俺はなぜこんな身体になっている!?(前編)
  作:メッチョ


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 全身を蝕む恐怖。それはまるで血液が液体窒素に変わってしまったかのような、深刻な寒気だった。自身の口から発せられたとは到底思えない、井戸の底から助けを求めんばかりの絶叫が、鼓膜を揺らす。

「ひぅ……ひぅ……」

 呼吸がままならない。冷汗が止まらない。いま俺を蝕んでいる、地獄の炎で焙られているような、その原因がわからなかった。昨夜……俺は何をしていたんだ。昨日は大学に行って、授業を受けて、それから……。それ以上思い出すことはできなかった。

 悪夢でも見たのだろうか。それならば思い出せないことにも理由がつく。

「ただの悪夢だ。だから大丈夫だ」

 そう口にすることで、すこしづつ頭が覚めてくる。声の調子もどこかおかしい。病は気から、ともいうことだし、そのせいだろうか。とんでもない悪夢を見てしまったと、自分でも思う。


 頭が冷静になると、喉以外にも、周囲がおかしいことに気がついた。

「ここはどこだ。俺のアパートじゃない?」

 学生の安アパートとは異なる、どこかファンシーなライトピンクの綺麗な壁紙が目に入る。よくよく見ると自分にかかっている布団も、花柄の女性もの思われる質のいいものだ。

「酒を飲んで誰かに介抱されてここに……いやいや、それなら救急車で病院か。やけ酒は多かったけども、そもそも最近は外で飲むようなことはしてないぞ」

 一難去ってまた一難とでも言うのだろうか。今の現状がなにもわからない。

「クマのヌイグルミ、算数の教科書、あれはランドセルか。ピンクって最近は色々な色ががあるもんだな。って、ここ子供部屋かよ!」

 ますますわからない。まだ学生とはいえ、すでに20歳をこえて成人している。そんな大の男を、女のそれも子供部屋に入れるなんて、何を考えているんだ!? 

 混乱で部屋をグルグル見渡す瞳が、鏡を捕らえた。それは年代を感じさせる、艶めいた木製の姿見だった。そこに映るのは、ベッドの上でキョロキョロと辺りを見回す少女。あっと、これは……

「えっと、あの、ね、ねえ君。俺もなんでここにいるのかわからなくて……」

 後ろを振り返りながら、少女に声をかける。彼女も俺がここにいて混乱の極みだろう。叫ばれないだけマシか、いや、恐怖で声が出ないのかもしれないが。

「あれ、いない?」

 部屋を見渡す。しかし、この部屋に俺以外の人影は無かった。もう一度姿見に目をやると、そこにはやはり少女が映る。

「どういうことだ……。ん? 君、何か話してるのかな」

 しかし、この部屋には俺しかおらず、声も喉の調子がおかしい俺の発言しか聞こえない。そこで、ありえない一つの答えが頭によぎった。

「はあ!? これもしかして、鏡の動きと俺の動きが連動している?」

 スプリングの効いたベッドから飛び出る。その姿見に近づくにつれ、鏡像の少女も大きくなっていく。何かのトリックかと、鏡に触れても、ただ指紋がつくだけだ。もちろんその裏側にも人が隠れているなんてことはない。

「ええー!!! 俺、女の子になってるぅ!?」

 大きなカブが引っこ抜けたような、2度目の絶叫がまた鼓膜を揺らした。

 鏡に触れている俺の手は、もちもちしていそうな小さなものだった。明らかに俺のものとは異なる。それを動かして身体に触れる。今の俺が来ているパジャマ、パジャマなのかこれは?、やけに丈の短いフリルの多いワンピースタイプの薄着だ。鏡を疑い、下に視線を向けても、手に伝わるサラサラと心地いい肌触りも、それが真実だと訴えている。

 あぁ、現実逃避にしかならない。それでもと、スカートをまくり上げ、三角形の小さなパンツの中を覗き見る。

「……ない。……って、これはやばいだろ!」

 バッと、そこから手を離す。そむけた顔が熱く火照ってくる。いくら何でも、確認のためとはいえ、見知らぬ少女のアソコを見るのはアレすぎた。この身体を動かしているのは、なぜか俺とはいえ、この行動はさすがにアウトだ。

 一度深く深呼吸する。しかし、なかなか整わない。頭を大きく振ってから、汗ばんだ細指で姿見のヘリを掴んで、鏡像を見つめる。

「なんでこんなことになってんだ。俺は男だったよな。そうだよ、男子大学生だったはずだ。俺の名前は尾野上 幹人(おのがみ みきひと)、うん、俺は男だった。じゃあ、この少女は誰なんだ」

 目の前の情報から、何か得られるものがないかと、観察する。しかし、この年の少女の知り合いといえば、あまり会ったことのない姪ぐらいしか思い浮かばない。

 鏡に映る少女は、一言でいえば美少女だ。子役といっても通じるような、抱きしめたくなるような可愛い顔立ちである。大きくなれば、モデルというよりは、アイドルとしてスカウトされてもおかしくない。今はその大きな瞳を驚きで、さらに丸くさせ、困惑で潤んだ唇を小さく引き結んでいる。色素が薄いのだろうか。腰まで伸びる長い髪は、光の加減で茶色に煌めいている。

「どこかで見たことが……いやこんな美少女みたら忘れないわ。うーん……強いて言うならこの目の色は俺に似てるから、見覚えがあるくらいか」

 こちらも色素の薄い、タイガーアイのような瞳だ。まあ、男の俺ならタイガーアイでもいいだろうが、この少女なら琥珀といったほうが適切だろうか。それも、そこまで珍しいものでもないだろう。

「いったいこの少女はだれなんだ……。ぐ!? いっつ……」

 突然頭をストローでかき混ぜられるような感覚がして、目が回る。立っていられない程ではないが、足元がふらつくので、思わず姿見を握りしめた。30秒ほど経っただろうか。そこで不快感が嘘のよう消え去る。

「今のは……。アタシの名前は伊藤 実亜(いとう みあ)……っ、なんだ、これ」

 頭に浮かんだ言葉が、口をついて出る。これが何であるか、理解できない。理解できないはずなのだが、記憶が訴えかけてくる。伊藤実亜、これがこの少女の名前であるのだと。ただ、他の記憶が思いだせるかといえば、微妙なところだった。年齢などは思いだせるのだが、多くの記憶は膜が張ったように薄ぼんやりとしている。まるで久しぶりに運動をして身体が鈍っていて動かない、そんな感じだろうか。

「アタシか……。アタシっていう女にいい印象が無いんだよな……」

 キュウ―。そんなことを思っていると、可愛らしい腹の虫が鳴る。淡い色のカーテン隙間から、日が入っている。この年齢だ、学校に通っていれば健康的な生活をしているだろうし、朝にお腹が減るのは当たり前だ。この娘の親にはどう対応すればいいかわからないが、リビングに行けば朝ごはんにありつけるだろう。俺は、子供部屋を後にした。

すぐ目の前の階段を降りて、リビングに向かう。この身体には微妙に高いテーブルの上にはラップに包まれた目玉焼き、その横にはメモが置いてある。それを手に取る。

「なになに、(ママはさきにでかけます。ごはんはすいはんきからよそってたべてね。)全部ひらがなって逆読みにくくないか……」

 俺はこの母親の娘ではないが、身体はそうだろう。空腹を我慢できそうもないので、メモに従い炊飯器を探す。茶碗はどれかよくわからなかったので、適当な深皿に湯気の立つ白米をよそう。か弱い腕には、この位の量でも少し重く感じる。

「目玉焼きにはソース派なんだけど、ケチャップしかないな……醤油は好みじゃないし。まあ何もないよりはいいか」

 目玉焼きの下に敷かれているキャベツには、ケチャップだと合わないと思うのだが、ないものはしかたがない。ケチャップをかけていく。身体が変わり味覚も変化したのだろうか、想像以上に美味しくいただくことができた。

「食べ過ぎた……。男子大学生と少女じゃ胃袋が違いすぎたか」

 食べている途中で米が多いことに気がついたが、一人暮らし大学生の性で残すことはできなかった。椅子の上で休んでいると、ピンポーン、チャイムが鳴る。

「はーい。……あ」

 気が抜けていた。つい癖で、宅配便が来た時のように、返事をしてしまう。今は見知らぬ少女なのに、余計なことをしてしまった、そう悔いても遅かった。

「ミアちゃん、起きてるのー? ミアちゃんのお母さんに頼まれて来たんだけど、開けてもらえる」

 居留守を使うのは、もう無理だな。しかたなく玄関を開ける。扉を開けると、同じ位の少女立っていた。こちらも自分の学校では見なかった位の、真面目そうな美少女である。幼さの残る目元は優し気な印象がある。肩口で切られた、ぱっつんの前髪を揺らしている。

「おはよう、ミアちゃん。てっきり起きてないと思って早く来たんだけど、珍しいね。お母さんに外に置いてあった鍵の場所教えてもらってたんだけど、必要なかったね」

 すこし驚いたように話すこの少女は……えーっと……

「イヨちゃん、おはよう。あーっと、俺ちょっと早く目が覚めたちゃって」
「ふふっ。俺って、ふふっ、全然似合ってないよ」

 そうだ、今の俺は少女だった。普段通りに話すのは全く似合わない。少女のように話すのは気恥ずかしい。しかし、円滑なコミュニケーションをとるのと、男喋りをするのを天秤にかけて……円滑なコミュニケーションを取る。

「あはは……ちょ、ちょっとね。それで、ア……アタシっ、今日体調が悪くって……学校、休みたいなって」

 ピタ、突然額に柔らかな手が当てられる。少女、といっても女の子にいきなり接近され、身体を触られた驚きで、思わず後ずさっています。

「もう。逃げてもダメだよ。やっぱり熱ないよ。サボろうとしてもだめだよ。ミアちゃんのお母さんにちゃんと連れていくように、頼まれているんだから」

 どうやら逃げられそうにもない。よくよく考えてみれば、この家にいても今の状況を打開する方法があるとは思えない。なら学校に行っても同じではないだろうか。きっと同じはずだ。無理矢理思考を切り替える。

「イヨちゃん、ごめんって。学校いくよ……」
「よし。ご飯は……もう食べてるね。歯磨きしてきて。そしたら着替えよっか」

 どうやら伊依は、この家によく来ているようだ。洗面台の方に押しやられた。実亜の歯ブラシがどれかわからなかったが、2つあるうちの明らかに子供向けの方で歯を磨く。他人の歯ブラシだが思いのほか不快感がない。この身体のものだから、なんだろうか……。リビングにもどると、伊依が綺麗にたたまれた服の横に立っている。

「じゃあ、早く着替えよっか。服を脱いで」
「え? ええ?」

 伊依が服を着替えさせようとしているようだ。その手には、ロゴの入ったシャツが握られている。いくら何でもそれは、と思う。もしかすると、今どきは女の子同士で着せ替えするものなのだろうか。

「脱がせて欲しいの?」
「い、いや、自分で脱げるよ!」

 少女に脱がせれるのは、恥ずかしすぎる。着せられるのも、どうなんだってのはあるが、今はひとまず考えないことにする。こんなワンピースタイプの服はわからないので、頭から捲り上げるように脱いでいく。

 今の俺はパンツ1枚の姿だ。少しだけ、年齢よりも明らかに発育のいい胸が見えてしまったのだが、目をつむり見ないように心がける。こんなわけのわからない男に見られるのは、意識がないといっても嫌だろう。

「目を閉じてどうしたの? 変なミアちゃん。変なのはいつものことだった。じゃあ、服着せていくね」

 裸を見てしまう罪悪感がすごいので、着せてもらうのはよかったかもしれない。そもそも女性服の着方も俺は知らなかった。恥をどれだけ上に塗り続けるのか、足あげて、といった言葉に従いながら、伊依の着せ替え人形に徹する。

「いつもみたいに髪留めを止めてっと……うん、完成。いつまで目を閉じてるの」

 目を開けるが、できるだけ服を視界に入れないようにする。初めて履くスカートは、スー、スーと心もとない。ただ、その決意はすぐに瓦解することになる。

「カバンは用意してないよね。部屋にまだあるんでしょ。いこっか」

 手を握りしめられる。自分の手が汗ばんでないか、少し焦ってしまう。そんなことは気にも止められず、引っ張られて2階へ連れていかれる。ついた先は、俺が目覚めた子供部屋。

「あっ、やっぱりランドセルの中身昨日のままだ。もう、今日の授業はこれと……」

 母親のように勝手に世話を焼く伊依の声を尻目に、俺の視線は姿見の方へ吸い寄せられる。この髪型はツーサイドアップといっただろうか。腰まである長い髪はそのままに、その両端を濃い碧色のリボンで止めて、可愛らしさが、グッと上がっている。朝食を食べたことで悪夢を見ていた身体に血色が戻り、その魅力が何もない空間に華を添えるているようだった。そしてそれを服装のギャップでより際立てている。あまり気にしていなかったが、この少女は発育、というよりは肉付きがいいらしい。シャツが起伏で盛り上げる。そして、フリル付きのスカートはやけに短く、成長途中のふっくらとした太ももがアリアリと目に焼き付けられてしまう。

 っつ、そんな性癖ないはずだが、なんなんだこの少女は。魅力が器を超えてあふれている、とでもいえばいいのだろうか。それにしても、このスカート短すぎる。というか、そもそもスカートで外に出るなんてやりたくない。恥は重ねても、買ってまでしたいとは思わない。

「ね、ねえ」
「これで準備よし。どうしたの?」
「ア、アタシ、スカートじゃなくてズボンがいいなーって……」
「ズボン? ミアちゃんてズボン持ってたっけ? それより、あんまり時間ないし着替えてられないよ。いつも通り可愛いよ」
「か、可愛い……」

 俺の身体じゃないのに、思わず顔が熱くなる。というか、スカートしか持ってないのかよ。まあ、可愛いし、ファッションとかも興味ありそうだし、そんなものなのだろうか。

「はい、これとこれ持って。ほらランドセル背負って。行くよ」

 そのまま玄関に連れられる。この家の家主は誰なのか。実亜の母親から託された鍵で扉をしっかりと閉め、それを俺に渡される。そして、俺にとっては久しぶりの、当時の記憶とは色々と違う通学路を2人で歩く。胸がほのかに揺れる。ひらひらとスカートの裾が風ではためく。恥ずかしい。

「本当にミアちゃん起きててよかったよ……。寝たままだったら走っても間に合うかどうかだったね……」
「ご、ごめん」
「ミアちゃんのお世話を焼くのは私の役目だからね!」

 実亜と違い、無い胸を張って言われた。伊依が真面目というか、おせっかいなのは、もちろんあるだろう。それにしたって、この実亜という少女は、一体全体どんな生活を送っているのか。まるで姫のようだ。あぁ、嫌な記憶が蘇る。

「そういえばちゃんとタブレット充電した?」
「タブレット?」
「今日タブレット授業あるでしょ。まあ、ミアちゃんは覚えてないか……。ちゃんと渡した荷物の中には入れたけど、充電は確認してないから」
「タブレットって薬の? そんなわけないか。えーっと、お菓子の……辛いやつ? いや甘いのもあるか」

 タブレットで思い浮かぶのは、錠剤だ。菓子だとメンソールが入っているものが、有名だろう。たしか、ヨーグルト味の薬みたいな容器に入ったアレもタブレット菓子だった気がする。

「何言ってるの? お菓子のわけないよ。授業で使うんだよ」

 心底呆れたように言ってくる。俺が通っていたときから、10年位経っている。タブレットとは、その間にできた新しい勉強道具の名前なんだろう。おそらく知っている何かの別称だろうが、それが何かはわからなかった。

「朝から変だよ? うーん、アニメにでも影響されたのかな。なんだっけ、えーとクラスの男の子の間で流行ってる……転生モノとか見たの?」

 転生系が何であるかはわからないが、最近の流行りのアニメらしい。都合がいいのでそういうことにしよう。

「う、うん。転生系? にハマっちゃってさ」
「だから男の子の真似とかしてたんだね。男の子が女の子になっちゃうお話とかあるんでしょ」

 今の俺のことじゃねーか! 

「アハハ、そ、そうだよ」

 引きつった笑いしか出てこない。それを引きずりながら会話を続けているうちに学校に到着した。

 22 cmの白の上履きを履いて、伊依の後をついていく。自分の通っていた学校とは違うが、訪れるのは約10年ぶりだ。なにか感慨深くて、辺りを見回してしまう。施設はそこそこ新しそうだが、見慣れないものでもないかった。

 伊依が教室の扉を開く。始業にはまだ少し早いらしい。まだ2割ほど生徒が来ていないように思える。

「よかった。まだ日直の仕事をできる時間はあるみたい。ミアちゃんは黒板の日付を今日のものに書き換えて」

 どうも俺も日直のようだ。今日って何日だったか、まあ、日付を1日だけずらせばいいだろう。久しぶりのチョークを小さな指の中で回しながら、黒板の端の日付を確認する。

「あれ? 年のところもおかしいな。イヨちゃん、誰かがイタズラしたみたいだね」

 2023年と縦に書いてある。誰かが10の桁の数字を弄ったようだ。

「え? 何言ってるの。変わってないよ」
「よく見てよ。今年は2023年じゃないよ。2013年だよ」
「もう、本当に何言ってるの? 2023年であってるよ」

 いやいや、そんなはずはない。そんな、まさか……

「いまって平成25年だよね……?」
「平成って……。何年前の話をしてるの、今年は令和5年だよ?」
「うえぇ!」

 アホみたいな叫びがあげてしまう。伊依が、少しのけ反って目を丸くしてこちらを見ている。クラスの視線も一様に俺に集中する。

「どうしたのミアちゃん……? なにかあったの、イヨちゃん」

 別のクラスメイトから、腫物を触るような声を投げられる。いやいや、レイワってなんだよ。いつの間に元号が変わったんだ! というか2023年ってことは、10年も時間が経っているのってことかよ!? 

「朝から、ミアちゃん、ちょっと変なんだよね……。本当に熱でもあるの?」
「い、いや……ちょっと、寝ぼけている、だけだよ」

 こんな幼気な少女に心配されるのは、心が痛んだ。とりあえず、適当にごまかしておく。チラチラと奇異の視線を感じながら、自分の席を見つけて座る。暗闇の中を歩くように、光明が見当たらない。情報を整理しなけらばならない。

 そうこうしているうちに、すぐに教員がきて、始業のチャイムが鳴る。起立、礼……と上の空でまわりに合わせながら、頭の中では今現在わかることを一つ一つ整理していく。

 まず、俺は尾野上幹人という男子大学生だった。それが今は伊藤実亜という少女になっている。俺の記憶では2013年だったはずが、現在は2023年らしい。伊依が転生モノとか朝話していたが、それはすなわち生まれ変わりということだろう。まるでフィクションのように俺が少女に生まれ変わって、今日前世の記憶を取り戻したとでもいうのだろうか。適合しないはずの辻褄が合う、ようにも思えるが、なんとも非現実的だ。今の状況が現実敵とはいえないが……

 そこまで考えて、ふと思う。つまり俺は、死んだ、のだろうか。死、それを考えると、背筋が寒くなる、呼吸がヒューヒューと、喉に穴が開いたように不規則に浅くなる。気を保つように頭をふってから、再び男の時の記憶を思いだしていく。

 10年前の、出来事になってしまうのだろうか。俺はあの日、講義を受けるために朝から大学まで行っていた。その日は3つの講義、哲学、統計、言語系をうけた。特に統計はつまらなくて……ここに有用な情報はなさそうだ。授業が終わってから、だれかと会ったような、いや連れていかれた? 靄がかかったように思いだせない。

「伊藤さん、伊藤さん!」

 横から腕を小突かれる。なんだ? 伊藤? って、俺のことか!

「は、はい」

「授業はきちんと聞いてね。じゃあ、この問題を解いてもらえるかしら」

 黒板にあるのは分数の問題だ。0.6と1/2はどちらが大きいか。文系とはいえ、一応大学にはいっていたんだ。簡単な問題だ。そのはずなのに。

「えっと、あっと……」

 突然振られて、頭がパニックを起こす。考えようとしても、真っ白にぼやけて、答えが出ない。さらに余計焦りが生じる。

「1/2は0.5と直せるので、0.6のが大きい数ですね。伊藤さんは算数が嫌いでも、ちゃんと聞いていないとダメですよ」

 あああ、恥ずかしすぎる。今までの恥ずかしさとはベクトルの違う恥ずかしさで、顔に熱を持つ。どうやらこの光景は珍しいものでもないのか、さらっと流されて、算数の授業は進んでいく。

 というより、なんであんな簡単な問題が解けなかった。授業は上の空、焦ったということもあるだろう。それでも、わからないものではない。そこでふと嫌な考えがよぎる。

 俺はこの少女に生まれ変わったと前提を置こう。そして少女として過ごした記憶がこの体にはあり、俺はそれを少し読むことができる。そのために、俺の意識というか、そういうものが、その記憶に犯されてきているのではないか。いや、俺の方がこの少女の身体を犯すバグなのかもしれない。それでも……思う。俺が消えてしまうのは、あの思いだせない朝の悪夢のように、恐ろしいと。

 どうも、その考えが顔に出ていたようで、実亜の友達に心配されてしまう。ただ、いまさら家に帰ろうとも思えない。一人になってしまえば、恥を捨てて発狂してしまいそうだ。いつのまにか流れた10年のように、時間は勝手に流れて授業も進む。わからなかったタブレットとは、大きいスマートフォンのようなものだった。未だ車は空を飛ばないが、テクノロジーの発展に驚かされる。そして、給食。俺の嫌いな切干大根を残していたら、笑われてしまったが、どうやら実亜自身も嫌いだったらしい。そうして昼休みになる。

「う……ちょっとトイレに」

 朝からいままで一度もトイレに行っていないことを思いだす。さすがに尿意が限界だった。一緒に会話していた友人にそう言って、椅子から立ち上がる。

「体育の前に、私も行くよ」

 伊依もついてくるようだ。いわゆる連れションだ。伊依の後ろを歩いて、トイレに向かう。

「じゃあ、アタシはこっちで」
「ちょっと! ミアちゃん、そっちは男子トイレだよ」

 今の俺は女だった。

「アハハ……アタシ、ボケーってしてた」
「もう」

 ごめんなさい、となにかに謝りながら、初めての女子トイレに侵入する。小便器がないだけで、男子トイレとそこまで変わらなかった。なんというか、こう、興冷めみたいな気分になる。少女サイズの小さな扉を開けて、個室に入り鍵を閉める。

「えーと……っつ、パンツおろして。スカートはこのままでいいのか? ま、まあ、これでいいか」

 便座に腰をおろすと、あまり気分のよくない冷たさを感じる。別に自慢のモノというほどではなかったが、イチモツがなくなってしまったのは心苦しい。ホースがなくなってしまったので、排尿もどうすればいいんだという感じである。しかし、尿意をずっと我慢し続けていたおかげか、下半身の力を抜くと、タラタラと尿が外へ流れ出てきた。

「んあっ」

 排尿の感覚に、おかしな声がもれてしまう。なんだ、この感覚。我慢した先の排尿が気持ちいい、というのは男のときでも経験がある。ただこれは、それとは明らかに違う。尿道に感覚が通っているかのように、尿が流れ出る感覚で下半身がフワフワとしてしまう。その感覚で余計に力が抜けて、尿の勢いが増し、さらに敏感になっていく。

「あふぁ……」

 気持ちよさで頭がぼーっとしてしまう。口が開いて、また、マヌケな声がもれ出た。女性の放尿はこんなにも気持ちのいいものなのだろうか。いや、絶対に何かがおかしいと理性が告げる。しかし、何がおかしいのか、わかるわけもなかった。

 コンコン、目の前の扉からノック音が響く。

「ふぇっ」
「時間かかりそう?」
「あ、いや、もう出るから」

 どれだけ放心してたのだろうか。あの声は隣の伊依に聞かれていなかっただろうか。すでに放尿は終わっており、便座から立ち上がる。そのままパンツを履こうとして、ふと思い至る。女性は排尿のあと、ココを拭くのではないか。

 濡れたままにするわけにもいかない。意を決して、トイレットペーパーをグルグルグルグルと何重にも巻き取る。正しい拭き方なんて知る由もない。それを下半身に押し当てた。

「ひゃ」

 ぴりっと甘い感覚。拭き方を間違えたようだ。外には伊依が待っている。早く出なければならない。恥ずかしい感覚を何度も味わいながら、ポンポンと押し付けて水分を拭い取っていく。

「おまたせ……」
「なんでか疲れ果ててない?」

 声については何も言われることはなかった。

「次は体育だし、早く着替えちゃおっか」
「体育? え、体操服着てないけど……」
「朝渡した手提げ袋の中に体操服は入っているよ。もうみんな向かっているかな」

 教室にはいる人数は、トイレに行く前より少ない。ただ、先ほどまで話していたクラスメイトはまだ机に座っていた。

「ごめん、待った? じゃあ更衣室に行こうか。ほら、ミアちゃんはこれをもって」

 手提げ袋を渡される。少し押してみると、たしかに衣類が入っているようで、ふかっとした感触がする。

 更衣室ということは、今から着替える、ということだろう。俺の時は朝から体操服を着ていったのだが、ここでは違うらしい。うぐぐ……、少女の裸を見ても興奮するわけではないが、少しだけ足取りが軽くなってしまう。それと相反する罪悪感が、腕の振りを遅くする。できるだけ周囲を見ないように着替えよう、そう心に決め着る前に、更衣室の扉が開かれた。

 スゥ、と息を飲む。着替え途中の裸が、目に飛び込んできた。あらぬ方向に首を曲げて、自身のロッカーの前にたどりつく。伊依に朝、着せ替え人形にされたので、ざっくりと服の構造は把握した。ここでも同じことをされぬように、そそくさとを服を脱いでいく。パンツ1枚になったところで、ふと周りからの視線を気がつく。何かおかしな点でもあったのだろうか、伊依の方に顔を向けた。

「ミアちゃん、胸大きいよね」
「アタシのオッパイ、たしかに大きいね……?」

 反応に困ってしまう。目に入る限りでは、一番大きいのは間違いない。

「そういえば、ブラはしないの?」
「ブラ……えと、今度買ってもらおうかな」

 男だったから、今まで気がつかなかった。なぜ実亜はブラジャーを着けていないんだ。クラスで一番胸の大きい自分は着けていないのに、他の少女は着けている。胸の揺れが気になってはいたが、下着を着けてなければ、それはそうだと頷くほかない。あいまいに笑いながら、まごつく手を動かして体操服を着て胸を隠す。

 ブラをしていないと言われてしまい、胸の方に意識が向いてしまう。そうして気がついてしまう。これ、乳首が透けて……。

「なぁぁ……」

 男でも乳首がシャツに浮いていたら、羞恥を覚える。少女ならば、犯罪染みたものだろう。トイレの一件のせいで、乳首が勃ってはいないか、これ。そんな思考が駆け巡り、よりそこを意識してしまう。

 意識が胸の先端に集中してしまい、ピリピリとした疼きを覚える。猫背にゆっくり歩いても、プニプニとほのかに上下する胸。体操服の荒めの裏地と擦れて、頭の奥がふわふわと浮つく、また変な声をだしてしまわないか、口が自然と引き結ばれた。腕を胸元において、周囲の視線から避けるように、本日最後の授業へ向かった。

 ぎこちない動きで準備体操をしていると、逆に胡乱な目つきを伊依に向けられてしまう。実亜の身体は運動神経が良いらしく、さらにとても柔らかい。そのせいで、大きく身体を動かしてしまい、胸が揺れて、誤魔化していく。その繰り返しで、無駄に体力と精神力を消耗してしまう。

「じゃあまずはボールを蹴る練習から」

 本日の体育はサッカーのようだ。これは楽しめそうだ、少しだけ口元が緩んだ気がした。高校時代はサッカー部、大学のサークルでも、楽しむ程度にはやっていた。身体は小さくなっても、この身体のもつ運動神経の良さで、思い通りにボールを伊依にパスできる。そうこうしているうちに、試合が始まった。

 男子に混じりながらもハットトリックを決め、もうそろそろ授業も終わりかというところ。打ち上げられたボールを胸でトラップしようとして、

「ひあ」

 ビクンと背筋がはねて、うずくまってしまう。調子にのりすぎていた。スポーツの熱気で身体は興奮していた。そのせいで、性的ではないにしても乳首がさらに勃起していたらしい。そんな状況で胸でボールを受けたら、何が起こるかは明らかだった。乳首がボールで圧迫され、痺れるような快感が身体を襲う。

「大丈夫、ミアちゃん?」
「ちょっと、失敗したみたい」

 口元が変に緩んでいるかもしれない。顔を伏せて声をかけてきたクラスメートに返事をする。何事もなかった、そう装いながら、胸元に手を置きながら立ち上がる。

「はーい、今日の授業はこれでおしまいです」

 タイミングよく授業がおわった。あとは、帰りの会を終えて帰るだけだ。そう、それだけのはずなのに、あと少しだけだから。

「くっ、はぁ……はぁ……、ん」

 熱のこもった呼吸が止まらない。先の一件で、この身体の変なスイッチがONになってしまったらしい。身体がジクジクと熱をもって、ゾクゾクした疼きが収まらない。頭がのぼせたようにふやけて、転生のこととか考えなければいけないことがあるのに、思考がまとまらない。普段の半分くらいしかはっきりしない意識で、教員の話を聞き流す。

「ごめん、みんなは先に帰ってて。ミアちゃん、ちょっとこっちに」
「あ、うん。バイバイ、イヨちゃん、ミアちゃん」
「あっ……なに、どうしたの」

 帰りの会が終わり、帰ろうとしたところで伊依に腕を捕まれた。そこすらも性感帯になったように、ゾワゾワとする。ギリギリ、声を出すことを防ぐことができた。連れてこられた場所は、人気のない教室だった。まだ外は明るいはずなのに、立地のせいか日当たりが悪く薄暗い。なぜか興奮を高ぶらせてしまう、どこか怪しげな雰囲気がこの部屋には漂っていた。

「ねえ、今日はオナニーしてないの? 我慢はよくないって、いつも私に言ってるのにどうしたの。すごい苦しそうだよ」
「オナっ!?」

 俺が発情してることを伊依に見抜かれていた、そんな驚きをはるか彼方へ吹き飛ばす、発言。耳を疑い、言葉に詰まる。

「そんな驚いた顔してどうしたの。本当に変だよ」
「オナっ、オナニーて。何を言って。そんなことまだ早い、というか、ダメだよそんなこと言っちゃ!」

 真面目だ、そう思っていたこの少女は、とんでもなくませた、変態少女だったらしい。お節介だと思っていた行為も、そういう趣味だったのかもしれない。

「いつもと真逆のこと言ってるよ、ミアちゃん。一回イかせたら、落ち着くかな。今日は塾があって早く帰らないといけないんだけど……少しだけだよ」

 ぷくっと、はっきりとシャツに浮き出た二つの乳首を、小さな手で摘ままれる。驚きで、一瞬頭が真っ白になる。そして、次の瞬間。

「ひゃうんっ」
「初めてみたいな反応……ふふ、すごく可愛い」

 乳首から甘い快感がトロトロと垂れ流される。頭のふわふわした心地よさで力が抜けて、口が閉めることはもうできそうにない。涙で歪む視界の先で、伊依が聖母のように微笑んでいる。しかし、それは少女に似つかわしくない、卑猥さが見え隠れしている。その笑顔のまま、俺への性的行為は止まらない。クニクニ、いったいどこで学んだのか、快感だけを的確に伝える、淫らな運指。

「んうぅっ、ひあぅ、ね、イヨちゃ、んぃ、や、やめて」
「いつもと違うから、私楽しくなってきちゃった。イヤって言葉はもっとして、何だっけぇ?」

 口から唾液が垂れ、伊依の服に薄い染みを作る。それすらも楽しそうに受け止めている。頭の中が快感でいっぱいになる。脳の機能が快感だけを処理するように、それ以外のことが何も考えられなくなる。

「乳首、気持ちいい、あぁぁ。はぁ、ふあぁっ」
「ふふ、簡単に気持ちいいの認めちゃうんだね。うん、いつものミアちゃんだ」

 楽しそうに発せられる伊依の声、澄んだ小川のような声。それが耳を甘くくすぐり、脳に溶け込んでいく。頭うめていくピンクのモヤが、さらに増えていく。足が蟹股に開かれていくが、そのままへたりこむことを許してはくれない。

「じゃあ、もうひと刺激、これでイっちゃおうね。ほら口を私に向けて、ちゅうっ」
「ん!?」

 何をされたか理解できなくて、一瞬だけ思考が停止する。薄く小さいけれど、果汁たっぷりのゼリーのような唇。目の前いっぱいに広がる、伊依の赤らんだ顔。俺はキスをされたんだ。それを理解してしまって、腹の奥底から、とろけてしまいそうなほど甘い感覚が湧き上がる。

 間近で弾ける、グチッ、グチュという破裂音が耳に響く。口腔内に侵入した舌が、俺の舌へと絡みついて離れない。それはまるで、舌単体が別の生き物であるかのように、波打つような動きで熱を伝えてくる。でキスの経験がないわけではない。しかし、こんなものは知らない。同じものとは思えない。犬のようにだらしなく伸びきった舌では、なすがままに蹂躙されるだけだった。

 封じられた口では喘ぎ声を漏らすことはおろか、呼吸をすることも許されない。酸素を求めるように、喉が鳴る。頭が白く、ぼやけていく。熱をもった目頭から、たら、と涙がながれ始まる。だけど、それなのに、ああ、身体は歓喜で震えだす。そのタイミングを見計らったかのように、乳首を強く摘ままれた。

「んぐぃ、あ……あ……あ……」

 情けないほどに、上擦った声。身体がガクンッ、と跳ねた。塞がれていた唇は伊依の元から離れて、頭は何もない天井のほうを勝手に向いてしまう。脳が処理落ちしてしまったように、目の前が歪んで映るものすべてがわからなくなる。俺、イったのか……。これが、女の絶頂……。

 倒れないようにと、いつのまにか伊依に身体を支えられていた。だんだんと頭に理性が戻ってきたようで、そのことが理解できた。気絶していたようだ。おそらくほんの少しの間だろうと思う。男の俺が出しているとは考えたくない、甘ったるい呼吸をわざとらしい咳で整える。

「少しはすっきりした?」
「う……うん」

 伊依の顔は見られなかった。その顔を見たら、羞恥で頭が燃え上がってしまいそうだ。そして、目の前の少女がなぜこのような行為におよんだのか理解ができなくて。理外の外のもの、化け物のように思えてしまった。

「うん、これ以上は無理かな。本当はもっとしたいんだけどね……塾がね。それに昨日、ミアちゃんのお母さんも早く帰ってきて欲しい、みたいな雰囲気だったんだよね……。うん、今日は、これでおしまい」

 それは自分に言い聞かせるような口調だった。俺の呼吸がある程度整うのを待ってから、俺の手を取って廊下へとむかう。行きよりも少しだけゆっくりとした歩調。突然、トイレの前で止まる。

「やっぱりミアちゃん全然満足してないよね」
「えっ」
「今日のミアちゃん、すっごく可愛いから、私がこのままやると真っ暗になっちゃいそう……だから私は帰るから! ごめんなさい。ミアちゃんはトイレオナニーで我慢して」
「い、いや」
「さようなら、ミアちゃん。お母さんが待っているから、ほどほどにね」

 にわか雨のように一人で話して、伊依は走り出した。廊下を走るその姿に、真面目な面影は一切ない。この現状が理解できないが、おそらく誘惑を振り切ろうとしているのだろう。ただ、少し走っては、後ろ髪を引かれるようにこちらを振り向いていた。

「アタシは……大丈夫、だから」

 バイバイと、手を横に振ってやる。それで決心がついたのか、そのまま振り返らずに廊下を降りていった。このまま俺も帰りたいのだが、すぐに出口へ向かうと、伊依と出会って気まずいだろう。トイレオナニー? そんな恥ずかしいことをするわけがない。頭を左右に振ってから、何度か深呼吸をする。その数分後俺も学校を後にした。

 帰り道。登校で一度通ったうえ、複雑な道でもないので、実亜の家までのルートは覚えている。本当に幸いだった。早く家に帰りたい。実亜の家に何の感慨もないので、恋しいわけではない。このまま、外にいるのはマズイ。

 伊依の言うとおりだった。身体は全く満足していなかった。男は射精したら一度きりだが、女は何度も絶頂できる、そんな話を飲み会の猥談で聞いた覚えがある。それは事実のようだ。一回イっただけでは、身体の昂ぶりは引かない。むしろ下手に絶頂を許した分、余計に身体がピリピリと疼いてしまっている。そのせいで、なぜかブラジャーの着けていない胸元には、勃起した乳首が隠しようもなく自己主張をしている。それが、服とこすれて膝がガクガクしてしまう。

 顔もひどいことになっているだろう。頬全体が火照って熱い。口を閉めようにも、勝手に開いて、唾液が顎を伝ってしまう。視界も、ふわふわと浮き上がるように揺れている。完全に発情しているのが一目瞭然だ。周囲の人にバレてしまう。その恥ずかしさが、欲しくもない身体の熱へと変換されていく。

 何事もなく家まで着いたのは、類稀なる幸運だった。いや、バレてはいたのかもしれない。人の視線を感じた気が……その考えを頭をふってかき消す。カバンの中から、朝に伊依から渡された家の鍵を取り出す。とりあえず、子供部屋にいってオナニーしよう。見知らぬ少女の身体でそんなことをしたくはないのだが、このままだと頭がおかしくなってそいまいそうだった。扉を開けると、朝にはなかった黒のヒールが目に入る。

「母親が帰ってきているのか……伊依がそんなこといっていたな。挨拶したほうがいいよな。ただいまー」
「おかえりなさい」

 その声に、冷や水をかけられた感覚がした。頭が一気に冷える。タン、タンと廊下を歩く音が聞こえる。ここにいてはいけない。そんな虫の知らせが聞こえる。しかし、足はセメントで固められたかのように動かなかった。

「うふふ、みーちゃん」

 この女は……

「いや、みーくん。本当に久しぶり。あぁ……ずっと待っていたわ」

 うっとりと恋する乙女のような顔をむけてくるこの女は、俺を殺した女だ。










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