TSサスペンス
森と湖畔の湯けむり生首挿げ替え事件【前編】

作:せなちか



 私たちが案内されたのは、宿の二階にある一室でした。ドアの隣に「雀の間」という札がかかっています。
「こちらが、高橋様のお部屋になります」
 ゆっくりとドアを開ける女将さんを押しのけるようにして、隼人が中に飛び込みました。
「へっへーん! 俺、一番乗りっ!」
「こらっ、隼人!」
 私は隼人を叱りつけましたが、隼人は私の言うことなど聞いていないようでした。荷物を部屋の隅に放り出し、興味津々で窓の外の景色に見入っています。雄大な山と広い湖が見渡せる、絶好のロケーションでした。
「うわあ、湖も森もよく見える……あそこ、さっき車で走ってたよな? すっげー」
「隼人、とにかく座りなさい! そんなにはしゃいで、みっともない」
「うふふ……元気でよろしいわね」
 落ち着きのない隼人の姿に、女将さんが楽しそうに笑いました。淡い水色の着物を着た女将さんは、とても若くて綺麗な方でした。歳はうちの両親と同じくらいでしょうか。いえ、ひょっとするとうちの両親よりも下かもしれません。上品な物腰が魅力的です。
「それでは、お夕食の時間になりましたら一階にお越しください。そのほか何かございましたら、お気軽にお呼び下さい」
 荷物を運び終えると、女将さんはそう言って戻っていきました。ドアが閉まると、お父さんは大きく伸びをして畳の上に寝転がりました。
「ふう、疲れた。ずっと運転しっぱなしだったから、体が痛いよ」
「お疲れ様、あなた。さっそくお風呂に入ってきたら? 温泉なんて久しぶりでしょう」
 お母さんの提案に、お父さんは横になったまま面倒臭そうに首を振ります。
「いや、風呂は飯のあとにするよ。それまで少し寝るから、晩飯の時間になったら起こしてくれないか」
 言うなり、お父さんは座布団を枕にして、寝息をたて始めました。あまりの寝つきのよさに私は呆れてしまいました。
「もう……お父さんったら何しに来たのよ。ぐーぐー寝てちゃ温泉に来た意味がないじゃない」
「そう言わないの、早苗。お父さんだって疲れてるのよ」
 部屋の隅で荷物の整理をしていたお母さんが、私をなだめます。うちのお母さんは少しのんびりした人で、怒ったり取り乱したりすることがほとんどありません。そのため、お父さんを注意したり隼人を叱ったりするのは、もっぱら私の役目です。
「私たちはここでゆっくりしてるから、あなたは隼人を連れて遊んできなさい。この子、旅館の中にも外にも興味津々だもの」
 お母さんの言葉に、私はため息をつきました。さっきまで外の景色を見ていた隼人は、今度は押入れに入ってガタゴトと中をひっかき回しています。こんなやんちゃ坊主を外に連れ出すのは、とても不安でした。
「やだなあ……隼人のやつ、興奮して何をしでかすかわからないもん」
「そんなことないわ。この子だって最近、落ち着きが出てきたと思う。来年は中学生になるのよ? 立派なお兄ちゃんよ」
「そうそう、母ちゃんの言う通りさ! それじゃ姉ちゃん、一緒に行こうぜ!」
 私たちの会話を聞いていたらしく、隼人は押入れから出てくると、私の腕をつかんでぐいぐいと引っ張りました。私は何も言わず、小柄な弟の頭を拳骨で小突きました。
「いてっ! 何するんだよ !?」
「はあ……まったくこの子は。まあ、しょうがないか。お母さん、行ってくるね」
 隼人のシャツの襟をつかみ、私は部屋をあとにします。気が乗らない風を装っていても、私も隼人と同じく、この近辺の景観や宿の施設に大いに興味があったのです。そんな私の心を、お母さんはお見通しだったのでしょう。何か欲しいものがあったら買うようにと、お小遣いをくれました。
「ふふふ……いってらっしゃい、二人とも」
「いってきまーす!」
 わくわくして仕方がない様子の隼人を連れて、私は宿を出発しました。湖はすぐ目の前で、岸からは湖をぐるりと回る遊覧船が出ています。私たちは船に乗ることにしました。
 船の上からの眺めは、素晴らしいのひとことでした。澄んだ湖も、緑の木々に覆われた山も、都会では見られないような深い色をしているのです。のんびりと湖面を進む私たちの船は、白い水鳥の群れとすれ違います。それはまるで、美術館に飾られている絵画の中に入ってしまったかのような気分でした。
 遊覧船を降りたあと、私と隼人は近くのお土産物屋に行きました。観光地ならではの珍しいお菓子や玩具を買って、隼人は大喜びです。私も学校の友達に渡すお土産を買いました。
 私たちが宿に帰ってきたのは夕方でした。私はすぐ部屋に戻るつもりでしたが、隼人が旅館の喫茶コーナーに寄りたいと言い出しました。どうやら喉が渇いたようです。私は気前よく隼人につき合ってやることにしました。夕食まではまだ少し時間がありましたし、私も外を思う存分見て回って機嫌がよかったのです。
 喫茶コーナーは一階の食堂の近くにありました。カウンターと椅子がいくつか並んでいるだけの小さなスペースで、夜はバーになるそうです。隼人はオレンジジュースを、私はアイスコーヒーを注文しました。
「こんにちは。あなたも宿泊客ですか?」
 よく冷えたアイスコーヒーを味わっていると、隣の席のお客さんが私に話しかけてきました。そちらを向いた私は、話しかけてきた男の人と目が合います。歳は私と同じくらいの、細身でとってもハンサムな男性でした。半袖のシャツとジーンズというラフな格好で、私の顔をのぞき込んでいました。
「は、はい、そうですけど」
 私はドキドキしました。それだけ、男の人が美形だったのです。デビューしたてのアイドルかモデルと言われても納得してしまいそうな美男子でした。こんな人が私みたいな平凡な高校生に何の用だろう、と疑問に思いました。
 私の答えに、その男の人は、私とは反対側を向きました。
「だそうだよ、菜々ちゃん」
「わあ、お客様だ。いらっしゃいませー」
 その声で、男の人の向こう側の席に小さな女の子が座っていることに気づきました。隼人よりもまだ幼く、おそらく小学校にもまだあがっていないと思われる子です。頭の左右で編んだお下げ髪に、鮮やかな赤いスカートがよく似合っていました。
「こんにちは。あなたは……?」
「この子は菜々ちゃん。ここの女将さんの娘さんよ」
 私の質問に答えたのは男性でも女の子でもなく、私たちに飲み物を出してくれた、若いウェイトレスさんでした。歳はおそらく二十歳前後でしょうか。ひょっとしたら大学生のアルバイトかもしれません。黒いワンピースに白のエプロンというウェイトレスの格好は、趣のある温泉旅館には少しミスマッチかもしれません。
「へえ……あの女将さんに、こんな可愛い娘さんがいたなんて」
 私は驚きましたが、確かに言われてみれば、菜々ちゃんという女の子の顔立ちは、どことなくあの女将さんに似ているような気がします。隣に並べば、もっとはっきりわかるでしょう。
「菜々ちゃんは賢いから、もうこの歳でお客さんに挨拶できるの。将来は立派な女将さんになるわよー」
 と、ウェイトレスさんが笑って言います。私も一緒になって笑いました。
「ご紹介が遅れました。僕はあなたたちと同じ、この旅館の宿泊客です。名前は……そうですね、加藤真といいます。よろしく」
 最後に、私たちに話しかけてきた男の人が自己紹介をしてくれました。真さんは私と同じくらいの歳にしか見えないのに、一人旅をしているそうです。柔らかな物腰といい、凛々しい横顔といい、まるで中身だけが大人のような男の子でした。
 旅先では意外な出会いがあるものです。私たちはこの旅館と周辺の魅力について、楽しく語り合いました。よその旅先での体験談も交えた真さんの話に、私はついついのめり込んでしまいます。実のところ、話の面白さだけでなく、私が真さんの美貌に魅せられていたという要素も大きかったかもしれません。いずれにしても、時間がたつことを忘れてしまうほど楽しいひとときでした。
「姉ちゃん、ヤバい。もう晩飯の時間だよ」
 隼人の指摘に、私はびっくりして時計を見ました。既に夕食が始まっている時間です。慌てて席を立ち、真さんや菜々ちゃんに別れを告げてその場をあとにしました。
 夕食の場所は、喫茶コーナーのすぐ近くにある食堂のお座敷です。私たちが着いたときには既に料理が並べられ、お父さんとお母さんが私たちを待っていました。幸いにも叱られることはなく、私は安堵しました。
 料理はどれもおいしそうなものばかりでした。新鮮なお刺身や柔らかそうなステーキに、隼人は大はしゃぎです。そこに女将さんが現れました。
「それでは、私の方からお夕食の説明をさせていただきます」
 女将さんは食卓に置かれたお品書きを示しながら、料理の解説を始めました。確かに、こうして見ると女将さんと菜々ちゃんはよく似ています。私は女将さんの説明に逐一うなずいていましたが、私以外はみんな待ちきれないといった様子でした。
 そのあと、私たちはようやくお箸に手を伸ばします。お父さんとお母さんはお酒の入ったグラスで乾杯しました。
 言うまでもなく、料理は絶品でした。女将さんの話によると、お米も野菜もお魚もお肉も、地元でとれたものばかりだそうです。豊かな自然の恵みに、私たちは舌鼓を打ちました。
「うーん、うまい! 母ちゃんの作る料理より断然うまいや」
「こら隼人、そんな言い方しないの。それに、さっきからポロポロこぼしてるわよ。お行儀の悪い」
「いいじゃん、いいじゃん。今夜は無礼講でしょ?」
 隼人の陽気な声に、私は呆れました。どこでこんな言葉を覚えてきたのでしょうか。まったく生意気な弟です。でも、おいしいものを食べていい気分になっていた私は、それ以上弟を叱りはしませんでした。
 楽しい食事もじきに終わろうかという頃、座敷のふすまが開いて思わぬ人物が姿を見せました。先ほど私と会話をした、あの綺麗な男の人──加藤真さんです。菜々ちゃんも一緒でした。
「ちょっとお邪魔します。お食事はいかがですか?」
「いやあ、最高ですな。正直に言って、あの値段でこれほど素晴らしい料理が出てくるとは思いませんでした」
 と、顔を赤くしたお父さんが笑って答えます。お母さんが「どなた?」と訊いたので、私は彼が同じ宿泊客であることを話しました。
「同感です。僕は外国からやってきたのですが、この国の料理はこんなにも美味なのかと驚きましたよ。宿もサービスが行き届いていて、素晴らしいですね」
「ほう、外国から? その割には言葉が流暢ですな」
「ええ、頑張って勉強しましたから」
 真さんが実は外国人だったと聞いて、私は少なからず驚きました。彼の話す言葉はとても自然で、外国人だとはとても思えなかったからです。確かにそう言われてみれば、顔立ちが私たちとは少し違うような気もするのですが。
 真さんは菜々ちゃんを抱いてにこにこと微笑んでいます。すっかりいい気分のお父さんは徳利をつまみ上げ、真さんにお酒をすすめます。思わぬ珍客の登場で、座がますます盛り上がりました。
 そして、宴もたけなわになった頃です。真さんは手を叩いて言いました。
「そうだ。せっかくお近づきになったんですから、ちょっとした芸をお見せしましょう」
「ほう、芸ですか。いいですなあ」
「それじゃ菜々ちゃん、お母さんを呼んできてくれない? せっかくだから一緒に見てもらおうと思うんだ」
 真さんの提案により、女将さんも呼ばれて席につきます。喫茶コーナーのウェイトレスさんも加わり、狭いお座敷は満席になりました。
 真さんはすっくとその場に立ち上がり、観客の数を数えました。私たち家族四人と女将さん、菜々ちゃん、ウェイトレスのお姉さん。これで全員です。
「ひい、ふう、みい……全部で七人だね。男が二、女が五、大人が五、子供が二っと……それじゃ皆さん、今から披露する宴会芸の下準備として、ほんの少しだけご協力をお願いします」
 と切り出して、真さんは数枚のメモ用紙とボールペンを取り出しました。メモ用紙は全員に一枚ずつ配られました。何も書かれていない真っ白なメモ用紙です。
「その紙にご自分のお名前と、年齢を書いて下さい。女性に歳をうかがうのは失礼かもしれませんが、なにぶん必要なことでして」
 そう言われて、私は指示通りに「高橋早苗、十七歳」と書いて卓上に置きました。
 真さんは、卓に並べられた七枚のメモ用紙を眺め、満足そうにうなずきます。どうやら、名前の書いた紙はそのままにしておいて、別に集めるわけではなさそうです。では、何に使うのでしょうか。
「ありがとうございます。それでは次に、皆さんの緊張を適度にほぐし、心の底から笑えるようにして差し上げます。僕の目をじっと見て下さい」
 その指示に従い、私たちは宝石のような彼の眼を食い入るように見つめます。と、その瞳がきらりと光を放ったような気がしました。
「よし、オーケー。準備完了だ。始めるとしようか」
 彼の声が耳からではなく、まるで頭の中に直接響いてくるように思えます。不思議と心が安らいできました。私は真さんから視線を外すことができませんてした。彼の美貌を見ているだけで自分が幸せになっていくような気がしたからです。
「あら、お酒が回っちゃったのかしら。なんだかとってもいい気分だわ……」
 お母さんが、どこか色っぽさを感じさせる声でそんなことをつぶやきます。おそらく私と同じ気持ちになっているのでしょう。私も両親も女将さんも皆がそんな様子で、まるで催眠術にでもかかったようでした。
「気持ちいいでしょう、皆さん? 今、僕は皆さんに魔法をかけました。これから何が起こっても、皆さんは決して怖がったり取り乱したりすることはありません。ずっといい気分でいられますし、どんなことでも楽しむことができます。酒の席は心から楽しまないといけませんからね」
 真さんは素敵な笑みを浮かべて話を続けます。あまりにも素敵な笑顔に、私は彼が地上に下りてきた天使なのではないかとさえ思いました。
 ところが、次に真さんがとった行動に、私はびっくりしました。彼はおもむろに右手を掲げると、驚くべきことに、その手を傍らの菜々ちゃんの首めがけて振り下ろしたのです。
「最初は菜々ちゃんだよ。それっ!」
 彼の腕は細く白く、男の人とは思えないほど綺麗な腕です。失礼ですが、あまり力があるようには見えません。女の子である私と大差ないのではないかと思えました。しかし、いくらきゃしゃな腕であれ、まだ小学校にも通っていない幼い女の子をはたくなど、許されることではありません。
 ですが、次に私が見たものは、想像をはるかに超える異様な光景でした。
「わあーっ !?」
 興奮した菜々ちゃんの声があがり、何か丸い物が空中に飛び上がりました。学校で用いるバレーボールよりは少し小さいくらいの大きさでしょうか。黒くて丸いそれを、真さんはうまくキャッチします。
 いったいあれは何でしょうか。私は一瞬、彼が見えないところから黒いボールを取り出したのかと思いました。でも、その予想は間違っていました。彼の腕に収まったモノの正体に気がつくと、私は絶句しました。
 なんと、真さんが受け止めたのは菜々ちゃんの生首だったのです。まるで戦に破れたお侍のように、菜々ちゃんの首は胴体から切り離されてしまったのでした。
「はい、一丁あがり。どう、菜々ちゃん? 自分がどうなったかわかる?」
 彼は手に持った菜々ちゃんの生首に話しかけました。とても猟奇的な行動です。私は先日テレビで見た、アメリカの猟奇殺人事件の犯人のことを思い出しました。
 私はどうしていいかわからず、青ざめたまま何もできずにいました。たった今、私の目の前で殺人事件が起きてしまったのです。仰天して取り乱してしまっても、それは仕方のないことでしょう。
 ところが、現実はまたしても私の予想を裏切ります。真さんに抱えられた菜々ちゃんの生首はにこにこと笑い、「わあっ、すごい!」と喋りだしたのです。今度こそ、私は肝を潰しました。
 なんと、菜々ちゃんの首は体から切り離されても生きていました。菜々ちゃんは先ほどまでとまるで変わらない様子で、表情をころころと変えながら真さんと楽しそうにお喋りしています。なぜか血は一滴も流れていません。常識をはるかに超えた奇怪な光景がそこにありました。
「ほう、これはマジックですか? 素晴らしい!」
 と、お父さんが両手を叩いて喜びました。お母さんも女将さんも笑い声をあげて楽しんでいます。常識で考えたらありえないことが起きているというのに、皆は特に慌てるでもなく、首を切断された菜々ちゃんを眺めていました。
「ええ、ちょっとした手品です。この通り、種も仕掛けもありませんが」
 真さんは菜々ちゃんの生首をそっと食卓の上に置きました。首を切り離された胴体は、元の場所に平然と座っています。首の切断面は一様に薄いピンク色になっていて、骨や血管の切り口はまったく見えません。
 一体どうなっているのでしょうか。「種も仕掛けもない」と彼は言っていますが、本当に種も仕掛けもなく、素手で人間の首を切断することができるはずはありませんし、首を切断された人間が生きているはずもありません。では、これはマジックショーに使われるようなトリックなのでしょうか。私にはそうは思えませんでした。見てはいけないものを見せられているかのような危機感を私は抱きました。今すぐ逃げ出した方がいいのではないかと思いましたが、私の足はまるで私のものではなくなってしまったかのようにぶるぶると震えて、立ち上がることを拒否しました。
「さて、次は女将さんです。その次は……」
 真さんは優しい微笑みを顔に浮かべて、菜々ちゃんと同じように私たちの首を次々と切り落としていきます。お父さんもお母さんもまったく怖がることなく、嬉しそうな表情で首を落とされました。もちろん、皆も菜々ちゃんと同じく、首と胴体を切り離されても死ぬようなことはありませんでした。生首が一つずつ、まるで料理のように食卓に並べられていきます。
 とうとう私の番です。私の背後に立った真さんは、「それじゃ、いきますよ」と声をかけてきました。私は返事をしませんでした。ただ恐怖で震えることしかできませんでした。
 そんな私の様子を見て、真さんはほんの少し驚いたようでした。
「へえ……どうやら君は、僕の術にかかりにくいみたいだね。まあいいや。どうせ逃げられはしないし、一人くらい正気でいた方がかえって面白いしね。僕がどうしてこんなことをしてるか、わかるかい? 皆に楽しんでもらうためなんだよ」
 その歌うような物言いに、私の目から涙がポロポロとこぼれてきます。さっきまで天使のようだと思っていた美しい真さんが、まるで恐ろしい悪魔に思えてきました。
 やがて、彼の手が私の首めがけて振り下ろされます。ぷつりと小さな音がして、私の体の感覚が無くなりました。一切の平衡感覚を喪失し、ぐるぐると目が回りそうでした。
 ふと、頬に触れる手のひらの感触に気づきました。私は誰かに抱きかかえられているようです。果たして私の思った通り、真さんが私を胸に抱いていました。彼の着ているシャツが私の顔に当たっています。
 私も首だけになってしまったのでしょうか?
 そんな私の疑問に答えるかのように、真さんは私をゆっくりと自分の体から遠ざけ、そっと地面に置きます。いえ、地面ではありません。私の顔の隣に、隼人の顔がありました。首を回すことができず、何とか目だけを動かしてそちらを見ると、食卓の上に首だけになった隼人が置かれていました。どうやら、私も皆と同じように首だけになって、卓の上に据えられたようです。これでは、まるで江戸時代のさらし首です。
 当たり前ですが、首を切断されるなんて初めての体験です。手足はおろか、腰やお腹の感覚も一切ありません。体のほとんどを失い、動かせる部分がほとんどないことに、私は言い表せないほどの不安を覚えました。何しろ、今の私は自力で振り向くことさえできないのです。食卓の上にはまだ料理の皿が並べられたままで、まるで自分が食材として調理されたかのような気分でした。
 狭い視界の中、正面に首のない私の胴体が座っていました。やはり血は一滴も流れていません。その後ろで真さんがくすくすと笑っていました。
「さあ、これで皆さんは首だけになりました。体がないってどんな気分ですか?」
「うーむ……これはこれで新鮮だが、体がまったく動かせないというのは、いささか不便だな。何しろ、これでは酒も飲めやしない」
「ええ、本当ね」
 私の後ろから、お父さんとお母さんの話し声が聞こえます。二人とも、こんな奇怪な体験をしているというのに、とてものんきな声でした。ひとりで恐れおののいている私が、なんだか馬鹿みたいです。
 それからどうするつもりかと見ていると、真さんは座敷の電気を消してしまいました。でも、真っ暗ではありません。蛍光灯の補助に備えつけられた電球と、そして部屋の隅に置かれた行灯を模した形の電灯が、ぼんやりと辺りを照らしています。やや赤みを帯びた薄明かりの中、首のない私の体が微動だにせず目の前に鎮座しているというのは、この上なく不気味です。私は生きた心地がしませんでした。まるでホラー映画の登場人物にでもなったようでした。
「さあ、これからがお楽しみですよ。今から、皆でちょっとしたゲームをしましょう。皆さんはクリスマスのパーティーで、それぞれプレゼントを持ち寄って交換したことはありませんか? 皆で輪を作って、曲に合わせてプレゼントを回すあれですよ」
「ああ、あるある。子供の頃はよくやってたわ。あれ、とっても楽しいのよね」
 と、ウェイトレスさんが返事をしました。私もそういったパーティーの経験はあります。楽しいパーティーで、綺麗に包装されたプレゼントを交換するのは、子供でなくとも心が弾むものです。
 しかし真さんは、なぜ突然こんなことを言い出したのでしょうか。私には彼の考えていることがさっぱりわかりませんでした。
「そういうわけで、僕たちも今からプレゼント交換を始めたいと思います。ただし、交換するのはプレゼントではなく、胴体から外れた皆さんの頭ですが」
「どういうこと? 交換するって……」
 ウェイトレスさんの疑問に答える代わりに、彼は指を鳴らしました。パチンという気持ちのいい音を合図に、またも異変が起こります。なんと首のない私の体が手を伸ばし、私の頭をぐっとつかんだのです。
「きゃあっ! ど、どうなってるの !?」
 私は悲鳴をあげましたが、どうすることもできません。私の胴体は私の意思とは無関係に動いているのです。ついさっきまで自分のものだったはずの両手が、まるで他人の手のように思えました。
 頭との繋がりを絶たれた私の体は、私の頭をくるりと百八十度回して反対側に向けました。私の目に、他の六人の様子が飛び込んできます。皆も私と同じ状況にありました。彼によって切り離された首を大事そうにかかえて、料理の皿が載ったままの食卓を囲んでいます。率直に言って、この世の光景ではありませんでした。
「これから皆さんには輪になって、僕が歌う歌に合わせて持っている首を回してもらいます。歌が終わった時点で、首をそれぞれの体に繋いで差し上げます」
「ほう、なかなか面白そうじゃないか。まるで遊園地のメリーゴーランドみたいだ」
「あら、あなたったら。昔のデートのことでも思い出したんですか?」
 私の両親は、楽しくて仕方がないといった様子で笑っています。お父さんもお母さんも、この人に催眠術でもかけられておかしくなってしまったのでしょうか。この場で正気を保っているのは私だけでした。私は固く目を閉じて、一刻も早くこの悪夢が終わってくれることを祈りました。
「それではスタートです。らーらららーらー……」
 やや調子はずれの歌が始まり、私の頭は私の手を離れました。隣の隼人の手に渡ったと思うと、次にお母さんの手に渡り、その次はお父さんの……歌が続く限り、私の頭はリレーのバトンのようにどんどん回されます。私たちは、いわば自分の頭をプレゼント代わりにして、プレゼント交換をしているのです。
「へへへっ、これ面白いな。スリルがあるよ」
「ああっ、私、お客様の手の中をたらい回しにされてる……すごい。こんな経験、滅多にできないわ」
 目が回りそうな頭の回し合いを、私以外の皆は心底楽しんでいるようでした。私はと言えば、目を閉じて歯を食いしばり、ただひたすら我慢していました。これが終われば、元の体に戻れる。そう信じて耐えました。
 私たちの移動は不規則でした。ただ順番通りに回るのではなく、ときどき向かい合った相手の手に渡ったり、飛び飛びに回ったりしました。もはや、自分が誰の手の中にあるかもわかりません。私たちは彼に操られるまま、歌に合わせて自分たちの生首を回し続けました。
 やがて、真さんは歌をやめました。「ストップ!」という合図を受けて、私たちの胴体はようやく動きを止めます。私は目を閉じたまま、これでやっと終わるんだと安堵の息をつきました。プレゼント交換を模した妖しいゲームは終わり、私たちはやっと元の体に戻れるのです。
 ところが、次の彼の台詞に私は耳を疑いました。彼はこう言いだしたのです。
「はい、これで頭部交換は終了です。皆さんの首は、いま手に持っている体と繋ぎ合わされます。ふふふ……いったい誰の体と繋ぎ合わされるんでしょうね? それは繋げてからのお楽しみですが」
 切り離された首を、再び胴体と繋ぎ合わせる。そんなことが本当にできるとは思えませんが、現に生きたまま私たちの首を切断したのだから、反対に首を胴体に繋ぎ合わせることも彼にとっては容易なのでしょう。そのこと自体は歓迎すべきことです。
 しかし、繋ぎ合わされる体は元の自分のものではないかもしれないと彼は言います。それでは、話が違います。
 私の期待は見事に裏切られました。ゲームはまだ終わってはいませんでした。皆で生首を回してシャッフルしたのは、ただ単に皆で目を回して遊ぶためではなく、切り離した首を別人の体と繋ぎ合わせるための余興だったのです。
 こうして、私の首は元の私の体に戻るのではなく、私ではない他の誰かの体に繋ぎ合わされることになりました。もちろん、運良く私自身の体に戻る可能性もないではないでしょうが、その確率はたった七分の一。あまり期待できません。
 私は焦りました。このままでは、私は他の誰かの体になってしまいます。そんなのは絶対に嫌です。でも、いくら焦ってもどうすることもできません。首だけになってしまった私に、為すすべはありませんでした。
 いったい、いま私の首を持っているこの体は誰のものなのでしょうか。私の首は正面を向いて固定されているため、私からは体が見えません。目の前には女将さんやウェイトレスさんの体が座っていますから、女将さんやウェイトレスさんではなさそうです。私自身の体だといいのですが……。
「それでは皆さん、それぞれ手に持っている頭を自分の首に当ててください。それで首と胴体がぴたりとくっつきますよ。たとえ違う人のものであっても、問題なくね」
 彼の指示通りに、私の頭を持った首なしの体が、私の首の切り口を自分のそれにくっつけます。すると、体の感覚が戻ってくると同時に、座敷の電灯がつきました。私は自分の手と足と、そして胴体の感覚を取り戻しました。ようやく首だけの不自由な状態から解放され、体を自由に動かせるようになったのです。
「わ、私の体っ! 私の体はどうなったの !?」
 私は慌てて自分の体を見下ろしました。もしも私自身の体であれば、今まで私が身に着けていたカットソーとキュロットスカートが、そこにあるはずでした。
 しかし……。



続く





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