関東近県に位置する、某巨大地方都市。
ここでは最近、ある出来事が取りだたされるようになった。

そもそもの発端は『剥き出しマント男』と呼ばれる変質者の出現だった。

この人を小馬鹿にした様な通称『剥き出しマント男』こと
「マントを羽織った顔の皮膚が剥き出しの人物を見た」
と言う人が街に急増したのである。

しかしおかしな事にこの人物は特に誰かを襲う訳でもなく、
ただ目撃者の方を見つめるだけ、しかもその目撃者の年齢、性別、職業、
目撃時間及び場所等は全く異なっており、おまけにそれを見たのは一度きりだと言う。

…この奇妙な都市伝説。

一時は集団催眠やノイローゼの一種かと一笑にふされる事もあったが、
ある事件からこれは大きく社会問題化していく。

それは以前にその『剥き出しマント男』を見た人物達が、
ごく短い期間に別人の様になってしまったと言うのだ。

貞淑だった女性がガサツな男性の様に。
快活だった男性が色情狂いの女性の様に…。
大人しく落ち着いた女性が暴力的に…。

まるで人格を書き換えられた様に以前とは異なったのだと言うのだ。
しかもその事については頑なにしゃべろうともしない。

それらの情報は彼らの家族、親類、恋人及び職場からの
悲鳴にも似た通報によりマスコミを介し、世間に知れる所となったが、
それでも俺はそんなオカルトチックな迷信を信じる事が出来なかった。



少なくてもこの目で見たあの日までは…。



「マント」
作 あさぎり




数日前、俺が自分のアパートで寛(くつろ)いでいると
いつもの様に彼女の『由香里』がやってきたのだが、
その表情はいつになく真剣…そして少し脅える口調でこう話し始めた。

「ねぇ、アタシついに見ちゃったの…」
「何がだよ?」
「例のアレ…『剥き出しマント男』よ」

「あぁ〜あのテレビでやってた奴か、
確か『剥き出しマント男を見かけたらその後、別人みたいになっちゃう』
ってのだろ?気にすんなよ、どうせヤラセに決まったるじゃん!」

俺はそんな彼女の様子を気に止める事無く背中ごしに答える。
すると彼女は少しだけホッとした顔でその場にしゃがむと
近くにあったクッションを抱えこんだ。

「…そうだよね、うん、そうに決まってるよね
自分が別人みたくなるなんて、そんな事ある筈ないもんね」
「あぁ。つか、何お前そんな迷信しんじてんの?ヘンな奴〜」
「悪かったわね、もぅ〜」
「あはは、ワりィワリィ〜☆」

冗談交じりの会話でじゃれ合いながら一気に場が緩んだ所で、
俺達はいつもの様にお決まりの手順を繰り返すと、
ベットの中でお互いの体を求め合った。



「でもさ、もしアタシが別人みたくなってもアタシの事捨てないでね」
「馬っ鹿、当たり前だろ!お前が泣いて別れてくれって
頼んだってお断りするつもりだぜ、俺は」

寝そべったまま、吸っていたタバコをもみ消すと由香里の頭を軽く撫でる。
すると彼女はそのまま顔を俺の胸元にうずめて小さくつぶやいた。

「うん、アリガト」
「…こちらこそ」

それから先、俺達に言葉はいらなかった。

時計の音とそれ以外は何も聞こえない部屋で再び体を重ね、
いつしか俺達はゆっくりと流れる時間の中で深い眠りについていた。



「…………」
(…………)

「……うくっ………ぅっ!…」
(……………………ん?…)

「うぅっ…うん…うむぅ!…うんっ…」
(んんっ…あれ、アイツ起きてるのか?)

しばらくして近くで聞こえる奇妙な声に気付いた俺は、
寝ぼけ眼でとなりを向くとそこでは信じられない事が起こっていた。

何と由香里が何モノかに馬乗りにされ、床に押さえつけられている。
しかも押さえつけているのはマントを着た人物…!?

(もしかしてこれが『剥き出しマント男』!?)
俺はパニックになりながら必死に由香里に近づこうとするが、
恐怖のあまり指一本動かすどころか声をかける事すら出来ない。

そうしている間にもマント姿の人物は床に突っ伏した由香里の口を
無理やりこじ開けると自分の手をその中に滑り込ませていく。

「ん〜っ、んん〜んんっ…!!」
口の中に無理やり詰め込まれた由香里は苦しみに顔を歪ませながら、
必死に吐き出そうとするがそれも長くは続かなかった。

「………………。」
やがて一切の抵抗を失い、まるで蝋人形の様にその場に横たわる由香里を
確認したマントの人物は少しだけ口元を緩め、すっと立ち上がる。

そしておもむろにマントをその場に脱ぎ捨てると中は…。
剥き出しの顔と同じく、全身剥き出しのまるで人体模型の様だった。
しかも月明かりを浴びたその身体は血管や筋肉の筋がピクピクと
生々しく照れらし出されている。

「ああっ…うぅ……」
しかも『剥き出しマント男』は口が不自由なのか、
一切言葉を発さず、苦しそうなうめき声を上げるのだった。

やがて男はおもむろに由香里の頬を掴み上げるとまるでヨガの達人の様に
自分の体の骨を外して、そのまま半開きの口の中に潜り込んで行く。

「ネチャ…ヌプッ…ヌチッ……」
「うぅぅ…うっ…うくっっ!?」
「チャ…ヌチュ……」
「うぅぅ…もがっ!?」

薄暗い部屋の中では静寂と喧騒が交差し、
俺は目の前で起こってる出来事を傍観する事しか出来なかった。



「おんっ…うぷっ…ぷぁっ!!」
数分もしないうちに『剥き出しマント男』は由香里の体の中に
完全に入り込んでしまった。その証拠に由香里のお腹は妊婦の様に
大きく膨らみ、張り裂けんばかりになっている。

「おっ、おい…由香里?」
俺は勇気を振り絞って声を掛けるが、
恐怖と混乱のせいでとてもまともにしゃべれゃしない。

「…………うぷっ!?」
そんな俺を無視する様に由香里は大きくなった腹を擦りながら
口の中に指を突っ込み、今度は何かを吐き出そうと必死になっている。

「うぐぅ…おええぇぇ…!!」
しばらくして涙混じりの嗚咽と共に吐き出されたのは、
由香里の中に入り込んでしまった『剥き出しマント男』だった。
月明かりに映る血管や筋肉の筋は吐き出された時の唾液のせいか、
先程よりひと際艶めいている。

「はぁ、はぁ…ふぅぅ…」
一仕事を終えた様に肩で息をしている由香里。
しかしその表情は何かを確信した奇妙な笑顔だった。

「おい…由香里、大丈夫か?」
「くっくっくっ…あっはっはっはは…」

俺の声が届いていないのか笑い声を上げる由香里。
しかもその声は次第に大きくなっていく。

「ははははは!…ついにやったぞ!!
これで俺はあのマントとおさらば出きるんだ!
しかもこんなキレイな女の体に…あっはははははは!!」

由香里はまるで気が触れた様に大声で高笑いしている。
そして側には由香里から吐き出された『剥き出しマント男』
いや、先程よりもあきらかに小さく、全体的に丸みを帯びた体つき。

(もしかして…まさか、そんな!?)
不安を覚えた俺の表情を目ざとく察したのか、
一頻(しき)り笑い終えた由香里がもったいぶった口調で話し始めた。

「おい、お嬢ちゃん!そしてそこで腰を抜かしてる兄ちゃんもよ〜く聞けよ。
信じられないかも知れねぇが、俺も奴を見かけた日の夜に自分の姿を奪われたんだ。
そう、今噂になっている『剥き出しマント男』の奴にさ。

もっとも俺は眠ってる間にだったけどな…信じられるかい?
気がついたら目の前に自分が立っていて、
自分の体は剥き出しの体になってるんだぜ」

「……………。」
俺は彼女の豹変ぶりが理解できずに呆然と戸惑うが、
そんな事お構い無しに話を続ける由香里。

「多分、俺の姿を奪った『剥き出しマント男』は女だったんだろうな。
やけに女々しい口調がだったのを憶えてる。

しかもソイツは言ったよ。
『私も自分の姿を奪われた被害者なの…辛いでしょ?苦しいでしょ?
剥き出しの神経は風が触れただけでも針が刺さった様に感じるでしょ?
だからアナタの中へ入らせてもらったわ…』ってな!」

吐き捨てる様に言い放つと剥き出しの体の由香里(?)に近づき、
アゴをクイッと持ち上げながら諭す様につぶやく。

「何もアンタに恨みがあった訳じゃないんだ。
たまたまアンタが俺を見かけて、俺がアンタに目をつけた…それだけの事さ。

ただこれだけは言わせてくれ…俺も、もう耐えられないんだよ!
大体、訳もわからずこんな剥き出しの体にされて、
今まで気が狂いそうだったんだ。鏡に映る自分の顔、刺す様に伝わる風の感触、
焼け付く様な日差し…そして何より耐えられねぇのは全てを避ける為には、
この道化みたいなマントを被るしか方法がないって事にさ!
朝も!昼も!夜も!それこそピエロみたいにな!!
…だから俺は従ったんだ…前の奴がやったみたくな」

一人芝居の様に陶酔した口調で話し続ける由香里。
その姿はまるで罪を抗う犯罪者の告白の様にも見えた。

「アンタもそのマントの呪縛から逃れたかったら、さっさと他の人間に潜り込みなよ。
そうすればちっとばっかは姿は変わっちまうけど、普通の生活は送れるぜ。
まぁ、代わりに潜り込まれた方はまた別の体を捜さなくちゃならねぇけどな。
ちょうど、今のアンタみたいにさぁ…あっはは!!!!!」

口元の端をニヤリと持ち上げていやらしい笑みを浮かべる由香里。
それは今まで見た事の無い表情だった。

「もっとも何か反論したくてもその剥き出しのまんまじゃ、
上手くしゃべれないだろ?俺もそうだったんだから良く分かるぜ。
…それとそこのアンタ!」

「!?」
自分の彼女からの思わぬ「アンタ」呼ばわりに言葉を失う。

「兄ちゃんにも悪い事したなぁ〜ホントはアンタが眠ってるうちに
穏便に入れ替わっちまおうと思ったんだが、予定が狂っちまってよ。
そうすれば急に人が変わっちまっても『女って勝手だよね☆』って事で
済ませられたのになぁ〜あっはははははははははははは!!!!」

口から垂れるヨダレを手で拭いながら由香里の姿を奪った元『剥き出しマント男』は
勝ち誇った様に俺達を見下ろしながら再び高笑いをし始めたのだった。



あれから三ヶ月後…。

由香里の姿を奪った元『剥き出しマント男』は消えうせ、
この部屋には俺と剥き出しの体のままの由香里が残った。

風の噂ではあれから由香里の姿のマント男は
住んでいたアパートを引き払い、以後消息不明だと言う。

一時はあの男の言った様に由香里を他の誰かの中に潜り込ませもうかと
考えたが、それではまた他の誰かが不幸になる…そう考えてこの姿のままで
いようと決心したのは他ならぬ由香里自身だった。

すでに満足にしゃべる事の出来なくなった口と
今までと同じ優しい目で…。

あの日以来、『剥き出しマント男』が街を脅かす事は無くなり、
すでに人々の記憶からも忘れさらえれようとしている。

「でもさ、もしアタシが別人みたくなってもアタシの事捨てないでね」
「馬っ鹿、当たり前だろ!お前が泣いて別れてくれって
頼んだってお断りするつもりだぜ、俺は」

今や剥き出しになった顔を恥らう様にマントをフードを深く被った由香里の肩を
そっと抱きながら俺は最後の言葉を噛み締めていた。


END


 

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