2015年。六月。
 そろそろ暑くなり始め、服装が乱れ始めるころ。
 その引き締めで都内のとある高校では風紀委員が抜き打ちで服装検査をしていた。

「よう。やってるな」
 まるで真っ向から挑むかのように「乱れた服装の少年」が現れた。
 髪は短いものの見事に金色に。
 左耳にはリング状のピアスが。
 半そでのワイシャツを着崩し、ネクタイもしていない。
 靴のかかとを踏み潰す有様だ。

「蜷川梓(にながわ あずさ)ぁ。貴様は何度言えばわかるんだ? 制服をきちんと着ろぉ。その髪も黒くしてこい」
 風紀委員の一人である少年が怒鳴る。
 黒髪。長さもまじめに校則通りに短くしている。
 トレードマークは黒縁の眼鏡。
 それもあり真面目な印象の少年だ。

「はぁ? 聞こえんなぁ」
 耳に手を当てるポーズを取る金髪の不良男子。
 明らかな挑発だ。
「もっとはっきり喋ってくれよ。江ノ本里織(えのもと さおり)さんよぉ」

 蜷川梓。江ノ本里織。
 どちらも男子であり、そして本名だった。

 1999年7月24日に生まれた梓は、親が女児を欲していたその名残で女性的なこの名をつけられた。
 女性的な名前と裏腹に奔放な性格であり、道を踏み外したというより好き勝手にやった結果として中学生のころから不良のレッテルを貼られていた。
 してないのは殺人とレイプだけじゃないかという印象の暴走ぶりだった。
 すでに親にも恐れられて距離を置かれる始末。

 里織は1999年9月11日生まれ。
 両者ともに高校一年生だった。
 江ノ本家三男の彼は里織と名付けられた。
 長兄が伊織。次兄が詩織と韻を踏まれたゆえの命名だ。
 これでも字面は女性的な印象から遠ざけている。
 里織の下。末弟は佳織という名だけにまだいいかもしれない。
 ちなみに四兄弟の上に千春という姉。
 佳織の下に中学生の妹。千幸(ちゆき)がいる。

 この命名は里織の親がとある大企業グループの総帥であり、その後継ぎということで父・千織の「織」の字を当てられたためである。
 そして後継ぎゆえに厳格に育てられ、生真面目に里織は成長した。
 いずれは父の跡目を継ぐと、彼自身自覚している。
 直接の後継者は兄であれ、自身も一部を任されると思っていたしそういわれてもいた。
 だからおのれを厳しく律していた。

 梓と里織。
 まさに水と油の関係。
 決して交わらない二人。
 顔を合わせればケンカだった。

「まったく、蜷川め。好き勝手やりやがって」
 一年三組の教室。すでに三時限目というのにまだ里織は憤慨していた。
 朝の件だけではなく、これまでのものが積み重なっての不満が出た。
「おいおい。いつまで怒ってんだよ」
 同じクラスの男子・徳村伸也があきれ顔でたしなめる。
 彼もまた風紀委員だが、今回は当番ではないのであの場にいなかった。
 クラスメイトにして同じ風紀委員で、里織とは自然と仲良くなっていった。
 里織の唯一といっていい親友だ。

「収まるわけがなかろうっ。あいつは人生をなめ切っている。いずれ天罰を食らうぞっ」
「天罰とまで言うか?」
「そうでなくてはおかしいだろう。僕は何一つ自由にできないのに、あいつはあそこまで勝手に。それで何もないなんて不公平もいいところだ。神を呪うぞ!」
 ボルテージが上がる一方だ。

 ふと思いついて徳村が尋ねる。
「お前、もしかして蜷川がうらやましいんじゃ?」
 正鵠を射るとはまさにこれだった。
 図星を突かれた里織の表情である。
「ああ。うらやましいねっ。僕もあんな風に好き勝手にしたいものだっ」
 表情に出ていたのでもう隠さないで本音を吐露した。
「素直でよろしい」
 徳村は話を終わらせるべくまとめてしまった。

「ひゃははは。あの時の江ノ本の表情を見たか? 傑作だったな」
 同じころ。こちらはまだ笑っていた梓。彼の所属する一年一組の教室である。
「まだ笑ってんのかよ。しつこいな。お前も」
 不良仲間の豊田康之がこちらも呆れ気味に言う。
「オレがいうのもなんだけどよ、ずいぶんとアイツには絡むじゃねーか」
 豊田にしたら何気ない会話だったが、梓の心には響いた。笑みが消える。
「ああ。気に入らねえ。自分はまっとうに生きていますって言いたげなあの面がよ」
 心に響いたから心情を吐露した。
「上から見下しやがってよ。だから不良なりの意地ってやつで突っかかるのさ。体制への反発ってやつだ」
 こちらはこちらで里織に劣等感があった。

「へっ。おめーが女だったら、やがて江ノ本と恋に発展するパターンだな」
 豊田にしたらジョークのつもりだった。
「かもしれねぇな。あの野郎は俺が持ってないものを山ほど持ってる」
 意外にも素直に認めた。
「オレはもうやり直しもできそうにないから、このままやってくけどよ。ま、生まれ変われるってんならああいう『まっとうな』生き方も悪くねぇな」
 ジョークにしては真顔だった梓。
 本音が出たとしか思えなかった。

 2016年8月。
 夏休みだが梓はおよそ「青春」とは程遠い過ごし方をしていた。
 殴り合いのケンカである。
「どうしたよ。四対四だぜ。それにしちゃずいぶんぼろ負けじゃねーか。よぉ。花澤。鳥海。風雅。月岡」
 実際は梓が一人で四人相手に暴れている。
 同行している三人は単なる見張り役だ。
 間違っても味方を殴る心配がないので、手当たり次第に殴り飛ばしていた。
「……この狂犬が。いきなりケンカを売りつけやがって。しかも押し売りだ」
 ほほをさすりながら半身を起こしつつ「花澤」と呼ばれた男がいう。
「はっ。機嫌の悪い時に視界に入ったてめーらが悪い」
 理不尽な言い草である。
「夏休みでよぉ、けんか相手と会えねーんだよ。イライラの発散をさせてもらうぜ」
 いうなりまた攻撃を再開する。
 まだ倒れている相手の顔面目掛けての蹴りだ。
 これはたまらずガードするが起こし掛けた体がまた地面に。
 それを容赦なく踏みつける梓。
 まさにイカレていた。
 しかしパトカーのサイレンが花澤たちを救った。
「チっ。だったら警察相手に暴れてやるか?」
「やばいって」「逃げよう」
 さすがに警察から逃げるだけの冷静さは持っていた梓の同行者たち。
 やられていた四人も一人に圧倒されていたのではメンツが立たない。
 被害届けも出さずにその場から逃げ出す。
 こんなことが何度もあり、かなり恨んでいた。

 そのころ里織は夏期講習を受けていた。
 冷房も効いていい環境のはずだが、勉強のための場所だけに居心地がいいとはいいがたい。
 それでも休憩時間ともなるとおしゃべりが始まる。
 そうでないと息が詰まるのだ。
「あー。くったびれた。勉強ばかりじゃ肩がこるぜ。なぁ。江ノ本。講習終わったら遊びに行かね?」
 ともに受けている徳村が至極もっともな「高校生らしい」提案を持ち掛けた。
 しかし里織は
「あいにく僕にはそんな暇はない」と突っぱねた。
「時間ないって……たまには息抜きしないと身が持たないぜ」
「遊びたきゃ他を誘え。僕はむしろ時間が足りない。父さんの期待に応えるためにはもっと勉強しないと」
 言葉が出なくなる徳村。つい考えなしに言葉が口をつく。
「お前、そんなんで何が楽しいの?」
 何を言われても淡々と返答していた里織が、その一言で激昂した。
「お前に何がわかる!?」
 胸ぐらをつかみかからんばかりの勢いだ。
「本当は遊びたいが『父の期待』に縛られ何もできない」と徳村は思った。
 以来彼は里織を遊びに誘うのは諦めた。

((くそおもしろくもない))
 里織と梓。対極の二人が全く同じ言葉を脳裏に浮かべていた。
 二人とも「今の生活」から抜け出したい。でもできないでいた。

 その鬱屈を互いに向け合う。

 誰もが見放す不良である梓に態度を改めるように求め続ける里織。
 不良の割には登校はつづけ、里織と争い続ける梓。
 変わった形の友人関係。
 観る人によっては恋人に見えるほどの関わり合いだ。

 両者ともに相手が自分にないものを持っていることを憎悪し、それゆえに敵視する。
 ない物ねだりであった。

 その関係は延々と続き、二年になっても変わらなかった。
 里織はともかく、梓も進級できるだけの条件は満たしていた。

 このまま卒業まで抗争が続くのか?
 誰しもがうんざりしていた二人の関係。
 それが意外な形で「反転」する。

反転・ぎじゆり

城弾

 2016年11月。
 何度も何度も逢瀬のような衝突を繰り返す里織と梓。
 互いに相手に対する「思い」があるが、それを頑として認めないまま二年生になった現在ここまでこじれた。

 そしてついに運命の日が来た。
 一対一の対談を里織から申し入れ、梓が応じた。

 里織は放課後に校舎の屋上で待っていた。
 そこに梓が現れた。
「よく来たな。すっぽかされるのも覚悟していたんだが」
 しかし里織自身にもわからない「梓が必ず来る」という確信があった。
 奇妙な信頼がそこにあった。

「はっ。暇だっただけだ」
 ぶっきらぼうな態度が照れ隠しにも見える。
「けどよぉ。こんなところでなくてもいいだろうよ。何か工事している見たいだぜ。うわっ」
 二人とも体勢を崩した突風。それが何と丸めてあるケーブルを吹き上げて、金網と電線に引っかかる。
「おいおい。すげえな。神様が引っ掛けたとかじゃあるまいし。こんな危なっかしいところで話しをするのか?」
「ここなら立ち入り禁止で邪魔が入らないからな」
 里織の言葉を口笛で茶化す梓。
「まじめ君にしちゃやるじゃん。それともオレがぞろぞろ連れてくると思ったか。てめーと会うためだけに」
 隠れるところのない屋上である。伏兵にはすぐ気が付く。
「いや。なんでか知らないが、そんなことはしないと思っていた」

「はっ。二人っきりか。上等じゃん。けど手短に頼むぜ。雨が降りそうだ」
 梓の指摘通りだ。文字通り暗雲が立ち込めている。
 季節外れの入道雲も確認できる。
「なら単刀直入に言う。すぐにふざけた態度を改めろ。僕のようにまっとうな高校生活を送ることを推奨する」
 即座に反発。それを予想していた里織であるが、意外にも梓は黙り込んだ。だが
「おめーのようにか……はん。今更そんなお上品にふるまえるかよ。カタッ苦しい」
「な!?」
「忠告」を即座に否定しに来た。

 むしろ里織より別のものを否定にかかっている。
(ああ。今更だぜ。ここまで腐ったオレが、それこそ生まれ変わりでもしなきゃやり直せなんざしねぇよ)
 あまりにも「ワル」が長かった。
 平たく言うと「飽き飽きしていた」のだ。
 否定しつつも「まじめな生き方」もあったのかもしれないと、ワルの反動で思い始めていた。
 それも里織とのいさかいがもたらした気持ち。
 当人は認識してないが、里織に対する「あこがれ」があった。
 だからこそ尚更。自分のスタイルを否定しないために反発をする。

「おめーこそもっと気楽に自由にしろや。オレが何するのも勝手。てめーがどうするのも勝手。それでいいじゃねぇか。里織さんよぉ」
「ぐっ……」
 今度は里織が黙り込む。
(自由にだ? それこそ勝手なことを言う。こいつのように奔放に生きられたらどんなにいいか)
 彼には自由がなかった。
 ただ後継ぎとして父の期待に応えることだけが日々の目的であった。
 道を外れることなど許されない。
 それだけに勝手にふるまう梓が「妬ましくて」許せなかった。

「自由にだと? 貴様に何がわかる!? ただ日々をだらだらと無為に過ごす貴様に何がわかる?」
 逆鱗に触れた。
「何を不幸ぶってんだよ。不自由にしがみついてんのはてめーだろうよ、そんな奴の気持ちなんざわかるわけねぇよ」
 梓もいらだって言い返す。

 そう。お互い様であった。
 認めはしないものの、互いに相手にあこがれを抱いていた。
 それを否定するかの如く不幸自慢。
 腹を立てるには、そして冷静さを欠くには十分であった。
 だから不穏な空気。
 比喩ではなく物理的。
 気象状況の悪化が頭に入ってこなかった。
 とどろく雷鳴は「警報」というよりも、ドラマのように緊迫感を高めるBGMにすぎなくなっていた。
 だが危険は迫っていた。
 遠くで稲光が確認できる。

 しかし二人はお互いしか目に入ってなかった。
 ついにはつかみかかっていく。それも里織の方がだ。
「僕のつらさをお前なんかにわかられてたまるか。お前のような勝手気まま。自由なやつに」
「はっ。前からその『自分が正義だ』って気取っていたのが気に入らなかったぜ。上からクズでも見るような視線もなぁ」
 取っ組み合いになる。つまり密着した。
 そのまま転落防止の金網に互いの体を押し付けるように。

 そこにありえないことが起きた。
 接近は確かにしていたものの、まだ遠くにあったはずの雷が近くに落ちた。
 本来なら避雷針や樹木など高いもの。
 あるいは電導率の高い金属などにすべて落ちるはずだった。
 その中の枝分かれしたごく弱い……とはいえ雷が金網を通じて二人を感電させた。
「うきゃああああっ」
「うわぁぁぁぁっ」
 二人とも倒れ伏す。

「落雷の音がしたが……うわああっ」
 状況確認で教師が屋上に上がってきて、倒れている二人を発見。
 まるで通報させるためにその場に行かされたかのようなタイミングだった。
「た、大変だ。とにかく救急車をっ」
 スマートフォンで119番し通報し、即座に隊員が駆けつけて二人を運び出した。
 生きてはいるがひどいやけどで、生きて帰ってくるのは絶望視された。

 空きの関係で梓と里織は別の病院へと搬送された。
 だがやることは同じ。緊急手術である。
 そして二人の搬送されたそれぞれの搬送先から連絡を受け、それぞれの家族が駆けつけた。
 しかし里織の父は多忙を理由に来なかった。兄弟だけだ。
 一方、梓の両親は不良とはいえわが子を見捨てず駆けつけた。
 そこで告げられたのは残酷な事実。
 死ななかったのが不思議なほどの感電そのもの。それによるやけど。
 翌朝まで持つかも怪しかった。

 しかし落雷が不思議な「軌跡」なら、二人にも「奇跡」が起きた。
 そもそもケーブルがあんな状態になったの自体が異常だ。
 まるでこの状態にいざなうかのように悪条件がそろっていた。
(死ぬのか? 俺はこのまま、腐ったまま死ぬのか? いやだ。やり直しのチャンスをくれ。死にたくねぇ)
 梓は苦悶の表情をしている。
 皮肉にもそれが生存の証明になっていた。

 里織も同様に生死の境をさまよっていた。
(死ぬのか? 僕は何も自分のためのことをしないまま死んでいくのか。どうせ死ぬなら自由にしたかったのに)
 こちらも苦悶の表情だ。
 こちらは悔恨のそれに見える。

(生きていたい。生まれ変わりでもいい)
 両者ともに全く同じことを考えた。
 生への執着が摩訶不思議なことを引き起こした。
 体内を駆け抜けたはずの電気だったのに、それが細胞の活性化に繋がった。
 やけどが治る。再生ではない。新生というほうが近い。
 二人の破壊された肉体をまるで使える部分を利用しているかのように小さくなっていく。
 骨すら変化していた。
 やけどがウソのようにきれいな肌になっていく。

 死ななかったのも脅威だか、さらにとんでもない事態が二人に降りかかる。

「おい。聞いたか?」
 梓にいいようにいたぶられた花澤が切り出す。
 オールバックが実年齢より老けて見せていた。
 高校生なのにバーに入り浸っていた。
「なにをだよ?」
 スキンヘッドの月岡が「かったるそう」に口を開く。
「蜷川のやろう。雷に打たれて死んだらしいぜ」
「なんだって?」
 信じられない話に身を起こすリーゼントの鳥海。
「そいつはいいニュースだぜ。あの狂犬野郎に何度やられたことか」
 ソフトモヒカンの風雅が喜色満面になる。
 四人とも梓にはさんざん殴られていた。
 ケンカの腕より梓の「狂気」が圧倒して勝てないでいた。
 何しろほとんどにおいて「うっぷん晴らし」で殴られていたのだ。
 人の死で祝杯を挙げる気にもなる。

「それじゃ乾杯だ」
 実際にグラスを打ち鳴らす。
 しかしこの時点ではまだ生きていた。
 いや。ある意味では死んでいたのも間違いではない。

 二週間後。
 二人は生き延びた。
 いや。生まれ変わったのだ。

「う、うーん」
 個室の病室でうめき声をあげる梓……あずさ。
 点滴や尿カテーテルなどいたるところに針が刺さり痛々しい姿。
 それでも生きている。
「あずさ。あずさ。目が覚めたのかい?」
 あずさの母が呼びかけるとうっすらと目をあける。
「……ここは?……オレ、生きてる?」
 生死の境をさまよっていたのは記憶にある。
 しかし目覚める前は全く意識が途絶えていた。
「あずさ。喋れるのか?」
 父親が驚く。
 単純に口を閉ざしていただけでも声が出にくくなる。
 それが二週間も昏睡状態だったのだ。
「あ、ああ。おやじ。しゃべることはできる……ぜ? な、なんだ? 声が変だぞ。やたら甲高い」
 激しく狼狽える。
 それを見て逆に母親は「伝える」ことを決意した。

「あずさ。気をしっかり持ちなさい」
「なんだよ。おふくろまで」
 苦笑するあずさ。
 母親は無言で布団をはがし、まだ身を起こせないあずさに手鏡で自身の胸元が見えるようにした。
「へっ。こうして生きているんた。どんな傷跡だろうと平気……だ……ぜ? 何だと?」
 あずさは絶句した。
 傷もやけどの跡もなかった。
 驚愕すべきは他にもある。
 すべすべの肌だったのだ。
 しかも小さくではあるが胸が膨らんでいる。
「寝ていて太ったのか? こんな女みたいな胸と声と顔……」
 理解が追いつかない。混乱している。

 どのみち意識が戻ったのなら、自分で気が付く。
 そう思った母親ははっきりと伝えた。
「あずさ。よくお聞き。お前は女の子になったんだよ
 その時のあずさは驚きはしたが、不思議と男でなくなった絶望感はなかった。逆だった。
「お、女に? ほ、本当に生まれ変われたということ? やり直せるの?」
 そう解釈した。

 同様に新しい性別を知らされた里織……さおり。
 そう。「彼」もまた「彼女」になっていた。
 個室でベッドが持ち上がり、半身を起こされた状態で膨らんだ胸を観ていた。
「なんということだ? 生きていたのはいいがなんで女に?」
 まさに茫然自失。
 こちらはややハスキーな声。だが紛れもない女の声だ。
「おそらくは急激な再生の際に遺伝子情報が書きかえられたのではないかと」
 説明する医師も歯切れが悪い。
 ここまでくると神の領域だ。医学でどうにかなるものじゃない。
「でもよかったわ。さおりちゃんが死んだかと思って泣いたのよ。たとえ女の子でも生きているんですもの」
 姉・千春がおっとりとした口調で言う。
「そうだよ。さおりおに……お姉ちゃん。それもこんなに可愛くなって。男だったのにいきなりこんなに可愛くなるなんてずっるーい」
 末っ子の次女。千幸が本心から言う。
 望まぬ性転換は悲劇的なのだが、もともと女の彼女たちにしたら「女のどこがいけないの?」というところである。
 ましてや九分九厘死んだと思われたあずさが、変則的とはいえ五体満足な状態になったのだ。
 楽天的にもなる。
 しかし当人にしたらたまらない。
「姉さんも千幸もわかってないっ。僕が女になったということはだっ、跡継ぎの資格を失ったということなんだっ」
 戦国の世のようにあくまで跡目を継ぐのは男と決められている江ノ本家である。
 女性なら婿を取るといいたいが、それが「使える」とは限らない。
 ましてや外部から得体のしれない人間を一族に加えたくなかった。
 それくらいなら嫁にやってしまって跡継ぎからは外せと。
 「婿」に乗っ取られないためである。
「僕が女になったということは、そういうことなんだっ。今まで自分の自由を捨ててやってきたものがすべて水の泡になるっ」
 性別が変わったことより、そちらを嘆いているさおりである。

「ほう。よくわかっているじゃないか」

 さおりは凍てついた。その初老男性の声に。
「と、父さん」
 鋭い眼光の初老の男が現れた。
 里織たちの父。千織だ。
 ベッドの上の里織をじろりと一瞥する。
「見た目ももう女だな」
 雰囲気などをさしての言葉ではない。
 生物学上で女子だと判断された。
「里織。お前はもう女だ。だから跡継ぎから外す」
「と、父さん。待ってくれ。女になったからってそれはあんまりだ。今まで何のために自分を殺して」
「だからこれからはすきにしろと言っている」
 父・千織としては重責から解き放ったつもりだった。
 しかし子・里織としては見捨てられたという印象に。
 愕然とする中、それだけ告げると千織は多忙さもあり病室を後にした。

 あずさの病室。
「そうかぁ……女になったのかぁ。それじゃ今までのオレはもう死んだようなものだな」
 不服どころかむしろ感慨深げに女子となったのを受け入れているあずさ。
「あずさ?」
 肩透かしに感じた両親である。
 まさか性転換をこうまでポジティブにとらえるとは。
「おやじ。おふくろ。これはチャンスだ」
「チャンス?」
「ああ。今までのオレはリセットされたんだ。やり直しできる。生まれ変わったんだ」
 あの落雷で不良男子・蜷川梓は死んだのだ。そう考えた。
「そうだ……違う。そう。オレ……じゃない。私、今度はまじめにいきる。そう。彼のように」
 いきなり女言葉になろうとしているのが本気のあかしだった。
 あるいは現実味がなく「夢を見ている」気持なのか。
 夢というなら「希望」が出たのか?

 そしてやはりあずさは「江ノ本里織」を意識していたのが今の言葉に現れていた。

 そのころさおりは
「ふ、ふふふ。そうか。今までの努力は水の泡か」
 呆然自失。あるいは自暴自棄に陥っていた。
 生きていたとはいえどそれまでのすべてを失ったのだ。「男」すらもなくした。
「さおりちゃん?」
 姉の千春が心配そうに顔を覗き込む。
 その眼前で不意に叫ぶさおり。
「だったらなってやるよ。望み通り女になぁ。それも最悪の奴に。ああ。あいつのように勝手気ままになぁーっ」
 こちらはこちらで「蜷川梓」への憧憬を示していた。

 一か月で両者ともに驚異的な回復をして、個室から四人部屋に。
 もちろん女性の部屋にである。
 珍しい若い女性の入院患者に何かと同室の女性患者たちから話しけられる。
 そこから女言葉を学ぶ二人である。
 それまでの自分を否定するかのように積極的に女言葉を使い、女性の言語感覚の鋭さでマスターしていく二人だった。

 リハビリに移行した。
 立てる段階にきたのもありトイレなどもこなしていた。
 もちろん女子用。
 そしてこのリハビリ段階で急激に「女らしい」体になっていく。
 肌が白くなり胸も膨らんでいく。
 髪の伸びも早い。
 骨格。筋肉のつき方の違いもありしぐさが女性的になっていく。
 なにより両者ともに積極的に女子になろうとしていた。
 ただあずさは「やり直し」で、さおりは「やけくそ」と正反対だった。

 リハビリ中に出席日数不足が確定。
 両者ともに留年が決まった。
 もう一度二年生をやり直す。
 当人たちも覚悟していたので自分でわかっていた。

「いいですわ。それじゃわたし、蜷川あずさは2000年7月24日生まれということで」
 不良男子だったこともあり多少の覚悟はあったのか、あっさり受け入れ一年ずらしてしまった。
 このころのあずさは真面目な女の子を目指していたので、言葉遣いも丁寧で柔らかくなっていた。
 意識して丁寧な口調にしていたので、いささか大げさにも感じる。

「はっ。何をいまさら。ここまで堕ちたんだ。留年がどうしたよ? 2000年生まれと言っときゃ問題ないんだろ」
 さおりの方は「すれた」感じに。
 やはり「転落」がやけを起こさせていた。

 退院して二人がとった行動は同じだった。
 きちんとサイズを図ったうえでの下着と衣類の調達。
 両者ともに徹底していてボトムはスカートのみだ。

 男の時は床屋に出向いていた二人。
 生まれて初めての美容院に。
 だがあずさはわずかに髪を切っただけ。しかし大きな変化。
 もともと金髪になっていた先端部分を切ってもらったのである。
 それでも背中にかかる長さの黒髪がつややかに光る。
「似合いますか? お父さん。お母さん」
 照れくさそうに尋ねるあずさ。
「あの不良息子が」「こんなきれいな娘になるなんて」
 むせび泣いていた。
「や、やだ。男の子だったころのことは言わないでください。はずかしい」
 ほほを染めるそれが可愛らしい。
 そして「恥ずかしい」も本音だった。
 堕ちるに任せての日々を恥じ入っていた。
 その時代を『無かったこと』にしたくて、とにかく「女の子」になろうとしていた。

 一方のさおりは兄弟姉妹。そして親を驚かしていた。
「どうだい? 新しいあたしは?」
 つむじから金色になっていた。やはり背中に届く金髪。
 それを美容院でツーテール……俗にいうツインテールにしていた。
 自己代名詞も「女性的」に「あたし」と改めていた。
「うわぁ。さおりおねえちゃん。派手ねぇ」
「へへっ。いいだろ」
 本心から言っている。
 「女に堕ちる」感じだったが、いつの間にかそれを楽しみだしていた。
 男だったときにはなかった「自由」が女ではある。
 とはいえこれはやりすぎだ。
 父親としては見過ごせない。
「さおりっ。なんだその姿はッ!?」
「不良娘」に激昂する千織。
 それを一瞥するさおり。もはやかつての尊敬はない。
「あたしは一度死んだんだ。もうあんたの人形じゃない。自由に、勝手にやらせてもらうよ」
 意趣返しとかではない。ただの宣誓だった。
「姉貴ぃ。化粧教えて」
 だから何事もなかったかのように行動を続ける。

「どうですか? お父さん。お母さん。賢そうに見えます?」
 笑顔が随分と可愛らしくなったあずさが茶目っ気のある表情で尋ねる。
「どうしたの。あずさ。目が悪くもないのにメガネなんて」
「えへへ。伊達メガネです。度は入ってません」
 彼女の言う通り、度がないので「歪み」がなかった。
 それでも黒縁のメガネは大きく顔の印象を変える。
「あずさ。やっぱりお前」
 父はあずさが留年を気にして顔を隠したと思った。
 それを察したあずさは先に答えを言う。
「わたしのあこがれの人のまねなんです。真面目な生き方のお手本。ああなれたらいいなぁ」
 性別が変わったからか素直にさおりへの憧れを口にするようになった。

(これだったら、彼のそばにいてもおかしくないですよね。真面目な女の子に見えますよね?)
 あずさは「江ノ本里織」の……そう。あの堅物男子の傍らにいる自分を想像した。
(彼となら今度はまっとうに生きられるかも。もしかしたら)
 思いの中の里織とあずさが唇を寄せている。
 互いの眼鏡が軽く当たる。そこで我に返りパタパタと手を振る。
(わ、わたしったらなんてことを。ホモだったのかしら? ううん。今は女の子だから男の子相手に恋をしても問題ないけど、それにしても彼はそういう相手じゃないはずよ)
 必死にその跳びすぎた思いをかき消す。
 それに夢中で気が付かなかった。
 願望が先立ちすぎて里織も自分と同じ事故にあったことが頭から消えていた。
 だから都合のいい想像をした。
 もっともたとえ事故に頭が行っても、里織まで自分と同じに女子化。
 ましてや「ギャル」と化していることなど思いもよらなかったであろう。

 その思いはこの姿で一つだけ気に入らない部位に目が行ったことで消えた。
 鏡に映る自分の華奢な胸元。
(でもなぁ……どうせ女の子になるなら、もうちょっとほしかったな)
 唯一不満を抱くのは胸元。Aカップである。

「どう? 決まってる?」
 かつての真面目少年がものの見事にギャル化していた。
 すっかり化粧にもなれた。
 目つきのきつさはもともとの目の悪さゆえ。
 しかしこちらは「綺麗な顔」を隠したくない「女ごころ」で眼鏡をかけずにいた。

 そしてピアスホールも開いていた。
 右に三つ。左に二つのピアス。
「うわぁ。いっぺんにいつつもあけたの?」
 千幸が顔をしかめて言う。
 非難というより単純に「痛そう」と。
「ううん。左右二つ。あとの三つはフェイクピアス」
 一見ピアスに見えるイヤリングのことだ。
 とはいえ見た目で五つは派手だ。
 爪も両手だけじゃなく両足もと20の爪すべてが真紅に彩られていた。
「なってみてわかったけど、女ってファッションの自由度が高いね。下だけでもズボンとスカートの違い。そのスカートのバリエーションの多いこと。女初心者の身としてはなかなかレベルが高い」
「でもさおりちゃんみたいなおっぱいだとちょっと選択肢が減るかな」
 自身もEカップの千春がおっとりという。
「あたしもこんなになるとは思わなくて。半年前はまったいらで、今はFだもんね。ちょっと変わりすぎ」
 ふと大きな鏡に全身を写してみる。
(ほんと変わりすぎ。あのくそまじめのかけらもないわ。これならアイツとも釣り合うかな?)
 不良男子の「蜷川 梓」と一緒にいるギャルがさおり。そんなイメージをした。
(お。いいじゃん。これなら似合いの二人……似合いの?)
 それが恋人同士をさすのはいくら世俗に疎くても知っている。
 そしてそこからの連想で唇が重なるイメージを抱いた。
(わーっ。何考えてんだ? あたしは。ホモかっつーの。あ。いや。あたしは女だからそれは違うか。それでもそんな思いなんかは)
 必死にかき消すがドキドキが大きな胸越しにも伝わるほど激しかった。

 しかしその不良男子はもういない。
 なにしろ同じく少女に生まれ変わり、しかも真面目になっていた。
 すべてを想像すらできないさおりだった。

 男時代が「芋虫」ならば、この休んでいた間が「さなぎ」になる。
 そして二匹の「蝶」の羽化が間近に迫っていた。
 片方はモンシロチョウに。
 片方はアゲハチョウになっていた。

 そして迎えた2017年の四月。
 あずさもさおりも二度目の二年生である。
 しかしまるで姿が違う。
 何しろ性別すら変わっているのだ。
 誰も彼女たちを「蜷川梓」「江ノ本里織」とは認識できない。

 二年二組。新二年生の新しいクラス。
 そこに「旧」二年生のあずさがいた。
 現在はホームルームで自己紹介が進行していた。
 一つだけ空席がある状態。
「それじゃ次。蜷川」
「はい」
 黒髪ストレートロングの美少女が涼やかな声で返答する。
 グレーのプリーツスカートはひざ丈のまま。
 短く見せるように調節していない。
 濃紺のハイソックス。
 長袖のスクールブラウスの色はオフホワイト。
 首をピンクのリボンが飾っている。
 レモンイエローのベスト。
 濃紺のブレザーをきちんと着こんでいた。
 一部の隙も無い「美少女」だった。

(蜷川?)
「鈴木」「高橋」『山本』「佐藤」などよりは「少数派の名前」で、一年生の時にも聞いた「手の付けられない不良」を思い起こさせた。
「蜷川あずさです。よろしくお願いします」
 ぺこりとお辞儀するとサラサラの黒髪が零れ落ちる。

 下の名前まで同じ。
 しかし同姓同名だろうと結論付けた。
 一年の時に聞いた「悪名」は「不良男子」のそれ。
 しかしここで名乗ったのは「優等生に見える女子」だ。
「金髪のヤンキー」と「黒髪の眼鏡っ子」が同一人物とは結び付かない。
 一人を除いて。

「蜷川だって?」

 教室の扉が開いたと思うと、女のハスキーボイスが響く。
 空席の主が来たかと一同が視線をよこし、目をそらす。
 およそ悪事と無縁そうな黒髪の眼鏡娘の名乗った「手の付けられない不良」と同じ名前のおかげで、この「ギャル」に勝手にそっちのイメージが重なってしまった。
 実際のところ、どこか投げやりな表情が「蜷川梓」を彷彿とさせた。
 もしもこっちが「蜷川梓が性転換した姿」と言われたら、少なくともこの黒髪の少女よりは信じられるであろう。
 なにしろ派手な金髪をツインテールに。
 当然のように化粧をしている。それどころか右に三つ。左に二つのピアス。細くなった指にはリング。
 かなり短くされた制服のスカートからのぞく足の、うち太ももに薔薇のタトゥー(シール)まである。
 爪はすべてスカイブルーに染まっている。
 ベストはつけてない。
 さらにジャケットを袖で腰に括り付けるありさま。

「はい。そうですわ」
 にこやかな笑顔は仮面。
 そう。かつての自分を思わせる「不真面目な生徒」に嫌悪感を露骨に示さないためのものだ。
 よりによって男時代の自分と同じ金髪が余計に強く思わせた。

「いや。同姓同名の別人だろ。あいつは男で、あんたは女。しかも真面目ちゃんだ」
 こちらは露骨に嫌悪感を示す。
 捨てたはずの自分がそこにいた。
 もしもドロップアウトしないまま女になっていたのなら、こうなっていたであろう姿。
 皮肉にしか取れなかった。

「あの、そこの席の方ですか?」
 空席をさしてあずさがいう。
「ああ。そうらしいや」
「おい。お前。遅刻しといてなんだ。その態度は? そこでいいから名前を言え」
 担任がようやく椅子から立ち金髪のギャルにいう。
 その少女はそれを待っていた。
「デビュー」をインパクトあるものにしたかった。
 新しい命と姿を深く刻み付ける。
 手の付けられない不良娘であることを示し、家の名をけがし切り捨てた父親に対しての復讐で。
 だからここまで堕ちて見せた。
 そして当然「家名」を背負った名を名乗る。

「あたしの名前? 江ノ本さおりだよ」

 ざわめく教室。
 この新しい二年二組にも一年の時に風紀委員だったものもいた。
 つまり男時代の里織と面識がある。
「くそ」がつくほどまじめな少年。それが定評だった。
 それが何で金髪の不良に?
 そしてそれだけならいざ知らす、こちらも明らかに女。
 全体的な雰囲気。顔。声。そしてたわわな胸元が女をアピールしていた。
 だからやはり同姓同名とされかけた。
 一人を除いて。

「え、江ノ本さんっ!? まさかあの……」
 激しく狼狽するあずさ。
「?」
 ここは新二年生ばかり。
 一部は男時代に後輩としていたから顔に覚えがあるが、大半は覚えがない。
 当然この黒髪の眼鏡っ子も覚えがない。
 むしろなんでここまで激しく狼狽えているのか戸惑っている。

「あなたもわたしと同じに雷のせいで女の子に?
「なんだって!?」
 今度はあずさの言葉がさおりを驚かせた。
 聞き捨てならない一言。
 自身は状況から確かに落雷に感電したとは推測された。
 そして同じ境遇でもおかしくない存在も覚えている。
 それだけに「わたしと同じに」の言葉が引っかかった。
「ま、まさかあんた? 本当に蜷川梓? あの?」
「はい。『あの』蜷川梓ですっ。そしてあなたは『あの』江ノ本里織さんなのですね?」
 一瞬、ためらうさおり。
 だが女になってからの行動はすべてやけくそだ。
 ここでぶちまけるのも面白いと思った。
「ああ。そうさ。『あの』クソ真面目だけが取り柄のガリ勉。それがあたしの『前世』さ」
 ざわめきのひどくなる教室。
 道理で誰もこの二人を一年の時に見たことないはずである。
 存在しないのだから。

「良かった」

 眼鏡越しにもわかるほど目に涙をためて、あずさはさおりに駆け寄る。
 そして子供が親にしがみつくように強く抱きしめた。
「ちょ、ちょっと!?」
 男だった名残か、突然「美少女」に抱き着かれてうろたえるさおり。
 それを知ってか知らずか、抱き着いたあずさは嗚咽を漏らし、そして涙声で言葉を紡ぐ。
「良かった。本当によかった。生きていてくださったのですね。わたしだけ助かったのではないんですね」
 涙を流れるままで見上げる黒髪美少女。
「あんた、本当にあの蜷川? それだったらむしろとどめを刺しにきそうだけど」
 さおりはジョーク交じりに言うが、あずさは真顔で首を横に振る。
「そんなおそろしいことはしません。わたしは生まれ変わったんです。今度こそ『まっとう』に生きるんです」
 ここで涙を流したまま潤む目でさおりを見る。
「そう。かつてのあなたのように」
「ふ、ふざけんな。何の皮肉だ?」
「皮肉なんかじゃないです。あなたはずっとわたしを更生させようとぶつかってきてくれた。その思いがわたしを生まれ変わらせてくれたんです」
「ぐ……」
 さおりは言葉に詰まる。自身も「転生」したようなものだ。
 ただし天使が悪魔に。「堕天」のようなものだ。
 抱きしめてくる少女は逆だ。

「あー、お前ら。そろそろつかえてきたからとりあえず席につけ。あとでゆっくりやってくれ」
 担任に言われて二人はそれぞれの席に座る。

 進級した初日だ。
 とりあえずの顔合わせで終わり早いうちに下校となる。
 だがあずさは下校の準備もしないで、即座にさおりのもとに歩み寄る。
「何?」
 怪訝な表情になる金髪ギャル。
「良かったら少しお話しませんか?」
 にっこりとほほ笑む黒髪の美少女。
「……いいよ。あたしも訊きたいことがあるからさ」
 金髪の美少女がにこりともせずに応じた。

 屋上。二人にとって因縁の場所。
「さすがにもう工事は終わったんですね」
 時間経過を感じてる。
「ああ。あとから推測したが、あのケーブルが感電に関係してた気がする」
 当時を思い出したさおりは苦々しい表情になる。
「それで? あんたの話は何? ここはあんまりいい思い出の無いところだから早めに帰りたいんだけど」
 何しろここで雷に打たれ生死の境をさまよい、そして慣れ親しんだ男ではなく女になることを強要された挙句にすべてを失ったのだ。
 さおりにしたら一つもいいことはない。
 奇しくもその時「梓」が口にした「早く帰りたい」という言葉を口にしていた。
 ただ返しは違う。
「そうですか? わたしはここで生まれ変われたんだなと感慨深くて、お話の場所にもしちゃったんですが」
「それだ! あんた本当にあの蜷川? 女になったのはあたしという実例がいるから信じてあげるけど、あたしという実例があってもあんたの態度の変わりようは信じられないよ」
「本当に蜷川あずさですってば。いっそ名前も変えて出直そうかって両親は言ってくれたんですが、名前まで変えちゃったらあなたに見つけてもらえないと思って残していたくらいなんですよ」
「はん。あたしの場合は『江ノ本家』の名前を地に落とすためあえてその名を名乗っているんだけどね。えらい違いだ」

 そして二人は「思いで」を手繰り寄せだす。
 二人に共通する記憶を。
 その結果としてこの優等生少女がかつての不良生徒・蜷川梓の。
 そしてこのギャルが元は堅物の真面目少年・江ノ本里織の「変わり果てた姿」と認めるしかないことになった。

「それにしても……変われば変わるもんだな。あのワルがすっかり真面目ちゃんだ」
 まるで挑発でもするような口調のさおり。
「江ノ本さんこそなんでそんな姿に? あなたが散々わたしに『やめろ』といった姿に似てますよ」
 もちろん男女の違いはある。
「はっ。女になったらそれまでやってきたことが何にもならなくなっちまった。だからもうあたしは好きに生きるさ。そう。かつてのあんたみたいに自由気ままに」
「自由というのものは責任を果たしてこそのものです。リハビリ期間中に自分を見つめ直して出た結論です。そこにたどり着いたのもあなたが導いてくれたら」
 こちらも柔和になったあずさには珍しく苦々しい表情になる。

「微妙な空気」になり沈黙が支配する。
 それに耐えかねたかのようにあずさが切り出す。
「まさか江ノ本さんがこんな堕落してしまうなんて……」
「あたしもびっくりだよ。まさかあんたがこんなつまらない女になってたなんてね」
「つまら……ない?」
 心外そうにその言葉を繰り返すメガネっ娘。
「ああ。あんたが男だった時に自由気ままにやっていたのには、白状するとあこがれていたしうらやましくも思っていた」
 まるで愛の告白のような重さのある言葉を紡ぐ金髪娘。
「女になってそれまでの自分でいられなくなったのなら、どうせだったらあんたみたいにと思ってこの姿を選んだんだ」
 実際はそれだけじゃない。「切り捨てられた」ことに対する意趣返しで「不良娘」になった……平たく言うと「グレた」がこれは言わない。

「それなのにあんたがこんな……とことん現実はクソだな。あんまりだよ」
「あこがれの存在に裏切られた」思いが最後の一言を言わせた。
 しかしこれは逆の立場でもある。
「あんまりに思っているのはこっちです。手の付けられない不良のわたしをつまはじきにせず、向かい合ってくれた江ノ本さんがまぶしかったのに」
 そんなふうに思われていたとは……シンプルに驚いたさおり。
「だから人生やり直しということであなたを模してこんなふうになったのに」
「そりゃこっちのセリフ。『女に生まれ変わった今度の人生』はあんたと組んでバカやるのもいいなって思ってたのに、肝心のあんたがこれじゃ期待外れもいいところだよ」
「ひどい。せっかく真面目になったのにそんなこと言うなんて」
 ジワリと目に涙がたまるあずさ。
『女の涙』にギョッとなるさおりは、わずかにまだ男の部分が残っていたらしい。
 とうとう顔を覆って泣き出したあずさをみて
「あんた……本当に女だな。本当に別人になったんだな。あたしと同じで」
しみじみとさおりは言う。

 しばらく泣いて落ち着いたのか、考えがまとまったあずさが泣きはらした目のまま顔を上げそして告げる。
「……決めました」
「は? 何を?」
「わたし、風紀委員になります!」
「はぁ? なんだよそりゃ!?」
「かつてわたしがあなたに導かれていた。それで十分な理由です」
 あずさは思いを吐露し続ける。
「そう。かつてのわたしをあなたが導いて真人間にしたように、今度はわたしがあなたを立ち直らせて見せますっ」
「はぁぁぁぁっ!?」
 しかしさおりとしたら確かにかつてさんざん「押し付けた」こと。
 それを思うと反論もしにくかった。

 その場はそのままなし崩しに解散となった。

 翌日。
 今度はクラス委員などの「役職」を選びにかかる。
 やはりというか過去の実績から選ばれることが多い。
 だから「風紀委員」の選択にかかった時だ。
「あー。江ノ本?」
 どうしてもこの「ギャル」と「生真面目少年」が同一人物と結びつかない。
 もちろん「優等生の少女」と「手の付けられない不良男子」もだ。
 教師の呼びかけも自信なさげだ。
「あ?」
「かったるそうに」声を上げるギャル。
「いっとくけどセンセ。あたしそんなのやんないからね。せっかく跡継ぎレースからリタイアしたんだ。この後は好きにさせてもらうから」
「ああ。そうか」
 もともと期待してない。
 何しろこの見た目である。
 ただなり手のないポジションだけに「もしかして」で話をしてみた。

「はいっ」

 担任が募る前に挙手。教室の「ど真ん中」の席から黒髪ロングの眼鏡娘が立ち上がる。
「なんだ? えーと……蜷川?」
「わたしが立候補します」
「えーっ?」
「札付きの不良」が「まじめ少女」になっただけでなく「風紀委員」にまで。
 極端から極端にもほどがあるとみんな思った。
 当人はまじめである。
「そ、それじゃ頼むかな」
 この見た目と態度のおかげで信用してしまった。
 そもそも元は不良男子ということの方が二重の意味で信じがたい。
 性転換現象そのものと、ここまでの変わり方という意味で。
「はいっ」
 当人は力強い返事だった。やる気に満ち溢れていた。
「あ、あんた、あれ本気だったの?」
 教室の最後尾。窓際の席から呆れたようにいうさおり。

 本気なのは翌日に出ていた。
 まだ新体制になったばかりで、いきなりは活動をしていない。
 それなのに「自主的」に早朝の服装チェックを開始していたあずさである。
 噂になっている「不良男子が性転換した真面目少女」という以前に、現実的な意味で「信じられないものを見た」という表情になる登校してきた生徒たち。
 それももっとも。
 面倒なうえに煙たがられるポジションに、自分からついている。
 しかも指示もないのに朝早くから。

 もちろん「権限」もない。
 まだ腕章もつけてないので微笑んで挨拶を繰り返し、その際に一言いう程度である。
 大半の生徒は「珍しいものを見た」という態度だが、中には注意されて悪態をつくものもいた。
 しかし意外にも、いや。むしろ噂通りなら当然と言える毅然とした態度で視線を受け止めていた。
 もしこの少女が本当に「蜷川梓」の変身した姿なら、あれだけ江ノ本里織と「抗争」を続けたのだ。
 この程度でひるむはずはないと。
 しかしにらんだ後で我に返ったように表情を変える。
 まるで恥じ入ったように赤くなり小声で謝る。

 その時の「彼女」はこう思っていたのだ。
(いけない。まだ相手をにらみつけたりして。わたしはもうどうしようもない不良男子じゃないのよ。女の子に生まれ変わったんだから)
 徹底して「ダメだった時代」を『無かったこと』にしようとしていた。
 故に過剰なまでに女性性を高めることにこだわった。

 やがてさおりが登校してきた。
 遅刻すれすれだが化粧はきっちりしている。
「なに? 何の騒ぎ?」
 遠巻きに見るとそれがあずさを中心とした騒動とわかる。
(げ。逃げようか?)
 そうは思うがあずさの姿かかつての自分と重なる。
 そして今の自身の姿がかつてのあずさとも。
(いや。それこそ昔のあいつみたいにするのも面白いか?)
 考えを変えて立ち向かうことにした。

「よう。やってるね」
 それこそかつての不良男子が口にした言葉をそのまま返す。
 皮肉としては中々のものだ。
 だからなのか表情がややこわ張るあずさ。そしてこちらも「お返し」になる。
「江ノ本さおりさんっ。制服はきちんと着てくださいっ。その金髪も校則違反ですよっ」
「よく言うよ。あんただって昔いくら言っても直さなかったじゃん」
 ここぞとばかしに突き返す。
「そ、それはその……」
 口ごもるあずさ。
 ほとんどリセットされた人生だが「不良男子だった」過去とはつながっている。その時代のことを言われると弱い。
「若気の至りですっ」
 いわゆる天然ボケはまじめな人間のほうが多い傾向がある。
「じゃあたしも若気の至りってことで」
「だったらわたしのように直してくださいっ」
「……そうきたか」
 かつての堅物男子と不良男子が性別ごと反転。
 ギャルと真面目女子のつばぜり合いだ。
 そこに新たな要素が。
「おいおい。何の騒ぎだよ」
 これまた遅刻すれすれでやってきた男子。新・三年生の名前は?
(豊田……先輩!?)
 あずさが男だった時の不良仲間だ。
 それゆえ呼び捨てになりかけだが、現在は一つ下ということになっているのを思い出して「先輩」を付けた。
「あっ。センパイ。この女が勝手に『服装検査』してるんですよ。風紀委員みたいだけど独断じゃまずくないですかぁ?」
 その豊かな胸を押し付け「色目」を使うさおり。
「そ、そうだなぁ」
 さおりの正体・過去を知らない豊田はだらしない表情になる。
 反対に険しくなるあずさ。
 さおりの「ふしだらな態度」もだが、かつての親友が今まで見たことのないような顔をこの女にしているのがなんだかおもしろくなかった。だが
(それも無理ないか。今のわたしは女の子。それも昔と違って真面目になったし。関係性が変わってしまったんだわ。彼とはもう先輩後輩の仲で、お友達じゃなくなったのね)
 未練。
 捨てたはずの過去に対する思いを的確に表すなら、この言葉が今のあずさのそれを示していた。

「お二人とも。服装の乱れは正してくださいね」
 未練を振り切るように毅然として言い放つあずさ。
 言われた豊田とさおりは奇しくも全く同じ肩をすくめるポーズをとった。
「おおこわ。そのネクタイの色、二年か? 見ない顔だと思ったよ」
 不良仲間だった時の目ではない。
 口やかましい後輩女子をうるさがっている。そんな瞳だ。
(「生まれ変わる」ってこういうことなんですね。すべてをリセットしてしまう。わたしは豊田先輩の同級生の不良男子じゃなくて、一つ下の後輩女子。それを忘れちゃいけないわ)
 自分で捨てたはずなのに「無くした過去」にひどく寂しい思いになるあずさ。

「どうしたんだよ。今日はこんなことする予定はなかったはずだが?」
 騒ぎを聞きつけて飛んできたのは一人の新・三年生。
(徳村!?)
 今度はさおりが表情をこわばらせる。
 かつての真面目男子だった時、唯一といっていい親友だった。
(今のあたし、こいつにはどう見えるのかな?)
 そんなことを思うが答えはすぐに出た。
「徳村先輩」
 露骨なほどに安どするあずさ。
(そうか。風紀委員の先輩というわけか)
 こちらもやはり面白くない。
(あたしがなくしたものをみんなこの女が持ってったわけだ)
 冷静に考えればひどい言いがかりである。
 しかしこの時は理屈じゃなかった。
「そこの君。見ない顔だが……二年だな。そのネクタイの色」
(何が「見ない顔だ」っ。去年まで毎日顔を合わせてたろうがよっ……ま、それは真面目男子だった時のあたし。今のこんな不良娘じゃないか)
 自嘲するように笑う。
 かつての1999年生まれの堅物の真面目少年ではなく、表向きは2000年生まれのギャルともはや「別人」である。
(自分で望んでこんな姿になってるんだしな。徳村には無縁の存在になっちゃったな……)
 ふと寂し気に目を伏せる。

「いこっ。センパイ。この女が勝手にやってて、正式なものじゃないならかまわないでしょうし」
 豊田の左腕に胸を押し付け自分の腕を絡める。
 まるで所有物のようだ。
「お、おう」
 『女』をアピールしてくる存在に戸惑いつつも校内へ。
「待って。まだ終わってはいませんっ」
「よせ。蜷川。確かにアイツの言うとおりだ。今回はここまでだ」
「で、でも」
 かつての自分を「更生」させたように、さおりをあこがれていた真面目な存在に戻したくてあずさを焦らせる。
 その彼女の頭を優しくなでる徳村。
「やる気があるのはいいことだ。いずれちゃんとした服装検査もする。その時まで取っとけ」
「……はい」
 当たり前だが後輩女子としての扱い。
 だが不思議なほど「見下されている気」がしなかった。
 受け身なのが何の抵抗もなかった。

「わかりました。その時まで取っときます」
 後輩。そして女子らしくおとなしく従う。
 しかし彼女は改めて闘志を燃やしていた。

 それからという物、校門でのあずさとさおりの「バトル」が定番化していく。
「江ノ本さんっ。何度言えばわかるんですがっ。金髪もピアスもお化粧も校則違反ですっ。ただして来てくださいっ」
「はん。どの口がそれを言う? 前はいくら言っても聞かなかったのにさ」
 2000年生まれということにしている二人だが、やはり積み重ねたものは消えたりしない。つい出てくる。
「それでもこうして更生できました。こんどはわたしがあなたを元に戻して見せます」
「元に」が余計な一言だった。
「いらねぇよ! 何であんなくっだらない生活に戻されないといけないのさ。あたしは好きにやる。あんたも勝手にしろ」
「だからこうしてあなたを元に戻そうとしているんですっ」
 若干「愛情の押し付け」に見えるあずさである。

 平行線だった。
 そして互いにイラつきあてつけるように変貌していく。
 これは過去への決別というのもある。

 見た目にわかりやすいのはさおりだ。
 ギャルたちに受け入れられてその影響も受けていた。
 当初はピアスホールは二つで、残り三つのピアスはノンホールを付けていたがそれもすべてあけている。
 ピアス以外にも指輪や腕輪なども。
 化粧はだんだん派手になり素顔を忘れるほど。
 マニキュアどころか時にはネイルアートで登校してくる。
 はては夏服になり露出した肌に「タトゥー」まで。
 これは年齢的に施術を断られるのと、気分次第で変えられるという理由でシールだった。
 だがほとんどにおいて同じ位置に同じものだ。
 左の鎖骨に鳥。右の乳房に蝶。左の二の腕にハート。右足のうち太ももにバラだった。
「可愛い。かわいいよ。さおりぃ」
 金髪の盛りヘアの女子が称える。
「ほんと? まな美?」
「いけてるって。胸張っていいよ」
 真っ黒いファンデーションでいわゆるギャルメイクの女がやはり称える。
「嬉しい。藍子」
 笑顔で返すさおり。
 女の友人の影響でますます女子化が進むさおりだった。

 その吹っ切れ方と美貌で次第に不良のアイドルと化していくさおり。
 本人もちやほやされるのは悪い気はしてなかった。
 もちろん「関係」を迫るものもいる。
「だーめ。これは大事なものなんだから好きな人にあげるの」
『女のふり』のつもりで言い続ける台詞だが、割と本気になっていた。
 正確に言おう。どれだけ女性化しても元が男のせいか、どうしても男相手に体や唇を許す気になれなかった。
 これだけはいくらやけっぱちでも簡単には捨てなかった。
 それでもしつこい男はいるので、それを相手するうちに女として男をあしらうのも上手くなってきた。

(いくら今は女でも元は男。男とヤレるか。けどこの体じゃ女相手も難しいし……)
 つまり「相手」がいない。いや。一人だけ同じ立場の人間がいることに考えがいたる。。
(いっそアイツだったらあたしとおんなじだしいいかもな……何考えてんだ? あたしは?)
 派手な化粧越しでもわかるほど赤くなる。想像したのは……

 一方のあずさ。
 不良時代にはろくに受けてない授業を真面目に聞いている。
 二度目の二年生だが実質的に一度目は授業を受けてないようなものなのでついて行くのに必死だった。
 寝る間も惜しんで勉強していたら目が悪くなり、だてメガネのはずが六月からは本物になった。

 過去を恥じている彼女はとにかく優しい女の子を目指していた。
 細やかな気づかいをするようになり、次第に周辺に好かれていく。
 まずは『同性』である女子。
 下の名前で呼び合う関係になる。
 表向き2000年生まれとしているので同じ年扱い。
 何の遠慮もない。

「ねー。あずさ」
 今は昼食時間。
 あずさは仲の良くなった女子たちと、教室で弁当を食べるのがパターン化していた。
 因みに弁当も自作だ。
 そのあずさに肩口までのセミロングの女子が切り出す。
「なぁに。曜子」
 最初は『女同士の距離感』がわからず敬語で接していたら「もっとフランク」にと言われ「女同士」の時はさすがに砕けた口調になったあずさである。
 弁当のご飯を口に含む。
「誰か好きな人っていないの?」
「んぐっ」
 のどに詰まった。慌ててお茶を口にする。
「な、何よ。いきなり」
 唐突に言われてあずさは驚いた。
「あ。あたしも気になる」
 長い髪を編み込んでいる女子が曜子に合わせる。
「もう。萌々子まで」
「だってきになるじゃん。あんた美人だし、優しいし」
「そうそう。あたしが男だったらほれるって」
「いませんよ。そんな人は」
 距離が開いたのが「敬語」に出た。
 これはしつこくしたらまずいと察した二人は「ふーん」とだけ言うと、テレビのアイドルの話を始めた。

 そして男子も幾人かは実際に「ほれてしまった」らしい。
 素性を信じられねば無理もない。
 整った顔。優しい笑顔。女性的な細やかさと柔らかさ。足りないのは胸だけだが、それも一部の嗜好にはむしろ「それがいい」ということである。
 だが彼女も男子からの告白をことごとく断っていた。
 表向きは「まだ恋愛は早い」という理由だったが、表向きでも何でもなく男を相手にする気になれなかった。
 最後に残った「男の部分」らしい。

(慕っていただけるのはありがたいですけど、わたしはやっぱり元は男の子ですね。どうしても男子とお付き合いする気にはなれません。けど女の子にしたら私は恋愛対象にならないでしょうし)
 性転換してなくても同性が恋愛対象という人間はいるのだ。
 ましてやいくら体が女でも男として育ってきたゆえだ。
(もしあの人となら同じ立場ですから……今の無し。わすれないと)
 こちらは素顔だけに顔全体が赤いのが見て取れる。耳たぶまで赤い。

 二人そろって想像したのは、同じ境遇の二人が唇を重ねているところだった。
 違いにあこがれ、ここまで極端な変貌を遂げたくらいだ。
 そういう感情も不思議ではないが、そこまで思考が追いつけない。

 そんな関係が七月まで続いた。

 そのころかつて「蜷川梓」にいいように殴られていた四人はうわさ話をしていた。
「聞いたか。何でも蜷川の生まれ変わりの女がいるらしいぜ」
「なんだそりゃ?」
 鳥海の言葉を笑い飛ばす月岡。
「それなら俺も聞いた。全く同じ名前だがくそまじめな女らしい」
 人の口に戸は立てられない。
「へー。偶然はあるもんだなぁ」
 これをバカ呼ばわりは酷であろう。
 普通は「不良男子が性転換した際に更生した」などと想像できる方がどうかしている。

「どうだ? あのくそ野郎にゃ結局勝ち逃げされたままだったし」
「それで今は雷に焼かれて地獄にいるってか」
 馬鹿笑いが起きる。
 しかし雷に打たれたと聞けば死んだと思うのも当然。
「奴の代わりに同じ名前の女をなぶってやらねぇか?」
「レイプ」のお誘いである。
 むろん、断るやつらではない。
 転生をかけらも信じてなといない。
 遺恨なんてどうでもよく、口実つけて女を押し倒したいだけである。
 たまたま憎い奴と同じ名前の女がいたので、ターゲットをそいつにしようという「趣向」だったのだ。

 しばらくは調べて、あずさが金曜に風紀委員の居残りで五時くらいまで残っているとわかった。
 しかも通学ルートに人気のないところもある。

 そしてある金曜日。
 さおりとあずさが男でなくなったあの日のように、雷が落ちてきそうな曇り空。
 二人は別の理由で五時近くまで学校に残っていた。

 さおりは生活態度の悪さが理由で職員室で説教されていた。そこに
「失礼します」
 あずさが入ってきた。
「風紀委員会。終了しました。鍵をお返しします」
 詰所のカギを返しにと終了の報告に来たのだ。
「おう。ご苦労さん」
 同じ教師だったのだ。
 当然目が合う二人。
 ばつの悪そうなさおり。
 しかしあずさは「追い打ち」になる小言は言わず、ただにっこりとほほ笑んでその場を後にした。
 その笑みが叱られていたさおりにしたら「嘲笑」に見えた。
(あんにゃろ)
 一言文句を言ってやろうと追いかけることにした。

 七月だけに五時ならまだ十分に明るい。
 とはいえ近年では夕方まで遊んでいるような児童も少なくなった。
 あずさの通学路は割と人のいない通りだった。
 そこをいつものように歩いていくあずさ。
「ふう。夕方でも暑いですねぇ」
 立ち止まり汗を拭う。
 すでに夏服。ジャケットは着ていない。
「ブラジャー隠し」のベストは任意だったが「女子一年目」のあずさは暑さに音を上げ着ていなかった。
 ブラジャーの上に半そでのブラウスだ。
 そして人気のない道を平気でいく。
 やはり女子としての経験の浅さが「自分が性の対象」である危機感を希薄にしていた。

「時間通りだな」
 物陰に潜む鳥海が相棒の月岡に言う。
 計画的犯行だけに調べ上げていた。
「それにしても無防備なやつだ。みろよ。誘っているんじゃねぇか。あの女」
 人気のない道を行き、しかも劣情をそそる薄着がその言葉を言わせていた。
「ああ。たまんねぇぜ。薄い胸がまたそそるぜ」
「なんだ? お前貧乳派か」
「なんだっていいだろ。いくぞ」
 二人は距離を置いてあずさをつけだした。

「いた。あいつめ」
 やや遅れて解放されたさおりがあずさの後姿をとらえた。
「それにしても……まったく。やっぱり元・男だな。あんな格好でこんな人気のない道を。襲ってくださいと言ってる……」
 さおりは口を閉ざした。
 不意に物陰から男が二人出てきたからだ。
(まさか本当に襲われる? いや。怪しいは怪しいがこの時点じゃ何もしてないし。ちょっと様子見をするか)
 鳥海と距離を置いた月岡を尾行する形になったさおりである。
 月岡は鳥海とさおりの両者を追っているので、自身の尾行者に気づかない。

 四人組のまちぶせ担当の花澤と風雅に、尾行している二人からメールが来た。
「ルートに変更なし」と。
 待ち伏せしていて万が一にも別ルートを取られた場合に備えての尾行だった。
「よし。そろそろ準備するか」
「ああ」
 二人は取り壊し予定の廃工場の入り口付近に隠れる。
 そこにあずさを引きずり込んで行為に至るつもりである。

 それは突然に起きた。
 いつもの通学路で廃工場の前を通った時に前をふさがれた。
「あなたたちはッ!?」
 あずさにしたら因縁の相手。
 一方的に叩きのめしていたとはいえど、逆にそれが自分の「狂犬」ぶりを思い出させる。
「ちょっと相手してくれよ。優等生のお姉ちゃん」
 その言葉は囮。気を取られているうちに尾行していた二人が背後を取る。
「きゃ……」
 悲鳴を上げる前に口をふさがれる。
 そのまま持ち上げられる。風雅が足を取り廃工場へと連れていく。
(あわわわ。ほんとのレイプだ。とりあえず)
 一部始終を見ていたさおりは、スマホで警察に通報した。

 廃工場に連れ込まれてあずさは乱暴にコンクリートの床にたたきつけられる。
「ッ!」
 痛みで一瞬何もわからなくなる。その間に二人がかりで両方の腕と肩を押さえつけられる。
(こいつらっ。オレだと知ってて襲ったのかっ? こんなやつらにっ)
 封じたはずの「男」が危機的状況でよみがえった。
「へっへっへ。恨むなら同じ名前の男を恨むんだな。もっとも雷でくたばったらしいがよ」
 下卑た口調で花澤がいう。
 あずさの腰の上にのしかかり、ブラウスのボタンを引きちぎろうと胸元に手をかけている。
 抵抗を試みるあずさだが男四人相手に女の体では無理。
(女の体でさえなければぶちのめしてやれるのにっ……今わたし何を?)
 あずさは戦慄した。
 レイプされていることよりも自分の中に「男の部分」が残っていたことに。
(ああ。これは罰なのですね。さんざんに彼らを傷つけた報いがこれなのですね。でも捧げるんだったら彼が良かったな……今は金髪の女の子だけど)
 半ば達観していた。動きが止まった。
「なんだこいつ? おとなしくなりやがったぞ」
「つまんねぇなぁ。嫌がる女に無理やりぶち込むのがだいご味なのによぉ」
 骨の髄から腐っていた。

「それじゃあ遠慮なく」
 ズボンのジッパーを下ろしことに取り掛かろうとする花澤。
 それを文字通りに止める声が。
「キャーっ。火事よぉーっ」
(江ノ本さん!?)
 ハスキーボイスの女声があずさの心を呼び覚ました。
 再び抵抗を試み足を激しく動かす。
「こ、こいつ。じたばたしやがって」
「それよりあっちの女。だまらせろっ」
「火事よぉーっ。誰か来てー」
「助けてくれ」だと巻き添えを恐れてなのか人が来ないケースもあるという。
 しかし火事となるとそうも言ってられない。
 人を呼び寄せるなら「火事だ」と叫ぶ方がよいことをさおりは雑学として知っていた。

「あのアマ。こうなったらあいつも一緒に」
 いきり立つ風雅を鳥海が制する。
「まて。サイレンの音がしてねぇか? 消防車じゃねえ。パトカーのが」
「何?」
 耳を傾ける。かすかだが遠くから確かに聞こえる。
「やべえっ。逃げるぞっ」
 わざわざ姿を見せて叫ぶ女だ。
 自分たちを止める目的なのは明白。
 当然、警察へも通報していると考えていい。
 別件のパトカーではない。自分たちをとらえにきたサイレンだ。
 そう判断した四人はあずさに目もくれず逃げ出した。
「立って。あたしたちも逃げるよっ」
「江ノ本さんっ」
「いろいろめんどうだろ。あたしらの事情はっ」
 さおりはあずさを助け起こすと事前にスマホで呼んでいたタクシーに乗り込み、自宅へと連れ帰った。

 レイプ未遂現場から少し離れた神社。
 示し合わせたわけでもないのに、バラバラに逃げたはずの花澤達四人が続々と同じ場所に集まってきた。
「な、なんだ? お前らよくここが」
「いや。無茶苦茶に逃げていたらいつの間にかここに」
「けどこの神社は初めてだ」
 あずさの通学路で待ち構えていたのだ。彼らの地元ではない。
「なんでもいいよ。休もうぜ」
 四人とも「ご神木」によりかかる。
 その時だ。
(うつけめ。生まれ変わりを望んだあの二人のようにおなごになるだけでは足りん。童からやり直せ)
 そんな声が全員の脳裏に響いた。
 顔を見上げた瞬間に轟音と閃光が。
「ご神木」に落雷した。
 もちろん逃げられなかった四人は無事ではない。
 雷に打たれて痙攣している。
 そこに追っていたパトカーがやってきた。
 そこで虫の息の四人を発見。即座に救急搬送。

 奇跡的に一命をとりとめたが異常事態が発生した。
 花澤と月岡の搬送先は梓と同じ。
 鳥海と風雅は里織と同じ病院に。
「前例」があるだけに対処もできていた。
 病院側もよもや「二度目」があるとは思わなかったが。

 さおりの家。
 とりあえず部屋で二人だけ。
「そういや蜷川は初めてだよね。あたしんち」
 まるで友達が遊びに来たようにふるまうさおり。
 彼女なりに気を使ってレイプを思い出させないようにしている。
 でもベッドに腰かけたまま黙っているあずさ。
 ふたりとも制服姿のままだ。

「あー」
 間が持たなくてこんな声も出るさおり。
(なに話せばいいのさ。普通の女だってあんな目に合えばショックなのに、こいつ元は男だぞ。それだけに余計きついと思うし。あたしだったらたまったもんじゃないわ)
 自分も同じ「元・男」だけに文字通りの「同情」で。
「悪いけど勝手に蜷川の家には連絡させてもらったよ、女友達の家でお泊り会ってことで」
 もちろん心配かけないための優しい嘘だ。
 いくら元は男。それも手の付けられない不良少年だったと言えど、婦女暴行され危うく処女喪失だったなどとは言えない。

 言葉の無くなったさおりはもう半ば体当たりであずさを抱きしめる。
「……江ノ本さん?」
「ごめん。こんな時に言う言葉が見つからなくて。むしろ体のほうが伝わるかなと思ってさ」
 理屈はわかる。
「……はい。わかります。柔らかくて、いい匂いで」
「や、やめてよ。恥ずかしいっ」
 やっといて照れが出た。
「何よりあったかいです」
 しみじみとあずさは言う。
「はは。夏場にハグもなかったかな」
 照れくささもあり離れかけるがあずさのほうが離さない。
「もう少しだけこうしていてください」
「あ、ああ」
 赤くなるさおり。少し男の部分が残っていたのかもしれない。
 かつてはともかく今は細身の美少女を抱きしめているのだ。

「わたし……怖かったんです」
 最初はあずさの独白を言葉通りに、レイプ未遂の恐怖と受け取ったさおり。だが
「襲われたときにわたしの中ですさんだ気持ちが沸き上がって」
「?」
 今度は意味の分からないさおり。
「あれだけ生まれ変わろうとしたのに、捨てたはずの悪い部分が残っていたと。それの方に愕然となって」
「あの場面じゃ仕方ないと思うよ。身を守るためなんだし、元からの女だってたぶん」
「でも怖いんです。いつまた手の付けられない不良に戻るかと思うと。だからあのまま貫かれてしまえば戒めになるかと。それに彼らは男の子だったころにさんざん殴っていて、その報いが来たのだとも」
 それを聞いたさおりはさらに抱きしめる力を込める。
「江ノ本さん?」
「あんたが堕ちそうになったらあたしがこうして抱きしめて止めてやる。だから自分を罰するなんて言わないで。あんた散々悪かったころを反省して、今はすっかり優等生じゃないか」
 頬が熱くなる。何しろ二人の顔が、唇が近すぎた。意識せずにはいられない。
「あ、汗臭いね。あたしら」
 照れくささから離れてしまう。
「そうだ。服も洗ってもらうよ。明日の朝帰るまでに着られるようにしとくからさ」
「え?」
 戸惑ううちにシャワーの準備が整えられ、二人とも浴室に。
 生まれたままとは言えないが一糸まとわぬ姿で。

 同じクラスだけに体育の授業も一緒。
 着替えも見たことはあるし、水泳の授業での着替えも共にした。
 最後のシャワーは間仕切りがあるし移動時には当然バスタオルをまく。
 つまりお互い相手の全裸は初めて見る。
「うわぁ……」
 いろんな思いで絶句するあずさ。
「何?」
「いえ。本当に女の子なんですね。江ノ本さん」
「ど、どこ見てんのよっ。服の上からでもわかるでしょっ」
 視線を向けられた豊かな胸元を両手で隠す。
「でもわたし、こんなだし」
 わずかなふくらみの胸元に手をあてるあずさ。
「あ、あんただって肌が白くて綺麗だし。手足もほっそりとしてうらやましい……ちょっと良く見せて」
 その綺麗な肌故に傷が目についた。
 ひざにかすり傷があるのを見つけた。
 しゃがんでまじまじと傷を見る。
「あー。靴下に守られてない部分があの時に切れたんだね。大丈夫。痛くない?」
「か、顔を上げないで下さぁい」
「え?」
 あずさの悲鳴の理由はすぐ分かった。
 顔を上げた先が「足元」だったのだ。
 自身もなくしたが、あずさも「男のシンボル」を失っているのが目視できた。
 これ以上ない『女の証明』だった。
「ご、ごめん」
 さおりも赤くなって視線を逸らす。

 しかしこうなると他に傷がないか探した方がよい。
 そう思ってまずはあずさのむき出しだった手足。
 そして念のため着衣の下の肌もチェックするさおり。
(こいつ本当に肌綺麗だな。女にしか思えない。いや、あたしもだけど。あ。なんか変な気を起こしてきた)
 一方のあずさも裸を見られているからか、浴室の温度のせいか赤い顔だ。
「うん。擦り傷は膝のだけだね」
 立ち上がるとつとめて明るい声で報告する。
 しかし距離感を誤った。
 互いのむき出しの乳首が触れ合う。
「あ」
「わ、わるい」
「いえ。それよりむしろ」
 あずさがさおりの体に腕を回す。
 さおりも応じるように同じように。

 もう止まらない。
 どちらからともなく相手を抱きしめ最初に胸を。
 そして唇を重ねて押し付け合う。

 男だった時、互いに反目し合いつつも相手にあこがれ。
 女になってそれまでがリセットされそれぞれあこがれた相手に近づこうと反転した二人。
 それほどまでに互いを思っていたのが、この一件ではっきりした。
 ファーストキスは一分以上に及んだ。

「ごめんなさい。女の子同士なのに。でも、前からお慕いしてました。江ノ本さん」
「はは。でもあたしもあんたも元は男。これってホモなんかな? レズなんかな?」
「さ、さあ」
 もっともな指摘だがこのタイミングでする意味は?
「だからさ、あんたはあたし相手にするときは男のつもりでいなよ。あたしも男のつもりであんたのこと相手するから」
「無理ですよぉ。もうすっかり女の子なのに」
「それじゃ百合だ。元・男同士の疑似百合だわ」
 いうと二人は改めてキスをした。

 互いに愛の告白をしてしまった。
「考えてみりゃ確かにあたしもあんたにあこがれていたよ。だからこんなギャルにもなったし。半分は跡継ぎはずれてやけだったけど」
「わたしも江ノ本さんにあこがれていたんだと思います。それで真面目になれましたし」
「なんだ。あたしら相思相愛だったんじゃん」
「女の子同士ですけどね」
「それもいいじゃん。元・男同士だし。もう性別なんて関係ないよ。人間同士で惹かれていたんだ」
 二人は裸のまま堅く抱きしめあった。

 服を借りたあずさはそのまま夕食にも招かれ。
 そして本当にお泊りで一緒のベッドにいた。
「蜷川ごめんね。一人用だから狭いでしょ」
「でもその分二人一緒にいられますね。江ノ本さん」
 密着して寝ていた。
 どちらかが床で寝るという発想が全くない。

「あの、一つお願いがあるのですが」
「なんだい?」
「さおりさんって、呼んでいいですか? わたしのこともあずさって呼んでくださると」
 恥ずかし気に言う。
 さおりは微笑む。拒絶するつもりは全くない。
「いいね。あずさ。そうするよ。ただあたしのこともさん付けなしだ」
「わ、わかりました。さおり」
 おずおずと返すあずさ。
 その唇に優しく自分の柔らかい唇を重ねるさおり。
 抱きしめ合いつつ唇だけ離れてから「自分の要求」を切り出した。
「それでさ、あたしからも一つ提案があるんだけど」
「はい?」
 その提案でまず喜び、次に難色を示したが、喜びが勝り受け入れたあずさだった。






 三か月後。
 十月のある日。
 黒髪ストレートの眼鏡の少女二人が職員室に入っていく。
「うん。蜷川の成績も上がってきたな。いいぞ」
 にこやかに教師がほめる。
 もはや奇異の目では見ていない。
 むしろ優等生。しかも生活態度も良いので頼もしく思うようになっていた。
「わたしは皆さんより遅れているので追いつかないと」
 不良男子のころはまともに授業を聞いてないので、実質的に二年の授業は初めてのようなものだ。
「それにさおりが助けてくれているから」
 職員室にもかかわらず手のひらを合わせ、指を絡める「恋人つなぎ」のもう一人の少女を見る。
「えへへ。二人でやると勉強も楽しくて」
 ドロップアウトしたとはいえど地の頭は良かったさおり。
 プランクは容易く埋まった。
「江ノ本もよく更生したな。二人とも褒めてやるぞ」
「へへ。あずさのおかげでこうなりました」
 夏休みが明けたら、金髪のギャルが黒髪ストレートのまじめ少女に変貌していたのはみんな驚いた。
 元から目が悪いのもあり、眼鏡までしていたが双子のようによく似ていた。
 違いは胸元くらいか。
 差し詰め「逆・夏休みデビュー」だ。

 これは自分の提案の一部だ。
 互いに相手の変貌を嘆いていた。
 ならばそれぞれの要望に合わせないかと。
 つまりこれはあずさの求めるさおりの姿なのである。

「失礼します」
 二人は職員室を後にした。
「あー。肩が凝る。こんな格好疲れるわー」
 そう簡単には内面までは変わらない。地の口調は元のままだ。
「うふふっ。とっても良くお似合いですよ。やっぱりまじめな方が合いますね」
「あのさ、あたし去年までは男だからスカートなんて穿いてないからね。このかっこうも初めてよ」
「でもやっぱり似合います。可愛いですぅ」
 本気で称えている。軽く興奮していた。
 ふと高まりを覚えたあずさ。
 周囲に人がいないのを確かめた。
「さおり。キスしてもいい?」
「ちょ、あんた。こんな場所で?」
「だって……さおりがあんまり可愛いから」
「……分かったよ」
 階段の下に入り込むと、あずさはさおりにキスをした。

 二人は下校準備をしていた。
「さぁて。楽しい週末の始まりだ。今度はあたしの番だよ」
「うう。やっぱりやるんですね。さおり」
「あったりまえじゃん。あずさ。今週ずっと我慢してたんだからあたしは」
「それはそうですけどぉ」
「ちゃんとお泊りの準備はしてきたろうね」
「それはもう」
 こちらは臆するどころか嬉々として言う。
「それじゃ今夜からね」
「……はい」
 ほほを染めるあずさはまるで恋人の前にいるようだった。

 目的地がさおりの家なので一緒に行く際に小学生の集団下校に遭遇した。
 その中で四人の女児が固く手を取り合い、まるで他者を拒絶するかのように四人で固まっていた。
 ふと気になってみてしまうさおりとあずさ。
 目が合った女児たちの表情が、明らかにあずさとさおりを見てこわばっている。
 だからあずさもさらに気になった。
 すれ違いざまに見えた名札の名前はひらがなで「はなざわ」「とりうみ」「ふうが」「つきおか」と。
 覚えのある名前にあずさは(まさかね)と思う。
(いくらなんでもそんなにたびたび起きる話じゃないわ。天罰とかならわからないけど、わたしは女の子になれて幸せだから天罰にはなってないし)
 雷に打たれて性転換したのはさすがに自分たちだけだろうと決めつけ、それっきり小学生のことは忘れた。

 余談だが四人の女児は「罰」で姿が変わって小学生からやり直しする羽目になったこともあり、真面目な大人になったという。



 土曜日の昼下がり。
 11時まで寝ていた二人はまずシャワーで汗などを流し、服を着て化粧をする。そして
「あたしは久しぶりにツインテで」
 地毛の黒髪をまとめたさおりが、一学期にしていた髪を彷彿とさせる金髪ツインテール仕様のウイッグをつける。
「……わたしは少し大人っぽく」
 盛りヘア。それも金髪のウィッグをつけるあずさ。
 アウターのキャミソール。ホットパンツ。サンダルからのぞく足の爪はすべて赤く彩られていた。
 手の爪ももちろん同じ色でだ。
 フェイクピアスや指輪などで派手に飾っている。
 普段の清楚さはどこへやらのギャルメイクだった。
「ああ。行けてるじゃん。後はその照れを何とかしなきゃね」
 こちらもキャミソールだが下はマイクロミニスカート。
 「更生して」からは学校ではしてないタトゥシールを前と同じようにしている。
 こちらは穴が開いているのもあり本物のピアスを耳に。
 アクセサリーもあずさ以上に派手につけている。
「無理ですよぉ。とっても恥ずかしいんですよ」
「はは。でも別人になったと思えばどうよ。生まれ変わった。いや。元に戻ったというほうが正解?」
「わたし男の子の時はお化粧なんてしてないですよぉ」
 泣きそうな表情だ。
(か、可愛いっ)
 ふと気持ちが高まったさおりは、その思いのままにあずさにキスをした。
 あずさも素直に受け入れた。
「大丈夫。あずさは可愛いよ。それにやっぱりそういうほうが、あたしの好きだった男を思わせていい感じ」
「さ……さおりがそんなにこの姿が好きなら、日曜まではしててあげますけど」
 真っ赤になりつつさおりののむぞままにする。
「ありがと」
 さおりはにっこりとほほ笑んだ。

「さぁ。町に繰り出すよ。あずさ」
「さおりとならどこにでも」
 二人のギャルは恋人つなぎで街へと繰り出した。




 こののち高校卒業後に同居生活をはじめ、24歳の時にそろって白いウエディングドレス姿で大勢の人たちの前で永遠の愛を誓うことを、この時の二人はまだ知らなかった。

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