ゴルフ場の悲劇(中編)
作:Tira



「はぁ?」
「だから、今私が言ったことが聞こえたのかって聞いてるのよ」
「な、何となく……」
「ちょっとこっちに来てよ」
「あっ!ちょ、ちょっと」
朝美が孝章の腕を掴んで、強引に人気の無い場所まで連れて行く。
結構な腕力の朝美に引っ張られながら、孝章はさっき朝美が言った事を頭の中で思い出していた。

私の身体でプレーしない?
どういう事だ?




ゴルフ場の社員用駐車場の裏に連れて来られた孝章。
車が数台止まっているだけで周りに人影は見当たらない。
「痛い、痛いですよ。そんなに強く掴まなくても」
「ここなら誰にも見られないでしょ」
腕を掴んでいた手を離し、腕組みをして偉そうに孝章の前に立ちはだかる朝美。
掴まれていた腕を擦りながら、偉そうにしている朝美を見る孝章。
「さっき私が言った事、思い出した?」
「な、何となく」
「私、何て言った?」
「た、多分……」
「多分……何?」
「わ、私の身体でプレーしないかって……」
「……ふ〜ん、ちゃんと聞こえてたんだ」
「やっぱりそう言ったんですか。でも、一体どういう意味なんです?」
「どういう意味って、そのままよ。私の身体でゴルフをするのよ」
「わ、私のって……篠河さんの……身体で?」
「そう。私の身体とあなたの身体を入れ替えてね。ふふっ」
「そ、そんな事が……」
「出来るのよねぇ、それが。私が橋板君の身体でビリにならなければ十万円払う必要もないと思うんだけどなあ」
「…………」
「別に私の身体になった橋板君ががビリになったって、もう一年あるんだから心配無いし。もちろん来年は上位にくい込むけど」
「…………」
「このままじゃ橋板君、絶対に最下位になるから十万円払わなくちゃねえ。大変よぉ、今の十万円って」
「…………」
「親もかわいそうね。大の男に十万円支払えないから貸してくれ〜って泣きつかれたら。私なら情けなくてそんなこと言えないけどなぁ」
「し、篠河さん……」
「なぁに?」
「そんな事して、篠河さんには何のメリットも無いじゃないですか。それなのに、なぜそんな提案をするんですか?」
「メリット?あるわよ。ちゃんと条件を付けるんだから。うふふ」
朝美がうれしそうな顔をしている。
それが何とも不敵な感じ。一体何を考えているんだろうか。
「私の身体になったらね、ちゃんと私のフリをするのよ。何があっても……ふふふ」
「ど、どういう……事ですか」
「あら、私に成りすましてもらわないと、一緒にプレーする人が変に思うじゃない。バレないように私のフリをしてくれればいいのよ」
ニヤニヤしながら朝美が話す。
何か嬉しくて仕方が無いようだ。
「条件って……それだけですか?」
「そう、それだけ。それだけできればいいの。別に私と同じスウィングをして同じようないいスコアーを出せって言ってるんじゃないの。私と同じように周りの人に接すればいいのよ。気付かれないようにね」
「ほ、本当に……それだけですか?」
「本当よぉ。私は橋板君の身体でプレーさせてもらうわ。男の身体ってどれくらいの飛距離が出るんでしょうね。楽しみだわ。ふふふ……」
本当にそれだけなのだろうか?
実に怪しい笑いをしながら話している朝美を見て、孝章はとても不審に感じた。
しかし、もし朝美の話が本当なら今回はビリにならなくても済むのだ。
しかも朝美の身体でプレーする事が出来る。
目の前にいる朝美の身体で――。
白いポロシャツに、程よい大きさの胸のふくらみがシワを作っている。
赤いキュロットスカートからは小麦色に焼けた、でも決してシミなど無い細くて長い足が。
こんな綺麗な身体でゴルフをプレーできるのか?
朝美のフリをすればいいだけじゃないか。
それだけでいいんだ。
孝章には断る理由なんてひとつも無かった。
「ねえ、どうする?身体を入れ替える?」
「……それって痛くないんですか?」
「やる気になったのね、うふふ。痛くないわよ、目を瞑っているだけでいいんだから」
「も、元に戻ることも出来るんですか?」
「出来るわよ。うふっ……多分ね」
「じゃ、じゃあ……」
「入れ替わるのね」
「は、はいっ」
朝美がニヤァッと笑い、目の前に立ちはだかる。
「じゃあ目を瞑って」
「あっ、はい」
孝章が緊張しながらギュッと目を閉じた。
その目を塞ぐように、朝美の右手がそっと置かれる。
「そのまま動かないでね」
「はい……」
そう返事した瞬間、頭の中がくるくる回り始めて立ちくらみがした。
立っている事が出来なくなった孝章が、思わず地面に倒れこむ。
「うう……」
倒れこんだ孝章は、ぐるぐると目眩がして目を開ける事が出来なかった。
「き、気持ち悪い……」
そう感じながら、地面にうずくまった。
しかし、しばらくすると、その感覚も収まって気分がよくなる。
「どう?そろそろ目も開けられるんじゃない?」
朝美が――いや、男の声だ。
誰かが孝章に話し掛けている。
「だ、大丈夫……んん??」
返事をした自分の声に違和感を感じた。
声がおかしい。
まるで喉に何かが引っかかって裏声になっているようだ。
不思議に思い、目を開いた孝章。
目の前には冷たいコンクリートが広がっているが、顔の両側を栗色の髪が塞いでいた。「えっ?!」
驚いた孝章が顔をあげると、目の前には――いるはずの無い孝章がしゃがみ込んでニヤニヤと笑いながらこっちを見ていた。
「…………」
孝章は一瞬言葉を失った。
「ふふ。自分の身体を見てみなさいよ」
不思議な感覚。
目の前の孝章に言われ、視線を落としてみる。
「……なっ。ええっ!う、うそ……だ……」
相変わらず裏声のような高い声。
視線の先には――白いポロシャツを膨らませている二つの胸と、赤いキュロットスカートから伸びる小麦色の2本の足。
そう、朝美の身体があるのだ。
「ふふふ。驚いた?」
「ほ、ほんとに入れ替わった……」
朝美の大人びた女性の声で孝章が答えた。
そう言えば、コンクリートの冷たい感触がパンスト越しに二本の足から伝わってくるのを感じる。
「いつまでも座ってないで立ち上がりなさいよ」
「えっ。あ……はい」
言われるがままに立ち上がる朝美(孝章)。
少し見上げないと、目の前の孝章と視線を合わす事が出来ない。
視線を合わせるため顔をあげようとすると、それよりも先に孝章(朝美)が朝美(孝章)の顎を右手で引き上にあげた。
「うっ」
顔をしかめる朝美(孝章)。
「ふふ、そんな顔も素敵ね。さすが私の顔だわ」
顎の下で支えていた右手が、今度は朝美(孝章)の頬を優しく撫でる。
「さあ、私の代わりにプレーするのよ。朝美ちゃん」
朝美(孝章)は、今まで見たことも無い、生意気でどこか黒い影を落としている自分の顔を見て、小さな恐怖感を覚えた。
「あ、そうそう。肝心なものを取り忘れるところだったわ」
そう言うと、朝美(孝章)のキュロットスカートのポケットに手を突っ込んだ。
「あっ」
小さく声を漏らした間に、孝章(朝美)はポケットからいくつかのボタンとボリュームスイッチのついたリモコンの様な物と取り出した。
「これがないと折角のゴルフが楽しくなくなっちゃうからねぇ」
「な、何ですか。そのリモコンみたいな物」
「教えてほしい?でも後でいやというほど教えてあげるから今はナイショ。うふっ」
リモコンをズボンのポケットにしまいこんだ孝章(朝美)。
その後、腕時計を見てハッとした顔を見せる。
「あ、もうすぐ時間ですよ。急がないと遅れてしまいますよ、篠河さんっ!」
孝章(朝美)は、急に孝章の口調で話を始めた。
本当に自分自身が目の前にいる感じがする。
「あ……」
「早く行きましょう。部長の挨拶が始まっちゃいますよ」
「は……はい」
「あれ、どうしたんですか?嫌におとなしいですね。いつもの篠河さんみたいにイヤミのひとつでも言ってくださいよ。なんか調子がくるっちゃいます」
「あ、そ……そうだ……ね」
「はい?何ですか?今、何て言ったんですか?」
「そ、そうだねって……」

バシッ!

朝美(孝章)は不意に頬をぶたれた。
痛みというより、その行為に驚く。
顔を横にして、目を丸くしたまま地面を見つめた。
「今日は何かおかしいですよ。いつもの篠河さんらしくないなあ。もう一度聞きますけど、今、何て言ったんですか?」
頬の痛みと共に、恐怖感が込み上げてくる。
ゆっくりと孝章(朝美)の方に顔を向けた朝美(孝章)。
そのかわいい唇がフルフルと震えている。
声を出そうと思っても、怖くて出す事が出来ない。
「あれぇ?どうしてそんなに顔をこわばらせているんですかぁ?やっぱりおかしいなあ。いつもの篠河さんらしくないやぁ」
孝章(朝美)の手が、またゆっくりと振り上げられていく。
その手を見た朝美(孝章)の心臓がドクドクと激しく揺さぶられる。
「しっかりしてくださいよぉ!」
孝章(朝美)の手が、再び勢いよく降りてこようとした時・・・
「まっ、待ってっ!」
朝美(孝章)が、やっとの思いで声をあげる。
それは、ややヒステリックな声だった。
孝章(朝美)の手が止まり、そのまま下に降ろされる。
「は……早く行かないと……お、遅れるわ。は、橋板くんも私の後に……付いて……来なさい……」
無理な口調で朝美の真似をする。
血の気が引いて顔面蒼白になっている。
その顔を見た孝章(朝美)は、にやぁ〜っと笑った。
「はい。分かりました。早く行きましょう、篠河さん」
「ええ……」
朝美(孝章)が先に集合場所に歩いて行く。
その後ろを孝章(朝美)が非常に楽しそうについていく。
こ、こわい……。
自分の姿が……顔が……こんなに怖いなんて。いや、篠河さんが……まるで悪魔のようだ。
一種、異様な雰囲気の中、これほどの恐怖感を味わった事が無い朝美(孝章)は、背中に感じる威圧感を小さな身体で受け止めていた。
「はぁ〜。すごくゾクゾクする。こんなに楽しい日は二度と来ないだろうなぁ」
その言葉に、また恐怖感を覚えずにはいられない朝美(孝章)であった。
瞳には涙がたまっている・・・
はぁ、はぁ。ま、待ってくれよ。どうなってるんだ?
俺……どうしたらいいんだ……。


(後編へ)








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