*この作品は「女子会がやりたくて(青春編)」の後日談になります。こちらもお読みいただくと一層楽しく本編がお読みいただけます。



女子会がやりたくて(同窓会編) -前編-
 作・夏目彩香


一.見知らぬ美少女

夏も終わりを告げようとしていた残暑の残る頃、雨が激しく降りしきる中で、川島春彦(かわしまはるひこ)は大学の学祭コンテストでグランプリに輝いたこともある美貌の持ち主、立花サヤカ(たちばなさやか)と手を繋ぎながらある場所へと向かっていた。春彦の手には小さくて柔らかい手の感触が伝わってくると同時に、緊張感によって汗がじんわりとにじみ出ていた。二人は同じ折りたたみ傘の中に一緒にいるので、春彦はサヤカの体から流れてくるほのかな香水の香りが雨の匂いと相まって気持ちよく感じていた。

そうやって歩いているうちに突然降り出していた激しい雨はやんでいた。サヤカと密着してしまいそうなほどの距離感から解放され春彦の緊張感も弛んでいた。実は彼女は親友の婚約者で、春彦が決して好きになってはいけない相手なのだ。他にもまだ伝えることのできない秘密についてはじきに分かることだろう。

二人は目的のマンションに到着したものの、共同玄関のオートロックを解除するために必要な鍵も情報もなかった。それだけではない、このマンションの何号室を訪問したらいいのか、それすら伝えられていなかったのだ。サヤカは履いている淡いコーラルピンクのハイヒールから片足を外すと、浮腫んだふくらはぎを彼女の細く長い指を使って揉んでいるところだった。

「あっ、二人ともお待たせ~!」

何もできずにいた二人の目の前に、セーラー服姿の女子高生と思われる美少女がやって来た。二人にとっては面識は無いものの少女が二人を認識している以上、このマンションに来るようにとの連絡をくれた相手と関係のある人物だ。二人は薄々この少女が何者なのかわかったので、少女を信用してエレベーターに乗り込むと、マンションの一室に案内された。表札には三田(みた)と掲げられている家の鍵を生体認証で解錠して、少女はその重たい扉をゆっくりと開けた。

「どうぞ、お入りください」

少女の住む家の玄関に通されるとジメッとした空気が漂って来た。玄関で靴を脱ぐと濡れた折りたたみ傘をその場で開き置いておいた。

「お邪魔しまぁ~す」

春彦とサヤカの二人はそう言って、長い廊下の先にあるリビングへと入っていった。広々としたリビングには家族写真と思われる大きな写真が飾られている。どうやら目の前にいる少女が小学校に入学した頃に撮影した写真のようだった。その写真には少女と一緒に写っている両親の姿、実は二人とも春彦のよく知る人物だった。春彦たちはカバンを床に置くと部屋の中央に置かれているゆったりとしたソファに座った。

「あの二人にこんな立派な娘さんがいたなんて、僕も歳を取ったように思うなぁ」

ソファに腰を下ろしながら言うと、春彦の横に座っているサヤカも口を開いていた。

「そんなこと言うもんじゃないわよ。歳なんてみんなで一緒に取るものなんだからね」

確かにそうだった。年齢というのは時間の積み重ねなのだ。自分一人が歳を取っていくのではなく誰もが平等に取るのなのだ。サヤカの言っていることは確かに間違ってはいない。

「サヤカの口からまるでおっさん臭いこと言わないでくれる?」
「アハハハ、確かにそうだよね。でも、私がおっさん臭いのってしょうがないじゃん。ちょっとは多めに見てもらわないと」

そこへ、さっきまでセーラー服を着ていた少女は赤い花柄が印象的なワンピースに着替えてリビングにやって来た。冷蔵庫の中から紙パックのジュースを取り出すと二人の前に差し出していた。

「二人とも、お疲れさまです。喉乾いたと思うので飲んでください。自己紹介が遅れましたけど、私は高校一年の三田エリナ(みたえりな)と言いいます。あの写真にある二人の娘です。この若い体ってやっぱりいいわよね。肌のハリとキメの細かさがな~んと言っても違うんだからね。さっき、お母さんから『最寄りの駅に到着した』ってスマホにメッセが入ってたから、あと数分以内に帰ってくるはず。ここからは次の準備を始めたらいいんじゃない?」

エリナがそう言うと春彦はリビングから急いで玄関へと向かい、黒の革靴とサヤカのピンクのハイヒール、それに開いておいた傘を畳んで手に取って、エリナの部屋にサヤカと一緒に入った。エリナの部屋の窓を開けて靴とヒール、それに自分たちのカバンと傘をベランダに置くと、部屋の中で身を隠すことのできるスペースを探した。

「今、お母さんに僕らが見つかるのはまずいので、家に帰って来たらあとは頼んだよ」

春彦はエリナのベッドの下、サヤカはクローゼットの中で身を潜めるのだった。その姿を確認したエリナはリビングに戻り、自分の母親がいつ帰って来てもいいようにスタンバイを始めていた。



二.偽娘と母

「ただいま~~、エリナ~、帰ったの~?」

鉄製の玄関扉が開く音が聞こえ、エリナの母親らしき声と玄関に入る靴音が聞こた。春彦はエリナの母親の行動に耳を澄ましながら、ベッドの下で息を殺して親娘の他愛のないやり取りに全神経を集中させた。

「あっ、お母さん、お帰りなさい」
「エリナ、宿題は終わったの?」
「あっ、宿題のことなんだけどね。そのことでお母さんに聞きたいことがあって待ってたんだ~」

ベッドの下にいても二人の会話はしっかりと聞こえて来る。エリナの母親は手に持っていたバッグをテーブルの上に置いた。

「ちょっとソファに座って待っててくれるかな?」

エリナはそう言うと自分の部屋に入り、二人が母親に見つからないように気をつけながら扉をゆっくり開けた。そして、勉強机の上に置いたノートを手に取り今度は部屋の扉をわざわざ開けたままリビングに戻った。

「お母さん、これが宿題のノートなんだけど、この最後のページを開いてくれる?」

エリナのノートを母親に渡すと言われるがままに最後のページを開いた。すると急激な眠気に襲われソファの上で眠ってしまったのだ。母親がしっかりと熟睡したことが分かると、春彦たちに出てきてもいいと合図を出していた。二人がリビングに戻ってくると、春彦はエリナの母親が落としたノートを手に取り、最後のページに貼ったシールをゆっくりと剥がした。

「この使い捨て睡眠シールの威力ってすごいよな。山田ったら、こういった技術を金儲けに使わないなんて、ちょっともったいないような気もするけど、まぁ、こんなのが商品化されたら世の中危なすぎるだけなのかなぁ」
「彼にそういうところがあるから好きになったのよ。ちなみに、これは言わされてるわけじゃなくて本心からよ」

さっきまで息を潜めるようにしてクローゼットに隠れていたサヤカは、背筋を伸ばしながら春彦の言葉に続けていた。

「このシールで眠らせられる時間は長くてもほんの一時間ほどよ。だから、早くしないと起きちゃうわ。早くしてちょうだいね」

ソファに横たわるエリナの母親の姿、春彦はせっかくなんだからとじっくりと観察してみるのだが、四十歳を過ぎているとは思えないほど艶のある肌の持ち主だった。すぐ側にいるサヤカと同い年と言っても過言ではなかった。春彦はソファに横たわっているエリナのお母さんがしっかりと見える場所で立ち膝をしていた。

「エリナのお母さん、あなたは僕の高校時代の担任の先生でした。あの時よりも教師としての貫禄が出て来た感じがするけど、これから山田が用意してくれた新しい薬を使って自由に動かせていただきますね。そこにいる二人も僕の男友達、しかも先生の教え子たちなんですよ。僕の親友、山田の婚約者であるサヤカの正体はその婚約者の山田恵介(やまだけいすけ)、二人は入れ替わり薬を使っています。本物のサヤカちゃんは山田として父親の会社で研究開発しているところです。さらに、あそこにいるあなたの娘であるエリナの正体は水田翔吾(みずたしょうご)、彼は安定版の憑依薬を使ってエリナちゃんに憑依しているはずです。そして、これから僕は最新版の憑依薬を使って、そう僕がエリナのお母さんであるあなた、三田京香(みたきょうか)先生、旧姓仁科(にしな)先生に憑依したいと思っています。憑依できたらすぐについて行こうと思っているので、二人は先に家の外に行って待っていてくれないかな?」

春彦がそう言うと、サヤカとエリナの二人は外に出ていった。二人が出て行ってしまったので、春彦はソファの上で眠りについている眠り姫と二人きりになった。

「まさか、あの地味で生真面目の典型のような数学の三田先生と結婚するなんて思ってもいませんでした。高校を卒業してからみんなバラバラになっちゃって、山田ともこの前久しぶりに連絡が取れたんですが、高校時代に山田がどこからともなく持って来た憑依瓶を使って女子生徒や先生に憑依した思い出話をしていたら、その山田の正体がサヤカちゃんだったんです。それで、山田の婚約をお祝いするために高校時代の仲間を集めて同窓会をやろうってことになって、どうせならあの頃のように変わった集まり方をしようってことになったんです。色々と調べているうちに三田先生が中堅教員研修でしばらく不在だということを知ったので、この機会に集まろうってことになりました。京香先生のイメージを崩すようなことはしませんので、ご安心くださいね。じゃあ、しばらくの間、先生の体をお借りしますね」

京香先生の寝息が聞こえてしまいそうな至近距離で先生に事情を簡単に話すだけでも、これからの起こることを考えると興奮し始めていた。安定版の憑依薬は飲むと身体と魂を分離させて魂だけが他人に入り込めるため、元の身体を安全な場所に置いておかなくてはならない欠点があるのだが、山田(正確に言うと山田と入れ替わったサヤカ)は身体と魂を一緒に他人に入り込めるように改良を加えて最新版として開発したのだった。

春彦は小瓶の中に入っている粉状の薬を口に含みすぐに飲み込んだ。薬が胃の中に届いたかと思うとすぐに効果が出て来た。全身がものすごく熱くなったかと思うと、全身がグミ状に変わっていきバターが溶けるかのように全身グニャグニャのスライム状に変化したのだ。スライム状になっても地面を這いつくばいながら動けるので、そのままの状態で京香先生の身体を覆うように肌からスライム状になった自分の身体を浸透させていくと、京香先生の身体の隅々に至るまでゆっくりと浸透していくのだった。感覚的にはウェットスーツを身体にピッタリとフィットさせるように着込むようなものだが、これは春彦が今までに体験したことの無いものだった。

熱さを感じていた身体はすぐに冷めていき、ソファの冷たさを肌から感じるようになっていた。春彦がゆっくりと目を開くと目の前には自分の着ていたものが乱雑に散らばっていた。スライム状になった時に着ていたものが自然と脱ぎ去られていたからだ。ソファからゆっくりと身体を起こしながら、自分が動かしているのが三田京香先生のものだということを一つ一つ確認していた。

「これが夢にまで見ていた四十路の京香先生の姿なんですね。こりゃあ、三田先生には本当にもったいないですよねぇ」

京香先生の体に変わった春彦は、まぶたを開いたり閉じたりを繰り返していた。

「目をパチクリすることで京香先生の記憶がやって来るんですよ。あ~っ、あ~ん。ぼっ、ぼっ、わっ、私は、私は、私は三田京香と申します。数学教師の夫との間にできたエリナの母親でもあるわよ」

ソファから立ち上がり、春彦が目線を下にやると二つの膨らみと谷間が目に飛び込んで来た。タイトスカートのピタッとした感覚が京香先生になったことをさらに感じさせてくれた。いつもよりも若干低くなった目線と身体の重心の違いが新鮮なようだ。

リビングの中を歩いて一周してみると、全身の神経が隅々まで行き渡ったことを感じた。目の前に脱ぎ去られた春彦のものを、京香先生の細長い手で掴みベランダから持って来た春彦のボストンバッグに丁寧にしまうと、他の持ち物もしまっていた。京香先生の手で自分のものを触る感触が何とも言えなかった。

春彦はボストンバッグを手に取り、夫婦の寝室に入るとベッドの横にあるウォークインクローゼットに入り、ボストンバッグをその隅に置くと、大きな姿見の前に立って自分が動かしている京香先生の全身を眺めていた。職場である高校から戻ったばかりで、グレーのツーピースをまとった先生の姿は高校時代よりもずっと若く見える。なんと言っても全身のプロポーションは年齢よりも十歳以上は若く見え、クローゼットに揃えられている衣装のファッションセンスも二十代後半のサヤカと同じように思えた。

春彦はここにある中から自分が着るに相応しい衣装を探し始めたのだ。頭の中ではイメージがすでにできあがっているものの、数多くの衣装が用意されているために目移りしてしまう。この中にはかつて水田翔吾が京香先生に憑依した時に着たことのある水色のチャイナドレスも今でもきれいな状態で保管されていた。ピンクのナース服やセーラー服もあの頃に見たままの状態で、他にも新しいコスプレ衣装まで追加されていた。

「あっ、あった、あった?」

お目当てのものを見つけると思わず声を上げてしまった。家の外で二人が待っていることもあり、手にとった衣装をすぐに身につけると、ショルダーバッグを手に取り化粧道具を取り出し簡単にメイクを直した。先生の記憶や習慣は自由に引き出せるようになったので、こんなことはお茶の子さいさいだった。玄関に向かうとシューズクロークからエナメル生地の感触が気持ちのよいイエローのハイヒールを取り出し、先生の小さな足を滑らせる。玄関の姿見で再度全身を確認してから玄関の扉をゆっくりと開けていた。

「二人とも、お待たせ~」

玄関の前で立ち話をしていたエリナとサヤカは、春彦の姿を見ると少しビックリする表情を見せていた。

「まさか、本物のお母さんなの?」
「そうよ。エリナったら、ここで冗談を言うもんじゃないわよ」

水田が扮するエリナがまるで本物の娘のような口調を使って来るので、春彦も負けじとすかさず京香先生の母親口調で言ってみた。

「はっ、はぁ~。確かに姿や形はエリナのお母さんみたいに見えるわね。でも、本当は春彦なんでしょ。薬を使って他人に入り込むと瞳の色が薄いエメラルドグリーンに変わるようにしてあるんだ。まぁ、立ち話もなんだしここから近いところにファミレスがあるんだけど、あそこの『レディースプラン』を利用するのはどうかしら、金曜日の夜で混んでるかも知れないけど、反対意見は当然無いわよね」

そうやってサヤカに言われるがままに春彦たち、いや彼女たちはここからすぐ近くにあるファミレスへと、完全に雨が降り止んだ道を颯爽と鳴り響かせながらみんなで向かっていた。



三.ファミレスにて

金曜日の夜だから混んでいるのではという予想とは裏腹に、店内はガランとしていた。待っこともなくすぐに店員さんに案内されると、大きな窓から中庭が見えるボックス席へと通された。周辺にお客さんが座っていないので、ゆっくり話をするにはちょうど良い場所だった。中庭がよく見える席に私が座り、その隣にエリナ、向かいにサヤカが座った。

「これでようやく私こと三田京香と娘の三田エリナ、そして、立花サヤカの三人が揃ったわね。誰も川島晴彦、水田翔吾、山田恵介の三人が集まっているとは思いもよらないでしょうけどね。同窓会はこれからが本番よ。ここでゆっくりと食事をしたら大切な人を呼んでみようと思っているんだ」
「大切な人?このメンバーが集まれば十分じゃなかったの?」

向かいに座っているサヤカが間髪を容れずに反応して来た。

「ねぇ、お母さん。大切な人って誰なの?」

エリナと京香は本物の親子のように話を始めていた。お互いの姿に合わせた振る舞いをするのだった。

「エリナったら甘えるのはよしなさい。大切な人っていうのはね。あなたの担任の先生のことよ!」
「えっ、私の担任って、あっ、まさか~エリカ先生のこと?」
「そうよ、エリナ。あなたの担任の先生の青木エリカ先生も来てくれれば、あの時の女子会のメンバーが更に増えるわよね」

京香先生の娘であるエリナの担任は青木エリカ、京香先生からするとかつての教え子であり、彼女たちの正体からするとかつてのクラスメートとなるまさに大切な存在だった。

「あなたの担任の先生って、私の教え子なのよ。同じ仕事をしているもんだから、先生になったというのは知っていたんだけど、まさかまさか、エリナの担任になるなんてね。世の中なんだか狭すぎると思わない?」
「あっ、そうか。エリカ先生ってお母さんの教え子だったんだ」

エリナはもう一つの記憶の引き出しから昔、エリカ先生に山田恵介が乗り移ったことを思い出していたようだ。懐かしい思い出話で熱気に溢れるのだが、テーブルの上ではメニューが寂しそうに待っていた。

「このことはね。お母さんである私が娘のあなたにも話したことのない秘密らしいの、自分の担任が母親の教え子だなんてわかったら、やりにくくなるんじゃないかって配慮してのことだけど、いかにも京香先生らしいわよねぇ。今からそのエリカ先生に連絡してみようと思うんだけど、二人ともいいかな?」
「えっと、お母さん。それってエリカ先生を呼び出すってことなの?」

エリナのお母さんという言い方はすっかり板についていた。

「そうよ。ここに呼び出すのは何だから、家に来てくれるように母親らしく頼んでみようと思ってるのよ」
「あっ、それって面白そう!それなら新しい薬の次の段階にあたる実験にも使えそうだよね」

するとサヤカはテーブルの上に身を乗り出しながら少し興奮気味に言った。

「じゃあ、連絡するってことで決まりよね。このスマホを使って電話できるわよ」

ショルダーバッグの中から京香先生のスマホを取り出すと連絡先の中から青木エリカの名前を検索した。個人情報保護の時代でクラスメイトの保護者の連絡先は無いのだが、担任の先生ということで電話番号が登録されていた。「通話する」をタッチしスマホを自分の耳元へと寄せてエリカが電話口に出るのを待った。

『もしもし、青木です』
「あっ、夜分遅く失礼いたします。三田エリナの母ですが、ただいまお時間よろしいでしょうか?」

京香先生の口調を使って通話をするのは春彦にとっていとも簡単なことだった。

『はい、構いません。どのようなご用件なのでしょうか?』
「それなんですが、実はエリナのことで折り入って先生にご相談したいことがあるんです」
『ご相談ですか?電話やメッセージでのやり取りでは駄目なんでしょうか?』
「それがちょっと込み入った話なものですから、先生と直接お会いしてご相談させて頂きたいと思いまして」
『もしかして、急ぎのご用件でしょうか?』
「はい、早急にお会いしてご相談したい話です。できれば、これからお時間はいかがでしょうか?」
『えっと、今夜ですか?実は私も三田さんのことでお母様にお話ししようと思っていたことがありましたので、片付けなくてはならない仕事がまだあって、二時間後ぐらいであれば時間ができると思います』
「あっ、そうですか。そうでしたら、二時間後に我が家までお越しいただけますか?」
『わかりました。三田さんのご自宅に直接お伺いすればよろしいんですね』
「お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」
『お母様、お気遣いの必要はございませんので、後ほどご自宅にお伺いします』
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」

周りから見れば三田エリナの母親である三田京香が、娘の担任である青木エリカと電話でやり取りしているように見えるだろう。京香先生の口調そのままで青木エリカを三田家に呼び出すことにまんまと成功したのだ。

大きな役目を終えた安心感からなのか急にお腹が空いてきたのだ。みんないつもと違う身体であってもやはり人間である以上はお腹が空くものなのだ。寂しそうに拗ねたままにテーブルの上にあったメニューに手をつけ始めると、うるさくなり始めていたお腹をゆっくりと静めていた。



四.食事の時

夜の中庭はライトアップされてより一層秋を感じることのできる風情となっていた。空に目をやると暗闇ですっかり覆われてしまっているが、それがメリハリのある演出をしてくれるようだった。テーブルの上には思い思いの料理が並べられており、いつもと違いゆっくりと食べざるをえなかったのだ。傍から見れば大人の女性二人と女子高生一人が一緒の席で食事をしているように見えるだけなのだが、実際にはそうでないことは誰も知るよしがなかった。そのせいか春彦は京香先生として食事中の会話を楽しんでみることにした。

「ねぇ、サヤカさんはどうして山田君と結婚しようと思ったのかしら?」

単刀直入な質問をサヤカに投げつけたのだが、目の前にいるサヤカの正体は山田なのだから、答えを躊躇するしか無かった。サヤカは床に脱ぎ捨てていたハイヒールに足を入れ直し背筋をシャと伸ばしたのだが、さっきの質問で自分が覗いてしまってはいけないサヤカの記憶を取り出すのが怖いようにも思えるのだった。

「答えにくい質問のようね。それなら、質問のやり方を変えてみるわね。サヤカさんったら山田君のことを尊敬してるって聞いたことがあるんだけど、それって本当なのかしら?」

すると、サヤカの顔が急に赤くなってしまった。恥ずかしさの極みなんだろうか。しかし、赤っくなった顔で質問に答え始めるのだった。

「確かに尊敬してるのよ。大学時代から彼の研究テーマに協力して来たんだけど、いつも実験台に使われてばかりだったんです。でも、いつも一生懸命な彼の姿にいつの間にか惹かれちゃったの。もっと話さなきゃダメなのかしら?」

サヤカの中にある山田に対する思いを自らの手で読み取っているのだから、目の前にいるサヤカの恥ずかしさは半端ないようだった。そのため屈託のない表情で次の質問を投じてみた。

「まだまだ話してくれないとね。次の質問なんだけど、山田君の実験台にって今言ったみたいだけど、記憶に残っている実験ってどんなのがあるのかな?」

彼女たちは目の前の料理を少しずつ消費していくものの、サヤカの手元はすっかり止まっていた。どうやら京香先生の質問に答えるモードに集中しているらしかった。

「記憶に残っている実験ね。あっ、そうねぇ。あれは大学を卒業する直前だったわ。卒業旅行として韓国に女子二人きりで行って来たんだけど、卒業旅行から帰って来た次の日に私の親友と会って話をしたら、卒業旅行なんてしていないって言うのよ。これって絶対におかしなことだから彼に問い詰めたところ、実は私の親友と共謀して卒業旅行で私の親友としてボロを出すこと無く帰って来られるのか、とても壮大な実験をしてたんだって、親友は自分のパスポートや携帯に至るまで山田に貸してあげたなんて、あれには本当に参っちゃったわ。うちは両親から男子との外泊も認められていなかったのに、それが実際には破っていたわけで、旅行中に私が着替えている姿も全て見られていたし、色々と大変だったけどね。でも、結果的にそれがキッカケで私たちは結婚前提に付き合うことになったのよ。婚約するまで思ったよりもずっと長い道のりを歩んで来たってわけ」

サヤカの喋り方にだんだんと熱がこもってきた。どうやら、恥ずかしさよりも打ち明けることの楽しさが大きくなってきたようだった。

「そうだったのね。二人はサヤカさんが大学時代から結婚を考えていたのかと思っていたわ」
「今の私たちを見れば確かにそう感じてしまうかも知れませんが、大学時代にはこんな風になるなんて思っていませんでした。付き合っているというよりも仲のいいお兄ちゃんって感じだったんです。でも、最近は私が彼を尻に敷いている感じで、今回の入れ替わりも私が主導して入れ替わったんですよ。私が彼の身体でいると研究が一気に進むので、今では戻りたくないって思うことが多かったりするんです」
「戻りたくないって、サヤカさんの本音なの?」
「そう、頭の片隅からやって来ているので、どうやらこれは本音なんです」
「そうなんだ。じゃあ、二人はこのまま入れ替わったまま過ごすの?」
「彼が私の気持ちを抑えきれなくなればそうなるかも知れません。でも、私も私としてやりたいことがあるので、今みたいに好きな時に入れ替わる生活がいいのかもって思っています」
「そうなのね。サヤカさんは山田君の実験台に使われてばかりなんじゃなく、自分からも進んで実験台になってたってことよね。今も山田君として過ごすことを楽しんでるなんて、考えて見ればステキなことじゃない?」

京香先生とサヤカの二人が話している間、エリナは黙々と目の前に出て来た料理を口に入れていた。京香先生としてゆっくりと食事をしながらサヤカのことを根掘り葉掘り聞いていたのだが、サヤカは「自分」の記憶を辿れば辿るほど恥ずかしくなるだけだった。目の前に並べられたお皿から料理がなくなると、食後のコーヒーとエリナ用のオレンジジュースが並べられていた。コーヒーカップを手に取り一口流し込むと京香先生はゆっくりと口を開いた。

「それじゃあ、私はこれから家に帰ってエリカ先生と面談するからね。作戦会議でも始めましょうか」

そう言って三人は実際にこれから行おうとする計画を綿密に打ち合わせ始めていたのだ。



五.個別相談

ピーンポーン。

部屋の中のインターホン画面を確認するとそこにはマンションのエントランスが映し出されていた。そして、かつて春彦たちの同級生で今はエリナの担任である青木エリカの姿があった。ベージュベースの膝丈のタイトスカートから伸びる脚は艶のあるライトイエローのヒールに吸い込まれており、シンプルなスカートと同色の七分袖のシャツブラウスをまとっている姿まではっきりとわかった。

エリナが解錠ボタンを押すと、本格的に作戦も始まった。エリカがここに来るまで多少の時間があるため、予め決めておいた場所でそれぞれの準備を始めた。京香先生はキッチンに向かって、ドリップコーヒーの準備を始め、エリナは先生を出迎えるために玄関で靴を整理し、スリッパを取り出していたのだ。

「わざわざ、エリカ先生の方から来てくれたんだから、最大限の『お・も・て・な・し』をしなくちゃ、ねっ」

玄関の前でエリナはそう呟くと、エレベータホールの方から玄関に向かって来るヒールの音を聞き逃すことがなかった。足音が止まる前に玄関扉を開くとエリカ先生を丁重に出迎えていたのだ。

「エリカ先生、こんばんは~」
「エリナさん、こんばんは。夜分遅くごめんなさいね」

制服姿のエリナはエリカ先生を家の中に案内する。エリカ先生は玄関に入るとヒールを脱ぎスリッパに履き替え、さらに脱いだヒールをきれいに置き直して玄関にしっかりと揃えていた。

「母はリビングにいるので、廊下をまっすぐ進んでください。私は自分の部屋に戻ります」

エリナはそう言い残して自分の部屋に入っていった。エリカ先生は廊下の突き当りにあるドアを開き京香のいるリビングへと入っていった。

「お母様、こんばんは~」

ドアの軋む音が鳴り止むと同時にリビングの中にはエリカ先生のソプラノが響いていた。

「エリカ先生、こんばんは。こんな夜遅くに呼び出してしまい申し訳ございません」

リビングの中央にある時計の針はすでに夜の九時が過ぎていたのだ。京香はリビングの中央にあるソファにエリカ先生を座らせると向かい合う席に腰を落ち着かせていた。

「いえ、私からもかねてよりお話したいと思っていたことがありましたので、たとえ夜が遅くなってもお伺いしようと思っていたところです」
「ありがとうございます。それにしても、エリカ先生はすっかり社会人らしくなりましたね。先生としての評判もエリナを通してよく聞いています。でも、今夜はざっくばらんに娘のことを話し合えたらいいと思うの」
「わかりました。エリナさんのお母様」
「もっと気楽に話しをしたいので、京香先生と言うのが楽ならそっちを使ってもいいのよ」

エリカ先生はそう言うと肩の荷が降りたかのようにリラックスしたように見える。

「じゃあ、今だけはまた京香先生と呼んでもいいですよね」
「はい、オッケーです。あっ、そうそう。ちょっと遅い時間なんだけどコーヒー淹れても大丈夫かな?」
「ええ、京香先生の淹れるコーヒーですか?あっ、是非とも飲んでみたいです」

どうやらエリカ先生は、リビングの中を覆っているコーヒーの香りとキッチンの作業台にあるドリップコーヒーの器具を見ると、京香先生の淹れるコーヒーが飲んでみたいと思ったようだ。

「わかったわ。これから本格的にドリップするので、ほんの少しだけ待ってくれるかな?」

京香先生の身体を動かしている春彦は、そう言って立ち上がるとキッチンへと向かい、準備していた器具を一つ一つ使い始めた。今の春彦は喫茶店の経営者でありながらバリスタもやっているので、京香先生の家で見つけた器具を使って特別なコーヒーをエリカの奴に飲んでもらおうと思ったのだ。温度計は見当たらなかったので、少し冷めたお湯にするために事前に沸騰させて放置しておいたお湯を、ドリッパーの中にゆっくりと注いで行った。京香先生の身体でドリップすると手の指の細いだけでなく手先が器用なことに気づいた。渾身の一杯が淹れ終わるとソーサの上にコーヒーカップを載せてエリカの手前にゆっくと差し出した。

「はい、お待たせしました。これはエリカ先生をイメージしたブレンドコーヒーになります」

リビングにはコーヒーの芳しい香りが広がり、エリカ先生はコーヒーカップをゆっくりと手に取って、口に含むとその味を楽しみ始めていた。

「わぁ、おいしい!京香先生ってコーヒー淹れるのがとっても上手なんですね」

かつてエリカが僕のことを片思いしていたことがあったので、それを思うとエリカにしっかりと面と向かって話をするのは恥ずかしさがあったのだが、二人の間に和やかな雰囲気ができたことで気持ちが楽になっていた。

「フフフ、ありがとうね。いつもはこんな風に淹れないんだけど、今回だけは特別よ」
「やっぱり、私にとって先生はいつまで経っても先生なんですねぇ。京香先生に出会って私も教員になることを目指してこうやって先生になったんですけど、生徒からって先生の仕事が全然見えてなかったんだって、今になって思います」

一杯のコーヒーによってエリカ先生の口が動くようだった。

「そうでしょ。生徒から見る先生の仕事が全部じゃないのよね。授業だけしていればいいわけじゃないからね」
「そうですよねぇ。高校の時にそこまでわかっていれば、きっと私って先生を目指さなかったかも知れません」
「でも、今は先生として働いていることを後悔したりはしてないんでしょ?」
「あっ、後悔はしていません。やっぱり先生になりたくて先生になったので、大変ですがやりがいはあります」
「まだまだ、これからよ。教え子たちの成長が確認できるようになると責任も感じるようになるからね」
「確かにやりがいだけでなく、責任も大きい仕事ですよね。子どもたちの人生に関わっているので、それを考えると気が重くなることもありますよね。そうそう、今晩はエリナさんについて話をするんでした」
「そろそろ、本題について語り合いましょうね」

そう言ってから三十分ほど、二人はエリナの成績や学校での態度について語り合っていた。京香先生の記憶を引き出すことでなんの問題もなく対応できていたのだ。もともと京香先生もエリナのことでエリカ先生に話をしたいと思っていたのは確かなことだった。だから、エリカ先生には目の前にいるのがかつての担任の先生にしか見えていなはずなのだ。エリカ先生との個別相談を終えると二人でエリナの部屋へと向かうことにした。エリナの部屋に入ると制服姿のエリナが机に座り勉強しているところだった。そして、椅子をクルリと回し振り返るとひょんなことが口から飛び出るのだった。

「エリカ先生。お母さんとの話がちょっと聞こえて来たんだけど、先生ってお母さんの教え子だったのは本当ですか?」

京香がずっと黙っていたことがエリナの耳に届いたようだった。

「あっ、聞こえちゃったなら仕方ないわね。私が高校生の時にエリナさんのお母さんが担任の先生だったの。それから先生を目指すようになって、今はこうしてあなたの担任になったのよ。人生って不思議よね」
「やっぱり、そうだったんですね。入学してからずっと疑っていたんですけど、お母さんに聞くと誤魔化されてウヤムヤにされていたので、これでようやくスッキリしました」
「今夜はお母さんとしっかり話をしておきましたので、先生とまた学校で会いましょうね」
「先生、わかりました。それと、一つお願いがあるんですけど、もし良かったらみんなで写真撮りませんか?」
「あら、エリカ先生。エリナったら、済みません」
「いいですよ。せっかくだからみんなで写真撮りましょうよ」

エリカ先生は快く承諾して一緒に写真を撮ることになったのだ。写真を撮るのは手元にあるスマホを使うのが今では普通だが、エリナは今では懐かしいコンデジを取り出して、これで撮りたいと言い出したのだ。三人でリビングに行くときれいな構図が取れる位置にコンデジを固定し、タイマーをセットして三人の姿を何枚か撮影した。

「先生、ありがとうございます。じゃ、おやすなさい」

写真を撮り終えるとお休みの挨拶を交わしてエリナは自分の部屋に戻っていった。そして、玄関ではエリカ先生を見送る京香先生の姿があった。

「今晩は本当にありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
「ありがとうございます。遅い時間でしたがここに来て良かったです。エリナさんの人生をサポートできるように私もできるだけのことはさせて頂きますね」
「フフフ。エリカ先生ったら頼もしいです」

エリカ先生がスリッパから九センチのヒールに履き替える姿を見て、京香先生となっている僕はすかさず言った。

「あっ、そういえば。先生の靴のサイズって何センチですか?」
「二十三ですよ」
「それなら、私とエリナと一緒なんですね。ちょっと待ってください」

そう言いながら靴箱の中からピカピカのスニーカーを取り出した。

「エリカ先生。このスニーカーで帰るのはどうですか?これ以上足に負担をかけるのはどうかと……」
「あっ、お気遣いありがとうございます。実はここから自宅まで歩いて行こうと思っていたのですが、ヒールだと楽に歩けないのでどうしようかと思っていたんです」
「それと、もしよろしければこのヒールは今はひとまず置いていっていいですよ」
「えっ?袋にでも入れて持って行くのも構わないですよ」

エリカ先生は、京香先生が差し出したスニーカーに履き替えていた。ピカピカのスニーカーに比べるとヒールは全体的に汚れが目立ち、ところどころ傷んでいるようだった。

「実は私の父が靴職人なので、だいぶ素材も痛んでしまっているようなので、このヒールをきれいに再生したいと思いまして」
「そうなんですね。とても思い入れのあるヒールなので長く愛用しているんです。再生できるなら是非お願いします」
「じゃあ、オッケーですね。再生できましたらまた連絡いたします。それでは、夜分恐れ入りました。エリナにはさきほど話し合った内容で、まずは様子を見たいと思います」
「それでは、失礼いたします」

エリカ先生が玄関の扉を閉めると玄関にはほのかな香水の香りが残されたのだった。



六.訪問者

ピンポーン。ピンポーン。

エリカ先生が出ていったばかりだと言うのに、すぐに誰かがやって来たようだった。ピンポーンが二回続いたので、マンションのエントランスではなく家の玄関にあるインターホンから押されたものだった。エリカ先生が忘れ物をして戻って来たのかも知れないと思い、何も確認せず玄関の扉を開けてみることにした。

「どうも~、京香先生。こんばんは~」

目の前に現れたのは山田の姿だった。そして、隣にはさっきまで一緒にいたサヤカが揃って並んでいた。

「今度、結婚するのでその報告を兼ねて一緒に来ちゃいました」

玄関の方が騒がしくなると、エリナが部屋から飛び出てきた。

「あっ、サヤカさん!やっぱり二人で一緒にここに来たんですね。さっき、スマホに届いたメッセージでわかりました」

エリナに扮している水田は春彦のスマホを使って山田たちと連絡を続けていたようだ。廊下で話を続けるわけにはいかないので、みんなをリビングに誘導するために次の一言を言った。

「とにかく、立ち話もなんだから部屋の中に入ってよ~」

山田とサヤカは玄関でスリッパに履き替えるとリビングに向かった。そして、さっきまでエリカ先生が口をつけていたコーヒーカップが残されているのを見た途端、山田は何かを取り出しさっそく作業を始めるのだった。

「今、何をやってるの?」

山田はどうやらコーヒーカップに残っているエリカ先生の唾液を収集しているようだった。

「エリナさん、髪の毛も採取してくれたよね」

続けて山田はエリナから髪の毛をもらいこれまた何か作業をしていた。

「これで完了っと!」

何かが完成した様子で山田は手に持っているものをエリナに見せていた。

「わ~い、ヤッホー!これで同窓会がもっと盛り上がりそうだね?」

なぜかエリナと山田だけが盛り上がっていた。

「山田くん、それって一体何なの?てゆ~か~あなたったら、サヤカさんで間違いないのかしら?」

山田が喋ろうとするのをサヤカは遮っていた。

「あっ、私たちとしたことがゴメンなさい。私たち今は自分の身体に戻ったんです。その証拠に目の色は元に戻っているでしょ」

サヤカの言葉を信じるなら山田たちはどうやら元に戻っているらしかった。二人はよく入れ替わるので、入れ替わっている時には目の色がカラーコンタクトをはめたように薄いグリーンになるようにしていた。今は薄いグリーン色も見えないので、元に戻っているのに間違いなかった。

「元に戻ったんだったら、先に言ってくれないと!」
「あっ、悪い、悪い。次なる薬作りに思わず夢中になっちゃったもんだから」

山田の口からは「薬作り」という言葉が飛び出した。山田は父親が経営する製薬会社の特別部門で極秘業務を担当しているが、世に公開することのできない「薬作り」を専門としていた。サヤカさんはその実験台、いや臨床試験の対象者として山田の「薬作り」に協力しているのだ。

「薬作り?」
「そうだよ。今回は変身薬なんだ。エリカ先生の残した唾液と髪の毛からDNAを採取して作ったので、この薬を使えば誰でもエリカ先生になれるってわけ。でも、誰でもってのが曲者で、今のところは異性にしか効果がなくて、これを飲むのはまだ男性に限られるってわけ」
「まだ開発段階ってことかな?」
「正確に言えば臨床試験中だよ。開発は終わっているけど、検証作業を進めているところなんだ」
「そういうことか、だからこんな作戦になったんだな。エリカ先生をあっさり行かせちゃったけど、エリカ先生の履いていたヒールを預かった理由がようやくわかったよ」
「まっ、俺が開発する薬は人を傷つけたりするために使うんじゃないからな、あくまでも人を幸せにするのが目的だよ。エリカの奴には後できちんとお礼をしようと思っているし、京香先生、エリナにもしっかり話を通そうと思ってるから」
「あっ、そうなんだ」
「まぁな、俺だってサヤカと結婚することになったんだし、悪用するのはさすがにマズイもの、世のため人のためになるように頑張ってるんだからな」
「なぁ、山田。ところで、さっきファミレスで話した由希奈(ゆきな)の行方はわかったのか?」

山田は語りだすと止まらないので、ここで話題を変えてみた。由希奈とはかつて僕らの同級生で高校時代の後半は僕と付き合っていたこともある女性だった。高校卒業後は関西地方の大学に行ってしまい自然と疎遠になって別かれて以来連絡を取っていなかったが、山田の人脈を使って調べると言っていたのだ。

「あぁ、見つかったよ。しかも、もうすぐここに来てくれることになっているよ」
「そんなにあっさり来てくれるものなのか?」
「あっさり来てくれるわけないだろ、だから、ちょっとした裏技を使っただけさ」
「わかったよ。とにかくもうすぐ『女子会同窓会』を始められるんだな」
「そうだよ。久しぶりに由希奈、エリカ、京香の三人で再会できるってわけさ。みんなすっかり『お姉さん』になってしまったけどな」
「じゃあ、僕らが『女子会同窓会』をしている間、サヤカさんはどうするつもりなの?」
「そうねぇ、私が一緒にいるよりも三人だけの方がいいわよね」
「一緒にいてもいいですよ。サヤカさんだって私たちと同じ女子なんですから」
「えっ?そうなの?いいの?」

サヤカの視線はエリナとなっている水田に向けられていた。

「私も一緒にいていいと思うわ。山田くんもいいよね」
「俺はもちろん一緒にいてもいいよ。『女子会同窓会』だからって新しい仲間を加えてはいけないわけじゃないんだしな」
「みんな、ありがとうね。じゃあ、十七年前のあの時と同じように春彦が由希奈、山田はエリカ、水田は京香になるってのはどうかな?」
「山田って、サヤカさんに十七年前のことも話してたのか?」
「だって、サヤカと俺は二身一体だから、秘密なんてできないに等しいもんだろ。入れ替わっている間に引き出した記憶は自分の記憶の中にも残って、元に戻っても覚えてたりするもんだから副作用みたいなものさ」
「そういうもんなんだね。じゃあ、僕が引き出した京香先生の記憶も元に戻っても自分の記憶の中に残るんだよね」
「まぁ、理論上はそうだけど、実際には時間が経てばだんだんと思い出せなくなってしまうんだよ。プライベートなことに関しては保護しなくてはならないこともあってね。薬を調合する際にはそのあたりのさじ加減が一番難しいんだよ」
「山田とサヤカさんの場合はどうなんだ?」
「俺とサヤカの場合はいつも一緒にいながら入れ替わっていたりするだろ、時間が経っても忘れにくくて当然だし、そもそも記憶を消滅させる成分を入れていない薬を使ってるから、今もちょっとおかしな感じだよ」
「そうなんですか?サヤカさんは?」

ここで山田に投じた質問をサヤカに向けていた。

「あっ、そうよ。恵介と私の入れ替わりって今では日常のことなのよね。だから、お互い身体に合わせるようにしてるのよ。恵介が私の身体にいる時も私らしく振る舞うから、入れ替わっていることを区別することが難しいでしょ。それで、カラーコンタクトを入れたかのように目の色を薄く変えることで区別できるようにしたのよ」
「サヤカが俺の身体にいる時も俺のように行動するけど、家の中ではみんなどっちがどっちなのかわかってくれてるよ」
「そうだったのね。山田くんの作る薬って色んなことを考えてしっかりと作っているんだなって、今更ながら先生も感心しちゃったわ」

ここでようやく春彦は京香先生の口調に戻すと同時に癖も一緒に再現してみせると、リビングの中は笑い声が渦巻いていた。

「ハッハッハ。我ながら言うのもなんだけど、新しい憑依薬の完成度も完璧みたいだね。さっきまで京香先生が春彦の口調で喋っていたかと思えば、春彦が抜け出してしまったみたいだよ。エリナに乗り移っている水田の憑依薬は一つ前のものだけど、どうみても女子高生にしか見えないしな」

山田がそう言うとエリナはセーラー服のスカーフをほどき山田に手渡していた。

「ありがとうございます。そんなこと言われるとエリナもとっても嬉しくなっちゃいました。ファミレスから帰って来て制服に着替え直したんだけど、なんの違和感もなく着替えができちゃって、この薬の威力ってやっぱりすごいなって思っちゃいました」

山田がエリナにスカーフを返すとエリナはスカーフを結んで見せた。

「まぁ。そんなの当然だろ。春彦にあげたものだろうが水田にあげたものだろうが憑依薬の基本性能は変わらないからな。水田の薬は身体と魂が分離して魂だけで乗り移るタイプだけど、春彦が使っている薬はそれをバージョンアップさせて身体と魂を分離させることなく身体ごと乗り移れるように改良したものだよ。身体ごと乗り移っても体重が増えることも体型が変わることもないんだけど、そうなるまでにどれだけ、サヤカと実験を繰り返して来たのかわからないよ」

ピーンポーン。

リビングにマンションのエントランスからの呼び出し音が鳴り響いた。インターホンの画面を見るとそこには一人の女性が立っている。どうやら十七年前に「女子会」を開いた時に僕が乗り移り付き合っていた由希奈のようだったが、昔の面影からすると別人のようにも見えた。確認するやすぐさま解錠ボタンを押してしまったので、姿形をじっくりと確認することはできなかった。

「由希奈が来たようだけど、誰がどうやって出迎えたらいいんだ?」

京香先生はそう言いながら山田に向かって質問していた。

「ここに来るように仕向けたのは俺なんだから、俺が出るよ。みんなはリビングで待っていてくれたらいいさ」

由希奈は山田が見つけて話を通したのだった。時間がない今はそれを信じるしかなかったため、玄関からのインターホンが鳴る時には山田が出ることにして、僕らはリビングで出迎えを待つことにした。

ピーンポーン。ピーンポーン。

そして、訪問者のやってきた合図とともに山田は玄関へと向かったのだ。



七.訪問者の正体

山田が三田家の玄関扉を開けると、そこには機内持ち込みサイズのスーツケースを手にして女性が立っていた。

「お待ちしていました。由希奈様」

そう言って彼女のスーツケースを山田が自分の手に取ると家の中へと招き入れた。彼女はどうやら長距離を移動してきたらしく少し厚底のサンダルを脱ぐと身体のバランスを崩しそうになっていた。玄関に用意されているスリッパに履き替えることもなく、素足のままスタスタ廊下を歩いてリビングへと向かった。

「ただいまぁ~」

彼女はリビングに入ると京香先生に向かってそう言って来たのだ。続けて彼女のスーツケースをスライドしながら山田が戻ってきた。リビングの入口で立ち止まっている彼女の姿を見ると、春彦はなんだか懐かしさと嬉しさが同時に湧き上がって来たのだ。高校時代に京香先生のことを慕っていた柏木(かしわぎ)由希奈は京香先生にとっても特別な存在の生徒だったようだ。京香先生の思いと春彦の思いが一つに重なってとても熱い感覚が蘇ってくるのだった。

「由希奈さんのご到着です。実は結婚されているので今は柏木ではなくて名字は小倉(おぐら)に変わっています。大学時代に関西に引っ越してしまったので、俺も連絡が取れないでいたんだけど京香先生と年賀状のやり取りを続けていたことで、連絡先がわかったんだ。俺が三田健作先生に連絡して、三田先生の研修先が彼女の自宅に近いこともあって、こうやって来てもらえたってわけ」

高校時代はメガネをかけていたので、付き合っていた春彦でさえも美人だとは思わなかったが、メガネを外した彼女はとてもきれいだった。今は関西人のご主人と一緒に暮らす二児の母だということやこれまでの経歴についても山田は事細かに教えてくれた。由希奈は白をベースにした花柄のノースリーブワンピースに身を包み、マキシスカート丈は彼女のくるぶしまで覆い隠していた。彼女は立ち止まっていた場所からゆっくりと京香先生の方に近づいて行くと胸の中に飛び込んでいた。

「京香先生。私、とっても先生に会いたかったんです。関西で大学を卒業して就職、結婚、出産、子育てと忙しい日々を過ごしていたので、なかなか関東に戻って来る機会はありませんでした。京香先生の淡い香水の香りが懐かしさをさらに加速させて、こうしているとなんだか安心しちゃいますね」

かつて春彦の恋人でもあった由希奈を胸に抱くだけで、なんだかとてつもなくドキドキしているようだった。

「由希奈さん。ところで、メガネはどうしたの?もしかして、コンタクトを入れてるの?」
「あっ、先生。今日はコンタクトを入れたんですが、今は目の手術をしたのでメガネをかけなくてもよく見えるようになったんです」
「えっ?よく見えるようになったんならコンタクトを入れる必要なんてないでしょ?」

由希奈に対して自然と京香先生の口調で話ができている春彦だった。由希奈の眼をじっくりと観察すると茶色い瞳は相変わらずのことだった。

「じゃあ、先生。コンタクトを外してきますのでちょっと待ってくださいね」

由希奈はそう言って洗面所に向かい眼の中にある使い捨てのコンタクトを取り外して、鏡に映る自分の姿とゆっくり対峙していた。由希奈がリビングに戻って来るとその瞳を見て、僕は事の真相を理解できた。

「山田くん、これって一体どう言うことなの?」

高校時代に京香先生が山田に言ったがの如く、いや、全く同じ口調で山田に追及し始めていた。その時、山田は由希奈が持って来たスーツケースを開けて全開にすると中身が見えたのだ。

「これって、男物のスーツ!?」

さらに中には洗濯かごに入れられた男性物の下着や二十七センチの革靴までもが収められていた。その中から首からかけるネックストラップを見つけると京香先生はすぐさまそれを手に取っていた。それを自分の首に掛けてカードホルダーを見てみると、そこには「三田健作(けんさく)」という文字列が並んでいるのだった。

「まさか、三田先生?」

目の前にいる由希奈は淡いグリーンの瞳をちらつかせ、いつの間にか仁王立ちになって京香先生に視線を向けていた。

「ようやく、わかったのかな?京香の姿をしている、か・わ・し・ま・くん!」

これでほぼ間違いがなかった。目の前にいる由希奈の正体は実は京香先生が結婚した相手である三田先生だったのだ。山田が言っていたある裏技というのは三田先生のことだった。

「まぁ、驚くのも無理も無いよな。みんなには知らせていなかったけど、三田先生の研修期間って実は今日の午前中までだったんだよ。でさ、その足で小倉家に立ち寄ってもらってね。さすがに本物の由希奈は二児の母親ということもあってここに来るのは難しかったからね。三田先生には予め俺が用意しておいた粉薬を渡しておいたんだ」

山田はまたもや誇らしげに話していた。確かに、山田がいなければこんな風にみんなで集まることはなかったのだ。山田の計画は相変わらず春彦の先の先を読んでいるようだった。

「じゃ~、その続きは私に話をさせてくれない?」

そう言ったのは由希奈の姿をしている三田先生だった。グリーンの瞳に気づかなければ、誰も由希奈ではないと疑うことはないだろう。

「用意してくれた粉薬は彼女自ら水に溶かして飲んでくれたのよ。京香、いや、京香先生が使わなくなったピアスを彼女にプレゼントして京香先生の近況を伝えたら、すぐにこっちが思っていた通り薬を飲んでくれたってわけ」
「山田くん、その薬ってどんな効果があるものなの?」
「薬のことなら俺に任せてくれ!三田先生に預けた薬は粉薬なので水に溶けやすくて飲むとすぐに身体中に浸透していくんだよ。入れ替わり薬や憑依薬の完成度は高まっているんだけど、最近は変身薬や皮物薬に力を入れているので、エリカ先生に使ったのは何薬だったっけ?」
「あっ、それは変身薬でしょ?」
「そうそう、変身薬。でもね由希奈に使ったのは皮物薬だよ。俺の作った皮物薬は服を脱ぐ必要もなく本人の皮を採取できるようにしたんだ。だから、薬が全身に浸透していくと身体の表面に水蒸気が覆うようになって、その状態で身体を引き抜くと残った水蒸気が結合しなおして本人の情報を引き継いだ皮として残るんだ。しかも、この皮は人間の皮と違って老化することが無いので、若いときの皮を取って置いておくような使い方もできるってわけ」

山田の奴は聞いてもいないのに次々と話して来た。

「ということで、この薬を由希奈さんが飲んでくれたおかげで、こうやって由希奈さんの姿になって自分の家に戻って来たってわけ」
「だから、さっき部屋に入ってきた時に、ただいまぁ~って言ってたのね。そこはやっぱり、お父さんらしいなぁ」
「由希奈さんには気づかれないように彼女の皮を回収したので、新幹線に乗る前にファストファッションの店でサイズの合いそうな服とサンダルをすばやく調達して、『みんなのトイレ』に入ってこの皮を身に着けて着替えたのよ」

由希奈はそう言うと、首のあたりに手を突っ込み、まるでヘルメットのシールドを外すかのような感覚で、顔を覆っている皮だけを外していた。首から下と、首の上も髪の毛は由希奈の長髪が伸びているのだが、顔面部分だけが三田先生だった。

「さすがに山田が開発した薬だけあって細かなことまでよく考えられているよな。顔面だけを自分の姿に戻せるなんて思いもしなかったよ」

三田先生の生声を聞くのは高校生の時以来だった。顔面だけが先生というのも最近はスマホのアプリでよく遊んでいることなので、あまり違和感を感じることはなかった。

「あっ!?やっぱり。私のお父さんね!」

エリナはしばらくぶりに見る自分のお父さんの顔面に思わず反応してしまった。

「とにかく、まずは由希奈さんの皮を脱いだ方がいいよね。この皮はこれから誰が着るんだったっけな?」

由希奈の皮を着る?それは春彦のことだった。春彦がこれからかつての恋人である由希奈の今の姿になれる皮を着ようとしているのだ。京香先生に憑依している状態から戻らなくてはならないので、しっかりと手順を踏まないといけないようだった。目の前では三田先生が由希奈の皮をあっという間に脱いでしまったのだが、驚いたことに三田先生は普段着姿だった。

「この皮って服を着たまま着られるように作ってあるんだ。しかも、体型に関わらずきちんとフィットしてしまうし、誰が被ったとしても体重も皮を作った時点の本人と全く同じにできるんだ。でも、さすがに皮の上から着ているものは脱いでもらわないと駄目なんだけどね」

京香先生の目の前には由希奈がさっきまで着ていたノースリーブのワンピースと、身につけていた下着が脱ぎ捨てられて同じ場所に一緒になっておかれているのだった。ここまで準備ができるまでなんだか思った以上に時間がかかってしまったが、これでようやく『女子会同窓会』を行うための下準備がすべて整うのだった。

(8に続く)






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