第四幕 その11 JuJu 突然、敏洋の頭の中にジャコマの声がひびいた。 『――ご主人さま。いったいいつまでシスターといちゃついているつもりだい。見ちゃいられないよ、まったく!』 「ジャコマ!? 起きていたのか?」 『ああ。ずーっと前から起きていたよ。 ご主人さまが、そこのシスターとふたりだけの世界を作っているから、なかなか話しかけられなかっただけさ』 敏洋の顔に、あせりの色が浮かぶ。 (前から起きていたと言ったな。いったいいつから俺たちのことを見ていたんだ? まさか、俺と真緒が、あんなことやこんなことをしていたのも、すべて見られていたのか?) 『それがさ、そろそろ淫欲がたまっている頃合いかと思って起きてみたんだよ。 そしたら、ご主人さまは寝ているじゃないか。 しかたがないから、ご主人さまが起きるのを待つことにしたんだよ。 で、やっと起きたと思ったら、今度はそこのシスターといちゃつきはじめるし』 「なんだ、俺が寝てから起きたのか。おどかすな」 ジャコマの話を聞いて、敏洋は安堵のため息をはいた。立ち上がり、床に脱ぎ捨ててあったボンデージを着はじめる。 ちょうど修道服を着おわった真緒が、敏洋の様子に気がついたらしく話しかける。 「敏洋さん。どうかしたんですか?」 「ああ。ジャコマが目を覚ました。 いや、ずっと前から起きていたんだそうだ」 「!」 真緒の顔にもあせりが浮かぶ。 その表情を見た敏洋は、真緒が自分と同じ心配をしているのだろうと察した。 「安心しろ。ジャコマが起きたときには、俺は寝ていたそうだ」 「そうですか。よかった」 真緒も安堵する。 『なんだいなんだい。またシスターといちゃいちゃし始めて。なんだか気に入らないね。 ――まあいいや。今はそんなことよりも、この体のことだよ。いったい何をしたんだい? ずいぶんと疲れているじゃないか』 「そ……それは」 『性交をしてこうなったのはわかるよ。淫欲がたまっているからね。淫欲を溜めるように頼んだのもアタシだ。 アタシが訊きたいのそこじゃない。 淫魔の体は人間の体とは違う。人間とは比べ物にならないくらいの回数がこなせるし、人間にはまねのできない激しい性交もできる。 その淫魔の体を限界まで使うなんて、いったいどんな性交をしたのか訊きたいんだよ』 「そ、それはだな……」 喰らいつくように問いかけていたジャコマだったが、やっと語気を和らげた。 『ま、そんなすごいことが出来るわけがないか。アタシの目から見て、どう見てもふたりとも初めてだしね。 女の人間と融合するのが本来の姿だからね。男の体と融合したために、淫魔になりきれなかったのかもしれないね。 男の体と融合した女の淫魔なんて、アタシが初めてだから、思いもよらないことが起きても不思議じゃないよ』 つづけて、ジャコマは甘えるような口調で言う。 『正直に言うとね、ご主人さまが集める淫欲に期待なんてしていなかったんだよ。飢えさえしのげればいいと思ってた。 それがどうだい。〈限界まで極めた快感の淫欲〉なんて、最高の淫欲じゃないか。量はほんのちょっぴりだけど、これだけ上質な淫欲ならば満足だよ。 初めてでこれほどならば、経験を積めば、どんどん快感の限界も高くなって、集まる淫欲も多くなるよ』 「とにかく、満足したんだな? ならば……」 『わかっているよ。約束は守る。融合を解くのが、そのまま契約を解消することになるんだよ。 それじゃ融合を解くから、アタシが入っていた書を用意しな』 * ジャコマの書は図書室にあった。 人気がないことを確認して、敏洋たちは礼拝堂を後にした。 外に出ると、空が白み始めていた。秋の大気はまだ、夜の冷たさをそのまま残していた。寒さに真緒は思わず身を縮こませた。 敏洋たちは図書室まで走ると、いそいでドアの鍵を開けて中に入る。 真緒が床に落ちたままのジャコマの書を拾い上げた。 『書を開いて床におきな。開いた方を上にするんだよ』 「ジャコマの書を開いて、床におくんだそうだ」 「こうですか?」 真緒はジャコマの書を床においた。 『そうそう。それでいいよ。 それから服を脱いで……』 「次は服を脱ぐんだそうだ」 「はい」 真緒は修道服を脱ぎはじめた。 『なんでシスターが服を脱いでいるんだよ。 ご主人さまが脱ぐんだよ』 こうしてジャコマは、敏洋に融合を解くための指示をつづけた。 * 融合を解く準備をしながら、敏洋は今夜のことを振り返った。 (騒動でいろいろ振り回されたが、おかけで、真緒の気持ちがわかった。 ジャコマに会わなかったら、真緒の気持ちに気が付かなかっただろうな。 唯一その点だけは、ジャコマに感謝……。 ――ウッ!?) 敏洋が回想していると、突然、胸の奥がむずがゆくなってくる。と思うと、口からゼリー状の物がとめどもなく吐き出された。 「ウウ〜、ゲロゲロ……」 見た目こそ苦しそうだが、とうの敏洋はジャコマに融合されたときと同じような激しい快感に襲われていた。 吐き出されたゼリーの量に比例して、淫魔だった敏洋の体も、本来の男の姿に戻ってゆく。 敏洋の口から出てきたゼリーは、やがて人の形になっていった。 敏洋の口から止めどもなく大量のゼリーが吐き出されたこと。そして、そのゼリーが裸の女性の形に造られてゆき、ついには魔物の姿になったこと。それらを、真緒は体を固まらせながら、ぼうぜんと見ていた。 「ご主人さまの体から出たからね。これで淫魔の契約は解消されたよ」 元の姿に戻ったジャコマは、敏洋に言った。 驚いた顔をしたままの真緒を横目に、ジャコマはすました顔で、敏洋が床に脱ぎ捨てたボンデージを着はじめた。 「はじめましてシスター。 アタシが淫魔のジャコマさ」 服を着おわったジャコマは、その場で真緒の方に体を向けると、誇らしげに胸をはりながら言った。 「ジャコマさん!」 ジャコマの事を呼んだ真緒は、彼女にむかってゆっくりと進み出た。その表情は、緊張に満ちた真顔だ。 「な、なんだよシスター!」 迎えるジャコマは口調こそ強気だったが、その声は震えている。しかもその体は、おののいて引きぎみだった。 ようやく快感も退き、正気を取り戻しはじめた敏洋は、ふたりのようすを見ながら思った。 (魔物退治師は、その名のとおり魔物を退治するのがつとめだ。ましてや、目の前の相手は、俺を淫魔にして、自分を襲わせた相手だ。 しかもここは教会、つまり聖域。魔物にとっては最悪の地形だ。この場所ならば、いくら真緒が見習いの魔物退治師だと言っても、充分に勝ち目はある。 今までは俺という人質があったために手が出せなかったんだろう。だが契約も解消した今、ジャコマを守っているものは何もない。 ジャコマが逃げないのは、淫魔としての誇りか、それとも恐怖にとらわれ足がすくんで動けないのか) 真緒はジャコマの目の前までゆくと立ち止まった。そして、深々と頭を下げる。 「ありがとうございました」 「はあ?」 拍子抜けした顔で、ジャコマは真緒を見る。 「あなたのおかげで、敏洋さんに思いが伝わりました」 真緒は、今夜のことを手短に説明した。 「つまり、シスターはご主人さまの事を好きなのに、ご主人さまは鈍くってまったく気がついてもらえない。それが、アタシが取り憑いたことで、鈍感なご主人さまも、やっとシスターの思いに気がついたということかい?」 「鈍感は余計だが、そういうことらしいな」 ふたりのそばに来た敏洋が言った。 「そう言われてもねえ。アタシはなにもしていないよ。だいたいアタシは魔物だよ? なんで人間同士の恋の手助けをしなけりゃならないのさ。 アタシは単に、自分の腹を満たしたかっただけだよ。それがたまたま、こうなっただけさ」 「しかし結果としては、こうなったんだ。 俺もジャコマのおかげで、真緒の気持ちがわかった。俺からも礼を言う」 敏洋も頭を下げた。 「ごっ、ご主人さま? ま、まあ、シスターとご主人さまが、そういうことにしたいのならば、あたしは別にかまわないけど……」 ジャコマはすこし照れた顔をしていた。 「でも意外だねえ。 アタシは人間から忌み嫌われていて、シスターはアタシたちのことを殺そうしているとばかり思っていたよ。 シスターの中にも、アンタのような人もいるんだねえ」 「わたしも、いままで魔物とは人類の敵で、悪くて、恐い物だとばかりだと思っていました。 だから、さっき初めてジャコマさんを見た時は胸がドキドキしました。 でも、それでもジャコマさんの所まで行けたのは、ジャコマさんには一言お礼が言いたかったから。それと、ジャコマさんを見たとき、いままで見てきた魔物とはちがう感じを受けたからでした。 いままで魔物を見たのは、師匠のマザーに魔物退治に連れていかれた時くらいでした。 そこで見た魔物は、ジャコマさんと違って、それは恐ろしくまがまがしい物ばかりでした。でもそれらは、退治を依頼されるくらいだから、よほど悪い魔物ばっかりだったに違いありません。 だからこうしてジャコマさんに会って確信しました。 魔物にも、いろいろな人がいるんだと。 これからは、魔物を見ればむやみに闘いをいどむのではなく、まず、相手を見きわめたいとおもいます」 真緒がほほえみを見せると、それに応えるようにジャコマも笑顔になった。 それから急に、ジャコマは真剣な面持ちになると、真緒の腕をひっぱって敏洋の元から離れた。 ジャコマはこしをかがめ背の低い真緒の耳元に耳打ちする。 「これでもアタシは男を見る目はあるつもりだ。 あんたはシスターだけど、いいシスターらしいから忠告しておいてあげるけどね。 シスター。ほんとうにご主人さまでいいのかい? アイツ、女心に関して、そうとう鈍感だよ?」 「苦労しそうですよね」 「ほれた者の弱みってやつかい。 はあ。それにしても、男ってやつはどいつもこいつも、恋する乙女の心にたいして鈍感なんだろうねえ?」 「同感です。男の人って、ほんとうに恋愛に鈍いですよね」 「まったく。こればっかりは、魔物も人間も変わらないみたいだねえ」 * 敏洋は、真緒とジャコマをながめていた。シスターと魔物。本来なら犬猿の仲のはずのふたりが、和やかに談笑している。それが彼には、不思議な光景に思えた。 突然、ふたりの顔が同時に、敏洋の方に向いた。 ため息まじりの顔を敏洋に向けるジャコマと、対照的にあたたかい目で敏洋を見てほほえんでいる真緒。 (意気投合していたとおもったら、今度は俺を見てあんな表情をしている。 いったい何を話題にしているんだ?) 敏洋は彼女らを見ながら、そう思った。 * 「それじゃ、アタシは眠らせてもらうよ」 ジャコマは敏洋に言った。 「書物の中で寝ていないと、腹がどんどん減るからね。 腹ぺこだけど、ご主人さまのおかけで飢え死にだけはしなくてすみそうだよ」 「俺もこれでやっと、淫魔から解放されるってわけだな」 「なんだいその言いぐさは。つれないねえ」 「約束通り淫欲は集めたんだ。お前はつぎのご主人さまを捜すんだな」 「こんなに上質な淫欲を集められる体から離れるなんてゴメンだね。これからもずーっと、アタシのご主人さまでいてもらうよ」 「おい、まて! 契約は解消したはずだぞ?」 「そんなもの、なんどでも契約し直せばいいのさ。一度契約した体だから、今度からはすぐに融合できるよ。 でも――」 ジャコマは目を細めて敏洋をみつめた。真緒に聞かれないように、敏洋に小声で話す。 「淫魔の体の快感を知ってしまった今、アタシから離れられないのはご主人さまの方じゃないのかい?」 「ばっ、ばかをいうな! 俺は快感なんかに屈しない」 「ふーん、そうかい? もちろん、ふたたび契約するかどうかは、ご主人さま次第だけどね。 とにかく、淫魔の体の快感は人間ではぜったいに得られないよ。あの快感を求めるなら、アタシを呼び出してふたたび契約するしか方はないからね。おぼえておくんだね」 ジャコマはそういうと背中を向けて、ジャコマの書まで歩きはじめた。 彼女は、ジャコマの書の元まで歩くと、立ち止まり振り返って敏洋たちを見た。 「じゃ、さよならシスター。ご主人さまも。 そうそう、ご主人さま。もしも気が変わったら、いつでも呼んでおくれ。一度契約をしたことのあるご主人さまならば、最初みたいな面倒な呪文を読まなくてもいいから。アタシを呼び出すときは、この書を開いて、アタシの名前を呼ぶだけでいい。 アタシはこの書物で眠っているからね。ご主人さまがアタシのことを呼んでくれるのを、いつまでも待っているよ」 そういうとジャコマは、自分の体をゼリー状にして、ジャコマの書のページの中に帰っていった。 第四幕 終わり/第五幕につづく |