『淫魔のジャコマ アフターストーリー』 その7
作:JuJu


 真緒は両腕で持った鉄槌(てっつい)を天にかかげて待ちかまえていた。鉄槌の先では、魔力で造られた風が進撃の時を待ちながら渦巻いている。
 魔獣が迫って来た。
 鉄槌を掴む手に力がこもる。
「せあーっ!」
 真緒が雄叫びをあげた。同時に頭上高くかかげていた鉄槌を振り下ろす。鉄槌の先で渦を作っていた風が発射され、前方にいる魔獣に向かって疾走した。
 攻撃後、真緒は崩れ落ちるように両膝(りょうひざ)をついた。鉄槌を杖のように地面に立たせ、両手を鉄槌の先に載せて、おじぎをするように頭をうなだれている。息が荒い。魔獣にひっきりなしに襲われ、その度に全霊を込めた攻撃をしてきたのだから無理もなかった。
 それでも真緒はむりに顔を上げた。上目遣いにうつろな瞳で風の行く先を見守る。
 修道服を着ているせいだろうか。その姿はまるで、両手を組み膝を地につけて祈りを捧げている姿に見えた。いや、本当に祈りを込めているのかもしれない。
 俺は真緒から竜巻に視点を移した。
 風は鉄槌から飛び出した瞬間こそ勢いがあったものの、いまやその力は衰え弱々しくなっていた。それでもけなげに、魔獣をめざして歩(あゆ)んでゆく。
 一方標的である魔獣は、足取りもしっかりとしており気迫にあふれている。それでも竜巻が向かって来ていることに気がつくと、襲いかかる足を止め様子をうかがった。
 結局、真緒の祈りは通じなかった。風は弱まりつづけ、魔獣の足元までは届いた物の、そこで消えてしまった。
 それでも魔獣は、真緒がまだ戦えることを知ったためか、あるいは用心深い性格なのか、「いまいましい」とでも言いたげな短いうなり声をあげ、きびすを返してゆっくりと暗い森に戻っていった。

   *

 魔獣の姿が森に消えたのを見届けると、真緒は地面に尻をついた。
 俺は真緒に駆け寄り、となりにしゃがみこむ。
「のどが渇いただろう。いま水筒を出す」
「ありがとうございます」
 俺は鞄から、すでに軽くなってしまった水筒を取り出す。水筒を振って残りの量を確かめる。
 真緒が驚いたように目を見張る。どうやら俺のしぐさを見て、水筒の中身がほとんど残っていないことに今ごろ気が付いたらしい。
 俺は真緒に水筒を突き出した。
「残りは真緒が飲んでくれ」
「いけません! 敏洋さん、ずっと飲んでいないじゃないですか!
 わたしは残りの量も考えないで、いっぱい飲んでしまいました。残りは敏洋さんが飲んでください」
「ならば、最後は半分ずつ飲むこととしよう」
 真緒の目からカップの中が見えないように隠しながら、俺は水筒からお茶を注いだ。少し冷めてしまっているが、よい香りの湯気が立ちのぼった。
 推測通り、カップに半分ほど入れた所で水筒は空になってしまった。それでも俺は空の水筒を傾けつづけ、なみなみとお茶をそそいでいる振りをした。
 カップに口を寄せて、お茶を飲んでいるまねをする。そしてそのまま一口も飲まずに真緒にカップを渡す。
「残りの半分は真緒の分だ。大切に飲めよ」
 真緒は頷きながらカップを受け取る。渡されたカップをのぞいて中を確かめる。半分に減っていることを確かめると、安心したようにお茶を飲み始めた。
(よかった。どうやら俺が半分まで飲んだように振るまえたようだ)
 目が自然と、真緒の持つカップに向かってしまう。体がどうしようもなく水を求めているのを感じた。だが最後の水は、どうしても真緒に飲んで欲しかった。
 マザーから魔力は体力と同じような物だと聞いている。体力と同じように、魔力も体を休ませていれば時間の経過と共に自然と回復するらしい。だから、真緒には水を飲んで少しでも元気になってほしかった。
 お茶を飲んでいる真緒に背中を寄せて座った。
 背中合わせになると、真緒の体温を背中で感じた。そのぬくもりに、つい気がゆるんでしまいそうになる。
 その事に気づき、俺はあわてて気合いを入れ直した。
 慎重に周辺を見渡す。うっそうと木々の影から、いつ、どこから、魔獣が襲ってくるのか分からないのだ。一時と言えども気を休めることは許されない。
 張り詰めた緊張。この、わずかにさえ休むことが許されない状況が、今も真緒の精神を削っている。そうと思うと、真緒が心配でならなかった。
 頭上で枝がざわついていることに気が付いた。顔を上げて空を見る。いつの間にか風が出てきたらしい。枝から生えた葉が風に揺らされている。葉は色づいているが、地面に落ちるにはまだ早いらしい。風に揺られるたびに、重なり合う葉の隙間から僅かな月明かりが漏れた。
 この木々がなければ、と俺は思った。――なければ、魔獣は樹の影に隠れる場所を失う。それだけでなく、月明かりも届き、魔獣は闇にまぎれて身を隠すことも出来なくなる。そうすれば不意打ちや闇討ちを封じることが出来るのだが。
「つまり、ここは奴に有利な地形って訳か」
 地形だけではない。
(一番、真緒の足をひっぱっているのはこの俺だ)
 自分の不甲斐なさが悔しくてたまらなかった。
 気分が高まり、座っていられなくなる。
 俺は立ち上がると、見返って真緒を見た。
 真緒は空になったカップを名残惜しそうに見つめながら、思い詰めた表情をしていた。
 俺が立ち上がったことに気が付いたのか、真緒が語りかけて来た。
「敏洋さん……。わたしはもう戦えません」
「馬鹿! 弱気になるな! そうやって真緒が弱るのを待つのが、敵の戦法だ」
 真緒は空のカップを両手で握りしめた。
「――さっきの一撃が、最後だったんです。もう、魔力は残っていないんです。
 魔力がない以上、魔物相手に戦うことも身を守ることもできません。だから、次に魔獣が襲ってきたら、わたしたちはおしまいなんです」
 真緒は顔を上げると、振り向いて俺を見た。力なくほほえむ。
「でも心配しないでください。
 魔力がないといいましたけど、風を造るだけの力が残っていないって意味です。鉄槌に魔力をこめる程度の弱い魔力ならば、まだ残ってます。
 マザーからいただいたこの鉄槌は特別製なんですよ。魔力の伝導率がとてもいいんです。だから、わたしに残った少ない魔力でも、この鉄槌につぎ込むことで直接攻撃の武器として使えるんです。
 魔力はもうほとんどありませんが、敏洋さんが逃げる間くらいならば何とか持つはずです」
 あの巨大な体格の魔獣を相手に、背の低い女の子が、たった一本の細い棒を武器に、直接格闘すると言うのだ。
 俺は、真緒を置いて一人だけで脱出するなんて出来るかと言おうとした。
 が、それを言おうとした時、真緒が俺を制すように立ち上がる。
「来ました!」
 振り向くと、樹の陰から魔獣が頭を出して俺たちを睨んでいた。
「今のうちです。わたしが引きつけて戦っている間に、行ってください」
 真緒は両腕で俺の背中を押すと、振り返って魔獣と向き合った。
 真緒が鉄槌をかかげた攻撃体制を取らないことに、魔獣も真緒の魔力が尽きたことを悟ったらしい。今までのような、様子見をするような威嚇はしなかった。彼女に近いところまでゆっくりと歩いて来ると立ち止まり、頭を低くし、襲いかかるために足に力をため始める。
「真緒!」
「さ、早く逃げてください!」
 魔獣はためていた力を一気に解放する。いままでにない速さで、魔獣が真緒の目の前に迫ってくる。
 魔獣の牙が、真緒に迫る。
 真緒は鉄槌を横に倒した。
 魔獣の口に鉄槌を噛ませることで、魔獣の進行を止めた。
 真緒は両腕で鉄槌を横一線に持ち、鉄槌をくわえた魔獣の牙を防いでいた。
 魔獣は鉄槌をくわえた口を振り回し、真緒に襲いかかろうとしている。
 押し合いならば、体重のある魔獣が圧倒的に有利だった。
 真緒は、じわりじわりと後退させられてゆく。
 刹那、真緒が鉄槌を退いて外したと思うと、魔獣の頭に向かって鉄槌の頭を振り下ろした。
 が、魔獣はさっと避ける。
 真緒は髪を振り乱し、歯を食いしばり、うなり声を上げて戦っている。まるで、一番最初に戦ったとき、すくんで動けなかった失態を二度とくり返してなる物かと言うように、自分の中の恐怖を振り払うように、向かってくる魔獣と対峙していた。
 真緒のスカートが舞う。大気はこんなに冷えているのに彼女の額から汗が飛ぶ。
 真緒がこれほどまでして戦っているのに、俺には何もできなかった。
 俺は真緒の背中に向かって、自分一人だけ逃げるなんてそんなことが出来るかと叫んだ。しかし真緒は戦うことに必死で、俺の声など耳に入る余裕さえない。
(俺だって戦いたい! 真緒を助けたい!)
 だが、魔力を持たない俺には何もできない。
(俺に魔力さえあれば……!!)
 しかし、魔力は生まれ持ってのものだ。魔力を持たずに生まれてきた以上、どんなに望んだところで決して叶えられることのない願いだった。


(その8へ)


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