朝、目覚めると、オレは、ベッドの上に上半身を起こし、両手を伸ばして背伸びをした。

「う〜ん」

その行為は、心地よかった。そして、深いため息をつくと、オレは、ベッドを降りると、少し重い足取りで、バスルームへと向かった。

バスルームの洗面台の前に立つと、顔を洗い、歯を磨き、口の中をすすぐと、もう一度顔を洗い、乾いたタオルで顔を拭いた。

そして、洗面台に設置された鏡をのぞき込んだ。そこには、オレの顔が映し出されていた。

墨をたっぷりと含んだ筆で引いた線のような黒々とした太い眉、大きくギョロっとした目、でかく鼻腔が横に広がった鼻、分厚い唇、角張ったなんでも噛み砕きそうな顎、角張った顔の輪郭、今風のイケメンとか言われる奴らとは、正反対の容貌。それがオレの顔だ。

今の女どもに言わせれば、時代遅れの野蛮人の顔ということになるだろうが、これが男の顔だ!

俺は自分の顔に愛着があった。線の細い顔よりも、力強く個性的だからだ。

俺はナルシストではないが、しばらくこのまま自分の顔を見ていたかった。だが、そうは言ってはおられない。オレは、名残惜しい気持ちをおさえて、洗面台の前から離れた。


寝室に戻ると、壁際のオレには不釣合いの鏡台の前に座った。そして、鏡台の鏡に映る姿を見て、また大きなため息をついた。

鏡には、鼻の下が、床につくほど伸びそうなスタイル抜群のボディをピンクのレースのネグリジェで被った女の上半身が映っていた。

このボディを見たら、どんな男でも、一度お付き合いをしたいと思うだろう。ただ、顔さえ見なければだ。

その魅力的なボディに乗っかっているのは、角刈りの男らしいさムンムンのオレの頭だ。それでも、あんた、付き合ってみるかい?


オレは、オカマでも、女装者でも、性同一性障害の人間でも、まして、女でもない。だが、今の俺の体は、どんな男でも、目を奪われるほどのスタイル抜群の女体なのだ。

そんなオレの話を聞いてくれるかい?




あれは、2年前のことだ。オレはある事故に巻き込まれて、脊髄か何かを傷つけたらしくて、首から下は、全く動かせない状態になってしまった。意識ははっきりしていて、会話も思考も、性欲さえも、なんの問題もないのに、人の介護がないと何もできない状態は、罰としたら、これ以上身に答える罰はないだろう。オレは、何度も天に向かって叫んだ。

『俺が何をしたと言うんだ。俺をもとに戻せ!』と・・・

もしこの状態から逃れられるのなら、悪魔とも契約しても後悔しないと思った。だが、後悔することになってしまうのだが・・・


「君が、十和田利久君だね。」

ある日、いつものように、病室で天井を眺めながら、この身動きの出来ない状況を恨んでいると、いつのまに来たのか、初老の男性が、ベッドのそばに立っていた。

「お前は誰だ?」

「私かね。私は堂苑教授。とでも呼んでくれたまえ。」

「どうえんきょうじゅ?」

「そうだ。堂苑教授だ。」

「その堂苑狂児が何のようだ。」

「君、わざと間違えているな。私は、教授だ!狂児ではない。狂児は、人浦だ。ま、そんなことはどうでもいいのだが、君は元のように動き回りたくはないかね?」

「そ、それはいったい・・・また動けるようになるってことか?」

「そう言っているつもりだがね。どうだい?なりたいかね。」

「そ、それはなりたいさ。堂苑教授、それは本当か?元のようになれるっていうのは。」

「まったく、昔と同じようにとはいかないが、少なくとも、自由に動けるようにはなれる。」

「ホ、本当か?動けるようになれるだけでも恩の字だよ。たのむ、動けるようにしてくれ。」

「それには、君の同意が必要なんだが・・・」

と、堂苑と名乗る男が言いかけた時、オレの病室に担当の医師と女性看護師が入ってきた。

「十和田さん、気分はどうですか・・・お、お前は、堂苑狂児!」

病室に入ってきた担当の医師は、堂苑の存在に気づき、身構えた。

「狂児ではなくて、教授だよ。平(たいら)助教授。」

「教授でも、狂児でも、なんでもいい。なんだお前がここにいるんだ。」

「十和田君を回復させるためだよ。なぁ、十和田君。」

「何を言ってる。お前は、3年前、患者を騙して人体実験をして、学会は愚か、医師免除も剥奪されたじゃないか。そんなお前が医療行為をできるはずがないじゃないか。」

「回復と言っても、医療行為とは限らないだろう。それに、十和田君の同意はもうもらっているんだよ。」

「本当かね。十和田さん。」

オレは返答に困った。そんな人物とは知らずに同意してしまったのだ。どうしようと、返答に困っていると、堂苑は、指をパチンと鳴らした。すると、どこにいたのか大男が病室に入ってきた。そして、ベッドに横たわっているオレを軽々と肩に担いだ

「それでは、失礼するよ。平助教授。」

堂苑は、俺を肩に担いだ大男と共に病室を出ていった。後に残された平助教授が、何かヒステリックに騒いでいたが、堂苑教授は、一向に気にする様子もなく病院からオレを運び出した。


オレは、堂苑教授の研究所兼住居という古びた建物に連れて行かれた。そこは、昔は、病院だったらしく、外観とは違い、建物の中は新しく、各部屋とも清潔だった。医療機器は最新のものが揃っていた。

堂苑教授は、それらの機器を使ってオレの精密検査をした。検査が終わると、オレは、その建物の病室へと運ばれて、ベッドに寝かされた。

俺の身の回りの世話は、あの大男がしてくれた。見かけによらず気の利く男で、オレは、不便を感じることはなかった。

ここに連れてこられて、数日後、オレは、堂苑教授に、俺を回復させる方法を知らされた。

「そんなことができるのかよ。」

オレは、彼の話を聞いて、自分の耳を疑った。

「可能だよ。ただし選り好みは出来ない。適合したモノしか使えなからね。」

オレは、黙った。もし何か言って堂苑教授のご機嫌を損ねでもしたら、元の木阿弥だからだ。だがしかし、本当にできるのかね?胴体移植なんて。

堂苑教授が、オレに提示した方法とは、オレの首を他人の体に移植するというのだ。だが、本当にそんなことが可能なのだろうか?

映画や、漫画などでは読んだことがある気がするが、そんなことが可能になったとは聞いたことがないからだ。

「大丈夫、脳を移植するよりも簡単なことだよ。まあ、私も脳移植は経験があるから、自信はあるのだがね。」

堂苑教授は、とんでもないことを言い出した。首の移植でも、眉唾モノなのに、脳移植なんてできる訳ないじゃないか。オレが疑いの眼差しで、堂苑教授を見ていると、いつも無口で、未だに声を聞いたことのない大男が、喋り出した。

「堂苑先生の言うことは本当です。3年前、危篤状態だったわたしを脳移植で救ってくださったのですから。」

3年前の人体実験の患者って、彼のことだったのか・・・ん?さっきの彼の声、なんだかおかしいぞ。まるで若い女性のような声で・・・・えっ?!

オレは、驚いて大男を見た、彼は恥ずかしそうに身をよじらせて、顔を真っ赤にしていた。

「はい、わたしは、三年前までは、女でした。生まれつき体が弱くて、いつも病気がちで、長生きできないって言われていたんです。でも、三年前、このたくましい男の方の体に脳を移植していただいて、健康になれました。声は、先生に無理を言って、元の体の声帯を移植してもらったんです。」

意外な展開に、オレは唖然となった。この大男が、元・女性だったなんて・・・目をつぶって声だけを聞いていると、若く美しい女性の姿が浮かんでくるが、目を開けると、そこには、大男が・・・このギャップは、つらいよ。

被験者本人が言うのだから信じるしかないのだが、どうも胡散臭い気がした。でも、この身動きできない状態から逃れたいのは、本心だ。オレは、藁をもつかむ気持ちで、堂苑教授に全て任せるとこにした。

それから、さらに数日後、オレの移植手術が行われることになった。術前に、体を見るかと言われたが、見ても拒否権はないのだから、オレは見ないまま手術を受けた。その結果が、これだ。


「きょ、きょ、教授!これは女の体じゃないか。」

「そうだよ。」

「そうだよって、男のオレの首を女の体に移植してどうするんだよ。」

「君に適合したのが、たまたま女性の体だったということだ。安心したまえ。首には、性別は関係ないから。」

「女もいいものですよ。わたしは、か弱くて嫌でしたけどね。」

堂苑教授も助手の大男(さとみさんという名前だ)も、無責任にそう答えた。

だが、ナイスバディにのっかるムサイ男の頭。それは、どんな怪奇映画よりも、恐ろしく、不気味で、滑稽だった。

この時から、オレは、男ではなくなった。いや、人間ですらない、ただの化け物になった。




そして、今に至るわけだが、女の体に男の頭。こんな格好では、外は歩けない。そこで、オレは化粧することになるのだ、ワタシへと。

全く、面倒なことだ。男に戻りたいよ。

オレは、鏡台の横にあるクローゼットを開けた。その中には、何着もの婦人用の服が下げてある。それをかき分けて、奥に手を伸ばすとそこには、マネキンの首が置いてある。

それを取り出して、鏡台の上に置いた。それは、セミロングの髪をした、まるで生きているような若くきれいな女性のマネキンの首だ。ラテックスで作ってあるのか、まるで本物の首のようにきれいな肌をしていた。

そして、鏡台の引き出しからチューブを取り出すと、それを押して、中から出てきたゲル状のものを、指に取ると、顔の数箇所につけた。そして、それを顔全体に伸ばした。

それから、オレは、そのマネキンの首を手に取ると、セミロングの髪を剥がし、マネキンの首を回して、後頭部を向けた。マネキンの首の後頭部の首の付け根あたりに、小さなチャックの取っ手が付いていた。それを掴むと取っ手を上げた。

シャーッという音と共に気持ちよくチャックが開き、マネキンの皮が剥がれた。それは、マネキンに被せてあったマスクだ。マネキンからマスクを剥がすと、オレは、おもむろにそれを被った。目鼻や耳の位置を合わせ、マスクの上から軽く抑えるとチャックを閉じた。

目の周りに、少しシワができていたので、丁寧にシワを取り、おかしなところがないか、鏡に映してチェックした。

鏡に映し出された顔は、若くてきれいな女性の顔。さっきまでの男を強調していたオレの顔は、跡形もなく消えていた。このボディに似合ったきれいな顔。これが今のワタシの顔。ワタシは、さっき顔に塗ったのと同じゲル状のものをチューブから絞り出すと、頭に塗って、さっき剥がしておいたセミロングのかつらを被った。こうして、オレは、ワタシになる。

着たままだったネグリジェを脱ぎ、ランジェリーだけになると、クローゼットから、今日の服を選び、着込んだ。そして、また鏡台の前に座り、きれいにメイクをして完成!

この顔を隠すために、堂苑教授の伝手で、作ってもらったフェイスマスク。こんなマスクを被らないでもよくなるように、ワタシは、貯金をしているの。あの無骨な男の顔を、今のワタシの綺麗な顔に整形するには、かなりのお金がかかるの。もう、女って大変。キレイになるには、かなりの投資が大切なのよ。朝起きたときに、あんな醜いものを見なくてもいいようになりたいわ。

さ、今日も頑張って、稼がなくちゃ。うふっ、これでも、ワタシ、お店では、No.1なのよ。どうぞいらしてね。サービスするわ。







僕は、読んでいた皮の表紙のノートを閉じた。これは、何かの創作ノートなのか手記のつもりなのか、よくわからなかった。それに、彼は、二重人格なのだろうか?最後の方では、女性の人格が出てきていたみたいだが・・・マスクを付けると胴体の方の人格に、変わってしまうのだろうか?それにしても首の移植とは、古典的なお話だ。

僕は、本棚に返そうとしたのだが、無理やりに本を押し込んだ本棚には、さっきまであった隙間が消えていた。全く、ここの店は、商売する気があるのかな?本棚に並べられた本は、ジャンルはバラバラだし、床から積み上げられた本は、埃まみれで、うっかり踏んづけそうになるのはいつものことだった。それにこの古本屋の青蛙堂の店主は、店番するのが面倒なのか、飼い猫の三毛猫を、レジのカウンターに置いている。この猫も主人同様で、いつも寝てばかりで、番犬にもなっていない(猫だから、番猫か)。

僕は、さっきまで読んでいたノートを、そこらへんの埃かぶった本の上に、無造作に置くと、店を出ようとした。と、後ろから、あくび混じりの猫の鳴き声がした。

それは、こう言っているようだった。

「タダ読み禁止。ニャンか、買ってけぇ〜。」







あとがき

私はほとんどあとがきなんて、書かないのですが、このお話のもとになった作品を紹介したいと思いまして・・・・

興味の無い方は飛ばしてくださいね。

この元になったお話は、ロシアのSF作家 アレクサンドル・ベリャーエフの「ドウエル教授の首」というお話を思い出して書いてみたものです。

このお話は、死亡した学者が、共同研究者だった学者によって、首だけになっても生かされているというお話です(まぁ、ダイジェスト以上の簡単な説明)。

このお話の中で、会話だけのイベントとしてこんなシーンがあります。

この学者は、事故で死んだ美人の踊り子も首だけで生かします。その踊り子に新しい体をつけてやるというときに、こう言うのです。

「うむ、女の体ではなくてもいいな。このたくましい男の体はどうだ。」

もちろん、踊り子は拒否しますが、学者はこのアイデアがいたく気に入ったみたいなところがありました。実際にはされたかどうかは忘れましたが、そんなところからのアイデアです。

話だけのイベントと言えば、バローズの火星シリーズの一篇。「火星の交換頭脳」で、火星人医師の助手になった地球人に、医師がこう言うシーンがあります。

「もう少し経ったら、こういう研究もさせてやろう。男の頭脳を女の頭蓋に、女の頭脳を男の頭蓋に入れるとか」

これはセリフだけで、実際は、出てきませんが、興味深い研究ですね。


それでは、このへんで、ぬた!



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