【魔王の娘のセイ活】

 作:T.J




<1>

目を開けると、赤い天井が見えた。
…ん? 俺の部屋の天井は白かったように記憶しているが?
周囲は最初薄暗く見えたが、すぐに目が慣れてきた。

上半身を起こし、辺りを見渡す。
すぐ近くに白く薄い生地が垂れ下がっている。
俺が眠っていたのはベッド…そう、天蓋付きのベッドらしい。
この白くて薄い生地はベッドの上からの物だ。
ベッドは異様にフカフカとしていて、上体を起こす時に後ろについた手がめり込んでいる。

しかも俺が身体を起こした拍子に滑り落ちたのはシルクの掛け布団。
…何なんだ一体。
「とりあえず…」
ベッドから出るかと続くはずだった俺のセリフは驚きのあまり中断される。

俺の口から出たその声が、あまりに高く澄んでいたからだ。
手で喉を押さえてまた驚く。
俺の首はこんなに細かったか?
自分の手を見つめてさらに驚く。
俺の手はいつからこんなに白く細くなった?

スベスベの手触りだし、毛も生えていない。
どう見ても女性の手だ。
俺は慌ててベッドから降り、鏡はないかと辺りを見回す。

俺がベッドから降りるとその動きを感知したのか、
部屋の4隅に設けられている大きなロウソクに火が灯った。
そこは広い部屋だった。
タタミにして10畳…40畳…160畳はあるだろうか。

上を見上げてみる。…天井も高い。
天井にも窓が設けられているが、今は夜なのか明かりは入ってこない。
床や壁は暗い色をした総石造りだ。
その上にピンク色のカーペットが敷いてある。

高そうな黒い木製のテーブルとイス。
食器棚、書架、金や銀、宝石などで装飾された壁掛け。
窓とは反対側にはずらりとクローゼットらしきものが並んでいる。
そうして俺はその真ん中に鏡があるのを発見する。

フカフカのカーペットからひんやりと冷たい石の床へ。
ペタペタと裸足で歩きながら、俺は鏡に接近する。
歩む自分の足を見つめて、俺はまた違和感を覚える。
このスラリとした細くて白い足は何なのだ。

そうして鏡の前に立った俺が見たモノ。
それは全裸の女性…と言うよりは少女だった。
腰まで届きそうな長い銀色の髪の上から、茶色のツノが2本突き出している。
小さな頭を飾るのはそれだけではない。

秀麗でバランスの取れた顔に、真紅の瞳に真紅の唇。
髪からはツノの他にもエルフのような長い耳が生えている。

身体全体の肌の色も白く、銀色の髪と相まってまるで雪の妖精のようだ。
…ツノさえ無ければだが。
胸は大きくもなし、小さくもなしと言ったところか。
くびれた腰に、股間にはうっすらと銀色の陰毛が見える。

そして、股の間から見えるのは…尻尾か?
髪の色よりは暗い灰色で、ゆらりゆらりと動いている。
うむ、どうやら俺は夢でも見ているらしいな。
きっと目の前で頬をつねって痛がっている美女も気のせいに違いない。

…。
……。
………痛い。

あー、さて、どうしたものか。
俺の名前は芝悠路(しば・ゆうじ)で間違いない。 
高校3年生、性別男だ。
もちろん股間には♂があったハズだし、こんな可愛らしい姿では断じてない。

朝起きたら女の子になっていました。
…という漫画やアニメなら見たことがあるが、まさかこんな姿になるなんて。
おまけにここはドコだよ。
自室だと言うならまだ納得(?)の仕様もあるが、全然見ず知らずの場所じゃないか。

落ち着け、物事には必ず何か原因があるはずなんだ。
俺がこんな姿になるハメになった原因…。何か変わった出来事…。
近々の出来事を思い出してみることにする。
そう言えば、あれは昨日の昼間のことだったはず。

―――

誘いをかけて来たのは悪友の早瀬だった。
なんでもとある研究機関でバイトを始めたらしく、
研究データをそろえるために俺と車屋に被験者をなってくれないかと依頼してきた。
とは言ってもそんな大げさな事ではない。
一種の心理テストのようなものらしい。

高校生としての最後の夏休み。
大抵の連中は大学受験のために勉強をしている時期だろう。
俺もその例に洩れずその渦中にあったワケだが、
この依頼は良い気分転換になると思って快諾したのだった。

喫茶店で車屋と待ちあわせること15分。
時間に遅れてやってきた早瀬は両手を合わせて謝ってきた。
「ごめーん。ちょっと用事があって遅れちゃった」

彼女は…、そう、言い忘れたが女である。
標準的な女子高生に比べると彼女は背が低い。
あどけない表情から、時々中学生に間違えられるくらいだ。
活動的なショートカットとちょこまかと動く様子がネズミなどの小動物を彷彿とさせる。
しかし演劇部での彼女はまた別の顔を見せ、そのギャップが面白い。

「別にいいぜこのくらい」
そう言ったのは日に焼け、精悍な顔つきの車屋。
野球部に所属していたが、ウチの学校はそう強いワケじゃないからもう引退している。
単に身体を動かしているのが好きなのだろう。

「で、そのブ厚い束が俺たちのやる心理テストとやらか?」
俺は彼女が脇に抱えている紙束を指差して言う。
「そ、ちょっと時間掛かるかもだけど…」
彼女は俺たちが座っている4人掛けのテーブルの反対側に座った。

「ここの勘定と、それから学校の食堂3日分くらい奢ったげるからさ。よろしく頼むわ」
ほのかに漂うシャンプーの香り。
外は実に暑そうな午後の日差し。
俺はアイスコーヒーを一口啜ると、彼女が差し出すそれを受け取った。

「うわ、こんなにあるのかよ」
車屋がぼやいている。
俺もそれを改めて見てタメ息を吐いた。
A4用紙をペラペラとめくって行くと、最後の一枚には34Pと記されていた。

「3日分では割りに合わんな。7日分にしろ」
俺が静かにそう言うと、彼女はちょっと怯んだ様子だった。
「そ、そんな〜。会長閣下、そりゃないっすよ。4日分でどう?」
「6日」
「じゃあ、間を取って5日分では?」

俺が頷くと彼女はニコッと笑った。
「さすが生徒会長! いよっ、今日もメガネが光ってるね!」
「何だその微妙な褒め言葉は」
「あ、じゃあ俺も5日分な」
車屋が横から口を挟む。

「イヤ、あんたは別よ」
「早瀬〜」
…ともかく、こうして俺たちは紙の束と格闘を開始した。

―――

結局、1時間強の時間を費やしてその心理テストは終了した。
内容は簡単なものがほとんどだったが、いかんせん量が多い。
例えば、『目の前に1つ果物があります。その果物は何ですか?』とか、
『草原に咲いている花はどんな花ですか? 大きさは? 色は? 形は?』とか。

さすがにこれだけの量があると途中で眠くなったりもする。
似たような質問が延々と続くのだ、いい加減イヤにもなる。
やはり7日分で手を打っておくべきだったか。

早瀬は気楽な様子で携帯をいじったり、
バッグの中に持参している小説を読んだりして時間を潰していた。
当然これがどうなるのかが気になったが、彼女は『それは言えない』とのこと。

車屋の方が俺より早く終わっていた。
俺は1つ1つの設問に対して真剣に取り組んでいたから余計に時間を食ったらしい。

「今日はありがと! じゃ、あたし急いでるから!」
俺が終わるのをソワソワと待っていた早瀬は、
俺がペンを置くなり紙束をかっさらうと、そのまま俺たちの勘定を済ませて外にすっとんで行った。
「…竜巻みたいなヤツだ」
「そうだな」

―――

そして家に帰って寝て起きたらこの状況だったというワケだ。
…このどこに俺がこんな姿にならなくちゃいけない原因があると言うのだ。

まあ、嘆いていても仕方がない。
ここがドコで、この娘が何者なのか。
状況を正確に把握しなければ始まらない。
これらを追求していく内に元の姿に戻れる手段が見つかるかもしれないしな。
焦る事はない。何事にも必ず解法があるはずなのだ。

と、そこまで考えたところで。
俺の…と言っていいのか分からないが、長い耳が物音を捉えた。
この部屋にはもちろんの扉があるのだが、その先には廊下が存在しているようである。
そこから複数の足音が聞こえる。
まだかなりの距離がある。…と言うところまで解ってしまうこの耳はすごいな。

足音は徐々にこの部屋に近づいてきて、はっきりとこの部屋の前で止まるのが分かった。
そしてコンコンと扉がノックされる。
「姫様、起床のお時間でございますぞ」
柔らかい物腰の、しかしはっきりとした声色の低い声。
起床?…それに姫様だと?

俺は再び天井を見上げてみる。
こんなに暗いのにもう起き出すのか?
…何にしても敵か味方か分からないこの状況じゃ、俺の取れる選択肢は限られている。
俺はその声の主に向かって短く問いかけた。
「誰?」

「おお、姫様…そんなにこのジイを苛めないで下さいまし。
 ついに『誰?』と問いかけられる日が来ようとは…あんまりでございますぞ。よよよ…」
よよよ、と来たか。
まあ、敵ではなさそうだな。

「それにしても、もう起きられておられるとはお珍しいですな。
 …いや、失敬。朝食の準備が整っておりますぞ。御召替えが済みましたら食堂の方にお越し下さい」
「分かった」
俺がそう返事をすると「では」と一声掛けて足音が1つ遠ざかって行く。

…しかし、着替えるったって何を着て良いのか分からんぞ。
だがその心配は無用だった。
「失礼いたします」
そう言ってドアを開けて入ってきたのは、メイド姿の3人の女性たち。

「な、何?」
俺が思わず驚いて声を上げると、そのメイドさんたちが顔を見合わせる。
「姫様? どうかなさいました?」
不思議そうに首を傾げて聞いてくる。
…いや、だってそんなにぞろぞろと…。

俺はその言葉をかろうじて飲み込む。
「何でもない…わ」
「? そうですか? では、今日はどんなお召し物になさいますか?」
そこまで言われてようやく俺は気が付いた。

そうか、この3人は俺の着替えを手伝ってくれる3人というワケか。
俺が姫様と呼ばれていたからには、それなりの身分であるらしい。
なら当然、召し使いの1人や2人いてもおかしくはない。
「ええと、今日は…あなたたちに任せるわ」
「そうですか。では…やはり動きやすい物にいたしましょう」

そう言って彼女たちは動き始めた。
クローゼットを次々に開けては必要なモノをどんどん運んでくる者。
それを受け取って俺に穿かせたり、着付けたりする者。
俺は言われた通り足を上げたり、腕を上げたりするだけである。

それが終わると俺をイスに座らせ髪を梳かす者。
化粧を施す者。服装を整える者。
その間にも何くれとなく俺に話しかけてくる3人。

1人はコウモリの如き大きな翼が背中に生えている。
もう1人はネコのような耳が頭から生えている。
最後の1人は外見的に目立った特長はないが、肌が黒い。真っ黒だ。

「姫様。今日はネルヴィル様が国境に援軍に赴かれるそうですね」とか。
「今度コントロールスライムの作り方を教えて下さい」とか。
「最近は生きの良い人間が少なくなって困りますね」とか。

そんなことを言われても俺は曖昧に頷くことしかできないではないか。
で、そうこうしているうちに3人息の合ったコンビネーションで、着替えが完了してしまったのである。
うう、男の俺がまさか化粧をするハメになるなんて。

と言ってもそんなに派手なものじゃない。
ちょっとシャドウを塗ったりしただけだ。

ああ、先が思いやられる。
本当に元に戻れるのだろうか…。




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