姉妹


「ただいま〜」

 千絵は会社から自分のマンションに帰宅すると、疲れてはいたものの、元気を搾りだしてそういった。すると、部屋の奥から千絵よりも若い、17,8歳の女の子が顔を覗かせた。千絵の妹の紗枝である。

「おかえり〜。今日は遅かったね」

「うん、もう月末だからね。今月中に片付けないといけない仕事だったのよ」

 千絵はそう答えながら靴を脱いで、紗枝のいるリビングのほうに向かった。顔を覗かせたままで、紗枝がそれに答える。

「ああ、そういえばそうね、もう月末よねえ。あたしたち学生にはあんまり月末とかは関係ないなあ・・・あ、8月と3月だけは別だけどねっ」

 千絵はリビングに入ると、持っていた荷物を紗枝の座っているソファの上に置いた。紗枝はすでに部屋着に着替え、くつろいでいた。千絵はその紗枝の隣に座った。

「8月と3月?ああ、夏休みね。逆に私たち社会人には関係のない話ねえ。いいなあ、学生って。そんなまとまった休みなんて、社会人になったら普通は取れないわよ」

「う〜ん、そっかぁ。でもあたしたちは毎日テストとか、宿題とか、受験とか・・・これでもいろいろと大変なのよねえ」

「そりゃそうでしょうけど、それは私だって経験してきたことだからね。でも、たしかにもうあの頃に戻りたいとは思わないなあ」

「へぇ・・・意外だね。お姉ちゃんのことだから、戻れるなら戻りたいんだろうなと思ってたんだけど・・・・・あ!分かった、彼氏でしょ!?何ていったかな、名前。ええと・・・三島さんだ!あの人がいるからでしょ?うらやましいなあ、恋人がいるなんて。あたしも早く彼氏が欲しいなあ」

「ち、違うわよ!あの人とはそんな関係じゃないってば!それより、あんたもうあの男と別れちゃったの?」

 千絵は呆れ顔でそう聞き返した。紗枝は性格はいたって真面目なのだが、男の好みにはうるさいらしく、大抵、ひと月以上はもたない。「あの男」ともつい2週間ほど前から付き合いだしたはずなのだ。それがもう別れたというのだろうか?

「ああ、木村クンね。いい人だったんだけど・・・いい人すぎるのよね。あたしとしてはもっとこう、『俺について来い!』みたいなタイプのほうがいいのよねぇ」

「はぁ・・・・・紗枝と結婚する男は大変でしょうね・・・」

 その時、千絵のお腹がグ〜ッと鳴った。紗枝は気まずそうにしていたが、その音を聴いて、ニヤリと微笑んだ。

「あはは、お姉ちゃん、お腹すいてるよね。ちょっと待っててね。すぐに晩御飯もってくるから」

「ありがと、紗枝」

 紗枝はキッチンにいき、慣れた手つきでてきぱきと夕食の準備をすすめていく。

 ここで簡単にこの姉妹を紹介しておこう。

 千絵は25歳、現在は某製薬会社に勤務している。先ほどでた「三島」とは会社の同僚で、向こうからの猛烈なアタックで、去年から付き合いだしていた。三島のアタックも無理からぬ話だ。千絵は性格は明るく、気立てもよく、さらによいことには、かなりの美人だったのだ。大学時代にはミス○○に選ばれたこともあるらしい。しかし、男付き合いがうまかったわけではなく、あまり男っ気はなかったのだが・・・去年、三島から強引ともいえる誘いを受けて、ついに付き合い始めたのだった。

 一方の紗枝は17歳、もちろん、女子高生である。こちらは姉の千絵よりも幾分垢抜けた感じではあったが、見た目ほどいい加減ではなく、その上、姉の言葉には素直に従った。男の好みにはうるさかったが、決して男を弄んでいるわけではなく、むしろ、告白されると、すぐに付き合ってしまうという、お人よしさのほうに問題があるような感じである。姉ほど「美人」というわけではなかったが、逆にあどけなさがそこかしこに残っていて、それが姉とはまた違った魅力を醸し出していた。

 千絵が大学を卒業して、東京で就職が決まった時は、紗枝はまだ中学生だった。その時、常日頃から姉にべったりだった紗枝はひどく寂しがったものだった。紗枝は必死に勉強して、なんとか東京の私立の女子高に合格し、千絵の協力もあって、反対していた両親を説得して、それからは千絵と二人で暮らしているのだ。すでにそれから一年の月日が経っていた。千絵はようやく仕事に慣れ、一方の紗枝のほうも東京の水に慣れてきたようだった。

 家事は一応分担はしているのだが、家にいることが多い紗枝のほうが、なにかと家事をする回数も多くなった。今では、千絵よりも紗枝のほうが料理の腕前は上になっているほどだった。

 紗枝の作った晩御飯の匂いが千絵の鼻腔をくすぐる。そろそろできあがるのだろう、こんがりと焼けたいい匂いがしてくる。自然と千絵の口の中に唾が沸いていた。

「おまちどおさま〜」

「いい匂いね。へぇ、グラタンかあ」

 紗枝は二人分の食器を並べながらそういった。今日の夕食はグラタンとサラダのようだ。グラタンはオーソドックスなものだったが、チーズの香ばしい香りが食欲をそそる。

「グラタンといえば、お母さんを思い出しちゃうわね」

「そうねぇ、お母さんの得意料理だったもんね。このグラタンもお母さん直伝だもん」

「へぇ〜、ふふふ、さあて、味のほうはどうかしら。早速いただくわね」

「いただきま〜す」

 二人はフォークでグラタンをつつき始める。ふわっと湯気が舞い上がるとともに、何ともいえないチーズとクリームソースの香りが部屋中にただよった。

「あ、おいしい」

「ホント!?どれどれ・・・・・うん、なかなかのデキだね。やったね」

 二人はお腹がすいていたこともあり、美味しいグラタンに舌鼓をうちながら、結構な勢いで次々と料理を片付けていく。あっという間に全てたいらげてしまった。

「はぁ〜、ごちそうさま〜。おいしかったよ、紗枝」

「そうねえ、今日のはかなりいいデキだったわね。あ、ちょっと待っててね。お茶をいれてくるから」

「あ、そんなの私がやるわよ」

「いいのいいの。お姉ちゃんは疲れてるんだし。こういうのは若いもんに任せなさいって!」

「あ〜っ、人を年寄り扱いしおってからに」

「あはは」

 二人はニコリと微笑みあった。仲のよい美人姉妹・・・そんな二人の幸せな日々が今日で終わりを告げることに、神でもない二人が知る由もなかった・・・

「はぁ、ごちそうさま・・・・・さあて、紗枝、先にお風呂入るけどいい?」

「うん、いいわよ。あたしはあとで入るから。あ、後片付けはあたしがやっておくから」

「ありがと、じゃあ先に入るわね」

「は〜い、いってらっしゃい」

 千絵はバスルームに向かおうとしたが、何かを思い出したかのように紗枝のほうを振り返った。

「あ、そうだ。紗枝、そこの紙袋にお土産が入ってるんだったわ。勝手に食べちゃっててもいいわよ」

「あ、これね?りょーかい」

「うん、そう、それ。じゃあ私はお風呂に入ってくるわね」

 千絵はそういい残すと、リビングからでていってしまった。ひとり部屋に残った紗枝は、食器を片付けはじめた。

「ふぅ〜。ようやく終わったわね。お姉ちゃんはまだお風呂なのかな?」

 後片付けが終わると、紗枝はリビングから顔をだし、バスルームのほうを伺った。バスルームにはまだ明かりが灯っている。紗枝が耳を澄ますと、まだ水の流れる音が聞こえてきている。どうやら千絵はシャワーを浴びているらしい、この分だとまだ当分あがってきそうもないな、紗枝はそう結論した。

「しょうがない、テレビでも見るか・・・」

 今日は特にやらなければいけないようなことはなくて、手持ち無沙汰な紗枝は、テレビの電源をいれ、チャンネルをグルッと一周させてみた。が、特に面白そうな番組は見当たらない。仕方なく、紗枝は無難な情報バラエティーの番組を見るともなく見ていた。

「はぁ〜、なんかないかなぁ・・・」

 こんな時に限って、誰からも電話も掛かってこないし、メールさえも入ってこない。すっかり退屈してしまった紗枝はしばらくぼーっとして、ソファにもたれかかっていたが、急に何かを思い出したのか、ガバッと勢いよく起き上がった。その視線の先にはさきほど、千絵が持ち帰った紙袋がある。

「そうだ♪お姉ちゃんのお土産があったんだ。『食べちゃってもいい』なんていってたから、きっとお菓子かなんかだ」

 紗枝はソファの端にあった紙袋を取り上げ、中を開けて見てみた。紙袋の中には包装紙に包まれたパック状のものが見える。どうやらこれが千絵の「おみやげ」らしい。

「この包みの感じは和菓子よね!いいねえ。さすがお姉ちゃん。あたしが和菓子派だって知ってるんだ」

 紗枝はその「おみやげ」を紙袋の中から取りだし、前のテーブルの上にそれを置いた。持った時の感触から、紗枝にはそれが間違いなく透明のパックだと分かった。やはり、紗枝の見立てどおり、これは和菓子のようだった。

「どうしよっかな?お姉ちゃん、早く帰ってこないかなあ・・・」

 紗枝は千絵を待つことに決めたのか、再びソファにもたれかかってしまった。しかし、5分もすると、気になるのか、また起き上がり、パックとにらめっこをし始める。

「う〜ん、気になるなぁ・・・ま、まあ、中を見るくらいならいいよね♪」

 紗枝は勝手にそう決め付けて、パックに手を伸ばした。パックを包み込んでいる包装紙を留めている輪ゴムを取ってしまうと、そのまま包装紙も外してしまった。パックの中に見えるのは・・・・・

「あ、おまんじゅうだ♪やっぱり和菓子だったんだ〜。やったね♪」

 そこには予想にたがわず、和菓子である「まんじゅう」が全部で6個入っていた。ごくごく普通のまんじゅうだが、見た目にもおいしそうだ。紗枝はパックを一旦テーブルの上に置くと、うれしそうに顔をほころばせながら、両手をすり合わせた。

「う〜ん、お姉ちゃん、早く帰ってこないかなあ・・・ううっ、待ち遠しいよう」

 紗枝は恨めしそうな表情で、まんじゅうの入ったパックを見つめていた。なんとか気を紛らわそうと、テレビを見るのだが、10秒もすると、パックのほうに目がいってしまう。そんなことを繰り返すうちに、紗枝は段々とイライラしてくる。

「ああ、もう!こんなにイラついちゃったら美容にも悪いわよね!それにお姉ちゃんも『食べちゃっていい』なんていってたもんね♪」

 待ちきれなくなった紗枝は、勝手ないいわけをすると、いそいそとキッチンに向かい、湯呑みにお茶をいれて戻ってきた。湯呑みをテーブルの上に置くと、早速パックに手を伸ばし、ふたを止めているテープを剥がしてしまった。パカッとふたが開き、「まんじゅう」が顔を覗かせた。

「へへへ、ごめんね、お姉ちゃん。先にいただいちゃうね♪」

 紗枝はパックの中のまんじゅうの一つを手に取り、パクッと一口食べてみた。パン状の衣の味がまず飛び込んでくる。これがなかなかの美味だったのだ。そしてメインのあんこの味がまた・・・

「うわぁ、おいしい!こんなおいしいおまんじゅうなんて初めだわ!」

 紗枝がなんと形容していいのか分からないほど、そのまんじゅうの味は格別なものだったのだ。口の中でジワリと広がる甘み・・・しつこくなく上品で、それでいてあとを引くような味わいなのだ。紗枝は思わず手に残ったまんじゅうを、一気に口の中に放り込んでしまった。お茶の味が混ざるのがもったいないと、紗枝はお茶を飲むのをやめてしまった。紗枝はお茶で流し込むこともなく、じっくりと噛みしめて、そのまんじゅうの味わい深さに浸った。

「す、すごいよ、このおまんじゅう。あたしが今まで食べてきたおまんじゅうと、いえ、お菓子全部と比べたって、桁違いだわ!」

 最近は少し太ってきたのを気にして、甘いものを控えていた紗枝だったが、この段違いな美味を目の前にしては、その魔力めいた魅力に逆らうことなどできるはずもなく、ついつい、二つ目のまんじゅうにも手が出てしまった。

「ああ、このあんこの甘みが、口の中に広がる感じが何ともいえないのよね〜」

 紗枝は二つ目をあっさりとたいらげると、すっかり忘れていたお茶をここで飲んだのだった。さすがに二つ食べてしまうと、口の中に甘みが残って、少しまんじゅうの味にも飽きてきてしまった紗枝だったが、お茶で口に中がゆすがれると、再び食欲が湧きあがってくるのだった。

「不思議よねえ。『病み付きになる味』ってこういうことをいうのね、きっと」

 紗枝は妙に納得しつつ、さらにもう一つのまんじゅうに手をだすのだった。またも口の中にえもいわれぬ満足感が広がっていく。紗枝はその感覚に陶然とし、しばらく何も考えられなくなっていた。

「はぁ・・・いくらでも食べられそうだわ。でも、もう半分食べちゃったしなあ。お姉ちゃんの分も残しとかないと・・・」

 紗枝はまだ食べたりないようだったが、自制心が働いたのか、断腸の思いでさっき外した輪ゴムでふたをしてしまった。さすがに三つも食べるとある程度満足したのか、食欲よりも姉への想いが勝ったようだった。紗枝は残ったお茶をちびちびと飲みながら、再びテレビをぼうっと見はじめた。

「それにしてもお姉ちゃん、遅いなあ。いつもだったらそろそろあがってくるんだけどなあ。どうしたんだろ?」

 紗枝はチラッと時計を見た。そこで、姉がバスルームにいってから、まだ30分ほどしか経っていないのに気付いた。

「え!?まだ30分しか経ってないの?」

 紗枝の感覚では一時間以上経っているはずだったのだが、実際には半分の30分しか経っていなかったのだ。紗枝は一瞬時計が止まっているのかと疑ったが、秒針はしっかりと動いており、目の前のテレビの番組も、まだ終わっておらず、時間が経っていないことを証明していた。

 実はそれは、紗枝の思考能力が低下してきていることを示していたのだ。しかし、それを考える思考能力ですら、今の紗枝には不足してきていたのだ。次第に紗枝の意識はぼんやりしてきて、自分が今どこで何をしているのかさえ、あやふやになってきていた。

「あ・・・な、どう・・したん・・・だろ・・・う・・・」

 もはや、しゃべる気力もなくなってきていた。それがあの「まんじゅう」のせいであることに、紗枝は全く思い当たらなかった・・・・紗枝はどさりとソファに倒れこんでしまった・・・・・




「はぁ、ちょっとゆっくりと入りすぎちゃったわね。もうくたびれちゃって。ごめんね、待たせちゃって」

 リビングに戻ってきた千絵は、ソファに座っている紗枝の姿を見かけて、後ろから声を掛けた。一瞬、びくりとした紗枝は、ゆっくりと千絵のほうに振り返る。

 振り返った紗枝の表情に、一瞬千絵は戸惑わされた。振り返った瞬間の紗枝の表情は、何かおどおどして、まるで、千絵のことを初めて見るかのような目つきをしていたのだ。その紗枝は、しばらくこちらをうかがうような表情を見せたあと、突然、はじけたように満面の笑みを浮かべたのだった。その笑みはいつも紗枝が「自分の必殺技」といっている(千絵にはそうは思えないけれども)、相手を安心させる、あるいは油断させるような微笑だった。千絵はそれを見て、さっきまでの紗枝の表情が、自分が急に声を掛けたことに驚いたためだと判断した。

「おかえり、お姉ちゃん。待ってたんだよ」

 紗枝は笑みを保ったまま、千絵に向かってそういった。その口調にも別段おかしなところはない。やはりさっきの違和感は気のせいだったのだ、と千絵はほっとした。

「うん、今日はいつもより汗かいちゃったからね。少し長めに入ったのよ」

 紗枝の横に座ろうとした千絵は、そこでテーブルの上の皿に気が付いた。皿の上には三つのまんじゅうが乗っていた。どうやら、もうすでに紗枝が三つ食べてしまったものらしい。まんじゅうを入れていたはずのパックもすでに見当たらなかった。

「あら?もう食べちゃったのね。ごめんね、待ちきれなかったみたいね」

「うん♪これ、すごいよ!びっくりするくらいおいしいんだから!」

 ソファに座った千絵のほうを向いてそう語りかけてくる紗枝。改めて間近でその顔を見た千絵は、再び驚かされた。なんというか、身体全体から「色気」のようなものが発散されているのだ。瞳は潤んで、顔も赤らんでおり、千絵は年下であるはずの紗枝に、自分以上の女らしさを感じてしまった。千絵にはその症状がまるで酔っているかのようにも見えた。千絵はまんじゅうの中に酒でも入っているのかと疑ったが、紗枝の息からは特にアルコールの匂いはしてこない。一体どういうことなのだろうか?千絵の胸に表現しがたい不安が広がってきていた。

「・・・紗枝、あなたなんだかおかしいわよ?まるで酔ってるみたい」

「え?そ、そう?・・・・・え、ええと、そうだわ!確かに酔ってるのよ、きっと。お姉ちゃんもこれを食べたら絶対にそうなるって!それほどおいしいんだから、このまんじゅうは!」

 紗枝は突然立ち上がった、その動きはどことなくなよなよとしている。普段の紗枝はもっとこう、シャキッとした動きをするはず。本当に酔っているのかも知れない、千絵はそう考えた。

「お茶いれてくるから待っててね、お姉ちゃん」

「・・・うん、ありがと」

「ふふ〜ん♪」

 鼻歌を歌いながら、二人分のお茶をいれている紗枝。やけにハイテンションな紗枝を見て、千絵はやはり紗枝が酔っているのだと確信しはじめていた。あれだけ飲むなっていってあったのに・・・千絵は紗枝に裏切られた気分になった。3ヶ月前、バイト仲間と遊びにいった紗枝は、へべれけに酔ってしまい、千絵がその仲間からの電話で呼び出され、車で拾って帰ったことがあったのだ。そのことがあってから、千絵は紗枝に成人するまでは、酒を飲まないことを約束させた。そのかわり自分も酒を飲まないからと、紗枝に約束しさえしたのだ。それから紗枝は飲んでいないと思っていたのに・・・・・

「お待たせ〜♪ハイ、どうぞ」

 コトリと千絵の目の前にお茶が置かれる。盛大に湯気をあげるその湯呑みを見ていると、千絵も再び食欲が沸いてくるのだった。

「じゃ、じゃあいただこうかな?」

「どうぞ、どうぞ♪」

 千絵はまんじゅうに手を伸ばした。それを食い入るような視線で紗枝が見つめていたのだが、千絵はそれには気が付かなかった。

「へぇ〜、いい香りね。おいしそうねえ」

「見た目だけじゃないよ、ホントにおいしいんだから♪」

 千絵は香りを味わう、という風を装って、まんじゅうにアルコールの匂いがしないかどうかを確認してみたのだが、そんな感じはまるでなかった。千絵は鼻が利かないわけではないから、間違いなくまんじゅうにアルコールは入ってはいないと分かった。千絵は紗枝のハイテンションがこのまんじゅうのせいではないと知り、むしろ不安が増してきていた。やはり、紗枝は酒を飲んでいるのだろうか?

 千絵はそんな不安を紛らわすという気持ちもあったのか、まんじゅうをなんのためらいもなく、一口食べたのだった。口の中に広がる上品な甘みと香り。初めて味わうその段違いの美味に、千絵は衝撃をうけ、なにも考えられないまま、手に残ったまんじゅうを口の中に放り込んだ。改めて口の中に至福の味わいが広がってくる。今日一日の疲れがすぅっと消えてなくなるようだ。千絵はゆっくりとそんな幸福感に浸っていた。

 紗枝はそれを見て、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。まんじゅうの味の余韻に浸っている千絵は、不覚にもその表情の変化には気が付かなかった。

「ね♪おいしいでしょ。全部食べちゃっていいから。アタシはもう三つ食べちゃったしね」

「そ、そう?じゃあいただくわね。それにしてもこれはホントにおいしいわね!私も今日初めてあの店で買ったんだけど。よくこんな店が今まで話題にならなかったものだわ!」

「へえ・・・辺鄙なところにあるとか?」

「う〜ん、そういわれてみれば、確かに少し入り組んだところにはあったのよね。それでなのかなあ?」

 一応の結論はでたと思い、千絵は二つ目のまんじゅうを手に取り、今度は一口ずつじっくりと味わった。二つ目は一つ目ほどの衝撃は感じなかったものの、それでも今までに食べたどんな和菓子と比べても、数段上の味わいだった。千絵はゆっくりと二つ目をたいらげると、そのまま最後の、三つ目のまんじゅうに手を伸ばした。その際も紗枝はニヤニヤとうれしくてしょうがないといった表情をしていたのだが、千絵は気付かなかった。

「はぁ〜・・・おいしかったわ。思わず三つ一気に食べちゃった」

「でしょ!?アタシもそうだったもん。はい、お茶」

「ありがと」

 こく、こくと、ちょうどいい温度になったお茶を飲み、千絵は喉を潤した。

「はあ、おまんじゅうにはお茶が合うわねえ」

 紗枝はそれには答えず、ニヤリとした。

「くくく、とうとう食べてしまったね、お姉ちゃん」

「え!?どうしたのよ、紗枝!?」

 紗枝の口調が突然変化したことに、千絵は恐怖にも似た感覚を覚えた。口調だけではない、その表情もさっきまでとは別人のようにしか見えない。その様子はまるで紗枝の気がふれてしまったかのような・・・・いや、そんなことがあってたまるか、千絵は止めようもなく広がってくる不安感を必死に振り払おうとしていた。が・・・

「え・・・??か、身体に・・・ち、力が入らなく・・・」

「あら?どうしたの?お姉ちゃん。くくく・・・そうだろうな!あれが始まってしまったんだからなぁ!」

「あ・・・あれ・・・って・・・・?」

 千絵は朦朧とする意識の中、なんとか言葉をしぼりだした。とうとう千絵は座っていることさえできなくなり、ずるずると身体を寝かせ、ソファに横たわってしまった。紗枝はその様子を上から見下ろしながら、勝ち誇ったような目つきをする。

「あのまんじゅうはなぁ、オレの『魂』が入ってたんだ。それを今お前が食べたんだ。お前はオレの『魂』を食べてしまった、ってことさ。オレの魂が入ったお前の身体がどうなるか、見当がつくだろ?」

「ど・・・どうなるって・・・い、いうのよ・・・?」

 いうが早いか、千絵の身体がブルッと震え、千絵は口元を押さえた。まるで何かを吐き出すのに必死で耐えているかのような・・・そんな風に見える。

「・・・う・・・えぐっ・・・・・うう・・・・」

「オラオラ、ガマンしてねえで吐き出しちまえよ!」

 必死に抵抗していた千絵だったが、もはや逆らうだけの気力さえほとんど残されていないようだ。大きく前のめりになると、押さえていた手の隙間から、透明な液体が漏れ出しはじめた。

「うぐぇっ!・・・・ぐええ・・・・・・」

 そこからは怒涛のようだった。餌付きはじめたことで、口からお腹に手を移動させたこともあり、口からは大量の胃液と先ほど飲んだお茶とともに、こぶし二つ分ほどの、黒いかたまりが吐き出されたのだ。そのかたまりはぼとりと、テーブルの上に落ちた。

「おっ、出たねえ。これだ、これだ♪」

 千絵は全てを吐き出してしまうと、空気が抜けたように、再びバッタリとソファの上に倒れこんでしまった。それを見届けた紗枝はキッチンへいき、冷蔵庫から何かを取りだし、それを持って戻ってきた。

「さあて、姉妹はやっぱり仲良くしなきゃいけないよな!」

 紗枝が持ってきたのは透明なパックだった、どうやら、さっき「まんじゅう」が入っていたもののようだ。なんと、その中にはテーブルの上にあるのとそっくりな、「黒いかたまり」が入っていた。

「おっと、そいつはオレにやらせてくれよ!」

 紗枝が「黒いかたまり」に手を伸ばしかけた時、倒れていたはずの千絵がいつの間にか起き上がって、紗枝に声をかけ、制止した。紗枝は驚いた様子もなく、むしろ幸せこの上ないといった表情で千絵のほうを見た。

「あら、『お姉ちゃん』、もう起きたの?そうね、『千絵』に引導を渡すのはあなたがふさわしいかもね!」

 紗枝はそういって、千絵に持っていたパックを手渡した。パックを受け取った千絵は、さっきまで苦しんでいたとは思えないような俊敏な動きで立ち上がり、「黒いかたまり」の前に立つと、それを手に取った。

「くくく、千絵ちゃん、『あんこ』になった気分はどうだい?オレもさっきまでそうだったから分かるけど、めちゃくちゃ寂しいだろ?光も音も匂いもなくてな。だが、不安になることはないぜ。すぐに話し相手ができるからな!」

 千絵はそういうと、その「あんこ」をパックの中に放り込んだ。そして、ふたをしたパックを輪ゴムで留めてしまう。

「くくく、これで姉妹同じ屋根の下だろ?仲良くするんだぜ!?」

「ははは、そうだぜ、オイタをしたら捨てちゃうぞ〜!?・・・くくく、わはははは」

 千絵と紗枝はばか笑いをし始めた。しばらく二人は笑い続けていたが、やがて飽きたのか、お互いの顔を見つめ合っていた。

「それにしても、その『紗枝』の顔、カワイイよな!そのクリッとした目はどうだよ!思わず襲いたくなってきちまうぜ!」

「そっちこそ、大人の色気ってやつがムンムンしてやがらぁ。見てるだけでオレの自慢の・・・って今はそんなもんないんだっけな!」

「ホント、信じられねえよな!今や俺たちが『姉妹』だなんて。元々はオレもお前も同じ『オレ』なのにさぁ」

「ホントだぜ、これからはオレたち、姉妹として仲良くやっていこうぜ、な!・・・・・おっと、そのパック、早いトコ、冷蔵庫に入れておけよ。一応、『魂』だから腐ることはないと思うけどな」

「おお、そうだったな、で、こいつはどうする?いっちょう、『オヤジ』にでも食べさせてみるか?」

「まあ、その辺はおいおい考えようぜ。それよりもその『姉妹』を早く片付けてこいよ!これから二人で楽しもうぜ!」

「楽しむって何を?・・・っていうまでもないか!」

 千絵は軽やかな足取りでキッチンにいって、冷蔵庫に「姉妹」を片付けながらそう聞き返した。

「もちろん!・・・さっき千絵が風呂に入っている間、こいつの身体でちょっと遊ばせてもらったんだが、女ってものすごいんだぜ!ちょっと触っただけでゾクゾクもんなんだ!さっきは千絵が帰ってきたから、最後までは味わえなかったんだけどな。最後までいったらどんなになるのか・・・・う〜ん、今から楽しみだぜ!」

「よし!じゃあ早速一回戦といこうか!」

「うん、優しくしてね、お姉ちゃん!」

「もちろんよ、紗枝ちゃん!」



 二人の夜ははじまったばかりだ。いや、これからも連日連夜繰り返されることだろう。冷蔵庫の中では今でも「姉妹」が封印されたままになっている。彼女たちが日のあたる場所にでられるのはいつのことだろうか?彼女たちに幸せの日々は戻ってくるのだろうか?それは神のみぞ知ることなのかも知れない・・・。

・・・二人に幸福のあらんことを。


(おわり)




あとがき

この作品は、夢幻館さんの10万ヒット記念企画、「まんじゅう」に参加した時の作品です。テーマが「まんじゅう」でしたから、
そのまま出したわけですが、
最初は18禁にして、
「○ん汁」とかけようなどと(汗)
それじゃあ面白くなかろうと、
まんじゅうらしくあんこで勝負しました(笑)

物理的な原因による強制憑依といったところですね。
しかも、相手の魂は「あんこ」として吐き出されると。
そのあんこをどうするのか・・・?
二つのあんこを混ぜて・・・
なんて展開も考えましたが、長くなりますので(汗)
オーソドックスですが、
自分が二人いるなど、新鮮味もあるのではないかと思います。
いかがでしたでしょうか?
お祝いになっているのかな(笑)

それでは、最後まで読んで頂いてありがとうございました!

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