『淫魔のジャコマ アフターストーリー』 その16 作:JuJu 「――わかりました。 ただし、わたしが描(か)くことのできる魔法陣は、魔力を増幅させるだけの効果しかない、単純なものです。それでもいいんですね?」 真緒の問いに、敏洋は頷いた。 「ああ。真緒が今できることを、精一杯やればいい」 「話はまとまったね。 それじゃ、シスターが魔法陣を描いているあいだ、アタシが魔獣の目を引きつけておくよ」 「目を引きつける?」 敏洋が訊いた。 「魔法陣てのは、ものすごく集中して描かなければならないんだよ。ほんの少しの心の乱れや、わずかな雑念が混じるだけで、魔法陣の線は引くことができないんだ。それに魔法陣を描くのには時間が必要なんだよ。初めて描くのなら、なおさら時間がかかる。 つまり魔法陣を描いている間、シスターは魔獣に対して、無防備になってしまう。 魔獣は今この時だって、シスターの隙を狙っているんだ」 ジャコマは横目で、遠くから真緒を狙っている魔獣を見た。 「だからアタシが魔獣を挑発したりおびき寄せたりして、シスターが魔法陣を描き終えるまでヤツの目を引きつけておくって言っているのさ」 「危険すぎないか?」 「そのための翼だよ」 ジャコマは自慢げに翼を広げた。 「おや? シスター。化粧かい? シスターもやっぱり女の子だねえ」 敏洋がわずかに驚いて真緒を見ると、彼女が修道服から口紅を取りだしたところだった。 「こんな時に化粧をするつもりか?」 「これは、マザーにいただいた口紅です。お守りとして持っていたんですが……」 「ねえ、アタシにも頼むよ。人間の化粧って一度してみたかったんだ」 「すみません。この口紅は、お化粧のために出したんじゃないんです。 あの時、マザーは口紅で魔法陣を描いていました。もちろん口紅でなくてもよいのかもしれませんが、できるだけマザーのやっていたことをそのまま真似したいんです」 「なんだそうなのかい。 せっかく人間の化粧ができると思ったのに、ちょっとガッカリだよ。 まあいいや」 そう言ってジャコマは、翼をはばたかせた。 ふたりの頭の上でジャコマは言った。 「ご主人さま、くれぐれもシスターのそばから離れないようにするんだよ。 それじゃシスター、しっかりおやりよ」 そう言うと、ジャコマは魔獣に向かって飛び立った。 「ジャコマさんも、気を付けてくださいね」 互いに励まし合うふたりを、敏洋はただ黙って見ていた。 * ジャコマは魔獣の近くに降り立った。だが魔獣は、ジャコマの存在など眼中にないといったそぶりで無視をした。魔獣にとって、自分の相手は真緒ただひとりだった。彼女を倒せば勝負はつく。魔獣はそう考えていた。 真緒を襲う機会を今か今かとうかがっている魔獣の目の前を、ジャコマはさえぎるようにうろついた。さらに立ち止まって尻を叩いたり舌を出したりと、さまざまな方法で魔獣を挑発する。 ついに頭に血が上った魔獣が彼女に襲いかかった。だが、魔獣の牙が届く前に、ジャコマは軽々と空に飛び去った。いかに魔獣に腕力があっても、空までは追いかけられない。魔獣は悔しそうに空をあおいでいたが、やがて諦めてふたたび興味を真緒に向けた。とその途端、ジャコマがふたたび魔獣の目の前に降り立ち挑発を始める。 * 真緒は口紅のふたを外すと、胴の部分を回して、口紅をせり上がらせた。細長い口紅のふたを口にくわえると、口紅に魔力を込めて、その先を地面に当てる。 だが、そこで真緒の体は硬直した。口紅の先を見つめ、表情は緊張でこわばっている。凍るような大気がなければ、あぶら汗がにじみ出ていそうな顔をしていた。 * ジャコマは魔獣を挑発する手を休め、腕を組んで空から真緒のことをながめていた。 「ふぅ……。やっぱり、ご主人さまのことが心配なのかね」 そうつぶやくと真緒に向かった。 * 「シスター!」 敏洋が声のした方を見ると、ジャコマが真緒の目の前に降りてくる所だった。 「すみません。ジャコマさんを信頼していないわけじゃないんですが……」 「わかっているよ。 ご主人さまがこんなにそばにいたんじゃね。気になって集中もできないだろうさ」 「……わたしが魔法陣を描くために集中したとたん、魔獣がジャコマさんを押し通し、敏洋さんに襲いかかってくるかも知れないと考えると……どうしても、集中できないんです……」 ふたりの会話を聞いて、敏洋は目を伏せた。 何もできず、ひたすら真緒の陰に隠れて魔獣から身を守っている自分の不甲斐なさが悲しかった。それどころか、真緒が魔法陣を描く障害にさえなっているのだ。 (俺さえこの場にいなければ……) 敏洋は下唇を噛んだ。 その時、突然彼は目を見開いた。 (それだ! 俺がいなくなればいいんだ!) 「ジャコマ! 俺に取り憑いてくれ!」 敏洋は叫んだ。 「どうしたんだい、急に大声なんか出して」 「ジャコマと一体になれば、俺は真緒の邪魔にならなくてすむはずだ。 それに、もう、真緒に隠れているなんてごめんだ。俺も参戦したい! 淫魔になれば、俺も共に戦うことができる」 ジャコマはしばらく考えこんでいたが、やがて静かに答えた。 「いいよ。 服を脱いで裸になりな」 「……」 だが、提案したとうの敏洋が、なかなか服を脱ごうとしない。 「どうしたんだい? 魔獣は待っちゃくれないよ。なんだったらアタシが脱がしてやろうか?」 「いや、自分で脱ぐ」 敏洋がズボンをおろすと、彼はおむつをしていた。 「おむつ……? プププ」 ジャコマはこらえきれないといったふうに吹き出して笑った。 「仕方ないだろう! マザーに言われたんだ。小便をしている間に魔物に襲われたらどうするんだって。戦いが長時間におよべば、そんなことでも致命的になる。背に腹はかえられない」 「ああ。アンタの魔物退治に対する意気込みは分かったよ。笑ったりして悪かったね。 でも……プププ……ご主人さまが……おむつ……」 「いいからさっさと憑依しろ! 時間がないんだろ?」 敏洋はおむつを脱ぎながら叫んだ。 「はいはい」 敏洋が裸になるのを見届けると、ジャコマは自分の体をゼリー状の半液体に変えた。 敏洋も経験があるために、口から侵入するジャコマをすんなりと受け入れた。 ジャコマに憑依され、敏洋の体が女の淫魔に変化してゆく。 変身を終えた敏洋が目を開けた。視線を下に向け、変身したことを確認する。女になった自分の体のたわわなふたつの胸を見て頬を赤く染めたものの、すぐに頭を左右に振って自分を取り戻し、ジャコマが脱ぎ捨てた服に向かって歩き出した。 敏洋はジャコマの服を地面からつまみ上げると、困惑した声で言った。 「これを俺が着るのか?」 淫魔に変身したために夜目が利くようになった敏洋は、あらためてジャコマの新調したボンデージを見た。ボンデージは、以前に淫魔にされた時に着た物よりも露出が増している。胸元は広く開いていて乳首がやっと隠れる程度だし、尻にいたっては、まるで紐のような物で大切な部分がどうにか隠れると言った程度でしかない。 『なんだい? あたしの趣味が気に入らないのかい? ならば着なくても良いよ。あたしは裸のままでも、ぜんぜん構わないんだから』 「いや着る! 断固として着る!」 敏洋は「裸のままよりましだ」とぼやきながら、半ばやけになりつつボンデージを着た。 泣く泣くボンデージを着終わった敏洋は、気を取り直して魔獣の様子をうかがった。 ジャコマと融合することによって夜目が利くようになっただけでなく、今までは霧の亡霊のような姿だった魔獣の姿が明確に見えるようになっていた。 身を包む黒い霧の奧にある、筋肉の塊のような力強い肉体をした猛獣の姿が、淫魔の眼に映った。 (あれが、奴の本当の姿か……) ジャコマも、おそらく魔力を持つ真緒も、最初からこの魔物の姿を見ていたのだろうと敏洋は思った。 その隆々とした筋肉に、敏洋は本能的な、体の芯から来る身震いをおぼえた。 『おそれることはないよ。 ご主人さまはアタシと融合することで、淫魔の力を手に入れたんじゃないか』 ジャコマが勇気づけた。 (そうだ。そのためにジャコマと合体したんだ) 背中の後ろに、人間の時にはなかった大きな羽の感覚があった。今はその感覚が頼もしい。 「行くぞ!」 敏洋は頷くと、背中の翼を大きく広げた。女になった敏洋の長い髪が、煽られて舞い広がる。 『何をやってるんだい? さっさとお飛びよ』 だがその後、敏洋はその場で羽をばたばたと乱暴に動かしては、地面をぴょんぴょんと跳ねているだけだった。 「わかっている。わかっているが……」 『……まさか、飛び方がわからないとか言い出さないだろうねえ?』 「しかたないだろう。俺はいままで空など飛んだことはない。訓練もなくいきなり飛べといわれても」 それから、ジャコマの教習が続いた。 『だから翼を広げて……そうじゃなくて、もっとしなやか、かつ、大胆に……こう肩の後ろあたりに力を込めて……ああ、そんなに強くちからをこめるんじゃないよ! もう、へただねえ』 「お前の教え方が悪いんだ。 だいたい、自力で空を飛ぶなんて、人類史上ではじめてなことだぞ」 『そんなこと言ったって、飛び方なんて口でどうやって説明すりゃいいんだい?』 「だから、もっと、感覚としてわかるように――うっ!?」 敏洋とジャコマが言い争っていると、とつぜん速い風が敏洋の側を吹き過ぎていった。それは自然の風とは思えない鋭さを持った風だった。 敏洋が驚いて風の吹いてきた方を見ると、真緒が真顔で敏洋に向けて鉄槌を突き出していた。 「もう一回行きます!」 「バカ! 攻撃する相手は俺じゃない!」 敏洋は、両腕を振り回して真緒が風を起こすのを止めようとした。 『バカはどっちだい。もっとシスターのことを信頼してあげられないのかい?』 ジャコマの言葉を聞いて、敏洋は真緒の意図に気がつく。 「!! そうか! 真緒、もう一度頼む」 真緒は頷くと、ふたたび敏洋に風を投げかけた。 『わかってるね? 来たよ。今だ! 羽を広げて! 風の流れを掴むんだよ!』 敏洋は目を閉じて、向かってくる風に翼を大きく広げ、体中で風を受け止めた。足の裏から地面の感触が消える。かすかに体が浮かぶのがわかった。 『そうだよ! むずかしいことは考えなくていい。 あんたは今、淫魔なんだよ。心の底から淫魔だと思うんだ。 淫魔の体に心を任せて。あとはシスターの作ってくれた風に乗ることだけに集中するんだ』 真緒が送ってくる風の流れがわかる。翼が風の流れを教えてくれていた。 いままでは風に抗(あらが)っていた。だがそれは違うことがわかった。 敏洋は、体が空に昇っていくのを感じた。 風を通して、真緒が自分の体を押し上げてくれているのがわかる。 やがて、真緒の風がとどかなくなり、替わりに自然の大気が自分の体を空へと導いてくれた。 風の中に、森の香りを感じる。 ゆっくりと目を開く。 「うわっ!?」 いままでは、空を飛ぶ幻覚を見ているような気分だった。しかし目を開けた途端、本当に空を飛んでいるという現実が襲ってきた。 敏洋の体は、足場もない空中にさらされている。 目がくらむ。震えが全身をはしる。体のどの部分にも、何も触れていない不安な状態。まるで、突然空中に放り出されたような、恐怖が敏洋を襲った。敏洋は手をむやみに動かした。なんでもよいから掴む物が欲しかった。だが空中に掴む物などどこにもない。 『ちょっと! 急にどうしたんだい!?』 恐怖が、敏洋を羽を持つ淫魔と言う存在から、羽を持たない人間という存在に押し戻した。 身を縮み込ませるように翼を閉じる。 『なにしているんだい! そんなことしたら……!!』 彼の体は地面に向かって墜落した。 露出の多いボンデージのため、落下する風を全身の肌で感じた。 「敏洋さんっ!?」 「うわーーーっ!!」 (その17へ) |