生徒会室にて(前編)

作:Sato





「ふぅ〜」

 僕は最後に残ったファイルを本棚に納めると、ようやく人心地つけることになった。年末ということで、この生徒会室も大掃除を行うことにしたのだ。面倒だったけど、生徒会長という立場上、僕はやらないわけにはいかなかった。

「佐々木君、何か飲む?」

 副会長である永田さんが僕に声をかけてきた。今この部屋には、僕と彼女のふたりしかいない。元々集まりが悪い生徒会ではあったけど、ここまでとは思わなかった。まあでも、おかげで永田さんとふたりきりになれてるんだけど。

「うん、じゃあ紅茶でもいれてくれる?」

「うん、いいわよ」

 僕はティーカップを取りに行っている永田さんのうしろ姿を、うっとりとしながら見詰めていた。それにしても見事だ。きれいに手入れされている栗色の髪。皺ひとつないブレザーの生地。その中にある彼女の体が示す曲線も見事の一言だった。そしてとどめは、無駄な肉のついていないほっそりとした脚線美。僕の眼から見た永田さんはもう完璧だった。

 永田友紀、彼女は僕にとって格別の存在だった。生徒会長だって、彼女が副会長に立候補するって情報があったから立候補したようなものだ。面倒で誰もやりたがらない仕事なので、僕も彼女もあっさりと当選してしまった。

 それから永田さんとの付き合いが(もちろん、恋人としてではないけど・・・)はじまった。こうしてふたりきりの状況でも、彼女が逃げ出さないというのは、僕が少なくとも彼女に嫌われてはいないことを意味しているはず。でも逆にいうと、ここまで普通に接してこられるというのは、彼女が僕に対して気がないってことも意味しているのだろう。僕の気持ちは複雑だった。

「ハイ、お待ちどおさま。熱いから気を付けてね」

「あ、ありがとう、永田さん」

 僕と永田さんは生徒会室の真ん中に据えられている机に、向かい合わせに座った。こうしてふたりきりでいるというのは、そうあることではない(もしかして初めて!?)ので、僕にとってはまたとないチャンスといえた。まあ、そんな機会にあっさりと告白できるぐらいなら、僕はとっくに彼女と付き合っているのだろうけど。

「ふう、疲れたね。まったく、あいつらときたらいつも集まりが悪いんだからな」

「・・・・」

 いつもだったら、気の利いたジョークのひとつも返してくる永田さんが、どういうわけだか今日は、押し黙ったままお茶をすすっている。どこか物憂げで、何かを思い悩んでいるかのような・・・今の彼女はそんな風に見えた。けど、それは彼女の美しさをさらに強調していた。

「ど、どうしたの、永田さん?」

「・・・え?ええ、何でもない・・・」

「そう・・・だったらいいんだけど。何だか悩んでいるように見えたから・・・」

「・・・」

 再び思考の谷底に落ちていってしまう永田さん――その様子は「何でもない」なんていう風には見えるはずもなかった。

「・・・佐々木君」

「えっ?何、永田さん?」

「・・・う、ううん、何でもない」

「何でもないはずないよ。僕でよかったら相談には乗るよ。僕だって生徒会長として、多少は役に立つこともあるだろうし。いや別にそんなことは関係なく、気兼ねなくいってくれるとうれしいな」

 僕にしてはいやに熱く語ったものだ・・・永田さんの物憂げな表情が僕に勇気を与えてくれたのかもしれない。

「・・・佐々木君・・実はね――」

 ところがその瞬間、ガラッと生徒会室の扉が開かれ、見たことのある女子生徒が中に飛び込んできたのだ。永田さんの親友(らしい)の本田涼(りょう)さんだった。ショートカットで、いかにも活発そうな雰囲気をもっていて、お嬢様タイプの永田さんとは好対照だ。だからこそふたりは合うのだろうなあ。

「ユキ〜、くつろいでるところを見ると、もう仕事は終わったんでしょ?一緒に帰ろうよ!この間見つけたあの店に行きましょうよ!」

 呆気にとられている僕を無視するかのように、永田さんの手を引き、生徒会室から連れ出そうとする本田さん。永田さんも最初は迷っている様子だったけど、ついにあきらめたのか、入り口に置いてあるかばんを手に取ると、僕にほうを見た。

「それじゃあ佐々木君、後のことはお任せするから。また明日ね!」

「さ、ユキ、行きましょ!」

「う、うん」

 あわただしく退場していくふたりの女子生徒。取り残された僕は、寂しい気持ちもあったけど、それ以上に最後に永田さんが残した言葉の余韻に浸っていた。「また明日」と彼女はいった。それをただのあいさつと取るか、それとも・・・・僕は複雑な気分で部屋の後片付けをすると、そのまま帰路についた。



 一方、先に生徒会室を出たふたりは、早速新しくできたばかりのケーキ屋さんで試食を楽しんでいた。

「ねえ?彼、放っておいてよかったの?一緒に誘うべきじゃなかったかな?」

「え?ああ、佐々木君のこと?」

「そうよ。ふたりっきりでいるところに乱入しちゃったからね。何だか悪いことしちゃったみたいで・・」

「・・・」

「やっぱり。だったら、私の誘いを断ってくれてもよかったのに」

「違うって、そんなんじゃないんだけど・・・ちょっと聞きたいことがあっただけで・・・」

「ふ〜ん。まあ、ユキが誰と付き合おうと私は構わないけど」

「だから、そうじゃないっていってるじゃない。この話はもうやめ。今はケーキを楽しみましょうよ」

「あ、そ。じゃあそうしますか!」

 涼は友紀にそういわれて、この件に関して興味を失ってしまったようだった。それからふたりは、普通にケーキを食べて、その日は別れてしまった。それはある意味、ふたりにとっては永遠の別れだったのかもしれない。



 次の日。午前中の授業を終えた僕は、突然の訪問者に驚かされることになった。その訪問者とは、他ならぬ永田さんその人だった。ふたりが生徒会長、副会長だと知っている人が多いので、みんなそれほど僕たちのツーショットに反応を示さないようだった。僕は少しほっとしながら、彼女に近付いていった。

「どうしたの、急に?生徒会の話・・・じゃなさそうだね」

「うん、ちょっときてもらえるかな?」

 そういうと、永田さんは僕の先に立って歩きはじめた。どうやら、向かう先は生徒会室のようだった。まあ、あそこだったら、普段は誰もいることはないし、邪魔が入ることもまずないから、ふたりきりで話すっていうのなら、もってこいの場所に違いない。

「さ、そこに座って」

「う、うん・・・」

 昨日と同じように、向かい合って座る僕と永田さん。彼女が一体何を話すつもりなのか、ドキドキしながら待つ。昨日の話の続きなのは間違いないと思うけど、その内容はちっとも見当がつかない。まさか、愛の告白だ、なんてことはないと思うけど・・・・

「・・・佐々木君、話っていうのはね・・・」

「う、うん」

 思わず口ごもってしまった僕。唇がすっかり乾いてしまっている。告白かどうかはともかく、永田さんが僕に対して相談を持ちかけている、という事実だけでも、僕にはうれしかった。

「・・・あのね。佐々木君って、女の子に興味ある?」

「えっ!?どうしてそんなこと聞くの?」

 僕はストレートな永田さんの質問に、どぎまぎさせられっ放しだった。「女の子に興味がある」ってことは、男だったら当然のはずで、こんなことを聞くってことは、彼女が僕に興味以上のものがあるってことじゃないのか、なんて期待しちゃっていいのだろうか?

「どうしてって・・・その前にちゃんと答えてよ」

「そ、そりゃあ、僕らの年頃の男だったら、女の子に興味がないなんてやつはいないんじゃないのかな」

「じゃ、じゃあ佐々木君も女の子興味はあるのね?」

 目を輝かせながら、永田さんは僕に確認を求めてくる。これはもしかしてもしかする展開なのかもしれない――僕はそう思いながら、彼女の言葉に対して小さくうなずき返した。

「やったぁ!じゃあ、佐々木君にお願いがあるんだけど?」

「お願い・・・?」

 ここで「お願い」という言葉がくることが予期できなかった僕は、軽く混乱しかかっていた。一体、彼女は僕に何をお願いしたいというのだろうか?

「しばらく私と交替してみない?」

「は?」

 永田さんが身を乗り出してそういうものの、僕には何のことやらさっぱり分からなかった。「交替」・・・?何を交替するんだって?

「交替って?生徒会長と副会長とか?」

「ははは、違うわよ。そんなんじゃなくって。私と佐々木君のカラダを交換してみないかっていう話よ」

「へ?カラダを交換する!?ど、どういうこと?」

「どうって、言葉どおりの意味しかないと思うけど。私が佐々木君になって、佐々木君が私――永田由紀という女の子になるの。で、そのまましばらく生活するの。どう?面白そうでしょ?」

「・・え、ええっと・・・」

 言葉の意味は確かに分からないでもない。でも、その内容があまりにも現実離れしている場合、聞いたとおりに意味には受け取れないのが正常な人間の判断というものだろう。それほど彼女の話は理解しがたいものだったのだ。

「佐々木君もさっき、女の体に興味あるっていってたじゃない。私も男の子の生活に憧れてたのよね。ねえ、いいでしょ?」

「た、確かにいったけど、そんな意味じゃ・・・」

 僕はそこでしゃべるのをやめた。確かに僕は違う意味でその言葉をいったけど、今では少し興味がわいてきたのも間違いないのだった。「女の子の体になる」なんてことが現実にできるものとは思えないけど、もし本当なら・・・

「そんな意味じゃないってどういうこと?」

「い、いや。分かった。他ならぬ永田さんの頼みだもの、聞いてあげるよ。でもさ、本当にそんなことができるのかい?身体を交換するだなんて」

「やったぁ!ありがとう佐々木君!それじゃあ・・・」

 永田さんはポケットの中から、小さな瓶のようなものを取り出した。中には紫色の液体が入っているようだ。パッと見には、化粧品か何かのように見える。

「さ、これの匂いを嗅いでみて」

「え・・・う、うん」

 永田さんは瓶の栓を抜き、僕に差し出した。僕は彼女のいうとおりに、その瓶の口に向かって鼻を近づけてみる。どんな匂いがするのか、ちょっと不安だったけど、何のことはない、普通の香水のような香りしかしない。柔らかいラベンダーのような香りで、僕の全身を優しく包み込んでくれそうな・・・・

「・・・・!?な、何だ、これ?」

「ふふ、効いてきたみたいね。そのまま動かないでよ」

 甘い香りに浸っていると、徐々に体中の力が抜けていくのが自分でも分かった。けれども、もはや匂いを嗅ぐのをやめることはできなかった。僕の精神的な危機感とは裏腹に、ただ漫然と匂いを受け入れてしまっている僕の身体――もう何も考えられない。僕はラベンダーの花畑で眠っているような錯覚にさえ襲われていた。

「もう少しね・・・あ」

 とうとう僕の体は、ばたりと床に崩れ落ちてしまったようだった。当然のことながら、僕にはそんな意識はないはずだったけど、どうしてだか、「自分がそうなった」ということははっきりと認識していたのだ。現に、さっきまで朦朧としていた意識も、今はかなりはっきりしている。僕の前に立っている永田さんのこともしっかりとよく見えていた。

「じゃあ、私も!」

 永田さんはそういうと、ふたを開けたまま瓶を机の上に置き、ゆっくりと自分で瓶の中身の匂いを嗅ぎはじめた。僕のときと同様、彼女も段々と目の焦点が合わなくなってきているようだった。そして僕と同じく、がっくりと身体の力を失い、椅子の背もたれに倒れ込んでしまった。

「あ、永田さん!?」

 その瞬間、僕は驚くべき光景を目の当たりにした。なんと、永田さんの身体から、全く同じ姿をしたもうひとりの永田さんが姿を現したのだ。しかも裸で。僕は眼のやり場に困ってしまったけど、一方の永田さんもそうだったらしい。僕の姿を確認すると、顔を赤らめて目を逸らしてしまった。

「え?・・・あっ!」

 僕は自分も永田さんと同じ状態であることに、ようやく気付いたのだった。僕も彼女と同様、身体から魂が抜け出したような状態になっているようだ。だから、僕も彼女と同じく「裸」だったのだ。

 僕は思わず自分の股間を隠した。その気配を察したのか、永田さんが再び僕のほうを見た。彼女もいつの間にやら、胸と股間を隠している。お互いに照れたような笑いを浮かべ、ヘンな間があいてしまったけど、ようやく永田さんが口を開いた。

「さ、これで準備はOKね!早速はじめるわよ」

 驚いたことに、永田さんはふわりと身体を宙に浮かせ、僕のほうへ向かって飛んできたのだ。そして僕の頭上で天地逆さまの状態で停止すると、僕に話し掛けてきた。

「じゃあ、私はここに入るから。佐々木君も私の身体に入るのよ!」

 そういうが早いか、永田さんは「僕の身体」の中に頭からスッと入り込んでいった。僕の肉体が激しく痙攣したかと思うと、次の瞬間には僕の肉体は永田さんのものになっていた。

「へ〜、これが男の子の身体なんだ。力があるっていうのかな、女とは全然違うっていうのがよく分かるよ♪」

 僕は僕の肉体が勝手に動き出し、しゃべりだすのを呆然と見送っていた。しばし、感慨に浸っていたらしい永田さんが、ようやくこちらに気付いたようだった。とはいえ、彼女の視線は僕の位置とは合っていない。彼女には僕の姿が見えているわけではないようだった。

「さあさあ、佐々木君も私の身体の中に早く入ってよ。あんまり放っておくと、肉体にもよくないんだから」

「う、うん。分かったよ」

 僕はそういうと、彼女と同じように永田さんの肉体へと向かうことにした。どうやって飛ぶのか分からなかったけど、試しに地面を足でちょんと蹴ってやると(実際には地面には触れなかったんだけど)、まるで重力などないかのように、身体が宙に浮かんだのだった。

 僕はまっすぐに永田さんの肉体に向かって飛んでいった。

「・・・!!」

 永田さんの身体に触れた瞬間、バチッとスイッチが切れたように視界が闇に閉ざされた。けど、次の瞬間には、僕は自分の意思で眼が開けられるようになっていた。まぶたに差し込んでくる光を感じながら、僕は眼をゆっくりと開けた。

「ん、どうやら上手くいったみたいね。どう、気分は?」

「何だか、身体に力が入らないような気がするんだけど・・・」

「女の子だったら、みんなそんなものよ。私も佐々木君の身体になって驚いちゃったもの。男と女でこんなに違うんだ、って」

 女の子・・・女の体・・・そう、僕は女の子、永田さんになったんだ。身体に力がないっていうのは、例えばこぶしを握り締めてみるだけでも分かる。グッと力一杯握ったとしても、「本気でやってんの?」という程度にしか握り込むことができないのだ。けど、僕のものよりもはるかに長い爪が、手のひらに食い込んでしまった。

「いたたっ!」

「何やってるのよ。ああ、そういえばここの力も入れ替わってるんだよね。ふふふ、今腕相撲をすれば私の圧勝よね♪」

「・・・う、そりゃそうだろうね。この感じじゃあ、脚だって早くはないだろうし、っていうか、このスカートじゃ走りにくそうだなあ」

「あはは、中が見えることを気にしなければそうでもないのよ。でも、そんなわけにもいかないじゃない。どっちにしても、私は体力のあるほうじゃないから、速くは走れないでしょうけど」

「なるほど。僕も男子の中じゃ、そんなに運動神経のいいほうじゃないけどね。きっとスポーツをしてる女子には負けると思うよ」

「まあ、そんなことはいいじゃない。せっかく入れ替わったんだから、しばらくの間、お互いの生活を楽しみましょうよ♪」

「ええ!?しばらくって、家のことはどうするの?このまま帰るのか?」

「もちろんよ。さあさあ、お互いの情報を交換しておきましょ!」


(つづく)




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