となく違って見えた。
 さらに人ごみの中に入ると、比較的近くの物も人影に遮られて見えなくなり戸惑うことがあった。
 そしてもう一つは人々の視線。
 すれ違う人、側を歩く人がちらちらと自分を見ているような気がしたのだ。
 自意識過剰では? と思ったのだが、若い男の中の何人かは、近くを通ると明らかに振り返って五木の方を見ていた。
 見られていることを意識した五木は自分の容姿が気になりだし、ときどきガラスや鏡に自分の姿を映して変なところがないか確認するようになった。


 「彼女、いま一人? もしかして暇? よかったらこれから一緒に食事しない?」
 夕方を過ぎ、空がすっかり暗くなった頃、五木はまた若い男に声をかけられた。
 一体これで何人目だろう? 五木は多少うんざりしながら、「彼氏と待ち合わせてるから」と言って断り、その場を立ち去った。
 実際には彼氏ではなくて彼女、しかも喧嘩中なので会う予定などないのだが……
 五木は今、その彼女と喧嘩したショッピングモールに来ていた。
 彼女が前回のデートのとき、どんな気持ちで待っていたのだろうか? と思ってそのときの待ち合わせ場所を訪れたのだが、あたりは仕事帰りの人達や若者で一杯だった。
 そんな中で自分がたった一人でいること……そして男達に見つめられ、さらに声までかけられて、五木はだんだんと不安になっていった。
 (沢渡さんもこんな思いをしていたんだろうか? 俺が迷って遅刻しているあいだ中……)
 あのとき、遅れた原因は自分だけでなく彼女にもあると思っていた。
 実際そうかも知れないが、結果として彼女を長い間不安な状態にさせたのは間違いなく自分であった。
 五木はあの時、沢渡に対して言い訳をして自分だけが悪いんじゃない……と言っていた自分が恥ずかしくなった。


 男からの誘いを断り、その場を立ち去った五木だったが、その男はしつこく追いかけてきた。
 「さっきから見てたけど、ただボーっと周りを眺めてて全然誰かを待っているなんて感じじゃなかったよ。いいだろ? ちょっとぐらいつきあったって」
 そう言ってその男は五木の腕を掴んだ。
 「離して下さい……離せ!!」
 五木は男の手を振りほどこうとした。だが、男はその手を離さず逆に力を入れると五木を引き寄せ抱きつこうとする。
 「や、やめろ……やめて!! 助けて!!」
 五木はその男に対し恐怖を感じ、思わず叫んだ。
 そのとき……
 「やめろ!! 彼女に乱暴するんじゃない」
 横の方から別の男の声がした。


 声の主は若い……とはいっても五木と同じ、25歳くらいの男性だった。
 美形という訳ではないが、整った顔立ちとスラックスとジャケットをシンプルに着こなし落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
 五木の腕を掴んだ方の男は、その男性を軽くにらみながら、
 「何だよ……俺に何か用でもあるのかよ」
 と半ば脅すように言ったのだが、言われた方は特に怯えた様子を見せなかった。
 「君に用はない。用があるのは彼女の方さ。これから一緒に食事に行く予定なんでね」
 (何だって!?)
 五木は驚いた。目の前で男に語りかけているのは五木の知らない人物であり、当然一緒に食事をする予定もない。
 「残念だったな。彼女は俺とつきあいたいんだとよ。痛い目を見たくなければさっさとどこかへ行きな」
 五木の腕を掴んだ方の男はこう言って脅しをかけてきた。だが言われた方はニヤリと笑い、
 「痛い目にあわせる? 彼女の腕を掴んだままで? 無理だと思うよ、例え両腕が自由になったとしても……」
 と言うと、なにやらボクシングのファイティングポーズのような構えをとった。
 それを見た男はいまいましげに五木の腕を離すと、「くそっ!!」と言いながら人ごみの中に消えていった。


 「ふうっ……助かった」「えっ!?」
 五木にからんだ男が去った後、安堵の言葉を発したのは意外にも五木ではなく、五木を助けてくれた男性の方だった。
 「喧嘩なんかしたことがないから、襲いかかってきたらどうしようかとヒヤヒヤだったよ」
 「で、でもあの構え……」
 「格好だけさ。学生の頃は演劇部にいたから、役柄で構えの練習をしたこともあるけど、それ以上は全っ然!! だからあいつが逃げてくれてラッキー、というわけ」
 少しオーバーに両手を上げながら首を振る仕草をする男性に、五木は思わず笑ってしまった。
 五木は自分の危機を救ってくれたこの男性に好印象を持った。
 だから、「ごめんね」といきなり謝られたとき、何を言っているのかさっぱり分からなかった。
 「あいつに『これから一緒に食事だ』って言っただろ。あの時はああ言っておかないと相手にしてもらえないと思って……申し訳ない、驚かせてしまって」
 五木は慌てて首を横に振った。
 危ういところをこの男性に救われたのだ。お礼を言わなければならないのに逆に謝られるとは……そう思った。
 だから男性が、「じゃあね」と言ってその場を立ち去ろうとしたとき、思わず声をかけた。
 「あのっ……よろしければ、本当にこれから一緒に食事をしませんか?」


 10分後、ショッピングモール内のレストランに五木と男性はいた。
 男性は、「今夜仕事があるのだが、一時間くらいなら空けられる」と言って、食事に付き合ってくれた。
 彼が選んだレストランは、偶然にも沢渡とのデートのとき、映画の後に行こうと彼女が言っていた場所だった。
 レストランに入った五木は思わず店内を見回した。……が、幸か不幸かそこに彼女の姿はなかった。
 テーブルに座った二人は、食事をしながら会話を楽しんだ。
 五木は男性に、先程の件での感謝の言葉を述べた。
 彼は、「まったく男って奴は……」と(自分が本来男であるにもかかわらず)五木が文句を言うのを笑いながら聞いた後、
 「男もあんなのばかりじゃないよ。女性にやさしい男もいっぱいいるよ」
 と言った。
 その他にもいろんな事をしゃべったのだが、趣味が似ているためか、その男性との会話は非常に楽しかった。
 語り合っているうちに、時間は瞬く間に過ぎていった。
 多少の名残惜しさを残しながら、五木は男性と別れ、帰宅の途についた。


 自分の部屋に帰り着いてから、五木は今日一日の出来事を振り返った。
 「女性として」外を歩き、人を見、そして人に見られていた時間は五木にとって貴重な経験だった。
 一日程度ではとても理解したことにはならないだろうが、それでも女性に対する見方が大きく変わったと思う。
 そして、自分の大切な女性として沢渡の存在がとても大きくなった。一刻も早く彼女に会って先日の件を謝り、仲直りをしたいと思った。
 だけど女性のボディをレンタル中である今の状態では、彼女に会うことは出来ない。電話で話をすることも出来ない……
 そのとき五木にある考えが閃いた。
 (そうだ、電子メールなら……)
 五木は部屋の隅にあるノートパソコンを開くと、メールソフトを立ち上げ、彼女の自宅と携帯のアドレスに向けてメールを送信した。

 「この前の件では君のことを考えず本当にすまなかった。事情があって今すぐは無理だけど、出来るだけ早く会って君に謝りたい」と……


 翌朝、目が覚めた五木は一通の電子メールが送られているのに気がついた。
 メールは沢渡からだった。
 「この前は自分も感情的になって申し訳ない。ぜひ仲直りがしたい。今日の夜9時以降だったらいつでも会える」という内容だった。
 メールを読んだ五木は、すぐに沢渡の携帯に「今日の夜9時、この前の待ち合わせ場所で待ってる」という内容のメールを送信した。
 五木の胸は熱くなった。
 素直に謝ることが出来たおかげで、仲直りの機会が与えられたのである。
 何よりも再び沢渡に会えることが嬉しかった。
 (幽体離脱が可能になる午後5時になったら、すぐにもとの身体に戻ろう。待ち合わせの時間まで大分あるけど、プレゼント選びに時間を費やしてもいい。沢渡さんに会えたらまずこの前のことを謝って、食事していろいろ話して、それから……)
 今夜のことを考えて、五木の心はワクワクした。


 だが……


 沢渡との約束よりだいぶ前、約束の場所に五木はいた。
 前日に立っていたのと同じ時間帯に、同じ服で、そして同じ「身体」で……
 五木はまだレンタルボディを「返却」していなかった。
 沢渡と会えることに浮かれていた五木だったが、前日に助けてくれた男性の事を思い出した瞬間、胸がちくりと痛んだ。
 本来のボディに戻ってしまえば、例え偶然に再会したとしても声をかけることは出来ない。
 そう思うと、もう一度会っておきたくなった。
 クリスマスイブのためか前日よりも人が多く、五木に声をかけてくる男も多かったが、幸いな事にしつこくからんでくる者はいなかった。
 そして時計の針が午後6時を指した頃、五木は人ごみの中にあの男性の姿を見つけた。


 男性は五木の姿を見つけると、少し驚いた表情をしたが、すぐに嬉しそうな顔になって五木の元へ駆け寄った。
 「もしかしたらと思ったけど……今日は誰かと待ち合わせなのかな?」
 「ここにいればあなたに会えるかもと思って……」
 「そうか……嬉しいよ。最後にもう一度君に会えて……」
 「最後!?」
 「うん……遠くに行かなくちゃならないんで……」
 「そう……実はこっちも……」
 もう会えないと思うと五木の表情は暗くなった。が、これでよかったのかもしれないとも思った。
 今の身体はあくまで「借り物」なのだから……
 見ると男性の方も暗い表情をしていた。
 五木は暗くなった気持ちを振り払い、努めて明るく微笑むと男性に言った。
 「じゃあ、お別れの前に一杯つきあわない?」


 カクテルバー、「One Night Dream」。
 二人が入ってきたとき、店は開店したばかりでほとんど客はいなかった。
 五木に続いて入ってきた男性は、多少落ち着かない様子で店内をきょろきょろと見回した。
 「ここ来たことあるの?」と訊ねる五木に、男性は「え……あ、ああ何度かね」と答えた。
 五木はカウンターのいつもの席に座り、「マスター、いつもの」と言った後で慌てた。
 五木が今の身体でこの店を訪れたのは、今回が初めてだったから。
 だがマスターは、「かしこまりました」と言ってカクテルを作り出し、五木の前にいつも飲んでいるジントニックを……そして男性の前にマルガリータを置いた。
 「マスター……俺が誰か分かるのか?」
 「はい、私は一度来た客の顔とオーダーを覚えているのが自慢でしたが、最近はレンタルボディというのが出てきましたので、顔だけでなく振る舞いや言葉使いなど、『魂』に近い部分も覚えるようにしております。……五木様は最近彼女と喧嘩をしたとの事でしたが、どうやら仲直りできたみたいですね?」
 「えっ!! 五木って……まさか、五木……雄介……君?」
 マスターの言葉と……そして続いて出てきた男性の言葉に、五木は目を見張って彼の方に振り返った。
 目の前にいるのは確かに男性だった。しかし先程の喋り方は……口を手に当て驚く仕草は……
 そして彼の前に置かれているのは、彼女がいつもオーダーしているカクテル……
 「沢渡……圭子……さん?」
 指を差しながら呆然としてつぶやいた五木の言葉に、その男性……沢渡はコクリと頷いた。


 「まったく……とんだ結末だぜ」「本当に……」
 そう言って、二人は手にしたグラスの中の液体を眺めながらつぶやいた。
 沢渡が男性でいる理由、それは五木と同じようなものだった。
 「ホテル系列のイベント会社に所属している男性が、インフルエンザで倒れちゃってね。ちょうどお得意様である政治家のパーティで司会する予定があって代役を探したんだけど、みんな多忙でダメだったの。
 学生の頃は演劇部にいたし、同窓会や結婚式で司会進行をやった事もあるから、私が代わりに出ようとしたんだけど……主催者の政治家が、『男じゃないとダメだ』というものだから……」
 「ふーん、それが昨日の仕事?」
 「違うわ、昨日のは別件。……問題のパーティはこの前のデートの翌日だったの」
 「じゃあ、電話しても全然出なかったのは……」
 「そうなの。まさか男の声で出るわけにはいかないと思って。電子メールは普段使ってなかったから思いつかなかったわ」
 「で、その身体にはいつまで?」
 「もうOKよ。霊子力が強いから本当はレンタル開始の翌日には戻れたんだけど、インフルエンザで倒れた例の司会者が昨日まで休んでいたから、このままでいたの」
 「ふーん、そうか……それにしても」
 と、五木はつぶやいた。
 偶然とはいえ、二人とも同じ時期にレンタルボディで別の性になるとは……
 そして別の姿になったにもかかわらず、二人が出会い、そして惹かれ合っていったとは……
 恐らく五木と同じことを考えていたのだろう……グラスをじっと見つめていた沢渡だったが、五木の方に向き直ると、
 「ねえ、乾杯しましょう」
 「乾杯? ……そうだな、クリスマスイブと……」
 「……あたし達二人の相性に!」

 「「乾杯!」」

 その声とともにグラスが打ち合わされ、二人の顔は満面の笑みに包まれた。 

(おわり)


おことわり

この物語はフィクションです。劇中に出てくる人物、団体は全て架空の物で実在の物とは何の関係もありません。













−警告−

ここから先は「おまけ」です。はっきり言ってこれまでの雰囲気が完膚なきまでに破壊されます。



























 「……ん? ここは?」

 見知らぬ部屋のベッドの上で、五木は目を覚ました。
 「忘れたの? ここはあなたが予約したホテルの部屋よ」
 浴室の扉の向こうから、沢渡の声が聞こえた。
 そう言われて五木は思い出した。
 沢渡との誤解が解け、仲直りしたあと酒を飲んでいたのだが、したたかに酔ってしまい……介抱していた沢渡に、以前から予約していたホテルを教えたのだった。
 「男の身体のときの感覚でどんどん飲むからよ。その身体、あまりアルコールに強くないようね」
 「そうか……って、なっなんだ!?」
 沢渡の言葉を聞きながら自分の身体を見た五木は、いつの間にか自分がブラジャーとショーツだけの姿になっているのに驚いた。
 「……な、何で俺が下着姿なんだ!?」
 「部屋に入るなりあなたが自分で脱いだのよ。暑いからって」
 「え!? 俺が……ってちょっと待て!! その姿はなんだ!! タオル以外何もつけてないじゃないか!!」
 「ホテルの部屋に男と女が二人きり。ならやることは一つでしょ?」
 「待ってくれ!! お前の今の身体は男なんだぞ!!」
 「そうよ、そしてあなたの身体は今は女……問題ないじゃない」

 「大ありだぁぁぁっ!!」






 こうして五木の願いどおり、二人はめでたく結ばれた。…………予定とはだいぶ違うようだったが……

(おまけのおわり)





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