ぴぴぴっ♪ ぴぴぴっ♪ ぴぴぴっ♪ ぴぴぴぴぴっ……♪

 眠いのを我慢して寝返りをうち、頭のそばで鳴り続ける目覚まし時計をぱしっと叩いて止める。
「う〜みゅ……う〜っ、今日もがんばらなくちゃ……」
 えいやっ、と弾みをつけて身を起こし、のろのろとベッドから出る。
 部屋の真ん中で眠気まなこをこすり、「ん……っ」と大きく伸びをする。
 今日もまた一日が始まる。パジャマを脱いで下着を身につけ、枕元に置いてあったペンダントを首から下げる。
 そして制服に着替えて、姿見の前に立つ。
 胸元の赤いリボンとスカートの裾が、ふわっと揺れた。

「…………」

 鏡に映った姿は、どう見ても小柄で愛らしい、小学五年生の「女の子」。
 今でもときどき、ふと思う。なんでこんなことになっちゃったんだろう…………?





 ぴぴぴっ♪ ぴぴぴっ♪ ぴぴぴっ♪ ぴぴぴぴぴっ……♪

 事のはじまりは六月、最初の日曜日のことだった。
 その日の朝、俺――森沢晶良(もりさわ・あきら)は、聞き慣れない目覚ましのアラームに目をさまされた。
「んっ……」
 うつらうつらしたまま布団から手を伸ばし、それの頭を押さえて音を止める。
「…………」

 なんだか頭の中がぼーっとしてて、まだすごく眠い。

 いつも寝起きはいい方なのに、何故か今日に限って起きるのが辛い……今日が日曜日だからって、昨日夜更かししたわけじゃないのに……

「あ……? ここ、どこ……だ――?」

 上半身を起こし、かすれた声でそうつぶやく。
 首を動かしてまわりを見回すと、今いるそこが三つ下の妹、絵美菜(えみな)の部屋だと気付いた。
 レースのカーテン、アニメのカレンダー、学習机の横に置かれた通学カバン、壁のハンガーにかかった小学校の制服。
 そしてほのかにただよう、甘い女の子の香り。
 なんだびっくりした…………いやちょっと待て。
 絵美菜の部屋、だと……?

 ……ということは、俺は妹のベッドで寝ていたということに――

「うわわわっ!? ――!?」
 妹──絵美菜との仲は悪くはない……むしろこの年頃としてはわりと仲よくしている方だと思うが、それでも俺が中学生になってからこっち、部屋に足を踏み入れたことは数えるほどしかない。
 無意識のうちに忍び込み、ベッドの匂いを嗅いでハアハアしたあげく、そのまま寝てしまったとか?
 そんなことをしたおぼえなど毛の先ほどもないが、俺はあわててベッドからとび出ようとして……パジャマまで妹のものを着ていることに仰天した。
「な――なんでっ!? どうしてっ!?」
 薄いピンク色の、襟とかに可愛いリボンやフリルがついていて、間違っても男が着る代物じゃない。
 ま、まさか知らないうちに、女装趣味の変態さんになってしまったのか? 俺はっ?
 しかし少なくともこの状態を絵美菜に、いや家族の誰かに見られたりしたら、どんなに言い訳してもそのレッテルを貼られ、以後白い目で見られることは必定だ。
 そう、黄門さまに印籠を突きつけられた悪代官がおそれ入って土下座するのと同じくらい、未練たらしく巨大化した怪人がロボにぶった斬られて爆発四散するのと同じくらい確実確定だ。
 だが、急いで脱ごうと胸元のボタンに手を掛けた瞬間、俺はふと違和感をおぼえて……いや、気付いて動きを止めた。
「…………」
 さっきの俺の声、なんか妙に甲高くなかったか?
 ちゃんと立っているはずなのに、視線がいつもより低くないか?
 それと、さっきからずっと感じている、この得体の知れない喪失感は……何?
 おかしい……何かが違う。
 そもそも華奢で小柄な方だが中学二年生の俺に、小学五年生の絵美菜が着ているパジャマがぴったりだなんて――

「……え? ……ええっ?」

 顔の前に両手をかざす。
 たっぷりした袖から伸びたそれは、見慣れたものよりひとまわり小さく……いや、どう見ても「男の手」じゃなかった。
 その手で顔を触ってみる。短くしていたはずの髪が耳と首筋を覆い、顔のつくり自体も小さく、どこか違っている……ような気がする。
 さらに――

「ま……まさか…………、……ないぃっ!?」

 ない……なくなっている? …………俺のナニが……っ!?
 反射的に手をへその下にやって、俺はふうっと気が遠くなりかけた。
 そこにあるはずの「ナニ」――男の象徴たるぶら下がりものは影も形もなく、パジャマの布越しに指先が感じたのは、ふっくらつるんとした平坦な股間……
「……!」
 失いかけた気をつなぎとめようと、あわてて首を振る。すると部屋の隅にあった縦長の鏡――姿見が目に入った。
 その中からパジャマ姿の絵美菜が、びっくりしたような目でこっちを見つめていた。

「……うわああ絵美菜っ! こっ、これはっ、その――っ……て、……あ、あれっ??」

 思わず振り返って弁解?しようとしたが、俺の後ろには誰もいなかった。
「…………」
 もう一度、今度はおそるおそる、そーっと姿見を覗き込んでみる。
 鏡に映ったのは、やっぱり絵美菜の姿……兄の口から言うのもなんだけど、妹はひいき目抜きにしても非常に可愛らしい。
 髪型は、肩にかかるかかからないかのショートカット。
 くりくりとした瞳、鼻筋の通った小振りな鼻、柔らかい頬とすっきりした顎のライン、サクランボみたいなくちびる。
 五年生にしてはちょっと幼く見られる外見だが、いつも明るく、頭の回転も速く、「えへへっ」と屈託なく浮かべる笑顔が愛くるしい自慢の妹――
 そんな絵美菜が鏡の中から、俺の顔を不安げな?顔つきでじっと見つめている。

 ……で、俺が映っていないのはなんでだ?

 念のためもう一度振り返るが、部屋の中には俺以外、やっぱり誰もいない。
 首をひねり、戸惑いながら頭に手をやると、鏡に映った「絵美菜」も俺の真似をするように、頭に手をやった。
「……?」
 その手を頬に当てると、同じように頬を押さえる。
「……??」
 柔らかくなった頬を軽くつまむと、つままれた感覚と同時に「絵美菜」も寸分違わず頬をつまむ。
「……????」
 左手を上げる。下ろす。
 右手を上げる。下ろす……と見せかけてフェイントをかけて左手を上げ、間髪入れずに右手を下ろす。
 身を乗りだして顔を突き出し、「べーっ」と舌を出す。

「…………」

 俺の動きにシンクロして動き、舌を出す鏡の中の「絵美菜」に、俺はそのまま固まってしまった。
 つまり、その…………これって、要するに――

「…………俺?」

 ぺたっ、と鏡に手をつくと、目の前の「絵美菜」も全く同じ動きで腕を伸ばし、ぴたっと手のひらを重ねてきた。
 まるで“鏡に映っている”かのように…………って、おいっ!?
「…………」
 鏡に映る「絵美菜」は、俺の驚愕と混乱に呼応するかように目を丸く見開き、顔を青ざめさせた。

「う……、ぅわわあぁあっ――んむっ!」

 思わず悲鳴を上げそうになり、俺はあわてて両手で自分の?口を押さえた。
 下半身にキュン――と、締めつけられるような感覚をおぼえ、両脚の膝が自然に内側へと向く。
 そのまま姿見の前からゆっくりと後ずさり、そろそろと絵美菜の部屋を出て、後ろ手でドアを閉める……と、すかさず隣の部屋――俺の部屋のドアのノブをつかんで開ける。

「あ……」

 見慣れたいつもの俺の部屋。机の上にはノートパソコンとCDラック、本棚には教科書と雑誌が雑然と詰め込まれ、チェストの横に立てかけてあるのは父さんのお下がりのギブソン。
 そしてそこにいたのは、ベッドの上でパジャマのズボンとトランクスをずらして「ナニ」に手をやったまま、顔を赤らめ目を見開いてこっちを見つめてくる“俺”だった。
「…………」
「…………」
 互いに見つめ合うこと数秒。部屋の中にいた“俺”は目を瞬かせると、バツの悪そうな表情で顔をさらに赤らめ、おずおずと俺に問いかけてきた。
「も、もしかして、お――お兄、ちゃん……?」
「……え、絵美菜――か?」
 そう、俺――森沢晶良と、妹――森沢絵美菜はこの日、お互いの身体と中身が入れ替わってしまったのだ。




TORIKAEっ!? 〜絵美菜ちゃんのユーウツ〜  created by MONDO





1.俺が絵美菜で、絵美菜が俺で

「あら、おはよう二人とも。今日はずいぶん遅かったわね」

 俺と絵美菜が階段を降りてくると、キッチンから母さんが声をかけてきた。
「おはよう、母さんっ」
 “俺”の姿をした絵美菜が、俺になりきって返事をする。
「お、おはよう、ま、マ――ママ……」
 絵美菜の姿になった俺も、絵美菜のふりをして応えようとしたが……つっかえてしまった。
 そりゃまあ、物心ついてからこっち、母さんを「ママ」なんて呼んだことなんか一度もなかったし……
「…………」
 いつまでもパジャマ姿というわけにもいかないので、妹の普段着であるチェック地のワンピースを着ている──着せられているのだが、スカートの裾が膝上でふわっと広がっているので、下半身に何も身につけていないような気分になって、すごく落ち着かない。

 え? スカートの中? ……頼む、訊かないでくれ。

(ちょっとっ! 何もじもじしてんのよお兄ちゃんっ)
 内股気味になって身を縮こませる俺の耳元に、絵美菜の“俺”が顔を寄せてささやいてきた。ちなみに格好はゆったり目のTシャツにジーンズ。着替えにもたついて……もとい、たじろいでいた俺を尻目に手早く身につけていた。
(し……仕方ないだろっ。は、恥ずかしいんだから──)
 何の脈絡も予兆もなく、突然お互いの身体が入れ替わってしまった俺と妹の絵美菜。
 原因もわからず、別人──異性の姿になった驚きにうろたえ戸惑いながらも、「とりあえず今はお互いのふりをしよう」と決めてリビングに降りてきたのだが……

「はああ……もうっ、しっかりしてよお兄ちゃんっ。ちゃんと絵美菜のふりしてくんなきゃだめじゃないっ」
「…………」

 母さんにバレないように(父さんはゴルフに朝早くから出かけている)そそくさと朝ご飯を済ませ、ふたりで絵美菜の部屋にもう一度籠もる。
 で、そこでいきなり妹にダメ出しを食らったというわけだ。
「え、絵美菜、あ、あのさ──」
「何? お兄ちゃん」
「…………」
 絵美菜の“俺”に小首をかしげられ、俺は背中がむず痒くなってしまった。
 もともと俺は女顔で華奢な見かけだし、声も男にしては高め(同好会の先輩曰く「女性の声優が少年役やるときの声」)なので、今みたいに女の子っぽいしぐさで女の子言葉を話されても、さほど違和感は…………いやいや、やっぱりあるよなぁ……
 中身が妹だとわかっているだけに、余計に変な?気分になってしまう。
 だけど、
「え、えっと……その、さ──」
 ううっ……絵美菜の甲高い声でしゃべるのは、これまたくすぐったいというかなんというか。「お、お前……その、だ──大丈夫、なのか? その、俺の……男の身体になっちゃって……」
「あ、うん……絵美菜も、ち──ちょっと、ショック……かも」
 顔を赤らめてうつむく絵美菜の“俺”。
 そりゃそうだろう。いきなり三歳も年上――小学生から中学生にスキップしただけでなく、股間に女の子にはない「ナニ」がついた身体になっちゃったんだから。
「で……でも、お兄ちゃんと入れ替わっちゃったのは、まだ、よかったの……かな?」
「絵美菜……」
 俺の顔で赤くなりながらも、目を細めて笑みを作る絵美菜。(自分の顔なのに)なんか無理してるみたいに見えて、俺は胸に鈍い痛みをおぼえた。
 だけど、こんなわけのわからない状況の中でも、妹は前向きになろうとしているんだ。兄である俺がしっかりしなくてどうする──

 ──って言ってもなあ……

「お、お兄ちゃん……」
「…………」
 た、頼むから俺の姿で両手の指組んで、瞳をうるうる潤ませて見つめないでくれ……絵美菜。
「あ、そ――それにしては……け、結構落ち着いてるよな、お前」
「そ、そう……かな? あんまりびっくりし過ぎちゃったから、かえって早くさめちゃったのかも──」
「…………」
 まあ、そんなもんなのかもしれない。
 かくいう俺も、いつの間にかこの異常事態を受け入れてる――というか、パニクっても仕方がないと達観?しちゃった、とでも言うべきか。
 とにかく、どうやって(あるいは、いつ)元に戻るのか全く不明な今の段階では、俺は絵美菜として、絵美菜は“俺”として暮らしていかなきゃならないんだろうけど。
「……で、でもさ、父さんと母さんにまで秘密にしておくのかよ? これ」
「言っても信じてもらえないよ……たぶん。あたしたちが一緒になってふざけてる──って思われるだけかも」
 俺の姿の絵美菜は、椅子に後ろ向きにして脚を開いて座り直すと、背もたれに身体をあずけて眉を寄せた。
「そうは言ってもさぁ……」
 俺は部屋のベッドにちょこんと腰掛け、膝に手を置いたまま、溜め息をついた。ちなみに脚を広げて座っていたら、絵美菜にすかさずチェックを入れられ、今の姿勢に座り直させられたのだ。
「着替えとかトイレとか、風呂とかどーするんだ? 兄妹だからって、その──男に下着姿や裸、見られるのって……」
「そ、それはそうだけど……でも、ずっとおんなじ服着たままで、お風呂にも入らないってわけにもいかないし。それに、絵美菜もお兄ちゃんのを見ちゃうんだから、おあいこだよ」
「…………」
 俺の姿で口元に握った手を当て、もじもじする絵美菜。うわぁ見たくねぇ……
 しかし、(フィクションの)入れ替わりもののマンガみたいに目隠しされて身体洗われたり着替えさせられたりしてたら、兄妹で「イケナイ遊び」に目覚めたのかと誤解されてしまうだろう。
「じ、じゃあ学校とかはどーすんだよ? い、いくらお前でも、中学の授業にはついていけないだろ? 絵美菜」
 スポーツ万能、成績優秀で通っている我が妹だが、それはあくまでも小学生レベルでの話だ。
「う〜ん、でも、そこはなんか大丈夫っぽい感じなのよね…………ねえ、五年B組の担任の先生の名前は?」
「え? 北条先生? 交換授業で理科と図工を教えてもらってるイケメンの……って、あ、あれっ?」
 なんでわかるんだ? 絵美菜の、それも余所のクラスの先生のことなんか。
「じゃあ、絵美菜の隣の席の子は?」
「学級委員の三橋くん。こないだ席替えがあったばかりで……って、な──なんで俺、そんなこと“知って”るんだよ?」
 口元に手をやって驚く俺。まさか“絵美菜”の記憶や経験が、頭の中にある!?
「えへへっ、絵美菜も『思い出せる』よ。英語の矢田部先生は、本人は必死に隠してるけど実はカツラだってみんな知ってるとか、お兄ちゃんが入ってる軽音同好会はたった四人の弱小サークルで、会長でボーカル兼ベースの頼子先輩は美人で胸が大きくて…………やだっ、彼女、お兄ちゃんの好みのタイプなんだ♪」
「うわあああっ、なっ何をいきなりっ──!?」
 さっきとは一転、にまっ……と、よからぬことを思いついたような笑みを浮かべる絵美菜の“俺”に、俺は顔を真っ赤にして立ち上がり、あわてて両手を振り回した。
 そのあと「情報交換」のかたわら何度か試してみたのだが、俺と絵美菜は自分自身の意識(魂?)にある記憶とは別に、お互いの身体に残って?いる記憶や知識を自分のものにすることができるらしい。
 これまでの記憶は脳の中にあるのだから、当然と言えば当然か? 今の俺と絵美菜は、その意識をパソコンのソフトに例えると、それをいつもとは別のパソコンにインストールして使っているようなものなのだろう。ハードディスク──脳に記録されたファイルを読み込んでいる、というわけだ。
 もっとも、同じソフトでもバージョンや設定の違いで読み取れないファイルがあるように、すべてを“思い出す”ことはできないようだ。

 え? どっちが旧バージョンだって? ……訊くな。

 絵美菜が落ち着いてきているように見えるのは、もしかすると俺以上に“身体”の記憶を自分のものに最適化しているからかもしれない。
「ま──まあ、これからお互いのふりをして生活していかなきゃいけないわけだし……」
 ある程度の「プライバシーの侵害」には、目をつぶらなければならないだろう。中学生の男子としては、いろいろと知られたくないものも多々あるのだけど。
 とにかく、元に戻ったときに支障がないように、お互いできるだけなりきって生活する…………とは言うものの、今の時点では元に戻れるかどうかすら全くわからないのだが。
 ふと部屋の時計を見ると、いつの間にか昼近くになっていた。
「そろそろ下に降りなきゃ、母さんが変に思うかもな……」
「そうだね」
 いくら仲のいい兄妹とはいえ、ずっと同じ部屋に閉じ籠もっていたら不審に思われる。一応、「妹の勉強を見てやる」と(絵美菜の“俺”が)誤魔化しておいたが。
 絵美菜は俺の姿でうなずくと、椅子から立ち上がり、腰に手を当てた。
「これからはふたりっきりじゃないときは、話し方も変えないとね。“お兄ちゃん”が絵美菜みたいにしゃべったら、それこそ変に思われるかも」
 いや……「かも」じゃなくて確実に変だと思われます、はい。
 絵美菜の“俺”は軽くせきばらいすると、「じゃあ、今日からは絵美菜が──じゃなくて、ボクがお兄ちゃんだからねっ。……よろしくなっ、え・み・な・ちゃん♪」
 そう言って人差し指と中指をこめかみに当て、こっちにウインクしてきた。「お兄ちゃんも今から口調を変えて、絵美菜になりきってっ♪」ということらしい。
 確かに、妹が自分のことをいきなり「俺」とか言いだしたり、男みたいながさつな口調になったら、両親や友だちにびっくりされるだろう。
 絵美菜も俺の──中学生の男子のふりをしようと努力しているのだ(一人称が「ボク」なのは引っかかるが、「俺」はさすがにハードルが高いのだろう)。ここは絵美菜のためにも、“妹”になりきらないと……

「う、わ──わかった……わ。お……お兄、ちゃん――」

 次の瞬間、背中がぞくぞくして、思わず身体をちぢこめてしまう。
 まさか自分自身に向かって、女言葉で「お兄ちゃん」と呼びかける日がくるとは思わなかった……
「うんうん、その調子」
 だけど絵美菜は俺の顔でにこにこ笑みを浮かべながら、俺の頭を軽くぼんぼんと叩いてくる。
 俺は顔をさらに赤らめて、その手をあわてて払いのけた。「こっ、こらっ! 子ども扱いするな……しないでよっ」

 ううう……は、恥ずかしい──



「……な、なあ、絵美菜──じゃなくて、お兄、ちゃんっ、こ……このスカート、短かすぎ、ない?」
「そうかな? まあ、少し短めかもしれないけど、それくらいだったら前の絵美菜もよく履いてたでしょ?」
「生まれてから11年間ずっと女やってきたお前と一緒にするな──しないで、よ……」
「大丈夫大丈夫っ。慣れればどってことないよ、絵・美・菜っ」
「ううっ、慣れるまで入れ替わったままでいたくない……」



 明けて月曜日──
 今日から俺は絵美菜の小学校に、そして絵美菜は俺の代わりに中学校に通うことになる。
 正直、不安でいっぱいだ。お互いの記憶や経験が「思い出せる」からと、絵美菜は楽観的に考えている(……というより、男の子になったのを面白がっている節がある?)が、それだけでお互いの友人関係や生活をそっくりそのまま取り替えてやっていけるのだろうか?
 まあ、俺と絵美菜の身体と心が入れ替わっているなんて、誰も思わないだろうけど。
 ……それにしても起きるのがつらい。“絵美菜”の身体は朝に弱いらしく、ベッドから出るのに精神力を総動員しなければならなかった。
「うにゅぅ……まだ眠い……けど、起き、なきゃ──」
 目をしばたたかせながら、深呼吸して眠気をさます。
 少し頭がハッキリしてきた。胸元のリボンを解き、ボタンを外してパジャマを脱ぐ。
 パンツ一枚だけの、絵美菜の――今の俺の姿。
 まだ胸元の膨らみはほとんどないけれど、細い手足がすらりと伸びて、華奢な肩や腰つきが心持ち丸みを帯びている。
 昨日、“絵美菜”のまま風呂にも入ったし、着替えもしたのでさんざん目にしているはずなのだが、やっぱりどきどきしてしまう。
 俺はできるだけ自分の裸を見ないようにして、絵美菜に用意してもらった白いキャミソールを身に着け、枕元にあった紫色に光る石のペンダントを首にかけた。そして壁にかかっていたハンガーからワンピースタイプの制服(こないだ衣替えしたばかりの夏服)をはずそうとして、はたと手を止める。
「……靴下を先に履くほうが、スカートが皺にならないのか」
 おそらくこれも“絵美菜”の知識なのだろう。俺は膝までのハイソックスを履いてから、改めて制服を身につけた。
 姿見の前に立ち、軽く腰をひねってちゃんと着れているかチェックする。昨日一日、絵美菜から女の子の着替えの特訓を受けていたので、おかしなところは特になかったが。
「…………」
 うううっ……小学校の制服なのに、こんなにスカート短くていいのか? ちょっとしゃがんだりても、下着が見えちゃいそうで怖いな。歩く時、気をつけないと。
 慣れない女の子の服に戸惑いながらも俺は、昨日から“自分の”部屋になった絵美菜の部屋を出た。
 洗面所で顔を洗い、歯を磨く。歯ブラシはちょうど取り替えの時期だったので、新しいのをおろした。
 それからトイレに入って、用を済ませる。だけど女の子のトイレって「アレ」がないだけで、どうしてこうも面倒なんだろう?
「は〜、やっぱ男の方が楽だよな……」
 俺は濡れた股間を紙で拭きながら、ため息交じりにつぶやいた。

「おはよう、絵美菜」
「お――おはよう、お、お兄ちゃん……」

 トイレを出ると、先に起きていた絵美菜の“俺”が、リビングから笑顔で声をかけてきた。
「おはようふたりとも。朝ご飯できてるわよ」
「は〜い」
 母さんに言われて、絵美菜の“俺”は昨日までの俺の席につく。俺は一瞬戸惑い、向かい側の席――“絵美菜”の席に座った。
 テーブルの上には皿にのった母さんお手製のホットサンドと付け合わせのウインナー、サラダ、そしてミルクティー。
「「いただきま〜す」」
 いつもと同じ、家族四人での朝食。変わったのは俺と絵美菜の中身。
 だけど父さんにも母さんにも、全く怪しまれなかった。もっとも父さんには、「絵美菜、今朝はずいぶんおとなしいな?」って言われたけど。
「そ、そう、か……な? い、いつも通り……だよ、ぱ――パパ」
 つっかえながらも笑顔でそう返すと、父さんは首を捻りながらも、体調不良とかではないとわかってくれたようだ。
「ほんとに大丈夫? 絵美菜」
「う、うん、心配しないで……ママっ」
 昨日から急に口数が少なくなった“絵美菜”を気づかう母さんにも、笑顔で応える。
「絵美菜もお年頃だしね。お淑やかになるのは悪いことじゃないさ」
「…………」
 したり顔でそんなことを言って俺の頭をぽんぽん叩いてくる“俺”の顔を、俺は横目でにらみつけた。
 絵美菜の奴、フォローを入れたつもりなんだろうが……なんか釈然としないぞ。
 俺はミルクティーの入ったカップを持ち、ふうふう息を吹きかけた。絵美菜──今の俺は猫舌気味な上に、辛いのも苦いのも苦手ときている。まあ、小学生の味覚ってそんなもんなんだろうけど。
 で、この身体の本来の持ち主は、俺の顔で満面の笑みを浮かべてパンを頬張っている。……くっ、こっちはその半分くらいの量しかおなかに入らないというのに。
「ごちそうさまっ。おいしかった」
「……ごちそうさまでした」
 空になったお皿とカップを片づけ、俺と絵美菜の“俺”は学校へ行く準備をする。
「ほら、急げよ絵美菜」
 スポーツバッグを肩に担いだ“俺”が、俺の口調で急(せ)かしてきた。自然に中学生の男子らしくしているその姿に、思わずドキッとする。
 男より女の方がアドリブが効く、とはよく言ったものだが……

「う……ち、ちょっと待って……よ、お――お兄、ちゃんっ」

 俺はあわててランドセル型の通学カバンを背中に背負い、学校指定の帽子を頭にかぶった。
 顔が赤いのは、女の子言葉を使って妹になりきって返事したのが恥ずかしいからだ…………たぶん。



「なあ、一日ですっかり馴染んでないか? お前――」
「こらっ、女の子のくせにそんなしゃべり方したら駄目じゃないか。誰が聞いてるかわからないんだぞ」
「…………」
 家の玄関を出て学校へ向かう途中、またも絵美菜の“俺”にダメ出しされる。
 確かに「元に戻るまでちゃんと“絵美菜らしく”する」とは約束したが、まさか四六時中だとは思わなかった。

 やれやれ、前途多難だ……

「ところで絵美菜、ペンダントつけてる?」
「え? ああ、つけてる、けど……」
 なんか無意識に身につけちゃったけど。確か友だちにもらったもの……だったような──

「おはよう、絵美菜っ」
「おはようございます、絵美菜ちゃん、お兄さん」

 文房具屋の店先で待っていた、今の俺と同じ小学校の制服を着た女の子が二人、こっちに駆け寄ってきた。
「あ、えっと……ま、麻紀ちゃんに、唯香、ちゃんっ、……お──おはよう」
 絵美菜のクラスメイトで、低学年からの仲よしである河村麻紀(かわむら・まき)ちゃんと、紫堂唯香(しどう・ゆいか)ちゃんのふたりだ。
 髪の毛を片側で結わえている麻紀ちゃんは、絵美菜以上に活発でボーイッシュな性格、対してふわふわっとした長い髪の唯香ちゃんは、その外見にふさわしいおっとりした女の子。何度か家にも遊びに来ていたから、本来の俺とも顔見知りである。
「おはようふたりとも。……じゃあ、ボクはこっちだから」
「いってらっしゃいませ、絵美菜ちゃんのお兄さん」
「じゃあね〜」
 しばしふたりの顔を見つめ、絵美菜の“俺”はにこっと笑みを浮かべて踵(きびす)を返し、足早に駆けていった。
「あ、い──いってらっしゃい、お兄、ちゃん……」
 俺はあわててそう言うと、一昨日までの“俺”の背中をじっと見送った。

 ──ふ〜ん、俺って後ろから見るとあんななんだ。確かに華奢だよな…………じゃなくて。

 もしかすると絵美菜の奴、入れ替わって俺になったせいで、友だちとの繋がりが途切れてしまったのが淋しいのかも……
 そう思うと、結果的に妹の存在全てを“奪って”いることになっている今の自分に、罪悪感をおぼえてしまう。
「では、わたしたちも行きましょう、絵美菜ちゃん」
「えっ? あ、ああ……じゃなくて、う──うん……」
 唯香ちゃんにうながされ、俺はふたりと肩を並べて、いつもとは違う道へと歩を進める。
「どしたの絵美菜? なんか元気ないね。休みの間に何かあった?」
「あ、いや、ちょっと……ううん、な──なんでもない、よ……ま、麻紀ちゃん」
 訝しげに顔を覗き込んでくる麻紀ちゃんに、俺はどぎまぎしながら答えた。
「絵美菜ちゃんも、お兄さんのことでいろいろと思うところがあるみたいですわね」
「はっは〜ん、さてはあの兄ちゃんにカノジョができて、やきもち妬いてる……ってか?」
 唯香ちゃんの言葉に、にやりと笑みを浮かべて俺に視線を向けてくる麻紀ちゃん。
「いやっ、ち、違うっ、その──そ、そんなこと……ないって、ば──」
 俺はあわてて顔の前で両手を振った。だけど何故か声が尻すぼみになり、頬も熱くなってくる。
 説得力ゼロだな、こりゃ……




2.二度目の小学生、初めてのオンナノコ

 というわけで始まった俺の、絵美菜としての二度目の小学校生活。
 毎日の授業は全く問題ない(あったらそれはそれで大変だ)。元々絵美菜は頭がいい方だし、むしろ小学生が知らないような漢字を使ったり、中学の数学のレベルで(代数や方程式を使って)算数の問題を解いたり、退屈で居眠りしたり(……)しないようにする方が難しかったりして。
 口調もどうにか誤魔化せている。クラスの女の子たちと流行りのファッションやアクセサリー、少女マンガの話など、女の子っぽい話題でおしゃべりするときも、絵美菜の知識や記憶のおかげで、今のところは何とかついていけてる。
 時々、「最近ちょっと口数少なくなったんじゃない?」とか言われたりしたこともあるけど。
 五年生とはいえ女の子としての生活は、普段とは違う体験だったことは確かで、好奇心を全く刺激されなかったと言えば、やっぱり嘘になるかも。
 これはこれで慣れれば結構楽しい……いやいや、そうじゃなくて。
 クラスの男子のほとんどは、はっきり言って幼稚過ぎる。かと思うとエッチな言葉だけはやたらと知っていて、(俺を含めた)女の子たちの前で「おっ?」「何〜?」なんてセクハラじみた掛け合いをやっては嬉しがったりする。ウザいことこの上ない。
 でも、俺が五年生だったときもこんな感じだったのかな? だとしたらやだなぁ、男子って。
 隣に座ってる三橋くんのような例外もいるが、担任の先生もクラスの女子たちもほとほと手を焼いているらしい。いつの間にか俺も男子たちとは距離をおき、女子たちの輪の中に自然に収まっている……ってことに気付いて、愕然としたりしているのだが。

 そして俺……じゃなくて絵美菜の親友――麻紀ちゃんと唯香ちゃんの存在も、ある意味プレッシャーだったりする。

 トイレに必ず連れ立って行ったり、授業中に回ってきたメモにいちいち返事書いたり……といった女の子特有の“付き合い”も、「絵美菜の友人関係を壊さないため」だと思えばまだ我慢できる。
 ボーイッシュな麻紀ちゃんは、その点さっぱりした性格なので何とかなってるが、問題は唯香ちゃんの方だ。
 いや、彼女が付き合いにくい女の子だってわけじゃない。物静かで落ち着いているし、それでいて自分の意見はきちんと主張できる唯香ちゃんはクラスの他の女子たちより大人びていて、話をしていても気疲れしなくてすむ。
 ただ、俺の細かいしぐさやものの言い方や態度に対して、「いつもの絵美菜ちゃんなら、そんなことしない(言わない)のに……」と、逐一チェック?を入れてくるので、そのたびに「バレたか?」と冷や冷やものなのだ。
 カンのいい子だと思う。もっとも今の“絵美菜”の中身が、中学二年生の兄と入れ替わっているなんて思わないだろうけど。
 家では絵美菜の“俺”にダメ出しされ、学校では唯香ちゃんの「修正」を受ける。おまけに麻紀ちゃんも尻馬に乗っかって、「いつもと違う絵美菜ちゃん」を女子たちの話のネタにしだしているので、気が休まらない。
 もっともそんなふたりのおかげで、俺も女の子らしい所作を心がけてこれたのは皮肉な話だ。

「ううう……」

 今日はプール開き。
 さすがに五年生ともなると、体育の着替えは男女別々──というわけで男子は教室に残り、女子たちはプールの更衣室に移動する。
 “絵美菜”である俺も、麻紀ちゃんや唯香ちゃん、クラスの女の子たちに混じってそこで水着に着替えるのだ。

 はああ……体操服に着替えるのも結構抵抗あるのに、下着も脱いで裸にならなきゃならないなんて──

 小学生女子の裸をガン見して喜ぶ趣味なんかこれっぽっちも持ち合わせてない(つもりだ)し、むしろ女の子同士の気安さで無防備な姿を晒されると、かえって気恥ずかしさの方が先に立つ。
 とはいえ、俺が“絵美菜”である以上、ひとりトイレに籠もって──というわけにはいかない。
 更衣室の扉を開けて奥に入ると、前の時間にプールに入っていた六年生の女子たちが、水着から制服に着替えている最中だった。
「…………」
 最上級生だと女らしい身体つきになりだしている子も結構多く、ちゃんとしたブラジャーを身につけている女子もちらほらいて、正直、目のやり場に困ってしまう。
 だけど……
「あら? そのペンダント、ちゃんとつけてくれてるんですね」
「……え? あ、ああ……じゃなくて、う、うん、まあ──」
「よかった……大切にしてくださいねっ」
「あ、う──うん、わかった……」
 そっか、これ、唯香ちゃんにもらったもの──だったよね…… ……!? ……ううっ、また“絵美菜”の記憶が……
 もじもじする俺に、唯香ちゃんは怪訝な表情を浮かべた。
「どうかしたんですか? 絵美菜ちゃん」
「あ? い、いや、別に……」
「大丈夫ですよ。わたしたちの成長期は、これからなんですからっ♪」
「そ、そう……だね──」
 こっちの気持ちを見透かした?ような彼女の言葉に、俺は顔を赤らめて、脱いだ制服で胸元を隠した。
 しかし六年生の女の子たちと比べると、まだまだお子様体型だよなぁ、俺って…………いやいや絵美菜がだっ、絵美菜がっ。
 俺はあわてて頭を振ると、手にした制服を目の前のロッカーに押し込み、そそくさとキャミソールを脱いで、脚を通していた水着を胸元に引き上げた。
「う……」
 胸に、お尻に、そして股間に……身体にぴったりと貼りつくスクール水着の感触。今の自分が、まぎれもなく小学生の女の子なのだということを、改めて思い知らされる。
「絵美菜ちゃん、肩のところがよれてますわ」
「あ、ありがとう……」
「絵美菜、唯香っ、早く早く〜っ!」
 真っ先に水着に着替え終わった麻紀ちゃんが、更衣室の入口で手を振っている。プールに入れるのがよっぽど嬉しいらしい。
「さあ、わたしたちも行きましょう、絵美菜ちゃん」
「あ、う──うん……」
 スクール水着姿の唯香ちゃんが優しげな笑みを浮かべて、縮こまっている俺に手を差し伸べてきた。
 抜けるように白い肌、吸い込まれそうな黒目がちの瞳。胸元が少し丸く膨らんでいて、ちょっとうらやま……じゃなくてっ。
「…………」
 俺がおそるおそるその手を握ると、唯香ちゃんはぎゅっと握り返してくれた。
 一瞬の戸惑い。だけど、何故か気持ちが少し楽になってきた。

 そうだ、今の俺は“女の子”なんだから、女の子同士で恥ずかしがらなくてもいいんだ──

 俺は彼女の顔をじっと見つめ、“絵美菜”らしく小首をかしげた。
「え、えへへっ……楽しみだね、今日のプール」
「はい♪」
 俺と唯香ちゃんはもう一度笑い合うと、手を繋いだままプールサイドへと駆けだした。



 絵美菜と入れ替わって、ひと月が経った。相変わらず俺は“絵美菜”の、絵美菜は“俺”のままである。
 俺は絵美菜として小学校に通い、絵美菜になりきって麻紀ちゃんや唯香ちゃんたちと学校生活をおくり、家に帰れば家族の中で、娘そして妹としてふるまっている。
 いろいろ厄介なことが起こるだろうと覚悟していたが、予想に反してたいしたトラブルもハプニングも起こらず、毎日は平穏無事に過ぎていった。
 小学五年生女子、森沢絵美菜であるところの俺は、平日は朝の6時半に起きる。
 起きぬけは相変わらずつらいけど、手早くパジャマ脱いで、下着を替え、ペンダントを首にかけ、制服を着る。最初の頃は異性の──妹の身体を見るたびにおたおたしていたが、最近ではすっかり慣れたものだ。
 胸のリボンを結んで、続いて髪を梳かす。ショートヘアなので、これはさほど時間はかからない。
 髪飾りをつけ、身だしなみを整えると、部屋を出て、洗面所で歯を磨いて顔を洗う。
「おはよう、パパ、ママ」森沢絵美菜、小学五年生の女の子♪
 リビングで、家族に朝の挨拶。
「おはよう。最近ずいぶん早起きするようになったな、絵美菜」
「おはよう絵美菜。朝ご飯の用意できてるわよ」
「ふああ……おはよ〜、父さん、母さん、絵美菜」
「あ……お、おはよう、お兄、ちゃん──」
 朝ご飯を食べ終わると、部屋に戻ってカバンと帽子を持ってくる。
「「いってきま〜すっ」」
 お兄ちゃ……もとい、絵美菜の“俺”と一緒に家を出て、学校へと急ぐ。
 その途中で、唯香ちゃんと麻紀ちゃんに合流。
「おはようございます、お二人とも」
「おはよ〜っ」
 そこで絵美菜の“俺”と別れて、三人でおしゃべりしながら登校する。
 小学校の授業は相変わらず退屈(だって一度やったことだし……)だけど、休み時間にクラスの女の子たちとわいわいやって、ストレスを発散する。
 放課後は麻紀ちゃんや唯香ちゃん、仲のいい女の子たちと一緒になって下校する。ときどき、通学路の途中にあるファンシーグッズのお店に寄り道したりもする。本当はだめなんだけどな。
 家に帰ったら、制服を脱いで楽な格好に着替えて、自分の部屋でリラックスして過ごす。小学校の宿題なんか速攻でできちゃうし。
 ベッドに寝っころがって、貸してもらった少女マンガやジュニアファッションの雑誌を読みふける。……い、言っとくけど女の子同士の話題についていくため、だからなっ。
 夕飯は、家族みんなで食べる。パパ……じゃなくて父さんが遅くなるときも、たまにあるけど。
 今夜のメニューはカレーライスとサラダ。俺──絵美菜の分は、ミルクで辛さをマイルドにされていて、量も少なめ。
 正直言ってもの足りないが、今の俺はこれでないと完食できない。
 向かい側に座る絵美菜の“俺”は、サラダをもりもり食べ、ふうふう言いながらも辛いカレーをおいしそうに口へと運んでいる。……なんかうらやましい。
 食事のあとはテレビを見ながら、しばらくまったりと過ごす。
 で、お風呂が湧いたら、当然、絵美菜である俺が一番風呂。暑い時はシャワーもいいけど、やっぱりお風呂がいちばんリラックスできる。
 可愛らしい声で鼻歌を歌いながら、シャンプーで髪を洗い、そのあとボディソープで優しく身体を洗う。さすがにこればかりはまだ少し恥ずかしい……とはいえ“絵美菜”の身体、雑に扱うわけにはいかない。
「うー、日に焼けたりしてるかなぁ……」
 絵美菜の身体は、あまり日焼けしない体質らしい。だけどプールの授業とかで日差しにさらされていると、やっぱり気になってしまう。UVファンデとか使わないといけないのかなぁ……
 お風呂から上がって身体を拭き、パジャマに着替えると、低温のドライヤーで髪を乾かす。
 リビングでしばらく涼んだら、自分の部屋に戻って明日の用意、そして女の子の身だしなみとして、軽くフェイスケアをしてからベッドに入る。
 以上が、身体と心が入れ替わった絵美菜の――俺の一日だ。
 別段変わったところはない、ごくごく普通の女の子の日常……だと思う。



 そうしてあまりに違和感なく「絵美菜として」過ごしていることに、かえって不安になった俺はある夜、絵美菜の“俺”にそれとなく問いかけてみた。
「考え過ぎなんじゃないかな? 入れ替わりの秘密を知ってるのはボクたちだけだし、兄妹なんだから学校はともかく、普段の生活ってそうそう変わらないと思うよ」
「そ……そうかな?」
 ギブソンをつま弾きながらあくびする“俺”に、俺は小首をかしげた。
「話ってそれだけ? じゃあ、ボク、眠いから……おやすみ、絵美菜」
「あ、う、うん……おやすみ、お──お兄ちゃん」
 やや釈然としない気分は残ったが、それ以上強く主張することもできず、俺は自分の部屋に戻って、そのまま眠りについた。



 夏休み直前の日曜日、俺はママ──もとい母さんと一緒に、駅前のデパートへとショッピングにやって来た。
 お兄ちゃ……じゃなくてっ! 絵美菜の“俺”は今日も朝からどこかへ出かけている。そう言えば最近、休みの日によく外出しているよな。全く、俺の身体で何してるんだか……
 学期末のテストは「問題なし!」とか言って親指立てていたけど、普段の学校生活で“俺”としてちゃんとやっているのかどうか、妹の代わりに小学校に通う俺に、それを確かめることはできない。
 まあ、家でも“俺”のふりをして、今のところ全く気付かれていないから、多分大丈夫だとは思う……思いたい。
 エスカレーターで洋服売り場の階に上がり、ジュニアもののコーナーで新しい夏物の服を選ぶ。
 女の子のファッションについてはまだまだよくわからないので、麻紀ちゃんと唯香ちゃんに雑誌で教えてもらったのに似たやつを手にしてみる。
「絵美菜ちゃん、試着させてもらったら?」
「うん、そうする」
 俺は笑みを浮かべてそう答えると、母さんと店員さんに促されて試着室に入った。
 壁の鏡には今の俺──“絵美菜”の姿が映っている。白い半袖のブラウスに、水色のショートパンツとベストを合わせたボーイッシュな装いだ。
 すっかり慣れた手つきでそれらを脱ぎ、持ってきた服を身につけてみる。
 サマードレス風のワンピースと薄手のボレロ。首に下げたペンダントがちょうどいいアクセントになっている。
 さっきまでの活発な印象が一転、鏡の中にはおとなしげな少女の姿が映る。
「…………」

 ふふっ……女の子って、服装が違うだけでこんなにも雰囲気が変わるんだ。

「髪、伸ばしてみようかな……?」
 無意識にそうつぶやく。
 だってこの服、そっちの方が似合いそうだし……
「どう? 絵美菜ちゃん」
「いいみたい」
 カーテンの隙間から顔を覗かせた母さんが、にっこりと微笑んだ。「じゃあ、それ買って……次は“あれ”ね」
「…………」
 ついにきた……俺は思わず身を固くした。
 一週間ほど前から、俺の──“絵美菜”の乳首が下着に擦れてちくちく痛むようになってきたのだ。そのまわりにも、しこりのようなものも感じるし、どうやら胸……おっぱいが膨らみかけているらしい。
 そのことを休みの前日の夜、絵美菜の“俺”にしどろもどろに相談すると、

「ふ〜ん……じゃあ、母さんに頼んでブラとか買ってもらえば?」
「……ぶっ!?」

 ひとごとみたいにあっさり言われてしまった。いいのかそれで?
 母さんも俺の……じゃなくて“絵美菜”の胸が膨らみ始めていることにを薄々気付いてたらしく、「じゃあ日曜日にデパートに行って、ちゃんと測ってもらいましょう♪」なんて言い出し、それでも踏ん切りがつかない俺に、「ついでに新しい夏物のお洋服買ってあげるから」と持ちかけてきた。
 言っておくが、決して新しい洋服が欲しかったわけじゃない。絵美菜──女の子だったら、きっとそういうのに釣られるだろうなと思ったからだ、うん。
「それじゃ、お願いします」
「はい。ではこちらへ──」
 俺と母さんは店員さんに、売り場の奥にある女の子向けインナーのコーナーへと案内された。
「ジュニアブラはね、膨らみかけでデリケートな胸をやさしく守ってくれるものなの。体育のときも運動しやすいし、身体のラインも出にくいから、男の子の視線とかも気にならなくなるのよ」
「は、はい……」
 「今日からあなたもレディの仲間入り♪」なんて書かれたカタログを見せられて説明を受けたあと、実際に試着してみることになった。
 俺は試着室で、店員さんにサイズを測ってもらう。
「今の絵美菜ちゃんだったら、この『ステップ1』あたりじゃないかしら?」
 その間に、母さんがカタログと見比べながら、品物を選んでくれた。
 ジュニア用の下着は三つのステップに分かれていて、ステップ1は「バストトップが目立ちはじめたら」、ステップ2が「バストが膨らみはじめたら(ここがいわゆるファーストブラ)」、ステップ3が「成長中のバストには」となっている。
 これから胸──バストが成長していくごとに、買い換えなければいけないらしい。
「どう? 少しお姉さんになった気がするでしょ?」
「そ……そう、かな……?」
 店員さんに教えてもらいながら、ハーフトップとかいう、ランニングシャツやタンクトップの下半分がないような形の下着を頭からかぶって身につける。
 胸に当たる裏地が厚くて柔らかい。これなら痛くないかも。
「デザインがおそろいのパット入りキャミソールや、ショーツとかもあって可愛いですよ」
 店員さんに勧められて、3セットほど買ってもらった。しめて1万8千円…………結構するなぁ。



 お昼を食べて、家に帰ってきたのは、午後2時を回った頃だった。
「絵美菜ちゃん、買ってきたお洋服、ちゃんとクローゼットに入れておきなさい。皺になっちゃうから」
「わかってるって、ママ」
 階段の下から母さんにそう言われて、俺は買ってもらった服を紙袋から出し、ハンガーにかけて片づけた。
 普段着──Tシャツと短パンに着替えてベッドに仰向けに転がり、一息つく。
「……んっ!」
 また、胸の先が少し痛んだ。俺は脚を振り上げ、反動をつけて起き上がった。
 机の上に置いたままにしていた、今日買ってもらった下着が入った袋を手にとる。夜、風呂から上がったらおろすつもりだったんだけど……
 下着と一緒に入っていた小さなカタログが、ふと目に留まった。
 ページを開くと、ジュニア用の下着を身につけた小学生くらいのモデルが四人、笑顔を浮かべてポーズをとっている写真が目にとび込んできた。
 一番年下っぽい女の子がつけている薄いブルーのハーフトップは、俺が今日買ってもらったのと同じものだ。
「俺が……つけるんだよな、これ」
 俺は少し躊躇したあと、袋からハーフトップと、それとセットになったショーツを取り出してタグをはずした。
 何故だろう? 一度試着したはずなのに、鼓動が高鳴るのを感じた。
 ハーフトップとショーツを椅子の上に置き、俺は姿見の前でTシャツに手を掛けた。
 シャツと短パンを脱ぎ、履いていたパンツに指を掛け、ゆっくりと引きおろすと、椅子の上に広げた下着を手にとった。
「…………」
 ドキドキする胸に手を当てて息をつくと、ゆっくりと新しいショーツに両足を通す。
 上まで引っ張り上げてみると、さっきまで穿いていたものよりフィット感があった。肌触りもいい。
 ハーフトップを頭からかぶり、裾を手で引っ張って、胸の下まで引き下げる。
 鏡の中からは下着姿の“絵美菜”が、不安そうにこちらを見ていた。
 ベッドの上に広げたカタログの写真と見比べてみる。“今の”俺と同じ年頃か、彼女たちの胸もほとんど膨らんではいない。
 でも、なんだか楽しそうだ。
 俺も鏡に向かって笑顔を作ろうとした。鏡の中の“絵美菜”が、どこかぎこちないながらも照れたような笑みを浮かべる。

 ──そうだ、今は俺が絵美菜なんだから、女の子としてブラデビューを喜んでいいんだ。もっと自信を持っていればいいんだ……

 そう意識すると、鏡の中の“絵美菜”に感じていた違和感がどんどんなくなっていくような気がした。
 顔にそっと触れてみる。つるっとした、女の子の頬──そして、今の俺の顔。
 ハーフトップに包まれた自分の胸に、優しく両手を当ててみる。かすかな痛みも膨らみも、なんだかちょっぴり誇らしい。
 だから――

「だからね、今だけ……今だけちょっとだけ、女の子になる、ね……」

 鏡に映った自分にそう言って、小首をかしげ、ベッドの端に下着姿のまま、脚を内股にして、ちょこんと座る。
「あ、あのね……今日ね、デパートでママにハーフトップ、買ってもらったんだ……」
 枕元においてあったカピバラのぬいぐるみに、そう話しかけてみる。
「は、恥ずかしいな……クラスの男の子にからかわれるかも……どうしよう……?」
 もじもじしながらそれをだき抱えて、胸元を隠してみる。
「で、でも、大きくなるかな? うん、きっと大きくなる、よね……」
 ゆっくりと立ち上がり、鏡の前でカタログの女の子と同じポーズをとってみる。

「……えへへっ、今日から絵美菜もレディの仲間入りっ♪」

 そして鏡に向かって、“絵美菜”らしく、にっこり笑ってみた。




3.“お兄ちゃん”のインボウ

 絵美菜だった「ボク」とお兄ちゃんが入れ替わってから、ひと月が過ぎた。
 ボクの代わりに小学五年生の女の子になったお兄ちゃんは、初めの頃は苦労してた(恥ずかしがってた)みたいだけど、最近は慣れてきたのか開き直っちゃったのか、ずいぶん女の子らしくふるまえるようになってきたと思う。
 対してボクの方は、今の身体に残ってる記憶や知識を使って男の子生活をエンジョイしている。クラスメイトも先輩たちもいい人たちだし、五年生のバカ男子を相手にするよりずっと楽しい。
 今の──男の子の身体にもすぐ慣れた。元々そんなにごつごつしてないし、毛もそんなに濃くないし、最初は違和感があった「ナニ」も、男の子なんだからあって当たり前……と思えば全然気にならない。……ま、気にするほどほど大きくないしね。(^^;

 寝ている間に、その──で、でちゃってた時は、確かにショックだったけど……

 運動神経はいい方だし、力も(そこそこ)あるし、ご飯もおいしくいっぱい食べれるし、少々だらしなくしてても何も言われないから、余計な気をつかわなくていい。
 あ、元はいいんだから、服や髪型はちゃんとしておかないとカッコ悪いよね。
 中学校の勉強にもなんとかついていけてる。いや、むしろ“以前”より授業に集中していると思う。ここの友だち(男子)にも「最近居眠りしなくなったな、お前」って言われたくらいだし。
 放課後の軽音同好会にもちゃんと参加している。というか、すっかりはまっちゃった。
 最近はギターだけじゃなく、ベースやドラムにも挑戦してるんだ。

 お互いの心と身体が入れ替わる──前代未聞の出来事だったけど、実を言うと、ボクには初めから原因の心当たりがあった。

 それは、まだボクが“絵美菜”だった頃、友だちの唯香ちゃんからプレゼントされたペンダントについていた、「願いの叶う石」のせいだったんだと思う。
 もらった時は単なるおまじないかお守りの類(たぐい)だと思ってたんだけど、それを身につけるようになって三日目の朝、ボクは今の身体になってたんだ。
 でも、“絵美菜”だったボクはいったい何を願ったんだろう? 男の子になりたい? それとも、いつも子ども扱いしてくるお兄ちゃんと立場が逆になったら……なんて考えたんだろうか? それがどうしても思い出せない。
 だけどサファイアのように青く光っていたはずの「願いの叶う石」は、いつの間にかアメジストみたいな紫色に変わっていた。
 「入れ替わったことは二人だけの秘密にする」ってお互いに約束してたんだけど、ボクは内緒で唯香ちゃんに連絡をとって、“お兄ちゃん”と“絵美菜”が入れ替わっていることと、ペンダントの異変を話した。
 すぐには信じてもらえないと思ってたけど、唯香ちゃんは「まあっ、それは大変です。わたしのプレゼントのせいで──」と、いつものようにボクの手をぎゅっと握ってくれた。
 嬉しかった。実はちょこっとだけ不安だったんだよね……

「男の子になっちゃったけど……これからも友だちのままでいてくれる?」
「もちろんですわ」

 唯香ちゃんは学校での“絵美菜”のフォローと、休みの日にその様子をボクに教えてくれること、そして入れ替わりのことを内緒にすること(特に麻紀ちゃんには。だってあの子、口軽いし)を約束してくれた。
 あっさり信じてくれたのは、ある意味拍子抜けだったけど……やっぱり持つべきものは友だちだねっ♪
 そんなわけで、ボクと唯香ちゃんは、日曜日ごとに外で待ち合わせて「情報交換」をしてきた。唯香ちゃんは学校での“絵美菜”の様子を、ボクは彼女に尋ねられるまま、中学校での出来事を話す。
 ある時は公園のベンチで、またある時はプロムナードを歩きながら。喫茶店に入ってお茶しながら、ずっと話し込んでたこともあった。
 私服の唯香ちゃんはちょっぴり大人っぽく、そしてとっても可愛らしい。ボクも負けずに、カッコいい服を着ていく。
 まるで男の子になって──いや、実際男の子になってるんだけど──、唯香ちゃんとデートしてるみたいな気分だ。
 ……なんて思いながら、この日も二人で遊びに出かけたんだ。
 今日の唯香ちゃんのファッションは、お嬢様っぽい白いワンピースに浅葱色のカーディガン、足元は編み上げサンダル。ふわふわした髪をリボンのバレッタで留めていて、ちょっと大人っぽく背伸びしてるって感じ。手にしてるポーチもおしゃれだ。
 「男の子」として見ると、守ってあげたくなるタイプ──だと思う。
 そして、

「絵美菜ちゃん“の”お兄さんのことが、好きになってしまいました。……わたしの恋人になってください」
「え……?」

 遊園地からの帰り道、彼女がいきなりボクに「告白」してきた。
 ずっとボクと付き合っているうちに、男の子のボクに恋してしまったのだそうだ。
 夕暮れの光の中、両手の指を組み、上目遣いでボクの顔を見つめる唯香ちゃん。可愛いな……そう思うと、胸の奥から何やらむらむらしたものがわき上がってきた。
 可愛い、愛しい、ずっと一緒にいたい。
 その震える小さな身体を、力一杯抱きしめたい。さくらんぼみたいなそのくちびるに、キスしたい。

 唯香ちゃんを……ボクのものにしたい。

 だから──
「ボクの方から改めてお願いするよ。唯香ちゃん、ボクの恋人になって」
「……はい、よろこんで♪」
 唯香ちゃんが言うには、今のボクは話も合うし、女の子の気持ちもわかるし、女の子の嫌がることは決してしない、理想の男の子なのだとか。
 まあ、そう思っちゃう気持ちもわからなくはないけど。
 だけどボクって、女の子が好きだったの? それともこの身体に引きずられて、心まで男の子になっちゃったの?
 でも、元の身体に戻る見込みもないし、その方法もわからないし……だったらもう、このままでもいいか──
 そりゃ、女の子だった自分に未練がないといったら嘘になる。だけど、ボクは今のこの「自分」と、彼女を手放したくない。
 目尻の嬉し涙を指でぬぐってにっこり微笑む唯香ちゃんを、ボクは優しく……ぎゅっと抱きしめた。

「あ……晶良、さん──」

 そっと目をつむる彼女に、ボクはゆっくりと顔を近づけていった……



 充実した気分で家に帰って、自分の部屋に戻ろうとしたら、隣の部屋から“絵美菜”が顔を真っ赤にして出てきた。
 家では最近珍しいスカート姿……あれっ? 今朝となんだか雰囲気が違うような……
「ただいま。……どーしたんだ? 絵美菜」
「……!?」
 びくっ──と肩を震わせてボクに気づくと、“絵美菜”は突然あたふたしだした。
「何やってたんだ? お前」
「べっ、別に……」
「…………」
 意味もなく視線を泳がせ、わざとらしく?そっぽを向く元の自分(の身体)に、ボクはため息をついた。
 ふと、その胸に目がいった。
 あ……なるほど、そーゆーことか……

「ブラ、買ってもらったんだ」
「……!」

 ボクの視線に、“絵美菜”は下着のせいでちょっぴり膨らんだ(ように見える)胸を恥ずかしそうに隠して、きゅっと身をよじった。

「お──お兄ちゃんの……えっち」

 蚊の鳴くような小声で言うと、ばたん──と大きな音を立ててドアを閉め、また部屋にすっ込んでしまう。
 あらあら、すっかり可愛くなっちゃって……
 胸を包む下着ひとつ身につけただけで、あの“絵美菜”がぐっと女の子らしくなるんだからすごいもんだ。まあ、唯香ちゃんから聞いた話だと、それ以外にもいろいろと要因があるみたいだけど。
「…………」
 決めた。
 ボクが男の子になるんだから、“絵美菜”にもちゃんと女の子に……ボクの「妹」になってもらおう。
 もちろん唯香ちゃんにも手伝ってもらって。あ……だとしたら、彼女と付き合うことになったのは、もうしばらく内緒にしといた方がいいかもね。

 可愛く、素敵な、スウィートでキュートな女の子にしてあげるよ。
 だって絵美菜は、ボクの妹なんだから……♪

 ボクは以前の自分──絵美菜の部屋のドアを見つめながら、にやりと笑みを浮かべた。


  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆


 夏休みのある日、俺はお兄……じゃないっ!! 俺になった絵美菜に呼び出されて、かつての俺が通っていた中学校を訪ねていた。
 いかんいかん、気が緩むとあれを自然に「お兄ちゃん」と呼んでしまう。家でも学校でも24時間フルタイムで“絵美菜”をやらされてるし、こないだの二泊三日の林間学習で唯香ちゃんや麻紀ちゃん、他の女の子たちと一緒に川遊びしたりキャンプファイヤーではしゃいだり、宿舎でご飯食べたりお風呂入ったり(その際、胸のことをさんざん冷やかされた)、女子の部屋に並べて敷いた布団に入って、遅くまでおしゃべりしてたりしたせいか、なんだか“ふり”をしているという感覚が薄れて、今では意識せずに「女の子」しているような気がする。
 おまけにここ最近、絵美菜の“俺”が、やたらと年上ぶるようになったような、その割になんだか妙に優しいというか……その影響なのかな?
 そんなことをぼーっと考えながら、通用門をくぐる。
 一応、学校の制服を着てきたので、俺は玄関で見とがめられることなく校舎の中に入った。

 ──それにしてもいったい何の用事かな……今日は暑さで身体がだるいから、家でゴロゴロしてたかったのに……

 かつて知ったるなんとやら。迷うことなく軽音同好会の活動場所──音楽室を目指す。
 それにしても、中学校の校舎ってこんなに大きく広かったっけ? 俺は思わずあたりをキョロキョロ見回した。
 夏休みのクラブ活動に参加している中学生の男子たちと廊下ですれ違うたびに、その背の高さや身体の大きさに、ついつい身をすくませてしまう。
 すっかり小学生の女子なんだよなぁ……俺って。
 などと思いつつ、目的の場所に到着。

「軽音同好会によーこそっ♪ あんたが森沢くんの妹の絵美菜ちゃんさねー」
「わぷぷ……っ!?」

 音楽室の扉を開けて中に入った俺を迎えてくれたのは、同好会の会長、財部頼子(たからべ・よりこ)先輩のきょーれつな歓迎(笑)だった。
 そーだ忘れてた。先輩、可愛いものに目がないんだったっけ……
 抱きしめられてじたばたする俺──絵美菜の頭をなでなでし続ける頼子先輩。D、いやEはいってるその胸に顔を押しつぶされて、嬉しいやら苦しいやら。
 頼子先輩のハグからようやく脱出して、俺は懐かしい音楽室に目をやった。
「…………」
 そうだ……ついこないだまでは、ここで先輩たちと一緒にギターを弾いていたんだ。
 たった四人の軽音同好会。ベースの頼子先輩、ドラムの内藤俊也(ないとう・としや)先輩に、キーボードの藤田実咲(ふじた・みさき)先輩──三人とも“絵美菜”とは初対面なので、妹になりきって「いつも兄がお世話になってます」と挨拶しておく。
 ううう……見知った人間の前でも自然に「女の子」してる自分が嫌っぽい──
 そして見慣れない女子生徒が一人……あれ?
「ああこっちも紹介するっさねー。新メンバーの沢良森(さわらもり)きららちゃんさねー」
「きららです。よろしくね、絵美菜ちゃん」
「は、初めまして……こちらこそ──」
 へー、綺麗な子だな……ふわふわしたウェーブのかかった長い髪と、制服からすらりと伸びた手足にスレンダーな体型。メガネをかけてるけど、雰囲気は唯香ちゃんに似てるかも。
 でも、これでやっと五人か。だったら同好会じゃなく、正式な部に昇格できるんじゃ……

 ところで、“俺”はどこに……?

「…………」
 見ると内藤先輩と実咲先輩が、笑いを堪えているような表情で俺のことを見ている。頼子先輩に至っては、身体を折り曲げて肩を震わせている。
「……?」
 首をかしげて、俺はもう一度きららさんの顔を見上げた。すると、
「うふふっ……まだわからないの? 絵・美・菜・ちゃん♪」
「……は?」




4.全て世は、こともなし

「……は?」
 くすくす笑いながら身をかがめて顔を見つめてくるきららさんに、俺はきょとんとした表情を浮かべた。「え、えっと……どこかで会ったこと、ある……のかな?」

「あーっはっはっはっはっ!!」

 耐えきれない──といった感じで、頼子先輩がいきなり声を上げて大笑いしだした。
 俺は思わず、先輩ときららさんの顔を交互に見比べた。
 きららさんがメガネをはずす。ぱっちりした瞳、長い睫毛、ちょっと太めの眉、ぷるんとしたくちびる。
 あれっ? どこかで……

 ……………………………………………………………………………………!!

「な、な、な…………」

 次の瞬間、頭の中が凍りついた。
 俺はきららさん……いや、目の前でにこにこしているセーラー服姿の“俺”を指さし、引きつった顔で口をぱくぱくさせた。
「驚いた?」
 やっとわかったの? という表情で、“俺”は俺の頭をぽんぽんと叩くと、その場でくるりと回ってみせた。
「どう? 似合ってるでしょ?」
「…………」
 人差し指を口元に当てて、可愛く小首をかしげる“俺”。
 そのナチュラルな女の子らしさに、不覚にもドキッとしてしまう。……いや、中身は元々女の子なのだが。
「いや〜化けたもんさねー。まさかこんなに可愛くなっちゃうなんて、思ってもみなかったさねー」
 頼子先輩、あんたの仕業ですかっ!?
 そーだまた思い出した。先輩は以前──俺が元の身体だった頃から、俺の顔にやたらとお化粧したがってたってことを。
 俺はずっと嫌がってたんだが、絵美菜の“俺”なら……嬉々としてやってもらったに違いない。
「最初は顔だけだったんさねー。けどあんまりにもハマっちゃってたから、制服とかウィッグとか用意して、カンペキに女の子にしてみたっさねー」
「…………」
 やりとげました──って顔して、そんな自慢げに言わないでください、頼子先輩。
 ちなみに「晶良」の「晶」の字をとって「きらら」。……どこのコメですか?
「でもほんと〜、森沢くんって撫で肩だしウエストも細いし〜、お尻も足首もきゅって締まってるし〜、あたしの予備の制服ぴったりだも〜ん。これはもう、『男の娘になりなさい』っていう神様のお告げだと思うわ〜」
「…………」
 いや……そんなとこで神様ダシに使わないでください、実咲先輩。
 というかその発言、「お前の見た目は男らしくない」って面と向かって言われてるみたいです……
「いや、最初は適当なとこで止めようと思ったんだ……けどな、頼子と実咲の手でどんどん女の子に変わっていく森沢を見てたら、なんかこう、ぐっとくるものがあって、さ……」
「…………」
 だからなんで、そこでもっと強く止めてくれなかったんですか? 内藤先輩っ。先輩が「萌者」だったなんて知りませんでしたよ……
 もうノリノリな先輩たち。絵美菜の“俺”も、ひととき「女の子に戻れた」気分になっているのだろう。
「『沢良森きらら』ちゃんはお家の猛反対にあって、内緒でここに参加してる謎の美少女ってことにしとくからっさねー」
「…………」
「この前〜、『男の娘』のままで校内のあちこち連れて回ったけど〜、誰にもバレなかったしね〜」
「…………」
「まあ、妹が間近で見てもわからなかったくらいだから、大丈夫なんじゃないか?」
「…………」
「だからこの姿のときは、あたしのこと『きららお姉ちゃん』って呼んでほしいなっ♪」
「…………」

 あはは、あは、あは、あはははは……
 俺が……俺の身体が…………どこか遠くに、はるか彼方にいってしまうぅぅ……



 そうだ……わかっていたはずなのに、ずっと先送りにして、考えないようにしていたんだ。
 俺はもう、男の──「森沢晶良」じゃないってことを。
 元の自分には、二度と戻れないことを。
 ぼんやりしていく意識の中で、今、それだけをはっきりと悟った。
 目の前にいるのはもう“俺”じゃない。姿と名前は同じでも、あれはもう別の存在なんだ…………

 ああ、さよなら……男の俺──

 それからどうしてたのか、よくおぼえていない。
 音楽室の隅の椅子に座って、先輩たちの練習をぼーっと見て、服を着替えて「きらら」から元に戻った「お兄ちゃん」と一緒に、みんなに挨拶して──



 ……そして二日後、俺──絵美菜に初潮が訪れた。
 家族みんなでお祝いのお赤飯を食べたあと、俺は“絵美菜”の──自分の部屋に戻って、姿見の前に立った。
 鏡に映っているのは、絵美菜の……自分の姿。
 胸元にぶら下がっているペンダントは、ルビーのように赤く光っている。
 鈍い痛みが続くおなかを手でそっと押さえると、俺は鏡に向かって微笑んだ。

 おめでとう……これからもよろしく…………女の子のあたし──




















「それじゃいくよっ……ワン、ツー、スリー、はいっ!」

 あたしのかけ声で、演奏が始まった。
 ベースを担当しているのは麻紀ちゃん。まだ始めてひと月しか経ってないけど、リズム感もあるし、飲み込みが早いからすぐにうまくなると思う。今も簡単なコードはばっちり弾けてるし。
 キーボードは唯香ちゃん。こっちはエレクトーンを習っていたからお手のもの……レパートリーもたくさんあるしね。
 そしてギターとメインボーカルはあたし、森沢絵美菜。女の子になって手がちっちゃくなっちゃったけど、今使っているギターはネックが細いから特に問題はない。カンもすぐに取り戻せた。
 声も高くてよく通るから、歌っててすっごく気持ちいいんだっ♪

 放課後の第二音楽室。
 一段高くなった小舞台の上で、あたしたちはバンドの練習の真っ最中なのだ。

 きっかけは二学期最初の大掃除で、音楽準備室の片づけをしていたあたしたち三人が、部屋の隅にエレキギターやベース、ドラムセットやアンプなどがそろっているのを見つけたことだった。
 音楽の先生に尋ねてみたら、それは以前──あたしたちがまだ入学する前、うちの小学校の卒業生だったある有名なミュージシャンが学校に寄贈してくれたものなんだとか。
 だけど小学校の音楽であまり使うもんじゃないし、キーボードとパーカッション以外はずっとここに置きっぱなし。でも、せっかく一式そろってるんだし、

「これであたしたちもバンドやってみようよ。絵美菜の兄ちゃんが中学でやってるみたいにさ」
「いいですわね……やりましょう、絵美菜ちゃん」
「……マジ?」

 ダメもとで音楽の先生に頼んだら校長先生に掛け合ってくれて、「自主的な課外活動」ということでOKを出してもらえたんだ。
 かくして誕生した小学生ガールズバンド──その名も「ちょこっと☆プリンセス」。……略して「ちょこプリ」(^^)。
 もちろん、学校側からいろいろと条件を出されたけどね。激しい曲はNGだとか、ドラムの音は控えめにとか、保健の先生にも協力してもらって、アンプのボリュームなんかも「ここまでだったら小学生でも大丈夫」って決めてもらってるんだよ。

 え? そのドラムの担当は──って? それはね……

「……OK、三人ともパッチリよっ。この調子なら、うちの文化祭のゲスト出演も大丈夫ねっ」
「いぇ〜いっ! やったねっ♪」
「ありがとうございます、きららさん」
 そう、ドラムを叩いていたのは、中学校から助っ人に来てくれた自称「謎のメガネ美少女」きららさん──こと、女装したあたしのお兄ちゃんなのだ。
 なんでわざわざ女の子姿でっ? ってひそひそ声で尋ねたら、「ガールズバンドなんだから、この方が自然でいいでしょ?」だって。
 全く……どういうつもりなのよ。確かに以前のあたし……すなわち森沢晶良がここの小学生だった頃の先生はみんな転勤しちゃってるし、妹のあたし、というか元の自分でさえわからなかったくらいカンペキに化けちゃってるので、誰にも──麻紀ちゃんにも唯香ちゃんにも「きららさん=お兄ちゃん」だなんて気付かれてないけど。
 まあ、一緒に中学校の軽音部(めでたく昇格しました)の先輩たちが指導に来てくれることもあるし、先生も「小中連携教育の一環だ」なんて喜んでるし……いいのかな?

 でも、時々唯香ちゃんが意味深な笑みを浮かべて、あたしと「きららさん」の顔を見比べてる? ……まさかね。

 お兄ちゃん──自分自身の女装姿にショックを受け、そのあと生理が始まって、そこからあたしは急速に女の子へとなじんでいった。
 しぐさや言葉遣いはすっかり女の子のものなったし、おしゃれにも興味が湧いてきた。もうトイレもお風呂も、可愛い下着やミニスカート履くのも平気だよっ。
 お揃いのエプロンを着けて、キッチンでママのお手伝いもするようにもなった。ママはすごく喜んでくれる。「絵美菜もお姉さんになってきたわね」って。
 そうそう、髪の毛を背中まで伸ばしたんだ。ポニーテールにしたり、三つ編みにしたり、シニヨンにしたり……いろんな髪型にできるから女の子っていいよね。
 胸とかも、ちょっと大きくなったかな? うん、なってる……と思う。ちょっとくらいは、ねっ。(^^;
 夏休みの間は、クラスの女の子たちと一緒にプールに行ったり、麻紀ちゃんと一緒に唯香ちゃんのお家にお泊まりして、パジャマのままベッドで夜中までお話ししたり……楽しかったなぁ。
 唯香ちゃんのお母さんは有名なティーンズブランドのデザイナー。新作のサマードレスを試着させてもらって、写真も撮ってもらったんだ。
 もしかしたらそれが元で、モデルとしてスカウトされちゃって……なんてねっ♪

 そう、今はあたしが“絵美菜”なんだ。

 そしてお兄ちゃんも、もうすっかり男の子になりきってる。あたしがふざけて「お兄ちゃ〜ん」なんて甘えて腕にしがみついたら、顔を真っ赤にしちゃって……ふふっ、可愛いの♪
 でもその反動か、ときどき「きらら」の姿でショッピングに行ったり街をぶらぶらしたりしている。いくらなんでもそのうちパパやママにバレるんじゃないかなって、ちょっと心配。
 あ、でももしかしたらお兄ちゃんって、あの時、アテもないのに「元に戻りたい」ってうじうじしてたあたしを吹っ切らせようと、わざと女装した姿を見せつけたのかな?

 ……そんなわけないか。あれは絶対、楽しんでやってるに違いない。

 とまあ、なんだかんだ言ってるけど……あたしも“絵美菜”として、すっかり女の子に順応しちゃってる。
 唯香ちゃんや麻紀ちゃん、みんなと一緒に毎日仲よく過ごしてるよっ♪



 今でもときどき、ふと思う。なんでこんなことになっちゃったんだろう……?
 だ・け・ど──

「……いぇ〜い! 女の子、さいこぉ〜っ!!

 あたしは制服のスカートをひるがえしてギターをかき鳴らし、笑顔を浮かべて拳を高く突き上げた。


  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆


 ふふっ、もうすっかり「女の子」になりきってますね、絵美菜ちゃん――

 わたしはキーボードを弾きながら、身体中でリズムをとって楽しそうに歌う“絵美菜ちゃん”の後ろ姿を見つめました。
 やっぱり兄妹ですわね……口調はちょっと違うところがありますけど、しぐさや雰囲気は、以前の絵美菜ちゃんとほとんど変わりがありません。
 横でドラムを叩いている元絵美菜ちゃんの晶良さん――いえ、きららさんの方をちらっと見ると、向こうも同じことを考えていたのか、いたずらっぽい目つきでわたしに目配せしてきました。
 お二人とも、すっかり“今の”身体に似合った心の持ち主に変わってしまったみたいです。
 “絵美菜ちゃん”には、もっともっと女の子らしくなってほしいです。以前は恥ずかしがって着てくれなかった可愛いお洋服も、今の絵美菜ちゃんなら、もじもじしながらも身につけてくれるでしょうし。
 だけど、逆に晶良さんが完全に「男の子」に染まってしまうのは、ちょっと嬉しくないです。……だって、わたしの好きな晶良さんは、女の子のことや女の子の気持ちが自分のことのようによくわかっている男の子なんですもの。
 だからときどき、「自分は元は女の子だったんだ」って自覚させておかないと。

 そう、軽音部の方々を焚きつけて元絵美菜ちゃんの晶良さんを女装させたのは……何を隠そうこのわたし、紫堂唯香なのです。

 それにしても女装した晶良さん――きららさんって、ナチュラルに女の子らしく見えるから不思議です。
 もしかすると顔つきや身体つきも、何かの力で変化しているのかもしれないですね。



 どうやら「願いの叶う石」は、わたしの願いを一番にかなえてくれているみたいです。
 「大好きな絵美菜ちゃんが、かっこかわいい男の子だったらいいのにな」って――

(END)


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