プレコーシ ぼくとお姉さんの入れ替え物語
作・JuJu

#6

「占いが終わった後、コーヒー屋の女の子がね、こんなことをいったの。
『見ての通りですし、今日はこれで店じまいにします。
 好奇心からやってみましたが、やっぱりわたしたちには、露店は向いていないようです。
 それで、マスターからこれをさしあげるようにいわれました。
 このお店の最初で最後のお客様であるあなたへの、わたしたちからの感謝の気持ちです』
 その、感謝の気持ちっていうのが、これ」
 美穂さんはそういうと、ぼくにビンを見せつけた。ラベルなどはなく、中には鮮やかな黄色い液体が入っていた。
 ぼくの表情から察したのだろうか。美穂さんは、ぼくに説明するように話しはじめた。
「『怪しい物ではありません。マスターが研究のために入手した、知る人ぞ知る、貴重なゼリージュースです。あ、でもこれは研究の余りなので、遠慮なさらずにどうぞ』って、女の子はいっていたわ」
 コーヒー屋がゼリージュースの研究? 飲むコーヒーゼリーの開発でもしているのだろうか。
 なんにせよ、そんな得体の知れない物を口にして大丈夫なんだろうか。
 ぼくがそんなことを考えていたら、美穂さんは、すでにふたを開けて飲み始めていた。

 ぼくはジュースを飲む美穂さんを見つめていた。
 ぼくが気になったのは、ジュースの味でも、ジュースの色でもなかった。のどが渇いていたわけでもない。美穂さんの口元を見ていたのだ。ジュースを飲んでいる美穂さんのくちびるは色っぽかった。
 ジュースの入ったガラスのビンは、陽の沈んだばかりの大空を反射し、茜から群青に、群青から茜にと、色を移り変えながら輝いていた。中に入っている透き通ったレモン色の半液体は、ガラスの容器の中でゆったりと揺れていた。
 どろどろとした液状の物が、美穂さんの口へ、そして体の中へとそそぎ込まれていく。それはエロチックな美しさをもって、ぼくの目に映った。
 だが、あまりに熱心に見つめていたのがまずかった。
 美穂さんはビンから口を離すと、いぶかしげにぼくを見た。
 美穂さんが言う。
「半分あげる。飲みかけだけど、いいよね?」
 美穂さんに見とれていたのを、どうやらジュースが飲みたくて見ていたと勘違いしたらしい。
 返答に困っているぼくに、美穂さんはビンのふちについた口紅をハンカチで拭い取ると、ぼくの目の前にビンを突きつけた。鮮やかなレモン色が、ぼくの視界にひろがった。世界がレモン色に変わった。
 ぼくはゆっくりとうなずいて、震える両手でビンを受け取った。
 美穂さんが飲んだばかりのビンに口を付けるということは、つまりはこれは、間接キスになる。もしかして、神社での祈願が少しだけ通じたのかもしれない。

「どうしたの? 飲まないの?」
「い、いただきます!」
 美穂さんの問いに、ぼくはせっつかれたようにビンを口に当てた。
 間接とはいえ、美穂さんと口づけをしているんだ。そんな考えが頭の中でいっぱいになり、味などわからなかった。ただ、ゼリー状の液体の感触だけが口の中に広がっていることだけがわかった。そのゼリーのやわらかい感触が、まるで美穂さんの舌が口に入ってきたような錯覚を受けた。さらにゼリーは口の中からのどを通って、体内に入っていく。美穂さんの飲みかけのジュース。それがいま、ぼくの体に入ってきている。まるで美穂さんが体に入ってくるような気がした。
 夢心地だった。あまりのうれしさに、立ちくらみみたいな感覚におそわれた。血が抜けていくようなあの感覚だ。いや、血だけではなく、魂までもが抜け出ていくような感覚さえした。それはとても気持ちが良かった。
 そしてぼくは、ほんとうに気が遠くなった。

   *

 気がついたときには、ぼくの目の前に、ぼくが立っていた。ぼくも驚いたが、目の前のぼくも驚いていた。
 そして、ぼくと美穂さんの心が互いに入れ替わっていることを知った。
 まさか、これも神様のせいだろうか?
 たしかにあの神社で『ずっと美穂さんと一緒にいられますように』とも祈願した。そして、これならば確かにずっと美穂さんと一緒だ。
(そうだとしたら、これはやりすぎだよ神様。たしかに美穂さんと一緒にいたいといったけど、それは、これからも美穂さんと親しい間柄でいたいとか、できることならば恋人の仲になりたいとかってことで、こんな意味じゃないのに)
 ぼくは心の中で神様に抗議をした。だが、なんの変化も起こらなかった。

 こうなってしまった以上、これからの生活とか、どうやったら元に戻れるのかとか、問題は山積みだった。
 混乱しているぼくに対し、お姉さんは、こんなところで悩んでいてもしかたがない。とにかく、わたしの部屋に行って、そこで落ち着いて考えてみましょうと提案した。

 ぼくたちは、駅を目指して歩き出した。
 人のざわめきが聞こえてきた。ぼくたちはそのざわめきのほうに歩いた。
 すぐに昼間歩いた本通りに出た。石畳を挟んで、左右に露店が長々と立ち並んでいる。その上に電灯が光るちょうちんが続いていた。
 ものすごい人だかりだった。
 ぼくは、打ち上げ花火の時間が近づいていることを思い出した。
 花火大会の会場である泉に向かう一番大きな道を、浮かれた人たちの流れに逆らって、ぼくたちは歩いた。
 人と擦れ合うたびに浴衣の胸元やすそが乱れた。ぼくは美穂さんの肌がはだけないように、気を使いながら歩いた。
 時に人の流れに飲み込まれそうになり、時に人にぶつかりながら、ぼくたちは逃げるように足を早めた。

 やがてなんとか、駅前までたどり着いた。
 駅の脇に植えられたおおきな木から、夏の終わりを知らせるひぐらしの鳴く声が聞こえた。

 せっかくあこがれの美穂さんに夏祭りに誘ってもらったのに。美穂さんと間接キスまでできたのに。美穂さんと見るはずだった打ち上げ花火はこれからだというのに。
 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 ぼくはそう思った。


#7へ


inserted by FC2 system