『淫魔のジャコマ アフターストーリー』 その11
作:JuJu


「じゃ、そろそろ魂をいただこうかね」
 ジャコマが、敏洋たちに向かって歩き出した。
 その時、闇を震わせる低い声が森に響いた。
「去レ、淫魔……。ソレラハ俺ノ獲物ダ……」
 その声にジャコマは足を止めた。振り向きもせず背中で答える。
「まだいたのかい。
 アタシはね、食事のじゃまをされるのが一番嫌いなんだよ。
 アンタこそ、消えな」
 敏洋と真緒は声の主を捜して森を見渡した。が、そこには魔獣しかいなかった。
「敏洋さん。今の声って、魔獣のでしょうか?」
「どうやらそうらしいな。
 ジャコマがしゃべれるのだから、同じ魔物である魔獣がしゃべれてもそれほど不思議ではないのかも知れないが……。
 俺も驚いた」
 地面に横たわっていた魔獣は、ゆっくりと立ち上がるとジャコマをにらみ付けた。いまだに体の痛みが抜けないらしく、時々表情を固くしている。
「淫魔。俺ノ獲物ヲ横取リスルナ。二匹トモ俺ノ物ダ」
 それを聞いたジャコマはいらだたしく目を細めると振り返る。
「横取りだって? 冗談じゃないよ。横取りはアンタの方だろう。
 こいつらはね、こうして弱る時をずーっと前から、アタシが狙っていたんだよ。それを、きのう今日やってきた奴が奪うなんて、いただけないねえ」
「ココマデ弱ラセタノハ、俺ダ」
「先に目を付けていたのはアタシだよ」
 ジャコマと魔獣はにらみ合いながら、慎重に互いの距離を縮めた。
「淫魔ヨ、腕力デ俺ニ勝テルト思ッテイルノカ?」
「アンタ、手負いのようだけど? 魔力もかなり減ってるようだし。
 それに比べて、アタシは心身共に充実しているよ? 今夜は満月だしね」
「ソレガ、何ダト言ウノダ。
 淫魔ノ魔法ハ人間相手ニ特化サレテイテ、魔物ニ対シテノ魔法ヲ持ッテイナイ。ソウダッタナ。
 イクラ魔力ガ、アッテモ、攻撃スル魔法ヲ持ッテイナケレバ、俺ハ倒センゾ」
「くぅっ。ずいぶんと詳しいじゃないか。
 ばれちゃ仕方ないね。たしかに淫魔は、魔物相手の魔法を持っていないよ」
「ソレニ、コレシキノ傷。
 タトエモット深イ傷ヲ負ッテイタトシテモ、オマエナド俺ノ相手デハナイ。オマエナド一捻(ヒトヒネ)リダ。
 今日ハ、人間ガ二匹モ喰エルカラ気分ガイイ。今マデノ無礼ハ許シテヤルカラ、オトナシク去レ」
「アンタ、アタシから力ずくで奪おうって言う気かい? そいつは、いただけないねえ」
 ジャコマは、そこまで言うと、今度は相手を思いやるように優しい表情になり、同時に語気も弱めた。
「なにもアタシだって獲物を独り占めしようってわけじゃないんだよ。
 たしかにアンタだって、こんなにうまそうな人間を目の前にして諦めるのは無理だというのはわかるよ。でもそれはアタシだって同じこと。アタシの気持ちだってわかるだろう?
 だからさ、ここは仲良く山分けにしようじゃないか。
 アタシはこいつらふたりの魂を頂く。アンタにはふたりの肉をやる。
 どうだい? これで手をうたないかい?」
 ジャコマが話が終わるか終わらない内に、魔獣は黙ったまま、敏洋たちに向かって歩みだした。
 ジャコマの脇を通るときも、彼女を無視し一瞥さえしなかった。
「そうかい。それがアンタの返事かい。
 魔獣も地に落ちたものだね。人間以下だよ」
 その言葉を聞いた魔獣は立ち止まると、きびすを返してジャコマの元に戻った。その声がかすかに震えている。
「ナニ? 今、ナント言ッタ? コノ俺ガ人間以下ダト?
 ドウイウ意味ダ? 答エロ。返答次第デハ、人間ヨリ先ニ、オマエヲ葬(ホウム)ッテクレル」
「アンタには、魔物の誇りってものが無いのかって言っているんだよ。
 なるほど、アタシは腕力ではアンタには敵わない。アンタに攻撃する魔法もない。襲われたら一巻の終わりだよ。
 でもね。だからって、腕力にまかせて獲物を奪い取ろうだなんて、それが誇りのある者のすることかい?
 さっきも言ったけど、アタシにだって、そこの人間を食べる権利はあるんだよ。
 聞けば、あの人間はアンタとのさっきの戦いで、死よりも誇りを選んだっていうじゃないか。人間でさえ、そこまでの高い誇りを持っていたっていうのに。それなのに、アンタと来たら。
 だからアタシは、アンタは人間以下だって言っているんだよ」
「……」
「不満そうだね。
 ならば、人間どもを喰えばいいさ。
 だが忘れていないかい? 淫魔には立派な翼があるんだ。アンタがいくら腕力に自信があっても、空までは追いかけてこれないだろう?
 アンタが人間以下な奴だってことを、人間にも魔物にも、言いふらしてやるからね。事実なんだから、言いふらされてもしかたないよねぇ? アンタは魔物の誇りもない、人間以下の、最〜〜〜低な魔獣だって」
「……俺ガ、人間ニ劣ルハズガ無イ」
「だったら、ここはアタシと山分けでいいね?
 本当に誇りがあるんなら、嫌とは言えないはずだよ?」
「……。
 勝手ニシロ。
 ソノ替ワリ、俺ガ人間ニ劣ルナドト、二度ト口ニスルナ」
「じゃ、アタシが先に頂くよ。アンタに喰い殺されたんじゃ、魂まで消えちまうからね。
 アンタだって生きたまま喰いたいだろうが、アタシだってミイラにしちまうまで吸い尽くしたいのを我慢するんだ。お互いさまだからね」
 ジャコマは、魔獣の気が変わらない内にと、早足で敏洋たちに近寄った。

   *

 ジャコマが近づいてくるのに気がつき、敏洋は真緒に小声で言った。
『真緒。おまえの鉄槌を貸してくれ。俺がジャコマに鉄槌で襲いかかる。
 普通の人間が魔物を傷つけることが出来ないことはわかっている。だが威嚇(いかく)程度にはなるだろう。
 魔物退治の武器でいきなり襲いかかられれば、ジャコマだってひるむはずだ。
 その、ひるんだ隙に、ここから逃げ出す。
 だから真緒は、俺がジャコマに襲いかかるのと同時に走り出せ』
『敏洋さんは? 敏洋さんはどうするんですか?』
『ジャコマを驚かせたあと、俺もすぐに真緒の後を追う。
 おまえの大切な鉄槌を借りっぱなしにはできないからな。
 俺も一緒に行く。だから振り返らず、ひたすら走るんだ』
 そして敏洋は、心の中で謝った。
(すまん真緒。鉄槌を返すというのは嘘だ。手数をかけるが、後でマザーと一緒にこの場所に取りに来てくれ。
 ジャコマに襲いかかったあと、俺は返り討ちにあうだろう。だから、俺は一緒に行けない。
 だが、激昂したジャコマは、俺しか目に入らなくなるはずだ。興奮のあまり、真緒のことを忘れて夢中になって俺の魂を吸うはずだ。
 そうすれば、おまえがここから逃げ出すための障害は、魔獣だけになる)
『で、でも……』
 敏洋は、真緒の返答を無視して、さらに真緒に迫った。
『魔獣は怪我をしている。回復しきっていない今ならば満足に走れないはず。
 逃げ切れるどうかはわからないが、もはや、これしかない。
 早く! ジャコマが来る! 早く鉄槌をっ!!』
 敏洋の気迫に圧され、ジャコマに気づかれないように注意をはらいながら、真緒は鉄槌を渡した。

   *

「ジャコマ。俺から先に頼む」
 近づいてくるジャコマに、敏洋が歩み寄った。真緒から借りた鉄槌を背中に隠し、ジャコマの隙をうかがう。
「ほう? 良い覚悟だね。
 それじゃご希望通り、ご主人さまの魂から先に頂くとするかね」
 ジャコマは息がかかるほど敏洋のそばに近寄ってきた。
(ジャコマは、俺があきらめたと思って油断している。しかもこの至近距離。やるなら今しかない)
 敏洋がそう思い、鉄槌をつかむ手に力を込めたとき、ジャコマが彼に向かって何かをささやいた。
 ささやきを聞いた敏洋は、驚いた顔をしていたが、すぐに目を閉じた。
「何ヲシタ?」
 魔獣が、ジャコマの背後から訊いた。
「ん? 魔法をかけて眠らせたんだよ」
「クダラヌコトヲセズ、サッサト魂ヲ喰エ。俺ガ待ッテイル」
「そんなにがっつくもんじゃないよ。
 アンタはあまり人間って物を知らないようだから教えといて上げるけどね、人間って奴はこれでなかなか、したたか者なんだよ。最後の最後で、何をしでかすか分かったもんじゃない。だから、念には念を入れておいて損はないのさ」
 その時、何かが地面に当たる音がした。ジャコマが地面に目をやると、鉄槌が敏洋の足元に落ちていた。眠らされたために、敏洋が背中に隠していた鉄槌が手から離れて地面に落ちたのだ。
「ほらね」
 ジャコマは魔獣に向かって得意そうに言った。
「それじゃご主人さま。今、魂を吸い出すからね、おとなしくしているんだよ。
 アタシに魂を吸われるときは、ものすごく気持ちいいらしいから。それはもう天にものぼるようにね。至上の快感に包まれて死ぬんだ。アタシからのせめてものはなむけだよ」
 ジャコマは細い指で敏洋の両の頬を押さえた。彼女の形の良いくちびるが敏洋の口に迫る。
 ジャコマの口づけが始まった。
 眠らされている敏洋の体は、口づけの間も、まるで死体のように身動きひとつしなかった。
 敏洋からくちびるを離すと、敏洋の体が崩れ落ちそうになる。ジャコマはその体を掴まえると、ゆっくりと地面に横たえた。
「あー、やっぱり人間の魂はうまいね。特に男のものは最高だよ」


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