ベッタベタ

作:城弾

 どこにでもある平凡な住宅街。赤い屋根の一軒家。その二階にあるそれぞれの部屋で少年と少女は日常を過ごしていた。
 先に目覚めたのは少年。几帳面な整い方をした部屋だが本人の寝相はひどく悪い。着衣も乱れていた。
 朝七時。目覚ましがなる。
「…ん…」
 寝ぼけながら彼はおきあがりまず自分の腕を見た。握る。開く。握る。開く。
 まるで「自分の手」かどうか確かめているようだ。それからはだけた胸元を軽く叩く。二度。ぴしゃっと引き締まった音がして彼は安堵の息をつく。
 それがすんだら彼はパジャマを脱ぐときちんと折りたたんでしまった。吊るしてあるワイシャツの袖を通す。

 彼の名は柴田龍太郎。身体的特徴としては身長172センチ。体重65キロ。17歳。高校二年生。引き締まった肉体で端整なマスクを持っていた。髪は短い。
 野球部所属ということもあり浅黒い肌が健康的だがどこかおどおどと見える。
 運動神経が良いがいかんせん気が弱い。穏やかというより気が小さい。それで押し切られて成り行きで野球部員になってしまったくらいだ。
 ただ性格の優しさもあるのだが。どちらかというと女性的な印象のある少年だった。
 着替えが完了したら隣の部屋へと出向く。ここからが一仕事だ。

「優香里(ゆかり)。そろそろ起きなよ。遅刻するぞ」
 すでに半そでワイシャツにネクタイ。青いズボンの男子夏用制服に身を包んだ龍太郎が未だネグリジェ姿の姉を揺り動かして目覚めさせようとしていた。
「うーん…あと五ふぅん…」
可愛らしい声で寝言をいい寝返りを打つ彼女の名は柴田優香里。
身長152センチ。体重40キロ。上から83 55 85のトランジスタグラマーだ。
色白の小顔と背中までのウェーブの掛かったロングヘアだけなら美少女で通るが何しろ性格ががさつで大雑把。
 所属は楽が出来るからと図書部員だが幽霊部員である。Age17.

 そう。二人は双子だった。

「ほら。優香里。起きろよ」
 龍太郎の部屋と裏腹にこちらはとても女の子の部屋とは思えないほど散らかっている。かろうじてピンクが多いことが女の子を印象させるがぬいぐるみもない。
「うぅん。ねむぅい」
「だめだって。遅刻するよ」
 まどろみよりもいらつきが勝った。
「うっさいわね。龍太郎」
 彼女は半身を起こすなり弟の頬に右フックを叩き込む。若干コークスクリュー気味に入る。
「ぐおっ」
 そのまま吹っ飛ぶ龍太郎。ごろごろ転がり壁に激突してやっと止まる。
「このあたしが眠いといったらおとなしく寝かせなさい」
 すっかり目が覚めたか片足踏み出して力強く言い放つ。

「口さえ開かなきゃいい女」が定評だった。
 優香里を示す四文字熟語を書けといわれたら彼女を知るものは十人中八人が「傍若無人」と書くだろう。ただし、ある一面を知らなければだ。
 遅刻するからと起こしに来た龍太郎はまさに恩を仇で返されている。

 双子が生まれたとき。まず女の子には「優しい香の里」と字を当てて優香里と命名された。
 弟のほうはそれを守るほどの強さ。何しろ男の子だ。とにかく強さを示すため「龍」と「男」を示す名前で「太郎」を組み込まれ龍太郎と。
 だが実際は思いと裏腹に『粗野に育った姉』『女々しく育った弟』であった。
 両親はいつも言う。
「あんたらが逆に生まれていたらよかったのにねぇ」と。
 ある意味ではその願いは叶っている。

「と…とにかく。ほら。起きたのなら早く着替えなよ。女の子は時間が掛かるんだし」
 知っている口ぶりだがそれは後に。
「ん〜〜〜やだ。めんどくさい」
 すでに女であることを放棄したこの台詞である。もちろんまかり間違っても髪や肌のケアなどしない。
 それなのにさらさらの髪と綺麗な肌なのは…それもまたあと。とにかく龍太郎はあわてて着替えを促す。
「なに言ってんだよ。早くしないと遅刻するってば」
「だってこの暑いのにブラなんてしたくないわよ。ほんとにもう。何で女はこんなに下着の数が多いのかしら」
 ギク。危険信号だ。
「と…とにかく。急ごうよ」
「やだ。そんなに言うならあんた着替えて」
「ええっ。また?」
「だってもう本当に女はめんどくさいんだから。着替えは男より時間かかるし。色々手入れはしないといけないし。うっかり夜道は歩けないし」
「そ…そんなネガティブに考えちゃだめだよ」
 まるで我が身に災厄が降り注ぎそうなのを回避しようとしているように見える龍太郎。
 ついに優香里は最終キーワードを口にした。
「あーあ。女なんていやだな」
 言葉に呪力がこもる。軽いめまいがある。それか収まると壁際では頭を振っている『龍太郎』の姿を龍太郎は見た。
 『龍太郎』はこちらを見ると
「入れ替わり成功。それじゃちゃっちゃと着替えてきてね。遅刻しないようにね。それから今日もちゃんと女らしく振舞うのよ」
 本人いわく「面倒な女の体」を弟に押し付け気楽な男の体で階下に下りる優香里がいた。
「またかよ……昨日も一日優香里の姿で過ごしたのに…」
 ベッドの上で茫然自失して可愛らしいネグリジェ姿で甲高いアニメ声でつぶやく美少女がいた。

 双子には不思議な絆があるという。
 どちらかが怪我をするとどちらかが同じところを痛めたりとか。遠く離れていても互いのことがわかるとか。
 この姉弟はその極端な例だった。
 なんと一定条件で入れ替わることが可能だった。
 その条件とは自分の性別に嫌悪したとき。相手を追い出して体をのっとってしまう。今のがまさにそうだ。
 追い出されたほうは自動的に魂の抜けた肉体に。
 基本的にどちらからでも発動可能だが圧倒的に優香里がやることが多かった。
 ただし双方が同時に「自分の性別に嫌悪する」「異性になりたいと念じる」ともっと簡単に入れ替われる。
 これは解除にも使える。

 そして他の解除の条件は三つ。

1 仕掛けた側が望む。
2 のっとられた方が念じなおして奪い返す。
3 意識を失う。
 この三つだ。
 1は状況次第。たとえば入れ替わって登校したが苦手な授業のときは元に戻るとか。
 2にはさらに条件が伴い最初より強いパワーが必要なのだ。だが何しろ女の体での歴史が長い優香里のほうが「怨念」にも力がこもっている。
 ほとんどは3だ。これまた単純な話で夜寝ると朝には入れ替わっている。仕掛けた側だけでも寝れば元に戻る。
 ちなみに前夜も体を入れ替えた状態で就寝した。だから寝入ったときの寝相のままだったので龍太郎の寝覚めは乱れていた。もちろん優香里の寝相だ。
 実は三日に一度。龍太郎は優香里の体で寝ている。
 だからがさつな優香里ではしないヘアや肌のケアを几帳面な龍太郎が替わってやっているからかろうじて美少女としてのレベルをキープしていた。

 『優香里』はピンクのネグリジェを丁寧にたたむと下着を替える。それからブラウスをつけてプリーツスカートを。
 それから制服としてベストをつける。リボンの曲がりをチェックすると鏡台で丁寧にブラッシングする。
「ああ。もう。優香里ったら。寝癖がひどいんだから。一度シャンプーしたいけど…」
 ちなみになんども強制的に入れ替わらされているからもう互いの体に妙な興奮はしない。風呂もトイレも本来の性別と同様にこなす。

 なんとか朝食を採りバス停へと急ぐ。
「ほら。急げよ。『優香里』」
 すっかり男の子になりきった『龍太郎』が駆け足で先を走りながら促す。
「誰のせいでこんなぎりぎりになったと思っているのよ」
 この生活ももう長く人前ではそれぞれ男言葉。女言葉をさらっと使いこなしていた。
 面白いもので女の体をめんどくさがる割に優香里はパンツルックをまずしない。スカートもほとんどが裾の広がるものだ。
 優香里に言わせるとズボンの閉じた感触がイヤなんだそうだ。
 また性格の割にはフリルやレースを好む。これが小柄なものだから異様に似合う。
 いささか話がそれたが普段は穿かないズボンをつけると自動的に「男言葉」のスイッチが入るようだ。
 龍太郎はその逆。
 当たり前だが入れ替えられないとスカートを穿くわけはない。
 以前に女の体にされたときにズボンを穿こうとしたら優香里は持ってなく。
 自分のは丈が合わず(かといってこのためだけに切ってしまうのも…)それでも裾を折って対処しようとしたらヒップが邪魔ではけなかった。
 母親もパンツルックはまずしないしさすがにおばさんファッションだ。抵抗がある。
 結局入れ替えられるとほとんど脚を晒して外を歩く羽目になりすんなりと気持ちが変わるのだ。

 登校する。
 下駄箱で『優香里』が『龍太郎』に耳打ちする。
「人前では気をつけてよ。ばれたらたいへんだし」
「わかってるよ」
 どこまで気をつけてくれるか不安な『龍太郎』の態度だった。

 下駄箱ではもたつく『優香里』をよそ目に『龍太郎』が行ってしまった。ちなみに龍太郎は2年D組。優香里は2年A組だった。
「確かにあっちのほうが距離あるけど一人で先にいくことないじゃない」
 独り言まで女言葉だから徹底している。ぼやいていると背後に人の気配。
「やぁ。柴田さん。おはよう」
「あ…キャプテン。おはようございます」
 この青年の名は村上陽平。身長186センチ。80キロ。右投げ左打ち。三塁手。
 彼は野球部主将だった。だから野球部所属の龍太郎としてはついキャプテンと口走ってしまった。
「キャプテン?」
 村上は怪訝な表情をする。
「あ…ああ。いえ。いつも弟がお世話になってます」
 姉の評判を落としたくないのと生来の几帳面から丁寧に出る。これがまた普段のがさつとのギャップで「女らしい」と評判がいい。
「ああ。弟さん。彼はいいショートになりますよ。プロだって夢じゃない」
「そんなぁ」
 相手は当人とは知らずに話している。つまりおだてるとかそういうのはないと思っていい本音。褒められてちょっと舞い上がる。
 むろん龍太郎としては女の体に押し込められても基本的に恋愛対象は女性だ。だがこの人格者の主将には心酔していた。
 だから認められたようで嬉しかった。

 一方。優香里が成りすました『龍太郎』を
「せーんぱい」
 ツインテールの少女が甘え声で呼び止める。
「ああ。綾ちゃん」
 綾と呼ばれた少女は身長155センチ。体重38キロ。上から77 55 78というスタイルだった。一年生。
「今日は遅かったんですね。先輩のこと。待ちくたびれちゃいましたぁ」
「はは、ごめんごめん」
 慕ってくる少女に悪い気はせず。「女同士」だけに慕う気持ちはわかり邪険に扱いたくはなかった。

『優香里』と村上の階段を上りながらの会話。
「弟さん。センスはいいんですがもう少し強い気持ちが欲しいですね。守備にも打撃にも」
 話は良くわかるが相槌は打てない。龍太郎はもちろん野球に強いが優香里はまるでわかってない。だから専門用語には反応してはいけない。
「ああ。失礼。野球に興味はなかったようですね」
 それを興味のない話題と察した発言。あわてて『優香里』が
「そんなことないです。もっとお話してください」とすがりつく。
 彼がそうまで下手に出るのは性格もあるが姉がこの村上キャプテンに惚れているのがわかっていたからだ。
 これも双子の勘か。
 だから変な態度で嫌われてはまずい。
 本人が直接アタックして玉砕するならまだしも龍太郎が振られる原因では優香里になにをされるかわかったものではない。
「そうですか。それじゃ放課後。屋上に来てください。ゆっくりお話しますよ」
 にっこりとさわやかな笑顔で言う。『優香里』に断れるはずもなかった。

「せんぱい。お願いがありますぅ」
 舌足らずな調子で甘えるように言う。
「なんだい。綾ちゃん?」
(龍太郎ってば練習をよく見ているこの子に気があるみたいだからね。ま、姉としてとりもってあげましょう)
 それを知っているのは自分が村上キャプテンを見にグラウンドにいるからだ。実はその口実で無理やり野球部に龍太郎を入部させたのだ。
 龍太郎を見に来ているという理由で実は村上を見ていた。
「放課後。お話がありますぅ。校舎裏に来てください」
「(ここは恩を売っておくのもいいか。あの根性なしじゃ女の子に自分から声をかけるなんてできないわね)わかった。放課後に校舎裏だね」

 2年A組。『優香里』はもうすっかり慣れた調子で『自分』の席に向かう。
 かばんをかけた時点で二人の女生徒がやってきた。
「おはよう。優香里」
 ボブカットの少女が明るく挨拶する。
「おはよう。弥生さん」
「あ。やっぱり。今日は乙女モードなのね」
 ポニーテールの女の子が納得したように言う。
「洋子さん。乙女モードって?」
 二人は優香里の親友だった。龍太郎も彼女たちには好意を抱いていたが基本的にクラスが違うせいか『優香里』としての『同性の友人』というスタンスだった。
「だってあんたいつもはけたたましい入り方するし。男子や先生に平気で食って掛かるし」
「そういう時を『アバレモード』と呼んでるけどね」
「私はどこかの戦隊のメンバーですかっ?」
 しかし納得はいく。目に浮かぶようだ。
「それにしてもあんたって不思議ね。日によってまるで別人だもの」
「ね。あんたの弟もそうなの? 日によって性格が変わるの」
「そ…それは…」
 龍太郎は返答に詰まってしまった。視線を落としもじもじとし始める。
 本来の肉体でそれをやると老若男女問わず「男らしくしなさい」と非難されるのが落ちである。
 ところがこの小柄な美少女の肉体でそのしぐさは逆に庇護欲を掻き立てるらしい。
「瀬波。野方。柴田が困っているじゃないか。やめろよ」
 まちがっても本来の優香里のときはこんな声は飛ばないしそもそもこの仕草もしない。
 龍太郎が自分の肉体を奪還できない理由の大きな要素がこの居心地の良さだった。
 いくら女々しい態度をしていても非難されない。
 もちろんいくら女でもあまりに度が過ぎればその限りではないが、さすがに男でやるよりははるかに許容される。
 龍太郎にすれば無理に男らしく振舞わなくてよいので実はその点では女の肉体になるのはそんなにいやでもないのだ。
 たださすがにぼろが出ないように気遣うのがしんどいが。

 2年D組。『龍太郎』が着席すると途端に柄の悪い連中が寄ってきた。
「来たな。下っ端。さっそくだがメロンパン買ってこい」
 パシリ…気の弱い龍太郎のポジションだった。だが・・・
「あ〜ん? 誰にものを言ってるんだ? おまえ」
 据わった目つきに不良たちはぎくりとなる。蛇革ジャケットの誰かさんみたいに低い声だった。
「し…しまった。ブラスターフォームだった」
 「すべてを破壊する」そういう理由のネーミングだ。別名。凶暴体。
 『龍太郎』はいきなり眼前の不良の顔を鷲づかみにするとそのまま机に叩きつけた。とても精神が女とは思えない。
「ちょ、ちょっと待て。確かに命令はしたがそれだけでそこまでするか?」
「今日は機嫌が悪い。それだけで充分だ」
 別に不機嫌ではないがとりあえず口実である。次々と蹴散らす。
 もともと運動神経が良くまた野球で鍛えられている肉体だ。なまった不良生徒くらいはその気にさえなれば造作もない。あっさり蹴散らされる。逃げてゆく。
「おいおい。いくら鼻つまみ者のあいつらでもやっちゃったら野球部員としては『不祥事』としてまずいんじゃないか」
「そんなこといってるからああいう馬鹿が付け上がるんだよ。長岡」
「それにしてもお前って切れるとホント怖いな。普段がおとなしいだけになおさら」
「そんなに怖いか。三面(みおもて)。ま、奴らもそのおとなしいときを狙ってきたんだろうがな。当てが外れたな」
 豪快に笑い飛ばす。力には力で対抗するものの弱者には決してその拳を使わずむしろ助けるこの状態は『乱暴もの』と毛嫌いされるどころか女子の憧れの的だった。

 入れ替わったほうがそれぞれ女らしく男らしくありその見た目もありもてていた。お約束だが(笑)

 2年A組は一時間目は男子が技術で女子が家庭科であった。
「優香里?」
「はい? なんでしょう。洋子さん」
 その態度に洋子は胸をなでおろす。
「よかったぁ。まだ乙女モードね。あんたいきなり人が替わるからひやひやだわ」
 もちろん優香里の気まぐれで戻されるケースである。
「優香里『乙女モード』なの? だったらあたしたちと組になりましょ」
「ええ。いいですよ」
 お察しの通りがさつな姉はまるで家事がだめだが、龍太郎はその几帳面さでこなせていた。本人も得意と思っていた。
 それに一応は『男の子』。やはり女の子に頼られて悪い気はしない。
 もっとも求められるのはその家庭的な家事能力。そしてそれがまた「女らしく」見えるから余計悪いのだが。
 しかし…鼻歌歌いながら包丁を握るのも相当問題があるような…まるで女である。

 同じころ。D組は体育だった。夏ではあるが前夜の大雨でプールのコンディションが悪く通常の体育。陸上競技だ。
「どおりゃああああああああっっっっ」
 豪快にハードルを蹴散らしながらも誰よりも早く駆け抜ける『龍太郎』
「くぁーっっっ。アクセルフォームのあいつにはかなわねぇよなぁ」
「ほんと。気弱がなければいい選手だよな」
(あー。ほんと。男の体って楽でいいわねぇ)
 中身が女とは誰も気がついてない。何しろ普段より勇ましいのだから。

 二時間目。今度はA組が体育。同じく陸上だが『優香里』はまるでトロイ。
 何しろ横着してロクに動かないからなまっていることこの上ない。それに加えて龍太郎の立場で言うなら身長20センチ差。すなわちストライドのギャップになれない。
 なまじ普段の肉体は性能がいいだけに余計だ。体格の割りに大きめの胸も邪魔。
「きゃん」
 案の定こけてしまう。そして
「いったぁーい」
 ここで可愛らしく振舞ってしまうがまったくの地であり演技ではない。ただし女の肉体が精神に影響しているかもしれない。無論のこと男に媚びてはいないが
「大丈夫か? 柴田」
「怪我してるじゃないか」
「担架だ。担架をもってこい」
 念のために言うと転んだ拍子の擦り傷である。とにかく優香里乙女モードはもてまくりである。
「ふっ。馬鹿め。担架に寝かせるくらいならオレが直接保健室にまで背負っていく。背中全体で柴田の感触を感じ取ってやるわ」
「そ…その手かあったかぁっ」
「柴田。俺が背負ってやるよ」
「いや。俺だ」
「そ…そんな…恥ずかしい」
 本当に精神が男かなのか非情に怪しいが『優香里』は両手で顔を覆う。男たちは妙に温かい目になり恍惚とした笑みを浮かべる。
「あ…あの。立てますから。かすり傷ですし」
 放っておくとどうなるかわかったもんじゃない。本来は男のはずだが、女として扱われるうちに男の馬鹿さ加減が見えてきた龍太郎である。

 昼休みになる。何人かの女子が弁当を持ってやってきた。
「柴田君。今日はお弁当? 作ってきたの。一緒に食べない?」
「ちょっと。割り込まないでよ。ね。あたしと食べよ」
「どーせインスタントでしょ。あたしのはちゃんと手作りだよ」
「華麗なる三遊間」村上と龍太郎の内野守備はそう呼ばれていた。
 ただおどおどした小心者のときは女子に敬遠されていたがこの勇壮なときはアイドルだった。
(あいかわらずもてるわね)
 優香里は自分の性格がこの肉体とマッチしての現象と知らない。
 そしてもともとは女だし恋するのも同じ。だから無下に断れなかった。
「わかった。順番に食べるよ」

 その正反対の展開が『優香里』だった。実は二人の弁当は『優香里』が作っていた。ただ両親には交代で作っているように見えるが実際は毎日キッチンに立つ龍太郎である。
「おおっ、柴田さん。おいしそうなお弁当だね」
「あの…よろしかったらどうぞ」
「ホント? いいの」
 ずうずうしくもその少年はフライを食べてしまう。
 気の弱さで断れないのもあるが料理をほめられて悪い気がしないのもあった。
「うん。美味しい。ホント。いいお嫁さんになれるよ」
「お嫁さん…」
 さすがにそれだけはごめんこうむりたい龍太郎である。茫然自失しているうちにピラニアのような男子生徒たちに小さな弁当箱は空っぽにされてしまった。
 泣きそうな顔で食堂にパンを買いに行く『優香里』である。

「ぐぇーっ。いくら男の体でも弁当四つはきついわね」
 ちゃんと龍太郎の作った弁当も平らげている優香里である。
 彼は今『ファン』から逃れるために屋上にいた。一人きりなので本来の女言葉が出る。
 きぃぃ。軋む鉄扉。『優香里』が来た。
「龍太郎。どーしたのよ? あんたお弁当持ってったじゃない」
「うん…食べられちゃった」
 気の弱い美少女はパンを二つと牛乳を持ってここに来た。本来の肉体ならとても足りないがこの体だとこれでももてあます。それがもう理解できるほど頻繁に入れ替わっていた。
「あんたねぇ。嫌なら嫌って言いなさい。はっきりしないと綾ちゃんに嫌われるわよ」
 優香里の言葉に『優香里』はむせた。運悪く牛乳を飲んでいた。ちなみに優香里は小学生時代に散々、牛乳を噴き出させた前科がある。
「な…何を?」
「お誘いよ。放課後に校舎裏だって」
「ええっ!?」
龍太郎本人としては可愛い女の子に誘われて照れている図なのだがなにしろ小柄な美少女の姿で頬を染めてそこに手を当てるものだから『恥じ入っている乙女』そのものである。
「ど、どうしよう!?」
 とことん女やってるほうがしっくりくる少年である。
「デートのお誘いかもね」
 揶揄するように少年の肉体の姉が言う。ますます頬を染める『優香里』。だがいきなり真顔になる。
「あ。思い出した。キャプテンも優香里に話があるらしい。やっぱり放課後にここで」
「何ですって?」
 少年の声が裏返る。瞬間、『優香里』はめまいを覚える。収まったら視点が高い。元に戻された。
「それを早く言いなさい。ああ。憧れの村上さん」
 告白されるかもしれない。勝手にそう決め付けた優香里はさっさと本来の肉体へと戻る。手にしていたパンを口に詰め込みさっさと教室へと移動した。
「ゆ…優香里。待てよ。うっ…腹がきつい…」
 先刻までの空腹を抱えた体からいきなり胃薬の必要な状態にされればギャップもきつい。

 そして放課後。
 校舎裏。部活がないことも手伝いすんなりとここに移動したものの綾の姿を見るなり硬直する龍太郎である。
「あっ…先輩?」
 途中でトーンが変わる。何しろ龍太郎は本来の小心者に戻っていた。中が優香里のワイルドさはかけらもない。その差異を感じ取ったようだ。
「ふぅーん」
 だが綾は気を取り直すと
「せんぱぁい。待ってましたぁ」
 ことさら甲高い声で駆け寄った。
「あっ…や…やぁ綾ちゃん」
 本人的にはさりげないつもりだがとにかくぎこちない。
「来てくれてありがとうですぅ。早速ですけど…今度の日曜日。デートしませんか?」
「ででででででで、デート!!!!!!!????」
 まさか本当にデートのお誘いとは? 九回裏ノーアウト満塁でクリーンナップを迎えた守備以上に緊張していた。
「だめですかぁ?」
 頬に右手の人差し指を当て上目遣いに覗き込む綾。
「そ。そんなことはない」
 彼にしたら精一杯の勇気。それに答えるがごとく綾はにっこりと笑うと
「よかったぁ。じゃあ○○駅前に十時でいいですかぁ」
「う…うん」
 実はこの二人のデートは初めてではないのだが誘われるたびに初めての誘いのように緊張している龍太郎である。
「筋金入りの根性なし」(優香里・談)が誘ったことはなくリードはすべて綾だったが。

 同じころ。
 屋上。厳密な待ち合わせ時刻は定めてはいなかったがかなり遅くなってからやってきた優香里。
「ごめんなさい。遅れちゃいましたぁ」
 豪快に笑い飛ばす。あまりの態度の違いだが何かを理解したかのように村上は
「そうか…」とつぶやく。
「それで。野球のことを教えてくださるんですよね」
 飛び出したあとで詳細を龍太郎に聞きだしている。
「はは。実を言うと口実なんですよ。言いたかったことは唯一つ。柴田さん。今度の日曜日。空いてますか?」
「はい。空いてます。あきまくってます」
 それは女の態度ではないだろう…だが気にせず(というか理解しているらしい)彼は続ける。
「でしたらどこかへ遊びにいきませんか。二人だけで」
「行きます」
 格闘ゲームのCPUの超反応でもここまでは速くない。
「わかりました。では△△駅で十時。待ち合わせでいかがです」
「はい」
「じゃあ」
 さわやかに村上は去っていく。扉が閉まるのを見てから優香里は
「よっしゃあああああああっっっ」
 本当に女か疑わしい雄たけびだ。

 そして日曜日。
 本当なら入れ替わって面倒な着替えやメイクを龍太郎にさせたかった優香里だが何しろこの場合「女は嫌だ」とは思えるシチュエーションでない。
 女だから村上を異性として好きになりそして村上にも異性として誘われた。女であることに感謝はしても嫌える状況ではない。
 それでたどたどしく化粧をしていた。
「優香里。準備は…うわっ」
 化粧というよりフェイスペインティングだった。不器用なほうではないがなにしろ普段していない。
「あっ。龍太郎。メイクおかしくない?」
「うん。全体的に思いっ切り変」
 さすがに身内にはずけっといえる龍太郎。というかそのまま町を歩かせたら笑いものになる以前に回りに引かれる。
「もう。しょうがないなぁ。やってあげるから全部落として」
 女の子させられて状況によってはメイクも必要でこなしていくうちにすっかり手際のよくなった龍太郎。
 自分(とっても優香里の姿のときだが)の顔だけでなくこのシチュエーションも多い。リクエストにあわせてメイクしていく。
「鏡を見てみて」
 途中で確認を促す。
「足りないわね。もっとやって」
「えっ。でもこれ以上やるとケバイよ」
「このカッコウには多少ケバイくらいのメイクがちょうどいいのよ」
 彼女のデート服はいわゆるロリータファッション。本人の好みだが実は村上もこの衣装は好きだった。
 それにしても姉にメイクを施す弟。どんなベッタベタなカップルでもこれはあるまい。

 最寄り駅へと出向く二人。緊張の面持ち。改札を抜けると違うホームへ。○○駅と△△駅は反対方向だ。
「じゃあね。龍太郎。がんばるのよ」
 この瞬間だけ姉らしかった。
「うん。優香里もね」
 にこっと返しホームへと歩く。

 △△駅。十時。龍太郎のサポートのおかげで遅刻せずに到着。辺りを探す。
「やあ。柴田さん」
「ああ。村上さん」
 漫画なら目がハート型になりそうだった。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「いいえ。とんでもありませんわ。それでどちらに行きましょうか」
 精一杯の猫なで声だった。
「実は映画のチケットが二枚あるんですよ。期限も近いし。一人では何だったので」
 前売り券を見せる。タイトルを見て優香里は心の中でうめく。
(けっ。大甘のラブロマンス。だからあたしを誘ったのかぁ。う〜〜〜〜同じ映画ならアクション物がいいなぁ。派手なカーチェイス。爆発。銃撃戦)
「この映画。お嫌いですか?」
「いいえぇ。ぜひ前から見たいと思ってましたぁ」
 惚れた弱み…である。

 ○○駅。半そでシャツとクリーム色のスラックスの龍太郎は綾を探す。
「せーんぱい」
 後ろから声をかけられた。
「わああああっっっ」
 気の小ささゆえに悲鳴を上げる。いたずらした綾のほうが驚いた。
「もう。そんなんで驚いていたら遊園地なんていけませんよ」
「えっ。もう決定なの?」
 綾が得意げにライドフリーのチケットを見せる。
(どうしよう…僕、絶叫マシーンって苦手なのに…でも綾ちゃんが気を悪くしたら嫌だし)
「さっ。行きましょう。せんぱい」
 すでに選択権も拒否権もない龍太郎であった。

 十時半上映の回でチケットを取る。そして三十分が経つ。実際は予告や広告が入るため正味二十分経過だが…
(胸焼けしそう…)
 自分も「恋する乙女」でありながらこの手のラブロマンスがどうにも「かゆくて」だめな優香里である。
 それでも村上に誘われた手前嫌な顔は出来ないものの
(もう。どうして女だとこの手の映画が好きってことになるのよ。それくらいならジェットコースターのほうがいいわね)
 デートの最中に入れ替わるまいとしていてストーリーが頭に入らない優香里である。

 同じころ。
「きゃあーっっっっっ」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
 前者は綾の歓喜の叫び。後者は龍太郎の恐怖の悲鳴だった。
 優香里が「恋愛映画よりまし」と思ったジェットコースターに乗っていた。スピードが緩み終了となる。
「はぁはぁはぁはぁ」
 演技抜きで青色吐息の龍太郎。けろっとしている綾。
「もう。せんぱい。男でしょ。これくらいで音を上げてどうすんです」
(男ならこういうのに強いわけじゃないよ…こんなのよりじっくりと映画でも見たいな。デートなんだから恋愛もので盛り上がるのもいいかな)
 だが頭を振ってその考えを打ち消す。何も入れ替わりは優香里だけの特技ではない。自分から発動も可能なのだ。
(この前みたいにデート中に入れ替わるわけには行かない)
「せんぱい?」
 きょとんとしたと表情で覗き込む綾。
「な…なんでもないよ。綾ちゃん。さあ。次はどれかな。楽しいなぁ」
 もうやけくそだった。

 十二時半。映画が終わった。優香里にとっては拷問がだが。
「前評判だけかと思っていたけどなかなかいい映画でしたね」
「ええ。そうですね(何がなんだかちんぷんかんぷんだったわ)」
「どうです。お昼でも」
「そうですね。どこにしましょう」
 優香里としては高校生の財布だけにファーストフードで抑えたかった。だが
「実はこういうものももらっているんですよ」
 村上が差し出したのはフランス料理店の食事券。
 テーブルマナーを考えると行きたくないのだが村上の機嫌は損ねたくない。
 村上が自腹を切っているというなら『高そうな料理で悪いから』と口実もあったが何しろタダ券だ。その手も使えない。

「綾ちゃん…美味しい?」
「はい。とっても美味しいですぅ。もりそば」
 こちらも昼食だったが蕎麦屋で盛りそばと渋い路線だった。
(いくらなんでも気取りがなさすぎるよ…僕が男だからと気を使っているのかなぁ。でも女の子が一緒じゃないと入れないようなお店だってあるのになぁ)
 ようするにその手の店で堂々と食べたかったのだ。

 午後二時。大きな公園。そのベンチで足を休める村上と優香里。
「いやぁ。しかしいい映画でしたねぇ。前評判を裏切らない」
「(どこが?! ものすごく退屈だったわよ。でも村上さんが気に入ったなら)え…ええ。そうですわね」
「やはり男のために身を引く女。健気でとてもいいですね」
(どーして女だと一歩引かなきゃいけないのよ。もう女って受身なものだから男次第だし。遊んで泣きを見るのは女だし)
 実はそういう場面が映画にあった。しかしまるで嫌がらせのように女らしさを説く村上。
(古いわ古い。でも実際に女はそういう立場だし。結婚したら家を守る。子供が出来たら付きっ切り。あ〜あ。あの映画のせいで女が嫌になってきたわ)
 ドクン。心臓の鼓動が跳ね上がりめまいが起きた。
(ウソ? まだこの程度じゃ…龍太郎も何か考えてるわね)

 同じころ。昼食後に遊園地でまた絶叫マシーンに乗せられた龍太郎はベンチで伸びていた。食べた直後だ。吐かなかっただけましだろう。
「せんぱぁい。しっかりしてくださぁい。もう。男でしょ」
 無邪気というか無責任な綾の檄。それを遠くで聞きながら
(何で男は強くなくちゃいけないのかなぁ…疲れるよなぁ…戦うために生きているのかな。あーあ。男なんて疲れるだけだなぁ)
 ドクン。心臓の鼓動が跳ね上がりめまいが起きた。
(ウソ? まだこの程度では…優香里かっ!?)

 二人は同時に気を失いそして入れ替わった。

「おい。柴田君。大丈夫か?」
「あ…キャプテン…」
 潤んだ瞳で村上を見つめる『優香里』。はっとなる。
(キャプテンを見る位置…低い! やばい。入れ替わっちゃったんだ)
 だが村上は狼狽する『優香里』を優しく抱きしめる。
「キャ…村上さん?」
「いいんだ。落ち着いて。何も不安に思うことはない。こうして抱きしめてあげるから」
「は…はい」
 女として男に抱きしめられている。肉体のメカニズムなのか自然と頬が熱くなる。そしてそのしおらしい態度に村上は確信をした。

(やっときてくれたね)

「せんぱぁい。しっかりしてください。せんぱぁい」
 なきそうな綾の甲高い声で『龍太郎』は正気に返る。
「綾ちゃん…(何で綾ちゃんがここに? それに身長同じくらいのはずなのに今は見下ろしている。いけない。入れ替わっちゃったの?)
 心情を知ってか知らずか抱きつく綾。
「もう。しんぱいしちゃいましたぁ」
「あ…ああ。ごめん。ごめんよ」
 がさつといえど女は女。不安のあまり抱きつく女心は理解できるだけに優しく頭をなでてしたいようにさせていた。その態度に綾は確信した。
(やっと来てくれましたね。憧れのせんぱい)

 両方ともにデートのやり直しだった。

「さて。いい時間だね。実はもう一セット。映画のチケットがあるんだ。どうかな?」
それは午前中のよりさらに甘いといわれているラブロマンスだった。
「はい。ご一緒させてください」
とりあえず姉と入れ替わった龍太郎は成りすますことにした。だから機嫌を損ねない行動をとればいいと判断して村上の誘いに乗る。
 それ以前に穏やかな展開でむしろほっとしていた。綾とのデートでは『男だから』と引っ張りまわされたが今度は村上に委ねてしまえばいい。気楽だった。

「さぁ。せんぱい。ライドフリーだから一日OKですよ。でも…疲れちゃいましたぁ?」
心配そうに訊ねる。
「いや。そんなことはない。よし。片っ端から乗り回してやろう。行こうか。綾ちゃん」
ばれないように話をあわせることにしたのもあるが何よりも性に合わない映画やテーブルマナーでたまったストレスを晴らしたい思いが優香里にはあった。

 映画館。別に女として振舞おうと芝居していなくても止め処もなく感動の涙が流れてくる。
 女はストレスを涙で流すという。それだけ対処が上手い。そして龍太郎として午前中に感じたストレスもあり感動との相乗で涙が流れるのだ。
 村上はそれを横目で見て微笑む。どこか純粋といえない笑みだったが。

「きゃあーっっっっ」
「いーっっっっやっほぉぉぉぉぉぉ」
 不思議なもので龍太郎の肉体になると悲鳴も自然に女のそれではなくなる。ジェットコースターで楽しんでいた。
「せんぱぁい。楽しいですねぇ」
 心の底から晴れやかな笑顔で綾が言う。
「そうだね。さあ。次はどれに乗ろうか」

 夕方。映画を見終わった二人は喫茶店でお茶を飲んでいた。赤い顔の『優香里』
「どうですか。映画。楽しんでもらえました」
「はい。とっても。でも…恥ずかしくて」
 映画を楽しんだという発言は本心である。実は恋愛ものは好きだったのだ。ただ優香里の肉体で見ていると自然にヒロインの視点になっていたのだがそれに気がつかなかった。
「恥ずかしい? ああ。アレですか」
 映画の後半から泣きまくっていたのだ。
「いいじゃないですか。女の人なんですから。可愛くて好きだな」
「可愛い…」
 別の理由で頬を染める『優香里』。

 同じころ。さすがにライドマシーンから降りてゲームセンターだが
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
 嵐のようにパンチを連発する『龍太郎』。連打型のパンチングマシーンだった。
「すっごぉーい。せんぱぁい」
 年下の女の子にキャーキャー言われて悪い気のしなくなっている『龍太郎』である。
「よーし。次はあれだ」
 今度はキックマシーンだった。横から蹴り倒してそのパワーを測定する…と言うより『蹴り倒す』自体が目的のマシーンだった。
「どぉりゃああああああああっ」
 怒声一発。もともとスペックの高い龍太郎の肉体に優香里の精神が宿り実力をいかんなく発揮していた。
「すごいですぅ。せんぱぁい。ランキング一位ですって。かっこいいですぅ」
 女としては複雑に受け取る『かっこいい』というほめ言葉も今は素直に受け止められるのは龍太郎の男の肉体だからか。

 夜。自宅まで送るという村上の申し出を固辞した『優香里』。もちろんばれる危険性を考慮してである。もしここで性格の激変した『龍太郎』と逢ったら…
 でも駅までは一緒だった。
「今日はありがとう。付き合ってくれて」
「いいえ。とても楽しかったですわ」
 芝居抜き。もちろん龍太郎にしてみれば「その気」はないが遊び方としてはこちらのほうが性にあっていたのだ。
「また。デートしてもらえますか」
「か…考えておきます」
 デートという男女の付き合いをイメージさせる言葉に男同士でデートしたという考えがよぎり頬を染める龍太郎。
 その顔を妙に優しい目で見ている村上である。

 ○○駅。
「送って下さってありがとうございます。せんぱい。優しいんですね」
「そんなことはないし当然のことさ」
 せめて駅くらいまでは送らないと女の子の一人歩きは怖い。そこに考えが及ぶ優香里である。
「また遊びましょうね」
「ああ。そうだね」
 低い声で言う。それが精悍な体躯とマッチして綾はボーっと見ていた。

 ある一軒家。村上が帰り着く。
「ただいま」
「お帰りなさい。陽平おにいちゃん。デートどうだった?」
「午後からばっちりだよ。お前のほうもうまくやってくれたようだな。綾」
 村上陽平。村上綾。二人は兄妹だった。
 村上という苗字は珍しくもないため同姓でもあまり気にされていなかった。
 そして陽平は母親似で綾は父親似。だから血のつながりに頭が回らなかった。
 もっとも入れ替わった二人にしてみればごまかすのに手一杯でそんな余裕もなかったが。

「ああ。ずっと入れ替わってくれていたらいいのになぁ。柴田せんぱい。龍太郎さんは優しいけどそれだけだもん。頼りなくて。でもお姉さまの心だと強さとかっこよさが加わってまさに理想の男性」
 夢見るように言う綾。別に彼女は百合志向ではない。
「たしかにな。優香里さんだとちょっとがさつだが龍太郎の心になると細やかで女らしくなる。可愛い外見とよく合う。オレにとっても理想の彼女だ」
 陽平は優香里と。綾は龍太郎とデートをしたことがあった。
 その時は知らずに相手に女らしさ。男らしさを強要してしまった。
 そして入れ替わり発生。あまりの急変にその場はただ驚いただけだがあとから兄妹で話をしてみると入れ替わっているとしか結論がでなかった。
 そこで次のデートではあえて同じことを繰り返してみたらやはり途中から入れ替わった。それがまたともに理想の異性。
 兄・妹は共同戦線を張った。以後は同時にデートに誘っては途中で入れ替わるように仕向けていたのだ。

 現時点で柴田姉弟の秘密に感づいた人間は他にはいないと兄妹は思っていた。もちろんばらすつもりはない。
 ばれまいとそれぞれ演技をして初めて『理想の異性』になるのだ。
「また頼むぞ」
「お兄ちゃんもね」

 『龍太郎』と『優香里』は最寄り駅でばったり逢った。一緒に帰宅する。
「デートどうだった?」と『龍太郎』
「うん…楽しめた。けどどうして綾ちゃんは」
「綾ちゃんがどうかした?」
「ううん。なんでもない」
 『優香里』が飲み込んだ言葉は『男らしさを強要するんだろう』だった。それは『龍太郎』も同じだった。
 毎度のように入れ替わってしまうもののこれは自分たちの因果な能力のせいで相手に非はないと思っていた。
『女らしさ』『男らしさ』を強要されるのも自分がその立場なら思うだろうしそれに自分が『らしくない』とも自覚していたから言われるのも無理はない…と。
 何よりも本来の姿でも入れ替わっても優しい二人が嫌いになれない。もちろん気づかれているとは思わないので下心には考えが及ばない。
(今度こそ)
 決意を新たにする二人である。

 明けて月曜の朝。
「優香里。急いで」
 この朝は本来の肉体での登校だった。
「あんた夕べ何時に寝たのよ。やたら眠いわよ」
 バス停へと急ぎながら優香里が言う。
「仕方ないじゃないか。お風呂場で脱毛処理して寝る前に肌のマッサージと手入れをしていたら遅くなったんだし。散らかった部屋を片付けたのが一番手間だったよ」
「もう。だから女の肉体は面倒なのよ。走るのは遅いし。やることは多いし」
「よ…よせよ。こんなところで」
 めまいが起きて…

 2年D組。
「おーっすっ」
 有り余る元気を声に出す『龍太郎』

 2年A組。
「お…おはようございます」
 静々と入る『優香里』

 双子の内緒の生活はまだまだ続きそうである。


Fin




あとがき

 今回は企画のお誘いを受け「入れ替わり」作品であるこの「ベッタベタ」をお送りしました。
 ただこれ。2004年の作品で今みるといろいろ文章作成上のお約束が守られてなくて。
 それを修正する必要がありました。

 タイトルですが入れ替わり物として極めてベタな展開なのと、なんだかんだで仲のいい双子のそれを表現して「ベッタベタ」と。

 既にばれていてそれを上手く利用されていると言うのが僕らしい展開と言うか。

 少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

 お読みいただきましてありがとうございます。

城弾

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