第四幕 その4
JuJu


「真緒っ! スカートを戻せ!」
「……抱いてくれますか?」
「わかった! だから戻すんだっ!」
 真緒は小さく頷き、スカートを下ろした。
『ほう? 女にこんな事までさせるとは。ご主人様も罪な男だねえ』
 ジャコマが口を挟んできた
『それで、本当にあの子と性交をするのかい?』
 俺は口を動かさないように注意しながら、ジャコマに答えた。
「約束だからな。仕方あるまい」
『ご主人様も、ついに観念したわけだ。
 そうは言っても、ずいぶんと辛抱したねえ。なかなか根性があるじゃないか。ここまで我慢するとは思っていなかったから、感心したよ。
 なんか、アンタの事が気に入って来たよ。シスターの次はアタシとやらないかい。あんなガキとは比べ物にならない、大人の秘め事って奴を教えて上げるよ』
「からかうのはよせ」
『からかう? アタシは冗談なんて言わないよ。骨のある男は大好きさ』
「誰が淫魔なんかと」
『おやおや、ずいぶんとつれないねえ……』
「そんなことよりも、おまえに、折り入って話がある」
 俺は、声を潜めた。
「……俺は女の扱いになれていない。だから――」
『皆まで言わなくても良いよ。淫魔のアタシに、色事の教えを請いたいって言うんだろう?
 まったく、人間って奴はいろいろ遠回りをするくせに、結局行き着くところはコレなんだからねえ。まあ、だからこそ、アタシ達淫魔も生きていけるんだけどね。
 いいよ。任せておきな。
 それで、アンタ、女の経験はどのくらいあるんだい? それによって、教え方も変わってくるんでね』
「俺は女を知らない」
『なっ、なっ、なんだってっ!? 女を抱いたこともないのかい? 一人も? まったく?』
「うるさいな。だからこうして、淫魔のおまえに女の扱い方の教えて貰おうとしているんだ」
『そんなんじゃ、アタシ好みのねっとりとした、通好みの性交が出来ないじゃないか!!』
「そんな変質的なセックス、誰が頼んだ! 普通でいいんだ。普通ので」
『絶対に病みつきになるんだけどねえ。さすがに最初からってわけにはいかないか。あの子も、初めて見たいだし。
 はあ……。なんだか興味を失っちまったよ。
 もういいよ。アタシは眠らせて貰うよ』
「待て、ここまで煽って置いてそれはないだろう。
 おまえが指導してくれなければ、俺はどうしたらいいんだ?」
『さてね。ご主人様の体も限界の様だし、このまま放って置いても、淫欲が獲られるだろうしね。なるようになるだろうよ。
 アタシは寝るから、ふたりだけで楽しむんだね。 
 あっ、そうそう。今日の所はあの子に譲るけど、アタシとの性交の事も忘れないでおくれよ。アタシは本気だからね。
 じゃ、おやすみ』
 突然、頭から何かが消えた気がした。開放感と言うか、急に頭の中がスッキリした感じだ。
「ジャコマっ! おい、待てっ!」
 慌てたために、声に出して叫んでしまった。
「どうしたんです!?」
「いや……その……」
 声を上げてしまった以上、ジャコマと会話していたことを隠しきれないだろう。
 そう考えた俺は、真緒に先ほどのいきさつを話した。
「実は……。俺は女と……するのは初めてなんだ。
 そこでジャコマに助言をさせようとしたんだが、ジャコマの奴、飽きたから寝るなどと言って、俺の頭の中から消えてしまった。
 そそのかしておいて、いざと言う場面になったら消えてしまうなんて、まったく勝手な奴だ」
 ジャコマがいなくなったと聞いた途端、真緒の表情が明るくなった。
「それじゃ、今は、敏洋さんと二人っきりなんですね?」
「そういう事だ。
 しかし、ジャコマの指導がないとなると、俺はどうしたらいいのか分からん」
「大丈夫ですよ。わたしも初めてですから……」
「何が大丈夫なんだか」
 俺は苦笑した。
 それから俺は真顔になり、真緒に確かめるように言う。
「おまえの気持ちは確かに受け取った。だが、俺は、おまえのことが好きかどうかわからない。
 わかっているのは、今の俺は淫魔だと言うことだ」
 俺の言葉を聞いて、笑顔だった真緒の表情が曇った。
「淫魔……?」
「ああそうだ。今の俺は淫魔だ。
 俺のこの気持ちさえも、淫魔の肉体の影響なのかもしれない。
 真緒とこれからする事だって、性欲をむさぼるだけで、愛なんて物は、無いのかも知れない。
 それでも、いいのか?」
「敏洋さんは淫魔なんかじゃありません」
「この女の体を見てみろ。それに黒い翼もある。どうみても淫魔だろう」
「そんなの関係ありません。敏洋さんは人間です」
 真緒は強い瞳で俺を見た。それから、あわてて目をそらして、視線を床に落とす。
「――淫魔なのは、わたしの方です」
 自嘲するような寂しいほほえみが、彼女の顔に浮かぶ。
「わたしはずーっと前から、敏洋さんの事を思っていました。
 それなのに、突然現れたジャコマさんが、わたしよりも敏洋さんに近いところに居着いてしまった。
 それが、悔しかったんです。敏洋さんをジャコマさんに盗られたような気がして。
 おかしいですよね。別に恋人同士って訳でもないのに。敏洋さんがどこで誰とつき合おうと、いつ誰と何をしようと勝手なのに。
わたしが、勝手に片思いをしていただけなのに。
 それでも、わたしはどうしても許せなかった。我慢できなかった。
 だから、理由を考えたんです。きっと敏洋さんは、ジャコマさんの色香に魅惑されたんだ、と。
 ほら、わたしって背が低いじゃないですか。だから、敏洋さんの言う、モデルのようなスタイルのジャコマさんがうらやましかった。そして、その体を使って、男を弄ぶなんて、ずるいと思いました。なんて嫌な人なんだろうと思いました。
 でも、それ以上に、敏洋さんを奪われたくなかった。
 敏洋さんが女の色香に弱いのならば、自分も女の色香を使うしかない。たとえどんなに汚い、卑怯な手を使ってでも、ジャコマさんには負けたくなかった。
 だから、脚を見せたんです。わたしの体の中で、唯一、ジャコマさんに勝てるかもしれない所。
 そのあと、ジャコマさんが消えたと聞いて、勝ったと思いました。色香でジャコマさんを負かして、敏洋さんを奪い返した、と。
 そこまで考えて、敏洋さんの言葉を思い出したんです。言いましたよね? 敏洋さんがわたしの思いに気付いたのは、ジャコマさんのおかげだって。
 わたしの知っている魔物は、どれも凶暴で邪悪で、人々の敵だった。今回だって、敏洋さんを淫魔に変身させて、人間を襲わせようとした。
 でも、そんな魔物がどうして、人間同士の恋仲を取り持つようなことをしたんだろう? 魔物が、どうして、わたしの思いを敏洋さんに伝えたんだろう?
 そこで、こう考えたんです。
 もしかしたら、人間だっていい人も悪い人もいるように、魔物だって全部が悪者なわけじゃないのかもしれない。ジャコマさんは、ちょっとイタズラが好きなだけで、本性は善人なのかもしれない。
 そう考えると、納得できるんです。
 ジャコマさんは、わたしと敏洋さんの仲をお膳立てしてくれた上に、最後には気を利かせて二人だけにしてくれたのだ、と。そうじゃないと、ジャコマさんが突然いなくなった理由がつきません。
 だとすれば、わたしたちの仲を取り持ってくれたジャコマさんって、魔物なのに、恋を司る天使のよう……。
 その逆に、わたしは、敏洋さんを奪われないように、女の色香を使って、男を弄ぼうとしていた。これって、淫魔そのものじゃないですか。
 ジャコマさんよりわたしの方がよっぽど、淫魔じゃないですか。
 だけど、今は、違います。
 ジャコマさんの心遣いで、気がつきました。
 わたしは敏洋さんが好きです。好きだから抱いて欲しいんです。抱いてくれるだけでいいんです。それ以上、何も望みません」
 彼女の気持ちが、俺の心に共鳴してくるのが分かった。
 再び抗いようのない淫欲が沸き上がってくる。だが、その淫欲は、彼女の脚を見た時に込み上げてきた、肉欲とは違っていた。今度の淫欲は、真緒が愛おしく感じ、彼女と心を重ねたいと思う、そんな透明な気持ちだった。
「――本当にいいんだな」
 俺の問いに、真緒は頷いた。


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