『入学案内 〜ようこそ、星河丘学園へ〜』
 作: KCA


第弐話 A Day in the Girl's Life

 ローズピンクの壁紙に彩られた寝室。
 天蓋付きのベッドでフカフカの羽根布団に埋もれながら「少女」は微睡んでいた。
 オレンジ色に近い亜麻色の長い髪は、普段は頭の後ろで仔馬の尻尾のごとく結ばれているのだが、さすがに寝る時は解くらしく少女の端正な顔を緩やかに縁取り、飾っている。
 起きているときはいかにも勝気で意志が強そうに見える彼女も、こうしてスヤスヤと眠っているときは、まるで幼子のようにあどけなく愛らしかった。

 ──カチッ! ……♪〜♪

 ベッドサイドに置かれたローテーブル上の置時計が7時を示す。
 と同時に、部屋の隅に設置されたステレオ──この部屋の他の調度に負けない、重厚でクラシカルな外見をしている──から、シューベルトの「マス」のメロディーが流れ出した。
 「ん〜にゅ……ふわぁ〜あ」
 リズミカルで軽快な音楽を耳にして、少女が目を覚ましたようだ。
 寝ぼけまなこを擦りつつ、ベッドの上に半身を起こす。
 「「お嬢様の朝は絶対クラシックよ!」って若菜たちの強硬な意見に負けて、目覚まし時計の代わりにステレオ使うようになりましたけど、コレはコレで悪くありませんわね」
 少なくとも耳元で騒音をがなり立てるだけの目ざましの10倍は爽やかに起きられる。
 外気はこのところ少し肌寒くなってきていたが、この「臨時女子寮」はエアコン完備で、今も全館心地よい温度に保たれている。おかげで、「少女」──現在、「白鳥理緒」と呼ばれている存在は、さして布団に未練を示さずキビキビとした動作でベッドから降りた。
 その年頃の少女としては(男子としてはともかく)高からず低からず程よい背丈の均整がとれたしなやかな肢体を、淡いライム色のネグリジェに包んだまま、シャワールームで顔を洗うと、ドレッサーの前に腰かけて、まずは寝乱れた髪を丁寧にブラシで梳かす。
 女の子の姿になった当初は、朝から面倒だと思ったものだが、習慣と言うのは恐ろしいもので、このひと月足らずですっかり慣れ、ブラッシングからフェイスケアまでの一連の動作を、もはや無意識に近いレベルでほとんど淀みなく行えるようになっていた。
 もっとも、コレは「彼女」が元々割と几帳面な性格であったことと、演劇部所属で自らを「装う」ということに比較的慣れていたせいかもしれない。
 話を聞く限りでは、アウトドア派の「妹分」の天迫星乃など、髪の手入れも化粧も最低限にしか行っていないらしい。
 おかげで、星乃の同級生で同じ生徒会の後輩でもある羽衣桃子などは、「星乃さんはズルい!」と、たまにこぼしている。アルビノに近い銀髪の桃子は、髪も肌もデリケートで、毎日の丹念なケアが欠かせないらしい。それでも、キチンと身だしなみを整えてくるのが、礼儀正しい桃子らしかったが。
 朝のシャワーや朝シャンはしない習慣の理緒は、寝間着を脱ぐと、ディオールのトワレを首筋と脇の下にサッとひと吹きしてから、昨夜のうちに用意しておいたブラとショーツ、スリップを身につけ、続いて学園の女子制服へと着替える。
 白いブラウスを着て、膝上15センチのタータンチェックのミニスカートとダークグレーのハイソックスを履く。先に紺色のベストを羽織ってから、胸元にスカートと同じ柄のリボンを結び、理緒は再びドレッサーの前に座って、髪をいつも通りポニーテイルの形に結い上げた。
 左右に体を傾けチェックしつつ、ニコッと鏡の中に微笑んで見せる。
 「うん、流石はわたくし。今朝も文句なしの美少女ですわ……ってェ、ヲイ!」
 ここまでして、どうやらふと我に返ったらしい。
 「何馴染んでんだ、俺は……」
 鏡台の前でorzの形に床にくず折れる美少女……にしか見えない偽女子高生。
 とは言え、今日は平日であり、かつ少々特殊なイベントのある日だ。高校生であり、全校生徒の模範となるべき生徒会副会長がまさか遅刻するわけにもいくまい。
 「だ、大丈夫、うん。さっきまでは寝ぼけてただけ。こうやってキチンと目が覚めれば、俺はちゃんと俺の自我を保ってるしな、ウン」
 そう、自分に言い聞かせつつ、白鳥理緒(本名・理雄)は、心なしかよろけつつ、朝食を摂るべく自室から出ていくのだった。

 * * * 

 朝食の席は、いつも通り優雅かつ穏やかに進んだ──そう、「いつも通り」に。
 「あー、今朝はハニーパンケーキと苺のホイップクリームなんだ。ボク、これ好き〜!」
 ……ま、まぁ、星乃の味覚がお子様嗜好なのは以前から変わらないコトだが。それでも、以前のように行儀悪く食い散らかしたりせず、キチンとお行儀と節度を保って食べている点は、むしろ褒めるべきことなのかもしれない。
 「舞耶さん、紅茶をもう一杯、戴けます?」
 「はい、畏まりました、若菜お嬢様」
 この「女子寮」付きのメイド、六手舞耶さんが、若菜のカップに恭しく紅茶を注ぐ。
 正確にはメイドではなく寮母と呼ぶべきなのだろうが、二十歳そこそこの年齢と言い、濃緑のエプロンドレスを着た姿と言い、礼儀正しく腰の低い言動と言い、どこからどう見ても「由緒正しいお屋敷に仕えるメイドさん」そのものだ。
 そして、そのメイドに気負うことなく給仕させている若菜も、さながら生粋のお嬢様のように見えた。「彼女」の素性を知らない人間が見れば、間違いなく「どこぞの名家のご令嬢では?」と思うに違いない。
 あ、でも、一応、姫川家は会社を経営してるそれなりの資産家だったかな。だったら「お嬢様」扱いもあながち間違いでもないのかも。
 「理緒先輩、そちらのシュガーポット、取ってもらってよろしいですか?」
 桃子がマイペースなのも相変わらず。ただ、それでも以前よりは雰囲気が柔らかくなった気がする。
 「え? ハイ、これでよろしいのかしら」
 バラの形を模った角砂糖が入った容器を、桃子の方へと押しやる。
 おっと、そう言えば、今日はいつもより早く「寮」を出ないといけないんだよな。
 「わたくし」もいったん物思いにふけるのを中断して、朝食を摂ることに専念する。
 「ボディスーツ」を着て体を締め付けられている(とは言え、普段はほとんど意識しないんだけど)せいか、以前と比べて格段に食が細くなっている気がする。
 小柄ながら食欲の権化みたいな大食漢だった星児でさえ、「星乃」になってからは食事量が常識的な範囲で収まっているのだ。まぁ、それでも女の子として見ればかなり食べる方だと思うけど、運動量の多い水泳部所属だから仕方のない面もあるし。
 もっとも、食べ方についても女の子らしく上品にとの指導を舞耶さんから強制的に受けされられたため、食事にかかる時間自体はさほど変わりはないみたい。
 「御馳走さま。今朝も美味しかったですわ、舞耶さん」
 皆が食べ終わったころ合いを見計らって、舞耶さんにお礼を言う。
 朝早くから起きて「わたくし」達の世話をしてくださる舞耶さんのおかげで、本当に助かってますわね。
 「お褒めに預かり、光栄ですわ、理緒お嬢様」
 ペコリと頭を下げる彼女に頷いてから、「わたくし」達は、連れ立って食堂を出て、通学鞄を取りに自室に戻った。

 「ねー、ボクらのコトをどうこう言う以前に、理緒ねぇが一番、環境に適応してお嬢様してない?」
 「ウフフ、そこに気付かないオマヌケさんなのが、理緒ちゃんの魅力なんですよ」
 「本当、今の理緒先輩って、まさに「頼りになるお姉様」って感じですよね」

 ──あーあー聞こえない、キコエナーイ!

 さて、今日は待ちに待った(?)体育祭。
 学園祭と並んで生徒会の仕事が多く、例年は人手不足に悩まされるんだけど、今年に限っては、ご承知の通りいつもよりも楽に運営できている。
 それは助かるんだが……その代償と言うべきか、学園側及び生徒側からの要望に応える形で、今年は俺達生徒会役員も、あるエキシビジョンに全員揃って参加するコトになっていた。

 「き、着るのは2回目だけど、理緒ねぇ、さすがにコレはちょっと恥ずかしくない?」
 女の子の姿になっても元気印が取り柄の星乃が、顔を真っ赤にして恥じらっているのは、ある意味レアな光景かもしれないが、俺の方もそれを笑う余裕はない。
 「我慢なさい、星乃! 確かに少々露出が多いようですが、味方を鼓舞するのにコレほど適した格好はありませんわ!」
 などと言ってる「わたくし」の頬もほのかに赤くなっていることは、鏡を見なくてもわかる。
 わたくし達ふたりが今どんな格好をしているかと言えば……明るいターコイズブルーのノースリーブのホルターネックシャツと、膝上30センチ近くありそうな同じ色のフレアミニスカート。足元にも似たような色のロングブーツを履き、仕上げに黄色いポンポンを両手に持っている。
 そう、いわゆる「チアリーダー」のコスチューム。
 「はぅ〜、こんなカッコで飛んだり跳ねたりしたら、見えちゃうよぉ」
 お元気娘のこの子がモジモジしてるのは、なんだか新鮮ですわね。
 「そのためのアンダースコートでしょう? だいたい星乃、貴女、プールでの水着姿の方がもっと露出が高いじゃありませんの」
 「ぶ、部活中はそういうのあまり意識しないんだよぅ。そもそも、アレはプールサイドだからって割り切ってるし」
 それはまぁ確かに。アメリカ西海岸じゃあるまいし、街中を水着着て歩く娘はそうそういませんわね。
 とは言え、その名の通り味方の白組の殿方を鼓舞(チア)すると言う意味では、絶大な効力があることは想像するまでもありません。少し可哀想な気もしますが、星乃にも頑張ってもらいましょう。

 ──ええ、そうです。わたくし達生徒会役員が駆り出されたのは、「応援合戦」のリーダー格としてです。
 我が校の体育祭は、各学年4クラスを紅白2組に分けて、得点の合計で勝敗を競うというオーソドックスな形式になっています。生徒会役員も、若菜会長と桃子が紅組、わたくしと星乃が白組に分けて配属されて、応援リーダーに任命されました。
 体育祭にはいくつかエキシビジョン的な種目が用意されているのですが、その中でも「応援合戦」は、エキシビジョンには珍しく得点があります。と言っても、採点は校長・理事長・PTA会長の3ゲストによる投票という形なのですけれど。
 とは言え、100点満点で過去の平均点は70点前後と言われていますから、軽視してよい数字でもありませんわ。各競技で、1位が3点、2位が2点、3位が1点と数えられますから、自軍が100点を取れば、30人以上が1位になったのと同じ計算になりますし。
 そのため、各クラスの代表者と綿密な打ち合わせをした結果、我が白組の応援はオーソドックスなチアリーディングをすることにしたのです。
 幸い、わたくしも演劇部の日頃の訓練のおかげで、振付けを覚えるのや体力にはそれなりに自信がありますし、1分半ほどの演技ならミスさえしなければ十分こなせるでしょう。
 「「フレー、フレー白組、GOGO、レッツゴー、し・ろ・ぐ・み!!」」
 事前の訓練は3日ほどしかできなかったのですけれど、つきあいの長いわたくしと星乃は、それなりに息のあったチアリーディングを無事披露することができました。
 おかげで、背後に控える学ラン姿の正統派応援団はもちろん、白組の一般の生徒たちのテンションも、かつてない程に高まっていますわね!

 対する紅組は、純白の単衣と緋色の女袴……へぇ、巫女装束で来ましたか。
 腰までたなびく長い黒髪を持つ純和風な若菜はもちろん、その相方をつとめる桃子も、いつものツインテールをほどいて銀色の髪を後ろでひとつにまとめているせいか神秘的な佇まいで、巫女姿がよく似合ってますわ。
 千早や花簪、金冠まで着けて、手に神楽鈴とは、本格的ですわね。ああ、なるほど「紅組の勝利を祈願して、神楽を舞う」という体裁をとるワケですか。
 (それにしても、若菜、貴女この短期間でよくそんな難しい舞を覚えられましたわね)
 どうやら、紅組の生徒達もアレで大いに鼓舞された様子。うーん、困りましたわ。
 結局、審査員の投票結果は、ともに満点の100点でした。もっとも、もし100点以上付けることが許されていたなら、新奇さと技巧難度の面からわたくし達の方が負けていたかもしれません。ちょっと悔しいですわね

 ちなみに、わたくし達4人は、とくに希望しない限り各競技に参加する義務はありません。その分、大会運営のために駆けずり回らなければいけないのですけれど。
 こんな外見こそしてはいますけど、中身は立派な「男の子」ですから運動能力の面では……って、しまった、俺、また自分を見失ってたか。すっかり「ちょっとタカビーで負けん気が強い、微ツンデレなお嬢様」になりきってたみたいだ。
 思い返すとチアリーダーの衣装に着替えたあたりからか。どうやら、過剰に「女の子」としての行動を意識すると、なりきっちまうみたいだな。
 部活の演劇でも元々そういう傾向はあったんだが、舞台がハネれば元に戻れる劇と違って、今の状態は常時「女子高生」を演じてるみたいなモンだからなぁ。いったん「役」にのめり込むと、なかなか「戻れ」ないみたいだ。
 ハァ……しょうがないか。いずれにしても、あと二ヵ月ほどはこのまま暮らすって学園側との約束なんだし。
 むしろ中途半端にときどき我に返ってると、こういう心理的ダメージがヤバそうだ。いっそのこと割り切って、12月末まで「お嬢様な白鳥理緒」としての人格(ペルソナ)で暮らす方が賢明かもしれん(落ち込むのは最後の1回で済むしな)。
 よし、そうと決まれば。

 <──少女、瞑想中──>

 ……あら、わたくし、何を……?

 ♪ピンポンパンポーン……『業務連絡〜業務連絡〜、生徒会役員の皆さん、理事長からの指示です。至急、体育祭運営本部にお集まりください』

 呼ばれているみたいですわね。仕方ありません。参りましょう。


-つづく-




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