『淫魔のジャコマ アフターストーリー』 その6
作:JuJu


 真緒が、震えている。
 それが恐怖のためか、あるいは極度の緊張のためなのか、俺には分からなかった。おそらく、その両方が入り交じっているのだろうと思う。
 真緒とは対照的に、俺の精神は不思議なくらいに静まっていた。たしかに恐怖心はある。だが、それを超えて俺は真緒を信頼していた。たとえ魔獣におびえているとしても、さっきのような失態はしない。俺はそう確信している。
 真緒の魔法の威力は、たった今見せられたばかりだ。あれが体のどこかに当たりさえすれば、ボスの巨体といえども無事ではすまないはずだ。それにもし急所に当たれば、さっきの魔獣のように瞬時に霧散させられるかもしれない。そうすれば、真緒はマザーに自慢できるし、あこがれる正式な魔物退治師の位もさらに近づくだろう。
 俺は、そんな楽観視さえしていた。
「来ました」
 声に、懐中電灯の光を真緒の視線の先に伸ばした。真緒の言うとおり、しばらく様子を見ていたボスが俺たちに向かって走り出していた。
「頼んだぞ」
 俺は邪魔にならないように、急いで真緒から離れた。
 彼女の背越しに、迫り来るボスが見える。俺は真緒が狙いやすいように、懐中電灯でボスを追いかけた。
「行きます!」
 真緒が鉄槌を振り下ろし、あらかじめ準備していた呪文で攻撃する。
 相手にしたのが魔物退治師とは考えていなかったのか、魔獣は攻撃にあわてながら身をそらした。どうにか攻撃を避ける。驚いているのだろう、その場で立ち止まり俺たちを見ている。
「はずしたか!」
「逃(のが)しはしませんっ!」
 さらに、真緒の作り出した風の弾丸が二発三発と矢継ぎばやに魔獣を襲った。
 が、一発目のようにはいかない。一発目の攻撃は魔獣をかすり、その足を止めさせた。だが二発目以降の攻撃は、すべて軽々と避けられてしまった。
 なるほど真緒の攻撃は強大だ。当たれば傷は大きいことは間違いない。だが、そのぶん動作が大きい。そのために、攻撃する瞬間を魔獣に見切られて当たらないのだ。
 いや、原因はそれだけではない。
 真の原因は、ボスの素速さにあった。その巨大な体格に似合わず、俊敏性は先ほど倒した魔獣よりも遙かに上だろう。
「そんな、ぜんぜん当たらないなんて!」
 真緒は叫びながら、攻撃を続けた。
(当たらないどころじゃない。かすってさえいない……)
 真緒が攻撃をくり返すほど、相手に見切られていくようだ。今では、かすらないどころか、真緒の鉄槌から攻撃をしたと同時に体を移動させて回避するようになった。完全に、真緒の攻撃は見切られている。
 いくら威力が強くても、攻撃が当たらなければ、倒しようがない。
「どうして? どうしてなんですかっ!? 当たってくださいっ! 敏洋さんを守らないといけないのに……!!」
 真緒は、かるい混乱状態におちいっていた。
 無我夢中で攻撃をつづける真緒の体を、俺は背後から抱きしめた。
「真緒、落ち着け! 魔獣はもういない」
 いつの間にか、魔獣は目の前から去っていた。
 真緒は、俺に抱きしめられて、どうにか落ち着きを取り戻した。鉄槌を振り上げていた腕を、力なく降ろす。魔力の使いすぎで肩で息をしている。
「行っちゃいましたね。あきらめたんでしょうか?」
 なんとか落ち着きを取り戻した真緒が訊ねて来た。
 俺は耳を澄ました。わずかにボスの唸(うな)る声が聞こえた。距離を置いているのだろう。静寂の森だからこそ聞こえるほどの、わずかな声だった。
「ちがうな。耳を澄まして見ろ」
 俺の返事に、真緒が耳をそば立てた。魔獣の声を確かめたのか、俺に向かって小さくうなずいた。
「います」
 質問をしてきた真緒自身も、本気で魔獣が帰ったとは考えていなかったのだろう。魔獣があきらめてないことを確認しても、その表情に驚きもとまどいも表れなかった。
「気を抜くな。この闇にまぎれて、いつ、樹(き)の陰から不意打ちをしてくるか分からない」
 俺はなでるように、闇に染まった木々を見た。
 予想はすぐに当たった。
 魔獣が木の陰から襲いかかってきたのだ。
「真緒! いたぞ! そこだ!」
「はい!」
 俺に言われて、真緒が風の魔法で攻撃する。あらかじめ、攻撃の準備をしていたのだろう。真緒にしては、ずいぶんと素早い行動だった。
 だが、真緒の懸命の努力も無駄に終わる。やはりボスは、余裕で避ける。
 それでも、不意打ちを破られたためか、ボスはふたたび森の中に消えていった。
「だめです。やっぱり、ちっとも当たりません……」
 真緒が肩を落とす。
「しかたがない。今日の所は出直すか」
 真緒は目を伏せた。わずかな沈黙の後、かすかにうなづく。
『出直す』などと言葉を濁した物の、正確には、しっぽを巻いて逃げるという意味だ。
 魔物退治師の真緒にとって、魔物を前にして逃げだすと言うことがどれほどの屈辱なのか、退治師ではない俺には想像が付かない。
 いや、誇りうんぬん以前に、果たしてボスがそう簡単に逃がしてくれるものかどうか……。
 俺は耳を澄まして魔獣の息づかいを捜した。
「右……いや、左か……」
 低いうなり声や走る足音はするものの、どの方向から聞こえてくるのか分からない。居場所が特定できないばかりではなかった。気配を追っていると、相手はたった一匹なのに、まるで四方八方から囲まれているような気分になってくる。
 それでもじっくりと声を追っていると、ボスが俺たちを中心に、円を描くように走っていることが解った。その移動が速いので、あらゆる方向から声が聞こえて来ていたのだ。
 魔獣は、俺と真緒を中心に、円を描くように走っている。この円から逃がさないというつもりだろうか? まるで見えない檻に放り込まれたような気分だ。
 まあいい。全速力のままいつまでも走っていられるはずがない。ボスに疲れが見えたところで、逃げるなり、倒すなり、つぎの行動を起こせばよい。
 そう考えた俺は、真緒に指示して、しばらくこの場所にとどまることにした。
 それでもどこから襲われるか分からないので、俺たちは背中を合わせて立ち、常に襲撃に備えた。
 三時間後。
 魔獣は疲れた様子など見せなかった。疲れるどころか、速度が上昇している。さすがはボスと言ったところか。
 むしろ疲れたのは俺たちの方だった。魔獣は数分ごとに襲撃してきた。その度に俺は真緒の背中に隠れ、真緒は風をおこして追い払う。
 その繰り返しだった。
 魔獣は、いつ、どの方向から襲ってくるのか予測がつかない。そのために、俺たちは気を休める時がなかった。
 それでも俺はただ身を隠すだけだからいい、真緒は俺をかばいつつ、魔獣に攻撃をしなければならない。彼女は体力も、精神力も、魔力も、すべて摩耗していた。
 そこが魔獣の狙いだということは、俺にも分かった。
 接近戦になれば、すばやさと体格の差から最後にはボスが勝つだろう。だが、近づいた分だけ真緒の攻撃を受けやすくなる。そうなれば魔獣だってただでは済まない。最悪相打ちということもありうる。
 だから、魔獣はこうして、真緒が疲れきるなり、魔力を使い切るなり、飢えるなりするのを待っているのだろう。
 それがわかったところで、結局、勝つ方法も、また、逃げ出す方法も、思いつかなかった。
 魔獣はどうみても、この場から俺たちを逃す気はないらしい。
 夜(よ)が更け、大気が冷たくなってゆく。体が、背中を合わせた真緒の体温を求めるようになってきた。
 俺は、首を真緒向けて言った。
「朝までの辛抱だ。
 依頼では、夜になると魔獣が出ると言っていた。ならば朝になれば魔獣はどこかに消えるだろう」
 朝になれば魔獣が消える。そのことは単なる推測に過ぎなかった。だが、真緒のためにも、そして自分のためにも、気休めでよいから、心の支えになるものが欲しかった。
 もしもこの推測が正しければ、それは、魔獣は俺たちを、朝まで生かしてはおかないと言うことを意味していたが、いまはそこのことを考えないように努めた。
「はい……」
 小さく真緒が答える。
 その後はずっと沈黙が続いた。互いに一言も話さなかった。


(その7へ)


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