影 武 者
 作:虎9


東京近辺にある某高級ホテルのスイートルーム。
一般客はもちろん、ホテルの従業員の限られた人間しか入ることが許されないこの場所でぼくはスーツケースを持ちながら部屋のカードキーを使って中に入った。

ぼくは、フリーの工作員だ。
名前は「影武者」、これがぼくのコードネーム。
ある人物に変装してその人の影武者になるのがぼくの任務。
今回もある人物の影武者になるためにこのホテルにやってきた。
部屋に入るとぼく以外の人間は誰もいない。
ぼくは早速仕事に取り掛かるためにスーツケースの中身を取り出した。
中に入っていたのは、女性の身体を模ったボディースーツと美少女とも言うべき女の子の生首みたいなスキンヘッドのマスク、そして真紅のドレスとブロンドのロングヘアーのウィッグだった。
ケースの中身を一通り取り出したぼくは、他に足りないものは無いか確認した。

「今回は、彼女か。何せ国民的女優の影武者だからな。気を引き締めないと」
このスーツとマスクのモデルは、ぼくが良く知る女優・美月 アリス(みつき・ありす)だった。
彼女はぼくと同い年ぐらいだが、出演する映画やドラマが次々に大ヒットし、いまや国民的女優の地位に立っている逸材だ。
今回、東京国際映画祭が行われることになったのだが、出席予定だった彼女は過労で倒れ、出席することが困難になってしまった。
何せハリウッドスターも出席する祭典に、国民的女優が姿を現さないのは、日本映画界の名折れだとして彼女が所属する芸能プロダクションからぼくにアリスの影武者になって欲しいと依頼されたのだ。
現在入院中である依頼主の本人にも直接会って、必ず依頼を成功させることを約束した。

「さて・・・着替えるか・・・」
ぼくは着ていたスーツとワイシャツを脱いで全裸となった。
スーツをケースの中に仕舞ったら、今度は慣れた手つきでボディースーツに体を通していく。
足の指はもちろん両脚をスーツの中に滑らせてスーツにフィットさせていく。
下半身をスーツの中に納めるのは一悶着があるのだが、少し我慢すれば下半身とウエストは見事に女性へと変化した。
その後も両腕をスーツの中に通し、はちきれんばかりの大きな胸を自分の胸にくっつけた。
首の付け根までスーツを着込んだら、背中のファスナーを閉めてスーツの着用は完了した。

首から下が女になったぼくは、まずスーツがちゃんとフィットしているかを確認した。
胸やお尻などをあちこち触り、感触を実感できたので自分の身体と一体化できていることが確認できた。
さて今度は服を着替える作業だ。
少々際どい紐パンとヌーブラを取り付け、紐パンの上から黒のタイツを穿き、今度は真紅のドレスを身につける。
背中がパックリと開いているのでファスナーが丸見えになるのではないかと不安になるが、このスーツは変装が完了するとファスナーが見えなくなる特殊な構造なので問題ない。
身体を真紅のドレス、両腕には純白のサテンロンググローブを纏い、10センチ以上はある赤いピンヒールのハイヒールを履き終えた。

いよいよ着替えも終盤に差し掛かる。
ぼくは先ほど脱いだスーツのジャケットの中から、青色のコンタクトレンズを取り出した。
アリスの瞳の色はコバルトブルーなので、瞳の色が違っていたら即座にぼくがニセモノだとばれてしまう。
そのためにもぼくは自分の目にコンタクトレンズをはめて、自分の瞳の色をコバルトブルーへと変えた。
さあ、いよいよマスクの登場だ。
マスクを手に取り、マスクのファスナーを開いて両手で引っ張りながら自分の顔にマスクをかぶせた。
目、鼻、口の位置をしっかり確認しながらマスクを被り、完全に被り終えたらマスクのファスナーをおろした。
マスクはぼくの顔にピッタリとフィットし、ぼくは自分の顔にマスクが吸い付く感触を味わった。
こういうのもなんだけど、ぼくは変装するときに自分の顔がマスクに引っ張られる感触がとにかく好きだ。
こうしてマスクはピッタリとぼくの顔に張りついた。

両手で頬を引っ張りながらマスクのしわを伸ばし、首の付け根とマスクの付け根をいつも使っている接着剤でくっつけた。
その作業が終えると、ケースの中から化粧道具を取り出し、マスクと地肌の境界線がある目元をしっかり化粧を施した。
マスクと地肌の境界線が分からなくなれば、今度はアイラインとマスカラ、口紅を塗り、眉毛も丁寧に放物線を描くように書いていく。
化粧が済んだらいよいよウィッグを取り出して、マスクの上からウィッグをかぶせていく。
髪の毛が長いので取り付けるのはかなり苦労するが、ヘアブラシで調整しながらウィッグを取り付けた。

こうして変装は完了した。
設置された姿見を見ながら自分の今の姿を確認する。
そこには先ほどのスーツ姿だった男の自分ではなく、真紅のドレスを身に纏った美女へと変身した自分がいた。
これでぼくは、依頼主である女優の影武者となったわけだ。
「ん、ん、アー、アー。わたしは美月 アリスです。よし!ボイスチェックもばっちり!」
鏡を見ながらアリスの声で発声練習をしてみる。
透き通るような美声に若干心躍るが、これで発声練習も完了だ。
「いつ見ても完璧だわ。やっぱり影武者の才能あるわね、わ・た・し♪」
鏡の前で独り言を言いながら、ぼく、いいえ、わたしはニッコリと微笑んだ。

コン!コン!コン!

鏡の前で立っているとドアのノックが聞こえてきた。
「どうぞ。」
わたしが答えると、一人の女性が部屋の中に入ってきた。
わたしのマネージャーだ。
「アリスさん、そろそろ時間です」
「分かったわ。すぐ支度するから外で待っててちょうだい」
「分かりました」
マネージャーを外で待たせたわたしは、用意されたアクセサリーを身につけ、クローゼットにかかってある毛皮のコートを着て、部屋を出た。
外に出るとマネージャーと共に強面のSPも待機しており、わたしは彼らに付き添われて入り口で待機していたロールスロイスに乗り込んだ。
「今回、ご依頼を受けていただきましてありがとうございます。なんとしてでもこの映画祭を成功させたいので、どうかよろしくお願いします」
車に乗り込むとすぐにマネージャーがわたしにこう言った。
彼女は、わたしが影武者であることを知っているので、影武者のわたしに深々と頭を下げた。
「必ず成功させて見せるよ。困った依頼者を助けるのがぼくの仕事さ。だから心配するな。君はマネージャーらしく普段どおりに振舞えばいい」
彼女の耳元でわたしは元の男の声で伝えた。

こうして、ぼくは女優・美月 アリスの影武者を見事にこなした。
この日の国際映画祭は見事大成功を収め、日本映画界はまた世界に注目されるようになっていった。

任務を終えて、ぼくはアリスの変装を脱ぎ、元の姿に戻った。
地下駐車場に止めてあったのポルシェに乗り込み、颯爽とホテルを後にした。

ぼくは「影武者」。
任務が終われば、風のように去るのがポリシー。

「今日も任務成功だな。休みの日に彼女の映画でも見に行こうかな」
今回自分が変装したアリスの映画公開を楽しみにしながら、ぼくは洋楽を聞きながら首都高速をガンガン飛ばしていった。




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