第二幕 その1
JuJu


「ジャコマ……? 表紙に書いてあった文字と同じだ!」
 書物の中から人が出てくる、しかも出てきたのは魔物。
 目の前で起こった事件は、常識ではとても理解の及ぶ物ではなかった。当然敏洋にとっても、異常な出来事として目に映った。
 それでも冷静な対応をできたのは、予想のつかない事が起こるかもしれないと、あらかじめ心構えをしていた為だろう。あるいは、ジャコマの書を監視する者としての義務感が、彼の精神を支えたのかもしれない。
 敏洋は頭を振って混乱を払うと、ジャコマへの問いかけを開始した。
「お前は何者だ? 何をしにここに来た? いや待て、まず一番に聞きたい点は、どうやって書籍から姿を……って、ワッ!?」
 尋問の途中で、敏洋は目を見開いて驚いた。
 ジャコマは敏洋の尋問など無視して、両手で自分の着ているボンデージの胸元のカップを掴んでいた。さらに、何のとまどいもなく、敏洋の目の前で自分の手で、その胸のカップを外した。下着などの類は何も付けていないらしく、途端に彼女の褐色の肌の形のよい大きな胸が、プルンと勢いよく揺れながら現れた。
「ジ……ジャコマ……。何を……?」
 敏洋の目の前に柔らかそうな胸があった。大きいが、垂れることなくツンと突き出ており、その先端には、桃色の乳首がついていた。
 とうのジャコマは、胸を見てあわてふためいている敏洋に気が付き、「ん? どうしたんだい?」とつぶやくように言い、不思議そうな表情をして敏洋を見ていた。
「あ、いや、俺は……別に……、見ていない! 見ていない!」
 敏洋は、自分がジャコマの胸に眼を奪われていた事に気がつき、顔を真っ赤にして、自分はやましくないと言うことを全身を使って表現しようとしていた。が、ジャコマは胸を見られたことなど全く気にしていない様子だった。彼女は、男の視線や言い訳など気にせず、手を休めることなくボンデージを脱ぎ続けていた。
 やがて、ボンデージを脱ぎ終わり、履いている白いパンツがあらわになる。
 ジャコマの体には、文様の様な入れ墨が刻まれていた。それはまるで、蔓草(つるくさ)が彼女の体に絡(から)み付いている様だった。それもまた、彼女の醸し出すエキゾチックな雰囲気に似合っている。
 ジャコマはガーターベルトから伸びる黒いストッキングと、股間の秘所を隠すパンツだけの姿になった。
「あ……ああ……」
 敏洋の驚きをよそに、ジャコマはストッキングも脱ぎ、さらに、パンツから脚を抜き、ついに着ている物のすべてを脱ぎ捨ててしまった。
 ジャコマは、腕をダラリと垂れていた。そのため、胸も股間も、彼女の裸体は隠されることなく敏洋の目に映っている。
 一糸纏わぬ姿で立っているジャコマを見て、敏洋は言った。
「な、なぜ服を脱いだ!?」
「なんでって……、そりゃあ、これから契約をするからだろ?」
 敏洋を見るジャコマの瞳に、妖艶な色がともった。
 体をくねりながら敏洋に近づく。
 舌なめずりをすると、細い指先で敏洋の頬を押さえ、口を重ねた。
 ジャコマの柔らかい胸の感触が、敏洋の服を通して彼に触れる。
 敏洋はすでに、ジャコマの言う契約と言うのが、男女の仲でする行為だと言うことらしいことに気が付いていた。そして、敏洋も男だった。それを拒否する事が出来ない。
 彼は鼓動が激しくなるのを感じた。
「あんたもアタシと契約するために、呼び出したんだろう?
 本来ならば、処女の女じゃなければ、どんなに強力な呪文を唱えたってアタシは呼び出せない。
 それを、男のくせに、アタシを召還したなんて。
 どうやったのか知らないけれど、大した人だよ。本当に」
 ジャコマの言葉に、敏洋は真緒の事を思い出した。
 そうだ。相手は真緒の呼び出した魔物なのだ。
 色仕掛けに流されそうになったが、どんなに色っぽくても、目の前にいるのは人間じゃない。
 敏洋は後ずさりをし、ジャコマから距離を置いた。
 敏洋の戸惑いに気が付いたらしく、ジャコマは言った。
「アタシの事を不審に思っている様だね。まあ、仕方ないか」
 ジャコマもゆっくりと後ずさった。
「アタシは淫魔」
「淫魔?」
「そう。アタシは人間との性交を糧に生きる魔物。つまり、人間の性欲を喰らって生きているのさ。
 その様子だと、アタシが淫魔と知らずに呼び出したのかも知れないね。けれどね、呼び出された以上アタシだってタダでは戻れないよ。最低でも一度は性交をしなければね。それも満足のいく、たっぷりとした濃厚なのをね。
 アタシの事は分かったかい? じゃあ、さっさと契約をすまそうか。久しぶりに男を目の前にして、腹が減ってしかたないんだよ」
 そう言うと、ジャコマは静かに近づき、手際よく敏洋の着ている服を脱がせていく。
 敏洋が気がつくと、すべての服は脱がされてしまっていた。
 ジャコマも敏洋も、互いに一糸も纏わない姿になった。
 ジャコマが敏洋の目の前に立つと、いままでの妖艶な笑みが消え、急に真剣な表情になった。目を閉じ、呪文の様な、なにやら聞いたことのない言葉を口ずさみはじめる。
 ジャコマは呪文をとなえながら、再び両腕を敏洋の頭に伸ばした。敏洋の頭をやわらかく掴むと、彼の口を自分の唇に寄せ始めた。
 敏洋の頭は、ジャコマの唇で満たされた。彼の瞳は、呪文に合わせて艶めかしくうごめく、ジャコマの口だけを見つめている。その唇の動きは、まるで催眠術師が使う振り子の様に、敏洋を逆らいようのない夢心地にいざなった。敏洋は目を閉じ、ジャコマに身を任せようとした。
 その時、敏洋の脳裏に真緒の姿が映った。一瞬の事だったが、彼女は敏洋に向かって、何かを訴えて叫ぼうとしていた。
「真緒……?」
 敏洋は閉じていた眼をわずかに開いた。
 ここに真緒がいるはずがない。目の前には、ジャコマの顔があるだけだった。あるいは、真緒を一人教会に残して、自分だけ色事に更けようとした罪悪感が、彼女を思い出させたのかもしれない。
 しかしジャコマの魅力にはかなわず、敏洋は再び目を閉じ、快楽に任せようとした。だがその時、彼はぼんやりとした薄目の先に見える、わずかな変化に気がついた。
 何かがおかしい。
 とっさにそう感じた敏洋は、快楽の誘惑を払いのけると、目を大きく開いた。
「?」
 一瞬、ジャコマの顔の輪郭がゆがんだ気がした。
 気のせいかと思って、ジャコマの顔を見つめた。
 今度は彼女の肌がしだいに、人の物からゼリーの様な透明な光沢を持つものに変わってゆくのを見た。
(見間違いなどではない!)
 そう思った刹那、ジャコマの顔が、敏洋の目の前でドロリと溶けた。
 赤い唇も、とがった耳も、髪も鼻も、滴るようにゆっくりと溶けてゆく。
 ジャコマが本から出てきた時と同じ様に、彼女の体は再び、ゼリー体に戻りつつあった。
 敏洋はジャコマを振り払って離れた。
 見ると頭だけではなく、体全体がゼリーのように溶け始めていた。
「おや? 目を覚ましたのかい? アタシの魅惑の術が効かないとは、さすがはアタシのご主人様だ。
 でも、もう……遅いよ」
 ジャコマは、溶け続ける口の端をつり上げて、イタズラっぽくニヤけた。


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