【魔王の娘のセイ活】

 作:T.J




<2>

黒い生地のドレスは上下一体型だった。
ただし見た目に反して各部分に余裕が設けられており動き易い。
胸元がやや露出しており、ヒザ丈はかろうじて太もも程度までしかない。
腰の部分を皮のコルセットで留められているものの、それほどキツくない。
よく分からないが、これもオシャレの一環だろうか。

全体的にシンプルだが凛々しい雰囲気を持つデザインだ。
…ああ、俺は男なのに…。
スカート部分がヒラヒラしていて落ち着かない。
黒いニーソックスがキュッと足を締め付けている。

「お気に入りの一品をいつものように着付けて見ましたが…これでよろしいですか?」
肌の黒いメイドさんがそう声をかけてくる。

良いも悪いも。…俺には良く分からないんだけどな。
まあでも、鏡に映るこの銀髪の娘の姿はとても美しい。
「うん。これでいいんじゃないか…しら」
おっとあぶない。思わず男言葉が出そうになっちまう。

「では姫様、食堂に参りましょう」
俺はその言葉に促され、3人のメイドと共に部屋を後にした。

―――

薄暗い廊下に等間隔で明かりが灯っている。
先頭を歩くのは黒い肌のメイドだった。
おそらくこの3人の中では1番偉いのだろう。
しばらく彼女の後について歩くと、右手に全面ガラスの巨大な窓が見えてきた。

そちらに目をやって絶句する。

まず見えたのは空に輝く4つの月。
2つは白く、1つは赤く、1つは黄色い。
嫌でも悟らざるを得ない。
ここは地球上のどこでもないのだと。

そして俺が今いる場所はおそらく4階以上の位置なのだろうな。
なぜと言って、下を見れば歪な形の無数の建物が林立していたからだ。
その奥には城郭らしきものが見える。…ってことはここは城郭の内部なのか?
つまり城塞都市。都市全体を高い壁で覆っているのだ。

そしてそうすることの意味は1つしかない。
つまり、外敵がいるってこと。
そう言えばメイドの1人が援軍がどうのと言っていた気がする。
ここ、いや、この世界…と言う他無いが、ここでは戦争があるのだ。
人外の者どもによる、人外の戦いがあると言うのか。

さらに遠くに見えるのは…湖と森。
湖では船が何艘か操業しているみたいだ。誰かが網を投げているのが見える。
それにしても以前の俺の視力では考えられないほど遠くまで見渡せてしまう。
この娘の肉体のおかげか。

「レイモン様がソワソワしてらっしゃったから、きっと何かあるんでしょうねぇ」
先頭を歩く黒い肌のメイドが唐突にそんな事を言う。
「レイモンが…? 何かって?」
レイモンって言ってもそれが誰かは分からないが、ここは話を合わせておくに限る。

コウモリのような翼を生やしている娘、それからネコミミを生やしている娘が口々に言う。
「うふふ、姫様たちの大好物でも手に入ったんじゃないですか?」
「いいなぁ、姫様。こっちの世界じゃ生の人間の精なんてあまり手に入らないですもの…」
「当然生搾りですよね? 私たちもお手伝いしたいなぁ…」

…ちょっと待て、こいつらの食事ってそういうこと?
今こいつら、色々と気になる事を言った。
確かに言った。言ったが…うかつに聞き返すわけにはいかないよな。
なぜならこの世界、この場所ではそれらが当たり前の事だとしたら?
そんなことを聞き返せば、疑われるのは間違いない。

今の俺にできるのは、注意深くそれらの情報を聞き取り、選り分け、整理し、推理すること。
そして女性らしく、かつ、なるべく上品に振舞うこと。
バレない内は、なるべくバレないようにする。
余計な波風を立てることはない。

―――

食堂はこれまた異様に広い空間だった。
白を基調とした壁。そして床には、オレンジ色のカーペットが敷かれている。
中央には長テーブルが1つ。

そこに先客がいた。
暗い灰色の短髪の男が腕組みをして瞑目している。
鮮やかな赤色のコートのような服装をしている。
なかなかカッコイイデザインだ。

髪から突き出す2本のツノは俺の比ではなく長く、太い。
彼がそこにいるだけで風格と威厳を感じさせる。
明らかに他の人物とは違う。
そして彼から感じるのはそれだけではない。

何と言うか、圧力の無い圧力のようなもの。…と表現すればいいのか。
…自分でも何を言っているのか分からないが、
彼が発するその…オーラみたいなものが周囲に波動のように広がっているのが分かる。

…どうする?
やはり黙っているのは不自然だな。
あいさつぐらいはしておいた方が良いだろう。
「おはよう」

ございます…と言いかけてやめた。
彼がどんな身分か知らないが、俺はここでは『姫様』なのだ。
そうそう自分よりも上の身分の者がいるとは思えない。
下手に『ございます』をつけることこそ危険だと俺は判断した。

するとその男は目を開けて俺を横目で見た。
血のような赤い瞳。
…この目。それに顔の造作。…似ている、自分の今の身体と。
「いつも朝が弱いクセに今日は比較的まともだな? 我が妹よ」
覇気のある若々しい声が発せられる。

…妹…? なら、こいつは今の俺の兄貴と言うことになるのか。
「まあ、たまにはそんなこともあるわよ」
ここは軽口を返しておくのがベターか。
「…心配か?」
「え?」

何が心配なのだろうと思っていると、彼は肩をすくめて言ってきた。
「何だ、冷たいな。
 今回の件、俺が出陣するほどの大事だ。てっきり心配してくれていたと思ったんだが?」
「そ、そうね。心配はしてるわよ」

…援軍に向かうのは、つまりこの娘の兄だったというワケか?
姫様と呼ばれる俺に、対等以上の口調で話しかけてくるのも当然だ。

「…ふん? ハーネリカ。お前、何か変なモンでも食ったのか?」
彼は少し眉をひそめて俺の顔を窺っている。
ぎくぅ! だが、顔には出ないようになるべく努力する俺。
…さすがに肉親なだけのことはある。速攻で何か気付かれたのだろうか。

ともかく、こういうときは表情を消すに限る。
無表情ならとりあえずどんな局面においても言い訳が効くからだ。

「別に何も? どうしてそんなことを聞くの?」
「いつものお前なら…今頃盛大にツンデレっぷりを発揮して文句を言ってるからだ」
…この娘はツンデレだったのか。…そういうことなら。
「誰がツンデレよ、誰が」
俺は憮然としてそう言い返す。

「ふん。どこにでも援軍に行けば?
 そして派手に死んで来なさいよ。そのツノは拾ってあげるからさ」
「お、ちょっと調子出てきたみたいじゃないか。そうでなくてはな」
この娘の兄らしき人物はそれで満足したのか、低く笑うとまた瞑目した。

「お坊ちゃま、姫様。またケンカでございますか?」
食堂の大扉を開けて入ってきたのは、やや呆れ顔の老執事だった。
柔和なその顔立ちに、刻まれたシワが何とも味のある人物である。
…この声は聞き覚えがあるぞ。
確かこの娘を起こしに来た…。ジイやか。

「レイモン、いい加減お坊ちゃまはよせよ」
「おっと、これは失礼いたしました。
 長い間染み付いた呼び方ですので、つい…やれやれ、歳は取りたくないものですな」
不思議な人だ。
この人物がいるだけで周囲が暖かく、柔らかくなる。

「ともかく…ハーネリカ。俺はこの後予定通り北の国境に向かう。
 クラウスのヤツを助けてやらねばな。この城の守りは任せたぞ?」
いや、任されても困りますよお兄さん。
って言うか、やはりここは城だったのか。
…ついでにクラウスって誰だよ。

でも、口に出しては別の事を言う。
「はいはい、任されましたよ。兄上様もせいぜい頑張ってきなさい」
「くっくっく。その意気だ」
この娘が兄の事を普段はなんて呼んでいたのかは分からない。

普通に『兄さん』か、はたまた『兄貴』か。
あるいは『アンタ』呼ばわりだったかもしれない。
だがこの娘がツンデレと分かった以上は、わざと丁寧に『兄上様』と呼ぶことが可能だ。
こうすることで本来の呼びかけが何であれ、それほど不審には思われない。

「さて、では朝食にしましょうか」
ジイの呼びかけで、部屋に待機していたメイドたちが動き始める。
食堂の入り口から、台車に乗った料理が次々と運ばれてくる。

―――

詳細は省くが、料理は美味であった。
どこかで見たような、それでいて見慣れない料理の数々。
パン? 肉? 魚? 野菜?
どんな材料を使用しているのかは知らないが、食欲をそそる香りには耐えられなかった。

食事作法についての心配もしたが、
兄が特に気にする事なく料理を食べ始めるのを見て俺も口をつけることにしたのだった。
当然だが、この食堂で食べているのは俺と兄の2人だけ。
メイドたちは俺たち2人の給仕をするのみである。
主家に属する俺たち2人と、使用人が同時に食事をするなんてことはやはりあり得ないのだろうな。

あらかた食べ終わると、ジイやがデザートがあると言ってきた。
「産地直送。新鮮な人間たちですよ。ささ、どうぞ御賞味あれ」
食堂の大扉が開け放たれ、「それら」が運び込まれてくる。
そして俺は凍りついた。

食堂にいる俺を除く全ての人物…兄、ジイや、メイドたちは平然としている。
だが、俺だけは激しく動揺していた。
なぜなら、運び込まれてきたのは素っ裸にされた人間たちだったから。
男が10人。女が10人。

年齢はまちまちだったが、
40歳以上ということはなさそうだし、逆に14歳以下ということもなさそうだ。
両手を金属製の輪で拘束され、5人ずつ4台の大きな台車に寝かされている。
まるで、『物』のような扱い…。

彼らは一様に心ここにあらずと言った感じだった。
顔には何の感情も浮かんではいない。
目は開いているものの、何も無い空中をぼんやりと見つめているだけだ。
落ち着け…冷静になれ。冷静になれ!
元の世界、元の身体に戻るために…!

怒るな、焦るな、目を背けるな。
ここでは、コレが普通なのだ。
今の俺はこいつらの仲間なのだから。

「これは…もしかして日本人ではないのか?」
兄は嬉しそうに立ち上がって、台車の近くまで移動する。
「さすが坊ちゃん…ではなくて、ネルヴィル様。御目が高いですな。
 地下のゲートから今朝届いたばかりですので、新鮮さは折り紙つきですぞ」

「おお、これから戦地に赴く俺にとっては何よりの計らいだ。でかしたぞレイモン!」
「ははっ、恐縮でございます」
なんちゅう会話だ。
まるで、人間たちはマツタケかフォアグラ。はたまたキャビアではないか。
「日本人は他のに比べて精の味がまろやかでコクが…」

ジイやの解説が続いているが、俺は猛烈な吐き気と戦っていた。
さっき食べた料理。
もしかしたら…。

「…めさま…姫様!」
気が付くとジイやの心配そうな顔が目の前にあった。
ここはまだ食堂だ。
どうやらしばらくの間、俺はテーブルに突っ伏していたらしい。

「う…」
「顔色が良くないですな…」
深刻そうな表情で、俺の額に手を当ててくるジイや。
兄やメイドさんたちも心配そうに近くに来ていた。
「じ、ジイや…1つだけ教えて…料理に人間の肉が入っていた?」

「め、滅相もありません。人間の肉など。どう料理しても不味くて食べられたものではありませんぞ」
…そ、そうだったのか…。よ、良かった。
「今朝の料理に似たような味のものがあったか?」
兄は思案顔でさっき食べた料理の事を思い出しているように見えた。

「いえ、あるはずがありません。
 アズト料理長が心血を注いで材料から厳選しているのですぞ?
 人間の肉はもちろん。それに似たような味の肉なんて、とんでもないことだと彼は怒るでしょう」
「となると…。お前。本当はどこかで食べたんじゃないだろうな?」

俺はフルフルと首を振る。
「ごめんなさい、もう大丈夫。ちょっと変な想像しちゃって…」
それを聞いてジイやと兄、そしてメイドさんたちが安堵のタメ息を吐く。
「人間は精だけを搾って人界に返す。それが父上の定めた法だ。
 我が妹よ。一応釘を刺して置くが、くれぐれも変なことをしでかすんじゃないぞ?」

兄はどうも俺が人間を食べたのではないかと疑っているようだ。
「ち、違うわよ。ホントに一瞬変な想像をしただけ何だってば」
「…だといいがな。いいか、例え王族でも…いや、王族だからこそ法は守らねばならん」
「分かってる! ホントにホントなんだってば!
 自分でも呆れてるくらいよ…こんなことで気持ち悪くなるなんて」

俺にとってはとても『こんなこと』では済まされないが、この娘としてはこう答えるしかない。
「感受性豊かな姫様らしいですな」
そう言って穏やかに微笑むジイや。
「やれやれ、人騒がせなヤツだ」
と、言いつつ兄は明らかにホッとした様子だった。

「えー、さて。デザート選びの続きでしたな?」
気を取り直して…と言う感じでジイやが声を上げる。
「そうだったな…ハーネリカ。お前から選べよ」
「え、えーと」

そんな事を言われても…今の俺は女の子なんですけど。
男の心のまま、男を抱けと言わっしゃるか?

「誰を選んでもいいぞ。遠慮しなくていい。お前も好きだろう?
 …なーに、5人くらい選んでもいいぞ? 調子の悪い時は人間どもの精を摂取するに限るからな」
よ、弱ったな。…そう言われては断るワケにもいかない。
どうしたらいいんだ…。

俺はこの事態を打開すべく、
考える振りをしながら、捕らわれている人たちを観察して行く。
そんな時、横向きになって後ろを向いている小さな女性の姿が目に入った。
…ん、何だか早瀬に似ている髪形だな。
俺はそれが気になって反対側に回り込んだ。

そしてあまりの出来事に愕然とする。
「は、早瀬…」
そう、そこに素っ裸で横たわっていたのは悪友、早瀬砂耶だった。


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