「じゃあ、鞄をおいて着替えてくるわね」 「着替えなくてもいいだろ。セーラー服のままでいろよ」 「でもこれからいろんなところへ連れていってくれるんでしょ。夜も遅くなるし、セーラー服のままじゃ警察とかガーガーうるさいって」 「構わないってそんなもん。無視してりゃ関係ないだろ。お前ゼッタイ似合うんだから」 「んー、もー、レイジったらセーラー服好きなんだから。……じゃあ、一応考えてみるよ。ちょっと待っててね」 亜栖奈は微笑むと、助手席を降りて駆けだしていった。何軒か先の家の門をくぐる。 俺はその後ろ姿を見送ると、待ちかねたようにカーナビのスイッチを入れて、ある特殊な操作をした。画面が一瞬またたいたかと思うと、ある部屋の様子がそこに映った。いまは無人だが、調度などから女の子の部屋だとわかる。 しばらくすると、ドアを開けてセーラー服の少女が入ってきた。亜栖奈だ。 もうわかるだろう、そう、これは盗撮カメラの映像なのだ。この前、両親が留守の亜栖奈の家へ遊びにいったとき、スキを見て仕掛けておいたのだ。部屋全体が見渡せ、しかもバレないところへ設置するのは苦労した。最新鋭のカメラで、首振りやズーム機能に高性能マイクまである。電源も電灯線から取っているから完璧だ。 俺の顔に抑えきれないニヤニヤ笑いが浮かんだ。亜栖奈は俺が見ているとも知らずに、あれこれ出かける準備をはじめている。こんな時、俺はちょっと神にでもなったような気分になる。亜栖奈という少女のすべてを所有している感覚だ。 亜栖奈は街でナンパした女子高生だ。いかにも擦れてなさそうなおっとりした様子をしつつも、これからいくたびかの男性経験を経て確実に美人になるだろうな、という顔立ち(しかも悪女だろう)が一発で気にいった。 こうみえても俺は外見だけは良い。女どもに言わせると色白で優しそうな好青年に見えるらしい。実家は金持ちだし、車も高級車だ。そんなわけで女どもはコロコロ騙されて俺の毒牙にかかるというわけだ。 俺も最初は普通に女遊びをしていたのだが、それも回を重ねるうち退屈になってきた。どの女も実にくだらない奴ばかり、本気になれるような上玉は一人としていない。そこで俺は、付きあった女のすべてを「所有」することにした。興信所を使ってありとあらゆる個人情報を集めるのはもちろん、デート中の車内やラブホテルでは隠しカメラをまわす。できれば今回のように相手の部屋にもカメラを仕掛ける。これで女の二十四時間をすべて俺のものにできるというわけだ。もちろんそれらを相手に気付かれないよう遂行する。ストーカーとしても俺はかなりのハイレベルだろうな。このようにしてから、女遊びに退屈していた俺はふたたび深い充足感を得られるようになった。所有欲をひそかに、そして最大限満足させられるからだ。 俺の話はいい。亜栖奈だ。 画面をみると、亜栖奈はセーラー服のまま、クローゼットを開けてあれこれ服を物色しているようだ。大きめの鞄まで用意しているところをみると、どうやら俺のリクエスト通りセーラー服のままデートに出かけ、途中で着替える気らしい。 亜栖奈は姿見のまえで、つぎつぎ服を試しては首を捻ったり神妙な顔をしたりと百面相をしている。気に入った服があると、キラキラと輝くように表情をほころばせる。こんな時、亜栖奈の頭の中は、いまからの俺との楽しいデートのことで一杯なんだろうな。俺が見た目通りの男でなく、最低の覗き野郎だとは夢にも思わずに――。ククク。思わず俺は声を漏らした。こんなパーソナルな空間での無防備な行動をすべて把握できるのだから、「所有」はやめられない。 そうこうするうち、部屋にノックの音がした。 「お姉ちゃーん、いる?」 部屋に入ってきたのは、ふたつ下の妹の沙里菜だ。亜栖奈の家族のことはもちろん詳細に調べたから知っている。 「なによ、わたしいま忙しい」 つっけんどんに返事する亜栖奈。 「このまえ借りた映画のDVD返しとくよ」 「そのあたりに置いといて。――あんたまた傷付けたりしてないでしょうね」 「大丈夫だよ、今度はきれいに観たから。――あれ、お姉ちゃん背中に糸くず付いてるよ」 「え、どこどこ? 取って」 「うん」 その瞬間、沙里菜の顔に何ともいえないおぞましいような微笑みが浮かんだ。まるで無垢な少女が一瞬にして年増の売女へ変貌したかのようだ。俺は唖然としていた。 沙里菜は糸くずなど取ったりせず(そんなものは亜栖奈に付いていなかった)、かわりにポケットから黒い紐のようなものを取り出すと、それを縦に伸ばして亜栖奈の背中に張りつけた。金属光沢はあるが、なんの変哲もなさそうなシロモノである。 だがそれを背中に押しつけられた途端、亜栖奈は眼をみひらき「う……」と声をもらしたまま動かなくなってしまったのだ。 俺は食いいるように液晶画面をのぞきこんだ。いったいなんなんだ。なにが起きている? 亜栖奈の背後から、沙里菜がその顔をのぞきこみつつ、「おねえちゃん、おねえちゃーん?どうしたのぉ」と白々しく呼びかけている。 肩をゆすっても亜栖奈が反応しないのを確かめると、沙里菜は顔に小狡そうな微笑みをうかべた。 「ふう、うまくいったみたいね。……グヘヘェ、これで亜栖奈チャンのすべてがオレのものって寸法だぁ。ピチピチの女子中学生の次は、ムンムンの女子高生か。まったくおいしい仕事だぜぇ、こんな役得があるたぁなぁ」 俺は自分の耳をうたがった。中学生の沙里菜の口から、まるで脂ぎったオヤジのようなセリフが流れだしていたからだ。 沙里菜はポケットからもう一本紐状のものを取り出すと、今度はそれを自分の背中にくっつけた。それを装着しても、沙里菜に異状がおこることはなかった。 だがその直後起こったことは、とうてい現実の出来事とは思えなかった――。 沙里菜は鏡の前で、自分の姿をみながら身体をくねらせて、あの背中の紐の上端に手をかけた。タブらしきものをつまんで、下へおろす。ジィィィと細い音がして、紐のところから沙里菜の背中が左右に割れた。してみると“それ”はファスナーらしい。 いや、まて。なぜ張りつけただけのファスナーがそんな働きを? 開いた背中から覗いているのは人肌だったが、やけに色が黒い。沙里菜の肌の色とは大違いだ。 沙里菜は鏡に向かってひどく淫らなニヤニヤ笑いをうかべつつ、両手で自分の頭を左右から抱えるようにつかむと、二〜三度もぞもぞさせた後、ぐい、と上方に引っ張りあげた。 俺はワアッと悲鳴をあげた。格好悪いがシートから飛びあがって車のルーフに頭をぶつけてしまったほどだ。 なぜって、その途端沙里菜の頭部の皮膚がいっしょに上へ引っ張られ、顔、というか頭全体が、ぐにゃりと伸びて変形してしまったからだ。ショートヘアでちょっとリスを思わせる沙里菜のかわいらしい顔は、いまは溶けかけたロウ人形のように異様な面持ちになっている。 その状態のまま、沙里菜の頭がもそもそと動いた。――いや、伸びきった頭部の皮膚の中で、もしかしたら頭蓋骨が動いているのではないか、という感じだった。 俺はパニック寸前になりながらも、画面から眼をそらすことができなかった。沙里菜は頭蓋骨を自分の頭の皮から抜きだそうとしているようだ。つかんだ毛髪をさらに前へぐっと引っ張り、背中の穴から自分の中身を外へ曝けだすつもりらしい。ずぼっ、と音がしてそれが姿を現した。 凝視する俺。 だが背中の穴から出てきたのは頭蓋骨でも人体標本のような筋肉丸だしの頭部でもなく、普通の人間の頭であった。 色黒で人相の悪い、まるまると太った中年男だ。 俺はあんぐりと口をあけてそれを見つめるしかなかった。 ――沙里菜の中に誰か入っていた? いや、皮を被って沙里菜になりすましていたということか? まさかそんな。だいたいこの男は誰だ。俺は夢でも見てるのか。 さまざまな思いが俺のなかで渦巻くあいだにも、男は野太い声で「ひゅーい、流石にひと息つくぜぇ」とつぶやくと、自分の頬を手でペタペタ叩いていた。 その手だって少女のほっそりとした手なのだから、むしろ沙里菜の身体に男の首が寄生しているようにみえるのだが、その沙里菜の頭はといえば前掛けのように首もとから垂れ下がっていた。 男は右手で左手の先をつまむと、手袋を外すときのように引っ張った。ずるずると左手から実体が失われていき、やがて男の逞しい腕が背中の穴から出てきた。ついで右腕。両腕を抜いてしまうと、肥満した裸の上半身が少女の皮の中から現れた。沙里菜の上半身は、背中の穴を押し広げられるような形で、腰元からプラプラ垂れ下がっている。 なんだこれは? ありえない光景だった。だいたい体格からしても、男と沙里菜では極端に違いすぎる。少女の身体の中にこんな太った男が入れるわけがないのだ。 俺はあやしい動悸を感じながらも、男が今度はズボンを脱ぐ要領で、沙里菜のパンツルック姿の下半身から自分の足を抜き出すのをただ見ているしかなかった。その足はやはり丸太のように太かった。 「グフフフ、こうしてみるとよく女の子の身体にオレなんかが入れるもんだぁ」 男は、盗撮画像をみつめる俺の気持ちをみすかすような独り言をつぶやくと、大太鼓のように突きでた腹をパンパンと叩いた。デカパン一枚のその姿は実に醜いものであった。大男といってよい体格だ。 その足元には脱ぎ捨てられた少女の身体が、奇妙にねじれ重なって、まるで脱皮後の無用の抜け殻のように横たわっていた。とんでもない方向にむいた無表情な顔は眼孔と口がポッカリ穴になっている。 その光景に俺は名状しがたい衝撃をうけた。自分の胸の裡に奥深い闇をみた気がして、俺はおののいた。 「じゃあー、いよいよ亜栖奈チャンの番だ」 声がしている。 男は立ち尽くしたままの亜栖奈の後ろへ移動すると、背中のあのファスナーをつまんで押し下げた。 その途端、中身が消えうせたようにへなへなと崩れそうになる亜栖奈の身体。 それを手で支えると、男は背中の穴を押し開いて、着ぐるみを着る要領で亜栖奈の身体に自分の足を入れはじめた。 「あ、あ、あ……」 俺は今度こそ愕然として液晶画面に向かって声を出していた。 「な、なにをしやがるこの野郎、俺の亜栖奈に……おい……こら」 もう間違いない。このデブおやじは、亜栖奈の身体を“着る”気だ。どういう仕組みかは知らないが、あのファスナーは人間の身体を着ぐるみにできるアイテムなのだ。さっきの沙里菜も人工皮膚のようなものじゃなく本人だったんだろう。こんな太った男が少女の中に入れるのは、もう魔術のようなものの働きと考えるしかない。 されるがまま、醜い中年男に「着用」され身体を支配されてゆくセーラー服姿の亜栖奈。その様子はひどく破廉恥で人倫にもとっている感じがした。俺の理性は目をそらせと命令していたが、けっきょくは劣情に支配され画面に釘付けだった。――いや、本当のところ俺の本能はそれを激しく見たがっているのではないか。 「いやあ、この子の足は沙里菜に比べて太い太い、まるで大根だぁ」 男が“着替え”ながら喋っている。 「――うるせえ」 確かに亜栖奈はちょっとぽっちゃりタイプで、本人も気にしているようだ。だがこういうムチムチした肉付きの良い子の方が脱がせたあとに楽しめるってもんだ。特に亜栖奈のバストときたらDカップはあるだろう。 「さあこれで亜栖奈チャンの下半身はボクのものだよ」 こいつ、一人称を“ボク”に変えてきやがった。 やはり男の太い足をつっこまれても、亜栖奈の下半身は元のサイズのままだった。そのきれいな足がもぞもぞ動くのが信じられないくらい卑猥な感じだ。 男は抱えあげた亜栖奈の上半身をうまく捌いて自分の両手をセーラー服の腕に通す。指先まで達すると、さっきまで皮だけにされていた腕が実体をまとって動き出す。ずぶずぶと上半身も亜栖奈のそれに沈みこみ、これで身体の大半が男のものになっていた。 「まったくこの娘はどこも太めだぁ……だが、おっと、胸は結構あるな、ぐへへ」 男は亜栖奈の手で、セーラー服のせり上がった胸をいやらしく揉みほぐしながら言う。俺は歯軋りしているしかない。そしてその姿はさっきと同じく亜栖奈の身体に男の首だけが寄生しているかのようだ。 「じゃあ、いよいよこの色白のキレイな顔をオレのもんにするか」 男は鏡をみながら、目の前にある亜栖奈のボリュームのあるロングの髪を左右に分けて流すと、その頭を持って上へ引っ張るようにしながら自分の頭をやや強引に差しこんでいった。 ずるずると亜栖奈の頭全体がうごめいて、ぐにゃりとしていた顔も突然きちんとした肉付きに戻り、目や口が中身を宿した。具合をたしかめるように掌で顔のあちこちをなでると、瞬きして口をパクパクさせた。 そしてその顔に、いつもの亜栖奈の爛漫とした微笑みがうかぶ。 俺はゾッとするのと同時に、ドロドロした欲望の波が喉許までせり上がってくるのを感じて呻いた。 そいつ、“亜栖奈”は、いつもの亜栖奈の声で「フンフンフーン」と鼻歌を歌いながら、身をよじって背中のファスナーを完全に閉じた。用済みらしいファスナーを無造作に剥いでポケットにねじ込む。しばらくポーズを取ったり自分の身体のあちこちを眺めまわして、“変身”が完全に終わったのを満足そうに確認した。 姿身に向かってかわいらしくシナを作ると、ひとりごちる。 「おじさま、これからしばらく亜栖奈をよろしくね。中に入ってるって絶対バレないようにしなくちゃダメだよー?」 俺ははげしい眩暈と吐き気をおぼえて、シートにどっかと身体を預けた。気持ちを落ち着かせようと目を閉じる。どうすれば良かったんだ? こうなる前に亜栖奈の部屋に踏みこむべきだったのか。 改造カーナビから亜栖奈の声が聞こえている。 「ふーん、“あたし”はレイジって男とこれからデートだったんだ。……行かないとマズイな。仕方ない、女子高生として一晩つきあってやるとするか。グフフ」 どうやらあのデブおやじは独り言が癖らしい。聞きたくもないこんなセリフを俺に聞かせてくれる。 「沙里菜チャンを着る応援役をここで待つ手筈だったが……まぁ出先で落ちあうか。じゃあ沙里菜の身体も持っていかないとな」 俺はどうしていいかわからなくなり、顔をそむけたままカーナビのスイッチを切った。 “亜栖奈”は今からこの車へ来る気だ……。 俺は車を急発進させて逃げるべきなのか。 心臓が興奮と怖れと嫌悪でパニックのように脈打っている。 ――だが待て。 いまのアレは、果たして本当のことだったのか? かつがれているのでは……SFXやCGだって発達している世の中だ……あれくらいの映像なら作れないわけではないだろう。あんな非現実的なことが実際に起こったと考えるより、よっぽど……。 しかし誰がなんのために。 あのオヤジは、亜栖奈の身体を支配するだけでなく、記憶まで読めるようだった……ということは、亜栖奈の全てをいま完全に所有しているわけだ。俺なんかとは比較にならないほど。 こう思った途端、俺の中で初めて本格的に怒りの灯がともった。とんでもない泥棒野郎め、亜栖奈を所有しているのは俺だ、俺だけに所有権があるんだ。なんとか奴を追い出してやる。 亜栖奈を“救出”しようとは一度も思わなかったが、こう考えたことが唯一俺が逃げださなかった理由だ。 コンコン。 助手席の窓をたたく音がした。 “亜栖奈”だった。 「どうしたのレイジ。ボーッとしちゃって。顔色が真っ白だよー?」 亜栖奈がいつものように微笑みながら車に乗りこんでくる。 姿形も物腰もまったくいつもと変わらない。それが却って不気味だった。 「ああ、ちょっとな。それよりセーラー服のままで来たんだな」 「うん、レイジこのままがいいって言ってたでしょ、だから――。その代わり、着替えを持ってきちゃった。とびきりカワイイ服選んだから、あとで楽しみにしててね」 そう言って抱えたバッグを指し、無垢な笑顔をうかべる亜栖奈。 ――そうか、そこに妹も“入っている”んだな。それにしても、本当にこの亜栖奈の中にあのデブおやじが居るのか……。 「――ねえどうしたの、そんなにガン見して。あたしの顔になんか付いてる?」 「い、いや……そりゃおまえ余分な肉が……アテッ」 「もーっ、お肉の件はいわないって約束したでしょ。これでも気にしてるんだから、いまダイエット中」 俺は亜栖奈につねられた腕をさすりながら、力なく笑った。むくれる亜栖奈は普段と全然かわりない。もしあのオヤジが入ってるとしたら凄い演技力だ。 俺は車を発進させた。 亜栖奈は、さっきから学校でのことを楽しそうに話している。女の話というのは大抵くだらない。内容がないという意味ではテレビ番組とおなじで、喋りつづける女の話には消し忘れたTVに対する興味ほどしかもてない。俺もいつもは適当に相槌をうちながら聞き流すのだが、今日だけは細心の注意をはらって耳を傾けた。 たしかに、俺が探偵を使って調べあげた亜栖奈の交友関係の情報と、いまの亜栖奈の話は矛盾も齟齬もないようだ。話しぶりもいつものそれと全く変わらない。ということは、いつもと同じく退屈でつまらないということで、俺の注意力も次第に散漫になってきた。 本当にこの亜栖奈の中にデブおやじが入っているのか……俺の中でだんだん自分自身への疑念が膨れあがってきた。もしかしたら、俺は単に白昼夢でも見ていたのではないか……そう考えたほうが全てにおいて納得がいく。あんなバカげた出来事が現実にあるわけが……。 「ねえレイジ、あたし喉がかわいちゃった」 べらべら喋りつづけるからだ。 もちろんそんなことは口に出さず、俺は車をコンビニの駐車場に入れると、ペットボトルを買いに車を降りた。――まあいい、あれが夢だったかどうか確認する簡単で確実な方法はある。亜栖奈が車を降りたらすぐ試そう。 要領の悪い店員のせいでレジが混んでおり五分ほども時間がかかってしまった。俺は舌打ちしながらボトル二本を持って車にもどった。 運転席に座り、助手席へボトルを差しだす。 「亜栖奈、お前の分の緑茶……」 そこまで言って俺は凍りついた。 亜栖奈はカーナビの画面を見ていた。 そこに映っていたのは、俺が盗撮していたあの画像であった。 『まったくこの娘はどこも太めだぁ……だが、おっと、胸は結構あるな、ぐへへ』 デブおやじの声が聞こえている。 盗撮モードから普通のナビモードに戻すのを忘れていたカーナビを、スイッチを入れて見てしまったらしい。これはハードディスク録画の再生であった。 ――ということは、こいつはやっぱり。 「あああうわわわわっ」 俺はパニック寸前になり、悲鳴ともなんともつかぬ声をあげて運転席の扉に背中を押しつけた。 「お、お前はいったい何なんだ! 亜栖奈をどうするつもりなんだ」 そいつ、助手席の“亜栖奈”は、ひどく冷たい笑顔をうかべてカーナビを見ているだけであった。 『じゃあ、いよいよこの色白のキレイな顔をオレのもんにするか』 またオヤジの声が響く。 「ねーレイジ、これって面白いね――」 画面を見つめたまま呟く。 「亜栖奈のフリをするのは止せ! 中に入っているのはわかってるんだ」 俺は金切り声をあげた。 そいつはわざとらしく溜息をつくと、どうしたものかと考えあぐねるように髪の毛を指にくるくる巻きつけた。 「――兄ちゃん、無茶してくれるのぉ」 そう言ってこちらへ横目をむけた亜栖奈の顔は、ゾッとするほど酷薄であった。 「ただの資産家のボンボンかと思ったら、街でひっかけた女の子の部屋に盗撮カメラかい。よくねえなァ、そういうことは、よくねえなァ」 俺は陸にあがった魚のように口をパクパクさせて抗議とも怖れともつかぬ感情を露にしているしかなかった。 「お、お、お前は……」 しばらくしてようやく俺は声を絞りだした。 「あ、亜栖奈になって、どうするつもりなんだ……い、いや、そんなことより、さっさと亜栖奈の身体から出て行けっ」 そいつは、信じられないくらい冷酷な目で俺を見つめていた。 「ねー、レイジ、レイジってまだ自分の立場がわかってないよねー?」 嘲るように、普段の亜栖奈の口調をまねてつづける。 「もしあたしが、服でも破いてから、髪をふりみだして泣きながら交番へ駆けこんだらどうなると思う? 泣きながらお巡りさんに、レイジって人にゴーカンされましたって話したら?」 顔から血の気がひくのが自分でもわかった。 「や……やめてくれ……そんなことされたら、俺は破滅だ」 「そうだよ、破滅だよー。だからあたしには逆らわないほうがいいよねー?」 亜栖奈はクックッと楽しそうに笑いながら、緑茶のボトルの底でカーナビの画面を力まかせに叩きつけた。スパークとともに液晶が割れ、画面から光が消える。 「ぐっ」 俺は唇をかんだ。 その時携帯の着信音がして、亜栖奈はバッグの中からかなり古い機種の携帯を取り出すと、話しはじめた。このおやじ自身の携帯なのだろう。 「ああ、オレだよ。聞いてわかるとおりもう亜栖奈の身体は乗っ取った。……ああ? なんだってェ? いまさら来れなくなったってのかァ」 俺は逃げることもかなわず、その様子を呆然とみているしかなかった。 電話を切ると、亜栖奈は腕組みをしてひどく分別くさい顔で俺をみた。 「なァ兄ちゃん、お前さんのイタズラは盗撮カメラを仕掛けただけじゃすまないだろ? いったいどういうことをしてきたか、正直に話してみろや」 俺はもうヤケクソな気分で、これまで俺が亜栖奈や他の女にしてきたことを包み隠さずブチまけた。 亜栖奈の顔に得たりというニヤニヤ笑いが広がった。 「ウヘヘヘェっ、兄ちゃん、そんな顔をしてるわりに結構エグいことしてるじゃねーか。気に入ったぜぇ。おめえさんには才能があるよ、隠れた才能がなァ」 「なにをいってるんだ」 「――この中に入っているものは何かわかってるよなぁ?」 亜栖奈はバッグをポンポンと叩きながら訊いてきた。 「ああ、着替えの服と、妹の沙里菜……本人というか着ぐるみというか……おい、いったいあのファスナーはどういう仕組みだ」 「まあ待ちな、お前さんも直にすぐわかるよ……直接体験すればな」 「なんだって」 「お前さんも沙里菜を着てみればいいんだよ」 俺はなにか言おうとしたが、口の中に見えない石でも詰めこまれたようになってしまった。 「俺が……沙里菜に」 「そうだよ、レイジ――。レイジもそういうのに興味あるのはわかってるんだから」 いつもの無邪気でいたずらっぽい瞳がこちらを見つめていた。 「早い話が、いまあたしの中にいるおじさんの組織がね、あたしのパパにちょっとした用事があるってわけなの。ホラ、うちのパパってエリート官僚じゃない? パパの決定が日本の進路に重要な影響をあたえちゃうんだよねー。パパ本人はチェックが厳しくて着れないけど、家族ならね……あたしと沙里菜は溺愛されてるから」 そういうことか、それで娘に成りかわって父親にマインドコントールを――。 「ほんとは沙里菜役の男がくるはずだったんだけど、手違いで今日これなくなっちゃったの。だから、レイジに頼もうかと思って――。ねーレイジ、沙里菜を着たら沙里菜のすべてを『所有』できるんだよ? 身体も、記憶も、人格もぜーんぶ。ホントぜんぶ思い通りにできるから。――なんなら入れ替わってあたしの中にレイジが入ってくれてもいいしぃ」 俺の喉はカラカラになっていた。 亜栖奈は面白そうにこちらを眺めている。どうみてもなんの罪もなさげな表情の背後にあるのは、しかし、邪悪なほくそ笑みであった。 答えられないでいる俺に、亜栖奈が顔をすり寄せてきた。 「あなたを女の子にしてあげる」 耳元で囁く、魂をとろかす甘い声。 俺の中で、理性の最後の一片が蒸発した。 気が付くと、俺は壊れた操り人形のようにガクガクと首を縦にふっていた。 「――じゃあレイジ、そろそろ行きましょ。行く先はわかってるでしょう? どうせどこかのお洒落なホテルに部屋をとってあるよね」 俺は亜栖奈に命じられるままに、ロボットのように車を動かした。 果たして盗まれたのは少女たちの身体だったのか、それとも俺の自由意志なのか――。 車を走らせる俺には、すでにわからなくなっていた。 ==完== ●作者より 以前ファンレターをくれた、皮物がお好きという某s氏に捧げます。完成までえらく時間がかかってしまった。 なお文中のファスナーのアイディアは、いくつかのダーク系TS小説などでみられるものを参考にさせて頂きました。 |