第二幕 その2
JuJu


「契約の儀式は始まっているんだ」
 ジャコマは粘った声で言った。
(声から察するに、崩壊は体内まで及んでいるらしいな)
 敏洋は恐怖に高ぶる気持ちを抑えつけ、落ち着いた目で相手を見ようとした。
 改めてジャコマの姿を観察する。もともと容姿端麗の美人なため、溶けかけていてもやはり美しかった。むしろこの事が、彼女の妖艶さを際だたせている。
「一緒に気持ちのいい事をしようよ。ご主人様だって、気持ちのいい事は好きだろう?」
 ジャコマのしっとりとした声が、耳に心地よい。
「相手が魔物でなければ、俺も喜んで誘惑にのるんだがな」
 動揺を悟られない様、敏洋はうそぶくように言った。
「そんなことは気にしなくていいのさ。
 アタシにまかせておきな。
 人間の女が相手じゃ味わえない、極上の快楽を教えてあげるよ」
 ジャコマは楽しそうに、敏洋の目を見つめた。
 不思議な輝きを持った美しい瞳。見つめられていると、相手が人間だとか魔物だとか、そんな事はどうでもよく思えてくる。
(いかん。これもまた、ジャコマの魔の力かもしれない)
 冷静にジャコマの動向を見極めようとしていいたはずなのに、いつの間にか彼女に心を奪われそうになっていた自分に、敏洋は気がついた。
 敏洋はジャコマから目を逸らそうとした。だが、意志に逆らって、目が勝手にジャコマの瞳を追ってしまう。
(そう何度もやられてたまるか!)
 敏洋は目を閉じた。
 耳を澄まして、ジャコマの気配をうかがう。
(視覚を奪われたのは辛いが、誘惑にのせられるよりはましだ)
 すると、口に柔らかい物が当たる感触がした。
「!?」
 異変に気がつき、敏洋は薄目を開けて様子を見た。だがその目はすぐに、驚きのために思いきり見開かれることになった。
 ジャコマが顔を近づけて、口づけをしていたのだ。
 ジャコマは敏洋の口を吸い、さらに押し広げて舌を入れてきた。彼女の舌が敏洋の口の中でうごめき回る。
 それだけではない。ジャコマが言っていた特殊な能力なのだろう、舌の当たっている場所から、快感が流れてきた。それは淫魔が相手でなければ味わえない、人知を超えた快感だった。
 ジャコマのもたらすその快感の前に、あれほど警戒していた敏洋は、いとも簡単に堕ちた。性欲を操る淫魔がもたらす快感の前で、ただの人間が抵抗などできるはずもなかった。
 ジャコマの舌は、敏洋の口の中を確かめるようにうごめき回った。やがて口内の探索に飽きたのか、舌を伸ばして敏洋の喉の奥を突き始めた。
 ジャコマの熱い舌が敏洋の口と喉を埋め尽くした。舌が前後に動くたびに激しい快感がわく。特に喉の奥を突かれた時の快感は堪えがたい物になっていた。
 いつの間にか、敏洋はジャコマのもたらす快感に身を任せきっていた。永遠にこの快感の世界に浸っていたいとさえ思っていた。
 敏洋の希望を叶えるように、ジャコマの舌はさらに伸び、喉を越え、ついにその奥まで入り込もうとしていた。
 その時だった。
『魔の物の魅惑に負けちゃだめです! 正気に戻ってください! 敏洋さんっ!』
 真緒の声が、頭の中で響いた。
 同時に、今まで快楽だと思っていた行為が、一瞬にして苦しさに裏返った。
 口は限界まで押し広げられて軋(きし)み、口から喉までジャコマの舌で埋め尽くされているために息苦しく、何より喉の奥に舌が当たる感覚は強い吐き気を催した。
 息苦しさと、むせ返る辛さ。さらに相手が、魔物だと言うことを思い出して、敏洋はジャコマを強引に引き離した。
 そこには、開いた口の中から男根を生やしたジャコマがいた。いや、よく見れば、彼女の舌が男根の形に変形しているのだ。その形は男の物そのもので、血管が浮き出て脈を打っている所までそっくりだった。しかも、男の敏洋でも見たことのない様な、長さと太さを誇っていた。
 それが敏洋の口の中に入っていたのだ。
 男根は舌に姿を戻し、素早くジャコマの口の中に帰った。
「アタシって、そんなに魅力がないかい?」
 ジャコマは、わずかに眉を寄せた。
「そんなはずはないよねぇ?
 ご主人様だって、気持ちよかっただろ?
 さあ。つづきをしようよ」
 ジャコマは気を取り直すとほほえんだ。
 舌なめずりをしながら、顔を近づけてきた。
 ジャコマが口を大きく開くと、舌が敏洋の顔に向かって伸び始めた。舌は伸びつつ、再び男根に変形をし始める。
 敏洋は両手で、ジャコマの頭を掴んだ。崩れ掛けたジャコマの頭は、腐った果実の感触がした。
 頭を掴まれても、ジャコマは強引に近づこうとしていた。そのため敏洋は、力を込めてジャコマを引き離そうとした。だが、力を入れた途端、敏洋の指がジャコマの頭にのめり込んだ。見ると彼の十本の指がすべてジャコマの頭に突き刺さっていた。
「うっ……」
 敏洋は吐くような悲鳴を上げた。指を抜こうとしたが、恐怖に腕が硬直して、思うように動かない。
 一方ジャコマは、頭に敏洋の指が刺さっていることを気にせずに、再び進行を始めた。
 その結果、敏洋の十本の並んだ指が、刃物のようにジャコマの頭を薄切りにしていった。体温の様な生暖かさを持ったゼリー状の物が指をすり抜けていく。敏洋は、ジャコマの頭が自分の指の間を通っていく感触に震えた。
 ジャコマの頭は、えぐられ、引き裂かれ、それでも突き進み、ついに敏洋の顔の目の前まで来た。
 敏洋の目の前まで来たジャコマは、うれしそうに微笑んだ。
 同時に、ジャコマの頭は、十本の指でえぐられている部分から崩れ始めた。
 ジャコマの顔は、敏洋を見つめる笑顔のまま、目の前で崩れ、滝のように落ちていく。
 薄切りにされたジャコマの頭は、床に重なって落ちる。頭は床に当たったショックで潰れ、ゼリーのかたまりになっていった。
 さらに頭から始まった崩壊が連鎖し、ジャコマの肩から胸、腹、脚と、全身が崩れ落ちていった。
 ついにジャコマは、床の上に盛られたひとつの巨大なゼリー質の固まりになった。
 敏洋はしばらく、褐色に透き通った床のゼリーを眺めていた。
 やがてゼリーがまったく動かない事に安堵すると、いまだに震えが止まらない手で机の下に落ちているジャコマの書を拾った。
 机の上にジャコマの書を置くと、イスに身を投げるように座った。
「ふぅ……」
 しかしすぐに、異様な気配に敏洋は振り向いた。
 そこには、巨大なゼリーの固まりが、床をはいずって敏洋に向かっている所だった。
「ジャコマ? 生きていたのか……!」


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