プレコーシ ぼくとお姉さんの入れ替え物語
作・JuJu

#7

 突然の爆発音に、ぼくは我に返った。
 電車の窓に、花火が舞っていた。
 入れ替わった原因を探るつもりで過去を思い出していたのに、いつのまにかすっかりと回想にひたっていたらしい。
 周囲を見渡す。電車に乗っている人たちは、始まったばかりの花火大会をながめていた。
 ぼくの隣でも、ぼくの体になった美穂さんが、ひとときの安らぎを見つけたように花火に見とれていた。こうなったのも、ぼくがつまらない願掛けをしたのが原因かもしれないと思っていただけに、花火を見ている間だけでも、美穂さんの気がまぎれればいいと思った。
 それにこんな形になってしまったものの、こうして美穂さんと並んで花火を見ることができたことで、すこしだけ願いが叶えられた気がした。だからぼくも、美穂さんと一緒に、今だけは、入れ替わってしまったことを忘れて、窓の外で繰り広げられる光に夢中になり、わずかな間、この小さな幸せをかみしめることにした。

    *

 花火を見ていると、ぼくのお尻に手らしきものが当たった。固さから、相手はどうやら男らしい。
 さらに、ぼくの背中に男の体が触れる。
 バランスを崩して、寄りかかってしまったのだろうか。などと、ぼくは楽観していた。男だったぼくは、電車の中で体を触られるなんて、考えたこともなかったからだ。
 だが、それがまずかった。男の手は、浴衣の上からぼくのお尻をなで始めた。
(これは、寄りかかってきたんじゃない。痴漢だ)
 それはぼくの思考というよりも、美穂さんの女の体が、直感としてそうぼくに訴えかけた。
 男に体を触られるなんて考えたこともなかったぼくには、信じられない出来事だった。そしてあらためて、この体が女の体だということを思い知らされた。
 ぼくは男に襲われるという恐怖に縮こまった。相手の顔を見てやろうとしたが、恐怖で、背広につつまれた腕を見るのが精一杯だった。
 痴漢は、さっき乗ってきたサラリーマンのひとりだろうか。それともサラリーマンに扮してまぎれこんでいるのだろうか。
 周りの人はみんな花火に夢中で、誰ひとりこの行為に気がついていない。
 痴漢の手は、反応を確かめるように浴衣の越しにお尻をなでたりさすったりとしていたが、ぼくが抵抗できないことを知ると、とたんに大胆になった。浴衣の裾をわずかにまくり上げると、そこから手を入れてきた。痴漢の指先はぼくのふとももの感触を確かめつつ、股間に向かって這いずりまわった。
 痴漢の指が、パンツの上からぼくの股間を触った。
「ひっ!」
 生まれてからいままで感じたこともないような不思議な感覚に襲われ、ぼくは思わず小さな悲鳴をあげてしまった。
 パンツの布越しに、痴漢の太い指が、女性にとって一番大切な場所をまさぐる。
 ぼくは無意識のうちに、救いを求めるように、ひざの上にあてた両手で浴衣を強くつかんでいた。
 股間から発せられるしびれるような快感も、男に襲われる恐怖をまぎらわせることはできなかった。むしろ、初めて知る女の快感は、男に襲われる恐怖を増長させる結果となった。
 ぼくは痴漢が去ってくれるのを待ち望んだ。目をつむり、下唇を噛んで、ひたすら堪えた。
 現実にはそれほど時は経っていないのだろうが、ぼくにとっては長い時間が過ぎた。
 思惑ははずれた。
 痴漢は去るどころか、いよいよ、調子が出てきたようで、指の動きがなめらかになってきた。
 いつまでもやまないいたずらに、ぼくはやっとの思いで「やめてください……」といった。
 精一杯の抵抗だった。その声が、自分でも、いかにも弱々しく、心細そうだった。
 その声を聞いて興奮したのか、男はぼくの背中に、胸板を強く押しつけてきた。
 うなじに、熱い息がかかる。
「ううっ!」
 痴漢は小さくうなった。
 背中に密着していた胸板が、小刻みにふるえているのがわかった。

    *

「おじさん、そのくらいにしておきなよ。いいかげんにしないと、警察に突き出すよ」
 男の子の鋭い声が響いた。
 声のしたほうを見ると、ぼくが、いや、ぼくの体をした美穂さんが身震いがするほどの鋭い眼でぼくの後ろにいるであろう男をにらんでいた。
 密着していた体が、あせりながら離れるのを感じた。
 そうだ。こういうことを心配して、美穂さんはぼくをつれてきたんだ。
 美穂さんの視線を追うと、痴漢が離れていくのがわかった。
「あの。ごめんなさい。美穂さんの体を、その、痴漢に……」
 ぼくはうつむきながら、美穂さんにだけ聞こえるようにささやいた。
「わたしこそ、もっと早く気がついていれば。
 怖かったでしょう?」
 美穂さんも小声を返した。
 ぼくの体は、いまだにふるえが止まらなかった。痴漢に遭った女の人が、どうして叫ぶなり抵抗するなりしないんだろうとずっと疑問に思っていたけど、今日、その理由がわかった。
 そして、美穂さんもこんなに美人でスタイルもいいのだから痴漢にあったことがあるのだろう。ぼくと同じ恐怖を味わったことがあるのだろう。だから、護身術としてボクシングを習い始めたんだろうと思った。
「今日花火があるのを知っての、計画的な犯行ね。本当にずるがしこいわ」
 美穂さんはぼくを守るように、腰に手を回した。ぼくが美穂さんに身を寄せると、美穂さんは腕に強く力を込めて引き寄せた。美穂さんの体になったぼくから見ると、ぼくの体は、背も小さく、子供で、幼い顔つきだった。でもその腕に、確かに男の強さを感じた。その力強さが、今のぼくには心地よかった。守られているんだという安心感がそこにはあった。ぼくは美穂さんに身をまかせた。
 ぼくたちはふたたび花火を見た。
 だが、ぼくの目は花火を見つめている物の、胸の内は痴漢の恐怖がいまだに居座っていて、ぼくの心は打ち震えていた。
 美穂さんと恋人同士のように肌を寄せ合って、夜空に浮かぶ花火をふたりで楽しむ。そんな余裕など、いまのぼくにはなかった。
 やがて電車は、ぼくたちが降りる駅に着いた。


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