白い闇の中で・ウェディングベル

 

トントントン

窓から差し込む朝の明るい日差しに満たされたキッチンで、包丁でまな板を叩くリズミカルな音が響いていた。

「ん?んぉお〜ぉっ」

「あ、目が覚めました?」

「ん、んんっ」

「うるさかったですか?」

「ん?ああ、いや、おいしそうな音なのでつい目が覚めてしまった。朝飯は何だ?」

そう言いながら、彼は、私の後ろから覆いかぶさるように抱き付いてきた。

「玉子焼きと、ネギとお麩のお味噌汁ですよ」

「そうか。お麩というと、こんなに柔らかいのかな?」

彼は、エプロンの下に手を差し込んで、私の胸のふくらみを掴んだ。

「やっ・・・やめてください。お味噌汁の準備ができません」

「これくらい大丈夫だろう」

彼はやめるどころか、私の胸を揉み出した。

「や、やん、やめて・・・」

「わかめの味噌汁もいいな」

そう言うと、彼の右手が、胸を揉むのをやめて、下へと伸ばした。

「ア、そこは駄目。何もできなくなってしまう」

彼は私の秘部を優しく触り出した。

「おお、この間は、つるつるだったけど、ワカメが茂ってきたな」

「ああっ・・・」

私は彼のたとえにジュンとなった。エプロンだけを身につけた私の後ろに立つ全裸の彼のあそこが、私の無防備な背中を刺激しだした。

彼の刺激を感じるたびに、私は、いつの間にか彼の次の行動を心待ちにしだしていた。

私の名は・・・広岡秀雄。以前は、ある人材派遣会社で営業主任をしている男性だった。でも、女子社員に行った強制セクハラの罰として、ある女子社員の身代わりにさせられて、今まで彼女たちが味わっていた屈辱を経験する事になってしまった。でも、それだけでは許してもらえずに、女子社員のリーダー格の安田久美に姿を入れ替えられて、今は女子社員の一人として、セクハラもどきの仕事をさせられていた。

私は広岡秀雄。以前は男だったオン・・・・ち、ちが〜う!俺は男だ。

久美の姿でいる時間が長いのでおかしく成りだしてきている。早くもとに戻らなくては。

その為には、コイツから、俺に後ろから淫らな行為を続けるコイツから俺の本来の姿を取り戻さないといけない。でもどうやって・・・急がないと俺はおかしくなってしまう。それなのに、俺は元の姿に戻る方法が思い浮かばなかった。

『いっそのこと・・・』

俺はネギを切っていた包丁を握り締めた。

『これをコイツの首に当てて、脅して元に戻る方法を・・・駄目だ。それは無理』

俺は、すぐにこの方法の問題点に気がついた。それは・・・力の差。この姿にされてから、俺の力は、男のときの14になっていた。この姿にされて、コイツに力任せに何度犯されたことか。コイツの隙を突いて、コイツの首に包丁を突きつけられたとしても、奪い取られる事は目に見えている。

『それなら、こうすればさすがにコイツでも・・・』

俺は、さっきから背中を刺激するコイツのペニスに標的を変える事にした。コイツからペニスを切り落とせば、コイツは、女に戻るしかない。そうすれば、俺も男に・・・しかし、この計画にも大きな落とし穴があった。それは、コイツのペニスが、俺から奪った物だという事だ。巧く根元から切り取れればいいが、もし、ペニスを傷つけたなら?もし、途中からスパッと切り離してしまったら?俺は男に戻れなくなってしまう。どうすればいいんだ?

自力では男には戻れないという結論に達し、絶望の中、俺の手は、そんな俺の思いとは関係なく、包丁とまな板で軽快なリズムを奏でていた。

俺を後ろから抱きしめたコイツが俺の耳元で囁いた。

「久美。結婚しよう」

姿を入れ換えてからは、俺は会社だけではなく、日常でも『久美』と呼ばれていた。・・・・ん?なに?コイツは今なんて言ったんだ。

「なんて言ったの?秀雄さん」

俺は、コイツに、俺が元に戻る計画を立てている事を知られないように、コイツの望み通りに、姿に合わせた名前で呼んでいた。

「結婚しようといったんだよ」

「けっこん?」

俺の頭に血が上っているのを感じた。

『コイツは何を考えているんだ。俺とコイツが結婚?絶対にありえない事だ。コイツはどうしても俺を男に戻さないつもりか!絶対に受け入れるはずがないじゃないか』

俺は、頭を横に振った・・・つもりだった。だが、実際には、縦に小さく控えめに、だがうれしそうに振られた。

「はい」

体が俺の意思を無視して動いていた。長い間この姿でいたために俺の意識はいつの間にかこの狂った生活に毒され始めていたのだ。この状況から逃れるためには、コイツを消さなければ・・・

俺は包丁を強く握りなおして、振り返った・・・つもりだった。だが、実際には、包丁を放し、顔を赤らめて、至福の喜びを笑みに変えて、コイツに抱きついた。そして押さえられない感情から、とめどなく涙が溢れ出した。

俺の身体は、俺の意志を無視して、勝手に動き出したのだ。俺は如何すればいいんだ。

「わ、わたし、無理だと思ってた。わたしは、女なのに、なのに、男としてしか生きられない。それが、女として結婚できるなんて。わたし、うれしい!」

『な、何を言ってるんだ?俺は。俺は男だろうが、俺は・・・』

俺は気付いた。俺の意識がぼやけてきている事に。なぜだ、それほど俺は毒されてしまったのか。俺の意思に反して、俺の唇が語り続けた。

「わたし、幼い頃から、自分は本当は女じゃないのかと思っていたの。でも、外見も、周りも、わたしは『男』だというから、そんなことを思うのはいけないことだと思っていたの。自分は女の子だと思っている事がわかると、親や先生に叱られると思って、誰にも言えずに・・・そんなことを思う自分は悪い子だと思って、男らしくなろうとしたの」

俺の声は、涙声に成っていた。

「だから、この会社に入って、誇らしげに『女』を、『女』であることで仕事をしている女の子たちがうらやましく憎らしく、無意識にあんなことをしてしまったの。ごめんなさい」

泣きじゃくる俺を、コイツは何も言わず優しく抱きしめた。

「・・・・」

俺は、泣き続けた。俺は、自分に姿が霞んできているのに気が付いた。まるで、『わたし』の涙とともに、『俺』は霞んでいく。

俺は気付いた。俺は、俺の本体じゃない事に。俺は、男らしく見せるために『わたし』が作り出した偽りの人格だったのだ。そして、このプロポーズのおかげで、偽りの自分から、本来の自分へと戻どる『わたし』。俺の役割は終わった。

俺は、この身体から消えていく運命なのだ。

ふと、中学の頃に読んだ『吾輩は猫である』の一節が浮かんできた。それは、飼い主の家で行われた宴会のあと、コップに残っていた飲み残しのビールを嘗めて、酔っ払い。ふらつきながら歩いていると、水甕の中に落ちてしまう。

水甕のそこには水がたまっていて足は付かない。そして、内側にはコケが生え、ぬるぬるして、出ようとすればするほどおぼれてしまう。

覚悟を決めた猫は、呟く。まるで、成す術もなくこの身体から消えていく俺のようだ。

 

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ありがたや、ありがたや・・・・

 

 

 

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