ぼくの由美子ちゃん

  文章:猫野 丸太丸

友情絵画出演 MONDOさま!!


 

「いやっ。きもちわるい絵、書かないでよ。」

 

 僕はクラブに入っていないので、学園祭の準備では毎年面倒くさい仕事を割り当てられるのであって、今年もマンガがちょっと描けることに目をつけられて、喫茶店の看板を一人で描かされることになったんだけど、

 今年の僕はいままでとは違うんだ。校舎の北の端にある図画準備室、僕は一畳のベニヤ板を新聞紙を広げた上に敷き、一面を水性ペンキで真っ白に塗ると、気負いこんでチョークで下描きを描きはじめた。

 だって僕は今年、そこに由美子ちゃんを描くつもりなんだから。

 

「いやっ。きもちわるい絵、書かないでよ。」

 

 由美子ちゃんはちょっと普通のクラスにはいない美貌、そう、グラビアかビデオクリップのなかのひとみたいな美しさで、男子みんなの気を引いていたけれど、かえって近寄りがたい雰囲気で、由美子ちゃんはクラスの凡人たちのなかには溶けこまなかったし、その必要もなかった。由美子ちゃんは、ほかとは違う存在なんだ。

 僕? 僕は、凡人以下。由美子ちゃんに近づくどころか、声をかけるのも、とてもとても。

 

「いやっ。きもちわるい絵、書かないでよ。」

 

 僕は委員からお金をもらうと、赤と黄、白、茶、黒のペンキを購入した。この5色できれいな肌色をつくるのが、コツの要る仕事だ。僕はなんどもペンキを塗り重ねる、全身に肌色を塗ったときは、裸婦像を描いたみたいですこしはずかしかったかな。クラスのだれかが、「ひろしくん、へんたい、スケベー」とか言ったけど、僕は気にしなかった。この絵が完成したら、みんなびっくり賞賛するに決まっているのだから。ほんものの由美子ちゃんには、かなわないけどね。

 

「いやっ。きもちわるい絵、書かないでよ。」

 

 僕が学園祭の喫茶店で使う予定の衣装よりすこし派手めにオレンジ色のウェイトレスのコスチュームを描きおわったころ、

 一つの事件が起こった。喫茶店の準備金の一部が、紛失したんだ。

 そのことが担任教師に知れると、教師は学級会を開いた。教師はまず、お金の管理者の発言を求めた。

 それが由美子ちゃんだった。由美子ちゃんはまっすぐに立ちあがった。ショートカットの頭がまず一礼し、黒く澄んだ瞳が教師を見つめた。

「ごめんなさい。管理していた私に、責任があります。」

 教師は虚をつかれ、「いや、君が盗んだわけじゃないんだから」と言ってすぐに由美子ちゃんを座らせた。

「では、きのうの放課後にこの教室にいた者は?」

 学園祭の直前の準備で居残っていた何人かが、立たされた。教師、というよりクラスの凡人の残り全員が、その数人に順番に「どこにいたか、なにをしていたか」を聞き出しはじめた。僕は関心もなく、ただぼうっとそれをながめていた。

 しかし立たされていたうちのひとり、素行が悪いことで有名な子が叫んだ。

「ちょっと。なんで私たちだけ。犯人あつかい、やめてください!」

 教師があわてて「いや、一応聞いているだけだ」とかなんとか言った。その女子は、いきりたった。

「それならなんで、由美子にはアリバイを聞かないんですか! っていうか、疑うなら彼女がいちばんあやしいんじゃないんですか?」

 それを聞いたクラスはどよめいた。だってそれは、言っちゃいけないことだったんだもの。僕はすっかり目を覚ましていた。僕たち凡人が、由美子ちゃんをじぶんたちと同等に扱えだって? 他の級友たちも、そのことのおかしさはじゅうぶん分かっていた。

「由美子ちゃんがやるわけねーだろ。」

「じぶんが不愉快だからって、他人に当たるなよ。」

 なかには、

「ブスがひがむんじゃねーよ。」

とつぶやいた者もいた。非難の渦中に立たされたその女子はそれでも負けず、その野次に食ってかかった。そのとき争いに耐えられなくなったのか、

 由美子ちゃんがぽろぽろと涙をこぼしたんだ!

 クラスはもうパニックだった。教師は由美子ちゃんを教室の外に出した。原因を作ったもと不良の女子は真っ赤な顔をして、由美子ちゃんをにらんでいた。

 結局学級会はうやむやのまま、中止が言い渡されたのだった。

 

「いやっ。きもちわるい絵、書かないでよ。」

 

 ふふ、天使のような由美子ちゃんに泥棒の疑いをかけたんだから、あのブス、責められて当然さ。僕はなめらかで細い足にソックスを履かせ、ついでしなやかで長い手指を描いた。盆と手とのバランスをなんども訂正し、最後に爪を薄いピンクに塗った。

「怖かったでしょ。あんなことを言われて。でも、由美子ちゃんには僕がいつもついているからね。」

 絵にささやきかけながら、僕はどんどん筆をすすめた。

 そのとき、廊下から声が聞こえてきた。

「あの由美子のやつ、マジでむかつく。ほんきでつぶしてやる。」

 怒りにまかせてそう言っているのは、さっき騒いでいた女子だ。

「ああー、そういうことなら、力貸してやってもいいぜい。」

 友人の男子を連れているらしい、男の声が聞こえる。

「そんなことよりさー、あっちでいいことしねえかあ?」

「するかっ、ばか。」

 僕は準備室の中でびくびくしていたが、そいつらはそのまま行ってしまった。

 

「いやっ。きもちわるい絵、書かないでよ。」

 

 学園祭の前日、僕は居残りの時間を最大限に利用してとうとう由美子ちゃんを描きおわった。ずっとうんこ座りだったせいで痛む腰をさすりながら、僕はベニヤ板の裏に角材を打ちつけて補強した。図画準備室の窓から差す夕日の光に照らされて見える、

 由美子ちゃんは、完璧だった。きらきらと輝く瞳、濡れた唇、ショートカットの髪、胸はちょっと大きすぎたかな、でもこのくらいが(そう言って僕は由美子ちゃんのブラウスの上から丸みをなでた)、僕は、大好きだ。

 

 そのとき、奇跡が起こった。絵を描いている最近の僕は気味が悪いと言って、だれも近づいてこないはずの準備室の扉が開いたんだ。そこへ入ってきたのは、

 由美子ちゃんだったのだ!

 僕はもうなんて言っていいか分からなくて、のどが絞めつけられたようだった。

「見にきてくれたんだね。これ、明日の喫茶店の看板にするつもりなんだ。がんばって描いたんだけど、ねえ、由美子ちゃんに似てるかな?」

 僕はそう言うはずだったのに、気づいたらイーゼルの陰に隠れて、じっと息を圧し殺していた。

 由美子ちゃんはなぜか泣いていた。ところどころ、怪我をしているようだ。ふと、僕の絵に気づく。リアルに描かれた自分の姿に、どうしてそんなものがあるのか分からない様子だった。そして、こう言った。

 

「いやっ。きもちわるい絵、書かないでよ。」

 

「いやっ。きもちわるい絵、」

 

「いやっ。」



 学園祭当日、首を吊った由美子ちゃんが図画室で発見された。ポケットから自筆の遺書が発見されたため、死因は自殺だという噂が立った。

「喫茶店のお金、やっぱりあの子が盗ったんだってね。」

「どうしてそんなにお金が必要だったの?」

「あの子、けっこう裏でいろいろやってたらしいわよ。堕ろすとか堕ろさないとか。」

「うげっ、あんなおとなしい顔しててー?」

 こんな大騒ぎではもちろん学園祭は中止、警察は図画準備室まで調べたので、僕も夕方まであれこれ尋問攻めにあってしまった。

 やっと解放された僕は、いそいで喫茶店をするはずだった教室に走った。他の生徒は早く帰るように言われたのだろう、あたりには、だれもいない。

 あった! みんな触るのを気味悪がったのか、由美子ちゃんの絵は、ひっくり返されてそのまま教室に放置されていた。僕はその絵を身体の前にかついで、校舎を出た。

「うわっ!」

 いきなり声がしたのでベニヤ板の向こうを覗くと、そこには三人の男子とひとりの女子がいて、うちひとりの男子が、絵の前で腰を抜かしていた。女子は、あの学級会で大騒ぎしたやつだ。尻もちの男子が立ち上がって言った。

「なんだよ、ただの絵か。由美子そっくりだから、化けて出たのかと思った。」

 べつのひとり、背の低いやつが、にやりと笑うと僕から由美子ちゃんの絵をひったくった。

「おいこれ、ほんとに絵かよ。リアルすぎて気色悪りいって。」

「なんだか見てたら、『やった』ときのことを思い出しちゃったよ。」

 連中は僕を無視して、僕の由美子ちゃんの絵を見つめながらしゃべりはじめた。

「おまえに頼まれて『由美子を襲ってくれ』って言われたときは、ちょっとためらったけどな。でも、最高に気持ちよかったっての。さすが『クラスのアイドル』由美子ちゃんだったぜ。このおっぱいなんか、」

 そう言ってひとりが僕の絵の胸のところをかりかり引っかいた。

「おまえそういうの好きだなー。」

「ったく由美子のやつ、ちょっといたぶったくらいで自殺なんかしやがってよ。生きてりゃもう2、3回くらい遊んでやったってのに。」

「ばか! めったなこと言わないでよ!」

 気の強い女子がとがめると、もうひとりの背の高い男子がぺろりと舌を出した。

「だいじょうぶだって。さんざん警察に聞かれたけど、俺たちが由美子を襲った証拠なんか、ないんだし。」

「そうそう。遺書にも俺たちの名前なんか書いてなかったってよ。しかしこの絵見てると、また変な気分になりそうだぜ。」

 そう言って背の低い男子が、絵を身体の前に掲げた。もうひとりが出した舌をひっこめると、絵の前で空手かなにかの構えをとる。

「でもあいつ、すごい取り乱しかただったな。『もう、生きていけない』とか言っちゃって。けっこう裏じゃそういうのにも慣れてたくせにさ。」

 背の高い男子が、由美子ちゃんの頭めがけてパンチを放った。ぱかっという音がして、首から上でベニヤ板が割れた。

「お高くとまりやがって、このやろ。」

 胴体の絵を持ったまま、背の低い男子が由美子ちゃんの顔を足蹴にした。僕は「なにするんだ!」と言ってそれを止めようとしたが、空手の男子に腹を蹴られただけだった。僕の学生服のポケットから資料用に隠し撮りした由美子ちゃんの写真が何枚もこぼれ落ちたので、連中は爆笑した。

「でも、この子はどうすんのよ。いまの話、ぜんぶ聞かれたよ。」

 それで僕の存在をやっと思い出した女子が、僕を指さした。空手使いの男子が、僕の胸ぐらをつかむ。

「へへっ。もちろん余計なことは、しゃべらないよな。」

 僕がふるえながらうなずくと、空手の男子は笑って手を離した。ほっとする間もなく、足を引っかけられて転ばされる。

「心配ねえって。こんなやつ、あこがれの女の子がひどい目にあったと聞いたところで、震えていることしかできねえじゃん。」

 絵を持っていたほうの男子がそう言った。ふざけて持っていた胴体の絵を自分の身体のまえにくっつけた。絵のもげた首に、ちょうどその男子の顔がはまって見えた。

「どうせこのオタクくん、実物に相手にされなかったから、この絵を描いて『由美子ちゅわぁん!』なんて言って、シコシコやってたんだろ? ほれ、見て見て、ボク、由美子ちゃんだよお。ひろしくん、愛してるわあ!」

 

 僕は冷静に言った。

「そうか、君たちが由美子ちゃんを傷つけたんだね。」

 僕はしっかりと、立ち上がった。

「僕の由美子ちゃんは、たしかにきみたちを恨んでいるよ。」

「なに言ってんだ? ……痛てえっ!」

 僕の由美子ちゃんの身体を掲げていた男子が、ぱたり、と絵をとり落とした。他の三人は、目がおかしくなったと思ったのだろう、まぶたをこすった。

 なぜなら。絵ははずれたはずなのに、その男子の身体はもとのまま、絵に描かれたとおりの、由美子ちゃんだったのだ。 すらりとした足、整えられた手、ウェイトレスのコスチューム。その男子がふっくらとした自分の胸をつかんで言った。

「な、なんだこれえ!」

 いきなりその男子はひっくり返り、地面にあおむけになった。手足が地面に張り付けになる。服が乱されていく、見えない手に、身体を凌辱されているのだ。下着が破れて、女のかたちをした陰部が剥き出しになった。

「ひいっ、お、おんなになってるう! やめて、やめてくれ!」

 そう叫ぼうとした男の声がかすれた。首にくっきりと、ロープの痕が浮かびあがった。苦痛に歪むそいつの顔がゆっくりと、由美子ちゃんのあの青白く美しい死に顔へと変わっていく。僕は笑った。

「良かったね。君の大好きなおっぱいが、君のものになったよ。」

 でもそれだけじゃあ、おもしろくない。由美子ちゃんがこいつらにやられたとおりのことを、僕は新しく由美子ちゃんになったそいつに実演してもらった。僕は微笑んだ。

「なんだよ由美子ちゃん、血が出てるじゃないか。君は由美子ちゃんにこんなことをしたんだね……。そうだ、君たちのほうはどうかな?」

「きゃああああ!」

 自分たちの犯した罪の再現を目の当たりにしてやっと後悔したのか、のこりの犯人たちが逃げ出そうとした。馬鹿だな、僕の由美子ちゃんから逃げられるわけないのに。

 倒れたベニヤ板がひとりでに浮き上がると、僕の視線と連中との間に割って入った。連中の体が僕の見ている世界からはじき出され、かわりに絵が収まった。

 カシャ、カシャ、カシャ、とシャッターを切られたかのように、連中の身体の像がかすんだ。あのブスな女子も、乱暴をするしか取り柄のない男子たちも、みんなきれいな由美子ちゃんになってしまった。

 僕の目の前で、四人のにせ者の由美子ちゃんが地面をのたうちまわる。教師も警察もだれもこない、ここは僕と、由美子ちゃんだけの世界。僕は由美子ちゃんたちが壊されていくのをじっと、見つめていた。凡人のくせに、僕の由美子ちゃんを傷つけたからこういう目に遭うんだ。最期にきれいな姿で死ねるんだから、ありがたいと思わなくちゃ。

 由美子ちゃん、僕、きみの仇をとったからね。

 

 あのとき図画準備室で、僕の絵を見た由美子ちゃんは、さっきまで泣いていたのが嘘のように、笑いころげた。息を切らせながら言う。

「いやっ。きもちわるい絵、書かないでよ。」

 やっと笑い終わった由美子ちゃんは、ため息をついた。

「でも、いまのあたしよりましか。あなた、いい線いってるわよ。」

彼女はなにを思ったか、絵を横抱きに持ち上げると、となりの図画室まで運んでいった。

「最近いろいろあってさ、あたし、なんだか疲れちゃった。だからあなたに由美子ちゃんを代わってもらおうかな。」

 そして持っていたロープを図画室の天井の蛍光灯に引っかけると、彼女はなんのためらいもなく、絵の目の前で首を吊った。浸み出した体液が、ぽたり、ぽたりと、僕の由美子ちゃんの絵にかかった。

 

 僕が「もうやめろ」と言うと、由美子ちゃんたちはようやくもだえるのをやめた。

 僕は横たわる由美子ちゃんたちを見つめた。ウェイトレスの格好をすっかりめちゃめちゃにして寝ている由美子ちゃんたち、みんな黙っていて、僕に目も向けない。ここまでひどいとは思っていなかったので、僕はためいきをついた。同じ格好をしているだけじゃ、だめだな。

 ひとはいいことを言うよ、見てくれじゃない、こころの美しさが大事だってね。地面にだらしなく寝転んで僕に微笑みもしないおまえたちじゃ、断じて僕の由美子ちゃんにはなれないよ。

 

「おまえら、よく見ろ、僕の由美子ちゃんは、こんなに美しいんだ。」

 僕はベニヤ板を拾いあげ、裏返すとしっかりと自分の身体の前に固定した。

 ゆっくりと、僕の身体にペンキとおんなのこのにおいが染みこんできた。つるつるになる肌、ふくらむ胸、縮む背丈。ミニスカートにちいちゃなエプロン、その下からのぞくはちきれそうなふともも――僕が絵に描いた、由美子ちゃんのままだ。

首にロープがかけられた。僕の醜く平凡なこころが絞めあげられ、清らかな由美子ちゃんに変わっていく。ああ、僕が、僕が、僕が、

 

 僕の由美子ちゃんになっちゃった。

 真っ白になったベニヤ板を投げ捨てたあたしは、満足げに微笑んだ。えりもとのリボンをほどくと、いたずらっぽく背中のファスナーをゆるめ、左の肩を露出させる。唇にひとさし指を当てて、つつつ、と2、3回振った。

 

 あたしをえがいて、あいして、かたきをとってくれたひろしくん。どこにいるの。あたしゆみこよ、もどってきたわ。

 あなたのこえはずっときこえてた。あたしもあなたをあいしてるわ。かくれてないで、でておいで。

 みつけだしたら、のぞみどおりだきしめてあげるわ。ほほをすりよせて、みみもとで

「きみの絵って、かわいいね」って言ってあげるから。それから

 くちびるであなたの呼吸をふさぎ、しんでもあなたをはなさない。

 だからねえ、こたえてひろしくん。どこにいるの?

 

 


あとがき

 猫野です、死んでます。仕事忙しいのに、逃避してるっつうの。
最近みなさん、すごいですよね。ダークの形について、考えさせられることばかりです。
でも結局、我が道を行く猫野。
こんな猫野の企みに付き合わせてしまって、MONDOさま、平身低頭感謝です。
読んでくださった読者さま、さらにさらに感謝です。以上。


Last update:2000/09/30



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