曖・昧・Me・Mine? 作: 夢見夜七葉 時計の針が10:30を告げ、チャイムが響く。教室やグラウンドからは生徒たちの挨拶が聞こえだす頃だというのに、校舎裏に人影があった。 「はぁーだりぃ。あんなの聞いてられっかっての」 着崩した学ランに金髪、絵に描いたようなヤンキーといった容姿の男。彼は相楽隆二、高校2年生。現在絶賛反抗期中、先生の言うことにも聞く耳持たず、そのくせ腕っぷしはやたら強ので、かなり厄介がられている。 「お前もサボりか?」 「圭介!もう来てたのか!」 そこには既に、隆二の不良仲間である二宮圭介の姿もあった。彼は片目が隠れるほど長く伸ばされた髪が特徴で、喧嘩の腕は隆二を上回るという。 この2人はセットで、いわゆる札付きの悪としてこの地域一帯に名を轟かせていた。 「そろそろお前が来る頃だと思ってな」 「流石は圭介、よくわかってるじゃんか!」 この2人は、今こうしているように度々校舎裏に集まっては、煙草を吸ったり、次の喧嘩相手について作戦会議をしたりと、まさに不良らしいことをしていた。 「最近暴れてないだろ、俺たち。東高にでも殴り込みに行こうじゃねえか」 クールな笑みを浮かべながら圭介が提案する。隆二は全力で肯定した。 「おお!最近ババアもうるさくてイライラしてたんだ!せっかくだから派手に爆竹とかやっちまおうぜ!」 「はは、いいなそれ。お前らしい」 ちなみに彼の言うババアとは母のことである。実は母子家庭で母のことは大切にしているが、反抗期の彼にそんなことは関係ないのだ。 「だろー?楽しみだぜ」 「今夜の……」 ポキポキと指を鳴らす隆二、それに何か言おうとした圭介が急に停止し、顔を真っ青にしながら叫んだ。 「お、おい!隆二!!上見ろ!」 「あ?上がどうかしたか……」 圭介が指差した先にあったのは、校舎2階理科室の非常階段。それと、その柵を今にも乗り越えようとする女子生徒の姿だった。驚愕するヤンキー達。女子生徒も校舎裏に目撃者がいたことは想定外だったのか手を滑らせてしまう。 「うわあああ!!!」 「ええええっ!!」 オノマトペで表すならば「ガッチーン」とでも言うべき音とともに、2人の人間が地面に倒れ込んだ。 「やっべえ!とりあえず救急車!」 それを見た圭介の迅速な判断により、すぐに救急隊は駆けつけた。サンレン音を聞いた教師や生徒達により、一命を取り留めていることが判明した2人はすぐに搬送された。 「あああああ!!!!……クソっ!!!俺がもっと早く気づいていればッ……!」 静まり返った空気の中に、圭介の取り乱した声だけが響いて、消えた。 そして、隆二が次に目を覚ましたのは病床の上だった。彼らが救急搬送されてから、丸一日経ってからのことである。 「あれ……なんだここ……うっ!!すげえ頭がいてぇ!!あとなんかくせえ!」 飛び起きて早々叫んだ隆二は、大きな違和感に気づいた。 「……なんか、オレの声おかしくねえか?それにすげえ体が重い。頭の後ろと胸がすげえ重い。どんな怪我しちまったんだ俺……んん?」 自分の体を確かめようと下を向く。そこには見慣れぬ双丘が存在していた。恐る恐る軽く指でつっつき、すぐに手を離す。ふにっとした感触が指に残った。 「あれ?よく見えねえけど、これはまさか、おっ、おっ、おっぱいなのか?本物?マジ?でもなんで?」 目の前に触れるおっぱいがあっても、それが仮に自分の身体にくっついていたとしても、彼は無遠慮に触れない。何故なら、彼は不良の癖に、貞操だけは守り抜いていたのである。要するにヘタレだったのだ。 「クソっ、でも、こんなチャンス2度とないかもしれねえ。勇気を出して」 「あ、あの」 自らの胸に広がるそれに思い切り手を伸ばそうとするも、何者かの声によって阻まれた。 「ああん!?」 「ひいい!!ごめんなさい!!」 隆二が怒鳴りつけると、その男は謝りながら縮こまった。 「なんだてめえ男のくせにうじうじしやがって!……って、お前の顔、めちゃくちゃ俺に似てるな!面白え!」 隆二が笑いながら指さした先には、金髪の男がいた。その顔は、まさしく隆二そのもの。 「い、いや、似てるっていうか、多分、本人、なんですよ」 「は?」 恐る恐る、言葉を選びながら、金髪の男は話す。しかし、隆二は何を言われているか理解していない様子だ。 「だ、だからその、め、眼鏡かけて、あ、これ鏡、見てください」 次はどうしようかと考えた後、男は黒縁眼鏡と可愛らしい手鏡をおもむろに取り出し、隣のベッドに渡す。それを受け取り、覗き込む隆二。 「鏡だぁ?何言ってやがる。いかにも地味な女の顔が映ってるじゃねえか。にしてもなんだこれ、女の顔が動いてやがるな、しかも俺が喋るのと同時だ!本当に鏡みてえじゃん!」 鏡を見て、変な顔をして遊ぶ隆二。その姿は、完全に女子のものであった。 「あ、あの、それ、本当に鏡ですよ」 「……は?」 「うつってるの、あなたの、顔、です。い、いや、正確に言えば、私の、なんですけど?」 女子の姿の隆二と、金髪の男。お互いに何を言っているのかわからなくなり始めた。 「つまりどう言うことなんだよ!!!」 「ひぃぃぃ!!」 痺れを切らした隆二が叫び、男は裏声で悲鳴を上げた。さらにそこに入室してきた者がいた。 「それは僕が説明しましょう!」 高らかに宣言したのは、白衣と眼鏡が似合う壮年の男性だった。 「誰だお前!」 「僕は高島康作。君たちの主治医です!今君たちに起こっていることについて説明と、今後についてお話をさせていただきます。インフォームド・コンセントというやつですね!」 「は、はい」 高島医師の雰囲気に飲まれ、2人は大人しく話を聞き始めた。 「結論から言いましょう。相楽隆二さんと深月優菜さん。現在2人の間では、人格置換症という現象が落ちています。いわゆる『入れ替わってるー!?』というやつです」 2人の最初のリアクションは沈黙、からの困惑であった。 「はあ?なんだよそれ?そんなハクションみたいなことあるわけねえだろ?」 「それをいうならフィクションですね。しかし、これは現実なんですよ。大体100万人に1人いるかいないかという症状なので、理解できないのも無理はありません」 「な、なんでそんなことに?」 「深月さんが落下した時、たまたま下にいた相楽さんと、頭部同士が激突しました。この瞬間、お互いの脳から発せられる波動のようなものが誤って相手の脳に伝わり、僕たちが『精神』と呼んでいるものが逆になってしまう、という現象がごく稀に起こるんですよ。これで症状はおおまかに説明しましたが、何か質問はありますか?」 「もう何もかもわかんねえから何も聞けねえよ」 優菜になった隆二のほうは、もうお手上げ状態、一方、隆二になった優菜は控えめに手を挙げた。 「あ、あの、私たち、元に戻れるんですか?」 「あ、そうだよ!さっさと戻せ!」 その質問を聞いた高島医師は、先ほどとは打って変わって真面目な顔になった。 「……落ち着いて聞いてくださいね」 病室の空気が少し張り詰めた。 「……戻る方法は、現代の医学では解明されていません」 「え……」 「この病気は症例が少なく、研究が進んでいないのです。だから、戻れないと、そう思っていただきたい」 「……なんだよそれ!じゃあ俺はこの体のまま一生過ごせってことかよ!!!」 隆二の行き場のない怒りの矛先は高島医師に向かい、その胸ぐらに掴みかかる。しかし、貧弱な優菜の腕では力が足りず、簡単に制止されてしまう。 「難しいかもしれませんが、ここは気持ちを切り替えていきましょう。奇跡的に命は助かったんですから、生まれ変わった気分で、新しい人生をスタートするんです」 「うわああ!!!なんでだよっ、くそっ、涙が止まらねえよ……!!」 弱い肉体になってしまった隆二は、怒りと悔しさに打ちひしがれ、嗚咽する。 「……新しい、人生……」 しかし、優菜はというと、一条の希望を見出していた。そもそも自分の肉体など捨て去ろうとしていたからだ。 「今後のことですが、なんと直接衝突した頭部以外は奇跡的に軽傷で住んでいたため、1週間もすれば退院できるかと思います。だから、それまでに2人で、よく話し合うといいと思います。情報交換とか、今後の方針とか。では僕は、この辺で失礼しますね」 そう言って、高島医師はこの場を去った。残された2人は、数十分間黙り込んでいた。 そんな時、病院に相応しくない、ドタバタとした足音が聞こえ、何者かが部屋に飛び込んできた。 「おい隆二!大丈夫か!」 「圭介!来てくれたのか!」 隆二は、優菜の体であることなど忘れて友の名を叫んだ。しかし、圭介は隆二を睨む。 「ああ?誰だお前」 「い、いや、なんでも、ねえ」 その気迫に押されてつい黙り込んでしまった隆二。いつも喧嘩相手がこのような眼光を受けていたのだと悟り、少しだけ過去の行動を反省した。 「そんなことより隆二だ。まあ頑丈なお前のことだから無事だろうと思ったが、よく生きてたな」 「え、えーと」 圭介は、隆二の肉体を持つ優菜に話しかけるが、当然優菜は圭介のことなど、怖い不良だという噂でしか知らない。 「なんかお前らしくないぞ、頭ぶつけた時にネジでも飛んじまったか?」 おどおどしている隆二を心配した圭介が声をかけるが、反応が薄い。しかも横から、 「はあ?誰がロボットだっつーの」 と、横から優菜の声でツッコミが入った。 「いやお前には言ってねえよ……」 「あっそうだ!今こいつの体だった!」 新しい肉体に慣れていない2人はチグハグな言動をしてしまい、なんの説明もない状態でそれを見た圭介は頭の中に疑問符が沢山浮かんでいた。 「クソっ、調子狂うな……とりあえず死んでないのはわかった。まあお前のことだし食って寝てりゃ治るだろ。また来るわ」 彼はこの状況に耐えられなくなってしまったのか、足早に去っていった。こうしてまた病室には2人だけの空間が戻ってきた。 「なあ、オレ達、戻れないんだよな?」 最初に口を開いたのは、優菜となった隆二のほうだった。親友の顔を見て安心したからか、先ほどより声が明るい。 「そ、そうやって、先生が、言ってました……」 「やっぱそうだよな!なら話は簡単だ、ウジウジ悩んでるなんてらしくねえ!体が変わろうがオレはオレらしく生きる!」 「は、はい?」 「とりあえず自己紹介しようぜ!オレは2年3組の相楽隆二、特技は喧嘩で、趣味はゲーム。最近はずっと圭介とつるんで楽しくやってるぜ!次お前の番!」 先ほどまで思い悩んで泣き叫んでいた人が、急に明るくなったことに優菜は困惑している。しかし押しに弱い彼女は、こういった流れには逆らえない。 「え、えっと、1年5組の深月優菜です……と、得意なこととかは、特にないです……」 「もっとなんかないのかよ?今更隠すことなんて何もないだろ?」 「ひぃぃ!」 「わ、悪い。怖がらせるつもりじゃなくて……」 側から見たら、完全に優菜が隆二をいじめているような光景である。実際は逆なのだが。 「やっぱり、知っておきたいじゃんか。これから生きるためにも」 怯える自身の姿をもう見たくないの隆二は一旦落ち着き、可能な限り優しく接する。それが聞いたのか、優菜はゆっくりと言葉を絞り出した。 「……えっと、あの……クラスでは、いじめられてて、それで、もう死にたいって、ずっと思ってました……それで、あの時……ごめんなさい!全部私のせいなんです!私があんなことしなければ相楽さんにも!」 そういう彼女の、または彼の目には涙が溢れていた。それを聞いていた隆二もつられて涙をこぼした。 「……クッソぉ、オレの顔で泣くんじゃねえよ……」 「さ、相楽さんだって、わ、私の顔で泣いてます……」 「……いや、もうそれはオレの顔じゃねえんだよな、オレはもう、相楽隆二じゃなく、深月優菜になっちまったんだ……」 「……そう、ですよね。これから、慣れていかないと」 その後も、お互いの好きなものや家族構成、普段のルーティンにこれまでの思い出などの情報を交換しあった。さらに退院前に連絡先も交換しておき、何かあったらお互いに教え合う、ということになった。 それを隙間で見ていた高島医師は、静かに微笑んでいた。 それから数日後、2人は無事退院した。 「クッソー、なんでオレがブラジャーなんてつけなきゃいけないんだよ……」 「つ、付けないと揺れて痛くなっちゃうんです……」 「あとトイレも慣れねえよな、立ちションが恋しいぜ」 「ちょ、ちょっと、私の口でそんなこと言わないでくださいよ……みんなの前でオレとかだぜとか言われたら恥ずかしくてもう一回死にたくなりそうなので……」 「ああ?今はもうオレ、じゃなかった、アタシの口なんだよ」 と、このようにいくつか苦戦していることはあるものの、なんとかお互いの体での生活に適応することができていた。さらに、高島医師より、家族など周囲の人間には、脳の損傷から記憶障害が出たと説明されているため、多少の違和感はあっても気にしないでおいてくれる。 「じゃあ、オレは……アタシはアタシらしくやるから。お前もお前らしくやれよ。暇なら昼休みにでも会おうぜ……じゃなくて、会おうね?ああもう、めんどくせー!」 この日は、入れ替わった状態で初めて学校に行くことになった。優菜になった隆二は、女子制服になっても変わらず着崩しており、ついでに眼鏡はやめてカラーコンタクトを入れている。逆に隆二になった優菜は、金髪だった髪を黒に戻し、制服はしっかりと着ている。おそらく、誰が見ても元の2人だとはわからないだろう。 「大丈夫かなぁ……」 不安そうな顔をする優菜の前に、見慣れた男が現れる。彼女の精神からしたら、毎日律儀にお見舞いにしてた人。そして肉体からしたら、唯一無二の親友。 「待ってたぞ隆二。って、なんだその格好」 圭介は自分の目を疑っていた。入院中の様子から既に隆二が大人くしなったと思っていたが、ここまでとは予想していなかったのだ。 「よ、よう、圭介」 そんな圭介の空気を察してか、なんとか隆二っぽく挨拶しようとする優菜。しかし、それで親友の目は誤魔化せなかった。 「……まだ調子出ねえのかよ、お前らしくもない」 「ご、ごめん」 「……チッ……白けるぜ……」 不機嫌そうになった圭介は、そのまま校舎裏の方へ去っていった。隆二はそれをただ寂しそうに見つめたのち、「行こうぜ」とだけ言って、その後は黙って優菜と共に校舎へ入っていった。 教室に着いた隆二は、信じられないものを見た。 「……おい、なんだこの花」 隆二の、いや、深月優菜の机上には、花瓶に入れられた花と、寄せ書きメッセージのようなものが置いてあった。 「楽しかったよ、ありがとう、天国で幸せになってね、だぁ?おい、オレ……じゃなかった、アタシがいつ死んだって?」 これに込められていた悪意は、馬鹿な隆二でもわかった。入院した友へのメッセージではなく、もう死んだはずだと、何故死んでないのかというような思いを込めた、言うなればお供物だと。 「何無視してんだよコラ、さっさと出てこい、ぶん殴ってやるから」 教室全体を睨め付ける隆二。その眼力は、不良少年であったころとなんら変わらない迫力。しかし、それに怖じない人物が1人。いじめの主犯格であった、稲村美礼という女子だ。 「今日は随分よく喋るね……あなたの立場、わかってる?」 このクラスの中では断トツで頭が良く、実家も太い。そんな自信からくる、「絶対に自分の方が上だ」という態度。隆二はそれが、大嫌いだった。 「ンだとてめえー!」 怒りのまま、美礼の胸ぐらを掴む隆二。それを見て一瞬驚いた顔をするも、彼女はすぐに作戦を切り替えた。 「いやああ!暴力よ!先生!」 「何だと!?」 この状況だけならば、隆二の立場は圧倒的に不利であることは明白だった。 「あっやべっ!」 三十六計逃げるに如かず。隆二は、筋肉などほとんどないような細い足で全力疾走する。向かうべき先はただ1つ。そこは教師すら恐れる場所。 「はぁ……はぁ……あぶな、かった……」 息を切らしてたどり着いたそこに、いつも通り彼はいた。 「ん?隆二……じゃないか。お前は確か、隆二と一緒に入院してた……」 「いや、オレは……」 自分はもう隆二ではないことを認めたくはなかった。しかし、もうそんなことを今更言っても遅いことは、彼自身が誰よりもわかっていた。 「アタシは、深月優菜。ちょっと匿ってよ、センコーに追われてるんだ」 「追われてるって、何したんだよ」 「アタシが死んだみたいに机に花とか置かれててさ、マジでムカついたからちょっと脅してやったら、チクられてこのザマだよ」 もう女っぽい喋り方にもなれ始めてきた。優菜と2人きりの時や、先ほどのように怒った時には素に戻ってしまうが。 「ふーん、意外と派手なことするんだな。そういや、お前、もうちょっと地味な見た目してなかったか?」 「それは、アレ、イダテン、的な?」 「……もしかしてそれ、イメチェンって言いたいのか?」 「そう!それそれ!」 「ははっ、なんだよその言い間違い」 「べ、別に間違いくらい誰にでもあるでしょ!」 体は変わってしまったが、隆二にとっては、いつも通りの、なんてことないやりとりが帰ってきたように思えた。圭介にとっても。 「病院にいた時から思ってたけど、お前隆二そっくりだよな。その喧嘩っ早いところとか、適度なアホさとか、本当に」 「そ、そうか?」 隆二は、本当は「オレが実は隆二で、こいつと入れ替わったんだ」と言いたかった。しかし、こんなことを圭介に言えば、友達を馬鹿にしたと思われかねない。彼はクールなようでいて、繊細な男なのであることを誰よりも知っていたからだ 「アイツは、どうしちまったんだろうな?」 朝見せたような寂しそうな顔で俯き、圭介が呟いた。こんな姿を見たのは、今日が初めてだった。むしろ隆二が落ち込んでいた時、励ますのが彼の役目だった。しかし、"隆二"はそうでも、"優菜"は違った。……隆二ではなく、優菜にだけ見せてくれる、圭介の弱みを、見てしまったから。それを見て、お腹の奥のほうがほのかに温かくなるのを、感じてしまったから。 「きっと頭打ってちょっとおかしくなっちゃったんだよ。でも、大丈夫。アイツは、アイツらしくやってくれるはずだから」 今の自分の想いを、精一杯ぶつけた。親友から、一度他人になったことで初めてかけられることばだった。 それを受け取った圭介は、顔を上げ、優菜を真っ直ぐ見据えた。そして。 「……なあ、この後時間あるか?」 「あるけど」 「よし、デートしよう」 「おう、デートね。……デートぉ!?」 一方、その頃、隆二になった優菜の方はというと、普通に授業を受けていた。机に落書きはなく、物がどこかになくなることがなく、ちょっと怖がられたり「誰?」という目で見られたりすることはあるものの、以前よりは快適な学校生活を送っていた。 「じゃあその3番のcosを求めよ。これの答えを、相楽くん、お願いします」 「は、はい」 まずここで、教室がざわめく。そもそも相楽隆二は、数学は99%寝ていたからだ。普通に授業を受けている相楽隆二自体が相当レアなのだ。 「えっと、5分の2√6です」 「せ、正解です!」 それを聞いたクラスメート達から、問題を正解するだけで拍手が起こってしまった。 「うそ!?相楽が普通に答えてる!?」 「すげえ!もう雪どころか蛙でも降ってくるんじゃね?」 「ええ……」 不良生徒が奇跡の更生を遂げたとして、この話は瞬く間に学校中に広まった。なお、本人は「私の体の方、大丈夫かなぁ」ということで頭がいっぱいで、気にも留めていなかったのだが。 そんなふうに、2人は新たな人生をスタートさせたのだ。 それからはあっという間に時が流れ、気づけばあの事故から1年が経とうとしていた、ある日。 とある難関大学で合格発表があり、学生たちは一喜一憂していた。 「……4620番……あった……やった!」 かつて札付きの悪として恐れられていた彼は、ある時を契機に奇跡の更生を果たした。そして、かつて彼に手を焼いていた教師と母親、さらにはクラスメート達もがサポートして、みんなで掴み取った合格。かつては知らなかった、周りの人たちの温かさを実感し、それに感謝し、努力し続けた少年は、控えめながらも喜びをあらわにしていた。 それに声をかける少女が1人。 「合格おめでとう、優菜……いや、"隆二"」 元々は教室の隅で目立たないようにしていた彼女。気が弱く、頼まれたことは断れないタイプだった彼女は、とある女子たちを目をつけられ、陰湿ないじめを受けたことから精神を病んでしまい、自殺を図った。しかしそれは失敗。復帰後はいじめの主犯に啖呵を切って逃亡、不良とつるんで夜な夜な遊んでいるとの噂である。 「ありがとう、"優菜"。ずいぶんオシャレになったね。メイクも上手いし」 いかにと優等生といった風貌の少年と、いかにもギャルといった風貌の少女。どう見ても真逆の2人が、まるで長年連れ添った間柄のように話す姿は、周囲から浮いていたに違いない。 「君が言ってた通り、僕は僕らしく生きて、ここまでこれた。君も、君らしく生きられてるんだよね?」 「モチのロンっしょ。生まれ変わって、新しい人生。最初はすっげえ嫌だったけど、見えてるものは変わらないはずなのに感じるものが全然違うのが、なんか楽しくなっちゃってさ」 受験シーズンであまり連絡を取っていなかった2人の、長いようで短い会話。 「おい優菜、そろそろ行くぞ」 そこに横から割って入ってきた、聞き慣れた声。振り返ると、ずっと変わらない、一筋の眼差しがあった。 「圭介!あとちょっと待って!」 そして、もう一度、優菜は向き直り。 「じゃあね、頑張ってね、隆二」 それに返すように隆二。 「そっちこそ、あんまり悪いことばっかりしないでよ、優菜」 かつての自分の身体が、今は他人。そんなことを経験したからこそ、自分が自分らしくあることは、性別とか、名前とか、そんなものには縛られないんだ。少なくとも、彼らはそう思って、未来へ進み続けている。 |