メアド交換

作:高居空


「ねえオジサン、アタシとメアド交換しない?」
  取引先との料亭での歓談の後、酔い覚ましも兼ねてたまには夜風に当たりながら歩くのも良いだろうと、迎えの車を帰らせ一人夜道を歩いていた俺に路地の陰から声を掛けてきたのは、いかにも男を惑わすような格好をした一人の若い女だった。
  身に着けているブラジャーの形がはっきりと浮き出るほどに体にフィットした臍だしTシャツに、大きな尻と生足を強調するようなデニム地のホットパンツ。足のサンダルから見える爪には手と同じ赤いネイルが施され、金色に染められた髪と相まってビッチな臭いをプンプンと振りまいている。だが、その体はスタイルこそ良いものの……特に胸は特上サイズといっても良いだろう……顔立ちには少女らしい幼さが残っており、女が未成年である可能性はかなり高いように見えた。
  今の俺は立場のある人間だ。未成年者との性交は自分の首を絞めかねない。いや、そもそもそれを狙った対抗勢力の仕掛けたハニートラップの可能性はないだろうか? 考えてみれば今のこの状況には不自然な点がある。ホテル近くの繁華街ならともかく、ここはそうした場所から遠く離れた住宅街だ。いくら深夜で人気がないとはいえ、こんな場所で男を誘っても、そうそう釣れる男などいないだろう。それに、女の俺への声のかけ方も妙だ。男を誘うなら、“アタシと遊ばない?”とかいうのが定石だ。それを第一声でいきなり“メアドを交換しよう”とは……
  だが、女に対し危険信号を発する頭とは裏腹に、俺の手にはいつの間にか携帯電話が握られていた。
「ふふっ、そう、そうこなくっちゃ。二人っきりの時にメアド交換を持ちかけられたら、相手は断れない……それがこの『呪い』なんだから♪」
  そんな俺の様子を見て、ニタリと笑みを浮かべる女。
「さ、まずはアタシのメアド教えたげるから、電話帳に登録したあとで、オジサンから空メール送ってちょうだい♪ アタシのバカなアタマじゃ、メアドなんて口で言われたって覚えきれないから♪ あ、電話帳への登録名は何でもいいよ? 何なら見た目通りの“ビッチJK”でも構わないし♪」
  そう言って舌なめずりする女を前に、俺の指は脳からの命令を無視して女の口にしたアドレスを電話帳へと登録し、そこに宛てて空メールを送信する。
「へえ、これがオジサンのアドレスなんだ。それじゃ、さっそく登録……っと」
  手に持ったピンク色のカバーを付けた携帯電話を指で操作する女。
  次の瞬間、俺の瞳はテレビのチャンネルを変えたかのように先刻までとは全く異なる画像を映し出した。
  俺の目には、爪が真っ赤に塗られた白く細い『俺の指』がピンクカバーのスマホを握っているのが映っていた。
  さらにその下には、男の視線をいやが応にも惹き付けるだけの大きさを持った二つの膨らみがあり、その形を整え更に際だたせるブラと、その装飾までくっきりと浮き出るほどフィットしたピチピチのTシャツを俺が身に付けているのが分かる。
  スマホから視線を上げると、そこには見知った「俺の姿」があった。
「ふっ、上手くいったな」
  先程の女を彷彿とさせるニタリとした笑みを浮かべる「俺」。
「何が起こったか分からないか? まあそうだよな。いいぜ、教えてやろう。この現象はな、文字通りメールアドレスを『交換』するっていう呪いによるものだ。この呪いによって、お前の持っていたメールアドレスは『俺のアドレス』に、俺の持っていたメールアドレスは『お前の物』になった。そう、お互いの中身を『交換』するって方法でな」
  してやったりということなんだろう。余裕の姿勢でアタ……俺の目の前で手をヒラヒラとさせる「俺」。
「信じられない、これから自分はどうなるんだろうとでも思ったか? 思っただろ? だが、そのことなら心配することはないぜ。物の数分もしないうちに、お前の頭の中は、頭のデキや自意識も含めて外見に相応しい物へと変化するからな。自分がこの体の本来の持ち主じゃないことは覚えちゃいるが、そんなのどうでもよくなるほどに男に飢えたビッチ女へとお前は生まれ変わるのさ。お前に疑われないように近づくためとはいえ、俺も入れ替わった後は『その体』に半ば飲まれかけてたからな。それこそ男と一発ヤれば、後は男とヤることしか考えられなくなるだろうさ。まあ、せいぜい楽しむことだ。こちらはこちらでお前の立場をしっかり引き継いでやるからさ」
  ……どうやらこいつは、アタシのカラダ……じゃなくて立場が目当てでこのようなマネをしたみたいだ。おそらく、アタシに怪しまれないようにという他にも、入れ替わった後でアタシに逆襲されることのないように、立場も何もないこの子と入れ替わってアタシに近づいてきたんだろう。……よし、まだアタマは働いてるみたいね! あとは……
「まあ、その体が嫌だったっていうのなら、お前も誰かと『メアド交換』するんだな。そうすりゃメアド交換した相手と体を入れ替えることができるぜ? だが、俺とはもうメアド交換はできないけどな。何てったって、もう俺達はお互いのスマホにメアドを登録してある。お互いの連絡先を知ってる以上、メアドを交換する必要はないからな」
  勝ち誇った顔で、見せつけるようにアタシの目の前に元アタシのスマホをかざす彼。
  ……今だ!
  そんな彼に対し、アタシはスマホに少しだけ視線を向ける素振りを見せてから、不意を突くようにすっと距離を詰め、彼の二の腕へと自慢の胸を押しつけた。
「ふ〜ん、そうなんだ〜。でもアタシ、そんなの全然興味ないの。ねえ、オジサン、そんなつまんないことどうでもいいから〜、アタシといいこと、しよ♪」
  上目遣いで彼の瞳を見つめるアタシ。
  おそらくアタシがこんなにも早くビッチな行動をとるとは思ってなかったんだろう。「うっ!?」と声を漏らして彼の動きが一瞬止まる。
  そのスキをアタシは見逃さなかった。
「あっ!?」
  意識をアタシのカラダへと向けたお陰で注意がお留守になった彼の手から、アタシはスマホをさっとかすめ取ると、スマホ慣れしたJKパワーでサササッと超高速で画面を操作する。我に返って奪い返そうとする彼の手が伸びる中、操作を終えたアタシは彼の後方へと思い切りスマホを放り投げた。
  放物線を描き飛んでいくスマホを慌てて追いかける彼を尻目に、アタシは今度は自分のスマホを弄り始める。
  え〜と、ここをこうしてこうしてこうやって、よし、完了っと♪
「おい、いきなり何をするんだ!」
  スマホを拾い上げた彼が向こうでゲキオコする中、アタシはニッコリと彼に対し最大級の笑みで答えてあげる。
「え〜? なにって、アタシ、オジサンのアドレス帳からアタシのメアドを削除しただけなんだけど〜? あ、付け加えるなら、さっきオジサンがスマホを拾いにいってる間、アタシのスマホからもオジサンから届いたメールとアドレスを消しちゃった♪ う〜ん、これはちょっとやりすぎだったかな? 失敗失敗♪」
  そういってアタシはワザとらしくてへっと舌を出しながら自分のアタマをこつんと叩く。
「しっかし困ったわね。お互いのスマホから相手のメアドが消えちゃったから、連絡先が分かんなくなっちゃったじゃない。うん、ここはもう一度連絡先を確認するためにも、もう一回メアドを交換するしかないわね♪ ねえオジサン、アタシとメアド交換、しない?」



  やれやれ、ひどい目にあったな。
  計画が失敗し脱兎の如く逃げ去る女の背中を眺めながら、俺は大きく息を吐いた。
  今の俺の立場からして暴漢の類に狙われる可能性はあるかもとは頭の片隅では思っていたが、まさか『メアド交換の呪い』でこられるとはな。もしも『呪い』のことを知らなかったら、それこそ為す術なかっただろう。
  そう、女が使った『メアド交換の呪い』、ネット世界に飛び交う都市伝説の中でもマイナー中のマイナーにカテゴライズされる噂が、実際に存在する呪いなのだということを俺は知っていた。今回、突然の事態にも関わらず俺がパニックにならずに冷静に対応できたのも、その呪いの全容を理解していたからに他ならない。
  しかし、今回はうまく切り抜けられたとはいえ、今後は気をつけなければな。
  俺はもう一度息を大きく吐きだすと、同じ失敗を繰り返さないよう肝に銘じる。
  確かに俺の立場を手に入れようとするなら、自分の本当の体を捨てるというデメリットにさえ目を瞑れれば、『メアド交換の呪い』は実に有効な手段だ。今回は脇が甘かったから何とかなったが、次もうまくいくとは限らない。今後一人になるときは、プライベートな時間だからと携帯電話を持ち歩かないのも一つの手か……。
  思考を巡らせながら歩を進める。
  俺は今の自分の立場を他人にくれてやる気など毛頭ない。苦労と相応の代償を払ってようやく手に入れたこの地位だ。そう易々と他人に奪われてなどたまるものか。それも、よりにもよって『俺が使ったのと同じ方法』でなんて、な。










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